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こんばんは、ゆうこです。
このチャンネルでは、私の読書ログや日々の学びを音声配信しています。
今日は、第169回直喫賞受賞作、
垣根凌介さんの『極楽征夷大将軍』という小説について話してみようと思います。
やる気なし、使命感なし、執着なし、なぜこんな人間が天下を取れてしまったのか。
動乱前夜、北条家の独裁政権が続いて、鎌倉府の信用は地に落ちていた。
足利忠義は、怠惰な兄、高内を常に励まし、幕府の粛清から足利家を守ろうとする。
やがて、後醍醐天皇から北条家討伐の直命がおり、一族を挙げて反旗を翻した。
一方、足利家の重臣、高野諸直は、討伐後、朝廷の世が来たことに確然とする。
後醍醐天皇には、武士に政権を委ねるつもりなどなかったのだ。
怒り狂う忠義とともに、高内を抜きにして、新政幕府の樹立を画策し始める。
昆明する時代に、高内のような意思を欠いた人間が、何度も漆却の窮地に立たされながらも、権力の頂点へと昇りつめられたのはなぜか。
幕府の巣でありながら、謎に包まれた初代将軍、足利高内の秘密を解き明かす歴史群像劇。
ということで、足利高内が主役の小説ですね。
その名も極楽誠意大将軍ということで、やる気なし、使命感なし、執着なし、能天気な将軍ということで、
けちょんけちょんにされているわけです。
この小説はですね、足利高内が主役なんですけれども、その語り目として選ばれているのは2人ですね。
一人は高内の弟、忠義。
もう一人は足利家の重臣、甲の諸直という人です。
忠義も諸直もめっちゃ優秀な人なんですよね。
兄や上司である高内を支えて、まず法上系の独裁政権を終わらせる。
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そして後醍醐天皇からの仕討ちに対して、徴敵と言われながらも一族を挙げて反旗を翻して、ついに室町幕府を開いてしまったと。
そんな人、そういうお話になります。
この小説はですね、面白いんですね。
歴史小説っていうのは、やっぱりその、よくあるのは幕末なり戦国時代なり、その時代に来た死地ですよね。
死と隣り合わせである武士だったり侍の命がけの物語をドラマチックに描かれるみたいな歴史小説多いんですけれども。
しばり太郎さんとかですね。
なんですけど、この極楽戦異大将軍はめっちゃ面白く書かれてるっていうことで、読めば読むほど高内って本当にダメンズだなぁみたいな。
そのダメな兄だったり上司に仕えている、ただよしと諸直のけちょんけちょんに心の声が漏れてるっていう場面があったりして、その描写がめっちゃ面白いっていう。
空っぽのズダ袋とかって言われちゃいますからね。
中身空っぽで、その側もズタズタでゴミ袋みたいなもんだみたいな風に言われていると。
そんな初代将軍、戦異大将軍の高内なわけです。
で、これを読んで、そもそも足利高内ってこんなダメな人だったんだっていうのを知らなかったので、
かなり面白おかしく書かれていると思いますが、史実の資料だったりを参考にしながら書かれたものなので、ありえなくはないんですよね。
それが面白かったですね。
またそのコントラストで、そんな情けない能天気な兄を支える弟、ただよしですね。
もうめちゃくちゃ実直で、お母さんもお父さんも同じなんですよ、この兄弟は。
小さい時から一緒に育って、実際に性質から生まれた兄が二人にはいたので、着陸ではなかったわけですね。
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なので全く期待されない子供時代を過ごしたわけです。
生きてよが死んでよが、足掻きとしてはこの二人どうでもよかったんですけれども、
その兄が早く亡くなってしまって、たかうじが後を継ぐことになってしまった。
あそこから二人の運命は変わるわけです。
小さい時からただよしは、さとい子っていうんですかね。
頭のいい子として、少しキラリと光る部分はあったんですけれども、
たかうじは小さい時もやっぱりぼんやりとした、ぼうっとした子供で、
特段何かコメントを寄せるようなことはなかったんですけれども、
時にぼやっと思うような、本質をついたような考え方だったり語りをすることがある。
そういうたかうじを身内の限られた人は知っていた。
弟はもちろん知っていたと。
そういう一面が大人になってからたかうじに出てくるんですよね。
もともと持っているたかうじの人懐っこさだったり、敵を作らない、
無情義に人を信じる、一方でバッサリ斬るところは斬る、みたいなところが
ただよしだけではなく、足利家についたその他の武家の人たちにめちゃめちゃモテてですね、
おじさんを受けして、あれよあれよという間に見越しとして担がれてしまったという人です。
その見越しを担いだ弟のただよしと、もう一人足利家の中心である河野もろな。
もろなをもうめちゃくちゃできる人なわけですね。
最初はこの兄弟のことをじっと観察していたわけです。
自分が使えるにふさわしいたかうじであるのか、そしてそのたかうじの隣にずっと控えている弟。
この二人一体どんな人間なんだろうということで、じっと観察していたんですけれども、
すごい観察感を持っているので、たかうじはそういうどこか本質をつくような頭を持っているということと、
人に担がれる才能がある、みたいなことを認めてですね、自分が使えるに値すると。
担ぎがいのある見越しである、みたいに思うんですね。
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ただよしに関しても、自分と近いものを感じつつも、自分ができないような裏工作というか、
そういったところの才能を見出して、あとは先を見通す目ですね。
そして緻密に計画を立てていって、それを修正しながら実行していく能力。
そういうオペレーション能力のところに、この諸直はやっぱり尊敬するとか一目置いて、この兄弟を担いでいこうと思ったわけです。
そんな冷静な弟、ただよしと、冷静な受信、諸直の目線で補助線を引かれるような形で、たかうじについて語っていく。
それによってたかうじってどういう人なのかというのが浮かび上がってくる、というような構図になっています。
途中ところどころに、ぷぷっとたかうじが情けなさすぎて、笑ってしまうようなエピソードがたくさんあったりします。
序盤でいくつかハイライトしたところがあるので、そこを紹介できればなと思うんですけれども、序盤ですね。
諸直が、どうやらたかうじは自分が想像していたよりはるかに人の上に立つ器のようだと。しかも単なる器ではない。
武将の上に立って軍全体を取りまとめる総大将の任に、優しくふさわしい最適である。自分が担ぎがいのある見越しであると、そういうふうに認めた。
しかも、総大将としてゆったりと構えて、人を寄せ付けないのではなく、どんどん自分の器に入れてしまうような、そういう言動を飾らずに、そのままでできる。
これはすごいと感じる場面があるんですけれども、その直前にですね、ただよしはたかうじに対して、こんなふうに思うんですね。
兄に対してめちゃくちゃうんざりするわけです。同じ場面を見て諸直は自分が勝国に値する見越しであると思ったに対して、弟のただよしはうんざり、ヘキヘキしたと。
なぜならば、兄は何も考えていないだけなのだ。兄のことは大好きだが、兄には志がないと。ゆえに兄から出てくる言葉がないわけですね。
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自分の人生であったり、足利家の行く末、もっと大きく言うと、日本という国がどうあるべきなのか、みたいな。将軍権とはどうあるべきで、朝廷とはどうあるべきなのか、自分はどういう立ち回りをするべきなのか、みたいな。
こういうふうにしていきたい、みたいな。志は全くない高口なんですね。それを目の当たりにしてしまった、ただよし。志がない。ゆえに兄から出てくる言葉はないと。
それにこう、がっかりしてしまったが、一方でもしかしたらそれは、人としてではなく、この兄を世間一般の浮世であるというふうに捉えたほうがいいのではないかと気づくわけです。
この兄弟には小さい時にエピソードがあって、波間に揺れる木の葉を見て、右に揺れるか左に揺れるか、どっちかを当てるみたいなゲームを二人でしていたんですけれども、なぜか高口はそれを言い当てることができるんですね。
大人になってからも、世間の動向だったり、人の感情がどういうふうに左右するのか、全体の状況を見て、何か考えてるふうではないんだが、おそらくこれは右に倒れるだろうとか左に倒れるだろうということが、
高口にはなぜか、まさしく自然に手に取るようにわかってしまう。
それは世間がどう考えるかどう動くかを捉えているようだと。
高口のひぼんな才能があるとすれば、まさにそういうところ、世間そのものであり、世間の動向を見極める何かしらの自然張力みたいなものがあるんじゃないかと。
高口はそんなふうに思うんですね。
ただ、それ自体は高口の意思ではなく、志はない、そのものが世間を表しているようでもあるというふうに高口は言い当てるわけです。
そんなふうにですね、愕然とした忠義と、尋常ではない器であると恐れ入っている諸名が、うよ曲折ありまして、高口に大してすごいなと思う場面もあれば、深息をがっかりする場面もある。
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ずた袋かって言ったりしたり、この兄にいくら説明したってわかるわけがないみたいな。だから噛み砕いてこういうふうに言ったみたいな。
子供を扱っているようにね、上司兄に対する態度とは思えないようなディスる場面もあると。
そんなような曲折がありながらも、足川家はなぜか徳相家であった北条家を打ち滅ぼして、その後、後醍醐天皇から手の平返しをされても、朝敵と言われても、
後醍醐天皇側につく楠木正重だったり、新田貞義を相手にしながらも、なぜか勝ってしまって、日本で一番強い武士、力を持つ武家として勝ち上がってしまうというところまで到達してしまうわけです。
そこから先ですね、高丑という御子を担いでいた高丑と後の諸名、それ以外の中心武家にもどうしても圧力が生まれてしまって、その根本にあるのは、やっぱりこの時代の武士なので土地の問題なんですよね。
以前から荘園として召し上げられていた土地を自分のものだと訴えたり、それに対して将軍家がどのように裁くのかという点で、この諸名と又名義が意見が割れてしまう。
そういったところが圧力となって、この諸名が高丑に対して反旗を翻したり、高丑と高丑が兄弟喧嘩の戦いを始めてしまうと。
お家騒動ですよね。そんな仲間討ちでの戦もしながら、最終的に忠義と後の諸名はそれぞれ悲劇的な最後に向かっていき、
二人がいなくなった後、最後に残されたのは高丑ただ一人だったというわけです。
この後足利家というのは、皆さん歴史で習った通り三代義光で最高朝を迎えて、その後黄仁の乱が始まっていく。
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戦国時代に突入して、織田信長の時代で義明が失脚するまでは何となく続いた足利家、将軍家という形で、結構長く続くような礎を結果的に築いてしまった高丑という形になっていくんですね。
ここまでつらつらと話してみましたが、読んでみてですね、この本は本当にエンタメとして読むのが一番いいなと思っていて、正直笑えるエピソードがたくさんあります。
それは足利家が高丑のことをケチョンケチョンに言ってたりする場面だったりですね、高丑の馬鹿正直さ加減だったり、実直でも情けない行動そのものを笑っちゃうみたいな。
例えばですね、ある時高丑は戦のその中にも自分が武士として生きているのが本当に嫌になって出家しようと思っちゃうんですね。
で、侍の馬毛、武士の馬毛を、チョンって切っちゃったところに、弟の忠義が窮地に立たされているという方に接して、馬毛を切っちゃってるわけなんで、それがパラッと落ちてきたら、おかっぱ頭になるんですね。
その状態で戦に駆けつけるという、武士としてはもう情けなくて、そんな上司を見ている家来たちも情けない情けないというような、足利高丑の情けないエピソードみたいなものが書かれてたりします。
子供の時のエピソードである、波間をゆらゆら揺れる木の葉のような、自分で意思を持って動くのではなく、波に揺れる世間という波に身を任せる。
ただよしと諸直の言う通りに、それに従って生きてきたような高丑。どこかね、よく引き合いに出されるのは、幸運と留保の留保かなと思うんですよね。留保も伝わってくる話としては、
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本人に戦の才能はあったようですが、政治的な才能だったり、健忘術というかですね、計り事みたいな才能はなかった。どこかこうゆったりとして、凡庸な雰囲気を持っていた留保が、なぜ戦の才能の塊で頭をめちゃくちゃ切れる子に勝てたのかというと、
やっぱり優秀な部下がいて、それをマネジメントすることができたからだというふうに言われてたりします。
あとは、豊臣秀吉もですね、田舎の農民の出で、そこから豊臣家を起こして、最終的に天下統一することができたのは、一人に優秀な部下がいたということと、秀永っていう優秀な弟がいたからだ、みたいなことを言われてますよね。
ちょっとかけ離れたことではあるんですけれども、最近はよくビジネスの世界でもリーダーシップ、いろんな形のリーダーシップがあるというふうに言われてますけれども、
こういう形もあるのかなっていうふうに思ったんですよね。それは、自分自身が優れた何か、才能だったり能力、実績を持っているというよりかは、部下がそれを持っていて、
スペシャルな部下を、なぜかこの人が束ねることができる。この人の元にいたら、みんながなぜか生きるよねっていうようなリーダーシップの取り方。そういうリーダーシップにも着目されてたりはするのかなと思うんですよね。
この極楽聖位大将軍も、そういったものを少し感じ取れる部分がなくもないかなと思います。
実際読んでてですね、やっぱり小説って読んでると、自分はこの中の登場人物の誰に似てるのかな、みたいなことを考えながら読むんですけれども、私の場合は確実に高渕ではないなと。
ただよしか諸直かどっちかかもしれないなと思ったときに、そういう視点で自分の仕事でやってることを振り返っていて、そういう視点でただよしとか諸直が置かれている状況で自分だったらっていうことに思いを馳せてみると、なんてくだらないことをやってんだろうとかね。
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こんな上司だったらがっかりしたり、やっぱすげーと思い直してる感情が忙しいだろうなと思ったり、ちょっとそういう点では複雑な気持ちになりましたね。
でも、ということはですよ。
まあ、わりと史実に基づいてこの極楽聖大将軍が書かれているのであれば、1000年近く、1000年も経ってないか、700年くらい、800年くらい経ってても、意外と人がやってる営みっていうのは変わってないなと。
その手に持ってるものが刀から銃に変わり、今はペンだったりパソコンになってるわけですけれども、結局は人と人との間には感情という人の行動を最も左右する要因が大きく存在していて、それによって左右する人が多いと。
そういうことの積み重ねで、なぜか世の中は動いている。それがなんとなく言う世間で、それを滑ることができる人がタカウジだったり、その時の政権を大きく動かす人なのかなというふうに思ってですね。
そう思うと自分にはそういう力はないし、器でもないなって本当にそう思うんですけれども、だとしたらそういうのを眺める立場、こういうふうに本で読んだりとかですね、そういう人が周りにいるとしたら面白がるっていうことも楽しいんじゃないかなと。
思いましたね。
波間に漂うもよしだし、それを浜辺から眺めてみるのも楽しいんではないかなということで、夏のですね、暑い中に一気読みした本です。
すごいボリュームがあって、超大作。歴史をある程度把握していたから一気に読めたという部分もあるかもしれないんですけれども、550ページくらいあって、本当に一度も飽きずにですね、時間の許す限り一気に読めた本でした。
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歴史小説ってね、本当にあんまり人気がないと思うんですよね。
このスタイフの収録を撮る前に、他にも極楽誠一大将軍のことについて話されている方がいるかなと思って検索してみたんですけど、まだ一見もなかったということで。
長期写を撮っても、歴史小説ってあんまり人気がないのかなーってちょっと寂しい気持ちになりましたけれど。
時代は変われど、人がやっていることは変わらない。
そこには学ぶものも当然あるし、面白いエンタメの要素も多分にある。
そういうことを改めて感じた極楽誠一大将軍だったなと思いました。
すごい一丁対策なんで、細かいエピソードを拾っていけば、もっともっと話したいこといっぱいあるんですけれども。
まねたまれにはならない程度で話すとすると、こんなところかなと思います。
ぜひ極楽誠一大将軍読んだよっていう方と話してみたいなと思いました。
と言いつつめっちゃ話してますね。
30分近くなってる。
ということで、この辺にしときます。
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励みになります。
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ではでは。