2024-10-18 11:20

嫌悪感

嫌悪感を和らげるには理性を活用しましょうという話です。感情は理性で制することができます。

サマリー

今回のエピソードでは、嫌悪感をテーマにしており、この感情の理解と対処方法について深く掘り下げています。特に、嫌悪感を感じた際に理性を使って対象を理解しようとすることの重要性が語られています。

嫌悪感の定義
はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、
嫌悪感、というテーマで話をしていきます。
はい、嫌悪感、ですね。
これ、実らで見ると、すごいですね。
嫌いという字に悪いという字で、
よっぽど嫌なんでしょうね。
よっぽど嫌なことに湧く感情ですかね、これは。
今までの人生の中で、
一度も嫌悪感を感じたことがないというような人はいないと思います。
そして、現在進行形なのか、ある特定のことが起こるとなのか、
現状でも、何か嫌悪感が湧くというような時、
これもね、あるにはある。
そうした時の、人に対するですね、コミュニケーションですから、
人に対して、あなたが嫌悪感を感じた時に、
それをどのように解消をするのかと、
解消の仕方と言いますか、考え方ですかね。
どのように考えれば、嫌悪感というものが柔らぐのか、
もしくは取り除かれるのか。
この考え方というところは、嫌悪感というものは感情なわけですよね。
感情と理性のバランス
感というぐらいですから。
感情、感覚、何かこう直感的に、嫌悪感が湧く。
それに対応するには、理性を使う必要があるわけですね。
対象に対して、対象の人に対して、
それが個人なのか集団なのかわかりませんが、
感情で湧いたその嫌悪感というものに対処するには、
理性で持って、理解をすることに努めるというようなことをすると。
努めるというのはね、そのぐらい励むように考えていかないと、
感情で湧いたものを理性で諌めるというか、
やり込めるというかね、そのようなことをするには、
努めるほどに、努力という字ですよね、努めるというのは。
努めるほどに理性を使うというのと。
ただ表面上だけ考えたとしても、理解ができないですから、
それは感覚でね、あなたが嫌悪感を抱いていることに対しては、
よっぽど理解をしようということに力を注がないと理解ができないです。
だからこそというようなところで、感情を治める、諌めるためには、
理性を使うというようなこと。
とりわけ嫌悪という感情は、他の感情と比べてみても、
なかなか自分自身では受け入れられないようなこと、
だからこそ嫌悪感が湧くというようなことであるので、
よっぽど理性を使って理解をすると。
それがどういうことなのかというと、
嫌悪感を感じた対象の人間に対してですね、
その人のことを知ろうとするということ、
もしくはその集団の成り立ちを知るということ、
これは理性を使えばできることですよね。
なぜ相手が自分が嫌悪感を感じるということをするのか、
もしくは集団がそのような振る舞いを行うのか、
一人なのか複数なのか、特定の集団に所属をしている人なのか、
なぜそうなのかということ、
これを自分が納得いくまで理解をすることに努めると。
例えば、私が嫌悪感を感じていること、
今はあまりないですが、
かつて会社員として7つの会社に所属をしてきまして、
いろいろな集団、組織に所属をしてきたんですけれども、
その時々にどの組織にいても、
あるシチュエーションが起こると、
嫌悪感を感じるというようなことがあったんですね。
それを例えで言うと、
個人的には特定の人がそうとかじゃないですから、
私個人としてはというところなんですが、
偉そうにしている人、それとペコペコしているというか、
何ですか、ヘリくだるというかね、
偉そうにしている人を持ち上げるというような、
そのような人たちを見ると、
嫌悪感を抱くというようなことがありました。
それは、ある組織に所属をしているわけですから、
何か与えられた役職というものがあるわけですよ。
これは何も雇われているからということだけではなくて、
創業オーナーであったとしても、
法人から与えられた代表なり社長なり、
そういう役職があるわけですよね。
その与えられた役職という名の、
いわば幻の権威というもの、
本来存在し得ないようなものを自ら作り出して、
それを傘に着て選ぶというか、
そしてそれを盛り立てるかのように、
追従している取り巻きというんですかね。
いわゆる支配をしている人と、
言葉を選ばず言うと奴隷というような、
かつての私からそのような見え方をしていたんですよ。
支配者と奴隷というような関係性。
これはどちらかが欠けていたらどちらも成り立たない。
支配者がいなければ奴隷はいませんし、
奴隷がいなければ支配者がいない。
お互いがお互いの存在を、
ある組織の中で与えられたことで作り上げていると。
当時の私の価値観ですけれども、
気持ち悪いなと思っていたわけですよ。
なんだか家畜の群れ合いと、
そこまで思っていましたね。
気持ち悪い家畜の群れ合いだなと。
群れることでしか自分を表せない。
蠢の衆だなと。
何ですか、組織という名のね。
一つの組織という名の狭い枠で、
もっと言うと檻で生活をしているということに気づいていない。
これは嫌悪感が湧くぞというようなことがあったんですけれども、
その感覚を持ったままそこにいるのか、
それとも離れて忘れるのか、選択ができるわけですよ。
それは今までもどちらの選択もしてきましたが、
とはいえ、すぐに離れるというようなことはしないというような時に、
その気持ち悪い感覚のまま、
自分が嫌悪感を抱いているままというのも、
それもまた気持ち悪いと。
であればどうしたらいいのかなというような時に、
具体的な対処法
これはそうか、感情で今この感覚を味わっている。
であれば理性を使って、
この人たちの背景を理解すれば、
自分も嫌悪感をわかなくなるんじゃないかと思ったわけですよ。
でも実際それはそうで。
なぜそのような関係性であるのか。
私の例でいうと偉そうにしている人と、それを持ち上げている人と。
なぜお互いそのような関係性になってしまうのだろうと。
それはそれぞれのデジがあって、
どのような経緯でその組織にいて、
どのぐらいの年月そこで過ごしていて、
今までどのようなことがあって。
これは順序を追って、
今目の前に見えている嫌悪感を抱く対象の人物たちが、
どのような経緯を使って今に至っているのかということを、
理性を使って知っていくということ。
ですから当然聞く必要もありますし、
その本人たち直接ではなくて、その周囲の人とかね。
彼ら彼女らを知っているような人に話を聞いていく必要もありますし。
それも仮にその組織にまた所属をしていこうと思うのであれば、
直接的にというよりかは当たり障りのない、
オブラートに包んだ言い方で聞いていく必要もあるわけですよ。
というね、何の話をしているんだと、
私の個人的に感じてきた嫌悪感の話になってしまいましたが、
そうですね、その人物に対してね、
嫌悪感を感じるというような時には、
それは理性でもって理解をすることに努めましょうと。
感情を勇めるためには理性を使うといいですよと。
そういうことですね。
つまり何が言いたいのかというと、
嫌悪感。
これはコミュニケーションですから、
人物に対する嫌悪感を感じた時の解消の仕方ということ、
その考え方ということですね。
何を考えて嫌悪感というものを解消するのか。
それは対象の人物に対して感情で覚えた嫌悪感というもの、
これを理性を使って勇めるというようなことをする。
そしてその理性をどう使うのかというと、
対象の人物の今に至る、
あなたが嫌悪感を感じている、振る舞いをしている個人なのか集団なのか、
そうしたところに関わっている人、もしくは人々に対して、
なぜ今このように彼ら彼女らは振る舞いをしているのだろうということを、
順序をたどって周りにヒアリングをしつつ、
時には本人に聞きつつ、
あなたが納得いくまで、あなたの嫌悪感が柔らくまで、
理性を使って理解をすると。
そのようなことですね。
どうしても考え方というような部分で、概念的な内容で、
個人的にお話を聞ければ、あなたの個人の話ですね。
今実際こうで、それに対してどうすればと。
個人的に聞いていただけると、より具体的に話ができるかなと思うんですけれども、
どうしてもこうした考え方というところで、
一度聞いたぐらいではあまり腑に落ちないというか、
何言っているんだと、それはご容赦をいただければと思います。
あとこれはあまり言ってないですけれども、
概要欄に問い合わせフォーム設けてますから、
特に名前とかも必要ないんで、
何かコミュニケーションで悩んでいる、聞きたいことがあるとか、
ということであれば、何の利害関係もないですから、私とあなたは。
聞いていただいても、もう一向に構いませんので。
ということで今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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