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はい、どうも、丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、嫌いな言葉という話をしていきます。
はい、嫌いな言葉ですね。
思想的な部分が多文に反映されている話になると思いますので、
興味のない方は飛ばしてください。
いつもと言えばいつもなんですけどね。
それでね、嫌いな言葉ということなんですけれども、
あなた自身が、誰かに、自分に向けてこういう言葉を言われると、
嫌いだなというように思う言葉はあるでしょうか。
一つもないというような人はなかなかいないんじゃないかなというように思います。
たとえどれだけコミュニケーションの技術があろうとも、
嫌いなものは嫌いなわけですよ。
そうしてね、その嫌いなものがあってもいいですよね。
全ての人を好きになるということは無理ですし、
全ての言葉を好きになるというのも無理です。
あまりできない、無理、そういう言葉を比較的使わないようにしているんですけれども、
ここは譲れないラインというか、ある種の自分の中での最低ラインとでも言いますか、
そうしたラインというものはあらかじめ決めておいて儲けておけば、
そこに定食をすることはもう無理ですとなったり、嫌いですというように言ってもいいわけですね。
ですから仮にもしあなたが嫌いな言葉があったとしても、
それに思い悩む必要は全くないということですね。
それでいいんですというようなところで、
当然私自身もこんなことをやってますけれども、嫌いな言葉はあります。
それは言葉の表面だけというよりかは、
誰かから私に対して言われた場合ですね。
誰かが誰かにそういう言葉を言っていたり、街またで見かけたり聞いたりしたとしても特に何とも思わないんですけれども、
自分自身にこういう言葉を投げかけられたら、
ちょっとその相手とはあまりお近づきになれないかなというようなことがあるんですよ。
しかもですね、3つあるんですね。
これはもう私自身あらかじめ決めてあることで、
仕事だからとみんなやってるからとルールだから。
この〜だからとからというのがセットですね。
仕事、みんな、ルール。
これを単体で聞いてもね、自分に投げかけられても何とも思わないんですけど、
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あなたに対して言ってますよというようなね、丸山に対して言ってますよというような意味合いで、
いやそれ仕事だから、いやそれみんなやってるから、それもルールだから。
この3つの言葉がですね、嫌いなんですね。
これが嫌いな人って、完全に自分自身のことも含めてなんでね、完全に偏見なんですけど、
あまりこう、俗世間に馴染まないというようなね、
なぜそれが嫌いなのかというような原因も、
きっかけも、対処も、すべて自分の中で分かっているんですけども、
分かるようにしたというようなことはね、あるんですよね。
ただね、その言葉だけ嫌いだから、
いや嫌い、嫌だ、じゃあわがままを言っている子供と同じですから、
その上でじゃあどう対処しますかというようなことを、その先を考える。
いやこれ嫌いだな、ダメだな、終わりだ。
ではなくてね、ちゃんとそう、自分自身の中では、
腑に落ちるように考えを巡らせたので、なんて言うんですかね、
これが嫌いだというようなことは明確にあって、
これ一つ一つ話し出すと、しばらく止まらなくなると思うので控えますが、
こうしたコミュニケーションというものをやっている、私自身も嫌いな言葉というものがあるんですよ。
自分自身に投げかけられたら、嫌だなぁと思うようなことがあるわけですね。
ただその逆に、こうした言葉を私が他の人に使うというようなことはそれはあります。
というのも、私と他の人とは違う、全く同じ人間というのは一人もいませんから、違う人間なわけですね。
であれば、自分が嫌だと思うことであったとしても、他の人がそうとは限らない、
よく人にされて嫌なことはするなというような言葉がありますけれども、
その限りでもないわけですよ。
人に言われて嫌だなと思った言葉があったとしても、
それは他の人が同じように嫌がるかどうかというのは、それはその限りではないですよね。
ですから、相手に対して相手の背景、環境がわかっていて、
そのような言葉が今適切かなと思う場面であれば、
私が嫌いな言葉であっても、他の人に使うことはあります。
ですから、あなたも自分が嫌いな言葉があったとしても、
それは人に絶対言っちゃいけないというようなことでもなければ、
さらには、嫌いな言葉があってもいいと。
というよりかは、あるからこそ人間味が出ると思うので、
何か嫌いな言葉がある、そんな自分が嫌だと。
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人に対して、人から何か、例えばアドバイスをもらったとしても、
言われた言葉がピンとこずに、何か受け入れがたい。
せっかく相手は良かれと思って自分に対して言ってきてくれているのに、
それを自分は嫌だと思ってしまう。
そんな自分が嫌だと、変えたいというようなことを、
わざわざ思う必要はないということですね。
あってしかるべきですから。
それはそれでいいんですと。
そんな自分自身も受け入れてもいいんです。
それも含めて、一人の人間、あなたという人間ですからというようなことですね。
自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってきましたが、
つまり、何が言いたいのかというと、
嫌いな言葉。
これは誰でも、自分に向けて言われた、
こういう言葉が嫌いだなというようなことを持っていてもいいんですね。
各私自身も三つあるので、
仕事だから、みんなやってるから、ルールだから、
この一つ一つのことについてはいつか話そうと思います。
興味があればね。
あとは、あなた自身が言われて嫌いだなと思う言葉が何かあったとしても、
それはあなたの中ではもう受け止める。
受け入れる。それも含めてのあなたということで、
そんな自分も含めて好きになってくださいと。
嫌いな言葉がある自分も好きだなというようにね。
思っても何ら問題はないというようなことと、
自分が言われて嫌いだなと思う言葉であったとしても、
あなたと他の人とは違う人間であるから。
それは自分が嫌だと思ったことだとしても、他の人は嫌だと思わないかもしれない。
であれば、遠慮せずに、控えずに、
今相手に適切だと思うのであれば使っていきましょうと。
使っていきましょうというか、使ってもいいんですよというようなことですね。
全てを好きになるために、全てを嫌いになるために、
誰からも好かれるために、嫌われないために、
このようなこと、どちらか一辺倒というような人はなかなかいないと思いますから、
そのためのコミュニケーションの技術ということでもありますし、
付き合う人を選ぶというような意味でもね、
たとえ何が好きで何が嫌いであろうとも、
全ては問題がないというようなところですね。
思想系の話は話していて、余計楽しいですね。
勝手に一人だけ気持ちよくなってますね。
大変失礼いたしました。
はい。
ということで、以上となります。
ありがとうございました。