2024-10-23 09:21

ダサい

ダサいかどうかはあなたが決めればいいことです。誰が何と言おうと気にしないといいです。とはいえ気にしてしまうというのであればこうしたらいいです。

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どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、ダサいというテーマで話をしていきます。
ダサい。
何ですかね、ダサいという言葉。面白いですよね。
だらしがないということですかね。
ちょっと後で語源なんかを調べてみようかなと思います。
ダサいというように言われると、それに傷つく、落ち込む、
このような状態になるというような時に、
何をどう考えれば落ち込まなくなるのか、というようなことですかね。
ダサいというように言われたことはありますか。
これ今でも言うんですかね。
言うか、ダセーなーとか、ダサいわねーとか。
そんな感じで、今でも使う人は使うんですかね。
これも、かっこよく見られたい、かわいく思われたい、よく見られたい、
人からどう思われたいかというようなところで、
自分では変えられない他者の評価というものに、
自分自身が影響を及ぼされて、感情が動くというような状況ですよね。
ダサいと言われて、落ち込んだり傷ついたりというようなことは、
自分では自分のことをダサいと思っていないけど、
人からの評価ではダサいとなる。
もしくは世間一般の、当たり前から、常識から見ると、
ズレているからダサいというようなことになりますね。
それでね、これに対してどう思えばいいのかというようなことは、
結論から言うと、
誰に何と言われようとも構わない。
言いたい人には言わせておけばいい。
というよりかは、
言ってもらえる分、思ってもらえる分、
ありがたいというようなことですね。
そもそも他者があなたのことを認識していなければ、
ダサいと思われることもないですから。
それが道ですれ違うだけなのか、
それとも日頃親しくしている人なのか、
何か自分に向けて言葉を投げかけてもらえるということ、
それがどれだけひどい言葉であろうとも、
言ってもらえるだけありがたいと思えば良いというようなことですけれども、
そうは言っても、すぐには受け入れがたいと。
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ダサいというのも一つ、他者からの自分に対しての否定だと思うので、
そうしたことが受け入れがたいと。
特に直接言葉をかけられた場合、
会話をしている中でとか、コミュニケーションをとっている中で、
直接ダサいということも含めて、
自分を否定されたというような時には、
相手に対してどのように反応すると良いのかというと、
それを言う人を肯定してあげると良いですよ。
仮にダサいなと、あなたに対して発信をする人の気持ちを考えてみると、
もしかすると、そのダサいと言った人が、
あなたに対して何か劣等感を覚えていたり、
自分ができないことができる人だと思って、
その裏返しとしてダサいというような言葉を攻撃として使っているのかもしれないですし、
相手の基準ですね、相手にある当たり前、常識というもの。
その相手の基準に照らすと、あなたの状態はダサいと。
それが服装であれ、行動であれ。
ダサいという人の常識の中にはないことをした時に、
自分と違う人を見ると反射的に否定をしたくなるような人もいますから、
そういう人なのか。
いずれの場合においても、
ダサいと言ってくる人を、あなたが肯定をしてあげると。
そうなんですよ、ダサいんですよ。分かっているけどやるんですよね。
素晴らしい角度からの指摘ですね。
それは自分では気づかなかったので参考にさせていただきます。
自分に対してそのような言葉を投げかけられた時に、
あなた自身も否定で返すとそれは戦いになりますから。
戦いというのは、特に個人間では同じ程度の間でしか発生をしないと。
相手の土俵に上がらないと。
そういうことわざもありますよね。
何だったかちょっと今出てこないんですけど。
ですから、何かあなたに対してダサいと。
それを言う人に対しては、あなたも相手に対して、
いや、そんなことないよ。自分ではこれがいいと思っているからやってるんだよ。
何か文句でもあるんですかと。
戦う姿勢を示さずに、相手が言ったことを肯定してあげると。
そうなんですよ。よく気づきましたね。
こう言うと攻撃をしてくる人というのは、
おとなしくなったり離れたり味方になったりしますから。
自分がダサいかどうかは自分で決めたらいいと。
自分で決められないことに時間を使っても、
とろーに終わることが多いですから。
他人は基本的には操作はできないです。
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ダサいと言ってくる相手をどうにかこうにかしたいんですけどというのは、
それはできないことですよ。
自分がどう受け取るか、そしてどう返すかと。
こうしたことで相手が勝手に変わっていくというようなことになるので。
基本的には操作できないと。
基本的にというのは誘導尋問なんていう言葉もあるぐらいですから。
気づかぬうちに手のひらで転がすというような、
そうしたこともできる人はできるということで、
基本的にはということですが、
日常的にコミュニケーションを取る中で、
そんなことをする必要も特にないので、
自分で決められない相手の考えをどうこうしようということに時間を使っても、
とろーに終わりますよということですね。
つまり何が言いたいのかというと、
ダサい。
最近ではあまり聞かないですけどね。
言うことがあるのかどうか。
こうしたダサいということも含めて、
自分自身が否定されたときには、
どのように対応すればいいですよということで。
誰に何と言われようとも構わないと。
言いたい人には言わせておいて、
また言ってもらえる分ありがたいというようなことを思えると、
それで解決はします。
ただそうは言っても、すぐには受け入れられない。
ということであれば、それを言う人に対して、
否定で返すのではなくて肯定をしてあげる。
そうなんですよ。
よくわかりましたね。
さすが気づきましたね。
そのように相手が言った、
たとえ自分に対しての攻撃の言葉であったとしても、
受け入れてあげる。
この思うという部分に関しては、
とっさに判断をするようなことがありますから、
直感的に自分の思考で判断をするというようなこと。
これは最初に思うことを変えるには、
確かに時間がかかるんですけれども、
しゃべる言葉というものに関しては、
すぐにでも変えられることですよね。
思ったことと違うことをあえてしゃべる。
誰かに言われたことがすごく気になる。
言ってもらってありがたいなんて到底思えない。
とは言っても、
それを言う相手に対して、
そうなんですよ。ありがとう。
ありがとう。気づきましたね。という言葉で言うのは、
できることですよね。
これが感情と理性の違いで。
今、自分の感情を整理するためには、
理性を活用すると非常に効果的ですので、
そのようなことを言うと。
あとは相手も相手で、
その相手の当たり前というもの、
常識というもので活動してますから、
それは相手の常識なんだなと、
そういうことを理解をしてあげる。
その上で、自分がダサいかどうか、
ダサいに限らず、
自分が何なのかとどうなのかということは、
それは自分で決めたらいい。
自分で決められないことに時間を使っても、
トロに終わると。
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見てくれがダサいかダサくないかなんていうことは、
どうでもいいことです。
心が大事ですから。
ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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