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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、いつでも本心というテーマで話をしていきます。
はい、いつでも本心、ですね。
いつ、いかなる状況であっても、常に本当の心であるということ。
コミュニケーションをとる際に、本心というものから、物事を言うか言うまいか、それが果たして本心なのかどうなのか、
私の話もコミュニケーション技術というような話をしていまして、
技術であるからそれは本心ではないというように思うのか、もしくはそれでいても本心であるのかということを思うのか、
言葉だとか、身振り手振り、コミュニケーションをとる際に活用するものすべてに当てはまるようなことではありますが、
いつでも本心であるというようなことを思うと、それは本心となり得るというようなことです。
日頃から言うことですけれども、全て自分自身の心のありよう一つなんですね。
外部に発信をすること、とりわけこのいつでも本心なのかそうではないのかというような部分においても、
あなたが本心だと思えばそれは本心になりますし、本心ではないなと思えば本心ではなくなるということなんですよ。
と話をし始めていますけれども、心の状況がいい人と言いますか、
常にいい人で生きてきた人、生まれてから常に良き心を持っていた人、
魂の清い人と言いますか、プラスかマイナスかというような人の心の状況があるとして
善人悪人というようなことがあるとして、いわゆるマイナス悪人というような人たちと接してきたことがなかったりだとか、
もしくは自分自身がそのようなものではないというようなことだとか、
生まれてからそのようなことに影響を及ぼされずに育ってきた人というのは、
世の中に悪人がいるというようなこと、
これはその本人が悪を悪だと思って実行しているかどうかというところは、
それは本人次第なんですけれども、
そのような人と関わりを用いてこなかったような場合、
相手と接する際に、ひょっとしたらこれは自分自身の本心ではないのではないか、
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とりわけコミュニケーションの技術というものを活用して相手と接しているような状態は、
偽りの自分なのではないか、
このように心が清いからこそ、悪を知らないからこそ、
自分自身の中で優しい葛藤が起こるというようなこと、
これは相手のことを鑑みて、今このようにしている自分、
本心だというようなこと、
それ以上に何かしらの技術を使って今相手と接しているような場合、
自分自身で技術を使っていますよというような自覚がある場合ですね、
このような状況の自分と接している相手はそれを知らないんだと、
今実は私は技術力を使ってあなたと接していますけれども、
それは実は本心ではなくて、
ただそのような私自身も受け入れてくれているようなあなた、
そのような関係性に非常に悩むというようなこと、
このようなことが起こり得る場合があります。
それは再三言いますが、非常に心の清い状態、
悪人と会ったことがない、なったことがない、それを知らない、
もちろんそのようなことの方がいいことですから、
これはそれが良くないとか経験した方がいいとかそういうことではないですから、
プラスマイナスがあるとしたらプラスの局面の方のみ体験をしてきた、
もしくは吸収をしてきた、認知をしてきた、
このような人ですと自分の本心を見失うというようなこと、
果たしてそれは本心で私は相手と接しているのかと、
このようなことに葛藤するようなこともあります。
そのようなことを思えるというようなことは非常に尊いことだと思います。
悪をやってこなかったというようなことですので、
誰にも迷惑をかけてこなかったというような非常に素晴らしい人ですね。
その上で、だからこそこうした自分自身の本心というものと向き合うと、
自分がわからなくなってしまうというようなこと、
相手のことを思うことが常となっているからこそ、
自分と向き合っている相手との向き合い方に悩み苦しむというようなこと、
このような人にはいつでも本心なんですよというようなことを伝えたいと思います。
それは自分の心のありよう、思考のありようによって、
自分が本心だと思えばそれは本心なわけです。
どのような状況であっても、今相手に話をしているあなたというもの、
これは嘘偽りないあなたというもの、
相手から見ると今目の前のあなたが嘘偽りのない本心の状態であるというようなことに相違ないというようなことですね。
自分の心が決めているわけです。今私は本心なのかそうではないのかということ。
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そして自分がもしかしたら本心ではなく相手と接してしまっているのではないかということであれば、それはそうではないですよと。
今のあなたも、そのように葛藤するあなたも全てが本心であるというようなこと。
何事にも言えますが、ある局面だけを知るというようなことをしていると、このようなことに発生しますので。
それは葛藤が発生したならば、その人の人生にとっては必要なことではあるんですけれども。
その最中においても全てに局面、両局面がある。極端な方法ですね。悪・善と、そのように極端な両面を知っている。分かっている。
このような状態ですと、何かに悩んだり葛藤をしたり、そのような機会がほぼなくなると言っても過言ではないです。
人の心のありをというものを深く理解をすると、悩みの種すら芽生えなくなるというようなことですね。種がなければ悩みは芽生えませんから。
と、このように今は私も話をしていますが、今こうしてマイクの前に立って話をしている私は、あなたに伝えたいというようなモードになっているわけです。
それは私の一つの側面でもあり、また本心でもある。
常日頃このような話し方をしているというようなことでもないですし、声のトーンも話のテンポもいつもと同じようにはしないで、伝わるといいなというようなことを思いながら、ある種の技術を使って話をしているわけです。
それであっても、私自身は今この私自身を本心ではないとは思わないわけですよ。
いつ、どのような場面においても、自分自身が全て本物の自分、全て本心からであるというようなことを強く思っておりますから。
ですから今こうして、あなたの聞いている私というもの、これは一つの側面に過ぎませんが、それでも本当の心で話をしていますというようなことを自信を持って言えるわけです。
つまり何が言いたいのかというと、いつでも本心。
これはいついかなるどのような状況であっても、あなたが誰かとコミュニケーションを取る際に技術を使っていたり、頭で考えていることと違うことを言ったとしても、それは全てあなたの本心なんですということ。
非常に心の清い側面で活動をしてきた人、これは良いことですからね。
こういう人に起こりがちな悩み、葛藤ということでもありますが、ひょっとしたら今自分は本心じゃないんじゃないかと、
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そのような相手が、それを受け取った相手が今本心じゃないのかもしれないというようなことを思っている私と話をしている相手が相手に悪いというような、
そのようなことで悩み葛藤があるというような場合においても、
いついかなるあなたも、それはあなたが本心だと思えば本心であるし、本心ではないと思えば本心ではなくなる。
どちらで活動をしていきたいですかというようなことですね。
このようなことをですね、実はこの本心であるとか、偽りがないだとか、このようなことを真に心で受け止めることができるのであれば、
コミュニケーションの技術というものは、なったも同然なんですね。上達したも同然なんですよ。
言うなればこれに肉付けをするために、いろいろと話をしているというようなこともありますので。
はい、ということで今回は以上となります。最後まで聞いていただいてありがとうございました。