2024-09-24 10:23

疑う

時には疑うことも必要です。分かっていても判断を誤ることがあるのが人ですからなおさら決めておいた方がいいと思います。

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はい、どうも、丸山です。
まずは、おめでとうございます。
ということで今回は、疑うというテーマで話をしていきます。
疑う、ですね。
疑問、疑念、疑惑、こうした疑うということ。
普段ですね、これまで話をしてきているようなことも含めて、
いつでも本当の自分だと、
自分自身のやる行いに関しては全てが本心であったり本物であったり、
前回もね、そのような話をしているんですけれども、
そうは言っても、全ての人にこうした考え方はないと思っています。
自分の行う全てが本当の自分だというようなことを思っていない人、
自分がそうだと相手もそうだというように、
勘違いをするようなこともありますので、
あなた自身は振る舞い、行い、発言、
全てが本物だということは理解をしていただけるかと思うんですけれども、
そうではない人と接する際に、
全てを信じるというよりかは疑うというようなことの線引きをしておくと、
例えば誰かに騙されたりだとか、いいように扱われたりだとか、
あなたが振り行きをこむるというか、
そのような機会が減ると思いますので、
誰かとコミュニケーションを取る際に、
自分の身を守るというような意味でも、
疑うというような側面もあっていいんじゃないかなというように思います。
これはどのようなことが起こったら、
信じるというような側面と合わせて疑うというようなことを思ったらいいのかということなんですけれども、
これは一つですね、
この部分に抵触するようなこと柄が起こったら、
疑いの視点を持って物事を考えてみようというようなポイントといいますか、線引きといいますか、
これを自分で考えてあらかじめ設定しておくといいと思います。
代表的なもので言ったら、例えばお金が絡むとか、
行動制限が絡むとか、
そのようなこれに抵触しない限りは、基本的には相手の言っていることは信じる。
それはね、信じたところで何もないというか、自分の身に降りかかることは特に何もないと。
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ただ何か具体的に、これが発生して、さらにそれを信じたとして発展したとしたら、
これはひょっとしたら自分にとって良くないことになるんじゃないかとか、
自分だけに限らずね、自分と関係性のある人に対して何か不利益があるんじゃないかとか、
ある種の防衛線ですよね。
こうしたものをあらかじめ決めておくと。
想定をしていなかったら、それはその場で判断をする必要があるんですけれども、
この疑うという点において、これが起きたら、
一旦疑いの視点を当ててみようというようなこと、これを先に決めておく。
発生する前にあらかじめ決めておく。
これは一度決めたら常に自分の頭の中に残り続けますから、
実際にその事から発生すると、そこにピンとアンテナが立つというような、
これは疑う必要があるなというようなアンテナが立つことになりますので、
決めておいて損はないんですよ。
いざその物事が起こった時に、焦ったり慌てたりしないように、
冷静な判断が下せるように、あらかじめ考えておくというようなこと。
先ほども言いましたが、例えばお金の問題だとか、
自分の活動・行動が制限されるものだとか、
これはこの部分に抵触するのではなかろうかと。
今、相手と会話を交わしていたり、コミュニケーションを交わしていたり、
そのような状況で、例えば何々にいくら支払う必要があるだとか、
もしくはタダであるとか、無料で差し上げますよとか、
タダより怖いものはないなんて言いますけれども、
これも状況によると思うんですけれども、
こうした金銭に絡むようなことが発生した時、
もしくはその行動の制限というのは、
あなた自身の行いだとかを強制するというか、
それはやった方がいいですよ、やらない方がいいですよ、
ダメですよ、いいですよとか。
ですから私の言っている話もそうですよ。
これは疑おうというような線引きの部分に定職をするようであれば、
私が日ごろ話をしていることもそうですし、
それは果たして本当なのかどうなのかと、
自分の考え方が、もしかすると自分のそぐわない方向に
行ってしまうのではないかというような、
そのように疑うことも必要ですから、
疑いの線引きというものを自分の頭で考えてやるというようなこと。
さらにはその自分の頭で考えていることも、
どこから来たソースによって、情報によって、
それが導き出されているのかということも
併せて考えるというようなこと。
それと同時に、自分が得てきた情報の中で、
それを信ずるに値するのかどうかというようなことも
併せてですけれども、
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考えうる限り考えて、
自分の線引きをする部分に定職をしたとしたら、
そのことに関しては疑おうというようなことですね。
世の中が発生する全ての物事に疑いを向けていたら、
それは疲弊してしまいますし、
常に疑うというようなことを思い続けていると、
そのうち疑心暗鬼の状態が
デフォルトになっていくというような懸念もあるので、
常日頃から疑うというようなことは当然しないんですけれども、
かといって、
全ての物事を信じるということも
危険な時もあるじゃないですか。
信じることもあれば疑うこともあるというような視点が、
どちらの視点も持っておくというのもそうですし、
全ての物事を信じ続けていると、
仮に自分の信じているものが疑いをしたときに、
それはもうすでに疑いをしているんだけれども、
認められないというようなことも起こりますし、
ですからこの信じるというようなことももちろんあるし、
疑うというようなことも当然あると。
そしていずれも常にそのことだけで生活をしていると、
考えが偏るというようなこともありますので、
であれば基本は信じると。
私の場合はですけれども、
基本、人の物事ということ、これは信じる。
それは人の心には、本来良心というものがあるというようなことを、
これも前回話した気がしますが、繰り返しになりますが、
あるというようなこと、これを思っているんですよ。
ですから基本的には信じるということ。
ただ、自分の中で線引きをしたこと。
この物事に抵触するときは、
疑うというような側面を出すというようなこと。
例えば、でも言いましたけど、
私の場合はお金と行動制限なんですね。
金銭が絡むことと、自らの行動が制限されることに関して。
この2つに関しては、発生したら一度疑いの目を持とうと思っているわけです。
それはなぜこの事柄に疑いの目を向けるようになったのかというような経緯だとか、
あるんですけれども、
それは私とあなたでは違うと思いますので、
あなたはあなたで、自分の中で疑うというようなことの線引きをするということ。
これをするとですね、
焦ったり慌てたりするようなことが少なくなる。
信じる疑うというようなこと。
これは自分で決める必要があります。
それは誰かが言ったことをそのまま採用してしまったら、
それは果たして本当にあなたが疑うべきことなのかということが疑わしいじゃないですか。
楽しいですね、こういうことを考えるというのは。
つまり、何が言いたいのかというと、
疑う、疑念疑惑、このような、疑うですね。
これは常に疑うというようなことではなく、
それとも、さらには常に信じるということでもなくて、
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いずれの視点も持っておくといいですと。
そうして全ての物事を信じていると、
あなたにとっての不利益というものがこぼれる場合がありますので、
疑うというようなこともある。
ただ、この常に疑うということをすると、
疲弊する、疑心暗鬼になる、
何事も信じられなくなる、
自分自身のことも信じられなくなる、
というような負のスパイラルに落ちることもありますので、
疑うというようなことは、いざこの事柄が発生した場合、
あなたの決めた、これが起きたら疑おうというような部分に
抵触するような事柄が起こった場合には、
疑おうというようなことをあらかじめ先に決めておくと、
いいですよというようなことですね。
そのことが起こった時に、焦ったり、
慌てたりすることがなくなりますし、
何よりもあなたやあなたの親しい人たちを守るようなことにもなりますので、
防衛線を張るというような意味でも、
このようなことはですね、
あらかじめ決めておいていいんじゃないでしょうかというようなことです。
はい。ということで、今回は以上となります。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。
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