1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.172「女性に寄り添い、輪..
2019-07-11 37:50

Vol.172「女性に寄り添い、輪を広げていく」

バースドゥーラの木村章鼓さんのインタビュー第2回目です。

結婚してからドゥーラという職業につくまでの道のりや、章鼓さんが今後やっていきたい活動に関してお話を伺っています。

オープニングでは、倉本美香さんの「生まれてきてくれてありがとう~目と鼻のない娘は14才になりました」という本をご紹介しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:14
こんにちは、あきです。
今日もパリで学んだ、「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさゆみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
実は、今日はちょっとオープニングで本を紹介したいなと思っていて、
私ね、月4、5冊、この5、6冊は読むようにしてるんですけれども、
実はもう出てすぐ買ってた、日本に帰った時に。
買っていたんだけれども、去年ちょっと引っ越しもし、
ゆっくり落ち着いたら読もう、読もう、読もうと思いつつ、
なんかね、もう無くってわかってるから、読めなかったんですね。
手に取れないんですよね。
でもっと落ち着いたら落ち着いたらと思って、気づくともう1年半近く経っていて、
この間ふとね、今読もうって思った時が来て、
2、3時間で読んじゃったんですけれども、その本をご紹介したいと思います。
これ、さゆみさんもご存知の方なんですけれども、
倉本美香さんという方が書いた、
生まれてくれてありがとうっていうサブタイトルで、
目と鼻のない娘は14歳になりました。
っていう本なんですよね。
彼女は数年前に1冊目を書いていて、
みかんの贈り物っていう本を書いていて、
彼女の4人の子供がいる人なんだけれども、
その長女、一番上のお嬢さんが生まれてきた時に、
目と鼻がなかったっていうところから、
彼女の葛藤とか、医療的なものとか、裁判になったりとか、
そういう話を前作で書いていて、
その彼女の成長期、お嬢さんの成長期、
結局今14歳になったんだけれども、
その話を書いたのが、この生まれてくれてありがとうっていう本なんですよね。
これはね、実は知ってる方は知ってらっしゃるんですけども、
私の高校の同級生なんですよ、彼女が。
さゆみさんもパリでも会ったことあると思いますし、
出張でも来てくれたので、
彼女はニューヨーク在住で、ニューヨークで海外で、
そういうことと、英語ですよね、全部英語だし、
彼女のお子さんのこととかも、
全部仕事をしながら、4人のお子さんを育てながらやっているっていう。
仕事もね、すごく頑張ってらっしゃいますよね。
巷では、どこでもドアって言われてるぐらい、
すぐどっかにいるんですよ。
いつ来たの?っていうぐらいに日本に戻ってきたり、
日本に戻ってきたと思ったら、すぐニューヨークに戻っていたり、
03:02
他の3人のお子さんもいらっしゃるので、
その中でできることっていう形で、結構ニューヨークと日本を往復してたり、
海外とかにも出張があちこち行っている方なんですけども、
私が高校の時の同級生とはいえ、実は一家も一緒のクラスになったことがないし、
クラブも全然違っていたので、実は彼女との接手がほとんどなかったんですね、高校時代。
どうやって今、再会したかってことですか?
再会はなんとミクシー。
ミクシーで再会したんですよね。
なんかで繋がって、彼女の話ももちろん知らずに、
ジャルのCAをやっているところで私の歴史、彼女に対する維持は終わっていて、
まさかニューヨークに住んでいることも知らず、どんな仕事をしているかも全然知らず、
そこで再会をし、結構いろいろ話を聞いてびっくりしたと。
よく彼女にも言っているんですけど、
彼女がいるから結構海外生活頑張ってこれたっていうのはあるっていうくらい、
ミクシーの時代ですからね、フェイスブックの前だので、
彼女の話を聞いて、ちょっと彼女もね頑張ってるし、私もパリで頑張ろうみたいな感じに思えたのは、
彼女の存在が結構大きかった。
そうなんですね。
そういう繋がりなんですけども、
だからそういう意味では、本当に高校の時から仲が良かったとか、
もちろん共通の友達はいっぱいいましたけども、
クラスが全然違ったので縁もなく、
彼女がニューヨークで私がパリに住み始めてから再会したっていう形なんですよね。
また不思議なご縁ですよね。
不思議なご縁なんですよね。
その時にこの本をぜひ読んでもらいたいなと思うんですね。
涙なしでは語れないところが結構あって、
私が話すよりはぜひ読んでいただきたいなって思うんですけども、
これ読んでないんですよね?
まだ読んでないんですよね。
でもすごく読みたいのはなぜかというと、
私の長女とか、別に身体的な障害があるとかそういうわけではないけれども、
コミュニケーション上の障害っていうのはあるんです。
だからそれでちょっと辛い思いとかしてることもあるので、
娘本人も私もすごく共感するんです。
実際、美香さんにも何度かお会いしてお話もしましたし、
すごいなといつも勇気をいただいてますよ。
そういうことを全然表にも、
それをさらっとやるし、
もちろん前の本もそうだったんですけども、
06:00
すごく客観的というか冷静にすごく書いているので、
お涙頂戴的に書いてるわけではないんだけど、
その冷静さがかえって感情を揺さぶるみたいなところがあるんですけども、
その時にね、
昨日この絵を読んでいて、
思い出したのはミクシーの時に、
セリちゃんっていう主人公の女の子なんですけども、
セリちゃんの家で使っているハイチェアーの椅子があって、
その話がここにも出てくるんだけども、
これ言っていいのかちょっと私もわかんないんですけど、
ミクシーで当時、
これで実は車一台が買えるんだよっていう話を投稿したことがあって、
いろんな彼女のために揃えなきゃいけないものとかもあって、
まさか私はその時に車一台なんて発想がなかったから、
そういう中でやっているんだっていうのもわかってはいたけれども、
でも1冊目を読んだ時に彼女も書いてたんですけども、
フェイスブックとかでやっぱり結構批判も多かった、
本を出した時に。
私は全然感覚がわからない、批判する意味がわからなかったんだけども、
その辺もまた2冊目で書いているので、
やっぱり彼女がどうやってさらっと生活をしていながら、
格闘っていうか戦っているのとはちょっと違うんですけども、
どうやって彼女との絆を、
他の子供たちとの子育ての話とか、
その辺を全部書いてあるので、
ぜひ読んでいただきたいなと思います。
なんでこれをこのタイミングで紹介したかというと、
実はこれは美香ちゃんのフェイスブックに載っていたから、
そのままシェアさせていただくと、
この彼女の未完の贈り物がミュージカルになる。
前作ですよね。
前回の本なんですけども、ミュージカルになるということで、
すごいですよね。私も見たいなと思うんですけども。
9月の11日から16日までの10ステージなんですけども、
東京で公演されるみたいなんですけども、
もちろん美香さんも、原作はもちろん彼女だし、
監修も入っているみたいな形で、
9月なので私たちどうしても行けないんですが、
ロングランになったら、またお休みのタイミングで。
行けるかなという感じがするので、
この2冊目の生まれてくれてありがとうっていうのは、
全然その未完の贈り物を読んでなくても、
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普通に読める本ですので、
こちらから入ってもいいと思うし、
前作の未完の贈り物の方を読んでくださってもいいと思うんですけども、
よかったらこのミュージカル、私たちが行けないので、
見ていただきたいなと思います。
詳細はここで申し上げていいのかわからないんですけど、
どこで申し込みができるのか、
私書いてなくてわからないんですけども、
とにかく9月11日から16日で、
7月1日からチケット販売。
池袋ボックスインボックス2で上演ということですので、
ぜひ機会がある方はご覧になっていただきたいなと思います。
それでは本編スタートです。
本編です。
今回はバースドゥーラ、木村あき子さんのインタビュー2回目です。
前回はバースドゥーラになる前の彼女の、
結婚するまでの戦の話を伺っていたんですけども、
どちらかというとバースドゥーラになるための原点みたいな話ですよね。
後半は結婚してから、実際に今の仕事にどうつながっていたのかということと、
日本でのバースドゥーラの位置づけであるとか、
その辺を伺っていますので、ぜひ聞いてください。
その後どうされたの?
その後は子どもを作る資格が自分には果たしてあるのだろうか。
そんなこと思ってたんですか。
思いましたね。こんな未熟な自分でいいのだろうかということや、
こんな私が子どもを産んだら罪じゃないのかとか、
やっぱり自分が自分をジャッジしている、まだ。
外側に答えを持っているのために。
自然にしていて、授からなくても、
だからといって不妊治療に行くつもりもなく、
全くそういう意識すらもなく、いないならいない夫婦だけの、
このままの生活は良い。
30近くなるわけです。子どもは30過ぎなんですよね。
生まれて今16に今度なるんですけれども、
やっぱり死者誤入して50代になってきて、
今から思うと、あの時深く深く自分と向き合って自分を否定したり、
こんな自分じゃダメだ、まだまだだって思ったのも
とても大事な暮らしだったな、今思えばね。
20代の頃ってことですね。
結婚してから30になるまでの20代は、
いろいろ過去に対しての思いだったり、
断ち切れない思いであったり、
様々なあれもしておきたかった、
あのことは伝えておきたかったとか、
どうしてこのことが伝えられなかったのか。
向き合う時間だったんだ、自分と。
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それを向き合うのがまたすごいわけですよ。
国がどんどん違っていくから、
もう何、数年後に変わっていく感じなんですか?
そうですね、ロシアに住んでいた時は、
ロシアを買った1年間ぐらいだったんですね。
じゃあ短い時は1年?
だったんです、それ一番短くて、
非常に体的には疲れましたけれど、
ダンボールを買い込んして、すぐまた学校に行って。
じゃあ何カ国ぐらい?
季節式な数は分からないかもしれないけど、
どれぐらい回ったんですか?
でも本当に短期から長期までって言ったら、
旅行とか含めてだったら、
ほんと70カ国とかですけど、
住んだ場所で言っても、やっぱり6、7カ国は行ってますね。
イタリア、マレーシア。
じゃあアジアもあり、ヨーロッパもあり、
ロシアもありみたいな。
そうですね。
結構幅広く。
幅広く。
実際にこのバースドゥーランに出会ったのは、
どのタイミングだったんですか?
バースドゥーランは意外と早いんですよ。
それこそ、自分が妊娠中にこの体に起きていることを
もっと皆さんとシェアしたいと思ったので、
その時毎日新聞のウェブサイト、
毎日インタラクティブのところで、
2年にまたがって連載記事を書いていたんですね。
その中で、自分自身の価値観だったり、
女性としての生き方について書いていく中で、
自然にできる限り産んだ方が産後も穏やかに、
健やかに母子共に過ごしやすいという情報であったので、
そのことを調べるうちに、
ドゥーランのことも見知って、
ドキュメンタリーか何かで見て、
こんな風に女性に深く寄り添う仕事が
この世に存在するんだ。
こんな職業だったら、
何か私にあてるかもしれないというか、
もしできるんだったら、
こういう世界で生きてみたいなって思ったんですよ。
そこからどうやってアクションを打っていったんですか?
その後、夫の仕事がエジンバラに転勤になりまして、
そこでそのまま4年くらい住むんですけれども、
その間にエジンバラ大学の大学院で、
これは自分のやりたい分野だからと思って、
医療人類学という。
医療人類学。面白い。
そもそも私たちの持っている健康の概念というのは、
自分の住まう環境だったり、
その無邪気なコスモロジーや姿勢観とか価値観に
すごくよるものだというのがあって、
その中で本当のウェルビング、健康というのは何だろうか、
そういうのを提案するのが医療人類学の分野じゃないかなと
私は思っているんですけれども、
先生方もドクターの方々がやはり多くて、
お世話になっていた先生も、
15:02
普通にGPでGeneral Practitionerだったんですけれども、
ネパールなどフィールドで研究されていて、
何か新しい薬が、バイオメディスが開発されると、
なぜかその病人が増えると。
これはどういうパラドックスであろうかと。
抗うつ剤が新しく改良されて出ると、
なぜかそれを啓蒙した地域に、
やたらとその症状を訴える人が多くなるとか、
おかしいんじゃないかというのを、
いろいろと先生も研究されているドクターで、
そういう方だけではなくて、ミッドワイフの方も、
お産の文化人類学みたいなことですよね。
日本だとたくさんいらっしゃいますけれども、
奈美平絵巫子先生とか、松岡五子先生とか、
素晴らしい先生方が、
たくさん同じような分野で、
たくさん療傷を残してくださっているので、
私もそういったものをもっと深めたいなと思って、
とてもいいタイミングで、
エジンバラ大学の大学院で学んだときに、
このままだと頭でっかちに私はなっちゃうかもと思ったんです。
実践的なことで、やはり現場に携わりたいと思ったときに、
もともとミッドワイフの方で、
助産師の方だったんだけど、
病院では自分の可能性を開花できないからということで、
ドゥーラに転校された助産師さんがいらしたんですね。
その方の開校されているドゥーラ養成学校というか、
スクールにちょっと通って、
それはエジンバラで?
エジンバラで。
で、大学院に通いながら、
両方?
両方したんですよ。
私よくやったなって自分でも今思うんですけど。
ごめんなさいね。ちなみにそれはいつ頃?何年前くらいの話?
15年、そうですよ。
娘がまだ2歳とかだったので、
お子さん小さいんだよね、まだ。
13とか。
じゃあ、自分のお子さんもいながら、
おんぶしながら。
抱っこしながら。
で、大学も行き、
でもね、あまりにも過労で勉強しすぎて、
体調方針に生まれて初めてなったんですよ。
直線とかここら辺から、
ボワンって膨れて、
家族からは、
お相撲さんみたいお母さんって言われるくらい、
もう首とかボロボロになって、
ちょっと痒くなって、表面がたたれたようになって。
で、中医学の先生にエジンバラのところに行って、
ドロドロのコヤクソを煮詰めたものを飲んでました。
で、針もやって、治りましたけどね。
ようやくツルツルに元に戻りました。
まあ、ツルツル、シワシワに戻りましたけど。
当時は大変だったね。
本当に大変だったんですよ、当時。
こんなんで、でも自分の中では、
頭でっかちになっては女性の味方になれないと思いました。
実践的な。
18:00
実践的な優しさとかも、
自分身につけなきゃいけない要素がいっぱいあるなと思っていて、
そういうものなしに、知識だけで、
お相手と向き合ってもいけないし、
逆にでも知識がなくても、
そう、どっちもないといけないんだけど、
どっちもバランスよくやってないと、
どっちかに偏っちゃうってことですよね。
そうですね。
じゃあ、そこで学ばれて、
実際に実践もそこでスタートしたの?
そうなんです。
エジンバラから?
すぐにお産に立ち会うことをついて、
助産師の方についてさせていただきながら、
様々な病院出産、そして助産医の出産、
そしてホームバースを見て、
こうも違うものかと思いました。
こうも違うって何と違うってこと?
今申し上げた3つの時空間の持つ磁場というか、
エネルギーが全然違うなと思いました。
例えば具体的に何より?
具体的だと、やっぱり女性は、
実際、腎痛が始まると、
自分自身のテリトリーの中にいた方が、
とてもスムーズに腎痛がつくな、
リズミカルなお産が来る腎痛の波に乗れるな、
というのをホームバースで体験しましたし、
女性にとって靴ひもを結んだり、
ちょっと襟元を正してタクシーに乗ることすらも、
アドレナリンが上がったり、緊張度が高まることで、
やっぱり開きにくくなっちゃう。
もしくは、開きかけてたものも
微弱腎痛に陥ったりとかしうるんだということを。
ちょっとしたことで影響が出るんですね。
そこで、いろんな、言い方変ですけど、
日本の方だけじゃなくて、
いろんな国籍の方を見てきたということですよね。
はい。
英語でやってたんですよね。
はい。
日本の方もやってたんですか?
はい。
とても素敵なカップルがいらして、思い出すのは、
すごく立派な体格のいいお父さんだったんですよ。
産後すぐに病院の出産だったんですけれども、
穏やかに赤ちゃんが生まれた後で、
看護師さんや助産師さんが赤ちゃんのことを
連れて行こうとしたんですよ。
そこでちょっと私がソフトに、
お父さんよかったら、その間ベッドに横たわらせるよりかは、
赤ちゃんのことを抱っこしていただけませんか?って言って、
すぐにお母さんから直で、
お父さんの胸元に抱っこしてあげられるように
誘導できたんですね。
その時にやっぱりすごく感動してくださったお父様が。
そこで、いくら温かくしてあるお布団であっても、
温められているお布団なのに、
人工的な布の上にごたわらされるのと、
お父さんの生肌、胸板の、
心臓の鼓動とかを赤ちゃんが聞くっていうのは、
私にとっても、そしてその赤ちゃんにとっても、
お母さんにとっても、本当にその光景がホッとするというか、
これで良しみたいな、こうなきゃダメみたいな、
21:01
引き離される行為じゃないですか、お父さんで。
確かにね。
だから、つなぎ止めをちゃんとしてあげたいなって、
とっても意識しています。
赤ちゃん、本当に産んだ直後って、そういう意味では大切ですよね。
フランス、ここフランスですけれども、
ミシェ・ローダン博士っていう、
とても世界的に様々な研究を本にもまとめられて、
世界中に支持者の多い産婦人会の先生がいらっしゃるんですけど、
そのミシェ・ローダン先生は、
ほんと産後生まれて直後のわずかな時間、
ほんと40分とか、人によっては1時間とか2時間とか、
それぐらいっていうのはゴールデンタイム、
イコール覚醒期、覚醒する。
自分自身が、すべてのものがスイッチオンになる。
それはそれこそ腸内細菌のフローラ、
お腹のガッドマイクローブって言われている、
マイクロバースというドキュメンタリーフィルムでも言われていることですけれども、
いろんな腸内細菌のスイッチもそこで入りますし、
どのバクテリアが一番主要なバクテリアになるかとか、
その赤ちゃんの体に宿るかとか、
そういう部分でも、情緒的な部分でも、
お母さんの赤ちゃんが自分にぴったりくっついていると思うことで、
オキシトシバーってさらに出て、
プロラクチンバーって出て、
で、おっぱいも出やすくなるだけじゃなくて、
子宮復興って言って、また子宮収縮も起きやすくなるというか、
全部、こんな精密にすべてがうまくつながっている。
お父さんも、新生児の赤ちゃんを生肌で抱っこする、
その方、上半身裸になっていただいたんですよ。
お父さんにね。
お父さんにね。で、裸になっていただいて、
Tシャツ脱いでいただいて、直接抱っこしてもらったんですよね。
で、ホームバースの時に、水中セッションの時には、
お父さんにも一緒に水着履いてもらって、
履いていただいたりですとか、
そんな風に、もう本当全身を使って、
初期のボンディングの時間を逃さないようにというのは、
私は心がけてはいるんですけども。
なるほどね。
じゃあ毎回、そういうドラマに立ち会っているってことですよね。
まあ、でもこうやって、
メレアキさんの前に座ってくださって、
メレアキさんも女神に見えるし、
たぶんみんな、私たち一人一人が神様のように、
本当に女神のように、いろんなストーリーがあるので、
お産も本当その断片だと思えば、
そうですよね、ドラマに寄り添っているってことになりますね。
それぞれの神によって全然違いますしね、きっとね。
じゃあ今後は、フランスはフランスでやっていらっしゃると思うんですけど、
今でも、何かこうやっていきたい活動とかあるんですか?
そうですね、もしできたら、
そういう私の本当地道な、地道な、
本当草の根の、こんなボランテリーな活動ですけれど、
こういうものを周知してもらえるような、
本ですとか、テレビであったりだとか、
24:03
さまざまな形で、
世にこんな人的リソースも、社会には転がっているよっていうのを伝えられるようなね、
機会を与えていただけたら、
ぜひね、その時には私も尽力したいなと思っています。
いろんな国にいらっしゃって、
私は日本の事情はちょっと分かっていないんですけど、
日本での認知というか、意識的に言うと、
バースドゥーラってどういう位置づけなんですか?
そうですね、日本には三軸ニッパーという名前であったりだとか、
サンゴドゥーラという名前であって、
別の言い方でサンゴに特化したサンゴケアというのは既に存在しているので、
そのドゥーラというと、おそらく産中よりも、
産後に赤ちゃんの世話とかお食事作りだったり、
上のお子さんのケアだったりっていう、
ちょっとソフトな、あんまりお産にガンガン入っていくっていうキャラクターではない。
お産はとても日本のクオリティが高いじゃないですか。
日本人の助産師さん素晴らしいので、スキルも持ち出し、歴史もあるし、
だからそういう日本人の助産師さんがちゃんと日本のお産を守ってくださっているので、
ほとんどドゥーラって私は今までは必要なかったんじゃないかなと思います。
ところが最近になって、いろいろ助産師さんたちとのお話会、会合とか、
ズームを返してた勉強会でよく聞くのが、
もう最近は助産師もカルテを記入しなきゃいけないとか、
心音だとかいろんなことで、処理作業があまりにも煩雑になりすぎていて、
今までかつてできていたような1対1のケアがしにくくなっていると、
助産師さんたち自らがちょっとバーンアウト気味っていうのをおっしゃっているんですよね。
それはなんでそういう感じになって、制度的なものが処理をやらなきゃいけないとか。
おそらく生殖医療とか様々な分野で、とても医療が高度になっているせいで、
女性の中でも例えば高齢出産になってきているので、
よりお助けの、医療のお助けの必要な方が増えているという事情であったり、
あとは生殖体以上を調べておきたいというご希望の方は、
あらかじめかなりの時間を使って、そういったスクリーニングだとかに時間をすごくかかったりだとか、
産中も事前にそういうことがあった方のお産というのは、
より医療がおそらく必要になるだろうという予見のもとに、
より医療的なアプローチで、医学的なアプローチでお産に向かわれるので、
そういった意味では細やかにチェックしなきゃいけないんだと思うんですよ。
実際の一対一の部分が時間が少なくなってしまうという現象があるということですね。
27:02
その辺はルーラーの人たちがフォローしたりとか、
そういうのが必要になってくるんじゃないかということですか。
必要になってほしくないので、最後の取り入れで、
その助産師さんたちのおとのみが守られていくように、
その職能として素晴らしい日本の助産をこれからも保ってほしいので、
私は助産師応援部隊の最前線で旗を振っているんですけれど、
もし助産師さんが本当に医療の翻弄されて、
いろんな中で大変な思いをして、
女性が置き去りになってしまうことがあるのであれば、
もしそこで補完的に、私たちルーラーが職能侵害をしないような形で、
助産師さんたちと共同で共に働くという輪の中で、
何かお手伝いさせていただけることがあるのであれば、
ぜひ使ってほしいというようなスタンスです。
なるほどね。
じゃあ日本でも活動も必要になってくる場合はあるってことですよね?
ないことを祈りつつ、もしそのようなことが万が一にもあるのであれば、
私はここにいますというような。
日本で、日本の方でバースルーラーの方っていらっしゃるんですかね?
バースルーラー、サンゴルルーラーはたくさんいらしてくださって、
サンゴルルーラー協会とか、もう本当に助産師の先生がトップに立たれていて、
どんどん増えているんですけれども、
バースルーラーに行くことに関しては、まだまだ育っていません。
まだ少数派なんですね。
そうですね。
それはやっぱりそういうカルチャーも、きっと国によっても違いますし、
きっと求められているものもまた若干違ってくるので、
打ち落とされるところが違うのもあるのかもしれないですよね。
そうですね。
秋子さんは今後、個人的なプロジェクトとして何かやっていきたいことってありますか?
同じアジア人のメンバーとして、モンゴルとか中国とかベトナムとかタイとかマレーシアとか、
さまざまなアジアの土地で頑張っている妊婦さん、産婦さんに寄り添いができるように、
もしケアの足りていない地域があれば、そういったところに出向いていって、
ルーラーと呼ばなくたっていいんだけれども、たまたまバースルーラーって肩書きなので、
例えばそういうのでささやかに、妖精っていうと言葉がすごく硬いんですけれども、
女性の輪を広げていきたいですね。
逆に言うと、これから産む人も、産んだ後の人も全部、女性だったら関わってくる部分だと思うので、
産んだ人だけとか、今産みそうな妊娠中の方だけじゃなくて、全員の方々が関わっていくっていうのはすごいいいですよね。
30:04
本当に求められていることだと思います、それが。
なるほど、そうするとアジアとかでも活躍の場が広がっていく可能性が。
私の中の夢日記というか、こうなったらいいなっていう夢日記があるんですけれども、
その中では大体5年から10年後ぐらいから、そういったアジアの女性たちとつながって、
エンパワーメントし合えるっていう輪を作っていきたいと思って作ったり書いてますよ。
そういう夢日記を見せていただいて、持ち歩いてるんですね。
最初パスポートかと思った。
そうそう、パスポートに見えるんです。
パスポートの大きさですよね。これはいつ頃書いたものですか?
これは実はね、まだ書きたてのふやふやで、6月の9日に書いたものなんですけれども。
この間の?
はい。
なるほど。
ここに世界のたくさんの女性と喜びを共有できるような、
そのお手伝いのできる人生へと変化していくはずだと、
自分のことをアファーメーションですからね、起きていることとして書いて。
それで、中国、チベット、モンゴルとか、そういったドゥラが求められている地域があるのであれば、
アジアを中心に次世代に尽くしていきたいっていうのを、ここでしっかり書いてあるので。
これ叶えます?
叶えます。
信じています。
老後のことも書いてあるでしょ?
私は老後だけ書いてあるでしょ?
本当だ。
びっちり書いてますね。
ここまででね。
ここまでになるとですもんね。
なるほど。それを持ち歩いて、常に意識をしているって感じですね。
もう飛ばしてますね。
飛ばしてます。
意識は未来に。
叶うはずというか、叶うのが当然っていう感じですよね。
はい。じゃあその時も、私も手伝いできることがあればいいなと思います。
ありがとうございます、アキさん。
今日はありがとうございました。
ありがとうございました。聞いてくださって。
木村アキ子さんの2回目のインタビューでした。
結婚してから20代の30になるまでが、自分の人生に向き合う時間だったっていうのがまたちょっと意外だったんですけども。
そうですね。おっしゃってましたね。
そこからエジンバラで勉強されて、同時に実務というか実践もされて、バーツ・ドゥーラっていう実際のお仕事に入ってたみたいな。
ちっちゃいお子さんいらっしゃるみたいな。
大学院に通いながら現場に携わりたいと思って、ドゥーラの養成学校にも同時に通っていたっておっしゃってたじゃないですか。
同時に子育ても、お子さんが2歳くらいの時っておっしゃってた。すごくないですか。
やるよね。やるなって感じですよね。
33:01
私できなかったんだろうなとちょっと、すごいなと。
やると決めたら徹底的にやる感じなんですかね。
ね。で、退場方針になっちゃったって言ってましたよね。
すごいなと思いましたよ。
彼女がやっぱりどっちかっていうと転勤が多いお家庭なので、いる間にできることを多分全部やっておきたいとか思っているかなっていう感じができることを。
そう、今っていうね。
退場方針になるわけだみたいな感じだったんですけどね。
期待にいるんですよね。きっとね。
ルーラとしてのお仕事がそこからスタートし、いろんな外国人の方や日本人の方も両方こうやってサポートするっていうことをやっていったっていうところなんですよね。
私も日本で産んでないし、もちろん助産士っていうのは知ってますけど、ルーラっていうのが全然どういうのか知らなくて、
日本ではどう位置づけなんですかとか言って結構私も聞いてしまったんですけども、やっぱり日本は日本の中で助産士さんのいろいろ大変さとかね、そういうところも伺ったりできたので、
特にこれから子供を妊娠して産んで育てるところまで関わってくる方たちにはぜひ参考になるのかなっていう気はしました。
たまたま私、秋子さんの日本で多分誕生学とか出産について学んだ師匠というかね、方と私が学んだ方が同じだった。
偶然?
そう。それでもう何かその師匠の方がさゆみさんに紹介したい人がいるってずっとお話をされてた。
ああ、そうだったんだ。
その方が秋子さんだった。
実は秋子さんだったんだ。
で、パリにいらっしゃるからって言い渡しをして、どういう方だろうと思ってて、先日ね、初めてお会いして、
繋がったみたいな。
すごいなと思って、多分その誕生学とか学び始めた人がやっと出てきたような時代でしたね。
私も第一子は日本で産んだので、その共通の師匠みたいな方に出産前から出産後までずっとケアして、ずっとサポートしてもらってたんですよ。
で、その話をしたら本当にびっくりでしたけど、繋がるもんですね。
繋がるもんですよね。だから彼女はね、こうやってアジアの女性とかにも輪を広げていきたいっていう風に未来日記に見せてくれました。
面白いですね。
面白そう。
なので、そういうのに確信を持って、その原点はやっぱりボローニアにあるんじゃないかなっていう気はしますね。
36:07
私はなんか全然トラブルとかも元々全然なかったし、なんか普通に妊婦期間を普通に過ごしたし、後も全然問題なかったので。
でもやっぱりいろんなことがあるだろうし、悩みを持っている方もいらっしゃるし、
やっぱり必ずそういうのに寄り添ってくれる存在がいるっていうのはかなり勇気づけられるんじゃないかなと思うんで。
思います。
だからこれから日本でもどんどん広がっていくんだろうと思いますけども、
ぜひそういう存在がいるっていうことも知っていただける機会になったらなと思いました。
また次回も素敵な方をお呼びするつもりですので楽しみにしていてください。
ありがとうございました。
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また次回もパリで学んだぶれない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。
37:50

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