1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.218【アキ・インタビューP..
2020-06-04 38:10

Vol.218【アキ・インタビューPart3】興味のなかったフランスを移住先にした『決め手』

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プロインタビュアーでキクタス株式会社代表取締役の早川洋平さんによるアキへのインタビュー第3回目です。
イギリスでの大学院時代に訪れたフランスで、30代からフランスに住む!と決めたアキ。
移住を決めたきっかけや、夫との出会い、そして出産、起業と至るまでのストーリーをお話しています。 

オープニングでは、少しずつ規制が緩和されてきているパリの様子をお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


00:14
こんにちは、アキです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさゆみさんどうぞよろしくお願いいたします。よろしくお願いします。
6月に入って、フランスも状況が変わってきたという感じなんですけども、外出が少しずつ緩和されて、外出たりしてます?
まあ、以前と同じぐらいかな、私はちょくちょくって感じですけど、子どもたちの学校が始まったんです。
自助の学校はもう毎日始まりまして、6月から。一番下の小学生の子どもは週2回始まりましたね。
その送り迎えで出るっていう感じですか?
そうですね、今までそれがなかったのがまた再開して、送り迎えで出てますね。
気候がね、すごい今パリとても天気もいいし、気分転換になってます。
森とか公園がまたね、人があふれちゃって。
そうみたいですね。
うちのそばの川も、夕方、夜か、夜ご飯の後ちょっと散歩しようと思って歩くと、すごいですよ。
ピクニックしてるんだ、あんな狭いところで。
あの歩道の部分が。
公園も空いてますよね?
空いてます。
だから公園もすごい人でしたよ。
そんな密に遊んでていいのか、みたいな感じでしたね。
結構密になってますよね。
交通の公共機関に乗るときは、特にラッシュアワーは会社に勤めてる人とか、なんか特別な用事じゃない限り乗っちゃダメみたいなね、許可書がないと乗れないみたいな感じ。
時間帯でね、決められてたりとかしますよね。
そう、私この間初めてですよ、本当に5月結局1回だけメトロ乗ったんですけど、最後、後半かな、末に。
ちょっと用があってラッシュアワーの時間帯に乗りましたけど、ガラガラだった。
ラッシュの時間とは絶対思えないし、あとメトロにほら、ここの席座っちゃダメってシール貼ってあるじゃないですか。
ありますね。
距離を空けるためにしてるんだけど、それでも座ってる人が全然少ないんで、なんか朝5時台か、みたいな感じの気になるような人の少なさ。
03:11
私ね、でもバスはその逆だと思いました。バスは座っちゃいけないところにみんな座ってるし、マスクしないで乗ってるの。
特に若い人たちって、運転手さんのところにはいけないので、ヒップをマシーンに入れられないんですよ。
だからみんな無賃乗車なの。バスはタダ乗りで乗ってるんだ。
みんな座っちゃいけないんだけど、空いてるときはみんなこれを守るんだけど、でも結構いっぱい人乗ってくるので、でも座りたいじゃないですか。
特にお年寄りとかは。だから無視して座ってますよ、みんな。
マスクは全く最初からしてない若い理性の子たちとか、あとは女の子たちでマスクして乗るんだけど、乗ったときに顎の下に下ろしてる人たちとか、特に若い人は全然ダメ。
若い人はヒップつけないね。
だからね、私これダメだなぁと思ってます。またきっと広がる、第2波きっと広がるんじゃないかなって、ちょっとね怖い感じもしますけど、季節が夏に向かってるんで、こんなに冬の間ほど深刻化はしないのかなと思うんだけど、全然わからないですね、こればっかりはね。
なるほどね、そっか、じゃあ電車とバスで全然違うってことですね。
そうなんです。
だからこういうのを守ろうとする、なんていうのかな、日本人とフランス人のメンタリティーの差を私はすごい感じましたね。
バッキーンって言われてるのに、それでも守らないんだと思って。
気にしない人たちだからね。
そういう話を子供たちにしたら、信じられないとか言ってましたけど、
フランスは信じられちゃうんだよね、みたいなね。
自分さえ良ければいいのかなっていうのが感じられて悲しかったですよ、バスの中。
で、レストランとか相変わらずテイクアウトはやってるんだけど、テラスが少しずつ解禁になって、
1メートル離れないといけないんですけどね。
行ってる人います?人入ってる?
私の家の近所のエリアではテラス、カフェなんですけど、そこ結構いましたよ。すごいいましたよ。
お昼時とか、夕方とか、アペロの時間とかいっぱいいましたよ。
06:01
全部いいんじゃないですか。
だからみんなここぞとばかりに行ってました。
テラスしか今レストランもね、カフェも開けられないので、行ってましたよ、みんな。
そうなんですね。
テラス席広げてるところもあるけど、
実際に気持ちいいテラスと、私あんまりテラステラスの人じゃないんですよ。
中庭とかだったらいいんだけど、車がビュンビュン通るところのテラス。
うるさいし交通量多いとね、あとは煙草吸う人もいっぱいいるじゃないですか、テラスだと。
ガスもすごいし、全然快適じゃないんですよ。私にとってテラスは。
光があるっていうか明るいだけで。
排気ガスの問題は大きいですよ。
座っている高さが車の高さじゃないですか。
特に排気ガスもね。
あれ平気なんだなぁと思っていつも見てるんですけど。
堂々と太陽に向かって座って、太陽に向かって座るってことは道路に面して座ってるわけで、
ってことは車の排気ガスとも面と向かっているわけじゃないですか。
いいんだ、みたいな。
私は中庭っぽいテラスだったらいいけどっていう。
全面賛成派ではないんですけど、どちらかというとテラスは。
基本的にフランスでのテラスって出演者が座ってるんで、
煙がもくもくくるのと、あとは排気ガスの問題があるんで、
テラスはヨッポロじゃないとね。
一等分はテイクアウト以外はレストランに行く機会があんまりね、まだまだないかなっていう感じですかね。
もうちょっと自宅で。
そうですね。
っていう感じでね、バカンスもどうなるかちょっとまだ全然わかんないしね。
もうほんとこればっかりは国々とそのタイミングによっていろいろ政府の方針とか変わってくるし、
他の国に行こうというものならこの国のことも考えないといけないし、ちょっと大変かな今年。
今年はね、なんかやっぱり今フランスに入ってくるのもダメじゃないですか、住んでる人以外は。
09:02
教科書がない限り入れないっていう感じなんで。
運良くどっか行けても、ヨーロッパ内だったらまた違うかもしれないけど。
イギリス圏内だとなんとかって感じですけどね。
もうこんなにバカンスの話が何にも出てこないのも珍しい年ですよね。
初めてですよね。すごいなぁと思います。なんて経験なんだろうって。
そうですね、ある意味スペシャルな経験ですよね。何して学校がどうなるかわかんないですよね。読めない。
学校のテストとかもね、子どもたちのテストとかもどうなるんだろうって思いますけどね。
最終学年のね、学年の終わりの。
ね、だから本当に今年は本当に特別な感じがするので、
まあちょっとまだこの時点では何ともわからないみたいな感じで国々とフランスも動いているって感じですかね。
それでは本編スタートです。
はい、本編です。
前々回から続いている早川さんの私へのインタビューなんですけども、
3回目に入ります。
やっとね、やっとフランスに入ってきたみたいな感じなんですけど、
それまでが長かったの。イギリス行くまでが長かったから。
で、今回はフランスに来るきっかけとなった話みたいなことを話しています。
なので20代後半から30代に向けてのタイミングの話なんですけども、
なんでフランスなの?みたいなところと、
その辺を結局ね、結果的に結婚してこのままいることになったので、
その辺の話をしていますので、ぜひ聞いてください。
そして、いよいよ移住をしようと決めて、でもイギリスなんですよね。
その時はだからね、イギリス、ヨーロッパと思ってたんですよ、なぜか。
ヨーロッパは多分みんなこんな感じだろうと思ってて。
その時に知り合ったフランス人のお友達が、
彼女がノルマンディっていう海沿い、イギリスとフランスの海沿いに住んでいて、実家が。
バカンスで夏帰るから遊びに来ないかと。
ちょうどご主人が、お母さんが再婚した相手がイギリス人だから、
英語とフランス語のちゃんぽんだから、
英語、フランス語だけでついていけないこともないし、
3日間だけどう?って言い方はされなかったんだけど、
就労の関係で3日間だけだったら行くって言って、
12:00
遊びに行って、そこでですよ。
そこです。
フランス決定。
え?というのは?
というのは、フランスに行って何したかって何もしてないんですね。
ただ朝だらーっと起きて、
だらだらと12時くらいからアピリティ風が始まり、
ご飯をだらだら食べて、3時くらいに終わるんですよ。
その後ビーチ行って、ちょっと本読んだりして、
また夕方からだらだらーっとアピリティ風が始まり、
続くんですね、夜まで。
で、だから、自傷としては何にもしてないんだけども、
何にもしてない幸せっていうのはそこで目覚めたんですよね。
何気ない日常に幸せがあるっていうことに気づいたのは、
フランスだったんですよね。
ご飯が美味しかった。
彼女のお母さんが作ってくれる。
で、フランスの家庭料理がやっぱ美味しいし、
私はイギリスで一人でいたからね、
自分のできる手料理しかなくって、
当時はまだイギリスもそこまで美味しくなってきてたんだけど、
美味しいものに出会うためには高い料金を払わなきゃいけないっていう感じで、
学生には厳しかったかな。
中華とかインディアとかそんなのばっかり。
だからフランス行って、
ああ、なるほど、こんな食材見たことないとか、
こういうのに目覚めて、
普通にフランスは食べれる料理なんですけど、
でもそのダラダラっと3時間ひたすら喋って食べてっていうこの時間とか、
ああ、と思って最終的にはフランスとイギリスの最終決戦、
どっちに行くのかみたいな。
結局、イギリスに残るメリットは絶対英語圏っていうのと、
フランスは全くやってなかったからね、
本当に英語圏っていうのと、
あと仕事柄そこでマスターを取っているので、
就職を取っているので、
もしかしたら就職できるかもっていう可能性が高かったのはイギリスなんですよね。
だから多分普通の感覚だったらイギリスを選ぶんですよ。
それこそ作能的な感覚ならね、理論的に考えたらね。
そう、おっしゃる通りですね。
でも右脳だったんですよ、私は。
だからフランスにしちゃった。
その決め手っていうのは、
それこそ右脳の決断に説明を求めるのもちょっとやぶかもしれないですけど、
さっきの過ごし方というか、そこが決定の理由だったんですか?
結局、一食中ですよ。
だから一食中しかないと思ったんです、決め手が。
だから一食中でそれぞれのメリットとデメリットを書いていった。
あそこは作能的なんだ。
今どうだろう?今どっちが好き?
15:03
そんな細かい作能的じゃなくて、今どっちが好き?
ファッションは私は絶対フランスだなっていう。
で、食はもう絶対フランス。
で、銃は私結構イギリス好きだったんですよ。
イギリスのインテリアとかすごい好きだったんで、
2対1ですよ。
で、やっぱり異色が大きいなと思って、フランスです。
食が大きかったんですね。
説明を受けると確かに納得なんですけど、
とはいえ、さっきの最初のここまでイギリス、
結構イギリスにたどり着くまでも色々あって、
ヨーロッパ、イギリスって結構あって、
良い意味でのライフスタイルの話とかも出てきて、
イギリス系の会社で休学して、
イギリス系で英語も相当苦労努力されてきた。
そこを、それだけ異色時代が大きかったと言えば、
それまでだとは思うんですけど、
フランスもしかも本当に喋れなかったんですよね。
ほぼね。
それをそこで、言い方が適切か分からないですけど、
捨てるというか、
そこは結構ご自身の中で、
スパッと今みたいな何か、
結果的には切り分けられたんですか?
その後もグダグダ悩むとかも全然なかった?
悩まなかったですね。
でもイギリスに残った方が、
ビザに関して言えば、
イギリスもフランスも厳しいと思ってたんですよ。
ビザに関してはほぼ同じくらいのイメージだったから、
語学に関して言えば、
だから直感的には異色中だから、
フランスいいなって思ってるけど、
引っかかるとしたら語学だったんですね。
1からですよ。
30になって1から語学やるって。
ちょっとハードル高いじゃないですか。
でもその時に、逆に言うと、
語学さえ何とかすればいいんでしょって思っちゃったんですよね。
語学さえ集中的に勉強すれば、
フランスに行けるっていう可能性があるんだったら、
これはこっちを取ろうと思っちゃったんですよね。
すごいなぁ。
怖い。勉強不足って怖いね。
怖い。
フランスに行って思いました。
イギリスとフランスがこんなに違うんだっていうのに気づかされて、
知らなかったんですね。
イギリスとフランスは隣の県みたいなノリだと思ってたんですよね。
隣は隣だしね。
隣だしね。
でもやっぱり日本と韓国が違うように、
やっぱり島国と大陸では違うわけだし、
やっぱりフランスの歴史っていうのを知らないでいるし、
ヨーロッパって位置づけだけど、
やっぱりアングロサクソンとラテンの違いもあるし、
18:01
そういう政治的なものとか、メンタリティとかも、
何にも知らないで行っちゃったから、
フランスに着いた時は、
イギリス以上にびっくりしたことが多くて、
これは知らないって逆にすごいなと思いました。
知ってたら来なかったかもしれない。
でもやっぱり、
何だろうな。
つくづく思うのは、
今日お話しかかってて思うのは、
やっぱりどこにそんな、
それなりにとは当たり前ですけど、
直感もそうですしロジックもあって、
っていうのはすごく分かったんですけど、
どこにそんな原動力というかアクティブというかね、
パッションっていうのともちょっと違うじゃないですか。
しかも秋さんがご自身で言ったから、
女性に30じゃないですかとか聞けないから、
それは言えなかったですか。
秋さん言ってくれたから言いますけど、
女性にというか、
その30歳から新たに異国で、
しかもまた完全にヨーロッパにから、
ゼロからってことではないですけど、
なんかその辺って何なんでしょうね。
何なんですかね。
でも思うと、
10代の反抗期の話をさっきもして、
思い出したりもしたんですけど、
やっぱり20代って、
20代ってそれなりに満足してたわけじゃないんですよね。
自分とか自分の生活に。
だからやっぱりこんなに働かなきゃいけないんだとか、
こんなにプライベートがないんだとか、
だんだん馴染んでいく自分が怖かったんですよ。
だからもうそっから抜けたかったっていうのがあるのかもしれない。
だからそのためだったら、
物理的に当時はね、
物理的に移動するしかないと思ってたから、
海外に出たし、
それを叶えるためには、
フランスじゃなきゃダメなんだと思ったら、
もうフランス行くしかないみたいな。
なるほどね。
なんかわかった。
そして、
フランス最初にパリだったんですか?
そうですね。
その時は、
生活、
私本当に当時はね、
航空券を片道で買えたんですよ。
だから本当に片道しか買ってなくて、
片道切符ですね。
本当に片道切符で、
一応1年半ぐらい住める貯金だけ作ったんですね。
なんとか日本にいる間に。
イギリスで全部学費使っちゃったから、
また1からバーッと貯め直して、
1年半の間に就職しないとと思ったわけですよ。
片道だから。
だからフランスに住もうって言った時は、
まだ就職中だったんですよね。
じゃあ辞めて、
1回戻ってますか?日本に。
もちろん、もちろん。
もうちゃんと終始論文書いた後に戻って、
復帰して、
21:00
結局1、2ヶ月は様子見てたんですよ。
私のフランスへの気持ちが揺らいでないかどうか。
やっぱり日本に残りたいと思うか。
でも日本は、
日本の仕事とか会社とかは、
私がイギリスに行く前と全く変わってなかったんですね。
これは無理だなと思って、
6ヶ月後に辞めたんです。
そこからちょっとフリーで仕事をして、
準備もして、
1年後に行ってるんですね。
そっか。
それはビザとかはどんな感じなんですか?
その時は学生ですよ。
語学学校はやっぱり行かなきゃいけなかったから、
一応日本で語学はある程度勉強したけど、
でも全然レベル的にいいとは思ってなかったし、
だからそれなりに勉強はしたつもりだけど、
もうだってシャルルドゴール空港でいきなりノックアウトですよ。
タクシーの運転手さんの話が全くわからなくて。
一応日本ではそれなりにお勉強はしてたわけですもんね。
お勉強って意味でのフランス語は日本でして、
でも全然わからなかったと、いきなり。
全然ダメでした。
やっぱりね、日本の、
NHKのフランス語講座とかも聞いてましたけど、
あれは本当に美しいゆっくりとしたフランス語ですよ。
英語やってらっしゃるからわかると思うんですけど、
ネイティブの人たちが話す言葉で、
アクセントもきついし、スピードがね、
まずスピードが全然違ったんですね。
でも、もう玉砕ですよ、空港で。
いきなりですね。
だからこれもっと真剣に勉強すればと思って、
そこからやっぱり半年、1年ぐらいかけて、
で、同時に日本の仕事もやってたんですね。
一応、保健で。
だから、一緒にその前の会社を辞めた友人と、
テスト開発をやってたのがちょうど、
オンライン化され始めて、
で、オンラインでできないかっていうことと、
あと、これからは世界でその場所が離れてても、
一緒に仕事をする機会が増えるかもしれないから、
今では当たり前ですよ。
でも当時ね、物理的に離れてる。
当時まだだってADSLが出始めるから、
そのぐらいのタイミングですよ。
アナログ回線だったし、フランスなんで。
でもチャレンジング、テストでやってみようっていうので、
一緒に仕事を、彼女が仕事をくれて、
で、私が開発系で統計とかの分析をやったりとか、
ExcelとWordでいろいろやってたので、
ちょっとそういう経済的にも食いつなぎながら、
でも場所はパリにいるみたいな。
24:00
そういう感じで生活してましたよ。
パリに入りましたけど、
パリ美学コーチングにはまだ遠い。
全然遠いですね。
だってまだ結婚もしてないし、
そうですよね。
結婚して、子供を産んだ後ですからね、
私が本当に起業を始めたのは。
そうするとまだまだドラマありますね。
で、何とか食いつなぎつつ、
でもその時って未来は見えてたんですか?
どういう感じだったんですか?
未来は、私フランスにしがみついてでも絶対生活し続けようとは思ってなかったんですね。
やっぱりそこは若くないんで、
自分の2年経って、
これは無理だなと思ったら、
不法滞在してても何とか食いつなごうとか思ってなくて、
ちゃんと日本に帰って、
日本でまた生活しようと思ってたんですよ。
なので、そこに夢はなかった。
夢はなかったというか、
現実的には見てましたよ。
だから、何が何でもフランスに、
そこがやっぱりフランスに対して熱狂的ファンじゃなかったって思ってたのかもしれない。
どっかで冷静に見れる自分もいたというか。
だから、一応1年半か2年ぐらいの生活費だけはあったから、
そこで就職ができなかったりしたら、
帰ってもいいとは思ってたんですね。片道切符だったけど。
だけど、その間に結婚が決まったんで、
その間の結婚ってすごいですね。
その間に決まっちゃったんですよね。
その間っていうか、1年経ってないタイミングですからね。
それはご主人に知り合ったんですか?
知り合ったのは、実は知り合ったのはフランスに行く前なんですね。
あら、また。どういうことですか?
私がフランス語を勉強してたわけですよ、日本で。
で、その時にフランス語と日本語のエクスチェンジをやるから、
東京に住んでいるフランス人とできないかなと思ってたわけですよ。
でもね、面白いのが、当時ね、やっぱり多かったのが、
漫画、アニメオタクのフランス人の学生さんが多かったんですね。
結構イメージ通りですね。
そう、イメージ通り。
で、私ね、漫画とかアニメ詳しくないから、
私、全然合わないなと思ったんですよ。
だから、できればビジネスマンの人の方がいいなと思って、
働きに来てる人の方がいいなと思って、
見つけて、そういう、当時、今あるか分かんないですけど、
東京クラシファイトっていう、そのフリーペーパーみたいなのがあって、
そこをネットで載せられる場所があって、
27:00
そこで探した友人が一人行って、
彼はEUのプログラムで来てたんですけども、
で、その後働くって言って、
彼とランゲージエクスチェンジを始めた。
今でも日本に住んでるんでしょ?
日本に住んでいて、
彼は、当時は、私が聞いたとき、初めて会った頃は、
もうフランス最高、フランスは素晴らしい、
フランスのことを、
もうこの人は愛国主義感みたいな感じでフランスのことを聞かされて、
数年経って会うと、
もう日本最高、フランスには帰りたくない、
日本のいいところだけ言って、
フランスの悪口めっちゃ言うようになっちゃってる。
で、彼とずっとやっていて、
で、私フランスに行くから、
誰か、いざっていう時のためにお友達を紹介してほしい。
で、いろんなね、お宮おじさんみたいなもんですよ。
で、紹介してくれたんだけど、
最初ね、スペイン人を紹介されて、
でもね、スペイン人は英語でやりとりになっちゃうから、
私のフランス語の勉強には全然ならないよね、みたいな話になって、
それで、
それがね、最初東京にいる外国人を紹介してくれようとしてて、
で、ちょっと悪いけど、フランス人がいいんだけど、
フランス人っていうか、フランス語圏の人がいいんだけど、
って言って、
ああ、じゃあ一人仲のいい人がベルギーにいるんだけど、
ベルギーでもいいかっていうから、
全然やりとりする前にはいいよって言って、
紹介されたのがウチモットです。
じゃあ、えっと、それこそだから、
なんかスカイプとかそういうので、
スカイプないない、そんなとき。
え、文通?メール?
文通っていうか、メールとチャット。
すごい。
メールとチャットで、
でも写真だけは送ってくれたから、顔は知ってない。
どうですか?一目惚れはない?
全然一目惚れはなかったんですけど、
なくて、でも感じに良さそうな人だなと思ってたんですよ。
メールに関しては、
本当にフランス語で文章なんて書けなかったから、
とにかくフランス語でメッセージを送ってくださいと。
でも私は返事は英語で書きました。
その練習だったんですね。
チャットはずっと英語でやりとりしたんですけど、
でもね、何回かやりとりしているうちに、
この私の直感が、
この人と結婚するかもと思ったんです。
すごい。
うん、思った。
なんか今までもすぐ誰かと結婚するかもと思っちゃうみたいな、
そういう間違った直感系ではないんですよね。
たまにそういう人いるじゃないですか。
たまにおりますよね。
でもこれは言えなかった、誰にも。
やっぱり。
だって恥ずかしいもん。
そうですね。
なので、自分の胸に留めておいて。
大丈夫です。今ちゃんと正解だったわけだから。
そう、正解だったと言えるんですけど。
でも彼は当時ベルギーに住んでいて、
ブリュッセルに住んでいて、フランス人だけど、
で、私はフランスに行くっていう感じだったから、
30:02
会えるチャンスもそんななかったんですよ。
私がフランスに行ったの。
でも、いつかは会えるかなとは思ってたから、
やりとりは普通に続けてて、
フランス語もいろいろこう、
話とかもいろいろしてくれたから。
だけど、ちょうど私は3月に行きます。
3月もチケット取りました。
3月にパリに行きます。
言ったのが年末かな。
その前にも私は決めてたから言ってたんですけど、
彼が年末に、実はパリに転勤が決まったと。
おーってなるじゃないですか。
それで、じゃあ会いましょうって。
でも彼はだから、1月からパリ転勤が決まったんだけど、
ブリュッセルと半々の生活だったんですよね。
だから、私が着いた時には、
パリと半々だったので、すぐ会えたんですよ。
それは大きかったと思います。タイミング。
へー、そうか。
でもまあ、それで会ってからも、
やっぱりこの人と結婚するみたいな感じは常にあった?
私は思わなかったんですけど、
その時はね、あんまり、
まあそうね、思ってた。
結婚するかもと思ったけど、
どうなのかなーとも思ってたし、
付き合うのかなーとも思ってたし、
分かんなかったんですけど、
でも結果的に、そうなりましたね。
付き合うことになって、
とにかくね、当時はもう、
ビザの申請と更新がすごく大変で、
朝、もう本当に始発で、
行って並ばなきゃいけなかったんですよ。
本当に夜くらい中から待って、
9時から開くのに、
全員入れないから、
11時半で閉めちゃうんでしょ。
だから本当に、
時間内に行けば、
ビザ更新してもらえるかなと思ったら、
そうでもなくて、
だからだんだん早くなって、
朝5時から並び始めて、
朝5時に行っても、
お昼までに入れるという。
そういうのが続いて、
ブブブブブブブブ、
文句を言ってたんですよ、私も。
このフランスの国は、
ビザ申請で、
もう一回日本に帰り直しもしたし、
それで彼が、
本当ビザ婚ですよね。
どうせ結婚するんだったら、
1年早くなろうが、
いいか、みたいな感じになって、
結婚が少し早くなりました。
それを機に、
私も彼の家の方に引っ越した、
みたいな感じですかね。
ここで、さっきの厳格なお父様とか、
次第に年々厳格になっていったお母様、
頭をよびったんですけど、
高校大学ぐらいから、
アキさんはオープンな感じになってて、
その後、海外、海外、海外、
っていう感じで、
行ってたと思うんですけど、
その国際結婚、
33:00
そういうふうに結婚したら、
フランスにずっと永住するかもしれないと、
当然容疑るわけで、
その辺に関しては、
ご両親はどうだったんですか。
やっぱりね、30歳を超えると、
諦めてましたね。
フランスに行った時点で、
しょうがないと思ったんじゃないですか。
そうなるかもしれないっていうことも、
どっかで予測してたのかもしれないし、
だから逆に言わなかった。
彼の人柄を見てもらったっていうのも、
あると思うんですけど、
でも何にも言われませんでした。
そうか。
そうすると、ご両親を去っておいて、
ご自身としては、
アキさんとしては、
もちろん結婚もあるし、
フランスに永住かわかんないけど、
これで当面住むんだろうなっていう感じは、
当然あった。
片道切符になったと思いました。
そうか。
そして、
とはいえ、
そこで当然ご結婚あって、
出産も結構、
1年後とか2年後とか。
3年間ぐらい。
そっかそっか。
出産あって、
キャリアというかね、
その辺は出産前後とか、
その後のキャリアプランとかっていうのは、
結婚出産で何か変わった部分とかあるんですか?
だからまだ子ども生まれは、
就職活動をしてたんですよね。
普通にフランスの勤務で働けないかと思って。
でも私はやっぱり、
人事系の仕事がしたかったんです。
はい。
で、私は一応、
イギリスで就職を取って、
実の経験としても、
まあまああるから、
フランス語さえ何とかなれば、
って思ったんですけど、
まず最初に言われたのが、
フランスの大学出てないよね、
って言われたんですね。
え?EU統合したよね?
って思ったんですよ、私は。
なのに、
イギリスのマスターなんて、
フランスに関係ないから、
とかはっきり言われたし、
まあ語学的にもダメだったっていうのもあると思うんですけど、
だから経験はなかなか見てもらえなくて、
だから社員じゃなくてプロジェクト、
インターナショナルの会社が、
日本人をちょっと技術者を採用したいから、
その採用のプロジェクトに入ってくれないか、
みたいな仕事はやってきたんだけど、
正社員にはなれなかったんですよ。
だから通訳とか、
あと日本一とか、
ああいうトレードショーみたいな感じで通訳をやったりしながら、
別の仕事もしながら単発で。
で、一応正社員の道も探してたけど、
無理かなってちょっと思い始めて、
企業を考え始めた。
でも当時まだネットはそこまでなくて、
アフィリエイトぐらいしかなかったんですよ。
2000年代の。
確かに。
で、その人事の一緒に友人とやってた仕事も、
やっぱりリーマンショックとか、
36:00
あの辺の境で、
やっぱり人事に関する予算がガッツリ削られ、
そんなことはできないと。
仕事がなくなっちゃったりしてて、
結構悶々としてた時期でしたよね。
で、きっかけ子供ができたから、
うみ、
専業主婦はもう絶対通かないと思ってたんで、
次のことを考えなきゃ。
っていう感じで、
2人目までを早く何とか作っちゃおうみたいな感じで、
でも2008年の12月に2人目産んでるんですけど、
産んだ瞬間から企業を決めて、
すごいな。
そこはね、決めました。
普通は子供3歳まではいいかなとか、
考える人も多いし、
その通りだと思うんですよ。
子供とガッツリ向き合える時間だし。
でも、私の場合の性格を考えたら、
絶対ダラダラ行くと思ったんですね。
だから、3年経ったら、
一家になるのは目に見えてるんで、
だったらすぐやっちゃおうと思って。
このアプリの購読ボタンを押せば、
自動的に配信されますので、
ぜひ、購読するのボタンを押してください。
また、皆様からの質問や感想をお待ちしています。
オフィシャルサイトはパリプロジェクトで検索していただき、
お問い合わせから質問や感想をぜひ送ってください。
オフィシャルサイトから、
LINEアットやメールレターで有益な情報をお届けしているので、
こちらもぜひ登録してくださいね。
また、次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
アキでした。
38:10

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