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  2. #275 ハチドリCafeインタ..
2022-08-03 59:23

#275 ハチドリCafeインタビュー「結婚の自由をすべての人に」ふたりママ&ダンサー まどぅ

愛
Host

カナダ在住、ダンサーでアーティスト、そして「ふたりママ」で双子ちゃんを子育て中のまどぅが、いろんな家族のカタチを伝える絵本「かぞくです」を仲間と一緒にリリースすることになりました。

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今回の絵本が生まれたきっかけはもちろん、不登校だった少女時代、ピースボードに乗ってたどり着いたアフリカで見たもの、そして「最愛のパートナー」との出逢い…。

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旅するダンサーまどぅの、「今までと、これから」を、ハチドリカフェでLiveインタビューしました。

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一人でも多くの人に、絵本『かぞくです。』が届きますように。

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【ゲスト・まどぅー(鈴木まど佳)さん プロフィール】

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なぜダンスが生まれたのか?なぜ人は踊るのか?を探求しに世界一周の旅に出る。《レゲエの神様》ボブマーリーの孫娘ドニーシャに「革命的なダンサー」と言われる。日系スタータレントサーチ2015にて「最も記憶に残るベストパフォーマンス賞」を受賞。カナダでダンススタジオをオープン。2016年に国際同性婚をし、2019年に双子を授かり、「ふたりママ」になる。現在カナダを拠点に活動。

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絵本「かぞくです」クラファンページ

https://camp-fire.jp/projects/view/604534

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まどぅブログ「旅するダンサー自由記」

https://madokasuzuki.com/

00:05
私が最初にまどぅから連絡をもらったのは、数年前に、私があるカナダで頑張る若者を応援しようということでウェブメディアをやっていたんですよね。
そういう時に、まどぅのほかにもこんなことやってますと連絡をもらって、それで旅するダンサーとしての取材の記事を書かせていただいたんですよね。
その時は、まどぅのパートナーさんのことも全然知らなくて、ダンサーとしてのまどぅの夢とか、これからのインタビューをさせていただいたんですけど、
その後、Facebookの方で同性婚をしたということで投稿を見て、本当にそのウェディングドレスを着たまどぅとパートナーのキムさんの姿が本当に美しくて、
祝福の気持ちでいっぱいだったんですけど、この幸せな風景の向こうに、どれだけお二人の物語があったのかなということで、すごい思いを馳せていたんですよね。
その後に、ケニア在住の早川千明さん、大尊敬する千明さんをゲストとして、千明さんがおがないにするお話し会にまどぅがゲストスピーカーとしてお話しされる会があって、私もそれに参加させていただいたんです。
旅のお話とか、ダンスのお話とか、パートナーと出会ったお話とかも聞きして、本当にそれが感動的で涙が、今思い出しても涙が、っていうお話だったんですけどね。
本当に今回改めて絵本のことも絡めてね、まどぅが今までどんなストーリーを歩んでこられたのか、そしてこれからどんな夢を描いているのか、そして何かその夢の中で私たちのお手伝いできることないかなっていうことをね、一緒におしゃべりしながらね、皆さんにもお伝えしていけたらなと思っております。よろしくお願いします。
いやー、どうですか?最近まどぅは。
先週ちょっと体調崩しちゃって。
あー、そうね。うんうん。元気?
元気になってきました。
元気になってきた。よかった。踊ってる?踊ってる?
先週全然踊ってないんですけど、でもまた踊ろうと思って。
おー、嬉しい。なんかね、まどぅの踊る姿もね、ちょっと後でね、ダンスの話なんかも聞きたいんですけど。
今日はね、ちょっとまどぅのね、原点からね、お聞きしていこうかなと思うんですけど。
子供時代ってね、まどぅは今本当にいろんなことされてね、ブログも上手だし、ダンスもね、いろんな表現されているし、そして絵本もね、今回リリースされて、いろんな才能のね、表現、体を使って、心を使って、言葉を使って表現されているまどぅなんですけど、
なんか一体どんな子供時代過ごしてたのかなーって思ってて、あとなんかダンスとはどういうきっかけでダンスを始めたのかなーっていうところを教えていただけますか?
03:11
そうですね、私は3歳の頃にクラシックバレエを始めて、3年くらいやってて、15歳から16歳からヒップホップを始めて、それからもうずっとヒップホップダンスだけをやってるんですけど、なのでもう本当にずっと踊り続けてる。
子供の時は、そうですね、小学校5年生の時に不登校だったんです。11歳、12歳、2年くらい。
で、結構、先生が右向け右って言った時に左を向いちゃうような子で、すごく周りと合わせるのがすごく苦手な子で、それがすごく苦しかったんですよ。
多分それがきっと、周りと違ってもいいんだよっていうことが、誰かが言ってくれてたらきっと違ってたと思うんですけど、周りと違うことはいけないことなんだと思って過ごしてきたので、その苦しみが11歳くらいから始まって、結構長かった。
10年くらいはすごくもがいて苦しいんで、あんまり無邪気にはしゃいだり遊んだりっていう子供時代ではなく、大人っぽかったっていうのもあれですけど、大人っぽくて心に闇を抱えてたような。
そうなんだ。そんな苦しい中でもやっぱりダンスっていうものはマドゥンの生活の中にあったんですか?
そうですね。クラシックバレーはすごい厳しい世界だったんですね、私がいたところは。なので、そこでも苦しく、生活でも苦しくっていうことが続いてて、それでも踊るのをやめるってことはなかったんですけど、
例えば空を見て、本来だったら空が綺麗だなって思うはずなのに、10代後半とかくらいは空が綺麗とも思えなくて、夕焼けとかを見ても、こんなに輝いて美しいのははずなのに、それを綺麗だと思う余裕もなくない。
本当にマックレアムにぽつんと一人でいるような、そういう10年で、でもずっと踊ってはいたんだよね。あるとき、なんで踊ってるんだろうっていう、すごく迷想に入るんですよね。
06:14
本当に自分が誰なのかわからないというか、自分はなんで踊るんだろう、自分は誰なんだろう、なんでここにいるんだろうっていう、なんかそういう一人ぼっちの感覚がすごい抱えたのを覚えています、今でも。
そうなんだ、もうなんかその時に戻ってハグしてあげたいというか、今のマドゥーがね、本当に過去のマドゥーをハグし踊り続けて、きっと今のマドゥーが過去のマドゥーをハグし続けてるんだろうなって思うんですけど、本当に夕焼けを綺麗に、綺麗とも思えないっていう、
なんかね、やっぱりね、日本の教育って全部じゃないけども、やっぱり生きづらさとかね、なんかみんなと同じじゃなきゃいけないとかね、ちょっと違うと仲間外れにされちゃうみたいなことってね、私自身もね、なんていうかな、身に覚えがあるっていうかね、本当に私も、私もっていうか私はひねくれていたので、
本当でもそんな中でね、ダンスっていう、自分を表現するっていうことに出会えたのが、今のマドゥーにきっと繋がってるんだなーって思いながら、そんな中で踊り続けながら、そして旅っていうキーワードもマドゥーを表現する一つの大きなテーマだと思うんですけども、この旅について、
ピースボードに乗られたっていうことなんですけど、そこからなんか人生がちょっと変わり始めたのかなっていうふうに思ってるんですけど、これはいくつの時に?
22ですね。ちょうどやっぱり本当に、自分はなんでここにいるんだろう、なんで踊ってるんだろうから始まって、人はなんで踊るんだろう、ちょっと変わってったんですね。
なんでダンスが生まれたんだろうとか、そういうちょっと哲学的な考えに。ちょうどピースボードが南米アフリカ行きのクリーズを出していて、パンフレットを見たときにアフリカ人のダンサーが髪をバサッとして裸足で踊ってる姿が載ってたんです、写真で。
その写真を見たときに、私に足りないのはこれだと思った。
あーこれだって思ったんだ。
自分は日本で暮らして、食べるものもあり、住むところもあり、洋服もあり、なんでもあるのになんで幸せじゃないんだろうっていうことを思ってて、でもそのアフリカのダンサーの写真を見たときに、すごく幸せそうだったんだよね。
09:07
本当に表現をして踊っている写真で、ここに行くしかないんだって。
ここにあるって思ったんですね。きっとね。
地形がそこにある気がしたんだよ。
そうなんだ。アフリカとか南米っていうと、ダンスとか音楽のルーツっていうイメージもありますけど、実際にこのピースボードでエリアを旅してみて、特に印象的だったこととかってありますか?
いっぱいありすぎる。どうしよう。
ありすぎますね。何話そう。
そう思ったんですけど、やっぱり南アフリカ、スウェートに訪れたときはすごい印象的で、アバレットヘイトの差別があった場所にホームステアをしたんですけど、その当時の銃撃戦の後とかもまだ残っていて、
いろんなお話を聞く中で、例えば警察官とかから理不尽に暴力とかを受けるんですけど、その彼らは暴力を受けても暴力で返さなかったって言ってて、それをどうしたのかっていうと、踊りながらデモをしたって言ってたんですよ。
踊りながらみんなで行進して踊って歌って、毎日音楽も変えて、自分たちで歌を作って、それで戦ってきたんだって言ってて、楽しいから踊る。
踊ってきた自分とは違って、本当に生きるためにダンスとか音楽を使ってきたんだっていうのはすごい衝撃で、アフリカのこの路上とかはグラフィティアートとかもいっぱいあるんですけど、人々の平等を表す天秤の絵がいっぱい描かれてたりとか、
私たちは人間だって考えたりとか、今でもそういうアートとかも残ってて、すごく生きるためにダンスと音楽が存在してるんだってことはすごい衝撃だったんですよね。
すごい聞いてて鳥肌が立ってますけど私。確かに音楽とかアートとかって平和な世界で日々暮らしていると、楽しみのためとか綺麗だなとか楽しいなとかいうために踊ったり歌ったり表現したりっていうことのイメージが結構あると思うんですけど、
12:09
でもそうではなくて、そこでは本当に命を表現するために、生きるためにそれが多分湧き出てくるんですよね。
言葉知ってくるっていうか、それをせざるを得ないっていうか、せずにはいられないみたいな。でもその戦い、暴力に暴力で返すんではなくて、命を表現することで世界を変えていくっていうのが、
なんかまさにそこの過去のマドゥがその旅先で出会ったことを、今現在のマドゥがやっているなっていうふうに、本当なんかアートとかダンスとか表現の原点をそこでマドゥが見たんだなって思いました。
パラチルにも訪れたんですけど、そこの子供たちが、昔は夢は何?って子供たちに聞くと、みんながギャングになることが夢だって言ってた。
それはやっぱりもう犯罪もあったし、貧困とドラッグでまみれてて、そこしか夢がないっていう、その夢が犯罪者になることって子供たちが思う、この社会にすごく私は胸を痛めて、でもそのダンスとか音楽の団体ができてからは子供たちの夢がダンサーになりたい、ミュージシャンに変わったんですよね。
そしたら子供たちも輝き出して、ドラッグとか貧困から抜け出すために音楽やダンスがどんどん広まっていったって話を聞いて、やっぱりダンスとか音楽が持つ力ってすごく感じて、
私がそこにいたときに思ったのは、自分のダンスをこんな風に誰かの希望になれる使い方をしたいっていう風にすごい純粋に思って、
すごいね、ダンスとか音楽っていう、アートもそうですけど、楽しい、ただ楽しいからだけじゃないんだっていうのがやっぱりすごい衝撃でした。
ちょうど最近マドゥがダンスコンテストで優勝されたっていうニュースを見ておめでとうございます。ちなみにこれはどういうコンテストでどういうメッセージを表現したダンスだったんですか?
これはちょうどコロナの時期で、オンラインのダンスコンテストだったんですけど、映像を自分で撮って応募するっていうやつだったんですけど、私はやっぱりこの一つ何か作品を作るときっていうのは何かテーマを持って、
15:16
ただかっこいい、ただ踊るではないなって自分の中でもその時に旅をしてから気づいたので、自分が今の自分が何を表現したくて何を伝えたいんだろうって思ったときに、やっぱり今パートナーがいて、日本では同性婚ができないことだなって思ったので、
結婚の自由をすべての人に、そのテーマに踊ろうと思って、その作品を作ったんですね。
これがまたとっても動画でブログから、MADのブログから見れるのでまた詳細欄に貼っておこうと思うんですけど、
本当にね、溢れ出る思いをですね、ちゃんとそのメッセージに、ああいうダンス作るときってどういう感じなんですか?
ちゃんと組み立てて、これはこう踊る、これはこう踊るっていう感じなのか、もう溢れ出たものを後付けするみたいな感じなのか、どういう風にあれが生まれるのかなってちょっと興味があったりするんですけど。
でもなんかこの、そうですね、なんとなく絶対この音楽で踊りたいみたいなのが最初あって、それをどう自分の人生と当てはめていくかじゃないけど、頭でも考えつつ、最初音楽を作るんですね、私は。
音楽を作りながらでもこの、踊ってるんですね、この。
こういう感じだろうなっていうのを作っていって、最後踊りながら調整していくっていうスタイルで。
へー、なんかクリエーションだな、想像しているな、本当に。
いやー、でもね、あのダンスがね、まあ今はね映像だけどね、リアルでも見れる機会がね、あるといいなーなんて思いながら。
やっぱりその、ピースボードのね、お話に戻りますけど、その旅することでね、いろんな出会いがあって、そこからマドゥが、
あのー、もうね、今までずっと踊ってきたけれども、なんかもう一段ね、もう二段なんかすごくその踊ることの意味っていうのが深まったのかなーなんていうふうに思うんですけど、
実際その現地で、あのー、出会った人たちと一緒に踊ったりもしたんですか?
うん、してましたね。あのー、全部の国で踊ろうと思ってたので。
一人で踊るときもあれば、踊ってたらもういろんな人がやってくれたりとかそう。
えー、まあすごそうですよね、みんななんか。
すごい囲まれてる。
写真いくつか見たけどね、すごい群集になってます。
18:00
いつもあったり。
そうなんだー、なんかそこでね、なんか橋田マドゥのエネルギーがね、きっとなんかそこにいる子供たちからね、大人たちから、
なんかすごいいっぱいね、気づきとか愛をね、あのそこにね、マドゥがそこで受け取った分だけね、
お土産っていうかね、愛を手渡してきたんだろうなーって思ったりしてます。
まあ旅の話もね、いっぱいいっぱい聞きたいことあるんですけど、
あとその旅のね、ピースボードの途中でね、途中でっていうかピースボードの中でか、
その運命のパートナーさんと出会ったということなんですけども、
この出会いについて、キムさんとの出会いについて教えてもらってもいいですか?
そうなんですよ、ピースボードの船で会って、
なんか私がふと、体ひとつあればどこでも踊れるって言ったんですよ。
そしたらキムが、本当は体もいらないって言ったんですよ。
あーすごいなー。
えーって思って、どういうこと?って思って、
でもそのままキムは行っちゃったんですよ。
行っちゃったんだ。
言い残しで去っていったんですよ。
どういうこと?って思って、私はもうパニック状態で、
そこからなんかこう、キムとよく話すようになって、
どうやらキムもダンスと表現というものを研究している人で、
あと言語とパワーという言葉とかダンスとか表現というものを研究している人だったんですね。
キム自身も本当にダンスが好きで、
私が各国全部で踊りながら旅をしているんだって話をして、
それをビデオに収めてひとつの映像を作っているんだみたいな話をしたら、
キムが私もとか言い出して、
私もって。
え?って言ったら、
キムは、私は自分が自分の好きなように踊ってたんですよ。
いろんな国で。
キムは各国の人たちの現地の人たちに、
現地のダンスを教えてって言って、
現地のダンスを教えてもらって、それをビデオにしてたんです。
そうなんだ。
でも同じことをしている人がいるんだ。
またその衝撃と。
衝撃ばっかりなんですけども。
衝撃を受けて。
そこからすごくお互いを本当に知りたくなって、
ずっとお話をしてたって感じです。
それはちょっと運命を感じちゃいますよね。
同じことをしているんだけど、
また違う視点でそれをやっていて、
それを実際に二人でやることで、
また違う新しい、さらに輝くものが生まれるっていう。
21:00
まさに本当に出会うべくして出会ったというか、
もうね、好きになっちゃいますよね。
そんな。
本当に同じことをしている人がいるんだっていう。
すごいびっくり。
なんか10代の頃からさ、
なんかね、もう一人ぼっちっていうかね、
なんかなんだろうな、
そういう風にね、ちょっと心をね、
どざし気味だったマドゥがね、
ダンスにだけ心をね、開いてたマドゥが、
たぶんきっとなんか、
見つけたみたいな。
肩折り見つけたみたいな。
自分のことを、私のことを、
理解しようと、
くれた?
してくれたのがキムだったかもしれないですね。
そうなんだ。
なんかその時ね、
出会えた時の喜びとか驚きとかをね、
思うと、
本当にね、この辺が。
ときめいちゃいます、私。
本当にね、
本当にね、
キムさんと出会ったマドゥなんですけど、
ここからね、やっぱり結婚に至るまで、
いろんなことがあったと思うんですけど、
その結婚に至るまではどういうね、
ストーリーが、
つむがれてきたんですか?
どうだろう、でも、
そうですね、
なんか、
結婚に至るまでは、
結婚に至るまでは、
結婚に至るまでは、
なんか、
私が日本で、
キムがカナダだったので、
一緒に、
生活していくのがすごく難しかったんですよね、
最初は。
キムが日本に来たり、
私がカナダに行ったりっていうこともあったんですけど、
本当に、
生きるっていう選択肢が、
私の中ではもうなくって、
キムの中にもなかったと、
思いたい、思うんですけど、
なので、それで、
どうしたら、
今後の人生を、
ずっと二人で生きていけるかって考えたときに、
やっぱり日本では同性婚ができなかったので、
私がカナダに行くしかなかったんです。
私その当時、カナダで、
もうカナダで同性婚ができることすら知らなかったんです。
で、キムが、
カナダは結婚できるよ、
同性同士で結婚できるよ、
そうなの?みたいなことを、
知らないことだらけで。
カナダに行くって決めて、
でも、
なかなか周りには伝えられず、
本当に伝えられずに、
24:00
カナダに来ちゃったこともあり、
でも、キムって、
すごく寛大な人で、
温かくて、
私にはないものをたくさん持ってる、
みたいな感じですよね。
この人以外考えられないっていう気持ちも、
その時ありましたし、
ずっと、
私は、
そういう子供から10代までを過ごしてきて、
誰かの言葉で、
誰かの考えで、
誰かの感覚で生きてきた、
自分だったので、
キムと出会ってからやっぱり、
自分の言葉が増えて、
自分の感覚が戻ってきて、
自分の考えが生まれて、
それを表現できるようになって、
自分らしさっていうのが一番わからなかったのに、
これが自分なんだっていうのを、
すごく教えてくれた人だったんですよね。
だからもう、
カナダに行かないっていう選択肢がなかった。
あー、そうなんだ。
それでもう本当に、
カナダに来たって感じ。
うーん、なるほど。
もう他に選択肢がなかったっていうことなんですね。
心の声に従ったというか。
そうかー。
実際に結婚されてですね、
例えば、
誰にも言えずにっていうふうに、
お話ありましたけど、
ご両親にはどういうふうに伝えたのですか?
母親には言って、
ちょうど、
ひいおばあちゃんの、
月の帰りだったんですよ。
うちの母にとっては、
ひいおばあちゃんが亡くなって、
その葬式の帰り道に、
たまたま母と私が車で鳴り切りになって、
その時に母親が、
人はいつか死ぬんだから、
悔いのないように生きなさいね、
みたいなのを言ったんです。
やりたいことをやらなきゃ、
みたいなことを言って、
言うなら今しかないと思ったんですよ。
母親が亡くなってしまった。
ひいおばあちゃんの助けを借りるじゃない。
言いながら自分でも、
言おうと準備してたわけじゃなくても、
その場で言うなら今って思っちゃって、
どんな答えが返ってくるかもわからずに、
言いながらも涙が出てきちゃって、
声も震えて、
付き合ってるんだってことを言って、
それは友達ではなく恋愛としてだし、
これから人生を共に生きたいと思ってるんだってことを言って、
27:03
そしたら母親が泣いてたんですよね。
泣いちゃって、
ちょっと苦しめちゃったかなと思ったら、
母親が、
人を好きになるのに、
国籍も性別も年齢も関係ないのよって言ったんです。
その一言で、
2人ですごい号泣した。
運転手さんもびっくり。
泣いてるぞって。
そしたら母親がすぐに、
君にスカイプしようとか言い出した。
早い。
今。
そうだね、お母さん。
カミングアウトだったんですよね。
君もびっくりしたんじゃないですか。
いきなりお母さんみたいな。
きっとおばあちゃん、ひいおばあちゃんが応援してくれてたんだなって、
命が流れ込んで、
背中を押してくれてたんだなって、
祝福してくれてたんだなって。
君もびっくりしただろうなって。
そこから受け入れてくれたんですね、お母さんはね。
父親には言わないで、
神奈川に来ちゃって。
お父さんは後回し。
後回しで、
結婚の準備も進めてて、
言えないと思ったんですよ。
あんまり父親とすごく、
絆ができていたわけじゃなかったので、
言っても理解してくれないと思う。
自分の中で決め込んでいたので。
そしたら母親が、
お父さんもうすぐ死ぬかもしれないって嘘ついたんですよ。
なんで嘘つくんだろうと思うんですけど。
アマドゥに?
と思って、
命が長くないから、
言うなら今だよって母親に言われて、
私も焦ってしまって、
それだったら今までの感謝とかも伝えなきゃって気持ちになったんです。
手紙を5枚くらい、
便箋5枚ぴっしり、
カナダから送って。
そしたらお父さんが、
LINEで返事が来て、
想像と全然違くて、
すごく堅苦しいサラリーマンと思ってたんですけど、
まずはおめでとうって書いてあって、
娘が幸せになることが、
一番だからって書いてあった。
そうなんだ。
でもさ、
お父さん、
死ぬからお前の前提に書いたんですよね。
30:00
そこはお父さんと。
返事は大丈夫みたいな話をして、
でもね、何のことみたいになって、
母親に確認したら、
あれは嘘だからみたいな。
そうなんだ。
お母さんグッジョブですね。
お母さん超かっこいい。
それがきっかけに、
お母さんのナイスなアシスト。
きっかけにお父さんとね、
また心がつながって、
そしてお父さんの返信も、
本当に何て言うのかな、
愛されてますね。
愛されてたんですね。
というか、お父さんびっくりですよね。
まだ死なないし、
俺は元気だし。
そっか。
すごいな。
いろんな人に守られてね、
そして素敵な結婚式にね、
つながるわけなんですね。
結婚式も、
日本から家族が来てくれて、
誰も来ないと思ってたので、
日本からは。
それでもいいんだと思って、
すごい言い聞かせて、
結婚式に行って、
結婚式に行って、
すごい言い聞かせて、
本当にみんな来てくれたので。
よかったね。
本当美しいね、
結婚式でしたよね。
そうやって始まった結婚生活ですけども、
やっぱり結婚っていう、
さっきのダンスコンテストでも、
結婚の自由をすべての人に、
っていうテーマで踊ってらっしゃいましたけど、
結婚することで、
どの中で何か変化したこととかってありますか?
なんだろう、
でもあんまりパッと思い込まなくて、
考えてるんだけど、
自分らしくいられる場所が、
あるんだなっていう、
キムがそこにいることで、
っていうのは思います。
うーん、
なるほど、
自分らしくいられる場所が、
もうここにあるっていうのは、
自分自身でもね、
なんだろうな、
本当に確認できるように、
うーん、
なんていうのかな、
石杖というか柱というか、
そういうのがね、
結婚のきっかけにね、
さらにね、
それは強く深くなっていったのかな、
なんて思っております。
いやー、すごいなー、
お父さんもね、お母さんもね、
おばあちゃんも、
マドゥの家族。
おばあちゃんも90歳?
うん。
カナダ来てくれて。
あー、来てくれたんだ。
えー。
おばあちゃんにはさすがに言えなくて、
多分心臓止まっちゃうだろうと思って、
見つけて、
私の母から言ってもらって。
うんうん。
おばあちゃんはなんて言ってたの?
おばあちゃんは、
33:01
なんか、
なんて言ってたんだろう、
変な男の人に捕まるよりはいいわよ、
みたいな。
かっこいい。
みたいなことを言ったらしいんですけど。
90歳にして、
変な男に捕まるよりはいいわよ、
またまたファンキーな発言がね、
出ましたけど、
いやー、マドゥファミリーのね、
あたたかさもすごいなんか感じるなー。
いやー、ほんと、おめでとうございます。
改めて。
ねー、それからね、
ほんとにみんなにね、
ご家族にも祝福されて、
そしてね、双子ちゃんもね、
授かって、
今ね、今いくつ?双子ちゃん。
3歳です。
3歳かー。
いつもね、かわいい風景ね、
フェイスブックとかでも拝見してるんですけど、
どうですか?
二人ママの子育ては。
楽しんでますか?
楽しくあり、楽しくもあり、
大変でもあり。
ねー、双子さん。
3歳双子がちょっと私も想像つかないですけど、
でもね、あの、キムさんもほんとに
アーティストでいらっしゃいますし、
あとマドゥもね、
モンテストーリーのね、
子育てなんかもね、
ブログで配信してて、
モンテストーリーのね、
子育てとか、
子供たちのね、
それを通して子供たちがね、
どんな成長を届けているのかなんかも、
ちょっと聞けたらなーって思うんですけど。
モンテストーリー、
でもそれこそモンテストーリー教育を
ピースボードの船の中でした。
あー、そうなんだ。
そこに遡るんだ。
そうなんですよ、船の中で、
私が乗ってたクルーズではないんですけど、
毎年、
ピースボードの船の中に
モンテストーリー教育を
中心とした幼稚園を
ここで、
そういう教育があるんだっていうのを
知ったのが、
きっかけでした。
うーん、そうなんだ。
本当にね、
写真とかもすごく綺麗で、
自然の中でね、
育てされてて、
いいとこだけアップしてる。
いいとこだけ?本当?
結構、鬼ママの時もあるのかな。
私常に鬼ママですけど。
想像つかないけど。
そっかー、ぜひね、
ブログの方でもね、
子育て中の皆さんはぜひ見てほしいな
と思うんですけど、
そんな感じでね、
カナダの自然の中でね、
二人ママ子育てしてる
マズーとキムさんなんですけど、
二人がね、
今回ね、最初にもお伝えしましたけど、
絵本を出されるということで、
この絵本が生まれたのは、
1年くらい前にアイディアが
浮かんだんですか?
作ろうってなって、
話とかも考え始めたのが
1年半くらい前です。
これはね、
マズーを含む
3人の当事者さんたちが
企画した絵本で、
タイトルはちなみに
家族です。
家族ですっていうね、
36:00
これが本当にシンプルなね、
タイトルなんですけど、
すごく深い思いが込められていて、
これクラウドファンディングでね、
いつからだったっけ、
クラウドファンディングは。
8月1日からで、
8月7日までやってます。
これね、本当に何か
数日間でね、
100人以上の支援者が集まって、
ファーストゴールはね、
達成されたっていうことで、
今はね、セカンドゴール
チャレンジ中っていうことで、
今何人だっけ?
190人くらい支援してくださってて、
あともうちょっとで
セカンドゴール達成って感じです。
そうか、この絵本のコンセプトというか、
あとタイトルに込められた
思いっていうのを
ちょっとお聞きしたいな
って思うんだけども。
そうですね。
なんか、
子育てをしていく中で、
いろんな絵本を私も読んで、
やっぱりこう、
ほとんどの絵本が
お母さんとお父さんが
必ず出てくる絵本が
多いなと思ったんですよね。
じゃあ、
動物の絵本にしてみようかな
と思ったら、動物にも
お母さんとお父さんが
もしくは、
お母さんと子供が出てくる絵本が
多くて、
これってやっぱり結局
女性だけが家事育児をする
っていうところから
来ているのかなって思ったり、
でも世の中、
私たちはね、
二人ママとして
お母さんがいる、
子供たちは二人のお母さんがいる
っていう家族だけど、
私たちだけじゃなくて、
一人の親、
シングルマダー、
ファダーもいたり、
二人パパもいたり、
お父さんお母さんがいなくて
おじいちゃんおばあちゃんと
暮らしてるよっていう子供も
いたりするし、
大家族もいるし、
本当にいろんな家族が
絵本とか手遊びとかで
出てくるロールモデルが
お母さんとお父さんだけしか
出てこないっていうのが
気になったんですよ。
さらにお母さんはピンクの
エプロンをしてて、
お父さんはちょっと
仕事に行くような
っていうのも気になって、
いろんな家族の在り方が
あるのに、
なんか描かれていないことで、
この家族だけが幸せなんだよ
っていうのを
ちょっとすり込んでるような
気がしたので、
必ずお父さんとお母さんが
揃っている家族、
この家族だけが幸せなんだよ
って言われてるような気がして、
でもうちはうちで
幸せなんですって思って、
日本ではこの法的に
家族として認められては
ないんですけど、
でも本当に毎日笑って泣いて
笑って
共に生活をして
39:01
助け合って生きている
毎日が
私たちの家族だし
っていうのが思って、
本当にそれが
絵本を作るきっかけになって、
でもこう
外国の絵本とかね、
カナダの絵本とかでは
いろんな多様な絵本が
ありますよね。
それがこの
日本には存在していない
とか、日本ではない
海外のどこか遠い国の
お話っていう風に
私も聞かせて
っていうのもあって、
その絵本の中には
実在する6家族、
いろんな家族が
6家族で出てくるっていう
主要の絵本が
本当に去年。
この1年を経てね、
実際に仲間たちと一緒に
作って、
っていうような感じで
私もちょっとデジタルで
覗かせてもらったんですけど、
確かにね、
カナダとか他の国では
同性婚っていうものも
ちゃんと法的に認められて
家族ですっていうね、
ちゃんとそういう風に
国が認めてくれるっていう、
でも日本ではまだそういう風に
方向に向かっていると思うけども、
やっぱり法律として
それが認められていない
っていうのが
無意識にね、
過ごしているけれども、
知らないっていうことでね、
そういう絵本とかもそうですよね。
それが当たり前って
思ってしまっている。
知らないことで
当事者の人たちをね、
傷つけてしまっていることも
あるのかなっていう風に
私も思ったりするんですよね。
だからこの絵本がね、
本当にたくさんの人に届いて、
日本にも世界中にも届いて、
誰もが家族ですっていう風に
誰にもね、
何ていうのかな、
遠慮することなく
自分自身にもね、
言えるようになったらいいな
っていう風にね、
いろんな人に届けたいですね。
届けたいですね。
これね、一つね、
質問は後からするんですけど、
一つ質問が来ててね、
この絵本制作の中で
一番大変だったこと、苦労したことって
何ですか?
一番がすごい難しくて、
いっぱいある。
いっぱいありすぎて、
どうだろうな、
やっぱり物語を作るのが
結構大変だったかもしれない。
そうなんだ。
みんなで作ったんですか?
それともマドゥが最初?
みんなで作ったんだ。
どういうお話がいいかな
っていうのから始まって、
でも楽しかったんですけど、
作り上げて、
家庭とかプロセスを
生み出す苦しみ。
0から1のね。
本当にこれでいいのかな
っていうのから始まったんで。
伝えたいコンセプトは、
42:01
いろんな家族がいることを
伝えたいで決まってたんですけど、
それをどう子供たちに
伝えていけるかっていうのが
すごく、
生みの苦しみというか。
確かにね、
命ですもんね。
ストーリーからね、
そういうどういう言葉で
表現するかとかね、
どういうモチーフとかね、
それをそしてまた
イラストにね、
するっていうのもね、
なんか本当にもう、
人一人生むぐらいの
エネルギーをね、
みんなで生み出したんだなと思って、
ぜひこれね、皆さんにもね、
ウェブサイトからもね、
ちょっと見れるので、
見ていただきたいなと思うんですけど、
今ね、
手の平に乗ろうとしている、
その絵本がね、
世界に羽ばたこうとしているんですけど、
今、どんな気持ちですか?
なんか、
なんだろうな、
どういうふうに広がっていけばいいなとか、
どういうふうにね、
人たちに届けたいな、
みたいなことってありますか?
そうですね、
なんか、
やっぱり、
子供時代がすごく、
大変だったりとか、
苦しかったのが、
根底に私はあるので、
最初は子供の頃に、
出会っていたかった、
大人になりたいっていうのが一つで、
そういうところから始まってて、
絵本をいろんな子供たちに
読みたいなっていう
思いがあり、
あとはその絵本を通して、
自分らしくいられる子供たちが
少しで増える、
お手伝いができたらいいなっていう、
ふうには思っています。
ねー、
なんかね、
このハチドリカフェの
今回のライブを通して、
いろんな人たちにね、
MADのストーリーとか絵本絵のね、
思いを聞いてもらって、
なんかいろんなね、
その絵本をただ読むだけじゃなくて、
そこからいろんなコラボレーションがね、
生まれたらいいなって私はちょっとね、
妄想しているんですけど、
例えばね、
なんかそこからね、
人が生まれたりとか、
なんか死が生まれたりとか、
鳥さんはちょっとね、
鳥さんが出てくるんですけど、
鳥さんはこれからどこに行くんだろうとか、
また違う物語が生まれたりとかね、
なんか絵本を真ん中に置いて、
なんかそれをね、
集まる人たちで、
何かね、
新しい日付とかね、
新しい何か遊びとか、
アートとかにね、
どんどんどんどんね、
また新しい命がね、
詳細、
ウェブサイトね、
見ていただいて、
一人でもね、
応援してほしいなっていう風にね、
どんどんどんどん絵本がね、
45:00
絵本を一緒に広めて、
いけたらいいなと思います。
ぜひアイディアのね、
ある方は、
マドゥーまでメッセージください。
私もちょっとね、
いろいろね、妄想がね、
あるので、
企画をね、
ありがとうございます。
そんなわけでね、
残り10分になってきたんですけど、
結構ね、たくさん質問が来ててですね、
大丈夫?
来ててですね、
私もお水飲みます。
はい、
ちょっとこれからね、
質問コーナーにしたいと思います。
はい、一つ目の質問、
ここ長いんだけど、
親ガチャ、毒親などの言葉が、
日本では流行っていますね。
初めな親御さんほど、
そうならないようにと気にされて、
いろいろ勉強されたりしているように思います。
もう少し気楽に子育てができるような風潮に、
これからなっていくと思いますか?
おお、
難しい。
どうですかね、
もう少し気楽にね。
そっか、親ガチャとか毒親って知ってた?
マドゥーの言葉。
最近。
私も最近。
知ったぐらいで、
なんかちゃんとした定義っていうのは、
うんうんうん。
なんか日本ってさ、
ちょっとマドゥーへの質問だけど、
お二人でおしゃべりしながら回答できたらな、
と思ってたよ。
日本ってさ、こういう言葉がすぐ出てくるよ、
親ガチャだとか、
うちは毒親だとか言って、
でもそれに救われる人もいれば、
あ、そうだったんだって、
救われる人もいれば、
それにもう毒親だからっていう風に
囚われる人もいるんじゃないかなって思って、
そうじゃなくて、
まあそうだとして、
そうじゃなくていいっていう風に、
なんかね、
そういう風にね、
進んでいくきっかけになったらいいな、
って思うんですけど、
まあでもね、
真面目に多分ね、
日本の、
なんだろう、
お母さんお父さんとかね、
子育てしてる人たちって、
日本の人たちって多分、
結構真面目に考えすぎたりとかね、
優しさゆえにすごい、
人の目を気にしたりね、
とかあるんじゃないかなって思ってて、
その点、なんかカナダでの子育ての違いとかって、
なんかあります?
まだ感じる?
でもなんかこう、
なんだろう、
なんかすごく自由に
子育てはしてる感じはありますよ。
うんうんうん。
なんか具体的に言うと、
うんうんうん。
親が楽しんでる、
いいのかなって思う。
うんうんうん。
なんか私、不登校だった時に、
うん。
私の母親が言った言葉が、
今でも覚えてるんですけど、
48:01
うんうん。
学校以外でも学べる場所はたくさんあるからって言ってた。
あー、そうなんだ。
で、母は母で、
自分の人生をすごく楽しんでいたんですよ。
うーん。
きっともしあの時母がすごく真面目に、
なんでうちの子不登校なのかしらって、
うんうんうん。
いろいろそれこそ勉強したり、
だけってなってたら、
うん。
私も行き詰まって、
もっと行き詰まってたかもしれない、
性格が性格だったので、
うんうんうん。
なんかあの時にこう、
母は母で楽しんでて、
いろんな場所で学べるよっていうことを、
うん。
提示しながらやってたことが、
うん。
ある意味ね、気楽に子育てを母もしてたのかなって。
うーん、なるほどねー。
なんかさっきマドゥーがね、
自分があのー、
会ってたかったなーっていう、
大人になりたいっていうことですけど、
それってまさに本当にね、
自分が楽しみながら喜びをね、
追い求めて、
なんだろうなーこう、
自分の人生を楽しんでいる大人っていうのが、
子供たちのね、前にね、
一人でも二人でも本当にいたらね、
大人になるっておもろいやん、
みたいな感じで、
なんかそれがね、
なんかこう未来を照らしていくっていう風に、
思うんですよねー。
なんか、
自分の人生をまず楽しむっていう、
ことでちょっとね、
子育てにフォーカスしすぎずに、
気楽にね、
やっていけるんじゃないかなーっていう風にね、
思ったりしますねー。
なんか私が回答まとめてしまいましたが、
いやー、
でもマドゥーのお母さん、
本当素敵ですねー、
あの時代に、
あの時代にっていうか、
マドゥーはだいぶ私よりジェネレーション下だと思いますけど、
あの時代にね、
マドゥーがね、
本当にね、
素敵な大人になってるんだなーって。
ありがとうございます、
質問くださった方。
はい、そしてもう一つね、
質問。
あ、メッセージかね。
はじめまして、
同性婚までの道のりを読ませていただきました。
マドゥーさんに。
マドゥーさんに質問があります。
その1、
あえて結婚という、
婚姻という形にこだわった理由はなぜですか?
結婚ですが、
この質問をよくいただきます。
あえて結婚という形にこだわった理由っていうのは。
そうですね。
でもなんかきっと、
異性カップルだったら、
言われないとは思うんですよ。
事実問とかもそうだと思うんですけど、
なんで結婚したいの?
ってよく言われるんですけど、
異性カップルだったら反対だと思う。
なんで結婚しないのになると思う。
あー、
異性カップルだったら反対だと思う。
なんで結婚しないのになると思う。
あー、なるほどね。
なんで結婚したいのは、
51:00
異性カップルには言わないと。
あー。
それとは別に、
やっぱりこう、
同性カップルではあるんですけど、
プラス国際カップルだったので、
やっぱり日本で一緒に暮らしていけなかったんですよね。
国の配偶者ビザが下りないので、
なので、
これから一緒に生活をして、
一緒に生涯を共にしていこうって
決めた時に、
一緒に暮らすためには、
私がカナダに行って、
プラス国際カップルという形が、
ビザを取って、
という形が、
一番私たちの中でしっくりきたので、
結婚だったんですよね。
なるほどね。
なんかきっと自然な流れだったんだろうなーって、
思いますね。
確かにね、その質問。
同性婚と異性婚によって、
違うよなーって、
私もハッとさせていただきましたけど、
そっか、なるほどね。
うーん、
そしてですね、2つ目の、
どうぞどうぞ。
こだわったわけではないんですが、
でもやっぱり一緒にいるための、
選択肢だったのかなと思う。
うんうん。
一緒にいるための自然な選択だったのかな、
ということで。
そっかそっか。
2つ目なんですけど、
自分のことは何ですか?
これもよく聞かれてる。
よく聞かれてるそうです。
やっぱり、
自分のことを理解してくれる人が、
いることが、
出会えてよかったなーと思う。
うんうん。
安心感とかね、
なんかすごく大きいものとね、
つながってるんじゃないかなーって、
なるほど。
よく聞かれるんですね、この質問者さんも。
あとね、3つ目。
生まれ変わっても、
キムさんと一緒になりたいですか?
これも、これも笑い。
よく聞かれる。
どうでしょう、来世でも。
はい。
生まれ変わってももちろん、
キムと一緒になりたいですね。
わー、即答断言されました。
きっとね、なんか前世でもね、
一緒に踊ってたんでしょうね、
ずっとキムさんね。
きっと来世でもね、
一緒に踊ってるんだろうなー。
なんかどんなダンスだったんだろう。
これ想像すると面白いですね。
素敵素敵。
えー、そっか。
そしてダンスの話になるんですけどね、
4つ目の質問。
人はなぜ踊るのかの答えは出ましたか?
うーん。
そうですね。
やっぱり、
シンプルに生きるためなんだなっていう。
うーん。
この非暴力の方法として、
差別だったり抑圧されてきた中で生まれた
もともとの生まれたダンスが
ヒップホップダンスとかもそうです。
国人差別から生まれたものだったり。
54:00
うーん。
モーリシャスに訪れた時に
セガダンスというものが
プレーにされてた人たちが
1日の終わりに楽しみとして踊り始めたきっかけで
セガダンスが生まれたっていうのを聞いて
うーん。
なんかやっぱりこう
差別だったり抑圧されて
抑え込まれてた。
うん。
ときに生まれたのが
いろんなダンスだと思うので
本当に生きるために
踊るんだなっていう
ふうに今は思ってます。
生きるために踊る。
わー答え見つけたんですね。
ずっと探してたもんね。
そっかー。
これからもね、マドゥのダンスが
ほんと楽しみなんですけど。
そしてね、5つ目の最後の質問。
LGBTQに限らず
差別のない社会にするために
一人一人が気を付けることを
挙げるとしたら
どんなことがありますか?
これ私もちょっと聞きたいな。
できること、私たちにできること。
私が思うのは
できる限り
何が差別であるかを
知ることだと思うんです。
何が差別であるかを
知らないと
差別をしてしまうと思うんで。
知らないうちにね。
差別が良くないってことは
自分も知っているというか
知っていることだと思うので。
だから
自分が差別をしてしまったときに
認められない
認められない気持ちも
生まれてきてしまうと思うので。
できる限りの
マイクロアグレッション
っていう言葉があります。
マイクロアグレッション
っていう言葉がありますけど
その小さな差別でも
何が人を傷つけてしまうのか
っていう
それをより多く知っていれば
知っているほど
人を傷つける
人を傷つける
ことが減るんじゃないかな
と思うので。
確かにね。
知らない
ただ知らずにいることで
なんていうのかな
無意識にね
知らないうちに
誰かを傷つけてしまう
っていうことがね
本当にあると思うんですよね。
知って
昨日より優しい自分に
優しい世界にね
していこうっていうことをね
テーマにこうやってね
お話をね
いろんな人のお話をね
伺ってますけど
今回ちょっとちょうどね
1時間くらいで質問
くださった方ありがとうございました。
本当にこうやって
MADUのストーリーとか
絵本のお話とかね
お伺いして
MADUのお話とか
お伺いして
MADUのストーリーとかね
57:00
あとダンスのね
コンテストで優勝したダンスの映像とか
あとモンテ総理のね
双子ちゃんの
二人ママで双子ちゃんの
子育ての様子とかもね
MADUのブログでね
ありますし
あと絵本のね
グラウンドファンディングの
サイトなんかもね
ありますので
ぜひぜひ皆さんね
MADUとね
おつながりになってほしいな
という風に思います。
じゃあMADU最後に
皆さんに一言お願いします。
本当にもうなんか
ありがとうございます。
もう感謝しかないです。
本当に
生きていくのがつらかった時期も
あったんですけど
今はなんかいろんな
ことを通して
自分も表現できるようになってきて
それはなんか
出会う
出会ってくれた人たちのおかげだし
それをいつも思っているので
こうした愛さんも
お話を聞いてくださったりとか
なかなかこう
普段の会話の中で
自分の話を
深く掘り下げて
そういう機会ってなかなかないので
そこがありがたいなと思って
つながっていただけたら嬉しいです。
つながりましょう。
絵本もあるしね
絵本を囲んでね
みんなで手をつないでね
踊ったり歌ったりしましょう。
いやー本当今日はね
改めてお話を伺えてよかったし
なんだろうな
MADUがね
ただMADUらしく生きていることで
本当にねなんか
新しいことに気づいたりね
何か自分のねやりたいことに気づいたり
新しく生きるっていうこともね
気づいていく人がきっと増えていくんだろうな
と思うのでね
私としてもねハチドリカフェとしてもね
ほんとひとしじゅくですけどね
これからも応援し続けていきたいと
思っております。
ありがとうございます。
というわけでね
今日のねハチドリカフェのライブ
インタビューのゲストは
旅するダンサー
そしてね二人ママ
双子ちゃんを育てる二人ママのね
MADUでした。
ありがとうございました。
59:23

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