00:08
桐野美也子
さてと、じゃあ撮りますね。
atauseg
はい。
桐野美也子
はい、それじゃあF1ファンの物語も今回で8回目ということになりました。
みなさんこんにちは。
さて、それで今日のゲストなんですが、今日はatsusegさんに来ていただいてますね。こんにちは。
atauseg
こんにちは。今日はよろしくお願いします。
桐野美也子
よろしくお願いします。なんかお久しぶりと言った方がいいかな。
atauseg
そうですね。だいぶお久しぶりな感じだったね。
桐野美也子
その辺の話ももしかしたらあるかもしれないですけれども、今日はよろしくお願いします。
atauseg
はい。
桐野美也子
さて、それじゃあ、なんかまずその、今ね、Zoomで繋いでるんですけど、すごいなんかゲーミングチェア的なものにすごい座ってますね、今ね。
atauseg
そうですね。でも一応これもモータースポットっぽいっていうか、スパルコのゲーミングチェア、なんかオフィスチェア。
はいはい。
本当だ、スパルコですね。すごいなんかね、レーシーな感じを感じるんですが。
桐野美也子
えーと、じゃあまあ、ゆるゆる雑談をしていこうかなということなんですけど、
じゃあやっぱまあ、F1に興味を持ったのはいつ頃かなみたいな思い出話からいつも始めてるんですけど、
はい。
アツセグさん的にはどうですか。
atauseg
これがね、ちょっとはっきりしなくてですね。
桐野美也子
いいですね。
atauseg
なんかもう、なんかもう物心ついてた。
まあ後、両親が、F1ブームが直撃世代で、多分割と多分、僕が生まれる前からF1を多分見る環境がおそらく家の中にあって、
なので物、両親が言うには、2歳の頃からミハイル・シューマッハの存在を認識していたという話を一応聞いては得るので、
桐野美也子
そういうことを聞かれたときは、大体2歳ぐらいから認知してますっていうことを一応公式見解としては出してるんですけど。
atauseg
なので正直はっきりいつからファンですっていうのはちょっと言えないんですけど、もう気づいたときにはファンだったっていうのが正解ですかね。
桐野美也子
ご両親はF1を見てたってことじゃ。
atauseg
だと思います。どこまで熱心に見てたかわかんないですけど、夫婦で、僕が生まれる前に93年の鈴川見に行ったっていう話を聞いているので、
当時は何か抽選だったっていう、感染チケット抽選だったっていう話も一応聞いてるので、応募する具合の期間はある程度には見てたというか関心があったんじゃないですかね。
03:08
桐野美也子
あんまり詳しくは聞いてないですけど。
詳しくは何、ちょっとなんかあんまり聞き出せない感じ。
atauseg
聞けばいいと思うんですけど、そんな熱心だったかはどうかわかんないですけど、見に行ったっていう話は聞いてます。
桐野美也子
じゃあその2,3位の時にあんたミハエルわかってたよみたいなのは要するにテレビに映ってるミハエルをってことだよね、だからね。
atauseg
そうですね、たぶん中継は録画をたぶん、気づいて、なんて言うんですか、たぶんテレビラテランを見て、今夜やるなって思ったらたぶんおそらく録画をして、見てたのをたぶん一緒に見てて認識してたんだろうなっていうふうには想像はしてます。
桐野美也子
あ、だからそっか、2歳児が夜中起きてるってことは松永郎ということで、録画をっていうことか。
そうですね、で、だんだん5歳ぐらいになってくるとたぶん、そんぐらいになると自分で録画をした記憶があるので、予約をしてる。
え、何歳の時?
atauseg
5歳ぐらいのときに、小学校入ったぐらいのときは、たぶん自分で見て、予約番号を入れて予約をしたような記憶があるので、たぶんその頃には、その頃ぐらいにはもう自分で見る、録画したものを見るっていう習慣はあったような記憶があります。
桐野美也子
あー何、おぼろげに記憶が。
atauseg
おぼろげに。
桐野美也子
おー、予約番号、なんだろあれ、Gコードかな、番号で。
そうですよね、そうそうそう。
番号で行けるんだ。
atauseg
番号で行って予約した記憶がありますね。
桐野美也子
その頃って録画媒体って。
atauseg
VHSです、VHSです。
桐野美也子
あ、まだVHSなんだ。
atauseg
そっか。
やっと撮ったやつをダビングしようかっていうので、総集編とかはDVD化されて、今も実家にありますけど。
桐野美也子
デジタル化というか、DVD化されてるわけね。
atauseg
DVD化されてますね。
おー、そうなんだ。
桐野美也子
じゃあもう、一応、ご両親が言うには2歳ぐらいからF1は、たぶん見てたんだろうね、横でね。
見てたっていう感じではあるけど、自分のおぼろげな記憶としては、5歳か6歳ぐらい?
そうですね。
atauseg
2は、ちゃんと見てた。中継映像を見た記憶があります。そのぐらいには。
桐野美也子
その頃は何年なんだ?誰が走ってるんだ?ミハエルがまだ走ってるのか?
06:02
atauseg
2000年前後なんで、ミハエル・シューマッハがやっとフェラーリでタイトルを取ったか取らないかぐらい。
なんで、中継的には、僕はトゥルースを最初に聞いたF1のテーマ曲はトゥルースじゃないんですよね、中継的には。
桐野美也子
そっか、トゥルース使われてない時期がしばらくあったんで、ずっとね。
atauseg
なんで、2001年ぐらいからトゥルースがもう一回流れ始めてみたいな形の記憶してますね。
桐野美也子
じゃああんまりトゥルースを聞いても、パッとF1っていう感じではないのかな。
でもCDかな、CDか何かで多分聞いたことはあるので、多少の刷り込みは多分あると思うんですけど。
atauseg
あと総集編をやっぱり、子供の頃、ちっちゃい頃は特によく見てたので、そういうので、昔の映像はあくまで総集編だけですけど、そういうので保管した部分はありますね。
桐野美也子
なるほどね。
じゃああれだ、自分が見始めたと思ってる時期よりも昔のことも知ってるというか。
atauseg
そうですね、ちょっと見てるっていう感じですかね。
桐野美也子
すごいなあ、でも自分で予約をするっていうのは何なんだろう。
なんで見なきゃいけないと思ったんだろうね。
atauseg
わかんない。なんでなんですかね。
サッカーも好きだったので、ちょうどその週末のこの23時代に、サッカー、ヨーロッパサッカーかF1を多分やってたんですね。
で、毎週それをその時間帯に録画をすればどっちかは見れるみたいなことだったのかなって思いますけど。
なんか自分で書いてましたよ、カレンダーを。
カレンダーにこの日はこっちみたいなのをなんかいちいち書いてた記憶がありますね。
桐野美也子
この日はイタリアグランプリ。
atauseg
この日はサッカー何々対何々みたいな。
桐野美也子
そうだね。
atauseg
中田秀賀同好みたいなのは多分。
桐野美也子
あーなるほどね、そういう時期か。
atauseg
そういう時期ですね。
イタリアですかね、セリアにいたとき。
桐野美也子
サッカーも興味があったんだ。
atauseg
そうですね。一応中学まではやってましたね。プレーもしてましたね。
桐野美也子
自分でプレーもして。
部活とかクラブチームで。
ヨーロッパのサッカーを特に見ようと思ってたわけ?その週末は。
09:02
atauseg
そうですね、ずっと地元も東京なんですけど、Jリーグには地元のクラブがなかったので。
桐野美也子
あ、そうか。あれは?ベルディとかは地元になる?
atauseg
ベルディは一応、ベルディ的には東京だったんですけど、ベルディ川崎で通ったので。
本当の意味で東京ホームタウンとしているクラブは、最初の方はなくて。
そっか。
っていうのもあったんじゃないですかね。
あとは中田秀とかワールドカップとか日韓ワールドカップとかですごいヨーロッパサッカーを見るのがブームというか盛り上がった時期っていうのもあって、
結構フジテレビで中継を頑張ってしてたので、そういう流れもあって見てたんだと思いますね。
桐野美也子
いいよね。ホームクラブないから一層海外見ちゃおうとかね。代表選見ようみたいな。そういう感じになってたんだね。
atauseg
そうですね。なかったですね。
おもろいね。
なかったんだね。
桐野美也子
そうなるとあれだね。週末にF1か海外のサッカーかみたいなので、F1をやってればF1を録画して見るみたいな。
そうですね。
atauseg
それが5,6歳からだとして、いつぐらいまでそんな感じで続いてたんですか。
いつですかね。でもいつまでだろう。
でもちょうど2003年か4年ぐらいにCSでも中継が始まって放送するようになって、
どっかのタイミングでケーブルテレビ経由でCSのフジテレビの中継を見れるようになったので、
そっちに切り替わったタイミングで、CSなんで一応生中継で見れるということで、だんだん多分生でライブでの中継を見るようになったっていう感じだと思います。
そっか。CSの中継がいつ頃から、2003年ぐらいからなのかな。
桐野美也子
2008年からはハイビジョン。
atauseg
でもその時期からはCSでやってますね。
12:00
atauseg
そうですよね。そのぐらいから。
つい最近まで見てたかわいさんがいつの間にか地上波では出なくなって、
それに伴って地上波の中継のスタイルが変わったというか、雰囲気が変わってきたので、
多分雑誌とかでも生で見れますよみたいなすごい紙面広告があった曲があるんで、
そういうので、誰発信かわからないですけど、多分それを見てCSに切り替わっていったんだと思いますけど。
桐野美也子
だから地上波の放送が2011年に終わっちゃうと聞き切られちゃうんだけど、その前にもうCSに移ってたってことだね。
atauseg
そうですね。もう移ってしまってましたね。
桐野美也子
だから地上波が終わってBSになったとか、そういうショックはあんまり受けてないっていうか。
そうです。終わるんだとは思いましたけど、
atauseg
まあ終わっても仕方ないかもなみたいな感じで思いながら、
当時のこのF1に漂う日本でもそうですし、
世界的にもこのまま終わっていく道筋をどうたどっていくかぐらいの空気感をうっすら感じながらっていうタイミングだったので、
まあ当然かなみたいな感じで思ってましたけど。
桐野美也子
と思いながら自分はCSを。
atauseg
それでもとりあえず見続けるぞっていう感じで、
両親にお願いをしながら見てたって感じですかね。
桐野美也子
そうだよね。CSを契約するには結構アンテナとか契約料とかいろいろなものがいるもんね。
atauseg
なんかその辺のことで家族内で記憶に残っていることとかあります?
いやまあ両親も僕ほど熱心には見てなかったですけど、
ついていれば見るぐらいのそのなんていうんですか、
リカイドなんてそんな生意気な言い方はできないしないですけど、
あのなんていうんですか、許容してくれる家だったので幸いにも。
だから生中継だとやっぱり当時のスケジュールだと、
9時ぐらいに本当にゴールデンタイム、プライムタイムか、
プライムタイムの真ん中にやるんですけど、見てましたよみんなでだから。
桐野美也子
そこはみんなで見るんだ。
atauseg
F1の週末は見させてもらってましたね。
15:04
桐野美也子
じゃあCS契約したいですっていうのも結構すんなり通ったというか。
atauseg
他にも見れますよと言ってサッカーも見れるんで何卒みたいな感じで。
桐野美也子
一応こう営業をかけて。
atauseg
営業というかまあ多少の営業をしてプレゼンをして。
桐野美也子
プレゼンでね、認められたと。
atauseg
でもそこでもそんな大きな反対みたいなのはなかった。
桐野美也子
そういうことだよね。
あんたのお使い減らすでとかそういう話でもなくってことだよね。
そうですね。
じゃあCSを移って生で見るようになってたってことか。
atauseg
そうですね。
桐野美也子
その頃活躍してたドライバーっていうかチームっていうのはもう変わってるよね。
atauseg
多分ミハイルのところから。
ミハイル週刊、ミハイル週刊祭7回目撮って、
アロンソがチャンピオンとって、
でだからハミルがやっと出てきました。
レッテルが出てきました。
で、
ホンダ、トヨタ出てっちゃいましたみたいな。
桐野美也子
そういう雰囲気の時か。
atauseg
そういう雰囲気の時ですね。
入って生で見る週刊ができて、
最初の数年、5年ぐらいはそういう感じですね。
いろんな自動車メーカーが入って出ていってしまったみたいな感じの。
桐野美也子
それをF1に残ってるアツセフさんが見てるみたいなね。
そうだよね。トヨタなんて本当に入ってきて出てったなとか。
atauseg
ホンダもだよね、入ってきて。
出てたなーっていうような感じで見送っていくみたいな。
あとグランプリがどんどん増えていくみたいな。
中国で始めてやります。
どこどこで始めてやりますみたいなのが、
バーレーン、急にバーレーンってどこだよみたいな。
そういう時期でしたね。
桐野美也子
なんとなくヨーロッパっていうものからちょっと離れていくというか、
そういう時期っていう感じなのかな。
atauseg
そうですね、いろんな、何なんでしょう。
ヨーロッパラウンドっていう言葉がまだあった時代ですよね。
18:02
atauseg
それでもまだ数的にはヨーロッパの方が多かったんじゃないですかね。
そうですよね。
まだ3割のグランプリとかある時代ですよね。
桐野美也子
一通りヨーロッパの国が回っていく感じでしたよね。
atauseg
そうですね。だからまだ10月で終わる時期でしたね。
12月までやってるような感じじゃなかったですよね。
なかったですね。
桐野美也子
そうか、だからすごい長いこと見てるよね。
だからね、どこから数えるかにもよるけど。
atauseg
どこから数えるかによるんですけど、結局20年ぐらいは一応見てるはずですよね。
記憶があるレベルで。
桐野美也子
記憶の中だけでもそれぐらいは残ってますよね。
atauseg
はい。
桐野美也子
じゃあそのときCSを早くから見始めて、今もまだCSなんですか?
atauseg
いや、もう今はDAZNです。今はDAZNに切り替えたのかな。
今はDAZNで見てます。
ああ、そっか。今は他のサブスク系で見れるから、DAZNでっていうような感じなんだ。
桐野美也子
そうするとフジテレビの解説陣とか懐かしくなったりはしないんですか?
atauseg
ちょっと思いますよね。
桐野美也子
それこそさっきあれでしょ、フジテレビも市場派のほうが変わったのか。
だからCSが市場派のもともとのやつを引き継いだみたいな感じだったのかな。
atauseg
そうですね。
だからずっと同じ人たちの似たような集計を見てきたわけだから。
桐野美也子
その辺は大丈夫でした?DAZNに切り替えても。
atauseg
まあ、まだ多少違和感は、違和感というか、やっぱり違う。
なんか面白いと思って、全然見るとこ違うんだなっていうのがやっぱり人によって違うんで、そこは面白いなと思って見てますね。
やっぱ違いがあるわけですね。
どういうとこが違うなって感じ?戦略とかそういうところの見方とかなの?
ですかね。
そうですね、結構フジテレビは、戦略にうるさいですよね、フジテレビのほうが。
うるさいって言い方はあれですけど、すごい戦略とか、チームの動きとかにやっぱり結構敏感に反応しますよね、印象としては。
すごい細かいミスとかミスをするとすごい小言を小言を言ったりとか。
21:02
桐野美也子
こんなこと言っちゃダメだよみたいなね。
atauseg
まあそうなんですけどもみたいな。
そういうのがDAZNだとちょっと薄くてまた別のところを取り上げてるっていうか、そういう感じなのかな。
ですね、そんな感じはしますね。
桐野美也子
なるほどね。それは何、見てる自分にはあんまり影響しない感じ?この人たちはこういうふうなんだなみたいな。
atauseg
そうですね、あんまり影響しないと思いますね。
桐野美也子
自分のスタイルとしては、アツセグさん的にはF1をこんなところで見てますよみたいななんかあるんですか、そういうポジションというか。
atauseg
そうですね、なんて言ったらいいんですかね。
まあそうだな、ここはどうしようかな。
そこで言うと僕はF1で働きたいと思って、
エンジニアとして働きたいと思って、特にここ5年ぐらい。
それはもうこの自分の中のファンとしてのスタンスの変化の中に入ってくるんですけど。
だからF1のエンジニアとして働きたいと思って、この今の30年ぐらいの人生の7年ぐらいは見てきてるので、そうするとなんかこう、
なんて言うんですか、エンターテイメント的な対象で面白いっていう見てる部分と、
将来自分が関わるものとしての対象として、もうちょっとエンジニアリングな部分で見る視点の部分があって、
だからそのいわゆる中継の何かとは全然関係ないところを見ている自分がいるので、
その中継が、曲によって振る舞いが違うっていうところは、見てる人を楽しませるっていうところではあまり変わらない。
変わらないというか、そこのところの影響はあまり自分の見方に影響しないっていうところがあるって感じですかね。
おー。
桐野美也子
なに、どう見てんだ。
atauseg
どう見てるんでしょう。だから、どう見てるんだろう。
もっと、なんだろう、自分も、自分も中間、どうにかして解釈をしている側なんで、多分、解説者、立ち位置的には、
24:02
atauseg
なんだ、見るより解説者側っていうともう全然そんなレベルじゃないですけど、なんかそういう自分も解釈をして自分なりにアウトプットをする側になっている、
なろうとしているので、立場的には浅い位置にいるかわいさんとか中野さんみたいな感じの立ち位置で多分見てるんだと。
見てる、そんな見方があるのかわかんないですけど。
桐野美也子
分析してるって感じ。
なんかファンなのにファンじゃない。ファンにならない、ファンじゃなくなるためにファンをやってるみたいな、なんかよくわかんない。
atauseg
よくわかんない感じになってるんだと思います。これがいい表現なのかわかんないんですけど。
桐野美也子
だから、仕事じゃないけど関わるっていう意味で、ファンと付き合うっていうんであれば、それはちょっとファンとは違うよな、みたいな前提だよね。
ただ単にこう中継で喜ばせてもらってるっていうだけじゃないスタンスでいきたいみたいな7年間って感じだよね。
atauseg
そうですね。なんかそんなところもあるのかなーなんて思って見てますね。
それはいい見方なのかはちょっとわかんないですけど。
桐野美也子
それで続いてんだったら、自分的にはOKってことだよね、だからね。
atauseg
そうですね。
桐野美也子
見てる時ってめっちゃ疲れるってこと?なんかもうめっちゃ考えてるっていうか、
解説はこう言ってるけど俺はこう思うなーみたいな。
atauseg
どういう頭の使い方になるんですか?そういう時は。
まあでもすごい忙しくというか、なんかあんま映像見てないかもしれない。
なんかもうラップタイミングばっかり見てるみたいな。
だからなんか、それこそライブタイミングだけ見てればいいんじゃないかみたいな。
それでいいんじゃないかみたいなところもあったりしますけど。
桐野美也子
映像と解説チックいらないんじゃないかっていう説ね。
atauseg
あとそうですね、あと話飛びますけど、
27:02
atauseg
あと友達とディスコードで喋りながら見たりしてますね。
桐野美也子
いいっすね。
atauseg
映像はそれぞれ一緒に、それぞれ個別で画像の中継見ながら、
でもない、こうでもないみたいな話をしながら見たりしてるのもたまにやってますね。
桐野美也子
これめっちゃ面白そうですよね、なんか。
そうなると何?お互いいろいろこう述べながら見るみたいな感じ?
atauseg
そうです。
俺ちょっと早すぎるんじゃないの?とかそういう話をするわけ。
なんていうんですか、ちょっと接触があったらどっちがどうだ、こっちが悪いんじゃないか、いやいやあっちだみたいな。
桐野美也子
そういうのなんだ。
atauseg
そういうこともたまにしてます。
桐野美也子
いいな。なんか今までの厚瀬悟さんのこのF1の歴史の中で初めて友人というものが出てきたんですけど、
F1でずっとなんか家族で、一応熱心に見てるのは自分だけみたいな、そんな感じが伝えてたんだけど、
atauseg
なんかどっかで友達が見てるっていうシチュエーションができたんですか、なんかF1友達というか。
そうですね、ちょうど大学入って、その大学が工学系の、特に自動車を中心に機械工学を学ぶみたいな学科だったんで、
そうするとやっぱり周りの学生も車が好きだ、レースが好きだみたいな人が多かったんで、
その中で、そうすると見てる人いたんで、仲良くなった友達の中にモータースポーツを見てる人がチラホラ言って、
チラホラ、どこにいたんだみたいなレベルですごい集まっていて、そういう友達と、
今はみんなそれぞれバラバラにいますけど、文明の力を駆使しながらみんなで、みんなというか、
たまには通話をしながら見るっていう環境があるって感じですね。
桐野美也子
なんかすごいびっくりだね、じゃあこんなにファンいたの?みたいな。
atauseg
そうですね。
桐野美也子
大学入ってみたら。
atauseg
そうそうそうですね。
桐野美也子
その時やっぱちょっと嬉しい感じだったんですか、それとちょっとなんかうざって感じだったの、どっちなんですか。
30:02
atauseg
いやまあでも、話ができるのは面白いですよね。
その、なんて言うんですか、印象の大小の差はあれど、やっぱそういう話ができるっていう機会がやっぱりあまりなかったので、
それまでは、やっぱそういういる、なんかいるんだ本当にっていう感じの、
鈴鹿日本グランプリとかでも、当時はまだ結構人が入ってた時代だったので、
そんなにいる割にはやっぱり周りには全然いないなって思いながら、
でもやっぱいるとこにはいるんだなみたいなのを実感しましたね、その時は。
桐野美也子
なんかすごい素朴にびっくりしてる感が面白いよね、こんなにいるんだっていう。
本当にこんなにいるんだっていう感じでしたね。
atauseg
それはでもやっぱ結構ポジティブだったよね、なんか嬉しいっていうか、こんなにいるんだなみたいな。
桐野美也子
逆に言ったら、大学でそれぐらい専攻もあって、いろいろ興味のある人が周りにいるっていう環境に来るまでは、
基本的にはもうソロ活動っていうか、一人でずっと見てたみたいな感じなの。
atauseg
そうですね、一人で見てましたね。
今思えば。
見続けるモチベーションって何だったんですかね、なんか。
何だったんでしょう、なんか今を、なんとなく振り返っても、なんかよくわかんないですね。
急に、急によくわかんなくなってしまいました。なんで見てたんだろう。
桐野美也子
なんか、親が見てて影響で見始めるきっかけがみたいな、なんかわかる感じあるけど、やっぱりなんか自分で好きになったポイントがあったんだろうかな。
atauseg
まあ、多分最初はミハイル・シマハラファンだったので。
桐野美也子
最初はミハイルのファンだったのね。
atauseg
なのでミハイル・シマハラファンとしてずっと見てて、
彼が2006年に一度引退をするじゃないですか。
でも見続けたんですよ。
桐野美也子
おー、ミハイルショックを乗り越えたわけですね、そこの。
atauseg
引退して、2007年以降も見続けて。
それを何で見続けたのかが、何なんでしょうね。
33:07
桐野美也子
ミハイルが引退したことは、あーって感じだったんだよね、多分なんか。
atauseg
多分、ついに引退してしまうんだなと思って、
本当に当時は熱烈だったと思うので、
子供だったっていうともあって熱烈だったはずなので、
何かの表紙でそのままフェードアウトしてもおかしくなかったと思うんですけど、
見続けたのは何でなんでしょうね。
あれかな、そのままマッサに移行したのかな。
桐野美也子
弟子的な?
atauseg
そう、弟子的な。
もうちょっと後にしたらベッテルが出てくるんで、
その後はベッテル寄りで多少見てた感はありながら、
ミハイルが復帰してくるので、
なんとなく見続けたのはわかるんですけど、
その2007年、引退した直後から復帰までの間を、
なぜ見続けられたのかは不思議ですね。
日本人の悪い癖のやめられない現象が起きたのか、
それかもうその頃にはうっすらF1というもので、
何か人生は歩みたいなというふうに思っていたのかもしれないですけど、
明確な何かがあるから見続けましたっていうのが、
ちょっとパッと思いつかないですね。
なんでなんだろうね。
桐野美也子
別にそんな好きなドライバーだけで見るスポーツでもないから、
atauseg
そんな不思議ということもないんだけど。
ちょうどたぶんやめていなくなったシーズンから、
中学生になったので、環境がある意味変わったんで、
全然見るのやめてもおかしくなかったと思うんですけど、
なんか見続けてましたね。
桐野美也子
テレビで見る以外だと友達と話すこともなさそうだから、
atauseg
昨日のレース見た?みたいなそういう話もないわけだから、
36:05
桐野美也子
自分で見ていくか家族、あるいは家族も一緒に見てるから、
何となく見続けるかみたいな、
atauseg
そういう感じなのかな。
そういう感じだったんでしょうね。
他何があり得るの?雑誌とか?
雑誌もたまに、
そうですね、雑誌たまに、
でもたまにですね、そんなに講読をするような感じはなかったと思うので、
やっぱ夜9時に見れたのが大きかったんですかね。
ドラマを見る感覚で。
桐野美也子
月9じゃないけど。
日曜9時に見れたみたいな。
atauseg
日曜9時に見れたっていうのは大きかったんですかね。
たぶん今の10時とかだと見れてなかったと思います。
桐野美也子
そっか、生中継で見るっていうモチベーションだとちょっと10時きついよね。
小学、中学、中学校か。
atauseg
録画してたと、たぶん見るしかなかったと思うんで、
部活とかやってたんで、
やっぱ9時に見れたのが大きい気がします。
生で中継が見られるっていうのは、今思うと。
なるほどね。
桐野美也子
CSの生中継でかいなっていう。
でかいな。
atauseg
やっぱ時間帯って大事なのかなっていう。
正直きついですもんね、やっぱり10時とか言われちゃうと。
桐野美也子
まあきついですよね。
atauseg
だいたいレース、最近本当にレース見、
そんな真面目に見てますみたいなことを言いながらも、
中継スタート見て10週ぐらいで寝て起きたらだいたいもう表彰台に乗ってますっていうのも。
桐野美也子
ちょこちょこありますからね。
一応流れてはいるんだ、寝てる間も。
流れてはいるんですけど。
atauseg
やっぱ人と話して、話だから見てるとやっぱ見れるんですけど、
一人で見てると、もうきついですね、時間帯的には。
もうそろそろきつい感じですかね、やっぱね。
桐野美也子
そうなるとあれだね、何がそもそもF1の好きになったんだろうね。
ミハエルなのかな、やっぱ最初の。
atauseg
最初はそうだと思います。
桐野美也子
何がいいんだ、ミハエル。僕嫌いじゃないが。
atauseg
何が良かったんですかね。
39:00
桐野美也子
当時は最強ドライバーって言えば最強ドライバーですよね。
atauseg
ですね、でも多分フェラーリでタイトル取る前から好きだったんで、
桐野美也子
ちょっと苦労してね、取ったんだけど。
atauseg
まあとはいえ、まだ3、4歳だったんでやっぱ、
車が赤かったからじゃないかなって個人的にはそんなしょうもない単純な理由だと思ってます。
なんか目立つ色だったとか。
赤好きな色に映えると思うんで、
多分好きな色に乗ってる強い人みたいなこう。
なるほどね。
そんな感じで多分好きだったんだなと思ってますね。
全然あり得る感じはするけど。
車自体も好きだったっていう記憶はあるんですか。
いや多分そこまで車を、人よりかは好きだと思うんですけど、
車よりレースが好き、その中でやっぱりF1が好きっていうのが先だと思います。
桐野美也子
なるほどね。
F1っていうのもだから直接車とかっていうよりはスポーツ全体っていうイメージですよね。
そうですね。
そのF1っていうものを形作っている要素がいろいろあるから、
atauseg
それ全部含めてみたいな感じってことかな。
そうだと思います。
まずそのF1マシンからちょっとずつこのF1っていうスポーツになって、
それを取り巻くカルチャーも含めてっていう形になって、
桐野美也子
どんどん歳を重ねるにつれ興味を、好きなものの幅が広がっていったって感じですかね、F1の中で。
視野が広がるというかね、知識も増えてみたいな感じなんだよね。
その後あれだね、どっかで仕事とかF1でっていうので、
なんかきっかけみたいなのあったんですか、F1のファンから、
ファンじゃないというか、ちょっと次のステップにみたいな、
atauseg
よいしょっていう時はなんかあったの、その頃は。
やっぱり進路を考えたときに、じゃないですかね、やっぱり。
桐野美也子
高校終わるぐらいと。
もっと前から。
atauseg
高校、中学、高校どの辺でしょうかね、
多分高校入る前ぐらいには考えてたんじゃないですかね、
42:06
atauseg
F1で働けたら面白そうだなって。
一応サッカーもやってて、
アスリートとして何かすることは無理だろうと。
F1ドライバーになるっていうのはもう無理だろうっていうのを思ってた中で、
他にどうやって関わっていこうかっていう選択肢の中で、
エンジニアか、あるいは広報とかマーケティング、
広報とマーケティングほぼ一緒、
そういう形はドライバーじゃない形で関われる可能性があるのかなっていう風に
うっすら考えた中で、
エンジニアとして関わるのを取ったっていう感じですかね。
桐野美也子
そうなるとF1を見るモチベーションも変わってくるのかな。
atauseg
変わってきたと思います。
その辺から変わってきたんだと思います。
桐野美也子
ちょうど。
さっきの話だとちょっとF1全体をみたいな感じになるのかね。
atauseg
どんどんドライバーからもうちょっと広い視点で、
多分F1を見るようになってきたのがその時期で、
それに加えて進路が重なって、
じゃあ目指してみてもいいんじゃないのかなっていう風になっていったんだと思います。
なるほど、なるほど。
桐野美也子
働いてっていうのをイメージしても、同時にファンでもいいんだけどね。
なんかこうちょっと、ただのファンとして楽しんでるだけじゃダメだみたいな、
そういうのがあったんだろうね、多分ね。
atauseg
あったんだと思います。
桐野美也子
なんていうんだろうね、そういうの。
atauseg
責任感を持って見るじゃないけど。
桐野美也子
アウトプットする側でみたいな感じなのかね。
atauseg
なるほどね。
桐野美也子
そうなるとあれだね、途中でちょっとだから、
もうフェラーリがとかミハイルがっていうのも結構早い段階から外されちゃうから。
あんまり、じゃあ今もチームとかドライバーとかを誰かを応援してるみたいな感じではないってことなんだね、じゃあ。
atauseg
そうですね、今はもう本当にF1、
45:00
atauseg
そうですね、箱押しと言っていいのかわかんないですけど、
全体的に頑張っていこう。
桐野美也子
みんな盛り上がっていこうみたいな。
atauseg
なるべく末永く続く方向で頑張ってっていう感じですね。
親かっていう。
そういうんだね、全体なんだ。
桐野美也子
そうやって全体を見てて、さっきもトヨタが入ってきて出てって、
ホンダが入ってきて出てってとか、
日本人ドライバーがいなくなる時期があったりとかっていう、
そういう中で自分は日本から見てて、
日本人ドライバーとか日本企業とか、
そういうのは自分の中では特別な位置にあるのか、
それともやっぱりF1の公正要素の一つだからさ、
深い思いはあんまないのかさ、
どういうポジションになるの、その辺は。
atauseg
やっぱり日本人、日本企業、
いてくれたら嬉しいですけど、
やっぱり公正要素の一つっていう認識の方が大きいですかね。
日本人だから絶対応援してるっていう、
もちろん気にはなりますけど、
応援してるってほど熱心。
日本人ドライバーのファンですかって言われて、
ファンですとは言えないというか、
そういうような形で応援はしてるんですけどね。
頑張ってほしいって思ってるんですけど、
ファンになるかといったらそういうわけではなかったと思います、これまでも。
桐野美也子
これまでも何人か日本人ドライバーもいたと思いますけど、
そんなにファンだなって思ったっていう感じじゃなかったってことね。
atauseg
そうですね。
桐野美也子
なんかそういうことさっきも言ってたけど、
実況とか中継とかさ、結構日本を押してくるじゃん。
なんとなく。
そういうの耳に入るのに、
あんまり影響を受けないんだ、それは。
atauseg
そうですね、あんまり受けませんでしたね。
CGSの中継は当時どうでしたかな。
あー、なるほど。
桐野美也子
ちょっと雰囲気違った。
atauseg
違ったと思います。
桐野美也子
地上派がある頃だと特に違ったかもしれないね、なんかね。
atauseg
地上派ノリと。
そうですね、たぶん地上派ノリ、
両方あった時の地上派ノリとはだいぶ違ったような気がします。
48:03
atauseg
最近は、地上派BSなくなってからはちょっと
CGSの方でも日本人ドライバーメーカーちょっと
押す雰囲気はあったと思いますけど、
自分がもうちょっと熱心に見てた当時は、
ファンとして熱心に見てた当時は、
今もファンなんですけど、
なんかもうちょっとドライだった印象があります、昔は。
桐野美也子
もうちょっとだから、本当にそれこそわざわざお金を払って見てくる
コアなF1ファン向けだから、
もうちょっとこうやっぱ戦略を説明するとか、
ちょっとドライと言えばドライな感じ?
っていうのもしかしたらあったかもしれないね。
atauseg
レース全体を伝えようとしているような
作り方をしていたような気がします、今思うと。
桐野美也子
それこそどうなの?大学入って友達と喋ってても別にあんまり
日本頑張ってほしいよな、みたいなそういうノリでもなかったんだ。
atauseg
当時日本人ドライバーいなかったんですよね。
桐野美也子
ちょうどいない時か。
atauseg
小林可夢偉もF1レギュラーでは走ってなくて、
日本人がいないタイミングで、
ホンダもまだ復帰してないタイミングだったと思うので。
日本だからどうっていうのは導入としてはなかったですね。
桐野美也子
言えないっていう。
atauseg
途中から入っては来たんですけど、
最初は日本というものを言及することもできなかったっていう。
桐野美也子
不在だったっていう。
atauseg
ちょうど不在でしたね。
ケータハムとかに乗ってたんですかね。
桐野美也子
ザ・ウバーの後ですよね、だからね。
atauseg
乗ってたかもしれないですね、ちょうどね。
桐野美也子
みんなでお金出してシートを確保しようみたいな。
atauseg
みたいな感じでしたよね。
あったりとかしたか、その時期なのかもしれないですね。
やっぱりそういう状況だっただけに、
なんていうんですか、諦めムードじゃないですけど、
今の感じだと厳しいかみたいな空気感はあったような気がしますね。
盛り上げようにも盛り上げきれないみたいな
雰囲気はあったような気がしますね。
なるほどね。
51:01
桐野美也子
別に厚生労働者さんとしては、だからといってどうこうということもないという。
atauseg
ということもないですね。
それでもまだヨーロッパ強しみたいな印象があったので、
やっぱりちょっと淘汰されてしまうかみたいな形で、
ちょっと思ってみてたような気がします。
桐野美也子
そこに寂しさもなかったの?
atauseg
あったと思います。ありましたけど、
寂しさとありつつ、ちょっと諦めの部分もあったりみたいな感じですかね。
当時は。
atauseg
そうですね。
だからやっぱりFは盛り上がってなかったですよね、当時。
日本は特に。
それを肌で感じていたっていう感じ?
そうですね。盛り上がってなかったと思いますよ。
ちょうどだから、電動化の流れも世間的にはあって、
EVとかがいよいよ普及し始めて、
フォーミュラーEが始まってみたいな。
じゃあF1はどうなるわけっていうのを思ってた記憶がありますね。
ちょっとやばいなって思ってましたね。
これがオワコンになる道筋かみたいな感じの、
桐野美也子
危機感じゃないけど、危機感じゃないんだろうな、
atauseg
さらさら消えていく感じ?
そうですね、さらさら消えていくか、
今まで慣れ親しんだものと大きく変わっていくか、
さらさら消えていく感じが正しいんですが、
徐々に浪衰していって、生き絶えていくみたいな感じで、
終わっていくのかなって思ってましたね、当時は。
あとどのくらいまで、
20年くらいで終わりかななんて思ってましたね。
それか、完全にフォーミュラーEがフォーミュラー1になり変わるみたいな、
そんな未来があるのかななんて、
まだわかんないですけど当時は思ってましたね。
桐野美也子
ちょうどあれだよね、フォーミュラーEも始まって、
あれがいつだ、2014年からか、
atauseg
電動は電動で始まっちゃったもんね、F1とは別のカテゴリー。
54:04
atauseg
なので、そういう雰囲気はあったかもしれないですね。
バーニーが、
CVCの見売り話がそのタイミングから始まり始めて、
不思議なレギュレーションがちょこちょこ出てきたりとか、
桐野美也子
最終戦はポイント2倍だとか、
atauseg
リバースグリッドやるんじゃないかとか、
ちょっと2戦くらいで終わっちゃった予選方式だとか、
運営的にも迷走が目に見えるような雰囲気があって、
あとちょうどハイブリッド始まったばっかりで、
音が小さいだとか、トラブルが多くていっぱい止まっちゃうだとか、
そういう変わろうとしてるんだけど、
明らかにいろいろうまくいってない感じがちょうど出てたこともあって、
大丈夫なのかななんていうのもあったんだと思いますね。
すごい、家族を見守るみたいな。
桐野美也子
長く見すぎたんですかね。
atauseg
何言ってんだって話ですけど、もっと長く見てらっしゃる方もいるんで。
桐野美也子
でもなんかすごい、若言のようにっていうか、
atauseg
かといって自分で何かができるわけでもないっていう、
そういうポジションなのね。
そういうゴタゴタね、リバティが勝ったみたいなね、2016年なんだけど。
いろいろゴタゴタしてたっていうのはあったね、そういえばね。
桐野美也子
そうすると、じゃあ印象に残ってる瞬間みたいな、
時代とか問わずF1でレースだけじゃなくてもいいんだけど、
印象に残ってるっていう記憶の中にある瞬間とかって、
そんだけ見方が変わってくる中で、途中で。
なんかあります?
atauseg
印象に残ってることですか。
そうですね。
2006年の日本グランプリは現地行って、
57:00
atauseg
ミハイル最初の引退する最後の鈴鹿王で、
予選はポールを取って、確かポール取って、
決勝もトップ走ってたんですけど、確かエンジンブローカー安価でリタイヤしたんですよね、残り。
結構レース終盤にリタイヤして、すごいショックを受けた記憶がありますね。
桐野美也子
鈴鹿で見てて?
atauseg
鈴鹿で現地で見てて、タイトル争いを多分してたんで、
アロンソに勝たれちゃって。
桐野美也子
アロンソと優勝争いしてたよね。
atauseg
アロンソ優勝して、ほぼこれでタイトル確定みたいな感じになったんで、
覚えてないんですよね、残り。
チェッカーのタイミング、チェッカーどうだったとか。
桐野美也子
結構レースの中盤っていうかね、そんなぐらいのリタイヤですよね、確かね。
そんな後だっけ。
全部で何周進んだ、鈴鹿って。
50何周進んだっけ。
atauseg
50何周ですね、3回。
桐野美也子
そんだけだよね。
40周ぐらいはしたのかな、それぐらいで。
atauseg
エンジントラブルだったかな、リタイヤ。
桐野美也子
フェラーリのミハイルですよね。
atauseg
鈴鹿さんはどこら辺の席で見てたんですか。
当時グラス高だ、ホームストレートで見てて。
桐野美也子
だからあれをビジョンで見たんですよ、たぶん。
リタイヤの瞬間というか。
atauseg
瞬間はビジョンで見て、もうそっから先は覚えてないみたいな。
桐野美也子
どういうこと?
atauseg
ショックがでかすぎて。
何があったの?覚えてないの?
たぶん単純にファンだったんで。
がっかりしたショックで。
そのままなんか呆然としながらたぶん。
なんとなく映像が目に入ってるはずなんですけど。
全然それを覚えてないですね。
なんか気づいたら終わってましたね、レース。
桐野美也子
しかもリタイヤの瞬間も見れたというか、それも映像だからね。
1:00:07
桐野美也子
見えないところだった?
デグナーぐらいだったか。
atauseg
そうだね、見えないね、ホームストレートからはね。
桐野美也子
見えないところだね。
そっか、当時はもうそれであと次ブラジルでみたいな話だったのか。
atauseg
ブラジルで引退だったんで。
桐野美也子
そうなんだね、それで最終でチャンピオンを取れるかって言うとちょっとそれはもう厳しいっていうことだったんでね。
atauseg
そうですね、だったと思います。
なるほどね。
それと帰りがすごい大混雑だったっていうのだけは覚えてますね。
終わった後は終わりに帰ったのが多少記憶があるんですけど。
すごい、すげえ人が多かったじゃないですか、あの年の鈴川。
富士に次の年からなるっていうので、一応一区切りみたいなので。
すごい人で帰るの大変だったなっていうのは覚えてます。
バス乗って白湖行ってみたいな感じ?
たぶん車で行ったんで、駐車場に行こうとしてたと思うんですけど、駐車場まで行くのに、
あれはサーキット通りですか、あの辺をたぶんゾロゾロと歩いてたと思うんですけど、
全然ゾロゾロ歩けなくて、ゲートは出たんだけど全然進まないみたいな感じだった気がします。
桐野美也子
当時たぶん過去最多の決勝動員数だっていう振り込みだったと思うんで、めちゃめちゃ人がいたんだろうね、あれね。
atauseg
そうですね、すごい人いたと思います。
桐野美也子
鈴川で感染したのはそれが最初?それとも前から行ってはいたの?
atauseg
その前の年が最初ですね。
2005年のライコデンが後ろから優勝したやつですかね。
桐野美也子
はいはいはい。
atauseg
あれも印象残ってますね、印象残ってるといえば。
それも現地で見たやつですね。
桐野美也子
そうですね。
atauseg
土曜日の予選が雨で、すごい雨に打たれながら予選を見た記憶があります。
桐野美也子
いろいろ思い出してきますね、喋ってると。
君がだからまだマクラーレンですよね。
atauseg
そうですね、まだマクラーレンですね。
桐野美也子
マクラーレンですよね。
そうだね、予選すごい後ろだったよね。
atauseg
17とか8とかほぼ最高列みたいなところからの優勝ですね。
1:03:11
桐野美也子
あの頃はまだ佐藤拓満がいたね。
atauseg
いましたね、佐藤拓満いましたね。
あと雨で言うと、2010年の鈴川も、2010年も行ったんですけど、
あの時も土曜日雨で、あの時は多分D席にいて、
3時間ぐらい雨に打たれながら予選やるのを待ってたんですけど、
結局日曜巡演になって、逆バンコア室で食べたうどんに救われたっていう。
桐野美也子
温かいうどんに?
温かいうどんに命を救われましたね。
atauseg
あの時はそうだね、あれはやばいやつだよね。
台風じゃなかったんで、すぐやらないとならなかったんですよね。
桐野美也子
ただ大雨だったっていう。
台風なら事前にある程度はね、あるけどっていう、本当に大雨でっていう。
atauseg
そこもなんかいたんだよな、現地に。避難してたような気がするもんな、なんか。
屋根のあるところに。
桐野美也子
危ない感じですね。
結構あれだね、印象、記憶は鈴川でいろいろ思い出しますね、なんかね。
atauseg
そうですね。
桐野美也子
あとやっぱ結構雨に打たれてますね。
雨もここじゃないと思うんですけど。
雨に打たれがち。
atauseg
何かと雨に打たれがちですね。
打たれがち、鈴川で打たれがち。
まあこれ現地感染でしょうがないんだよね、この雨ね。
いいっすね。
あとは、あと見てて印象だけやっぱり、
21年は面白かったですよね、単純に。
桐野美也子
21年か。
その時も鈴川にいたのね、じゃあ。
atauseg
21年は、いやもう、21年日本グランプリやってないんで普通に中継を見た人として、
シーズンを見たっていう意味で、印象に残ったシーズンではありますよね。
あ、そうか。
桐野美也子
21は。
atauseg
21は。
桐野美也子
あれか、コロナか。
atauseg
コロナで。
1:06:00
桐野美也子
コロナで、20、21ぐらいはあれか、コロナでやってないんだ。
atauseg
そうですね、やってないですね、確か。
やってないんだね。
あ、そっか。
そう、あとイギリス留学してたんで、その時。
桐野美也子
何、コロナ、コロナ禍で?
atauseg
コロナ禍で。
桐野美也子
コロナ禍でイギリスに留学していた?
atauseg
コロナ禍で留学していたんで。
桐野美也子
あ、それでの印象深き2021年?
atauseg
まあ印象深いというか、まあそれもありましたし、単純にやっぱり、
すごい争いしてましたよね、やっぱり、マックスとルイスは。
桐野美也子
みんな、周りも含めて、コーナーとともなんかすごいし。
atauseg
それはびっくりしましたね、あんな結末になるとは思わなかったっていう感じの意味では、
すごいやっぱり、インパクトでかいですよね。
桐野美也子
それもトータルでって感じ?シーズンが。
atauseg
シーズントータルで。
桐野美也子
下手したらベストシーズン?
atauseg
ベストシーズンになってしまうんじゃないですか。
そこまでエンターテイメント的に盛り上がる感じのシーズンはないんじゃないですかね。
21か、いいですね。
桐野美也子
そっか、じゃあそれはイギリスで中継を見てたシーズンだったってこと?
atauseg
見てましたね、途中から、9月から行ったんで。
なるほど、そっか。
途中から、そうですね、スカイで見てましたね。
スカイで見てた、いいね。
桐野美也子
それもレースが見れれば大丈夫だから、あれだね、あんまり実況とか解説の影響も受けないからそんなに変化はなかった?
atauseg
そうですね、あと英語のトレーニングもなるんで、話聞いてました。
そうだね、いいですね。
印象に残ってるっていうのはそんなところなんだね。
イギリスで留学中はF1の話はあんまりしなかった?
これがね、したんですよね。
行った学科が、行ったコースが、本当にモータースポーツエンジニアリング。
1:09:09
atauseg
土著級だね。
土著級なんで、本当にそういう人たちしか基本的にはいないところに行ったんで、
桐野美也子
みんな話ができる人だったんで。
atauseg
すごい天国じゃないですか。
桐野美也子
めっちゃ楽しかったアピールあります?その環境下の。
atauseg
楽しかったアピール。
桐野美也子
辛かったもあるのだろうが。
atauseg
辛かったもあるんだろうが。
でも何て言うんですかね、単純にみんなで盛り上がれるっていうのは良かったですね。
とは言いつつ、そういうコースなのでみんな将来はエンジニアで働こうとかそういう人たちが多いわけで、
微妙にみんなライバル、みんなライバルなんだよねみたいな感じで、
腹の底は隠しながら、
桐野美也子
盛り上がれるとこは盛り上がりつつも、本当はどうなの?みたいな。
オタクどんな感じですの?みたいな感じで。
ピリピリする部分もあるんだ。
atauseg
ちょっとこう、ちょっとこう微妙なピリピリするとこはありましたね。
特に終始だったんで、やっぱ1年しかないんで、
みんな就職活動もしながら、
コースワークだりなんなりで、
桐野美也子
あいつは面接行ったらしいぞとか、
atauseg
あいつはどうだったらしいぞとか。
桐野美也子
俺ら1年間のマスターコースだったら、そんな山のようにいないでしょ?メンバーは、そんなたくさんは。
atauseg
そうですね、コース的には。
桐野美也子
何人くらい?10人とか?もうちょっといるの?
atauseg
いやもうちょっといました。でも結構多かったんじゃないですかね。
桐野美也子
これトートマスターだと結構いるのか。
atauseg
そうですね、トートマスターだと、ま、でも50はいた。
桐野美也子
あ、そんなにいんの?
atauseg
あ、理系だとそれくらいいるのか。
結構いたんじゃない?100がいたか。
ま、あとパートタイムで生きてる人もいたんで、
1:12:00
atauseg
パートタイムの人が入ってきたりするとわかんないですけど、
あと、あの、4年、なんですか。
M.Engとか、バチラーとセットになってる。
でももしかしたら一緒に受けてたりしてたかもしれないんで、
トートマスターの1年のトートマスターで何人かはわかんないですけど、
授業は結構、50人とか、数十人は確実にいましたね、教室に。
そりゃ、そんなライバルすごいな。
その中で留学生も結構いたと思うけど、日本人は1人だけみたいな感じ?
そうですね、マスターには1人でしたね。
あとはバチラーに1人と、ファウンデーションで同じタイミングで入った人が1人いましたね。
桐野美也子
あ、そうなんだ。
いずれは入ってくるのかなみたいな感じですよね。
atauseg
かなり刺激的だなぁ。
そういう環境で見るF1はまた一味違うんだろうなっていう。
そうですね、やっぱ、本当にこう、何て言うんですか。
研究とは言うと大げさですけど、やっぱりこう、
自分が扱う対象として見てる部分はあったと思いますよ、みんな。
単純に息抜きで見てる部分も全然あったと思いますけど。
なるほどね。
桐野美也子
それを終えて帰ってきたわけだ。
atauseg
終えて、グラジュレットビザ。
グラジュレットビザで2年くらい就活をして。
桐野美也子
おぉ、いたんだ、向こうに。
atauseg
いましたよ、出ました。
だから先月、去年の12月あったままでいました。
桐野美也子
つい最近じゃん。
去年の、え、だから2024ってことだよね。
atauseg
はい。
桐野美也子
おぉ、そうなんだ。
atauseg
で、ずっとだからやっぱりモーター、F1。
F1だけじゃなくてモータースポーツ系で、
イギリス及び、正直もうどこだって行くつもりでやってたんですけど。
そう、当時イギリスを中心に就活をしてて。
で、何チームかは、実際面接までは何チームかしたんですけど、
引っかからずに、日本でも応募してたやつで、
運良く拾ってもらえたんで帰ってきたって感じですね。
桐野美也子
あっ、そうなんだ。
じゃあ、それもやっぱりレースのエンジニア関係ってこと?
atauseg
レース、モータースポーツ系の地点が活かせそうなポジションを一応探して。
1:15:06
桐野美也子
あ、そのレースに限らず。
atauseg
レースに限らず、はい。
いわゆる自動車メーカーも含めって感じですね。
桐野美也子
それでオファーがあったわけですね、じゃあ。
atauseg
はい。
なるほど。
桐野美也子
じゃああれがちょっと志半ばで帰ってきた感もあるのか。
atauseg
まあ、多少はあるんですけど。
桐野美也子
でもね、キャリアだと本当にね、右を曲折していったりするからね。
どうなるかわかんないよね。
atauseg
まあ、やっぱなかなかね、グラジュエットのポジションはどうしても向こうだとないんでね。
その辺の難しさは、あとビザもいろいろあるんで。
桐野美也子
そうだよね。
atauseg
職力積んでこいよ的なところもあるんだろうね。
桐野美也子
いやいや、でも面接まで行くのは立派ですよ。
atauseg
ここは使えるか、この辺の話はちょっと使えるかわかんないですけど、
桐野美也子
アストンの面接は現地行ったんで、新しいファクトリーで面接をしたりだとか。
ジョブインタビューですね。
atauseg
普通にジョブインタビューをして。
あれですよ、フォーミュラー1もドメニカリンのところも面接行って。
桐野美也子
何の仕事があるんだろう、まあいいけど。
atauseg
一応だから、たぶんレギュレーションとかそういうの用に、
エンジニアが必要なの?
F1側でもパフォーマンス分析がしなきゃいけないみたいで、
それで募集して、募集があったんで。
昔だからバーニーがいたオフィスなんですかね。
たぶん場所そのまんまで、ロンドンのど真ん中に。
桐野美也子
ここどこにあんの?
atauseg
えっとですね。
位置的にはオックスフォードサーカスとヒカデリーサーカスの間のオフィス群の中にありましたね。
場所なんて言えばいいんですかね。
そこから坂下ったら、丸に行きますよ、丸に通じてますよなんて言っても、
そんな通りはいっぱいあるから、全然特定で。
桐野美也子
昔、リバティになって場所は変わってないのかね。一緒なのかな。
atauseg
Googleマップで。
たぶんか。
1:18:02
atauseg
あれね、昔はナイツブリッジだったんでしたっけ。
桐野美也子
そう、ナイツブリッジが本当に昔あったんだけど。
ナイツブリッジだが、あれはナイツブリッジにあったが、プリンセスゲートに面した。
atauseg
これも本当にどこでもない場所なんだよな。
桐野美也子
最寄りはナイツブリッジだったんですよ。
atauseg
そうなんですね。
桐野美也子
これもなんという場所でもないんだよな。
CITYはビクトリアン・アルバート・ミュージアムが近いっていうか、
VAの辺りなんだけど。
atauseg
そうですね、最寄りピカデリーサーカスですね。
移転したんですね。
移転してるね、たぶん。リバティーになってね。
ピカデリーサーカスは有名な交差点の横額で、
ハイマーケットの通りに入って、
一本路地入ると、ちょっとオフィスの塊があって、
桐野美也子
あの辺にあります。
ハイマーケットのところの、ちょっと細い路地入る系のとこね。
atauseg
そうです。
桐野美也子
細い路地入る系っていうか。
確かに、この辺だったらピカデリーサーカスだね。
やっぱ移転してんだっていうか、すごい場所にあるね。
すごいとこにあるんですよ。
atauseg
写真撮り忘れたんですけど、
マシンがあって、オフィスのビルの中にどうやって入れたんだっていうぐらい。
どうやって入れる間口がみたいな感じなんだよね。
桐野美也子
中で組み立てたんかな。
なんでしょう、じゃないですかね。
atauseg
そっか、場所が変わってるんだね。
なるほど、そういう経験もっていうので。
桐野美也子
なんかあれだね、印象に残るよな。
atauseg
そりゃ印象に残るわな。
この辺のことは話せることも話せないこともあると思うんで、
またいずれっていう感じですけども。
桐野美也子
結構なんか、こっちから全部聞き出せとかは分からないけど、
結構一通り歴史を聞いたような気がする。
atauseg
なんか、あとアツセグさん的に追加しておきたいポイントみたいなのが、
あればぜひって感じなんだけど。
そうですね、どうします?一応前世の話しますか。
1:21:03
atauseg
そっか、前世の話か。いいですよ、ぜひぜひ。
桐野美也子
前世の。
我々の前世の話ですね。
atauseg
前世の話をするとなると、どうやってまずポッドキャストにたどり着いたかっていうと、
ポキケン絡みの話にもちょっとなってくるんですけど。
ポッドキャストを使い始めたのは、
ちょうど2010年ぐらいに高校に入学して、
当時通っていた学習塾での英語の授業と言いますか、
英語の単元の振り返りをするのに、
その1回の会で出た単語がまとめられた、単語とか扱った文章をまとめた資料をポッドキャスト上で配信してたんですね。
変わってる。
なんで、自分でそのポッドキャストを探して、
一時自分で逐一サブスクをして、ダウンロードをしてっていうのをやり始めたんですね。
桐野美也子
塾の教材をね。
atauseg
塾の教材を。それでポッドキャストっていうものを、
なんだかんだずっとMacユーザーだったので、珍しく。
いいと思います。僕もですよ。
なので、ポッドキャストっていう実装を見たことがあるものは全然使ったことがなかったものを使うようになって、
そしたらいろいろコンテンツがあるのを見るわけじゃないですか。
なんかF1ってあんのかなと思って、F1って打ったんですね。
そしたら、とあるポッドキャストがバンって出てきたんですね。一番前に。
でも、それには自分が打ったF1はFと1だけだったんで、
そこにはそのバンって出てきたポッドキャスト番組には、その文字はなかったんですよ。
桐野美也子
含まれてなかったんだ。
atauseg
含まれてなかったんですよ。カタカナで書いてあったんですよ。F1って。
で、すごいポップなキャラクターがバンって出て、これはF1と言いつつF1ではないなと思って、
存在を認知しながらも違うものだと思って、結構放置してたんですね。
1:24:02
atauseg
で、しばらく経って、結局これは何なんだと思って、興味本位で一回聞いてみたら、
まさかF1の話だったっていう、そういう流れで聞き始めましたね。
桐野美也子
なるほど。しばらく疑ってて。
atauseg
しばらく疑っていたものの、本当にF1の話をしている、しかも日本語のポッドキャストがあるんだっていう人で聞き始めまして、
で、ちょうど聞き始めたタイミングが、たぶん鈴、日本グランプリの。
桐野美也子
ああ、そうか、2010、そうですね、さっき出てた。
atauseg
タイミング、前のちょうど1ヶ月もないぐらいなのかな。1ヶ月ぐらい前のタイミングだったの。
おいおいを見に行くぞっていうタイミングで、で、久々だったんで、鈴鹿に戻ってきてから。
そしたら、お便りも募集してるらしいぞということで、これは聞いてみるんじゃないかと思って、
お便りもして、っていうのが最初ですね、たぶん。
前世の番組に関わり始めたの。
で、鈴鹿のタイミングだったんで、名刺交換会とかもやるっていう話で、
まあなんかよくわからないけど、面白そうだからちょっと行ってみるかと言って、参加したのが最初ですかね。
桐野美也子
それが鈴鹿だったってことか。
atauseg
それが鈴鹿だったってことですね。
桐野美也子
すごいあれだね、名刺を交換して回ったわけだね、じゃあ。
atauseg
そうですね。
そん時に、それまで他のファンと何かをするっていうことをしたことがなかったんで、
そういうコミュニティというものが存在し得るっていうことを全く知らない。
全く初めての体験だったので、
人と話、今まで見に行っても家族と、誰かと何かをするとしても家族とするだけだったので、
本当に知らない人に話しかけていいんだとか、
交流をしていいんだっていうのが、やっぱりすごい当時の自分にしては驚きというか、
1:27:02
atauseg
今までにない体験だったので、他のファンっていう存在を初めて認識した。
コミュニケーションが取れる存在として初めて認識したのがそこだったんで、
すごい見方というか関わり方が変わりましたよね、そこで。
桐野美也子
それが高校生の時か。
atauseg
そうですね、ちょうどツイッターとかソーシャルメディアがより一般的になりつつある中で、
そういうソーシャルメディアも含めたコミュニケーションをしながら、
F1の見方が広がっていくっていう経験は、当時の高校生の僕にはすごいインパクトありましたね。
大学に入る前だもんね、周りに友達が。
桐野美也子
周りはたぶん年上というか大人のほうが多かっただろうし。
atauseg
そうですね、大人が多かったですね。
なおさら普段触れ合わない世代というか。
でも普通にこっちの受け取りとしては特に違和感なくって言うとあれですけど、
普通にお話ができたりしたので、
すごいいいな、楽しいなって思った印象ありますね。
決して深い会話ができたわけでは当時はなかったと思うんですけど、
感覚が共有できるというか、そういう経験はやっぱり良かったですね。
桐野美也子
僕も厚生部さんのことはすごい印象に残ってましたけどね。
何回会ったの?そこだけ?一回だけ?
atauseg
いや、そんなことない。
何回か。
ロッコンギでも。ロッコンギのやつも行ったし。
いつだっけ。
確かブレーキ博物館でしたっけ。
菌市町だかどっかで。
1:30:00
桐野美也子
あ、なんかあったな。
atauseg
なんか行ったな、それ。
なんだっけ。
桐野美也子
言われてみれば、中身は何も覚えていないが、行ったことを覚えてるぞ、なんか。
atauseg
なんか行きましたよね。
桐野美也子
元コムが持ってきたネタだったのかな、ブレーキ。
なんか行ったな。
atauseg
ぐらいですかね。
あと鈴鹿で会いに行った。
鈴鹿で13年は。
13年後だ。
そんなぐらいです。たぶん2、3回はお会いしたことがあるはずですね。
桐野美也子
すごい印象に残ってたんで。
atauseg
今お互い名前は違うんですけど。
アツセグ?
桐野美也子
なんかどっかでこういう名前が。
ここで詳しくは述べられないが。
もしかしたらこれ知ってるんじゃないかみたいなね。
そういうのが今回のやりとりであったんで、聞いてみたらそうだったみたいな話がありましたけどね。
atauseg
そこをその前世のあれを認識して、
ファン同士の交流というものに初めて遭遇してから、
大学入るまでがすごい見てましたね。
すごい一番熱心に見てた時期だと思います。
F1というものを。
ファンとしてっていうか。
桐野美也子
レースを追うみたいな。
atauseg
すごい熱心に見てたと思います。
桐野美也子
なんかさっきね、中学入学前にミハエルが引退して、
なんでF1見ていったのかなみたいな話をしてたけど、
その時のふわっとした感じに比べると、
この高校の後半なのかな、かなり見てたなっていう印象なんだ。
atauseg
そうですね。
ちょうどミハエルが復帰をして、
20年に復帰したっていうのはもちろんあったと思うんですけど、
そっか、そうだよね。
そこからより違うエッセンスが入ってきて、
ブーストがかかったっていう感じですかね。
1:33:02
桐野美也子
その時はもうあんまりミハエルだけを見てるんじゃなくて、
やっぱりもうちょっと広めに見てるみたいな感じなの?
atauseg
そうでしたね。
最初は多分、
もしかしたらタイトル争いをしてくれるかもしれないという期待感もありながら、
多分最初は見てて、思ったよりパッとしなくて、
なんだよって多分思ってたと思うんですけど、
やっぱり明らかに雰囲気変わってたじゃないですか。
atauseg
フェラーリに行ってバリバリやってた頃のちょっとピリピリした感じから、
笑顔を携えながら、
atauseg
たとえQ2で落ちても笑顔で手を振ったりしてるところを見て、
もうそういう次元で戻ってきてるわけではないんだなっていうのを薄ら感じて認識してから、
atauseg
多分もうちょっと楽しんでくれよみたいな感じに見えるようになったと思うんですけど、
なるほど。
自分もそうじゃないよねっていう。
桐野美也子
なるほど。ミハエルもそういうスタンスで山と付き合ってるんだっていうのから自分もね、
atauseg
そんなにミハエルにっていうんじゃなくてっていうか、
桐野美也子
ちょっとリラックスしてみるみたいな感じ。
そうですね、ちょっとそんな感じになっていきましたね、多分。
ちょうどミハエルが復帰した時でもあるし、
atauseg
そっか、なるほどな。
桐野美也子
結構いろんなことが重なるね、タイミングタイミングでね。
atauseg
そうですね。
リカエルってやっぱいろいろありますね。
桐野美也子
今の僕の番組は、これもまた偶然見つけたみたいな感じだったんですか?
一旦前世はあったとして。
atauseg
一番前世が、前世をたぶんちゃんと聞き切って、
一旦これで終わったんだなと思って、
あんま覚えてないんですよね、今の番組をどうやって見つけたか。
なんで見つけたんだろうっていうふうに思ったんですけど、
なんでなんでしょうね。
墓場から声がしたんですかね。
1:36:02
桐野美也子
呼ばれた。
atauseg
なんかたぶん、母姫を見たら、ふっと見たら、あれってなったような気がした、
たぶん昔の名前で何かを見つけた、
多分今どうなってんだろうなって見て、検索をかけたら、
うっかり今のもついてきたみたいな感じだったような気がしますけど、
桐野美也子
なんだこれ、みたいな感じでね。
atauseg
そしたらなんか、ちょっと聞き覚えがみたいなような気がします。
桐野美也子
なるほど。それも偶然っちゃ偶然ですけど。
atauseg
それも偶然でしたね。
桐野美也子
確かに。偶然が作用するところは大きそうですね。
ポッドキャストの露出のしなさっていうのがあるから、
見つけるっていうのは結構偶然もあるのかなっていう感じはあるよね。
atauseg
いいっすね。
桐野美也子
また集まりとかもやるといいのかもしれないですけども、
atauseg
なかなか難しいなと思いながらやってますけど。
これどうですか、また日本に戻ってきてまた東京暮らしですか、じゃあ。
そうですね、東京暮らしですね。
某愛知県の自動車メーカーに入ったはずなんですけど。
桐野美也子
金馬東京。
atauseg
金馬東京っていう。
桐野美也子
ずっと東京だろうから、それはそれでいいのかなっていう感じですけどね。
それはそれでまた楽しくやっていただいて、という感じですね。
という感じで、なんかめっちゃ喋ってるな。
もう1コマ90分ぐらい喋ってるんだろうな。
結構喋ってますね。
出てきますね、いろいろ。
出てくるのが真鱈に出てくるのがいいよね、リアリティ。
そんな綺麗に年表で出てくるわけないから。
真鱈に出てきて、僕もなるべくメモは取ろうとはしてたんだけど、
これを話す前にここのところのここだなとかね。
atauseg
今回ここがここなんだとか、結構あって面白かったなって。
そうですね、やっぱ真鱈に出てきますね、いろいろ。
1:39:01
桐野美也子
たぶんこれでまた語り、じゃあって言って、また後で思い出すんだろうなみたいなね。
atauseg
そうですね。
桐野美也子
もうちょっとさっきブレーキ博物館っていうキーワード打ち込まれて、ちょっとなんかあれだもんね。
どっかドアが開いてるとかあるもんね。
atauseg
あったな、そんなことっていう。
桐野美也子
あったね、こんなところにこんなものがあった印象でしたね。
atauseg
まだあんのかな、ちょっとあったら映ってみてもいいなっていう感じがしましたが。
桐野美也子
まあまあでもこんなところですかね、じゃあね。
今日のところはね、こんなところかなっていうことですが。
いやどうですかね、2歳ぐらいの話から始まってますけど。
そこはまあ。
atauseg
まあまあ置いといて。
桐野美也子
置いといてだけど、まあ5、6歳からみたいな感じですけどね。
今のキャリアにつながるところがつながってましたかね、なんかね。
atauseg
つながってると思いますよね。
そうだよね、なんかちゃんと整理したら本当私の履歴書じゃないけど、なんかもう物語になるんだろうなっていう感じがあったよね。
atauseg
そう、なんでこう、セナが亡くなった後にこう、そもそも生まれて。
なんていうんですか、多分日本の中でF1っていうものの人気が下火になりながらも、
なんとかこう、それでも続いていく中で、F1を見続けて。
もうF1自体もどうなるんだろうなっていう流れの中でリバティーになって、
なんかドライブトゥサバイブですごい全世界的に盛り上がって、
なんか自分はなんかずっと同じ歩調で歩き続けてたはずなのか、
すごい急に周りに人がいっぱいいて、なんかちょっとこんな流行ってんの今みたいな感じで。
最近本当びっくりしますよね。
桐野美也子
自分の人生的には初のブーム来てるっていう。
atauseg
そうですね、こう、だからF1ブームをこう知らないんで。
桐野美也子
そうか。
atauseg
そうで、ドライブトゥサバイブから見始めたわけでもないんで、
基本的に盛り上がってない、あんまり盛り上がってないものっていう認識の中で、
日本、主に日本でですけど、世界的にはそんな変わってないのかもしれないですけど、
1:42:02
atauseg
なんかこう、初めて上向きの軌道に乗っている周辺を見るっていうのが、
なんか最近は新鮮ですね、そういう意味では、感覚としては。
桐野美也子
そっか、初めて風が吹いてるって。
こんな物心ついた時から錆びれた場所だったのに、みたいな。
atauseg
不安になったりして。
桐野美也子
大丈夫だろうなっていう。
atauseg
そういうことですよね、やっぱり。
新しくなってますよね、なんか。
やっぱね、来てんだろうね。
桐野美也子
それこそ、ご両親はF1ブームを受けた世代だったっていう話だったから、
やっぱりそういう世代とは違うもんね、なんかね。
昔盛り上がってたけどっていう世代じゃないからね。
atauseg
そうですね。
ずっと盛り上がってなかったけどっていう世代だったからね。
そうです。
セナは知ってるんだけどね、とも言えず。
盛り上がってたよね、と言われても、そうみたいですね、としか言えず。
だよね。
桐野美也子
そうか。
まあそうだよね、セナとか、この辺の名前を言われてもっていうところもあったかもしれないですけどね。
そのあたりすら今ブームだからかわかんないけど、掘り起こされてね、ドラマになったりもしてるし、
なんかまた新しい動きがあるなって感じですよね。
atauseg
そうですね。
セナまだ見てないんですよね。
桐野美也子
はい。
atauseg
ぜひ。
桐野美也子
見たら面白いのかな?わかんないんだよね。あれもさ、面白いのかな?
アツセロさんに見てほしいわ。
atauseg
こう、セナを、そのセナっぽの知らない勢が見たらどうなるの?
桐野美也子
知らない、そう、どうなんだっていう。
でも僕も微妙にずれてるから、世代としては。
atauseg
そんなセナを直接ずっと見てた歴が長いわけじゃないから。
桐野美也子
どうなんだろうなっていう。
リスナーの皆さんからの熱い思いみたいなのを受けると、そこまで熱くなるかっていうところもあるから。
atauseg
これちょっと一回見てもらったら面白いかなっていう。
桐野美也子
そうですね。見てみようかな、じゃあ。
atauseg
なんか何かがあるかもしれない。
桐野美也子
まあまあ、その辺はまたお便り等でいただければと思いますが。
1:45:00
桐野美也子
はい、すいません。
じゃあまあまあまあ、なかなかありがとうございました。
atauseg
いえいえ、ありがとうございます。
桐野美也子
また何か、また一定程度思い出したら第二弾があっても全然大丈夫なんで。
とはいえですけどね。
結構いろいろ面白い話聞けたんで、ちょっとまたまとめてポッドキャストで出してみようかなと思いますんで。
ありがとうございます。
atauseg
ありがとうございます。
桐野美也子
というわけで、今日はアツテグさんに来ていただきました。ありがとうございました。
atauseg
ありがとうございました。