HASHIWMさんの自己紹介

皆さん、どうも。こんばんは、桐野美也子です。
今日は、F1ログのスピンオフ企画で、いつもこれスピンアウトって言いそうになるんですよね。
スピンオフですかね、番外編で。F1ファンの物語っていうのを始めまして、今日で3人目です。
今日は3人目のゲストで、前回Shinya.Sさんが名前を挙げてくださっていたHASHIWMさんに来ていただきました。
HASHIWMさん、こんばんは。

こんばんは。古参の谷世代のHASHIWMです。

古参の谷というね、名称がありますけどね。HASHIWMさんです。
僕はHASHIWMさんから最初にお便りというか、メールをいただいた時に、この名前どうやって読めばいいのかなとか、ちょっと多分思ったと思うんですよね。
これは発音あってますかね。

あってるし、多分カタカナで読めるように送ったとも思うんです。

そうか、そういうタイミングもあったんですね。
それで読めるのか。
これ名前の由来的なのって伺っても大丈夫そうですか。

特にF1とかは関係ないんですけども、トルコ系とか中東系の名前に興味があって。

そうですよね。

なんで、ネットフリックスかなんかで、メフメト二世の話を見てた時に。

メフメト二世の話。めっちゃ面白そうだな。

それで知り合いと話をしてて、じゃあ自分の、正直苗字からもじってるところがあるんですけども。
で、もじるならどうかなってことでHASHIWMっていう感じで。
そんな感じで、なんかどっかで使うニックネームはこれにしようっていうことで、やってるんで。
だからプレイステーションとかのアプリなんて正直これになってる。

じゃあ、どっかで見かければ。

そうですね、はい。私、グランツーリスモとかで見つけたら、私ということが多分わかると思います。

なるほどなるほど、じゃあソニーのIDの方でもね、そっちになるかなっていう。
確かになんか、西洋の名前はよくニックネームでつけますけど、
アラブっていうかね、中東の名前ってあんまつけないですよね。

ちょっとその、メフメト二世の話を見た時にちょっとかぶれて作ったニックネームです。

なるほどね、そこからのってことですね。
なかなかいいんじゃないですかね。
メフメト二世、オスマントルコですよね。

オスマントルコってコンスタンチノープルを攻略したっていう有名な。

そうか、コンスタンチノープルを攻略したのがメフメト二世なのか。
あーそうか、超有名人ですね。

超有名人ですね、はい。
最近中東開催も増えてるっていう、こじつけるとそういうとこもあるんで。

アラブ地域にリスナーがいたら、なんか似たような名前のやつがいるなと思ってるかもしれないですけどね。

確かに覚えてくれるかもしれない。

そうですよね、これからはそういうグローバルな時代ですからね。

そんなとこですね、はい。

ありがとうございます。
F1との出会い

はい。
じゃあ、そういうHASHIWMさんを今日は迎えてということで。
えーと、じゃあちょっとそうですね、物語を伺っていこうかという感じなんですけど。
雑談なんですが。
そうですね、やっぱ最初はF1に興味を持ったのはいつ頃だろうみたいな話をいつもしてるんですけど。

すいません、すいません。
1個ちょっと、1個挟んでいきたい話がありまして。

いいですよ。

今年って2024年じゃないですか。

そうですね。

それでF1選手権が始まってから74年になるのかな。
それで、ある本の、グランプリカー大全集っていう本ご存知ですか。

はい、ありますね。

あれの巻頭になんでこのタイミングでこの大全集を作ったかっていう話が載ってまして。

はいはい。

それで、ちょうど1987年から今が、ちょうどそのF1世界選手権の歴史の半分の長さに当たるらしいんですよ、今年が。

ん?
どういうこと?

わかりにくいか。

全体の、え、どういうこと?

F1世界選手権が始まって今年で74シリーズ。

まあ50年からですもんね。

1987年から今年まで数えると37シーズンなんですよ。

はいはいはい。

だから日本にF1文化が本格的に入ってきて、今年でやっとF1の歴史の半分に並んだってところなんです。

並んで、この先はだんだん追いつかないけど縮まっていくという。
そういう半分なんだ。

昨日たまたま2月に出た本なんですけど。

そうですね。

昨日たまたま。

出たばっかですよね。1月ぐらいかな、2月。

そうですね。今年の初めに出て、昨日たまたま手に取って、それを読んで、全然気づいてない数字だったんで、ああーって思って。

じゃあまだ半分だったらまだまだ日本人に勝てなくても仕方ないかなとか。
納得の理由にしたりしてね。

だからやっと歴史の半分を過ごせたのかっていうちょっと感慨深い気持ちになったんですけどね。

でもまだ半分なんですね。

そうなんですよ。だからまだ半分なんですよ。

もうちょっといってるような印象がありますけどね。

なんかもう当たり前にいていい存在になってる気持ちになってましたけど、まだ半分なんだなっていうのをちょっと感じたっていう余計な話でしたね。
中嶋悟の影響

すごい全体的なスケールとしてはまだ日本人がいって半分っていうのが。

そうなんですよね。

面白いね。すごいね、そのグランプリカー大全集もね、あれ三栄書房のやつですよね。

そうですね。

よく考えたね、そんなことね。

だから半端なタイミングでなんでここでまとめたのかっていう理由で書いてあったんですよ。

74年でね、なぜ74年分でまとめるんだみたいな。

ちょっとそれをなんか今日お話し取りにあたってなんかすごい昨日ガツンってきたんで、
多分まだポッドキャストのほうでもお話ししてなかったと思うんですよ、その歴史の半分だっていうところが。

全然それは出てないですね。

なんかちょっと頭にお話ししておきたかったなと思って今話しちゃったんですけど。

いいですね。

すいません。

次回のポッドキャストのネタにオープニングのネタにしようかな。

そうですね。
ぜひお願いします。

忘れてたりして。
ということで、じゃあ始めていきましょう。
HASHIWMさんはじゃあ、そもそもF1に興味を持ったのはいつ頃かっていうざっくりした質問なんですけど、覚えてたら。

出会ったのはもう確実に覚えてて、古参の谷世代特有の時期ではあるんですけども、
1987年の開幕からではなくて、
1987年の日本グランプリの中継を見たというのが、
F1に出会ったタイミングですね。

それはだからフジテレビで生中継だったんですかね。

あれはですね、ゴールデンタイムの録画放送だったんです。

日中ではなくて夜。

だから7時、8時とかそのあたりでやってたと思います。

それはもう偶然ですか。

それ偶然ですね。

周りで、今日F1あるらしいぜみたいな話じゃなくて偶然見ちゃって。

僕、年齢はみなさんにはだいたいこれぐらいだと思ってわかっちゃうと思ってるんで言っちゃいますけど、
そのときは小学校6年生だったんです。
それで、サッカー。今でもやってますけど、サッカーのクラブで試合があって、
夜過ごしててテレビで偶然出会ったって感じでしたね。

それは何か偶然、サッカー少年が車のレースを偶然見たんですけど、
この時は何か盛り上がったりしたんですか、どうだったんですか。

見て圧倒されたのがやっぱりオンボードカメラですね。
当時の中嶋についていた。

そこでいきなりオンボード。

空力抵抗と電気をすごい食っていたと言われるオンボードカメラ。

巨大な巨大なカメラですよね。

そうですね。
それプラス、後から考えて何かなと思ったのが、
やっぱり日本人初のっていうところに一番捕まりましたね。
中嶋悟が挑戦してるっていうところでしたね。

そこなんだ。
そういう情報は実況解説が補ってくれたってことですよね。

そうですね。
それプラスそこまで中嶋悟が、
そういうF1に初めて日本人たちに挑戦してる情報がなかったから、
そうなんだっていう驚きとともに引き込まれた感じでしたね。

知らなかったっていう。

そうですね。

そのときサッカーをやってるときには、
サッカーで憧れてた人とかはいたんですか?

もちろんそうですね。
それこそその頃はマラドーナとか。

いきなりもう国境越えてるんですね。サッカーのほうがね。

そうですね。
サッカーを見てたがゆえに海外に目が向いてて、
そこにやっぱりF1も合流してきた感じです。
そっか。サッカーのほうが先に海外の選手とかに目が向いてるから。
そこにF1がちょっと入ってきたというか、被ってきたみたいな感じなんだ。

それでどうですか?最初に、それは偶然でやったんですよね?

偶然です。

87年の日本グランプリに。
そこからHASHIWM少年はどうなっていったんですか?

そこからその次の当時の最終戦、オーストラリアは全然もうノーマークだったんですよ。

そのとき正直。
次で終わりですもんね。

当時は16戦目がオーストラリアで終わりだって。
そのオフぐらいからコンビニに雑誌が置いてあるのが、
たぶんグランプリエキスプレスのプレシーズン号とかだと思うんですけども。
それを手にして、そこからもう寝ても覚めてもF1の日々でしたね。

そんなところのきっかけでパッと行っちゃうんですかね。
今振り返ってみたら何がそこまで車に行かせたんですか?

もうちょっと段階があって、その次の88年の開幕戦ブラジルを深夜起きてみて、
そのときに当時は今のネルソンピケサーキットで、昔はジャカレパグアサーキットでしたね。
バックストレートがすごい長いコースなんですけど、そこに仮設スタンドがずらーっと並んでて、
そこを例えばセナとか当時のグージェルミンが通るたびにウェーブが起こってるんですよね。
プラジル人が。
その熱狂ってなんでこんなに人が熱狂するんだろうなっていうところにすごく惹かれたというか、疑問を持ったというか。
そこに掴まれてたんですよね。

そういうスタンドの風景ってサッカーでは見慣れてたりとかっていうことはないんですか?

そうですね。そういう人の熱が見える状況って今でもすごい好きなんですけども。
だから意外と車っていうよりも人なんですよね。結構F1を見るときの興味を持つところっていうのは。

選手という人なんですね。

関わる人の情熱が見え隠れしたりとか、そういうところが結構好きなんですね。昔から。
もちろん車っていうのは見るにあたって必要な情報なんで、当然詳しくはなるんですけども。

小学校6年生よりもっと小さい頃考えて車好きだったなとか、あんまりそういう思い出もない感じですか?

でもブリキっていうか、今でいうプラスチックのカウルでできた足こぎのポルシェみたいなのに乗って遊んでました。

足こぎのポルシェね。

たぶん幼稚園行くとか行く前からそういうのに乗って、
家の廊下を走ってどうやったら直角コーナーをうまく抜けるのかなっていうのを考えてたのは記憶にあります。

挑戦してた?

そういう素養はあったんじゃないかなと思うんですね。

でも思い出すのはそれぐらいな感じね。

そんなにだから、車車っていうふうに熱中はしてなかったですね。

そうみたいですね。
じゃあサッカーのほうがすぐ先に来てって感じですね。
さっき中嶋悟の話がありましたけど、こんな活躍してるのがいるのかみたいな感じなんですね。

だからしばらくはもうやっぱり中嶋中心のF1観戦でしたね。

そこは中嶋なんですね。

最初は中嶋で、たぶん当時見てる方はみんなそうだと思うんですけども、
F1への情熱と影響

中嶋プラス自分のお気に入りのドライバー、外国人ドライバーっていうのが、今もそうかもしれないですけど皆さん。

だいたい何そういうセットで揃えて。

そうですね、そうだと思います、皆さんは。

これまた聞いた方からいろいろどうだったって話を聞いてみたいですよね。
じゃあ当時の橋本さんはどうだったんですか、中嶋ともう一人。

中嶋と私はもうナイジェル・マンセルですね。

そこはマンセルなんですね。

マンセルはたぶん、キャノン・ウィリアムズ・ホンダの、
そのマシンの絵とかは別で見てると思うんで、
あのマンセルのヘルメットとウィリアムズのカラーが、
キティよりかっこいいなっていう感じで、最初はマンセル。
キティよりかっこいいなっていうのがマンセルに近いましたね、最初は。

なんか別にブラジルに贔屓していくとかそういうこともないんですね、
サッカーからみたいなので。

そうですね、どっちかっていうと僕、サッカーも昔からヨーロッパが好きなんですよ。

そうなんですか。
当時でヨーロッパでっていうと、どこの国のクラブっていう感じになってたんですか。

ユベントスとか、今でもユベですけど。
トヨタカップとか、今でいうクラブワールドカップみたいのが昔、
トヨタカップっていう世界一決定戦があって、
それは直接見に行ってプラティニとかは生で見てたりするんで。
そうなんですね。

じゃあもう、どっちかって言うとヨーロッパの方が人気出ててっていう。

そうなんですね。

で、マンセルなんだ。
セットでって面白いですね。今もそうなのかな。
角田と誰かをセットでみんな見てるのかな。

だいたいその角田のポジション気にしつつ、先頭争いとかっていうのは、
たぶんみんなそう見てんじゃないかなって私は勝手に思い込んでるんですけど。

なるほどね。そういう見方なんじゃないかというね。
じゃあもう、これで87年に偶然見て、本当に偶然からですね。

最初は本当に偶然でした。

偶然見て、で、雑誌があるのに気づいてみたいな。
で、88年からは結構レースも見ていく感じなんですか?

全部見てますし、たぶん1グランプリ5、6回は見直してましたね、当時。

めっちゃ見てんな。
どういう観点から5回見れるんですか、同じレースを。

正直なんか理由はないって思いますね。単純に興味があって。
言いようがないかもしれないですね。

フジテレビの録画だから、実況とか全部入ったパッケージ化されたやつを5回、6回見るってことですね。

そうですね。当時の夜中の中継の録画を繰り返し見る感じでしたね。

でもわからなくもないな、同じの何回も見るっていうのは。

時間がありますからね、中学生なんで。
中学生のあり余る時間を使って。

いいじゃないですか。そこが一番学習したデータとしては多そうですね、88年から。

そうですね。88、89、90っていうのもものすごく濃いです、私の中では。

じゃあもう経験の密度が濃いというか。

そうですね。

そりゃそうでしょうね。
その辺で、友達はどうです?周りの友達というかクラスメイトというか、F1ってどうでした?

そうですね、中学の時は一人ぐらいは車の話ができる子はいましたけど、F1となるともう私のみでしたね。

そうなんだ。
中学だから80年代、でも日本でブームが来てた頃ですよね、だからちょうどね。

90年になるとさすがに日本グランプリ見て帰ってくると、ピケの顎上がってるのかっこよかったねみたいな話をしてきた友達はいましたけど。

もうその時鈴鹿行ってたんですか?

88年から3年間はその頃は行きました。

それでピケの話をしてくるぐらいだから、知っている子もいたっていう感じですか?

でも90年になると、あの頃は大ブームの頃だったんで、
だいたい一応みんなクラスメイトもF1っていうのをやってるのは知ってるくらいの認知度でしたよね、当時の。

それはなかなか、先に目をつけてた HASHIWM少年としては気持ちいい感じなんですか?

こう言ってはなんですけど、今みんな流行りに乗ってきたのっていう気持ちがちょっとありましたね。
中学生時代の経験

なに?俺もっと前から見てるんだけど?

たかたか2年ぐらいなんですよね、先に見てる長さは。

あんまり周りから食いつかれても、うーんみたいな感じだったんですか?

そうでしたね。やっぱり同じレベルで話ができないというのはどうしてもできないので、当たりさわりのない返事をしてた記憶はありますね。

つれないですね。

本当に勉強と部活と時以外をずっと考えてたぐらい好きだったんで、当時本当。

そこまで行ってたんですね。

だから帰り道とかちゃんとアウトインアウトで歩いてたりしましたね、あの道を。

ちょっとライン取りを意識して帰るっていうね。

そんな少年でしたんで、当時は。

なるほどね。

だからもう当時の友達は僕イコールF1だと思いますよ、たぶん。

なるほど、じゃあちょっと当時の思い出なんかある?って言ったら、お前F1好きだったよなみたいな。

何せ土曜日休んでましたもんね、日本グランプリ行くときは。当時は土曜日まだ学校ありましたから。

あーそっか、土曜日学校ありましたよね。
それであいつなんで休みなんだっていうときに、なんか鈴鹿行ってるらしいぞみたいな話。

そうですね。

それは確かに周りからあいつF1好きだよなって話になりますかね。

はい。

学校を休んでっていうのは、変な話、家族ぐるみで鈴鹿行くみたいな感じだったんですか?

いや、あのですね、僕、父親は単身赴任の世帯だったんですよ。
それで、当時も父親がいたら、例えば神奈川県だったんで富士とかも行きたかったんですけど、
そういう連れてくれる人はいなかったんですね、普段から。
たまたま母親の職場に来てる人が行くっていう話をして、
その人に私をつなげてくれたんですよ、母親は。

すごいな。

それでその人はまた別のお友達と2人で行くと思い立ったところに私が乗っかりでくっついていったっていう感じですね。

すごい。要するに預けられてというか。

そうですね。

母の知り合いのF1好きな人なのかな?に預けられて行く。
それ3年やったんですか?

そうです、3年やりました。

これはすごい。だって車で行くんですか?

1年目がバスツアーかな、確か。
横浜発でバスで行って、名古屋発で名古屋からまた鈴鹿に通うみたいなバスツアーがあって、それを3人でやって。
2年目、3年目は1人の方がもう金曜日から車で行っていて、
私ともう1人の方が金曜日の夜に合流して、新幹線で現地に入って、それでそこからは車とテントの会でしたね。外泊でしたね。
すごいな。

中学生ですね。

中学生です。

母親と同年代ぐらいの方でした?知り合いというのは。

そうですね。たまたまその方の息子さんが僕と同じ高校に後に入るっていう、それぐらいの感じなんで、多分母親と同世代ぐらいですね。

それはちょっと道中どんな話をしてたのかとかめっちゃ興味ありますけどね。
その年上のF1のファンの人と HASHIWM少年は、だって同年代の奴らにはちょっと物足りなさを感じてたわけでしょ。
F1の情報収集

そういう中で、年上の人と出てきた時ってこれどうだったんだろうってめっちゃ興味ありますけど。

でも臆することなく多分話してましたね。だからこの方もどんなドライバー好きだのって聞かれて。
僕はもう88年から見始めて、当時は情報が限られてるから、最新の情報はもう全部見ちゃうから、過去のF1のこととかを調べ始めてるんですよ、すでに。
だからどんなドライバーが好きって言うと、マンセルとジル・ヴィルヌーヴとかいう答えをしてたのはよく覚えてます。

歴史に遡っちゃってるからね、もうね。

そうなんですよ。

それでそのご同行の方々とは、すごいねみたいな感じで盛り上がってるもんだった?

そうですね。だからそんなのに本当に詳しいねって言うことで、安心していただいてたのがよく覚えてます。

じゃあ HASHIWM少年には、こいつらは話の分かるやつだっていう感じですか?

そうですね。だから今考えると本当にその方がいらっしゃらなければ、今の私もないので、本当当時はたまたまラッキーぐらいに思ってましたけど。

ラッキーですかね。

今は本当感謝に尽きないですね、本当。

いやそれはすごいですね。
テレビ番組とかあったら探して再会する流れですよね。

そうですね。一人の方とは後に仕事の関係でつながってお会いして、そういう話したら息子さんが私と同じ出身校に通ってるとか、そんな話をしたりとかで。
あれは確か2006年ぐらいかな、もう一度改めて再会したのかな。

だいぶ時が下ってからですね。

そうですね。母親の職場も離れちゃったりとかで、ちょっと疎遠になってたりしたんですけども。

なるほどね。
偶然だったんですね。
一緒に泊まって、寝宿を共に静かを過ごすわけですから、相当親しくなるというか、仲が深まりそうな感じはありますけどね。

とはいえ、僕、何も知らない中学生だから。

でも自分は中学生じゃないですか。相手は大人じゃないですか。だからすごい不思議な距離感だったのかな。

多分だいぶ気を使っていただいたんじゃないかと思います。今想像すると。

まあそうかな。それは気は使いますわね。知り合いのところの子供だしな、みたいな感じ。

まあだから、同じ目線で話せる知識は自分にあったのが良かったんじゃないかなと思います。

大人ということなんじゃないですかね。
過去を調べるっていうのは、当時インターネットもないわけですから、
当時過去をジル・ヴィルヌーヴとかに遡っていくっていうのは、どういう媒体で遡れたんですか。

やっぱり書籍ですよね、当時は。

本ね、そこは。
本?出てた?F1の歴史的なんですか?

ちょっと詳しくまでは覚えてない。
例えばマンセルの本とかだと結構早くに出てるんですよ、もうすでに当時に。

そうなんですね。

タイトルだと地上最速の男って、今回話すのに自分の倉庫を漁ってどんなの読んだっけなって調べてみたんですけど。

そういうマンセルの電気みたいな感じですか?

自伝本みたいなやつですね。
これはもう表紙が87年か86年のウィリアムズのマシンが表紙になってるんですけども。
ありますね、地上最速の男F1ドライバーマンセル物語ありますね。
これとか。
87年に翻訳で出てますね。
これはたぶん裏見ると、第三釣りのやつを自分は持ってるみたいです。
88年9月に出てるのを買ったみたいです、自分は。

今僕ブックオフ見てますけどね。
550円というふうに書いてありますけどね。
平価1430円ということですね。

こういうのとか、当時はF1に関する書籍とか映像が少なかったんで、全部渡ってもたぶん全部当たれるぐらいしかなかったんで。
そっかそっか。

とりあえず本屋さんから行って、並んでるの全部取ってもそんな大した量ではないぐらいの。

そうですね、中学生のお小遣いでも買っても全部取られられるぐらいの量しかなかったですね、当時は。

じゃあそこか。
データベース的なものを見るんじゃなくて、電気とか物語を読むと、昔こんなドライバーがいたんだとかそういうのが出てくるというような。

そうですね。
そういう学び方か。

当時はこういう本はマンセルとか、あと誰が出てたか覚えてます?

あともうちょっと後になりますけど、やっぱりセナト・ペルーカーとか、あとクロストっていうのはやっぱり分厚いの。
たぶんソニーマガジンとかは出してたんだと思うんですけども、たぶんそのあたりがそういうドライバーの辞典本はかなり出版されてて。
本から学んだF1の歴史

ジェルビル・ヌーヴのもあって、それが一番自分は好きなんですけど。

あったんですね、ジェルビル・ヌーヴはジェルビル・ヌーヴでね。
こういうの面白そうですね。今は読みたいね、こういうの。

ジェルビル・ヌーヴは今当然好きなゲームは手元にもありますけど。

ちゃんとあるっていうね。

その中でもパトリック・タンベイが、ジェルビル・ヌーヴが自己死した後にディデビューのチームメイトになったんですね、パトリック・タンベイが。
プロにもドイツグランプリで足を潰しちゃって走れなくなって。
そのドイツで勝ったのかな、タンベイが確か。
その時のコメントで、ずっとジルとディディが一緒にいて、もう涙で眉が見えなかったっていうのをそのジェルビル・ヌーヴの本で読んでも、
それを電車で泣いてたのをよく覚えてます、それの本で。

それを読んで自分も泣いてたっていう。

電車の中で泣いたのをよく覚えてます。

それもじゃあ、本を読んでってってことなんですね、その本でっていう。
確かにね、パトリック・タンベイがね、あの死と引き継いで的な物語ってありますけどね。
そうなんだ。
本、書籍で学んだっていう。

そうで、当時の人はやっぱみんなそうじゃないかなと思います。
当然ウェブで引くなんてあんまり得ないんですよ。

ウェブないから。
だからすごい、さっきの年上の知り合いじゃないですけど、
そういう人から苦伝で伝えられるとかね、そういうのがない限りは本になっちゃうのかな。

その方々も、F1時代はやっぱり大人でも子どもでも情報があまり入ってきてないんで、
その方はやっぱり中嶋の話をしてましたね。
当時のF2に乗っていた時の中嶋の話をされてて。

そこは体験した昔話として語れるわけですね、中嶋のF2時代は。

逆に私はもう中嶋がF2に乗ったのは全く知らないんで、当時は。
なので、えーそうだったんだぐらいの感じで聞いてましたけどね。
なるほど。
そっか、じゃあその辺は本で学んでた橋井さんと、F2時代の思い出を語る人っていうので。

食い違ってるとは言わないけど、書くのが違う話がされてたわけですね。
ドライバーとスポンサーについて

そうなんです。

いや面白いね、それは。
ちょっとこの辺りの本は僕もちょっと、意外とこういうの図書館とかにもあったりするんで。

そうですね。

読んでみようかなーって感じがして。

いいんですよ、事件本っていうのは本当苦労が、当時のドライバーの苦労が書いたって本当にいいんですよね。
こういうのね、全然またデータが語るものとは全然違いますよね。

はい、そういう感じで昔に親しんでいくという感じなんですけど。
じゃあそこまでの話を振り返ってみると、結局人間に惹かれたって感じですか、その物語もそうですけど。

それとかあといろんなスポン、当時っていうかその時々イケてるスポンサーがつくじゃないですか、企業スポンサーが。
そういうのにもそもそも興味を引かれました。

例えばどういう。

例えばベネトンなんかは、当時はクラスメイトは全然知らないけど自分は知ってるイタリアのファッションメーカーみたいな感じで、最先端を知れるっていうところですね。

それを知ってる自分もなんかすごい気持ちがいいというか。

そうですね、閉鎖的な日本にいながらにして世界の動きが分かるみたいなのは当時から思ってましたね。

それはそもそも外に目が向いてないと思わないことですからね。
井戸の中にいたら他のこと思いつかないから。
そもそもって話ですよね。
ベネトンね、確かにベネトンってあの頃F1でしか見なかったですね。

だから今でも例えばアラムコの油田が攻撃されたとかっていうニュースがちょっと前にあったじゃないですか。
あれも普通に日本で生活したらアラムコ石油なんて知らないですよね、大体普通の人は。

確かにそうですね。

でもF1の人なら知ってますし。
あと直近でもWindowsのシステムが急に再起動ばっかり繰り返すっていうのの原因がクラウドストライクだったじゃないですか。

そうですね。

あれもだからクラウドストライクっていうのはどんな経由か知らなくてもメルセデスにスポンサーとしてるっていうのはF1の民は知ってるじゃないですか。

そうですよね、これスポンサーで見たぞみたいなね。

知ってる知ってるってなるので、そういう情報が入りやすいっていうのが今も昔もありますよね。

なるほどね。F1で知ってるぞっていうのが結構いい感じで入ってくるわけですね。
そういうのも含めてやっぱり世界の動きが結構わかるっていうのが昔から好きですね、見てると。
もともと橋本さんはそういうのを追いかけたいから、F1もちょうどよかったっていうことなのかな。

それは大いにあると思います。

順番としては多分そっちですよね。
はい。
どの辺からそんな外に目が向いてたんですかね。やっぱりサッカーなんですかね。

でもやっぱりF1で一気にそういう目が開いたっていう感じなのかなって気もしますけど。
なるほどね。なかなか今まで話をいろいろ聞いてきた中ではかなりカーブしてますね。

面白いですね。
でも全然当然レースも好きですし、ジョニー・アルフェンももちろん好きですし。
じゃあちょっとそういうレースの話にしましょうか。

応援するチームとかドライバーって長年見てる中で傾向とか自分の中であったりしますか。
大体強い、速い人はあんまり好きにならないっていう傾向はありますね。
なるほど。

でも最初にお会いしたときはペルスタッペンで固めてませんでした?そんなことないから。
そうなんですよ。あれは正直言うとオランダの代表のユニフォームが着たかったっていうのは結構多い。
そのコーデだった。オランダコーデだったんですね。

そうなんですよ。昔からオランダ代表が好きで、一度外であのユニフォームを堂々と着てみたかったなっていうのもあったっていうのも。
そうなんですね。

強いドライバー、速いドライバーじゃないっていうのはどういう気持ちなんですか。

日本人的に半顔鼻息みたいな気持ちが働くんですかね。

アンダードッグをですね。

マンセル好きになったのもずっとムカンの帝王ってことで、なんかいいところでつまづいちゃうとか、そういう危うさが好きになったりしたのかなとかいうのもありますし。

確かにそうですね。

ペルスタッペンがアミルトンと最終戦で同点で勝った方がチャンピオンだったときも、
結局日本人はホンダのエンジンということもあって、ペルスタッペンをみんな勝ったことを喜んでましたけど、
自分の中ではなんかその、そこで敗れたアミルトンにものすごく心をつかまれちゃって。
それが故に去年お会いしたときにはアミルトンのキャップに真っ黒い姿が。

そういうきっかけだったんだ。

本当にそうなんですよ。

そこで弱い側っていうかね、あんまりそれまで勝ってなかった側を応援するっていうのは、
なおさらペルスタッペンを応援してもいいような感じのシチュエーションではあったじゃん。
ずっとアミルトンがチャンピオンだったから。
でも違うんだ。そこで負けた。

F1に限らず、スポーツってやっぱりいいライバルがいて、いい戦いが繰り広げられるっていうのは、
F1ファンとしての経験

いつも根底に持っているんで、やっぱり一方勝った方ばかり称賛されるっていうのが、
ちょっと待てよって思うスイッチが働くんですよね。

そこで一人でバランスを取りに行ってしまう?
そうなんですよね、はい。
最初でもそれこそマンセルが言ってたときも、
じゃあ圧倒的に強い人がいて?っていうような感じですか、当時。

だからセナはあんまり好きじゃなかったですね、私も。

セナがいて、でマンセルがいて、みたいな。

だからシン・アイスさんと同じように、私もどっちかっていうとプロレスとのほうが好きでしたね、当時は。

その後の時代を下っていくと、じゃあどうなっていくんですか、その流れでいくと?応援の軸は。

チームでいうと、もはやこうしなんでF1が盛り上がってくれればいいって思ってる感じですかね、今は本当に。

それこそセナとかマンセルの後だったら、今度はシューマッハの時代が来ますよね、ミハイルの時代が。
そのときは全然ミハイルじゃないんですか?

やっぱり勝てないフェラーリとか好きでしたね、そのミハイルが出始めの頃は。

なるほど、勝てないフェラーリ。そのうち勝てるフェラーリになっちゃいますね。

勝てるフェラーリになると、今度はウィリアムズが好きでしたね、その2000年になった、開けた頃。

当時のウィリアムズはだいぶ渋いですね。

モントウェアとかラルフの頃は結構好きでしたね。

なるほど、あんまり応援してる人いなかったんじゃないか説もある、ウィリアムズですね。

その頃はそうでしたね。

その後は誰なの?アロンソンなのかな?

アロンソンはやっぱり、グッと上がってきた頃は本当に素直に好きでしたね。今でも大好きですけど。

なるほど、その時の追い上げてくるというか、のぼる上司のアロンソンね。

プラスまたスペイン人初っていうと、初者にまた惹かれたっていうのもありますね。

初スペイン者にね。
じゃあ、絶対王者的なところじゃないところがいいって感じなんですかね。

そうですね。早い人はほっといても早いから、ちょっと他を見ようかなって気持ちになっちゃうんですよね。

早い人が好きな人は、早いのを応援してたら絶対気持ちいいからじゃないのかな?
はい。
だから、橋本さんみたいな見方は、ある意味ストレスが溜まる見方なのかなって気もしますけどね。

まあでも、なんだかんだずっと、なんかもう既にライフワークみたいになっちゃってるんで、
例えば誰かに趣味なんですかって聞かれたらF1って出ないんですよね、もう既に。

なんだろう、それはもうあえて言うこともないというか。

もうなんか考えても、趣味F1観戦とかF1っていうのが出ないぐらい生活に染み込んじゃってるっていう。

そんな歯磨きみたいな感じになってるんですか。

本当にそうなんですよ、なんか。

そうだよね、わざわざ毎日歯磨いてますって言わないようなもんで。

そんな感じです。

言わないと伝わらないですけどね、F1見てますって。

そうなんですよ。だから、あ、そっかっていうふうに気づきますけどね。
あ、そうか、言うの忘れてたみたいだね。

そうなってくるともうファン、どういう立ち位置になってくるんですか、その。

何ですかね。

なりわいじゃないし。何なのっていう。

だから最近結構若い人がF1またね、なんかXとか見てると結構最近F1見始めましたってしてみるとやっぱりとてもうれしい気持ちになりますし。
なんか昔の老外の人の話みたいなのを聞いてみたければ、いろいろ自分が見たこともお話したいなって。
当時自分が昔の話を聞くのが好きだったんで、すごく。
だから興味があるならなんか、あの話をしたいなっていうのはありますね。

どれくらい昔の話聞きたがってんでしょうね。

それがすごく興味があって、だからセナセナってやっぱり言うじゃないですか、今でも。
それを最近見た人はどう捉えてるんだろうなってすごく興味ありますね。

どう思ってるんだろうね、それをね。

それをすごく聞きたいですね。

ここに若者を今度出さなきゃダメだね、じゃあね。

そう思いますね、はい。

そうですよね。それこそNetflixでまたセナやったりとかっていうのはね。

はい。もうちょっとですね、来月。

来月か。だから相変わらずまだ大人はセナでセナセナ言ってるけどさみたいなね。
どうなんだろうね。それは確かにわからない。
F1ドライバーへの思い

橋本少年はたぶん昔のこと好きだったから、今もし若いファンなら年老いの話を聞きたいかもね。

はい。

確かにね。
なるほど。それは確かにそうだわ。
はい。
じゃあちょっとそういう絶対王者的なところじゃないところで応援していただきたい。
最近は箱王子というか。

そうですね。もう本当にF1が盛り上がってくれればいいなと。

たっかんしてますね。
たっかん。
たっかんしてますね。
じゃあ最初の最初に中嶋が出ましたけど、その後も脈々と日本人ドライバーとか日本企業はいたわけですから、
その辺の世界に目を向ける HASHIWMと日本との関係を最後深掘ってみましょうか。

それはエピソード1、エピソード2を聞いては絶対その話は来るんだろうなと考えてます。

僕がすごい疑問というか興味があるところで、みんなどういうふうに付き合ってきたのかなっていうところなんですけど。
もうちょっとどうですかね。

結構つのだ結城が結構またその前の小林亀井とかとまた全然別な感じですよね。見え方として。

つのだ以前、つのだ以降、つのだしかまだいませんけど、そこが違うと。

だいぶ分かるんじゃないですかね。やっぱりそこは。

どの辺が理由で分かれる感じなの?

なんていうのかな。
自分が見るとつのだって自分でも本人でも言ってますけど、F1別にそんな見てこなかったとかいうことを言ってたりするじゃないですか。
それ以前の人はもうF1に憧れて目指してきたっていう感じで頑張ってきたのが思いっきり分かるんですけど。

つのだはなんか自分の仕事をきっちりやって到達したのがF1だったみたいな感じがすごいするんですよ。

ここのなんか熱が、今現在すごく違うなっていうのは感じますね。日本人ドライバーっていう中では。

それはなんていうのか、ある意味ちょっと冷めてるみたいな感じになるんですか。

そう見えますよねやっぱりどうしても。
確かに言われてみればそういう雰囲気の違いはありますね。

それがでも影響します?日本人としてみたいなところと。

でも応援する気持ちは全然変わらないですね本当に。
いつも気になる。できれば気に入りを聞かせてほしいっていう。応援する気持ちは全く変わらないんですけど。
もうちょっとF1ドライバーしてくれよっていうのはちょっと正直思いますね。

物足りなさですか?
そうですね。そういうのも感じますね。

確かにわかるような気がしますけど。
そういうところがたぶん、これは私の完全な試験ですけど、
レッドブルドライバーにスッと慣れないのがそういうところにもあるんじゃないかなっていうのは自分の中では見てるんですけどね。

なるほど。確かにそういう筋はありそうですね。

単純にレッドブルドライバーのマーケティングの人に自分がなったら、都度だとマーケティングがしづらいなって思うんですよね。

だから今こんだけ渋られてきてるのもわからんでもないなみたいなね。

なんか会チームでも勝っちゃうぐらいのそういうインパクトがあったら、別だけこうなんかっていうのがすごくあるんじゃないかなっていうのは自分は感じてますね。

なるほどね。
逆にそこが魅力っていう感じで受け取ってる人いるっていうことなのか。

日本人は多分そのまま見える魅力に惹かれてる人が特に若い人は多いと思うんですけど、そことなんか海外のF1ドライバーっていう像のギャップがなんか今のポジションにつながっていることにつながってるんじゃないかなっていうのは勝手に思ってますね。

だから今のポジションっていうのはちょっと上がりきれないというか。

そうですね。
なるほど。その辺は一ファンの見方というかね。そういうことじゃないかっていう。
千代先生が言う日本人ドライバーってことに関しては本当に中嶋悟るから。
でも意外と鈴木アグリさんだけちょっと別かもしれない。

なんでだ、みんな鈴木アグリだけ除外するんだろうって思いますけど。

これは千代先生もお話ししてましたけど、これはちょっと私が90年の現場の話をすると。
お願いします。
フィニッシュしてクールダウンラップ回ってくるじゃないですか。
僕当時スプーンの2つ目の立ち上がりの外側のサドル見てたんですけど、マッチャンコーナーあたりからマシンが見えるじゃないですか。
鈴木アグリの場合にはみんな拍手だけなんですよ。
で、頑張ったねーって感じで、叩き入っちゃったねーって感じで見送って。
中嶋が来たらもう大大大歓声だったんですよ、その時。

その時はアグリさんが3位だった時ですよね。

そうなんですよ。

スタンドの熱気はそういう感じだった?

もう全く全然違いました。
正直誰もアグリを応援してなかったんじゃないかなと思います。
そういう経験をされたということと自分の何か関係があるのかって話なんですけど。
鈴木アグリさんの時にはそういうとこがあったけど、その後は誰だったの?片山ウキョウさんとか。
片山ウキョウさんとはちょっとあれはイレギュラーな感じで登場していましたけど。
自分は日本人ドライバーはやっぱ常に気に留めて、いつもなるべく走り続けてなるべく上位でフィニッシュしてほしいっていう気持ちで常に見てますね。
キミガヨと国のアイデンティティ

それはそこはじゃあ一つ必ずちょっと注意しておくところっていうところで。

気に留めておいてまた別の人も応援しておくみたいな。

そこはもうずっと変わらないのと、だから今でもなるべく生で見るのはやっぱり日本人ドライバー買ったっていうのを朝ニュースで知りたくないなっていうのがあって、なるべく生中継で見ますね。
もうその場で知っておこうっていう。

そこはもう誰かに教えられるんじゃなくて、自分でその時見とこうっていう。

そうですね、やっぱりリアルタイムでキミガヨを直立で聞いて涙を流したいなっていうのは、できれば死ぬまでにあればいいなとは思って生きてますね。

表彰台でキミガヨっていうと、それこそバトンがホンダで勝った時にキミガヨが流れたかと思われるんですけど。
ハンガリーかな、あれ。

はい、よく覚えてます。

あの時はどうでした?

あの時は立ち上がりました、私は。

立ち上がりました?

はい、立ち上がりました。

立ち上がりました?

はい、立ち上がりました。

立ち上がって国家を聞くというか。

それは何故その起立することになるんですか?
結構この話をするとみんなそう言いますよ、結構。
自然と立ち上がったっていうのは言いますよ。
どこで言われてるんです?
いやいや、それこそその時に一緒に鈴鹿ついてってくれた方にその直後ぐらいに会ったんですよ。
そうしたらやっぱりその話をして立ち上がったって言ってまして。
その間にテレビの前で、キミガヨですっていう時に立ったっていう?

なぜ?なぜ?なぜ?そうなんだ。
キミガヨで立ち上がったという。

それはスペイン国家では立ち上がらないけど、日本の国家だと立ち上がるみたいな、そういう感じ。

たぶんね、みんなそういう、もし日本人ドライバーが勝ったらみんなそうなるんじゃないかなと思うんですよね。
これ聞いて立ち上がるぞっていう人は教えてほしいですよね。

そういうのはとりまわりですよ、立ち上がるのみたいなね。
そうなのか。じゃあもしそういう時があればリアルタイムに立ち上がりたいっていうね。

じゃあホンダとかトヨタでも全然良かったって言ったらおかしいですけど、そういうメーカーでもいい感じですか?

ホンダはもちろん、当時から昔から夢見せてくれるメーカーなんで大好きで、そこに何も疑問はないですけど、
トヨタだけがちょっとモータースポーツの歴史でちょっと黒歴史があるので、そこだけが納得いかないんで、
ちょっとトヨタはって言うのは正直公平な場で言うのはなんですけど。

もうぼやけか。
それはさっきから一個人の意見ということでっていうことなんで。

それをなんで勝手に知りたい方はレーサーの詩っていう書籍があるんですけど、それに詳しく書いてあるんで、もし知らない方は読んでみた方がいいかなと思うんですけどね。
戦争のこととか、あとは富士のレースでの事故のところを書いてあったりするんですけど、そこに前の一枚印刷の福沢諭吉さんの孫の幸男さんの話とか、
あとガソリンスタンドの石油メーカーのコマーシャルかな。
小川ローサさんの旦那さんだった河合みのるさんの事故とかの言語を読むと、知らない人はちょっとびっくりすると思うんですけど。
僕もこの本は読んでめちゃめちゃよく覚えて、表紙がセナだったのかな。

オムニバス的にいろんなレーサーのことが入ってるんですけど、確かにすごい良い本ですよね。

あれを読むとちょっとトヨタ勝てないのは、何かそういうのがちょっとあんないんじゃないかなって思ったりは勝手に言いますかね。

なるほど。僕はその本を読んだ時にそういう風には受け取らなかったですけど、確かにそういう風にもいけるかもね。

だからルマンでもコンペティション状態で止まっちゃったりとか、F1でもやっぱり届かなかったのはそれでもいいんじゃないかなって勝手に言って思ってましたね。

なるほどね。じゃあトヨタはまた別枠ですけどね。
他でF1の中で2本って言うと、ドライバーとかチームとかメーカー系ですかパーツとかそういうのは全然あんま気にしない感じですか?
日本企業とF1の関係

いややっぱりそういうのは色々気になりますし、やっぱりオーダーになると仕事で直接絡んだりとかもしますし、そういうのはもう昔からなんていうのかな。
それこそキャノンなんかはもう咲いてあるものですけど、そういうのをF1で見かければ、日本のスポンサーだ、日本の医療のスポンサーだっていうのはもうね、色々気になりますし。

なるほどね。それはやっぱり戦ってるから?世界って戦ってるから。

そうですね。それとかどういう経緯でスポンサーでしようと思ったのかとか、そういうとこまで気になりますね。

ということはなんだろう、やっぱりF1に出ていることがチームにとっては大事みたいな感じなんですかね、日本企業。

やっぱりここから世の中に売り出していきたいとか、そういう会社がやっぱりF1とかスポンサー、サプライヤーでなければしがちなんですよ。
そういうところから見てもやっぱり面白いなっていうのは、いつもどの時代でもそう思って見てます。
なるほどね。
意外とじゃないですけど、結構日本は応援モチベーションにはなってるということですね。
そうですね。大いになってますね。だから、初優勝の国が他に出ると負けたって思います。

負けになっちゃうんだ。

先にやられたって思いますね。記憶にあるところだと、例えばポーランドのクビサとか、ベネゼーラのマルドファールドとか、先に初優勝されちゃったって思います。

ナショナリティとして初めてF1で勝ったドライバーが出たっていうことね。

はい。

なるほど。負けたことりの悔しい。

それは毎回思いますね。初優勝の国のドライバーが出てくると。
それこそね、F1全体の歴史の日本が半分でだけど、それよりもっと浅い国の人たちが勝ってるっていうことですよね。

ですもんね。

半分だからとか言ってちゃいけないのかなっていうようなことになっちゃうけどね。
そろそろ行かないとダメなんじゃないかなっていうのは思いますよね。

面白いですよね。ずっと海外に目が向いてて、いろんな情報を摂取して、そういうのに結構敏感な感じで。
すごい日本のこともプッシュしていくんですね。一緒にね。

そうですね。でもF1の人はみんなそういうナショナリティって意識して過ごしてるんじゃないかなとは思うんですけどね。

F1ゆえにナショナリティを意識させられちゃうっていうのは。

はい。そうです。

その辺もね、みんな一緒なのか違うのかっていうのをこのシリーズで確認していきたいなとは思ってるんですかね。

はい。
HASHIWM1010さんの体験

なるほど。今のところちょっとクールなツノだですけど、ちょっと頑張って。

そうですね。頑張ってほしい気持ちは100%なんで。
そうですね。
もっとうまく振る舞ってもいいんじゃないかなって思って、頑張れよってはいつも思ってます。

まあなんかちょっとその辺の歯がゆさ的なところはもう分かるなっていうような感じがしますけどね。

はい。

こんな感じですか。結構これで1時間ぐらいお話をしたという感じなんですけど。

そういえばCISさんの配信を実は僕オートポリスで聞いてたんですよ。

オートポリスで聞いてた?
はい。
なんでまた?

いやGTを先週、先週中か先々週僕遅い夏休みをとってちょっと旅行を兼ねてオートポリスにGTを見に行ってたんですね。
それで確かちょっとゲート前で渋滞したんでYouTubeをパパッと開いたら、
で配信、ライブ配信があってあれまだポッドキャストの収録配信のタイミングじゃないのになぁと思って、
開いていたらなんかそのこのスピンオフのやつが出てきて、
でどなたが喋ってんかちょっと全然サムネイルもちょっと見る余裕がなくて分かんなくて、
12分の1モデルの話をなさってて。
それでもうついちゃったんで、そこでもう配信は全然見ないで終わっちゃったんですけど、
それで東京帰ってきて電車乗ってメールチェックしたらヒノ先生からお誘いがあってっていう感じだったんで、
ああShinya.Sさんだったんだっていうのをそこで知ったんですけど。

そこで悟ったみたいなね。
どうだったんですよね。

だからこの前のその元GPって話もなんか宇都宮で止まってっていうか、
さすがに新幹線乗り継いで行ったんだと思ったら車で行ったっていうところでちょっと私爆笑しちゃいましたね。

10時間かかったって言ってた。

10時間っておっしゃってましたね。
そこはそこは車なんだなみたいなね。

ずっこけましたよほんと。
車中泊はしなかったとかそういう話じゃないですよね。
本当にそんな話を聞いてるわけなんですけど。
こんな感じですかね。

すいませんなんかグタグタと。
番組の締め

いやいやいやありがとうございました。
はい、というわけで今日は平日月曜日。
今日週の始まりでしたね、月曜日。
そうでしたね、はい。
いよいよ夜7時からハシムさんに来ていただきましてどうもありがとうございました。

ようこそありがとうございました。

ありがとうございました。
ではまた引き続き番組にも何かお便りやまたつぶやきなどいただければと思います。

はい、また気になることありましたらお便りさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
はい、お願いします。

はい、ありがとうございます。

ありがとうございます。