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はい、こんにちは。今日はですね、宗教の話をさせていただこうと思うんですけれど、基本的に僕は何かこの宗教をすごく強く信仰してるっていうのはなくて、自分では無宗教だと思ってるんですけど、でも、お寺さん参りとか、神社にお参りするのとか好きなので、じゃあお前それ無宗教じゃねえだろっていうような感じの、典型的な日本人なんですけれど、
いろんな宗教ですね。勉強するのが好きなんですよね。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教とか。
今は、イスラエルとハマスとのパレスチナを巡ってるのですね。争いがあるわけで、戦闘状態になってるわけなので、皆さんユダヤ教について興味を持ってると思うので、旧約聖書についてお話しようと思うんですね。
旧約聖書っていうのは、キリスト教と Because for Christianism,
旧約聖書って言うんですよ
キリスト教徒にとっては旧約聖書があって新約聖書があるんですね
旧約聖書が39巻あって新約聖書は27巻あるわけです
だけどユダヤ教徒にとっては
イエス・キリストは神の子だというふうには認めていないので
キリスト教でいう旧約聖書が聖書になるわけですね
なので今日はユダヤ教徒にとっての聖書についてお話ししようと思うわけです
旧約聖書っていうのはですね
紀元前1500年から400年ぐらいにまとめられたんではないかというふうに言われているわけで
天地創造から始まるわけですね
神による世界の始まり
イスラエルの民と神との間の壮大な物語が描かれているわけです
新約聖書っていうのは
イエス・キリストの生涯
教えから
その弟子たちの伝道活動などがまとめられているものなわけですね
最初にですね
この世界が作られてっていう話から始まるわけなんですけれど
その後アダムとエヴァの話になるわけですよね
なんで今日ですね
聖書についてお話ししようと思ったかというと
僕ねこの聖書
旧約聖書って言われてるものね
内容としてはね
面白いんだけれど
なんかな
怖いんですよね
だから自分の中ではあんまり好きじゃないんですけど
物語として見るのは面白いんだけど
僕はこの宗教を信仰する気にはなれないなっていうのがあって
これ本当に僕個人の意見であって
ユダヤ教徒の人を分別するとかですね
そういう意思は全くないです
ユダヤ教徒の方がですね
ユダヤ教旧約聖書を
信じるっていうのはね
別に素晴らしいことだと思うんだけど
僕には合わないなっていうお話をさせていただきたい
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ということでございます
この宗教自体を批判しているわけではないです
まずアダムとエヴァの話になるんですけれど
最初に神がですね
アダムを作って
その後エヴァができて
エデンの園っていうですね
楽園みたいなところで
過ごしてたわけなんですけれど
善悪の知識の実
その中で
それを食べてはいけないって言われてたんだけど
それをそそがかされて食べてしまったわけですよね
それ食べたことが罪になってしまって
この後に食べ物を得ようとする苦しみを与えられて
女性は子供を産む苦しみを与えられて
服を着てないことに気づいて恥ずかしいという気持ちが湧いてきて
結果的にエデンの園から追放されてしまうわけですよね
それから人間たちは
苦しい毎日を追わないといけないってことになるんですけれど
まずこの時点で
なんでそんな食べちゃいけないような実を
食べれるような場所に置いておいたのか
まずこれ罠仕掛けたようなもんじゃないですか
神がテストしたような感じで
すごい意地悪だなって思うんですけど
絶対食べれない領域に置いておくとか
そもそもそんな実をそこに置かないとかですね
そうすればアダムとエヴァもね
その子孫たちもエデンの中で
園で快適に楽しく暮らしていけたのにって思うんですけど
まあそれはいいです
物語としていいんですけど
その後ですね
エヴァ子供を産むんですよね
カインとアベルっていう子供
カインは農作物を神に捧げるんですよ
アベルは羊を捧げるんですよね
そうすると神はですね
アベルの羊の方には目を止めるんだけれど
カインの農作物の方には目を止めないんですよね
そうするとカインがですね
アベルに嫉妬して
カインが石でですね
アベルの頭をボコーってやって
殺しちゃうんですよね
嫉妬で
っていう話があるんですけれど
まあそんなわざわざ嫉妬させるようなこと
しないで欲しかったって僕は
純粋に思っちゃうんですよね
物語としてはいいんですけど
ここまではいいんですけど
ここからがどんどんストーリーがですね
僕胸が苦しくなってくるんですけれど
ノアの箱舟の話になるわけですよね
この後
アダムとエヴァの子孫で
ノアっていう人がいるんですけれど
結局ですね
その後地上に人間がすごい増えるんですよね
増えて
人間たちがね
すごく堕落していくんですよ
そうすると神は
自分が作ったこの人間たちがですね
こんなに堕落してしまってね
人間を作ったこと自体を
後悔して
もう
みんな殺しちゃおうって考えちゃうんですよ
なので
ノアに箱舟を作って
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でその箱舟の中に
ノアとノアの家族と
あと動物たち
つがいでね
あのペアで
ワンペアですね
いろいろ入れて
その後大洪水を起こして
人間も動物たちも
皆殺しにしちゃうんですよ
ノアの箱舟の中に入ってる
者たち以外を
うん
で
洪水が終わって
あと箱舟から降りて
またそれ一からやり直すんですけれど
まず
殺された人たちすごいかわいそうだと
僕純粋に思うんですよ
だって
その人たちに罪はないじゃないですか
そもそもそういう失敗作を作ったに
神に問題があるのに
だって
女性も子供も赤ちゃんもお年寄りも
皆殺しにされてしまったわけですよ
楽しい毎日いろんな生活があって
夢も描いてて
これからもね
楽しい人生が待ってるっていう
その人たちを皆殺しにしてしまうって
これすごく残酷だなって
そもそもそういう人間を作った
神に問題があるのに
結局選ばれた人間以外は
殺してもいいよっていう思想が
植え付けられちゃうんじゃないかなってね
僕思ってしまうんですよね
でその後は
バベルの塔の話になるんですけれど
またですね
その人間たちはですね
ちょっと横暴になっていって
天に届くような塔をですね
建造しようとすると
自分の力をですね
誇示しようとするようになってしまうわけです
でそれを見てまた神はですね
怒りを覚えて
そもそもね人間たちがこういう行動をとるのは
言語が一つしかないからだと
で言語が一つしかないから
皆会話が通じて
団結力が生まれて
こういうですね
天に届くような塔を作ろうとするんだって
これは許せないってことで
言語をバラバラにするんですよ
そうすると話が通じなくなっちゃうんですよね
で団結できなくなるよと
これもねそういう問題じゃないでしょうって
思うんですよね
そもそもせっかくまたね
一からやり直そうとしてたのに
またこの失敗作たちをですね
生まれてしまって
今度は言語もバラバラにして団結できなくなる
っていう風に言われてるんですよね
でその後はですね
アブラハムのお話になるんですけど
アブラハムは子供の遺作をですね
いけにえに捧げようっていう風にですね
そういう神からのその言葉が出て
でもアブラハムはもう渋々ですね
本当に辛いんですけど
自分の幼い子供を
いけにえに捧げようとして
結局それはテストだったんですよ
神様が
どれだけアブラハムが自分に
対してですね
忠誠心を持ってるかって
自分のことを深く信仰してるかっていうのを
テストするために結局遺作をね
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あの殺さなかったんですけど
まあわざわざそんなことしなくても
神様だったら
あの人間の心ぐらい読めるでしょって
思うんですけど
まあこれは物語だからいいかなと思うんですけど
で僕聖書の中で
もう一番酷いなって思うのは
その後のモーセの出エジプト記ですね
まあそれはですね
そのエジプトにですね
そのイスラエル人がたくさん住み着くようになって
数がすごく増えたんですよね
そうするとその当時のファラオはですね
その危機を感じたんです
イスラエル人がものすごい数増えてしまったと
でそうしたらいつか
そのイスラエル人たちが団結して
自分たちに戦争を仕掛けてくるんじゃないかって
危機を感じて
イスラエル人たちに重労働させて
奴隷のようにですね
扱うようになってしまったわけですよね
まあここまではファラオが悪いです
まあファラオが悪いんですけど
ここから神はですね
イスラエルの民を救うために
モーセっていう人にですね
イスラエル人に力を与えてね
杖とかを渡して
でモーセがファラオに交渉しに行くんですよね
イスラエルの民を解放してください
でもまあ最初の
ファラオは拒絶して
まあそうするとですね
あのモーセと神はですね
エジプトの民たちに
いろんな嫌がらせをするわけですよ
解放してくれないから
まず最初にナイル川をですね
もう全部血で染めてちゃうんですよ
そうするともう魚もそこで生きていけなくなる
魚みんな死んじゃうんですよね
まずそこで魚が可哀想だなって思うと
あとカエルとかブヨとかアブとかを
大量発生させたり
疫病を流行らせたりとか
あと兵を振らせてとかね
で疫病が増える時点で
ここでまず罪のないエジプトの民たちが
殺されてしまうわけじゃないですか
死んじゃうわけじゃないですか
まあエジプトの民っていうのは
そのユダヤ人
まあイスラエル人たちが信仰する神を
信仰してるわけじゃなくて
エジプトの独自の宗教を信仰してる
エジプトの神を信仰してるわけなんですけれど
まあなのでイスラエルの民からすると
その神からすると異教徒なわけなんですけれど
だけど別にエジプトの民たちに
罪があるわけじゃないじゃないですか
自分たちは生まれた時から
自分の土地に宗教があったんで
それを信仰しているだけなのに
その人たちまで疫病で殺してしまうと
でそれでもですね
ファラオはイスラエルの民を解放しないんですね
そうするとですね
神はですねもう最終手段で
エジプトのエジプト人のですね
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ウイゴウイゴってのは第一子のことですね
赤ちゃんとかちっちゃい子供たちも含めて
全員殺しちゃうんですよ
だけどイスラエル人は
イスラエル人の子供は
殺さないようにするんです神は
なのでイスラエル人だっていう風に分かるように
イスラエル人の家庭は
子羊を殺してその血を柱と
あとカモイにですね塗って
イスラエル人ですよってことが分かるようにして
で決められた食事を取りますよと
そうすると神様はそこを
過ぎ越してくれるんですよね
でエジプトの子供たちをもう皆殺しですよ
ウイゴたちを
まあ普通の子供一般家庭の子供たちが
家庭の子供も兵士の子供も
ファラオの子供も死んじゃうんですよね
もうみんなものすごい辛いですよ悲しんで
だけどイスラエル人の子供は過ぎ越してくれるんで
なのでこれが過ぎ越しの祭りになるわけなんですよね
だから過ぎ越しの話って
これ本当ひどい話だなと思うわけですよ
で子供死んじゃうんです
でファラオの子供も死んじゃうから
もうさすがにこういうファラオも参っちゃって
分かったからもう出て行ってくださいと
解放することを認めるわけですよね
でカナンの地へ向かうわけなんですけど
そうするとイスラエル人が出てくるとですね
ファラオもですね
なんか気が変わったのか我に返ったのか分かんないんだけど
追いかけるわけですよね
エジプト兵を連れてわーっと
そうすると海の前でモーセが杖で海を割って
で
ユダヤの民たちはそこを渡っていって
渡りきったところで
エジプトの兵士が海の真ん中で
今度は海がね戻って溺れ死んじゃうって
そういう話なわけでございます
なのでやっぱこの過ぎ越しの話はひどいなって思いますね
この時点で僕個人の意見としては
この神様は信じたくないなって思っちゃうわけです
でもこれ決してそのユダヤ教自体を批判してるわけではなくて
僕個人の感想を言ってるだけなんですね
でカナンの地の方に向かっていくわけなんですけど
そこの土地にはですね
やっぱりそれぞれのですね国とか人が住んでて
城壁もあるわけですよね
お城とかもあるわけなので
結局そのイスラエルの民たちはそこに戦争を仕掛けるわけですよ
それも神の力もあってですね
有利に進めて戦争を仕掛けて
その兵士たちとかを殺して制圧していくわけですよね
カナンの地っていうのは神がイスラエルの民に与えた土地だからっていう理由で
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そこのね戦争を仕掛けて制圧していくわけですよ
で結果的にそこに王国を作るんですよね
でその後その王国が分裂して
北のイスラエル王国になると
あと南のユダ王国
でその北の王国はアシリアに占領されて
でまあ奴隷としてね
連れられちゃうと
で滅亡しちゃうんですよね
でユダ王国の方はバビロニアによって破壊されて
あとバビロンに捕囚されてしまうわけですよね
っていう感じで
史実と神話みたいな話がですね
入り混じってるのが旧約聖書なわけなんですけど
ユダヤ人にとっての聖書なんですけれど
とにかくこの聖書をしっかり読むとですね
ここに出てくる神っていうのは
もうとにかく嫉妬の塊で
もう信じない者にはもう容赦なく殺したりとか
罰を与えたりとかするんですよ
もともと自分を信仰していたイスラエルの民でも
ちょっとでも自分の信仰から外れてしまうと
また罰を与えたりとか
殺したりとかしてしまって
まあかなり嫉妬深くて
で自分を信仰しない者には容赦なく
その罰を与えたり
殺したりとかする
のでまあこういう宗教を信仰すると
あんまり信仰心が強いと
危険な思想にもなりかねないなって
僕は思ってよく聖書を読んでます
っていうのが私個人の感想です
はいご視聴ありがとうございました