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詩吟の魅力を発信する、詩吟チャンネル
おはようございます。こんばんは。詩吟チャンネルのheyheyです。このチャンネルは、詩吟歴が長い長い私、heyheyによる、詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力を分かりやすくお伝えしていくチャンネルです。
毎回一つ、漢詩や和歌、俳句を吟じていってですね、内容を紹介したり、どういうふうに吟じたら良いのか、どう楽しんだらいいのかといったところを、さらさらっとお伝えしていきたいと思います。
今日もですね、初心者向けの漢詩ではあるんですけれども、その表現がとてもとても美しいものを一つご紹介させていただきます。
花瓶公主という漢詩ですね。別名、春籍、春の夕暮れというふうにも書きます。佐藤一輩という方ですね。江戸時代か幕末の少し手前ぐらいまで生きた方、この方も有名な方ですね。
が作られた漢詩になっております。春の夕暮れ、花瓶公主。僕はつくづく真夏になってほしくないんですね。秋だったり春だったり。
そういった素敵なやつばっかりやりたくなります。ではどういった内容なのか、まず詩を読んでいきます。
花瓶公主、佐藤一輩。月は訪れて梅花、公主となり。
梅は迎えて月営、花瓶となる。花瓶公主、二つながら清雪。寒涼す黄昏、一刻の春。
月と梅、この二つの組み合わせをですね、主人とお客さんというふうに表現しているわけですね。
なのでまあそういうふうに理解してもらえればわかりやすいかなと思います。月は訪れて梅花、公主となり。
檻から空に浮かんだ月というのはですね、梅の花に光を支えていて、注いでいて、良い客人となっている。梅は迎えて月営、花瓶となる。
梅は一方でその梅はですね、その月の明かりを迎えて良い主人となっている。花瓶公主、二つながら清雪。
良い客人であるお月様の光と良い主人である梅の花、この両方はですね、まことに清らかですさまじく美しい。
清雪、清らかで絶すると書くわけですね。 めちゃくちゃ良いってことですね。
寒涼す黄金一刻の春。 このとても素晴らしくてですね、春の黄昏のこの一刻の時期。
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黄金というのは黄昏という意味ですね。 黄金に黄昏か。
一刻の春、寒涼すということで、この時間と黄昏の一時をすっかりとも占領してしまった。締めてしまった。完全に奪ってしまった。
それほどにすさまじく美しい景色であったということです。 月の光とそれに照らされた梅の花、それをですね、花瓶公主という風に表現するこの表現力。
もう意味がわかりませんね。 現代人的に多分できる気がしないような本当に素敵な素敵な言葉。
4つの漢字でここまで表現できるのかなというふうに思います。 ちょっと打速で言うとですね、僕も結構詩銀やるときにどの詩やろうかなみたいなパラパラと詩文を見てですね、これ素敵そうっていうふうにやるんですけど、
これも真っ先に目についたんですよ。 でも詩銀の先生からですね、それはどうせみんなやるからもうやめとけと言われてですね、人気が高いからやめておけと、人と同じことをするなというふうにして、なかなか教えてもらえなかった漢詩でもあります。
まあこちらはですね、銀ずるポイントとしましては、 最初、菊ですね。月は訪れてばいか。ちょっとここが言葉が多いので、そこをいかにスムーズに滑らかに言うところが難しいかなと思います。
そしてあとは全体的にですね、力強くではなくて、 清らかに伸び伸びとしっとりと。美しくかな?
好き放題形容詞を並べていますけれども、ギャンギャンと声を出すものではないんですね。 美しさをどうやって表現するか、そこに集中した方がいいものなのかなと思います。
それではこんなところで銀字でいきましょう。
花瓶孔子 別名 春籍 佐藤一輩
月は訪れてばいか
孔子と
ありうめはむかえて
月へい
花瓶と
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なる
花瓶
孔子
二つながら
誠実
寛慮す
孔子
一刻の
春
いかがでしたでしょうか。ちょっとですねテンション上がってテンクの方高めにやりましたね。
孔子の表現が強調したくてだいぶ高い高高音を使っちゃいました。ご容赦ください。あと最後のちょっと怪しかったかな。まあいいでしょう。
ということで今日はですねお月様と梅の光この最高の表現花瓶孔子また春籍ですねこの美しい詩をご紹介させていただきました。
詩吟の魅力を発信する詩吟チャンネル以上ですありがとうございましたバイバイ