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詩吟の魅力を発信する、【詩吟ch】
おはようございます。こんばんは。【詩吟ch】のheyheyです。
このチャンネルは、詩吟歴20年以上の私、heyheyによる、
詩吟というとてもマイナーな日本の伝統芸能の魅力や吟じ方について、
分かりやすく、ザックバラにお話ししていくチャンネルです。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
週末はですね、ちょっとyoutubeの方に定期的にコメント出してるんですけれども、
金曜日に家族で休みをとってですね、
まあ、本当は保育園のクリスマス会があったんですけれど、
娘がまだ小さすぎるんですね。大生涯なんですよ。
なので、お休み、保育園が休みになるので、
みんなで休みをとって、初めてですね、
新幹線を使ってお出かけしてみようかということでやってみました。
で、行った場所がですね、
埼玉県の鉄道博物館ですよ。
そう、何度か目にしたことあったんですけれども、
ちゃんと行ったことはなくてですね、
それでいざ入ってみると、
いやー、これが面白いのなんのということでですね、
子供も十分に楽しめるし、
ちっちゃい電車みたいなのですね、
それをちゃんと操作できるんですよ。
ブレーキとか加速とかですね、
キテキとか鳴らしたり、いろんなちっちゃい電車があって、
それも乗ることができたり、
そしてあの大機関車店とかですかね、
過去の機関車とかが綺麗にすごい立派に陳列されていて、
しかも過去に天皇様が乗っていた御用車とか言うんでしたっけ、
そういう列車とかも見れたりしてですね、
僕が思った以上に興奮してしまって、
別に鉄おたでもなんでもないんですけれども、
娘も楽しかったし、
みんな楽しかったかなという感じで過ごしておりました。
これだけだとちょっとどんどん話が終わらなくなってしまうんで、
ではでは、今日の本題の方に行きたいと思います。
今日はですね、最近ちょっと続けております監視の背景をですね、
もう少し本とかいろいろ元に紹介しつつ、
吟じ方も紹介しつつ、吟と背景を合わせてですね、
深く勉強していこうという流れで、
今回が3回目になると思います。
今日はですね、
菅原道真作、9月10日、これをご紹介したいと思います。
まずですね、詩文をちょっと行きたいと思います。
9月10日、菅原道真。
どういった内容か、まずさっと行きたいと思います。
昨年の今夜は、この張陽の校長、9月10日の時に宴に召されて、
宮中の清涼殿にて、他の人々と共に御門の傍にはべり、
収詩という直題を賜って詩を作ったけれども、
自分の詩をことのほか御門がお気に召して褒めていただいた。
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とても嬉しかった。
しかし、そのことも今はかえって身も切られるような悲しい思い出となってしまった。
その時ご褒美としていただいた御門のこの御位ですね、
衣は今もここに大切にお持ちしているが、
日ごと捧げもっては残り顔を這いし、
ありがたく懐かしく御門のことをお慕い申し上げているのである。
そういう内容になっております。
この詩文はですね、僕は詩銀を始めて一番最初に学んだかな、
2番目か1番目ですね、どっちかが偶生主義のやつだったんですけれども、
コイン屋の落としのやつですね。
ですけれども、本当に詩銀の一番一番最初に学ぶ初心者的な銀のイメージがあって、
これを銀じる時も大人になってから銀じようとするとつまらないなとかいう風に
そういうイメージを持っておりました。
ただですね、今回菅原道真がどういう方だったのかですね、
これをちょうど面白いラジオがあってですね、
それで菅原道真はすごく深掘りしていたので、
それを聞いて面白かったエピソードをかいつまんでご紹介しつつですね、
この銀じ方についてもお話ししていきたいと思っております。
題材としたのはですね、古典ラジオ、全部カタカナで古典ラジオというオーディオ、
ラジオですね、音声でネット上で聞けるラジオになっております。
ボイシーとかオーディブルとかそういったもので検索したらいろいろ聞けると思うので、
古典ラジオで検索したら聞けるかと思います。
最近より少し前に行くと菅原道真だけで4回か5回ぐらいに分けて話してあるんですけれども、
全部で2時間ぐらいあるのかな、倍速で聞いたりはしていましたが、
その内容が面白いのなんのということでお話ししていきたいと思います。
まずですね、この菅原道真どういう方だったのかというところなんですけれども、
元はですね、菅原家ではなくて八字家という名前だったそうですね。
土に師匠の志で八字ですね。
天皇様のお墓を管理したり作ったりとかそういう立場の方だったんですけれども、
時代の変化も受けて、この墓を作るというのは時代にそごわないということで、
曹操夫とかの方がですね、菅原家に切り替えたと天皇にお話ししてお願いして、
菅原家に変えてもらったという名前、由来変わりがあるそうです。
そこからですね、結構本当に頭の良い家系だったそうでですね、
曹操夫の方も祖父の方も父親もですね、もう代々代々、
もう本当に頭の良い皆さんがすごく秀才とか天才みたいな方たちでですね、
家としての位は低いけれども学問として身を立てているというようなそんな家柄でした。
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特に大学寮というとても難しい、貴族しか入れない難しい学校があるんですけれども、
そこにちゃんと代々入っていて、中にはちゃんと校長選手とか早朝になったりとかですね、
そこに入学するための予備校みたいなものを作ったりですね、そこも運営したりということで、
ものすごく頭の良い家系ずっと続いていて、
もう一番プレッシャーの高い状態で生まれたのがこの菅原道真だったということです。
もう言われてみるならですね、東大の総長が父親でものすごく職望されていて、
お前はもう東大入るのは当たり前だろう。
しかも多分東大の邦楽部の主席ぐらい当たり前だろうみたいな、
そんなプレッシャーの中でですね、それでも本人もですね、
もう必死に真面目に勉強して、しかもそれもちゃんと獲得していった。
もう自分も負けじとですね、いわゆる本当に東大邦楽部主席みたいな感じでいって、
そこもトップ2まで登り詰めていったという過酷な環境だけれども、
それもちゃんと実力でしっかりと登っていったような方だったということですね。
ただですね、僕が結構面白いなと思っていたのはですね、
この9月10日を見ると、そうなのかなというか、
僕が平安時代に対するイメージがあまりに浅すぎるというのが大問題なんですけれども、
もうあの子供のようなやついったらおじゃる丸とかですね、
なんかそういうようなフワフワした毛丸を蹴っているようなですね、
時間の流れがゆったりしているような印象だったんですけれども、
実際はどうもそうじゃないようですね、貴族の方っていうのは優雅な暮らしというよりは、
貴族だからこその仕事があって、国を動かしていく仕事があってですね、
特に、なんだっけな、あれ?
あれ?既伝道?いろんな役割があるんですけれども、
その中でも結構革新的で、現実に即して法律を作っていくような、
そんな位置づけにあったのが菅原道真、既伝道という学問の中でですね、
そこでトップになりつつ、国を動かしていくところに関わっていたという方です。
なのでですね、全然暇じゃないんですよ。
ものすごく忙しくて、その中でも仕事の一環でもあるこの監視の勉強ですね、
ずっと続けてきたというような方なんですね。
かつ、この菅原道真の方が面白いのがですね、
いろんな方にちゃんと噛みつくんですよ。噛みつくじゃないですね。
良くないことは良くないっていうふうに明確に言うんですよ。
それがどれだけ立派な貴族が相手であっても、
天皇様が相手であってもですね、ちゃんと言うべきところは言うという、
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しかもですね、なんか辛いことがあったり、
例えば風評被害とかですね、そういうものがあったら、
ふざけんじゃねえというのもしっかりと美しい監視に残していくような人だったんですね。
今で言うと、なんかあのツイッターとかですね、
そこになんか立派な文章をしっかりと残していくような、
ちょっとこれはあまりに浅い例えなんですけども、
そして噛みつかれたらですね、全力で噛みつき返すような、
そういう気概のある方だったんですね。
もう性格が素直かつ天才で、実力もあって、文章を書く力も天才的、
もう日本のトップだという、そういうような方でした。
それだけ実力があるものだからですね、天皇様にもすごく気に入られて、
宇田天皇という方にもどんどんと引っ張られていってですね、
最終的に国政のトップである宇大臣ですかね、そこまで上り詰めたと。
ただそこからですね、この政治のいざこざというか、
やはり位の家柄が低い人が、実力がものすごくあるという、
この歪な状況はやはり人に狙われやすくて、
あらぬいろんな疑いをかけられて左遷させられるという状態です。
左遷させられて、今急にど忘れしたんですけど、
九州の博多のところに左遷させられていったということです。
今ものすごく言葉が飛んでしまって、恥ずかしい限りなんですけれど。
そこに左遷させられていったんですが、
この時もですね、僕はてっきりもっと優雅な暮らしなんだと思っておりました。
いろいろ従者がいてですね、身の回りのこともやってもらえるけれども、
とりあえず今日の都から離れているというだけで左遷なのかなと思っていたんですが、
どうもそうじゃないみたいですね。
もう好き従う人もほとんど全然いなくて、
お金もないし、物もないし、家を建て直すことすらもできないし、
周りからは好奇の目にさらされるし、
食事も近くの百姓さんに分けてもらうこともあったりとかですね、
本当に恐ろしく酷い、もう露刑みたいな状態で過酷な環境だったそうです。
それまでがものすごく上り詰めて、上り詰めて、さらに国勢のトップまで行ってからですね、
急にその落差を受けて、受けてですよ。
それでもやはり気持ちがですね、ずっとこの天皇様のことを思い慕っているこの真っ直ぐな気持ち、
かつ文章を残す力が素晴らしかったんで、
いろんな詩も残っている中のこの名句の一つとして9月10日があるということです。
そこまでを踏まえてですね、この9月10日を改めて読んでみるとですね、
菅原道真が結構気持ちをストレートにですね、
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さらけ出しているところ、かつそれでもなお天皇様のことを本当に思っているということ、
そして文章の美しさ、時代のこの落差とかですね、
全てがここにギューッと凝縮されているんだなというのを改めて感じた次第です。
僕の今日の説明があまりに雑なことは自分が一番よくわかっているんですけども、
詳しい話はですね、ぜひぜひこの古典ラジオを聞いていただければ、
もっとあの丁寧にわかりやすく、かつ面白くですね、話あるので聞いてみてください。
ということで後半はですね、この吟じ方ちょっとサラサラといきたいと思います。
ではこの9月10日、菅原道真、
去年の今夜、清涼に示す、終始の詩編、一人断腸。
初期の頃に吟じる詩文ということもあって、
とりわけ難しいところがあるわけではないんですけれども、
その分ですね、言葉の発音、アクセント、
これをやはり丁寧にすることが美しい詩文はですね、
やっぱりそれに敬意を持ってですね、より正確に、正しく、精密にと言いますか、
言葉に対してもっと丁寧にやる必要があるかなと思っております。
なので去年の、去年の、このまず頭高の去年のですね、
今夜、ここも頭高、今夜、
清涼に示す、清涼の、せいりょう、いりょうから上がっていく、
清涼に示す、終始の、終始のもこの頭高にありますね、
終始の詩編、一人、一人、一人はこれなかなかですね、
一人、一人、意外と言いづらいんですけど、一人断腸。
断腸のところで、ここも気持ち入ってくるんですよね、
終始の詩編までは、天皇様にも褒めてもらった私の詩文があるんだけれども、
それが今はかえって本当に苦しい、悲しい思い出になってしまったということで、
一人断腸ですね、断腸。
この断腸をいかに言うかというところがポイントかなと思います。
恩師の御意、今ここにあり、
ここは特に難しいところはないような気がしますね、
奉仕して、奉仕して、奉仕してが言葉としてはやはり言いづらいところかな、
奉仕、奉仕、して毎日横を拝す。
銀としてはですね、やはりそんな難しいところはないので、
アクセントを丁寧にするというところ。
あとは断腸とですね、毎日、奉仕して毎日横を拝す。
このあたり、というか後半ですね、
恩師の御意、今ここにあり、奉仕して毎日横を拝す。
このあたりはもう感情が多分ストレートに出ているんじゃないかなと考えます。
ただですね、辛い辛い、悲しい悲しい、
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もう今日に戻りたい、天皇さんは素晴らしい、
このあたりをですね、天皇さんのことをずっと思ってますのを後半でずっとひたすら言い続けるのもですね、
感情のやはり波がないと聞いている人は飽きてしまうので、
恩師の御意、今ここにあり、奉仕して毎日横を拝す。
恩師の御意、この転句のところで一番多分盛り上がりを入れて、
結句のところはですね、それに比べればちょっと落ち着いたような雰囲気で締めくくるのがバランスとしてはいいんじゃないかなと思います。
で、喜句のところはやはり言葉を美しく、
で、賞句のところで一人断腸、ここでシーンが断腸のあたりから変わっていくという、
そういう詩の構成になってくるのかなと思います。
ちょっと隣にトラックがとって止まってうるさいところあるかもしれないんですが、
こんな感じでですね、改めてこの菅原道真作九末十日を吟じていきたいと思います。
九末十日、菅原道真。
去年の今夜清涼に
一寸終始の
四辺一人断腸
御志が今ここに
あり
報じして
毎日
横
這いす
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いかがでしたでしょうか。
吟じてみてですね、言葉丁寧にというところがあるんですけど、四辺四辺とかですね、
一人、やはりここ結構言いづらいなと思いました。
あとはですね、今までは本当に恩師の行為、今ここにあり、
なんかあのサラサラーと流していたんですけれども、
改めて背景を知るとですね、恩師の行為、今ここにありですよ。
もう昨年まではですね、本当にトップのトップとして、
天皇のすぐ近くでですね、一緒に仕事とかもいろいろできていたのにですよ。
そこは今からこの落ちぶれぶり、この落差が本当に激しいんですね。
それを踏まえてのこの去年の話を、
この服からですね、服を持ちながら、衣服を持ちながら感じているというところで、
改めてですね、自分もこの古典ラジオから菅原道真をちょっと学んでみて感じるところが、
数倍、数倍違ったなと感じました。
ここは決して本当にちっとも軽くないんですね。
恩師の行為は今ここにあり、生活が苦しい中でもですね、毎日横を這いすんですよ。
そういうことはですね、本当に大事に大事にやっているという、
この菅原道真の人物像というものが本当に現れてくるなと、
ストレートな気持ち、美しい鑑賞を作るスキル、
そしてこの落ちてもなおですね、人に見られてもいない中で、
こういう毎日のルーティンも大切にしているという人物、人柄とかですね、
そんなところを改めて感じました。いかがでしたでしょうか。
本当に本当に僕の説明は雑なんでですね。
ぜひこの古典ラジオのリンクも貼っておきたいと思いますので、
よければそちらも聞いてみてください。
そんなところかな。
ではでは、今週も年末もあっという間に迫ってきていますけれども、
体調を気をつけて頑張っていきましょう。
志銀のミルクを発信する志銀チャンネルどうもありがとうございました。
バイバイ!