人の死とエネルギーの影響
おはようございます、ずっきーです。楽しんでたらなんとかなった理系3児パパの頭の中ラジオを、今日もやっていきたいと思います。
今日お話する内容は、人の死が人に与えるエネルギーという話ですね。
この話す背景と、人の死があると終わりを意識するのかなという話。
あと3つ目では、人の死が人に与えるエネルギーは何かありそうと思いたいのかな、なんて思った話をしていきたいと思います。
人の死が人に与えるエネルギーというので、まずこれ話そうと思った背景は、小説エッセシューですね。
人の死が人に与えるエネルギーというエッセシューですね。
人の死が人に与えるエネルギーというエッセシューですね。
友達のお母さんとゆるく交流が続いていると思ってお話をしますという冒頭から入って、その友人が亡くなったのは、ちょっと新聞で顔が乗ってて嫌な予感がして、やはり登山かな、亡くなってしまってという話を紹介して、
その著者の方はアラスカでもう20年くらい、十数年くらい暮らしている状況でその話を書いているんですけど、
多分その友達が亡くなってもアラスカには来てただろうけど、こんなに強く行こうという思いに駆られただろうかという話があって、
友人の死というのが自分のアラスカに行きたいという気持ちをさらに燃やしたとか、押したとか、そういったポジティブな面もあったのかなというふうな書き方がありました。
それに派生して思ったのは、若い時の人の死というのは自分であったり周りにどういった影響を与えるのかなと考えていました。
具体的に私が20年前、大学生の頃に同じサークルで亡くなられた方がいらっしゃって、やはり今日も思い出してましたね、ふと。
夏の時期に車の事故で亡くなってしまったんですが、運転は気をつけようとか、もし行きたいはどうなっていたかなとかで、
残された方の側としてしっかりしなくちゃなというか、具体的にどういう後押しになっているか分からないですが、
大学の時の友人がいっぱいいて、その中でも亡くなった方のことを思い出すことが多いなと思ったりはしますね。
なぜそういったエネルギーというか思い出させるかというと、やはり終わりを意識するのかなと思いましたね。
若い時の友人の死であったり、著者の方の死というのが、いつか終わりが来るんだというのを明確というかまざまざとしてくれるので、
限りある中で何かやろうという具体化をしてくれるのかなというふうには思いましたね。
人の死が人にエネルギーを与えるとしては、終わりを意識して今やらなくちゃなとか、そういうのを思い出させるのかなと思いました。
死の意味の肯定
ちょっとまだすごい固まってはいないんですけど、そんな感じかなと思いましたね。
あと3つ目としては、何かがそういった人の死が人に与えるエネルギーってあると思いたいのかなというのもちょっと自分で考えてましたね。
あの人の死は無駄じゃなかったであったり、あの人の死があったからこそ今に繋がっているだとか、
何か正当化したいじゃないですか、肯定したい。
人の死ってやはり何かしらあれば止められたかもしれないってどうしても思ってしまう目があるんですね。
あの時はしていればなーっていうのは思ってしまう目があるけれど、今回はどうしてもちょっとあったりはするんですけど、
そこを今の自分の行動を変えたり、ポジティブに使うことによって、
何か肯定的にあれは仕方がなかったことだっていう許容をしたいのかな。
何かありそうと自分の潜在意識の中で思ってるのかなーなんて思ったりもしましたね。
今日はこのあと5です。
人の死が人に与えるエネルギーありそうだなーって何かなーって考えた時に、
本の中でちょっとそういったお話があって、自分に結びつけて話しました。
終わりを意識することっていうのが大きい点じゃないかな。
あとちょっとメタに考えると、何か人の死が何か人に与える影響はあるんだって思いたいのかなーなんてお話をしていました。
今日はこんなところですね。皆さんのお考えがあったらぜひ教えてください。
今日もお聞きいただきどうもありがとうございました。
良い一日を。