1. 『本質好き』ゆみえの呟き🌼
  2. 私の頭の中の整えの言語化、脳..
2025-08-12 18:27

私の頭の中の整えの言語化、脳の話から生き方在り方生き様の話。


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サマリー

このエピソードでは、脳の行動と認識に関する考察を通じて、行動が自己の成長や成功にどれほど重要であるかを強調しています。また、試行錯誤の中で自分のやり方を見つけることの大切さが述べられています。生き方や人間らしさに関する深い考察が展開され、人は経験を通じて成長することの重要性について語られています。さらに、脳の働きと体の感覚の関係も取り上げられ、人間としての本質を楽しむことが推奨されています。

脳と行動の重要性
みなさん、こんばんは。心花のゆみえ🌼です。
今はなんと夜中の12時半を過ぎておりますが、
どうしてもちょっと頭の中を整理したくて、言語化したくて、
ノートで文章にするよりかは、言葉でちょっと自分で発してまとめた方が、ということで、
今日は収録をしております。
今思っていることでふと思い出した言葉があって、
脳は、私たちの人間の脳は、自分で行動が伴わないと、
外部からの、外側からの情報を自分で重要だと認識できないようになっているということを、
前にちょっと知識として入れていて、それがちょっと今日いろいろ思い出して、
どういうことかなーっていろいろ考えてて、最初から分かっている人に聞くのも大切なんですが、
結局自分がそこに行動を起こそうと思っていない限り、
それがすごく自分にとって必要な情報であっても、
結局行動が伴ってないと、その重要さも自覚できない、
必要だって認識できないっていうことなんだと思うんですよね。
で、これってちょっと私まだ自分の今の中でもまとめられてないんで、
ぐちゃぐちゃな話になるとは思うんですけど、
結局何より良いことを、スポーツであっても仕事であっても何であっても、
何かをちょっと高めていきたいとか、進化していきたいとか、
うまくやれるようになりたいとかって、人間思うとは思うんですけど、
それが結局、まずはやってみるとか、まず一歩を踏み出してみるとか、
素直にその言われたことをちょっとでも一歩踏み出していくっていう行動を起こさない限り、
脳自体も結局それが重要だってことが理解できないと、
結局人間楽したい方に行きたがるのも人間だし、
必要性を感じないとなかなか行動に移せないのも人間だったりするし、
それも仕方ないことであって、ただ本当に自分をちょっと高めていきたいとか、
スポーツうまくなりたいとか思ってるんであれば、
やっぱり行動を一歩でも起こしていかない限りはいくらいい人に教わろうが、
いい情報を手にしても、結局自分のそれが本当に合ってるのかとか、
必要だったりとかっていうのが自覚できない。
結局自覚できないからやらないとかっていうことにつながるんだなーって、
ちょっといろいろ理論立てて喋ってますけど、
だから結局何にも考えないで素直に行動してやってみる、
何でもかんでもじゃないですけど、何の今知識もないとかだと、
特にとにかくやってみるってことは脳をまたまらせるじゃないけど、
こんなことやって何になるんだとか、
人間ってつい最短距離で行きたがる人間なんで、
そこがそんなことしても無駄だろうとかっていう、
なんだろう脳の元に戻ろうっていう、
それが悪いわけじゃなくて人間守ろうっていうね、
元に戻ろうっていう意識があるのが脳なので、人間守るために。
それを超えていくにはやっぱりちょっとでも行動してみて、脳すら変えていく。
じゃないとそのせっかく良い情報を聞いたとしても、
素晴らしい方にご指導いただいたとしても、
それが身にならないってもったいないよなーって今日思ったり、
試行錯誤と成長
まあ子供のスポーツのことでもしかり、
だから大人だとね自分でそこを理解してやれるんだけど、
子供ってそこまで発達してないので、
そこをどうね、いくら好きなことでもどうしても自分の苦手だったり、
嫌なことってやらなきゃいけないこともやっぱり乗り越えていかなきゃいけないこともあるから、
そこをどう努力ね、努力できる人はいいんだけど、
そこできない人もいたりするし、
それが悪いわけでもなくって、
努力を超えた、超越した先というか、
何でも楽しむっていうか、そういう力も大事だよなーとか思ったり、
多少嫌なことでも自分で楽しみを見つける、
その力って大事だよなーと思っていて、
何でもかんでも好きなことをやっててうまくいくっていうことでもないし、
スポーツは特に、やっぱ積み重ねていくことでね、
実力にもつながっていくし、
まっすぐ結果が出なかったとしても、
いずれね、何かのところで力になってくるってことは絶対、
積み上げてきた人にしかわからないし、
よくね、野球で言うと、
打席に立ちなさいみたいな、バットを振れみたいな、
そういうのもやっぱり、言葉悪いですけど、
アホになってバカになってやってみるっていうことは、
まあこの頭のいい脳を騙すというか、
やらない理由を探し出すんで人間。
よりかはそこに負けないように、
ちょっとでも行動できるよう促していくのも大事だよなと、
ちょっと思っていて、全然まとまらないんですけど、
結局、無垢にあまり知識がないときは、
やっぱりいろいろ試してみて、
試して試して、やっぱりそこで、
ただ言いなりになってやるんじゃなくて、
その中から自分で必要なもの、
合うやり方とか、探していければ一番よくって、
私もね、昔ちょっといろいろ教わって、
その人の言いなりになって自分の心押し込めてやって、
ちょっと心が崩壊しそうになったことがあるんで、
やりすぎも注意なんですけど、
ある程度何もない状態だとより、
やっぱり何でもやってみるっていう好奇心だったり、
チャレンジ精神だったり、
そういうことができる強い心というか、
でもあんまり重たくなりすぎるのも、
今の時代合わないなと思っていて、
軽く一歩二歩進んでみるか、みたいな。
で、ちょっと一歩二歩階段上がってみると、
最短距離の落とし穴
見えてくる世界も変わるし、
やってない自分よりちょっとやった自分の方が、
しざが上がって、
また気づくこと、自分で気づけることも多く増えるから、
いかにそこをサポートしてる側は、
一歩でも二歩でも進んでいけるように。
コントロールじゃなくて、
コントロールしない強さというか、
コントロールしようと思えば簡単なんだけど、
特に子供なんて。
でもそうじゃないところでやりたいなって思いもあるし、
なんかとっても、
まだ決めれないというか、
何がベストなのかはちょっとまだ判断はつかないんですけど、
私一人で決めることでもないというか、
でもこれお仕事でも言えるし、スポーツでも何でも言えると思うので、
ちょっと音声にとってみてるんですけど、
昔ながらのやり方が好きな人はそれでやればいいし、
でもまた時代も変わってるので、
昔の過去の正解が今の正解とも限らないし、
いろんな道のりがあっていいわけで、
これ一郎さんが言ってたらしいんですけど、
あまり最短距離を行こうとしてはあまり良くないみたいなことを言ってたみたいで、
なぜなら深みが出ないからっていう表現をしているそうなんですね。
失敗だったり無駄って気づくだけで無駄じゃないっていうか、
消去法みたいな感じで、これは自分に合わなかったんだとか、
精査できるというか、自分でやってみて自分で考えて、
自分で精査をして、要る要らないを決めていくっていう。
私は結構この考え方好きで、
最短距離を通ろうとする方が逆に実はそうではなかったり、
人間らしさの探求
最短距離を取らないことこそ最短距離へ行けるみたいなこともあるのかなって私は思ったりするんで、
人間、私もそうですけど面倒くさがりなんで、
墜落したりなりがちですけど、
でもなんかもがいたり苦しんだり、
自分で体感していくってことも、
やっぱり生きていく中のプロセスで、
やっぱり人間としての深みが出てくるのかなって、
やっぱりそういう人に私は魅力を感じるし、
人間らしい人っていうか、せっかく人間で生まれてるんだから、
まあよくね、悟りとか仏教ではありますけど、
本当に完璧に悟ってしまったら人間じゃなくなっちゃうんで、
まあ変な話、結局人間みんな死ぬから、
死んだら結局もう悟りの世界へ行けると私は思っていて、
神様だったり、
何でもできるみたいな本当に、
魂だけのエネルギー体になれると思っていて、
まあだとすると、
まあ私の最近の考えっていうか、感じていることは、
まあだとすると人間らしいことをいっぱい体験するのもやっぱりいいのかなって思ったりね、
人間らしい泥臭い、
まあたまにね、イライラしたり嫉妬しちゃったり、
ダメダメな自分が全然いるんですけど私も、
本当に醜いことを考えたりね、なんか人のね、
でもなんかちょっと最近そんな自分もなんかいいなみたいな、
ちょっとなんか思う時があっていいじゃんいいじゃんみたいな、
それ多分変な話私の魂が言っていて、
だからきっと人間に生まれてきているのも、
まあそういう感情感覚を体験したくて生まれてきてるんだろうねみたいな、
だって本当に悟ったエネルギー体になってしまったら、
もう人間じゃなくなるはずなんで、
人間死んだらみんなだいたいそうなるんじゃないかなって私は思うから、
だとしたらそれは自分が死んだ先に楽しめばいいわけで、
今人間であることでしかできないことを、
ただ楽しむ、楽しむというか、
苦しいことも悲しいこともやっぱりね、
まさかの坂とかもやっぱりあるから、
それも味わい尽くして、
それすら楽しんでいくっていう、
なんか生き方が私は最近いいのかなって思い出して、
全然あの最初の話からまたずれてますけど、
結局脳だけのことを、
脳が言ってることは保守的だから、
それも大事な時もあるし、命守るために。
でも人間的と体、前回体の話言ってますけど、
体の感覚とかもっといっぱい野生動物のように、
野生的にというか、
うまくそういう体の感覚互換とかも使っていけば、
もっともっと本当は人間らしく進化していけるんじゃないかなって思うんで、
私はそっちを選びたいなと思っていますね。
この話、全然最初脳の、
こんな脳は自分で行動が伴わないと、
外部からの情報を重要だと認識できないようになっているっていう話から、
いろんな生き方の話までなりましたけど、
脳と体の関係
最終本当自分の好みの話ですよね。
でもやっぱりサポートする側は、
いろいろ考えることもありますけど、
何が正しい正しくないかは、
でもなくってやってみないとわからないしね。
っていうところで、
それもちょっとずつやってみてなのかなっていう、
あんまりエネルギー的に重たくしたくないんでね、
軽く軽くちょっとやってみたいなと、
そういう結論に至りました。
16分も喋ってますね、これ。
ちょっと聞いてくれる人いるんだろうか。
なんか必要な方がいれば、
最後まで聞いていただき、聞いていただいた方がいらっしゃったらありがとうございます。
なんかちょっと今日は、
最初ちょっとインスタのストーリーで、
ちょっと自分の振り返りで書こうかなと思ったんですけど、
ちょっと文章にするのがどうもちょっと今日無理だなと思って、
言葉に、声に出して、ちょっとエネルギーを出してみました。
ちょっと明日も早いんで、そろそろ終わりにしたいと思います。
結局あんまりまとまりのない話になっておりますが、
何か皆さんも思うこと、感じたこと、
何かピンと来たことがあったら嬉しいです。
幸いです。
ということで、
今日も皆さん、
ご活躍様でした。
お疲れ様でしたっていうよりかは、
ご活躍様でした。
ゆっくりお休みください。
今日も聞いてくださりありがとうございました。
ではでは、進化の夢でした。
ありがとうございます。
18:27

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