2024-10-12 56:31

Vol.322: 佐々木 亮(音楽家・ジャズトランペッター)2/4

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気づいたらすっかり秋めいてしまっていますね。あったかい部屋でゆっくり焼き芋でも食べながら緑茶をすすって読書でも・・と想像していると、そういえば雨の音を聞きながら本を読む時間も好きだったなぁなんて日本が少し恋しくなった金曜の板倉です、こんにちは。

「1%の情熱ものがたり」81人目のインタビュー、最初のエピソード。
「変わった子供だったと思う。」5歳で母親を亡くし、生きる意味を考え探していた幼少期から思春期へ。一人で過ごしたクリスマスの日、振り返れば人生を大きく変えたトランペットとの出会いとその衝撃。そして転機となったグリーンカードの当選、Jazzの中心地ニューヨークでの生活が音楽家としての生き方を洗練させていったのでしょう。仲間やレジェンドたちと共に奏で揺らす音楽というストーリー、その美しさを垣間見る幸せがそこにはきっとあるはず。限られた時間の中での断片的な質問に対して、真摯に受け答えをしてくれる語り口調から大きな優しさと強さを感じました。深い眼差しで微笑みながら「これでいいのだ」と思えたら成功です、と生き方を諭してくれるようなRyoさんの情熱ものがたり。

中学2年生という多感な時期、一人で過ごすクリスマスの日にTVを見て出会ったWynton Marsalisのトランペット演奏。その時に受けた衝撃は、今もRyoさんの心の中に生き続けていると思うと本当に音楽そのものと人が人に与える影響や情熱の力ってすごいなぁって思い知らされます。

投稿 Vol.322: 佐々木 亮(音楽家・ジャズトランペッター)2/41%の情熱ものがたり に最初に表示されました。

00:01
1%の情熱物語
海外に住んでいる日本人は、日本人総数のわずかに1%。
この番組では、海外進出や起業を果たしたビジネスオーナーや経営者、
また、各協会のプロフェッショナルな方々へ、対談形式でインタビューをしていきます。
日本の未来を背負うグローバルなプロフェッショナルたちの仕事哲学と、
そこに燃える情熱に迫ります。
こんにちは。こんにちは。
1%の情熱物語322回です。皆さんお元気でしょうか?
元気ですか?
えーと、話のネタを振りますが、
なんかさ、サヨリちゃんって部屋の模様替えとかってするタイプ?
あんまりしないかもです。
あ、そう。なんか俺女子、女性はなんか模様替えが好きなイメージがあったんだけど。
そんな、あれなんだ。それは偏見ですか?
いや、ほぼほぼね、1回住んだらそこのままでしたことないですけど。
あ、そうなんだ。へー。
みっちさんは?やっぱりしない?
いや、俺もね、ほとんどしないんですけど、
この間ね、なんか何年ぶり、数年ぶりかにしまして、
なんかちょっと気分を変えたいなというのもあったんですけどね。
なんかいいよね、と思って。たまには。
何を変えたんですか?
いや、配置をですよ。ソファーの場所とか、キャビネットとか棚の場所とか。
それ結構ガラッと変えてみたんですけど。
ちなみに僕は前の妻とずっと一緒に住んでたときは、
家の中はもう妻に任してたんで。
元妻ですね、元嫁ですね。
何にもしなかったんですけど、それがお別れしまして今一人なので、
いつか発表しましたけど、
なんでこれがここに置いてあるんだろうってふと思ったりして。
なるほどね。
これ別にここじゃなくてもいいんじゃねえかみたいな。
03:02
いろいろちょっと動かしてみて。
そしたら断捨離とかもできるし、これいらねえじゃんとかさ。
これもこれももうこれもいらねえってなって、
どんどんどんどん家が広くなったみたいな感じで。
いいですね。
模様替えいいぞとか思ったんだけど。
やっぱ気分変わりました。
なぜ俺はこれをやらなかったんだろうってふと思って。
それの模様替えの効能っていうのはなんかいろいろあるなあっていうのが。
確かに。
掃除もするしさ、やっぱり家の中。
そうですね。
なんかね、我が家の場合は模様替えってなると、
壁ができたりとかドアの位置が動いたりとか、部屋が一個できたりとかするんですよね。
そう。
模様替えじゃないね、それはもうすでに。
模様替えじゃないんだけど、でもやっぱそうするとね、新鮮な気分にはなりますよね。
なるね。そうと気分も変わるしね。
確かに。いいですね。
なんとなくね、大統領も総理大臣も変わる時期ですし。
心を新たに。
気分を新たにしてもいいんじゃないかというね。
していきますかね。
ということで、もう一回一人のインタビュー。
本編に入りますね。
はい。
毎回一人の方のインタビューを4回に分けてお届けしているこの1%の情熱物語ですが、今回はですね、音楽家、ジャズトランペッターでいらっしゃる佐々木亮さんのインタビューの2回目です。
はい、先週がね、ニューヨークのジャズシーンというかね、亮さんの活動ぶりがちょっと想像できたんじゃないかと思うんですけど、
今週が過去の話ということで、生まれ東京で結構ね、なんていうのかな、普通ではない人生を歩んできた感じがかもし出ているんじゃないかなと思いますが。
そして最後に衝撃的な、というか運命的なエピソード。
面白いと思います。
では聞いていただきましょう。
はい。ちょっと幼少期のどんな子供だったかっていうのをちょっと客観的にちょっと語っていただいてもいいですか。
そうですね。
06:07
どのくらいの歳ですか?
覚えてる感じですけど、小学校、中学校、勉強が得意だったとか。まあ楽器はまだやってないですもんね。
そうですね。小学校ぐらいまでですね。かなり変わってたと思うんですね。
そうなんですか。どのように。
母親が自分が小さい頃亡くなりまして、うろ覚えというか、4歳、5歳ぐらいだったと思うんですけど。
なるほど。
ときに母親が亡くなりまして、やっぱりそのね、なんかそれが人生を決定したような部分がありますね。
結構その小さい頃から、生きるっていうことに対しての疑問がすごくたくさんあったというか。
そのお母様が託された後に。
そうですね。こういうことが多分大きかったと思うんですよ、今思うとね。
それでなんかその、生きる意味みたいなものをもう多分そのぐらいからすごく意識して生活してきたんで。
っていうのと、あとはやっぱり、自分の生活の中で足りないものが、母親っていうものが足りなかったので。
なんかそこで、自分の側は人と違うんだよっていうのをすごく意識したっていうのはありますね。若い頃ね。
いつもじゃあ何かその満足感というか、何か足りてないなっていう虚無感みたいなものがあったんですかね。
何か足りてない。そう、虚無感とかっていうのではないんですけど、なんかやっぱりこう、なんかこうはみ出てるというか、なんか違うな。
本人もそれは自覚してたというか、俺変わってるなと思ってたんですか、学校とか行って。
変わってるなというか。
浮いてるなみたいな。
いや僕は僕で別にいいじゃないのっていうのは、なんか人と同じことをするのが嫌でしたね。
09:00
なるほどですね。
逆にそのやりたいこととか夢みたいなものはありましたか。
その時はそんなにはなかったと思うんですね。まあ音楽に出会う前はそこまではなかったですね。
そうか。じゃあそんな感じで音楽に出会ったというか、そのトランペット始められたのがいつ頃になりますかね。
それは15ぐらいだと思う。中学2年生の冬だったと思う。
15歳か。それは何かきっかけは何だったんですか。
それはですね、クリスマスだったと思う。クリスマスイベかクリスマスだったと思うんですけど、うち結構ね家がめちゃめちゃだったんですよ。
めちゃめちゃ。
家庭が崩壊してたというかある意味。暴力とかそういうのはなかったんですけど、父親との再婚相手がいまして、その人たちと一緒に住んでた。
で、要は原地外の子供?原地外の兄弟というか何て言うんですかね。が姉妹。兄弟姉妹か。弟と妹がいまして。
それで父親、母親、ステップマザーと5人で住んでたんですけど、家庭として機能しなかったんですね。
それでそういう時にクリスマスの時に一人で、普通クリスマスだったらクリスマスみたいな催しがあるじゃないですか、家の。
家族みんなで食事したりとかそういうことですか?
そうそうそう。一応クリスマスっぽいことをやるというイメージがあるんですけど、わかんないですよ。他の家庭は。
うちはそういうの全くなかったんで、テレビに来たら、ウィントマルサリスっていう80年代前半にジャズリングがバーって出てきて、今もジャズの中心的な人物にはなってると思うんですけど、
その人がトランペットを吹いてたんですよ。クリスマスコンサートか何かの模様がテレビでやってて、それ見てこれやりたいって。
12:04
かっこいいなって思ったんですか?
そうですね、これやりたいって。
それで中学校2年生くらいの頃。
そうですね、冬ですね。
こちらの言い方ですと、ミュージックバイチューみたいな感じで、取り憑かれた。
なるほど。そこに衝撃的な何かがあったんですね。
そうですね。
ビビッときちゃったんだ。
そうですね、はい。
それでトランペットを買いに行くんですか?
はい。僕音楽は元々結構好きだった。聴くのは好きだったし、音楽の授業も好きだったんだけど。
音楽の先生がすごく仲良かったんですね、その当時の。
なるほど。
で、トランペットできるところは吹奏楽部しかないじゃないですか。
そうですね、部活でできるとかってことですね。
で、トランペットやりたいから吹奏楽部入れてくれって言って、すぐ行って。
当時の吹奏楽部というか、うちの中学校の吹奏楽部って女の子がやるみたいなイメージがあったんですよ。
なんとなくわかります。
基本的には女の子しかいなかったんですよ。
で、僕たぶんすごい変わってて、本当に変わってるというか、ひねくれてたんで。
今もひねくれてますけど、ひねくれてたんで。
音楽の先生も僕のことよく知ってたんで、ちょっと躊躇したんだと思うんですよ、入れるのをね。
なるほど。
ただ、トランペット貸してあげるから、誰にも言っちゃダメだよって言って、学校の備品を貸してくれたんですよ。
じゃあ、吹奏楽部には入れなかったけど、トランペットを貸してやるぞと。
半分体験入部みたいな感じでだったんですけど。
はいはい。
そうそうそう。
で、一応トランペットの持ち方とか、こうやってやるんだよみたいなのをちょっとだけ教わって。
言ってもいいと思うんですけど、言っちゃダメだよって言われたけど、楽器を持って帰って練習していいよって言って。
そうなんだ。
学校の楽器を貸してくれた。
15:00
なるほどね。
それで、もうYouTubeなんかない時代ですよね。
そうですね。
なので、いろいろレコード屋さん、当時はもうCDになってますけど、CDを見に行って、レコードジャケットあるじゃないですか。
ジャケットのトランペットの写真とかあるじゃないですか。
そんなお金もないんで。
とか、図書館行ってジャズのミュージシャンの写真集とか見て。
で、こういう風に吹いてるんだなとか、頭の中で勝手に考えて。
で、こう、見よう見まねっていう感じですね。
じゃあ、それはもう本当にトランペットにのめり込んでいったんですかね。
しかも独学で。
そうですね、基本的にはね。
教えてくれる人は。
ただ、中二の時はもういなかったですね。
ただ、中二の冬だったんで、高校受験もあったんで。
だから、そこまで実際にすごくやり始めたっていうのは高校入ってからじゃないですかね。
ああ、そうなんですね。
で、高校入られてから。
それは水素学部入って。
ああ、そういうことですね。
それで、本格的っていったら語弊がありますけど、そこでちゃんとやり始めたっていう感じですね。
それはでも楽団の中での演奏ってことですもんね。
そうですね、そこしか演奏する場所とか、トランペットできる場所がなかったので。
その時からジャズっていう頭になってたんですか?
そうですね、ジャズがやりたくてトランペットをやったんです。
ああ、そうなんですね。
なるほど。
なんかでも、すごいな。
中学2年生って、やっぱりそういう時期なんですかね。
音楽にビビビっときちゃうというか。
中二病ですよ、中二病。
中二病とはよく言ったもんだなと思いますけど。
でも、そうやって振り返ると、よくここまで来たなとは思いますね、たまにね。
頑張ってるっていうか、真っ直ぐに寄り道というか、道は真っ直ぐじゃないけど、
18:00
ブレないで今もやってるっていうか、
自分でブレないでやってるっていうのは褒めてあげるというか、
一つのメッセージがあるんだと。
そういうふうに思いますね。
そういうメッセージをあげるって言うか、
違うメッセージだと、
どんな感じのメッセージがあったかっていうことになるんですよね。
そういうメッセージがあったと。
けどまあ自分でブレないでやってるってのは褒めて めったけるというかまあまあ一つのなんていうかな
はい 自分の
こう 自分というものをそこがなんかある一つこうリプレゼントしてるっていうか
ような気がしますねそこの意味そのとっから今の 続いてるっていう
まあでもそんなねりょうさんの生き様みたいなのが その冒頭の話にあったみたいなその音に出てくるというか自分のストーリーを語れる
っていうふうにおっしゃってましたけど 出るんでしょうねきっとねその味わい深さみたいなものが
うーん どうなんでしょうねまあ
あんまり考えてないですね正直ねあの そうなんだ
そうですねあのいや あれば出てくるしなければ出てこないしどっちでもいいんだっていいんだと思いますよ別に
それはあの でも
僕が 好きじゃないのはそれがあたか
それを自分の意思で出してしまうっていうのは僕のスタイルではないですね
自然に出てくるものじゃないとダメだ そうですねそれはこう話してる
ちょっと話してることにも同じだし 例えばまあ俺はこんな風にやってきた俺は俺はっていう風に
なんか言うのはすごく いやですねいやというかそんな話は別に僕
まあ今インタビューなんで話してますけど あの別に自分から話すようなことでもないし別に
あの そこ
に こう
なんか思いっきりは思いっきりないですねその音楽をやる上にしてももうちょっと違うものが うーん
それよりも自分の感情とか
こう生き様よりももうちょっと大きいものが人生にはあるんじゃないかな 人生にしても音楽にしても
なんでまあそこは別にそんなに重視はしてないですね自分の中で
21:04
なんかちょっと哲学的な話になってきたけどちょっとまたそれ次回深掘るとことにして
じゃああのあれですよねトランペット始められて ちょっとまあプロフィールにあると思うんですけど
アメリカボストンのバークリー音楽院に在籍してらっしゃったということで
あのまあトランペットで その
それをもうちょっと深めるために学校に行かれたっていうことですかね もうそれはもうプロのトランペットになるつもりで行かれたってことですかね
そうですね
でまぁ一旦そこから96年から2000年までアメリカにいらっしゃってボストンバークリーですね
一旦日本に帰られてジャズクラブとかで演奏やレッスンを行うと 2006年にアメリカで永住権取得っていう風になってるんですけど
この移住のきっかけっていうのは何だったか聞いてもいいですかね
これはですねちょっと長くなってしまうんですけど大丈夫ですか 大丈夫ですか
そしたらあのまずえっと僕はいわゆる宝くじ 日本で言うとなんて宝くじグリーンカード
ロッドイグリーンカードっていうのがあって抽選グリーンカードですね
がありまして
もうその当時出した2004年だったかな DB2500
2005に出した 2004年に応募したんだと思うんですね
でそれもきっかけがあってあの僕
一個上の兄貴がいるんですけど
兄貴がアメリカがすごい好きだったんですね
でなんかそのアメリカに行きたいみたいな兄貴があったんですよ 僕はまあ別にまあまああったはあったと思うんですけど
ある時兄貴が電話かかってその時一人暮らししたんで 兄貴が電話かかってきて
その抽選プログラムに応募するから お前英語できるからちょっと手伝ってくれと
その時はもうすでにwebで応募できるようになったんですね
それでまあその兄貴が住んでいるところに行って
写真をデジタルカメラに撮ってアップロードして まだ兄貴のフィロインしたんですけど
アプライしたんですけどその時にいやお前もじゃあなんか簡単にできるからやっとけよっていう風に言われて
こんなの当たるわけないじゃんって思って まあまあでも別に今やったしあの写真撮ってバッてやるだけで10分ぐらいできるんで
24:09
えっと僕も出したんですよ
で 6ヶ月ぐらい
したのかな多分次の年の 春だと思うそうですねえっと多分だから2005年の春かな
真夜中に その時僕当時新聞配達してたんですけど
新聞配達のバイトをしまして その日はねちょうどオフだった
オフで夜中の3時ぐらいだったかな まあ一人ビール飲んでなんかこううだうだしてたんですけど
兄貴から電話がかかってきまして
お前なんかそのケンタッキーなんとかなんとかから 手紙が来てるって言うんですよ
で兄貴はそのなんかグリーンカードの抽選後のプロセスとかっていうのもある程度なんか調べてたらしくてこういうのが来るっていうのをなんか知ってたらしいんですよ
でお前絶対これグリーンカードだよって言って もう夜中の3時じゃないですか
何言ってんのってお前酔っ払ってんでしょって言って
でどうせそんなスパムメールじゃないのっていうとりあえず開けてみてよって言って開けてみて
なんかコングラチュレーションって書いてあるからお前絶対当たったんだよって言われて
分かった分かったって言って
どうせ多分なんか変なスパムメールだなぁと思って
じゃあまあとりあえず明日取りに行くから置いといてって言って
次の日取りに行ったんですよ 全く期待せずに
それで
開けたら当たってた 本物だったんだ
はい すごいですよお兄さんは当たってなかった
はいはいはい 僕から当たった
なんかそういう話よくあるなぁ
なんかねオーディションについて行った方が受かっちゃう
でこれにはちょっとあの面白い話がありまして
でまぁでも行くしかないと せっかく当たったし
そんなに失うものもなかったんで
行くしかないと思って
まあその6ヶ月後ぐらいに大使館か領事館かな 領事館か
に行って面接するんですね
でその時に
健康診断の結果とか例えばその時もなんか梅毒とか
27:03
そういう病気とか肺の病気を持ってたりすると
なんか跳ねられるとかそういう話が確かあったと思うんですよ
まあ今ちょっとそのレギュレーション変わってると思うんですけど
でまぁその面接して他にもその預金で何だか出してくださいとか
まあそういう
そこで面接して初めてもらえるわけなんで そこで弾かれるっていうことも当然あるわけで
まあその健康チェックとその預金で何だかのクオリファーがあるんですね
そういうのとかあとその
その学校高校卒業以上の学歴とか確かそんなのとかあると思うんですけど
その面接行った日に
面接官呼ばれてまあ一応これ全部処理を提示してもう一回呼ばれたんです
あのちょっとここフィロインしてないから
帰ってくださいっつって えーっと思って
すごく何回もまあ全部自分でそのプロセスは自分でやったんですけど
何回もこれ見直したつのにあれそんな抜けてたかなと思っておかしいなと思って見たら
僕の出生の母親の誕生日を書かないといけなかったんです
で母親の誕生日なんてもうずいぶん昔になくなってるし
僕自身はそのね例えば母親の誕生日気にしたことが今まで一度もなかったんで
それであのー
おかしいな
4歳か5歳でお母様亡くなれてるってことね
先週話出ましたけど
なんでどうしようかなと思って
でまぁその携帯電話あったのかなその時
そのおばあちゃん家にまだまだいたんでおばあちゃんに電話をして
お母様の誕生日を覚えてると
覚えてるって言って
そしたら今でもすごく覚えてる5月の20日だったんですね
5月20日で
え?って思って
でその時は別れてたんですけど
あのー当時すごくお世話になった女性の方がいまして
お付き合いさせていただいたっていうのかな
固い言い方だった
ガーフレンドですね当時のガーフレンドも
でその人が僕の母親と同じ名前になったんですよ
30:03
あのまあそれは別に単なる偶然ですね
偶然で漢字は違うんですけど同じ名前
その時にあれ?って思って
あれ?同じ
僕の元彼女と同じ誕生日だと思って
で僕はその人にすごいお世話になったというか
自分のなんて言うんですかね
あのまあ助けてくれたというかいろんな意味でね
であれ同じじゃんと思って
でこれまあ後でそういうのを思ってみると
これはねあのこの話を他の人にもしたんですけど
それはねあのりょうくんとお母さんが絶対助けてくれたんだよ
でそれはなんか今でもなんかそれは
なんかそういうふうにあの亡くなっても
こう僕を守ってくれて
なんかそれはなんかねあの確信がありますね
へー
だそれでやっぱその人生のこう分かり道じゃないですか
そこで受かるか受からないかっていうのもそうですし
なんかその今人生のその分かり道の交差点に立ってる時に
こうやっぱ助けてくれた
へーまあでもその意味でも
ね思い出しということはそれだけやっぱり
心の支えになってたんでしょうね
うーんなんかその
なんかどこに今いるかわかんないんですけど
あのまあユニバースの中で
それはなんかよく思いますね今ね
それでやっぱりこう
本当に人生が変わったんで
変わったしなんかその自分の生き方っていうものも多少やっぱりそこに
変わってきたというか
まあそれだけじゃないけど
そっか
なかなか
なんかちょっとドラマのワンシーンに出てきそうなエピソードでしたが
やっぱそういうことあるんですね
あのゴーストのあの映画のゴーストでロクロ巻きしてるみたいな
まあまあまあまあ
あそこまでじゃないけどまあまあそんな
なんか助けてくれたんだなというか
こういうふうに
してくれたんだなってこっちに行きなさいって
素敵なお話でしたね
でそれまでは
本当に日本に行ってもううだつが上がらなくて
33:02
なんかもういろいろ
こう
日本に帰って
まあそう2000年か2006年ぐらいかな
なんかいつもこう
疑問を持っていたこれでいいんだろうかっていう
なんかその疑問を
常に持っていまして
いて生きててそれもやっぱしんどかったですね
それはでもジャズトランペッターとして
生計を立てれてたんですよね
いやその時はバイトしてて
そのライブなんて月に何本かあるぐらい
し演奏も全然良くなかったと思いますし
なんで
その
音楽やる人間としてもそうだし
その生き方としてこれでいいのかな
なるほど
なんかこの疑問は常にあって
ちょっとこう悶々としてたというか
なんかこう
いいのはありますね
なるほどな
まあでも本当にそれはいい天気になったというか
グリーンカード当たって
ニューヨーク行ったのかと
なったわけですね
じゃあちょっとその後の話から次に行こうかな
いろいろと詰まった回でしたね
やっぱりちょっと衝撃的というか
5歳でお母様が亡くされているという
僕ちらっと言ったかもしれないけど
グッド地球弁という番組でも取材を
量産されていて以前ね
その番組の中でもそういったエピソード出てきて
お父さんとのやりとりとかも出てくるんで
ちょっとぜひ興味ある方見てもらえたらなと思いますけども
まあでもその出来事はもちろん大きかったとは思うんですけど
割とでも何ていうのかな
思春期って何のために生きてるのかなって
1回ぐらいは考えたことあるんじゃないかと
皆さん思うんですけど
皆さんね
ソウルちゃんもありましたか
そういう
ありますよね
やっぱ中学高校って多感な時期だからね
なんかいろいろ考えますよね
そうよね
まあでも幸いにもというか
なんというかこのトランペットに出会えたっていうことが
36:03
こう良かったというかね
なんつうか
それでさらにあれですよ
最後の話もありましたけど
グリーンカードに当たるっていうね
しかも自分で応募って言うよりも
ついでに応募ってよくあるパターン
そうそうそう
明らかに引き寄せられたというか
運命というか
そうだ俺でもその中二病の話にちょっとまた戻るけどさ
これインタビュー終わってから思い出してたのが
中二病ってやっぱりよく言ったもんで
すげーよなって思ってたんだけど
ハイローズっていうですね
前にも話したかもしれないですけど
ブルーハーツ
ザブルーハーツのコウモトヒロトとマーシーが
次のブルーハーツ終わってからやったバンドが
ハイローズって言うんですけど
そのハイローズの歌の中で
14歳っていう歌があって
これめちゃくちゃ俺好きなんですけど
結構聞くと聞くだけで泣いちゃったりするんですけど
それもやっぱりロックに出会った
ヒロトはロックに出会った時の歌なんですよ
おそらくね歌詞を読む
その衝撃が14歳の時から多分消えてなくて
めちゃくちゃいい歌詞なんで
ちょっとみんな聞いてもらえたらと思うんですけど
なんか両さんにとってのそれがトランペットであって
それってずっとだからもう人生を支えてくれるっていうか
楽しくしてくれてるんじゃないかなと思ってね
確かに
すごいやっぱり人生に影響する大事な時期ですね
いやでもこのクリスマスに一人でテレビを見てっていうのも
なんというか
音楽家の方とかアーティストの方って
やっぱり自分の人生で経験してきたものとか
哀愁みたいなものってやっぱり滲み出るじゃないですか
そういう意味ではね
そういういろんな経験を元に演奏されてるんですよね
ね前回も言ってましたけど
ストーリーが自然に出てくるっていうふうに言っておりましたが
やっぱそういう深さみたいなのをね
どうやって生きてきたのかなっていうところにも出るんじゃないかなと思うんですけども
39:01
グリーンカードの当選もね
なんかお母さんにもらったっていうふうな言い方をされてたけど
それもそれでなんか捉え方として
素敵やなーって思いましたね
ほんとそうですね
いや確かにそれはさ誰にもわからないじゃないですか
でもその考え方一つでそうだなって思ったら
なんかオシャレになるのよね
オシャレっていうか
全てが
まあそうね
でも本当にそうかもしれないですね
うん
わかんないね
素敵なストーリー
そう本当そうなんですよ
それに尽きるんですけども
そしてニューヨークに行ってしまったと
行ってしまったというか
なんていうか導かれたのでしょうか
そうですね
で次のお話がニューヨークの話ですね
そうですね
まあ最初にニューヨークに来て
どうやってプロになるかみたいな話とか
あとは例によってこの哲学的な話だったり
その働く仕事の姿勢というところですかね
うん
なかなか面白いと思います
はいでは楽しみにしております
はい
リアルアメリカ情報
よっ
このコーナーでは最新のビジネス生活情報を
アメリカロサンゼルスよりお届けしてまいります
あの今年のオリンピックがね
まあ1ヶ月前くらいに終わりましたけれども
パリがはい
ですねパリが終わりましたけれども
もう4年後ですよ
ロサンゼルスオリンピックが
早いものでまだまだ先かと思ってましたが
はい2028でございます
で今いろんな工事が
ロサンゼルスの各地で行われていたりするわけなんですけれども
ロサンゼルスは1900年代に
1900年1980何年かな
4年だか6年だかなんだからその辺ね
そうそうにロサンゼルスオリンピックっていうのをやってますので
その時の会場もあるし
他にソファイスタジアムだったり
クリプトドッグアリーナだったり
42:00
いろんなアリーナとか会場があるので
新しいねスタジアムの建設っていうのは予定されてないんですけど
ただ
まあまあそれもあってソファイとかもできたってことか
あーかもしれないですけどね
どうなんだろう
なんですかね
なんかこれといってそのために
わざわざいろいろな施設を作るみたいなことは
なさそうなことが書いてあったんですけど
ただロサンゼルスというと非常に交通の便が悪くて
渋滞してというね
まあね電車がはまり走ってないってことですね
とにかく車で移動するしかないから渋滞しちゃうと
渋滞しちゃってという不便さがありますので
そこをなんとか解消しようと
いろいろとこう特に空港周りとかね
工事が行われておりますと
ほんでもってじゃあ一体何ができるのかという話なんですけど
まず一つ目はですね
あのロサンゼルス国際空港LAXの
オートメイテッドピーポームーバー
人を動かすピーポームーバーっていうのができるらしいんですね
で空港の各ターミナルと駐車場とか
あとレンタカーセンターとか
あとは鉄道の駅を結ぶピーポームーバーの
それはいろいろだからモノレール的なものなのかな
多分あの
車ではないってことだよね
車ではないですね
多分もう結構半分ぐらいできてるような気がするんですけど
多分モノレールですよね
レールが見えるから
はいはいはいなんとなく
まあ日本もね空港から出てるけど
まああるよねニューヨークとか
あそうなんですか
ラスベガスはちょっとなんかモノレール的なものよくあるよね
ラスベガスは空港まではないけどね
あの街中走ってますもんね
そうLXはとにかく空港からどっかに行くのが
どうにもならないっていう感じなんですよ
まあまあでもそれを作ってくれてるのね
まあそれはでも楽だよねそれだけでも
やっとこさね
やっとこさそれができるということで
ちょっとこうね車持ってない旅行者の方
が便利になるかなと
うんうん確かに確かに
もう一つがメトロクレーン
メトロのクレーンショーLXライン
Kラインっていうのがねありまして
ああそうなんだ
45:00
なんかね途中までもう開通してるのかな
クレーンショー
LXと市内を結ぶ鉄道アクセスを強化するらしくて
えっとね空港近くの新しい駅
アビエーション96ストリートステーションっていうのができて
そこからピーポームーバー
さっきのねピーポームーバーと接続して
空港まで入れると
空港まで行ける
ピーポームーバーで駅に行ったら
駅からそっから鉄道で市内に行けると
いうようなのも考えてるらしいと
それできたらね
今のドジャースタジアムの幹線に行く人とかも
もしかしたら車なしでも行けるかもね
それだったら便利ですけどね
ダウンタウンに泊まる人多いからね
だからLXからそのピーポームーバーに乗って
そのねメトロの駅まで行けたらダウンタウンに移動して
そっからシャトルに乗って球場まで行けるようになるもんね
そうですね
それ便利だな
3つ目レンタカー施設の統合
LXの周りに今いろんなレンタカー屋さんがね
点在してるんですけど
それをまとめたコンラック
コンソリデーテッドレンタカーファシリティ
というものが建設されるんですって
なのでレンタカーを借りたい人とか
返却した人はそこの建物に行くと
今はエイビスとかエンタープライズとか
なんかいろんな各社が違う場所でいろいろやってて
ややこしいと
それを一緒の場所にした方がいいんじゃないかということですか
ですって
それハワイ確かそうだよね
そうなんだ
ハワイの空港は全部のレンタカー会社同じとこにあるはずだよ
確かに
便利ですよね
でまたそこにピーポームーバーが
それでピーポームーバーがある
そうそう
ピーポームーバーの名称いいのかなそれって
覚えやすいからね
ピーポームーバーでいいのかな
で、4つ目がエアタクシー
おお
これがね本気でやってるらしいですよ
つい先日グローブにもその展示がされてたのか
着陸したのかわかんないけど
垂直の着陸ができる
まあヘリコプターみたいな
ドローンみたいな
48:01
ああそうそうドローンみたいなやつね
がエアタクシーとして今許可を申請してるらしいんですけど
デルタエアラインとジョビーアビエーションというとこが提携して
頑張ってるみたいで都市部からLAXまでの移動も
できるよって考えてるという
それが28年までできるんだじゃあ
予定では
乗っているがまあどうなるんですかねっていう
まあどうやろうね一般の人が使えるようになるレベルだと
なかなかハードル高い気もするが
と思いますけどね
まあなんかその主要な人だけが乗れるみたいなのがあるかもしれないよねその
ちょっとこうアトラクションみたいな見せ物みたいな感じかもですけどね
トムクルーズが降りてくるみたいなやつ?
今度はフランスじゃなくてLAにね
あるかもあるかも
それは普通にありそうだなヘリコプターとかね
ありそう
まあまあそんな感じの取り組みで色々インフラ部分がね
変わる取り組みをしてると
まあでも何にしろ時間かかるよね工事こちらの
そんな文句言ったらしょうがないんですけど
かかるよ
いつまでやるのって思うもんね
いつからやってんのって
本当にずっとやってますよねLX周辺の工事ね
やってる
なのであと4年ぐらいやるんだと思いますよ
楽しみですね何か知らんけど
本当にピーポームーバーできれば結構便利になるかもしれないので
皆様も楽しみにしていてください
リアルアメリカ情報でした
締めのコーナーです質問
質問えっとですね
りょうさんの話で先週もあったんですけど
技術って自由じゃないですか
表現が色々様々
僕らは楽器はあんまり弾けないけど
今喋ってる言語を使っているわけですよね会話
51:02
会話もある意味俺はジャムセッションみたいなものだと思ってもいいんじゃないかと思っていて
楽しむっていうそれを
そういう意味で見た時に何か好きな会話とか好きなリズムみたいな
ものってありますかっていうちょっと意味がわからないかもしれない質問なんですけど
どういう系の会話が好きですかみたいな質問
乗ってくるっていうか自分が
面白い質問ですね
私は結構相手のリズムというか相手のペースに合わせちゃうので
自分基本
基本なんか相手がゆっくり喋る人だったらこっちもゆっくり喋るし自然と多分人に影響されやすいから
相手がすごい元気に喋る
そうめっちゃ早く喋るみたいな
感じなので特にこれと言ってないですけど
みつさんあります?
逆に言うとその共感能力が高いというかお声に合わせられるってことだよね
それはそれで
自分がないから何でも合わせられちゃうのかな
いや俺も
俺はちょっとだけ考えてみたんだけどやっぱり知らないこととか
新しいこと
普通に知識として知らないこととかでも興奮っていうか楽しいし
視点で角度を変えてそういう見方もあるんだみたいなことをパッと言われると
楽しくなってくるっていうか
このインタビュー自体は常に楽しいんですけど
いろんな方のいろんな視点でその仕事とか
海外で暮らしてみる話みたいなのが聞けるのは嬉しいし
あとは共感できるときっていうか
そうだよねみたいなふとした
笑いのツボが合うとかもそうかもしれないけど
ああ確かにね
そういうのはねやっぱ楽しいよね
確かに確かに
同じとこで笑ってるわみたいなとか
それもなんかジャズっぽいってことはちょっと無理矢理こじつけかもしんないけど
会話もやっぱなんかジャムセッションなんじゃないかという
でもちょっと今言われて思ったんですけど
54:00
私英語で喋るよりもスペイン語で喋ってる方が好きで
リズムが合いますね
かもしんないね俺もそうかも
そんな別にスペイン語めっちゃ喋れるわけじゃないけど
なんかね英語だとほんとやっぱスピードが基本早いじゃないですか
でブワーって喋るんですけどスペイン語だとちょっと音楽みたいに
なんかタタタタタタタタタタタタターみたいな感じなのね
そうそうそうそっちの方が喋りやすいし日本語に近いからかな
まあでもプログラマーはやっぱりプログラミングでそういうリズムを持ってたりするのかなって
今ふと何かその話を聞いてて
言語がいろいろあってさ
やっぱたけてる言語だと、タカタカタカタカってなんかそのリズムに乗ってこう、仕事ができるんじゃないかな、みたいな。
好き嫌いはありあるでしょうけど。
いや、なんか面白いよなーって。
そうですね。確かに。いろんなものに音楽は例えられる、つながってるって感じですかね。
うん、面白い。
では、閉めますね。
はい。
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ということで、今週も聞いてくださってありがとうございました。
ありがとうございます。
また来週お会いしましょう。
んじゃれ。
56:31

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