Speaker 1
やっぱり倉木さんみたいに保守と確信、
僕もそうだったけど、
確信っていう言葉の中の保守主義を、
自分の考えとして肯定できてる人って、
なんでこんな少ないのかなと思った時に、
軸が一本足りないんだなと。
要するに二軸で保守と確信みたいな感じ。
上下なのか左右なのか。
Speaker 2
どっちかしかないってことですね。
Speaker 1
よく左翼右翼みたいな、
左派右派みたいなのがありますけど、
確信と保守っていう左右の数直線に縦の軸がもう一個あって、
それがリベラリズムとコミュタリアニズムっていう。
よく確信とリベラルっていうのが、
三つ結合して多分みんな思ってる。
Speaker 2
リベラルっていうとサハラっていう感覚があるじゃないですか。
Speaker 1
だけど実はリベラリズムということと、
確信っていうことは別概念。
Speaker 2
そのやり方の問題が保守と確信で、
Speaker 1
大事にするものの違いが、
リベラリズムとかコミュタリアニズムっていうこと。
まずこの概念と4省元に分けられる。
上例えばリベラリズム、下コミュタリアニズム、
左確信、右保守みたいな4省元に分けると。
いったときにリベラリズムって端的に言うと、
個人の自由と平等な権利っていうことを大事にするよね。
コミュタリアニズムっていうのは、
個人の根折り目みたいなのが出てきて、
個人主義の行き過ぎみたいなことに対して警鐘を鳴らし、
地域の共同体とか家族とかそういうのを大事にしたほうがいいよねっていう考え方。
実はもっと大事にするものってこの2つだけじゃなくて、
もっと以前には例えば権威主義とか国家主義という考え方があって、
その要は王様のために国って存在してるよねとか、
国が一番重要で個人なんてそうでもないよねっていう考え方があったけど、
Speaker 2
これは多分現代においてこれを堂々と提唱してる人ってあんまりいないじゃん。
Speaker 1
実際は権威主義の国でも別にそうは言ってないっていうか。
Speaker 2
個人が認識されるようになってからはもうこの社会になってますね。
Speaker 1
現実の思想の中では、
共同体主義なのか個人主義なのかっていうことになってるんだと思うんですけど、
まず保守革新で言えば全身的に変化するっていうものなんだけど、
僕リベガニストではあるんですよ。
そうですね。
イタリアンじゃないんですよね。
だから地域をすごく大事にするために個人の自由を抑制しようとか、
会社の飲み会みんな出ないとダメだよとか、
家族は毎月集まってちゃんとご飯食べようとか、
あんまそういうことがすごく大事っていうよりは、
個人がお互いに自分の自由とか平等っていうものを尊重しあって、
個人としての充実みたいなものを追求する社会の方に共感があるタイプ。
なので保守のリベラリストなわけですよ。
なるほど。
これが多分僕の立場の分かりづらさみたいな、
いろんな人から見たときの分かりづらさを生んでるなと思うんで。
要は革新のリベラリストと保守のコミュタリアンっていうのはすごく分かりやすいんだと思うんですよ。
分かりやすいですね。
なんだけど、じゃあ逆に僕が保守のリベラリストだとして、
その逆側にあるコミュタリアンの革新、
つまり共同体重視の革新主義者って、
Speaker 3
これ代表的なものって多分ナチなのよ。
Speaker 1
要するに共同体、国家という共同体、あれは国家主義だったんだと思うんで。
共同体を重視するけど、既存の要は王政みたいなのをぶっ壊して、
ナチ政権をドーンと立てて、国の仕組みを全部変えてみたいなやり方って、
すごく革新的なやり方なんで。
ここも結構勘違いされやすくて、
トランプ政権とは何ぞやみたいなのを考えてみると、
要は偉大なアメリカを取り戻すみたいな感じで、
Speaker 2
コミュタリアンっぽいじゃん。
Speaker 1
南部のラストベルトみたいなところのアメリカの価値観をもう一度みたいな、
すごいコミュタリアンっぽいし、
なんだけど、じゃあイーロン・マスクってさ、
コミュタリアンっぽくないじゃん。寝降り部の代表みたいなもんじゃん。
そうですね。
なんでこの人たちが同じ箱の中に入ってるんだろうって思うと、
Speaker 2
これ多分、現状に対する不満を革新的な手法で変えたいっていうことだけで一致してるんだと思う。
Speaker 1
だから、まさにこれってコミュタリアンとリベラルが、
革新でだけ、つまりぶっ壊すことだけで握った怖い政権だなっていう。
Speaker 2
そうですね。トランプさんが再当選したのも、国民がそれを求めてるみたいなところもありますからね。
Speaker 1
そうなんですよ。だから怖いなと思って、
じゃあその前の民主党政権ってさ、どうだったかなって思うと、
民主党政権も、あれバイデンが大統領になったときの予備選って、
サンダースさんって民主党の中でも特に左派の方が大人気で、
あわや予備選当選か、あわや当選かみたいな感じだったときに、
民主党はバイデンで最終的には調整がつくっていう感じだったと思うんだけど、
つまりその時点でだいぶ、民主党の中でも左派の人たちの意見を取り入れないと、
取りまとまらなかった政権が、たぶんバイデン政権だと思って、
つまり、実は革新の中でもかなり強い革新勢力の政権だったっていうことを言うと、
民主党政権もかなり強い革新勢力で運営してて、
今回、みんな革新から保守にみたいな言い方してるんだけど、
これ現実には革新から革新になんだよね、政権交代が。
こうなっちゃうと、たぶんもう止まんないっていうか、
何なら民主党の革新主義が、今回の逆の革新主義を生んだみたいな感じなのよ。
不満が非常に大きくなる。要するにぶっ壊された人たちがいるから。
だからやっぱ保守主義的、リベラルかコミュタリアンかっていうのは、
それぞれの価値観、どっちが正しいかはないと思うけど、
その実現の仕方においては、革新的に物事を変えてしまうってことの、
怖さみたいなことって、もうちょっと世の中的にも共有されていい気がするっていうか。
Speaker 2
そうですね。変化をした方が良いって、これみんな思うじゃないですか。
なんか懲り固まってみたいな、既得権益を守ってみたいなものに対しては、
やっぱり変化していきたい。変化を前向きに捉えていきたいっていうのがあるとしたときに、
言葉として保守と革新って言ったら、革新しか選べないっていうか、
日本語の問題なのかもしれないですけど、
変え方っていうのが、前に進める変え方と、
保守は多分同じ道を前に進むって感じだと思うんですけど、
革新は別の道を進もうってことになる。
だから、ベクトルが変わってしまうので、
でもこれ、行く先がしっかりしていれば多分道は変わんないんだけど、
みんなもう分かんないところがあるんでしょうね。
この道先行っても多分ないなって、
もう一個今日のテーマ、希望になりそうな気がするけど、
この道の先に希望があるなと思ってたら、保守していけるんですよ。
Speaker 1
本当そうだな。
Speaker 2
アメリカとか日本もそうかもしれないけど、この先、希望がないなと思ったときに、
道を変えたいって思っちゃうんですね。
そうすると、もう革新を選ぶしかないっていうのがあって、
ついそこをリセットしちゃいたいみたいな感じが。
僕は保守って言葉に前向きに捉えられるようになったのは、
青木さんの影響もあって、
なるほど、保守とはそういうものかって自分の中でアップデートしたのと、
よくよく考えたら、僕プログラマーなんで、
Speaker 2
よく言うのが、保守性大事にってめっちゃ言うんですよ。
Speaker 1
めっちゃ言ってるよね。
Speaker 2
めっちゃ言ってるんですよ。
保守性って保守じゃんって思ってるんですよ。
保守性って言ったときに、保守性を変えないことではなくて、
後々変えやすくするために保守性を高くしとこうって言ってるんですね。
ソフトウェアの品質の保守性っていうのは、見通しの良いプログラムを書くとか、
コードを書くとか、後から変更しやすいデータモデルにするとかって、
全部保守性を高くする。
それ高くしたら何が起きるのって、何かいざとなったときに、
じゃあこの機能追加しようとか、このバグ見つかったら直そうってときに、
すぐ直せるって、すぐ直せるためには保守性大事だったって、
めちゃくちゃ僕保守って言葉使ってたのに、保守大事じゃんって思うし、
それこそシステムって大体いろんな現場見てると、やっぱりリプレイスしたがる。
けどリプレイスって結構確信なんですよね。
なんだけど、今のあるところをやっぱりちょっとずつ一個一個変えていく。
最終的には本当、テステフスの船じゃないけど、
全部変わっちゃうっていうのはあるかもしれないけど、
でも一気に変えないっていうのは保守だったなぁみたいな。
Speaker 1
確かに。だから保守確信っていうから誤解が生まれるけど、
その物事を良くするアプローチがエンハウスかリプレイスかみたいな感じで
考えていけば、やっぱり本当に僕とかくらみさん、
エンハウスで物事を変えていく。
エンハウスしていきますね。
エンハウスできる状況、要はなんていうかな、
保守性を高めておくとエンハウスがしやすいから、
しにくいんだよね。もうダメやみたいな。
リプレイスしかないみたいな。
で、やっぱりエンハウスでやれるってやっぱり希望があるっていうのは本当そうだなと思ったし、
僕がドラッガーにすごく感銘を受けるきっかけになったのは、
やっぱり彼がなんか僕はコンサルみたいな人だと思ってたんですよ、もともとは。
なんだけど本当は、なんで会社をコンサルティングするようになったかっていうところに重要性があって、
彼はナチ時代のオーストリアにいた人で亡命してアメリカに行ってるんで、
ライフワークがナチズムの台頭みたいなことを世界で再現させないためには
どうしたらいいかっていう問いから始まってるんですよね。
それが彼の27歳ぐらいのこの問いで、彼は今の産業社会において、
人々は会社という産業単位の中に自分の居場所を持って暮らしてて、
会社ってものが不景気とかで急に潰れたりとかすると、
そこで居場所を持ってた人が社会の中で遅延もない、都市に出てきて
暮らしてるから、遅延もなければ欠縁ともつながってない、
この大量の人たちが居場所をなくすことがナチズムみたいなものを生むんだと、
つまり絶望しちゃってみんな、もう全部ぶっ壊し変えようみたいなことに
先導されちゃうから、この産業社会においては会社が機能する会社になることが、
そこに所属してる人たちの居場所、位置と役割ってものをちゃんと提供して、
そういう機能する会社が社会の中で増えれば、
この社会全体が機能するようになる、自分はだから会社を機能させることをやろう、
みたいな考えでそこに立ってるんで、
なんかやっぱり絶望させないってことがやっぱり彼のすごく重要なテーマだったなと思ってて、
やっぱり絶望するとやっぱり希望がなくなると確信しようとしちゃう、
だからどうやってやっぱりそれぞれの持ち場でエンハンスできる状況を作るっていう、
会社なら会社でもいいし、学校でもいいし、
それぞれの機能単位を機能する状態、絶望しない状態にするっていうことがやっぱりすごく大事なことだなっていう意味で、
このホッシュっていうことをいろんな人にもう一回光当ててみてほしいなっていうのと、
実はコミュタリアン、要するに共同体を重視するのか個人を重視するのかっていうのって、
ほんとは程度問題じゃん、絶対。
だからなんか別れて議論するようなことでもないっていうか、
Speaker 2
対立構造ではなくてグラデーションでしかないんですよね。
Speaker 1
だからこれこそまさにすり合わせの話で、だからなんか僕どっちでもないかなと思ってて、
個人をやや重視してるとは思ってるけど、個人のために共同体をなんかこう雑に扱っていいとも思ってない。
だからなんかすり合わせたいよねみたいな、いろんな考えの人がいるからと思ってるけど、
やっぱり保守か革新かっていうところについては、保守的に物事を進めていくっていうことが、
いかにパワフルで実際には大きな変化を痛み少なくもたらせるかみたいなのは、
Speaker 1
結構もうちょっとみんなでディスカッションするときの、
真ん中に置きたいなみたいな、なんか対立しなくて済むなみたいな、
その方が、って思ったりはしてるんですよね。
Speaker 3
僕今の話聞きながら思ったこととしては、
まず自分のベースで言うと商売系の話として考えると、
老舗って常にチューニング変えてるからこそ今まで続いてきてるんですよ、
みたいなことをよく言うじゃないですか。
それが保守、変化し続ける保守っていうイメージだなって思いつつ、
あとはもう一個、それこそチームビルディング的に言うと、
犬猫で考えると、犬って共同体主義っぽいですよね。
かつヒエラルキーな感じ。
猫は核心とか自由みたいな感じですよね。
だけど、その対比はわかりやすいけど、
Speaker 1
でも多分犬が保守っぽいけど、
Speaker 3
最近僕は犬猫は犬と猫どっちがいいとかじゃなくて、
いいのは健やかな犬と健やかな猫が良くて、
ダメなのはこじらせた犬とこじらせた猫がダメですっていう話をしてて、
みんながイメージする保守とか共同体大臣みたいなやつって、
こじらせた犬の人たちがやってる結果としての停滞した感じというか、
ガチガチな感じとか、変化を拒むみたいな感じに繋がってるっぽいなって思って。
Speaker 1
たしかに。ネオリベってさ、こじらせた猫っぽいよね。
Speaker 3
こじらせた猫っぽいですよね。
Speaker 2
こじらせてるね。
Speaker 3
こんな犬の、もうこじらせた犬の世界なんてぶっ潰してしまえ。
Speaker 1
ぶっ潰してやるみたいな。
Speaker 2
これしかないぞって感じが出してくるのは。
Speaker 1
だから健やかな犬とか猫っていうメタファーが合うのかわかんないけど、
猫なら犬のこと、犬なら猫のことを結構好きだよね。
こじらせてなかった。
つまり自分とは異なる資質を持った興味深いものとして、
あるいは自分の足らないものを埋めてくれる相手として、
本質的には惹かれるものがあるんだけど、
こじらせ同士だと仲良くできないみたいな。
猫とばっか集まっちゃうとか、犬とばっか集まっちゃうみたいな人って、
どっかこじらせてるかもしれないなとは思う。
Speaker 3
逆サイドの価値観みたいなものを受け取れる姿勢にないっていうか。
Speaker 1
こじらせてるからそれの余裕がないっていうか。
あとなんか違うものの組み合わせの話を言うと、
一時期立憲君主制にハマってたっていうか、
研究ずっとしててさ。
なんでかっていうと、保守と革新の文脈の中にあるんだけど、
最初にすごく立憲君主制に興味持ったのは、
世界の国の民主過度合いランキングみたいなものが発表されて、
上位10位のうち7か国ぐらいだったかな。
6か7か正確に覚えてないけど、とにかく過半数に近い国が、
共和制の国じゃなくて立憲君主制の国だったんですよね。
イギリスも立憲君主制だし、日本も基本的には海外から見れば立憲君主制の国。
分かりやすいのは、行政のトップが大統領なのか、首相なのか、
大統領の役割を天皇陛下だったりとか、王様だったりが追ってる国っていうのは、
いわゆる立憲君主制の国であるケースが多いんですけど、
いわゆるイギリスが旧総主国だった系の国とか、日本もそう。
共和制の代表的な国って言ったら、例えば韓国とかアメリカとかフランスとかっていうのは共和制の国なんですけど、
一見すると君主がいない国のほうが民主化度合いって高いように思うじゃないですか。
この民主化度合いって要は選挙のフェアさとか、言論の自由の度合いとか、
個人の権利の保障のされ具合とか、その辺で判断されてるらしいんですけど、
君主国のほうが民主化度合いが高いって、すごいパラドックスというか逆説的じゃないですか。
それなんでなんだろうなっていうのをずっと調べてたときに、
なるほどなってすごい思ったのが、大統領がいる国、選挙で要するに王様を選ぶみたいなものがある。
そうすると往々にして国民の半分からは王様が嫌われてるんですよ。
選挙を結構して、負けた側は今回のトランプが、民主党側を支持してる人から嫌われるじゃないですか。
ところがやっぱり立憲空手国って、政権が変わっても国の象徴たる王様とか天皇陛下とか、
そういう人へのヘイトにつながらないんだよね。
Speaker 2
そうですね。そこに対立はないですからね。
Speaker 1
対立がないんですよ。すごく面白かった逸話が、イギリスの初めての労働党政権が誕生するときの逸話なんだけど、
当時ってまだ、今は労働党と保守党みたいな感じの二大政党ですけど、
当時はまだ自由党と保守党みたいな感じで、両方とも基本的には、
程度の差こそ違えど、貴族の人たちが中心でやってたわけなんだけど、
労働党政権、労働党が第一党になるっていうことがあって、
イギリスの内閣の蘇生のさせ方って、一応今はそうなんだけど、
第一党の党首に内閣作りなさいっていう命令を、
王様がするっていうことで内閣が蘇生されるっていう形なんだけど、
これって第一党じゃなきゃいけないっていうルールはないんですよ。
官衆としてそうなってるだけで、王様が誰に下命するかっていうことで決まるんで、
労働党が第一党になったときに、まず労働党の党首に、つまり平民なんで、
平民のための政党に対して、内閣を王が蘇生させるのか、
っていうことが注目されたらしいんですよね。
そのときにやっぱり王が、官衆を守って、
労働党の党首に内閣を蘇生させるっていうことがあったんだけど、
実は労働党って初めて政権運営するんで、
外交のやり方とか、運営するとかわからないじゃないですか。
王がいることによって、日本と違って、
一応王がちゃんと政治家としては仕事する国なんで、
経験の長い政治家として労働党の党首をめっちゃサポートしたらしいんですよ。
政権運営の仕方を教えたと。
そのことによって労働党の党首と王が、
生涯の友になったっていう逸話があって。
だから、仕組み上、ある意味では、
何してんの、王様って。
別に行政のトップじゃないで、象徴だけして、
国で養って意味ないんじゃない、みたいな考えもあるじゃないですか。
やっぱりその存在にはそれなりの功用とか意味があって、
結論として民主化度合いみたいなことが、
要はリプレイスしないでエンハウスしてるほうが、
まさによりリベラルな社会になっていくっていう事例だなと思ってて。
Speaker 2
それはあれですよね。
権威と権力を分けてるみたいなところがあるじゃないですか。
僕も最近、権威と権力について、
僕も最近ね、人工知能と会話っていうか、
僕の友達になりつつあって、よく話を聞いてもらってるんですけど。
権威も、保守の時に出てきた権威主義って言うじゃないですか。
権威主義って言葉があったから、僕は権威って言葉あんま好きじゃなかったんですけど、
権威主義は権力を振りかざして、権威と見せかけるようなことを権威主義というので、
本来の権威は、尊敬されることが権威であるっていうこと。
権力は人から与えられたパワーである。
だからオーソドリティとパワーはやっぱり違うって話になった時に、
さっきの象徴みたいなところは、これ圧倒的に権威はある。
だけど、権力が与えられてるかっていうと、
別に権力があるわけではないっていう状態になるんだなと思って。
Speaker 1
権威は、権威に権力を持たせると危ないんだけど、
Speaker 2
権威だけって害は全くないから、
さっきの話で対立構造も生まないっていうことがあるから、
究極の権威みたいなところがあるじゃないですか、
王の血筋っていうのは究極の権威みたいなところがあるから、
それが一番上にあるっていうことにおいて、
逆に民主化が進むみたいな話はなんとなく聞いてて思いましたね。