くらぬきです。
スピーカー 2
中山です。
スピーカー 3
ザッソウラジオは、くらぬきと学長こと中山さんで、僕たちの知り合いをゲストにお呼びして、雑な相談の雑草をしながら、ゆるくおしゃべりしていくポッドキャストです。
2026年9月は、テーマ会ということで、エフェクチュエーションをテーマにお二人のゲストに来ていただいております。
お一人は、書籍エフェクチュエーションの著者のお一人で、神戸大学の吉田まりさん。
そして、クリエイティビリッド10とのデザイナー、青木亮作さんです。第2回目です。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 3
第1回では、青木さんが物が語ってくれるので、あまり多くを語らないみたいな話がかっこいいねっていう話を楽屋でしてましたが、青木さん的にやっぱり、
よりはっきりと伝えてくれるみたいな、そんな感覚があるっていう感じですか?
スピーカー 2
そうですね。単純に1年とかかけて世に出すじゃないですか。なので、濃厚なんですよね。濃厚なものが詰まっているものの方が。
対面だと、その場での何を返すとかって、すごい上っ面の天気いいねとか、そんなことでしかないんで、やっぱり僕のいろんなことがこもっているのは、やっぱり1年かけた側だなっていう感覚が単純にありますね。
スピーカー 3
そうですね。僕も本書くので、本書いたら、学長ともよくやるけど、読書会とかやる。読書会というか、本発売イベントとかやるときに、本の内容を話してくださいとか、取材で語ってくださいって言われるんだけど、本読んでほしいなみたいな。
スピーカー 2
書いてあるよみたいな。
スピーカー 3
一生懸命そこを書いたからなみたいなところがあるので、しっかりものとして、作ったもので伝えられたらいいかなっていう感じは僕もしますが、ここで言うものとは何かみたいな。
スピーカー 2
そうですね。
アオキさんはデザイナーなので、物理的なものを作られる、本当に物理のものを作られるから、それもものだとして、でもさっきはおっしゃったように漫画も多分ものだと。
スピーカー 3
でも漫画は別に印刷しなくても漫画というものではあるんですよね。音楽も多分ものとして扱っても良いものだ、作品として扱っていい。だからものというよりは作品ってこともあるかもしれない。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 3
作品だと考えたら、僕は文章の本を書きますけど、文章の本も作品だなと言った時に、これ僕自身の感覚なんですけど、僕は今自分が作っている会社が、ソニックワンって会社があるんですけど、これ経営者の中でも流派があると思うんですけど、僕は自分の会社を自分の作品だと思って作っているところが節があって、
なので、僕もその作品作りしている感じはあるっちゃあるんですよね。本作りと同じような感じで会社作りも作品。でもなんかこれは青木さん的にそのものって言ってるものとなんか違いはありそうですか。
スピーカー 2
いや憧れとしては違いがない状態に実は僕もあって、その自分会社とかもそういうなんていう圧縮された何かであるっていう感覚に強い憧れを持っているんですけど、一方でなんか人が何人もいるっていうところで、なんだろう、その自分がこう圧縮して作り上げる中に生きている人間がいるということの申し訳なさが先に立っちゃって、
なんかこう言い切れない感じが、これはみんなのなんかだからみたいな気持ちとの間でどういう着地をそういう皆さんされているのかなは逆に憧れているだけにちょっと気になっているところではありますね。
スピーカー 3
なんか自分のものという感覚はなくて、その、そうだな、その人たちが自分の所有物みたいな感覚はあんましなくて、多分あの、住みだと僕が言ってる作品にはその有機物も含めて作品と扱えてる感じがあって、だからあの庭の話も僕も読みましたけど、その庭もでもそのそこにある風とか空気とか水とか、
まあ水の中に生きている生物とかも含めてその庭だとか、まあ森だとか、その森を作る、森をうまく作れる人も多分作品作ってる感じだろうし、その、なのでその、僕はその人のことが好きかというと、人が好きより人間が好きっていう、この間学職も話したけど、その、個々人の話よりはその生態系作ってる感じのものも含めて会社、僕のにとって会社は生態系作ってるようなものなので、
なんかそこにいる人たちは当然、あの働いてくださってありがたい気持ちもあるんだけど、その、それはそれでそういう仕組みを作ることが僕にとっての会社なので、その働い、まあみんなが働ける環境とかビジネスモデルとか、まあお客様との関係とかを精度なり、えっとその仕組みとかを作ってるのが僕にとっての作品作りみたいなところがあるので、
なんかあんましこう、人、人がいてどうこうとかっていうことは、なんかほんと、あの庭とかその、まあ僕らの会社はソニックガーデンって名前ついてますけど、そのなんか、そんな感じのものを作ってる感じはあるんですよね。
だから一回目で言ったファシリティみたいなこととして、ということなんですね。まあ今いる人に最適化されているという意味では、今いる人は重要だけど、なんだ、人を変形させようとはしてないというか。
してない。
スピーカー 2
はい。
僕もそういう意味で言うと、その合宿、雑宿とかは自分の作品だと思えるかも。
スピーカー 2
なんかあるパッケージで見るみたいな感覚が必要な気がしていて、
何だろう、さっき全部やっているっていう感覚ってすごく楽しさにつながって作品っぽいんですけど、本当に全部やってるかっていうと別に電力の発電もしてないし、
自分の思うパッケージ領域があって、そのパッケージの全部をやったっていう感覚が作品になるっていうか、
スピーカー 2
なのかなと思っていて、僕本もチラッと1冊2冊書いたこと、経験からパッケージ技術っていうすごい特殊なことが必要なのが、
もしかしたらそれを編集と呼ぶのかもしれないですけど、素材はもう世の中にいくらでもあって、
その中でどれをチョイスしてどうパッケージにするかみたいなことでようやく本になるみたいな、
スピーカー 2
ブログとかと本の違いってそのパッケージ技術なのかなと思うんですけど、
そこのパッケージ化する、なんだろう、眼鏡っていうかコツがある人ない人で、その日常の仕事が作品化しやすいかしにくいかが結構関わってくるのかなっていうのも
思ってきまして、それとエメクシュエーションってすごい矛盾することでもあるなと思いながら話してるんですけど、
パッケージありきで考えずに、でもパッケージにするみたいな、すみません、もやもやと話しておりますが。
スピーカー 1
今の話を聞いてパッケージ化がうまいとかパッケージ化技術が何かっていうことと関わるかもと思ったのが、
エメクシュエーションって平たい言い方をすると自分と世界のインターフェースを作るみたいな表現をしがちなんですけど、
最初は自分自身の持っている思いとかユニークな資源とか許容できない損失とかから行動始まって、
最初は自分個人の局所回にしか過ぎないんですけど、そこの行動を見出すと帰ってくる他の人との出会いとか、
思ってもなかった結果とかを取り込んでインターフェースを継続的にアップデートしていくみたいな感じのイメージのプロセスだと思っているんですね。
なので本当は多分その自分の側と世界の側とっていうのが割と解像度が高く見えてたら、
その真ん中のインターフェースも多分よりフィットする感じのものになっていくと思うんですけど、
スピーカー 1
そうじゃないと結構試行錯誤的なことを繰り返すっていうのを多分合理的にやるやり方がエフェクチュエーションっぽい感じなので、
パッケージ技術を持ってる方ってもしかしたら自分が使えるものとか、
自分の内的に出すべきものも分かっていつつ、受け取り手の側のことも結構分かっていて、
その真ん中のところをうまく作れる人みたいな感じのイメージなのかな、違うかもしれないですけど。
スピーカー 3
面白いな。
なんか今聞いててパッケージの話とエフェクチュエーションの話がこんなうまく繋がると思ってよかったんですよ。