HSPと自己肯定感
ゆる天守閣ラジオ
こんにちは、トシです。 ミユです。
この番組は、考えたり言語化したりすることが大好きな事実婚カップルのトシとミユが、恋愛や自己肯定感などちょっと真面目なことを一緒に考えているポッドキャストです。
今回は、HSPと自己肯定感ということについて考えていきたいと思っています。
HSPって聞いたことある方も多いと思うんですけど、ハイリーセンシティブパーソンの略になります。
もともと、私もトシもこのHSPの自覚があったっていうところを最近の会話の中で見つけて、
私の例でいうと、例えば疲れがたまると暗くて静かな場所が好きになるから、夜でも電気をつけないで過ごしたりとか、
暴力が苦手なのでプロレスとかボクシングになると見れなくなっちゃうとか、
映画見て人の3倍くらい泣くとか、いろいろあるんだけど、トシもさ、もともとHSPっていうことを言ってたかなと思うんだけど。
僕はね、相手の感情がわかりすぎちゃうみたいなのがあって、考えてることとか含めてね。
感情要因をよくしちゃうみたいなのがあったね。
だから、例えばみんなが盛り上がっているところだと、一緒に引きずられて盛り上がっちゃったりとか、
どういうふうにしたところだと、自分もあんまり関係なかったとしてもどういうふうにしちゃうとか、
あと、そういう暴力的なところとかを見ちゃうと、目撃しちゃうと、自分もちょっと苦しくなっちゃうとか、
そういう感じで感情をすごい、感情要因しちゃうみたいなのが僕はあったかな。
いろんな音とかさ、光とかさ、っていうところに過敏になっちゃうっていうのは、動かせない部分。
他の方法で改善していく余地がある部分だと思うんだけど、感情の面とか気の持ち方みたいなのは、改善できる余地があるんじゃないのかなと思っていて。
いろいろ見てみたんだけど、HSPだよ、自分がそうだよって言ってる人の中で、自己肯定感が高い人ってあんまりいないような気がするのね。
だから、HSPっていうのの要素の中に、自己肯定感を低くする要素というか、低い人が持ちやすい要素っていうのが混ざってるんじゃないかなと思っていて。
なんかその、HSPの人が自己肯定感低い人多そうみたいな話は確かになぁと思っていて。
これは僕のなんとなくの印象なんだけど、HSPってさ、単純にその感覚の話じゃない?
感覚がまさにその敏感かどうかって話でしかないと思うんだけど、
要はさ、敏感なら敏感なりにさ、いろいろ、例えば自分でシャットダウンするとかさ、することはできると思うんだよね。
うまくね、コントロールしたりすることは。
でも自分がHSPなんだよねって言っちゃってる状態って、なんかそのHSPである自分のロールに入っちゃってる感じはするなぁと思っていて。
なんかさ、HSPって言葉がついているからっていうのもあると思うんだけど、
例えばさ、そういう人の感情にすごい、僕もそうなんだけど、反応しすぎちゃう時ってさ、それがしんどいならさ、それをシャットダウンすればいいじゃない?
うん。
でもなんか、ある意味でそこを優しさだと勘違いしてしまうと、ある種の自己犠牲でそこをむしろ受け入れようとしちゃうというかさ、
そういう感情も含めて。
うん。
っていうのをやり続けると、それが自己犠牲にもなっているから、
うん。
自己肯定感の低さというか、身を削って優しさみたいになりやすいのかもなーって思ったりがする。
うん、確かに。
だから、まあ因果関係はわかんないけど、HSPって自覚している人は自己肯定感も一緒に低くなってしまっているっていうのは、なんかそういうのも含めて起こってしまうんじゃないかなーとは思うね。
なんか私個人的な考えとしては、HSPに自己肯定感が下がっちゃうっていうのは結構さ、いろんな感情が押し寄せるとか、人のことをかなりおもんぱかったり、他人のこと優先で動こうとしちゃったりする人が多い気がして。
うん。
そうなるとさ、なんだろう、それはまあ自己犠牲って言ってしまえばあれだけど、っていうのもあるし、あと終わった後自分反省会しそうじゃん。
私も結構してたんだけど、あ、これ言うの良くなかったなーとか、もっとこういう風だったらちゃんと思ったように伝えられたのになーみたいな反省会しちゃったりとか、
なんか繰り返し繰り返しいろんなこと考えちゃったりとか、なんかその場の空気読みすぎて疲れちゃったりとかっていう、なんか自分がやったことに対してっていうか、自分の会話についても疲れちゃったりとかする。
うん。
と、まあ結論ネガティブなことに行きやすいのかな。自分は会話上手くなかったなーとか、なんかあの時空気読めなかった上手く、みたいな感じの、いらない後悔みたいになっちゃうなーと思っていて。
まあ何度も何度も言ってるけど、こう自己肯定感の高さって、まあ過去を帰り見ないことでもあると思うから、まあその場が楽しかったなー。
で、それを反省するならアリだと思うけど、なんか過去の反省を何度も繰り返して考えるっていうのは、やっぱり自己肯定感が下がる理由にもなるのかなと思う。
そうだね。今までも話したけど、自己肯定感ってやっぱり周りに目が行き過ぎてしまっている状態だと思っていて。
で、HSPもまさにその周りの人の情報とか感情とかそういうものに対しての自分のこう感覚がカビになっているっていう話だと思うから。
うん。
カビになってるからこそそっちは気になるから、そっちは気になると結果的にその自己肯定感が低い方に行ってしまうのかもね。
うんうん。
そう、なんかこう、やっぱ意識が外側に向きすぎちゃうというか。
うん。
なんかさ、単純にその、なんていうの、光が苦手とかそういうのは、その繊細、HSPっていうよりも単純に感覚カビみたいなものだと思っていて。
うん。
HSPって言った時に、みんながその、そこで言おうとしているものって、やっぱ対人関係でのその感覚のところでのこう繊細さみたいなのを表現したくて、HSPを辞書したり言ってる人の方が多いと思うんだよね。
うん。
でなると、その自己肯定感の話には結構見せずに結びついてくるのかもしれないね。
確かに。
なんか私も、人から嫌われるのがめちゃめちゃ怖くて。
うん。
自己肯定感低くて、みんなに好かれたいって思うと、なんかいろんな人のさ、空気を読むわけじゃん。
この人は喋ってないなーみたいな、この人がなんか今ちょっと、ん?っていう顔したなーとか、なんかそういうのを見まくって疲れた気がする。
うん。
だからそもそも、自分はHSPかもって思ってる人は、単純に自己肯定感が低いだけの可能性もあるよね。もしかしたら。
あー、もしかしたらね。そのHSPってさ、そのこれっていう定義がないっていうか、あとはそのしっかりした病気ではないわけじゃん。
うん。
これは状態だから、治療する必要っていうのが、まあ基本的にはない。
うん。
HSPを見てくれる診療内科だったりはあるけど、基本的にはなんか自分が、自分の力でうまくやっていくような状態のことを言うから、そうかもね。
HSPの影響
なんか診断もさ、だいたいセルフチェックでさ、こう自分でネットで調べて、なんかあるじゃんチェックリストみたいなやつ。
うん。
で、何個以上当てはまったらあなたはHSPの可能性が高いですみたいな。
うん。
私バチバチに全部当てはまんのよ。
うん。
なんかどのサイト見ても、もうまご方なきHSPになるっていう。
うん。
でも私は個人的には自傷はしてないので、そういうことですかね。
そうかもなーって思った。なんかその、結局そのHSPっていうものが先天的なものなのか後天的なものなのかで言うと、なんか後天的なものではあるのかなって気がしてて。
うん。ま、感覚過敏を除けばね。
そうそうそう。なんか単純な感覚過敏みたいなのはあると思うんだけど、なんかもともと本当に生まれた時からタイプとしてそうだったかっていうと、なんか多分そうではない。
どっちかっていうと、もちろん特性はあると思うんだけど、一言になりやすいというか。
うん。
ただなんか最初っからそういう状態ではなかったんじゃないかっていう気はするんだよね。
確かに。
なんか人生生きていく中でなんかいろんなエピソードがあって、それを経てどんどんどんどんそうやって周りに気を配るようになっていって、気を配っていればね、こっちの感覚が過敏になっていくというかさ、研ぎ澄まされていくのは何だってそうだと思うから。
そういうプロセスを経て結果的にHSPという状態になってしまっているみたいなのも、もしかしたらあるのかもね。僕は全然知らんからあれなんだけど、適当を言っているだけなんだけど。
推測だね。
うん。
メンタル下がったりとか、体が疲れてる時になんかいろんなことが過敏になるっていうこともあるから、
うん。
なんか環境的な要因もありそうな感じ。
ありそうだね。
うん。今ストレス多い環境にいるとか、
うん。
すごい最近疲れてるとか。
うん。
なんかそれを今思ったところで言うと、昔は僕もそういう感じですごい感情余裕とかをするなと思ってて、
僕はHSPなんだろうなと思ってたんだけど、最近どうかって言うと、もちろんそういうところの感覚はあるんだけど、前ほど過敏ではないなって感覚があるんだよね。
うんうんうん。
だからこそ、これはサンプル1だけど、何かしらこう後転的なものがあれば、その後からこうまた変えることができるものだと思うから、先天的だとね、なかなか難しいものとかもあると思うんだけど、
うん。
自己肯定感の改善
そういうこう今までの経験とかそういうもので、それが積み上がってきてHSPみたいな状態になっていくのがあれば、逆にそのHSPみたいな状態を今から自分を変化させることでまた変えていくみたいなのができるのかもなーって思ったっていう感じ。
なんかさ、それで言うと、最近なんか自分の偏見に気づく機会があって、これは必要ない偏見だから捨てたいなーって思うことがあって、でもなんか、なんていうんだろう、それがちょっとずつ改善したかなーって思う例があったからシェアしていい?
うん。
その中で、なんかこういう状況ってすごくモヤモヤするなーっていうことを気づいて、それを何に対してモヤモヤしてるのか、どんな偏見を自分はその根底に持ってるのかっていうのを見つけ出したのね、まず。
うん。
で、そいつをリフレーミングしてあげたの。別にいいじゃんそれ、こうなんだからっていう感じで。
うん。
でも、やっぱりその思考が目を出したときにもう一回、いやそれは全然いいじゃんって丸め込んであげるの。
うん。
これを繰り返してると、この尖ってた偏見がだんだん丸くなってきた気がして。
うん。
なんか自分も今までも、なんかそういう思考、例えば上司に怒られたっていうときに、何回も何回も思い返して、すごいへこんだっていうことがあったんだけど、なんか人って思い出すっていうことによって何度でも同じ回数で自分を殴りつけてるような感じになるんだって。
うん。
ダメージとしては同じなんだって。
うん。
だから、もう一回殴られてるから、その本物の上司によって。
うん。
自分がわざわざもう一回というか、もうあと100回傷つける必要はないじゃん。
だから、それをもう忘れようっていう、なんか頭を出してきたらもう、それはもういいじゃないかってスッて。
どうせさ、一回さ怒られたときにもう、あ、次からこうしようっていうのが分かってるわけじゃん。
うん。
何回も何回も繰り返し考え出す必要ないのよ。
だからもう忘れよう、忘れようって繰り返してるうちに、だんだんそうやって自分も鮮明なくなってきた気がするから。
うん。
なんか目を出しちゃってもいいから、それをなんかこう、なだめてあげる思考っていうのを一つ作っといて、それでちょっとこう、なんか頭をよしよししてあげるみたいな。
うん。
なんかそういう思考の訓練って役に立つんじゃないかなって思うんだけど。
うん。あ、でもまさにでもそういう感じな気はしてて、やっぱりそのHSPになる人ってやっぱそれはそれ、なんか特性はあると思うんだよね。
うん。
周りのそもそもこう、いろんなところが気になっちゃうとか、まあその共感性があるとか、そういうのもあると思っていて。
ただ別に共感性があることと、で、それに共感して実際こう、なんていうの、自分も悲しい気持ちになったりとか、苦しい気持ちになる状態を許容するかどうかっていうか、なんていうんだろうな、そのゾーンに入るかどうかって別の問題な気はしてて。
うんうんうん。
だから分かるんだよね、話し聞いてて。あ、かわいそうだなーみたいなのを片手で握ってるそうだなーって。
うん。
そこをさ、別に自分も一緒にさ、悲しむ必要ってそんなにない。
うん。ことが多いね。
ことが多いじゃない。まあもちろんさ、共感してあげたい時とかはそれが役に立つ時はあると思うけど、それもさ、なんか、同じぐらい別に悲しむ必要はないじゃない。
うん。
共感しやすい性格と感覚過敏
むしろ励ましてあげたりした方がいい時の方が多かったりするじゃない。
なると、その感覚はある。ただそこをちゃんと感覚、あ、そういう感覚があるなっていうところで留められるというか、その感覚で自分がゾーンに入っちゃってる私とか自分っていうのを認知しちゃうとさっきのミウンの話みたいになっていっちゃうから。
うん。
その事実自体もより苦しめていくみたいな。あ、なんで自分ってこんなになんか人に共感ばっかしちゃうんだろうみたいなことをさ、また考え出して自分で自己肯定感下げていくみたいな。
うんうんうん。
そういうのが起こる気がするから、ただその共感しやすいのは事実としてそれを受け止める。ただ別にそれでいいというか。
うん。
なんかそこと、そのそうなっちゃってる自分みたいなものを別に客観視する必要はないと思うから、別にそうやってこう共感しやすいのは共感しやすいなりに、ただこう寄り添ってあげたりとか。
うん。
こうコミュニケーション取ればいいんじゃないかなって、僕の中ではシフトした感じがあるな。
うんうんうん。
だから今は昔ほどはなんかそれでクヨクヨしたりとか、こうなんか堂々巡りしてなんかこう気分悪くなっちゃうとかはなくなった気がする。
うん。なんか共感しやすい?私は自称過共感人間なんだけど。
うん。
共感しやすいのってメリットもやっぱあると思ってて。
自己肯定感を上げる努力
うん。
で、今ごめんパッと思いつくのは、私は映画が大好きで、もう年100本とか3桁は見るから、その映画のたびにめちゃくちゃ感情移入して、
その後端悪い映画だったらポップコーンむしゃくしゃ食べたりとか、何、1週間ぐらい沈んだりとか、なんかほんと感動して嬉しくなって泣いたりとか、
その感情の機微に気づいて一緒に感情を動かされるみたいなところが楽しくて私は映画を見てるのね。
うん。
だからこれは多分過共感の醍醐味だと思ってて。
うん。
なんかメリットもあるから、なんか対戦のところはそのまま生かせたらいいよね。
そうだね、そう思う。なんかただの個性としてそこはなんか受け止めればいいと思うんだよね。
うん。
なんか要はさ、なんかHSPみたいな名前がつくとさ、なんか自分はなんか普通じゃないんじゃないかみたいな感じもさ、ある意味でするじゃない。
なんだってラベルがつくとさ、ちょっとこう他の人たちとこうなんかね、別のものになってしまっている感覚ってあると思うんだけど。
まあ病気とかもそうかもしれないけど、ラベルが張られるだけでそうやってこうなんか自分って普通じゃないんだみたいになりやすいと思うんだけど。
うん。
まあそんなことはない。で、自分で自分に思えるといいのかなっていう。
うん。まずちょっとそこからじゃない?なんかその、もしそのHSPである自分、ちょっと色々センシティブな自分のことがあんまり好きじゃないって思ってるんだったら、
なんかそこを丸ごと受け入れてあげること。
うん。そうそうそう。これは別にただ自分の個性のだけで、なんか別にそれは病気でも、まあ病気ではないというか、別にそれでさ、何かこう特別な何かをしないといけないわけではないじゃない。
うん。
別にそれはもう本当にただの個性だって受け止めるしかないと思うから、それなりにじゃあどう生きていこうとか、どう人とコミュニケーションとっていこう、どう工夫していこうってところだけを考えればいいんじゃないかなと思うね。
うん。
それでね、色んな人に振り回されちゃって、苦しくなっちゃって、でその苦しくなっている自分を客観的に見て、なんか私何やってんだろうと思ってまた自己肯定感下げてみたいなね。よく起こるじゃんそういうの。
うん。
そういうのはまずやめた方がいいのかもしれないね。一旦は。
そうだね。
まああとは今まで話したようなやっぱり自己肯定感を上げていくっていうところをやっぱり実践していくしかないんだろうね。
うん。
僕の感覚で言うと、そのHSPを何かしたから自己肯定感が上がったっていうより、僕は自己肯定感を上げる色々こう工夫をしていく中で、なんか一緒にこうHSPみたいな感覚のところも、なんかある意味で適正化されていった感じはするから、やっぱり自己肯定感を上げていくが先なのかなって感覚が僕の意見としてはある。
あーそうだね。私はいろんなことに対するソリューション、その自分が過敏なことに対するソリューションみたいなのも、例えばボクシングとかブロレス、もともと両親があんま好きじゃなかったから実家でも見なかったけど、一人暮らしになったらなおさら見なくて済むようになったとか、
その繁華街に行くときはもうノイキャンのイヤホンをするとか、なんかそういう小さいソリューションを自己肯定感を高める努力と一緒に、自分にとってこれこうすると自分にとって心地いいな、刺激が少なくていいなっていうのを積み上げてくる感じかな。
あーそうだね。
感覚過敏に対しても自分なりの心地の良さを積み上げていくし、感情面に対しても自己肯定感をあげるっていうのとか、自分を認めてあげるとか。
それで言うとさ、昔はさ、多分感覚過敏なものもあると思うんだけど、それに対しての関心も自分で持っちゃってるみたいなのがあったから、
感覚カビと傾倒しない心の状態
例えば周りに人がいるとさ、周りの声とかそういうものに耳を傾けている自分がいたんだけど、めっちゃ聞こえて、最近はめっちゃ聞こえてくるけど、聞かないって自分の中で決めてる。心のノイキャンでノイキャンしている最近は。
そういうのがちゃんと切り分けられるようになったかなって感じ。自分の過敏な感覚っていう話と、そこに対して自分がのめり込んじゃってしまう、傾倒しちゃうっていう心の状態を切り離すことができるようになったかなって感じ。
音とかめっちゃ気になるんだけど、気になったところでなんだって最近思うようになってるかな、僕は。
どっちに意識を向けないみたいな。
私はこの体調今良くないから、これは自分がやばいなって思う前にもう対策をしようみたいなのとか。
うん。
なんか体調悪いとやっぱ電車の大きい音とかもすごい気になっちゃう。
気になるね。
気になる。で、なんかうわーってなるから、そうなる前にもう耳を塞いでおくみたいな予防策。
それもまあさっき言った自分のなりの処方箋みたいな。だけど。
あるね。
瞑想したりするかな。
今日なんかすごい光とか音とか無理な日だなって思ったら、一旦こう、だから心のノイキャンだよね、それも。
心のノイキャン好きだね。
一旦自分にフォーカスを当てるようにしてる。
心のエアポッツじゃん。
そう、心のエアポッツで。
エアポッツプロじゃん。
エアポッツプロで空間オーディオを起動してる。
なんか今自分ここにいるのは自分に対してこうフォーカスが出てくるみたいな。周りの音とかじゃなくて。
やっておくとまたこうなんか感覚がまたこうキャリブレーションされていく感じがするね。
ちょっとずつだけど。本当に無理な時は無理だからずっと部屋にいるけど。
うん、無理な時は無理。
みたいな感じかね。
だからその自分自身の感覚カビみたいなところの特性と、そこに対して自分ってこう傾倒しちゃうみたいなところの傾向は切り離してね。
自分自身はそういう自分さえもちゃんと肯定してあげれるようになっていくと、なんかね、気持ち的なところはふっと軽くなるのかもしれないね。
うん。
ということで今日はこんなもんですか。
はい。番組の感想や話して欲しい内容などお便りはお待ちしています。
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それではまた来週。