1. 伊藤由美子のCozy Space
  2. 第55回「自分の存在意義を見失..

自分が、どうしたら良いか分からなくなり、

心が彷徨い、その辛さ、苦しみから抜け出そうと

何かのキッカケを探していたことって

ありましたか?

2021年10月のマンスリーゲストは

心とお金の専門家「自分マネタイズプランナー』

の福永 順さんです。

福永さんは、

自分らしく生きたい人の起業、副業をサポートする

「自分マネタイズプランナー」として活動

していらっしゃいます。

数年前、福永さんは自分の存在意義を見失い、

自己啓発に500万以上の投資。

ある時、福永さんが大きく変化した時とは?

福永 順さんのインタビューは

第54回〜第57回までの全4回に渡って配信♫

今回のインタビュー内容は

(第55回)

✅ 父の死がキッカケとなり、実家の会社へ

✅ 自分らしさが発揮出来ないのではないのか

✅ 社員の給料を上げたい気持ちを持ち続ける

✅ 様々な業界の経験により、相手に合わせて

の提案が出来る

✅ 自分の存在意義を見失った時期

✅ 自己啓発への500万円の投資

✅ 開き直った瞬間、心が回復

✅ 0になって新しくスタート

✅ 自分宣言で両思いな人と繋がる

について、お話していただいています。

「今、必要な人に届きますように」

・・・

◉福永 順さんプロフィール

学生時代はバンドマン→サラリーマン数ヶ月→先輩と共にIT会社で起業→FC本部運営の母体構築→FC開設初期研修担当→ビデオ教材の動画撮影編集→家業の製造業→工場労働と経営のプレイングマネージャー→自分らしさがわからず躁鬱状態→NLPなど「人間」の探求で自分らしさの真価を開眼→自分ビジネスを応援する起業・副業コンサルタント「自分マネタイズプランナー」として独立。現在、京都を拠点とし、大阪・名古屋・静岡・横浜・東京を移動しながらリアルとオンラインの融合で「自分らしく生きていきたい人をサポート」している。

◉福永順 キラテン公式ブログ

https://kiraten.com/

◉アメブロ

福永順キラテン/起業・副業ジプシーが最後に駆け込む自分マネタイズ研究所

https://ameblo.jp/platinum2020/

◉福永順 Podcast番組

心とお金を正しく知るラジオ/キラテン

https://anchor.fm/kiraten/episodes/2-e17r1dk

・・・

 ◉伊藤由美子ホームページ『Yumiko’Room』

 https://yumiko0321.com/2437/

00:18
建築士伊藤由美子のCozy Space第55回、2021年10月のマンスリーゲストは、心とお金の専門家、自分マネタイズプランナーの福永潤さんです。
福永さんは、自分らしく生きたい人の起業、副業をサポートする自分マネタイズプランナーとして活動していらっしゃいます。
福永さんへのインタビュー2回目は、自分の存在意義を見失い、自己啓発に500万以上の投資、ある時、福永さんが大きく変化した時のことについてお話していただいています。
それでは早速、福永潤さんのインタビューをお聞きください。
30歳になる手前で、うちの父親が打開しましてですね。
うちの父親も商売をしていて、それが京都の西陣織とかの着物の素材であります、キラキラした糸なんですね。
金銀紙っていうものを作っている製造業で、父親が一代で築いて会社を大きくして、そのお金で僕も大学とか行かせてもらってたことを考えると、父が打開した。
長男がついてたんですけど、長男はそれまで父の右腕として活躍していたのが、いきなり父が亡くなっちゃったから、自分の右腕育ててなかったんですよ。
そういうことなんですね。
そういうのもね、ちょっと当病生活の時に、僕も自分のITの会社の仕事が終わったら、父の病院に行って、夜しか行けなかったので、そうなると長男もまた夜しか来れないっていうので、
そこで長男と本当に人生を語るような時間をね、初めてやったと思います。そんななかなか違うフィールドで仕事をしているとね。
そうですね、なんかそんな話し込むってことはないですよね。
特に男同士って結構テレもあったりとか、その辺の意見交換で、じゃあ僕が今20代で培ったこのITの技術と仕事感のね、
01とか110とかの、あの観点はおそらく長男社長の右腕になればだいぶ貢献ができるなと。
父が他界してからだったんで、ちょっと父には申し訳なかったんですけど、他界した後に僕が一旦ちょっと先輩にごめんなさいって言って、戻ったんですよ、地元に。
それが製造業の専務という役員として、主には2代目社長のサポート。
ただITに強いのがその時僕だけだったんですよね。
その時代とは余計にじゃないですか。そんなにみんながいろいろ使いこなす時代じゃないですもんね。
03:00
まだまだパソコンも会社に1台しかないぐらいの時代ですし、ホームページ持ってたらホームページ持ってるのって言われるような、そんな時代。
そこで僕は戻りましたから、その当立編のITはもちろんですけど、製造業なんで在庫管理とかね、あの辺のアナログをデジタルに一新したんですよ。
それで業務効率を上げてってなったんで、売り上げのアップというよりかは今までの管理業務を圧縮して、それによる巡礼企業を高めようというアプローチに近かったんです。
それで十分支えたなという実感もありましたし、次のステップ40過ぎてぐらいの時に、このまま僕が製造業の社長の右腕になってしまうと、
僕自身がどんどん僕らしさがずっと発揮できないままっていうのが、ふつふつと出てきたんです。
10年ぐらいやられてるんですよね。
15年ぐらいね。
15年ぐらいやってらっしゃる。
製造業の社長、お兄さんである社長の右腕としてサポートしてきたという時期があるんですね。
思い返せば20代の時も先輩のサポート、その後も長男とか社員のサポート。
僕が山手に立つっていうことがないままのサポートサポートの黒子の状態やってる。
嫌いではないんですけど、ちょっとこれが本当に僕がしたかったことかというと、ちょっとフラストレーションが入ってきたんですよ。
したかったこと何かというのを僕はいろいろある中でも、社員の給料を上げたいっていうのがずっと思ってたんです。
ITの時も製造業の時もそれはかなわないんですよ。
上げたらええやんってなるんですけど、やっぱり経営ってことを考えれば、一人の人件費をどんと上げちゃうと他のバランスがたちまち立ち行かなくなる。
なので全体のバランスでいってもここまでギリギリベースアップできるかなっていうような要素でいつも社員にはお伝えしてたんですけど、
そんな僕が思い描いてる、こんだけ働いてくれたからこういうふうな革命をしっかり提示するというものが結局できなかったんですよ。
僕それやっぱりちゃんとやりたいなと、しかも社長という立場でやりたいなと思ったんです。
自分が矢表に立ってね。
最高責任者として、この社員の給与を上げるというか、働くということに対してちゃんとフラットな考え方を持った上で、給料の革命とか自分の会社の経営とか、全ての決定権を第一として持ちたいなと思ったので、
そのことを社長と製造業の社長と話してたときに、ある意味ダブルワーク、そのときまだコロナ前だったので、服用というのは今ほどこんな解禁されていない状態で、
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ダブルワークの提案をしたんですよ、うちの製造業も。うちの製造業は超ホワイト企業なので。
そうなんですか。
そうなんですよ。8時から始まり、夕方5時に終わり、残業ほぼなし。
はい、健康的な。
健康的、すっごい健康です。
いいですね。
その分、よくある仕事終わった後に見に行くぞみたいな、あんなももちろん無く、田舎なんでね、見に行く場所もないということなので、
余計に超ホワイトで、土日休みですし、休日も完備されてて、だからこそダブルワークという概念を入れてあげて、
お金以外のところは結構満たすっている自信があったんですよ。仕事の環境とか、仕事の内容とか。
お金がどうしてもあげられないから、それをダブルワークという観点で、従業員の体力余っている人間は他に働いたりとかするかどうかというので、
その時、社長はノーだったんですよ。ダブルワークはやっぱり良くないと。
あっちもこっちもやっちゃうと、措置つかずになるし、会場開催で主費義務とかをたくさん扱っている製造に対しての薬品の名前とかもあるから、
あんまり外部に出るというのもどうかなという観点で、そりゃそうですねと。
けど、やっぱり僕自身もダブルワークということに関してだけじゃなくて、何か給料を上げてあげたいということがずっと残っていたので、
じゃあ一旦僕は離れるよと。ITの導入も一通り終わっているので、席は置くんだけれども、働き方の根本の見直しというのを、
僕自身がもやもやしているものというのを一旦見つけたいんだと。
そのためには自分自身がダブルワーク、トリプルワークというところに身を置いたら、
もしかしたらそれらのアプローチができるんじゃないかと思うので、僕そうしてみるわと。
社長にお伝えして出て行ったんですよ。時間を製造業に費やさなくてもいいというふうにして、
薬品報酬をギュッと数万円減らしたんですよ。
じゃあ僕は時間はできたけれども、お金がなくなったわけじゃないですか。
給料が。なので20代の時のITの会社の先輩にお待たせしました。
15年地元に帰ってきたけど、ようやくまた手伝えるよと。
ただ出戻りで薬品とかになるとまたそれも組織的にややこしいじゃないですか。
県員をひけらかすみたいになるとややこしいので、
薬品とか従業員とかで戻らなくてもいいと。
プロジェクト単位でこのプロジェクトに対してドライブしてよというふうな報酬とか、
それだけちょうだいと。僕もほんまご飯食べることできへんねんと言って、
じゃあいいよとなってプロジェクト単位でお手伝いすることになったんです。
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だから20代の時の会社を今でも名刺を渡しているのは、そのあぐりでキープできている。
3枚のうちのね、またそれ1枚の名刺を渡している。
それをしつつ、僕がしたかったというものとして、コンサルタントという名乗りはつけているんですけど、
いわゆる先ほどお伝えした自分マネタイズのプランナーとして働くということはどういうことかと。
お金というのもしっかり知らないといけないというもので、
1つコンサルテーションの柱を立てて、今に至るということになっています。
じゃあ最初のIT関係の会社の名刺と、あとご実家のお兄さんの製造業の方の専務の取締役の名刺と、
もう1個が今ご自身でやっていらっしゃる名刺の3枚があるということなんですよね。
そうなんです。
そういうことですよね。3枚だけ渡されると、いろんなことをやっていらっしゃるんですね。
しかもあんまり関連性がないので、余計になんじゃこれってなるんですよね。
一心折りの意図のことがあってね。あれ?同一の折りがあるのかって最初思いましたから。
そうなんですよね。
今お話聞くとそういう流れがあったのかなって。
今まさに伊藤さんが言っていただいたように、そういう様々なお立場で、
僕が経験させていただいたからこそ、さっきのマレタイ人のプランナーのところでは、
相手に合わせてその都度それだったらこれが足りないかもねって言えるのも、
多分自分の経験の幅が広かったからこそ、そのスタイルが取れるのかなって思いますね。
なんか、ホームページのブログを見たんですけど、
自己投資に500万円くらいかけたっていう、自己啓発って書いてあったんですけど、
その500万円ってどうやったら使えるのかなって思っちゃったんですよね。
もしかしたら僕再計算したら500万円を超えてるんだと思うくらい使いましたよ。
それは何年でとか、どのくらいの期間で?
それは割とだらだら行きましたけど、そもそもきっかけがさっきの製造業の長男社長を手伝っているときに、
自分の立場というか自分の存在意義を見失った時期があったんですよ。
製造業は行ってIDは広めたけれども、
僕が機械を触ったり油まみれになって労働しているかというと、そこの役割でもなかったし、
立場的には専務やし、ちょっと偉そう目やし、
あれ、ちょっと僕なんかふわふわしているなというので、
だんだん自分の立ち位置がぐらついてきて、このままでいいのかなと。
それをうつと呼ぶ人もいるみたいなんですけど、
12:02
僕自身は別にそれがうつとか思っていなかったんですけど、
割とぐるぐると何してもあんまり良くならない思考回路の時期があったんですよ。
そうなんですね。
だからあほらいかんなと。あんまりネガティブになりすぎても何もならないからというので、
自己啓発と広めでいうところの本であったりセミナーであったり、
自分の心をしっかりと見つめ直そうというふうなものに、
ちょっと投資をしていたんです。
投資をしていたというか時間を使っていたんです。
時間を使って。
それが積もり積もって再計算してみたら500万円くらいはいってたなと。
そうなんですね。
500万円くらいありましたね。
高いんですよ、また。
それ系のプログラムって。
そうなんですよ。プログラムってね。
でもそれが今生きてるっていう生きてるんですよね。
心の在り方とかそういったところでお伝えする上では、
必要なお金、投資だったということも見えるんですよね。
そうです。助かったんです。
良かったと思ってはいるんですけど。
500万円一気にボンと払うわけじゃない分で、
まだそういう負担は少なかったかもしれないですけど、
やっぱり3年、5年くらいはその時期があって、
一生懸命インプットしまくってた時期がありました。
インプットをたくさんしたからこそ、
アウトプットがガーッとできているんですよね。
今でこそです。
今でこそ。
その時期のインプットをしているときも
ひたすらインプットされていたんですか。
そうなんですよ。あれは良くないですね。
私ちょっとイメージできないんですよね。
福永さんすごいアウトプットの人だったんですよね。
イメージがすごくあるので。
ありがとうございます。
インプット、アウトプットをどこかでしようと思っていた
という学び方だったんですか。
当時の僕はそうは思ってはいたんですけど、
今、年齢がいって過去の自分を見たときには、
全然アウトプットはできていなくて、
ただひたすら自分の不調というか、
自分の心がちょっとおかしくなったというのを
どうすれば良くなるのかなという、
そっちばかりを考えていた。
自分の不調なんてほとんどできていなかったと思います。
でも今学んだことによって、
心の不調というのはだんだんと改善をしていったんですか。
改善しました。
これ良かったんですけど、
インプットしたときのほか全部積み重なって
不調が治ったかというと、
やっぱりそうとも言えないというか、
それのおかげでというのはとても言えなくて、
ちょっと言い方悪いですけど、
そこで学んだインプットしたことというのを
全否定したときに、
要は開き直ったときなんですよ。
ちょっとそこ聞きたい。
通常だったら、
心の整えなさいとか自己啓発とか言われたら
そうですかっていうことを聞いたら、
治るというのがいいストーリーとしてあるじゃないですか。
純当なストーリーっぽい。
15:01
僕はそういうわけでは行かずに。
聞いても、うーんってなって、
それ通りに実行したのかしていないのか
忘れたくらいですけど、
それ聞いたからどうなんやろう。
全然うまいこといかへんな。
不調なんかずっと続いてるやんかって
もやもやしてたんですよ。
それでもね、
すぐやめちゃうのもあかんからっていうので
一生懸命続けてたんですよ。
続けていろんな角度からいっていっていって
ずっと一周して一周したときに
バーンと逆下したんですよ。
自分の中の何かがバンバン来た。
もうええわーみたいな
自分で突っ込んでしまって
開き直っちゃったんですね。
なんかチャブ台があったら
チャブ台ひっくり返すくらいの勢い。
そうそう、そんなイメージです。
イメージ。
何やこれといろんな人のことを聞いてて
いっぷっともしたけれども
ほとんど納得するものなかったし
もうええわと自分のそのまま出して
これが世の中に否定されたら
そんなもんの人間やということやし
そっちのほうが楽やわと思って
バーンと開き直った瞬間に
ふわって心が全部回復に向かったんですよ。
いっぺんに?
いっぺんに。
結局自分がそれを止めてたんですよね。
自分を開放したら
社会に良くないって思ってたから
ずっと違う人生を生きて
違うお利口さんのやり方を聞いてたんですけど
そこがすでにもう無理があった。
無理があった。
無理があったんです。
お利口さんなんかできるわけがないんです。
チクチクしついたんです。
ちょっとずつお金を払いながら。
そうそう。
それでもう開き直りっていうのが
一番の蓋が取れた瞬間でした。
その日のことって覚えてます?
いつとかっていうのは覚えてないんですけど
気分的に覚えてるのは
全てをやめるって
行動に移した時があったんですよ。
全てをやめるっていうのは
その学びだけじゃなくってことですか?
割と
僕が中国のことわざか何かで
好きなことわざが
熱いお茶が欲しければ
まずコップの中に入っている
ぬるいお茶を捨てろっていう
ことわざがあるんです。
熱いお茶くださいって言ってる割には
ぬるいの残ってる。
その上に足されても
ちょっと何かそれを思い出したんで
僕、次だけ直ってもいいわって
言ってる割には
たぶんここにまだ残っとるなと
ぬるいお茶が。
だからその時に
勉強してたものとか
何か役に立つかもしれないみたいに
中途半端に始めてたこととかを
全部ゼロに戻したんです。
何もいらないと。
丸裸の自分でいいと。
思ってから
ちゃんと熱いお茶が入ってきましたね。
18:00
やっぱ空にしたら。
空にしたらね。
手放しとか断捨離とか言いますけど
本当にゼロにして
そうですね。
新しいものを入れていく。
新しいものは
僕が開け直った後に
入る新しいものなので
要はいい子ちゃんにしなくても
いいわけじゃないですか。
お利口さんじゃなくてもいいので
こんな僕ですけど
いいんですかって言いながら
あなたがいいのよって言ったものに
しか入らないから
ちゃんとした熱いお茶状態。
それを僕はその日から
両思いっていう言葉を使い出したんです。
両思いの人じゃないと
そもそも生きづらくなっちゃう。
関わっていく人がね。
はい。
自分を一旦フラットにして
開き直って
僕はこんな人間です。
こんな人間が嫌いな人だったら
僕のところ寄ってこないでください
ぐらいまで言い切ったら
いいよって言ってくれる人が
寄ってきていただいたので
この両思いのコミュニティであれば
何の無理もなく
自分らしくできるので
それを今度お仕事とかに
うまく活用していった方が
圧倒的に順番としては正しくて
幸福度も高くなると
そのままの僕自身の経験が
今の仕事にも活かされている状態ですね。
そうですよね。
それってでも
こんな自分でも良ければ
っていう宣言をしたから
じゃあって言って
そういう発言をすることによって
そういう人がやってくるんですよね。
言わないと分かんないですもんね。
おっしゃる通りです。
自己宣言しないと。
それ怖いじゃないですか。
誰も来なかったらどうしようと思いますよね。
そこの勇気が
昔はなかったんでしょうね。
誰かに好かれるために
自分じゃない生き方を選んでいたんですけど
その開き直ることによって
その勇気がやっと出たんだと思います。
でも発言してみたら
やっぱり両思いになる人がやってきたっていう。
嬉しいですよ。
今両思いっていうキーワードが出ましたけど
奥様とはもちろん両思いで結婚されたわけじゃないですか。
その時期にはもう結婚されてたんです?
うん。
ITの会社の時に
26歳かなの時に結婚してるんで
じゃあだいぶ前にね。
ずっといろんな
福永さんがいろんな働き方をしていく中でも
奥様は一緒に
ずっと見てくださってたんですよ。
見守ってくれてたっていう感じですね。
だからもう奇跡ですよね。
奥様はどんな人かなって
今思っちゃいましたけど。
いや、よくついてきてくれるなと思うぐらい。
でもいつも応援してくれるって感じですか?
もちろん応援はしてくれるんですけど
程よい距離感で
そんなめちゃめちゃ心配もしなければ
何かあった時にはいつでも手届くところにいてくれて
21:01
っていうことをすごく
僕にとって一番心地いい距離感で
いてくれる人かなと。
貴重な人じゃないですか。
そうですよね。本当に幸せ者です。
好きにさせてくれてて
でも見守ってくれてるわけですよね。
助かってます。
もうそこで味方が一人いるわけじゃないですか。
すでにね。
こんな僕でもって言って
両思いの人がまず一人に
すごく身近に。
身近にいるっていうのもやっぱりいいことだし
宣言して他の人とも両思いになってっていう。
そうなんです。
仕事の両思いっていう言葉を使い出してから
その両思いっていう感覚
すごいよくわかるわって
そこにもう食いつきがあるんですよね。
そうですね。
ありがとうございます。
だからポッドキャストやってるんですよ。
はしょって言っちゃいましたけど。
そういうことですよね。
そういうことなんですよ。
自分と同じ価値観、近い人たちと出会っていくために
こんな番組ですけど
これ聞きたい人は聞いて
聞きたくない人はしょうがないんだよみたいな
ことで
自分と両思いになってくれる人たちを
作っていって
みんなそれぞれの幸福度
上げていけたらいいなっていうところが
やっぱり理想的な世界だと思っているので
すごくわかりますね。
本当にそうです。
それが僕が幸いね
いい形でやっと心もしっかりと
正常に動くようになってきたし
お金のことも仕事柄をたくさん知れることができたので
この2つを整えれば
もっと僕以外の人も
何かうまくいかないなっていうような
ヒントがたくさんお伝えできると思っているので
これはある意味
転職という言葉よりかは
僕がやって初めて
僕自身も浄化されるというか
そういう仕事だなと思っています。
そういうことですね。
ある意味サポート的ではあるんだけど
自分発のサポート的ではあるんだけど
その人が豊かになることによって
自分自身の心もとと乗っていくということですよね。
おっしゃる通りです。
理想的ですもんね。
気持ちいいじゃないですか。
パイの取り合いをしなくてもいいですし
その人の幸福度が上がるということが
僕にとって一番嬉しいこと
っていう定義付けから始まるので
本当に一生懸命できるんですよね。
そういうことですね。
キーワードの中に出てきた
自分らしさというのと
自己開示ということが
ちょっと私今回福永さんに
深く聞いていきたいなと思ったところなんですけど
よく今はありのままとか自分らしさとか
24:01
よく言われる方って多いと思うんですけど
福永さんが思う自分らしさというのは
今プラナーとしてもし話をしていく上で
どういったアプローチをされていくのかなと思って
心とお金の専門家
自分マネタイズプラナーの福永純さんに
ご登場していただきました。
次回は
自分らしさと自己開示についてお話ししていただきます。
この番組をまた聞きたいなと思っていただいた方は
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毎週日曜日に配信されたものがスムーズに聞けますので
よろしくお願いします。
今回配信した詳細については
私のホームページにも掲載しています。
こちらの番組の詳細にURLを掲載しておきますので
ホームページもよかったら見に来てくださいね。
建築士伊藤由美子でも検索できます。
それでは次回もお楽しみに。
伊藤由美子でした。
25:29

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