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人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう? おはようございます。こんにちは。橋本ゆみです。
今回のテーマは、みんな未熟でみんないい。 ということで、今日もゆるっと覚醒マインドでお届けします。
みんな違ってみんないいの頃です。
みんな未熟であるということが、今日のお話の前提でございます。
学生の時、高校生ぐらいが、一番高い時期というか、一番中二病発動する時期というか、
その時にすごく実感したのは、人って未完成であることが美しいというか、いいんだなぁって思ったんですね。
未完でいようと思った時代がありましたね。 いやいや、今は猫でいようと思いますが、
未熟というと甘くない酸っぱい時代なわけですけど、未完であるということの方がやっぱりしっくりくるかなと個人的には思いますね。
ただ、未完よりは未熟の方が一般的にはわかりやすいかなというので、タイトルは未熟という言葉にしております。
まだ熟しきれていないという、未だ熟さず、いや熟しはしたい、個人的に熟しはしたい、やっぱり熟して子もして美味しくなりたいですよね。
人生、美味しくしていきたい。 今日ちょうどぬか床をさらっていて、
新しいきゅうりと茄子を漬けたんですけど、そろそろ足さないとやばいなっていう段階で、
まさにまた足して足して、熟して熟しての繰り返し、これはやっぱり味わいがあっていいものだなと思うので、
熟していないというのは、青2歳的な若者に許された特権的な、
いやもう若者という特権ですよ、本当に未熟であるということは、この歳になったら熟してなかったら、いやまじやばいなという、これは個人的な感想です。
ただその熟しの度合いは人それぞれですよね。 浅漬けだって美味しいし、深漬けだって美味しいし。
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そこはコントロールはなかなか難しく、むしろどれだけ積み重ねてきたかという、時間をどれだけ味方につけてきたか、
自分をどれだけその時間を大事にしてきたか、ここが積み重ねなので、技術とかスキルもだけど。
だから、いつだって未熟というか、未完であるが熟してはいたいという大人の感想ですね。
今回は未熟という単語で、この後はずっと話していこうかなと思いますが、
未熟であるというふうに完璧主義な人ほど思うんですよね。自分がまだまだ熟し切れておらぬと。
その姿勢は非常にリスペクトです。 私も常にそう思っていたいし、
初心はするべからずで、やっぱり常にフレッシュで、
生きたいとは思います。思いますがね、 経験を重ねてくると慣れてくる部分や、できちゃうこともたくさんあって、できないことに直面すると、
まあなんかね、へこむよね。あれできないんだって、できてたはずなのに。
そして年齢を重ねると体力的にも、体の能力的にも衰えが始まりますから、
まあもうね、衰えに向かっていくからね、人生って。あるピークを過ぎたら、ずっと衰えにしか向かわないわけですよ。
それはもうそういう自然の流れで、一回登った山を降りるみたいなもんですよね。
まあまあ、登ったり降りたりするわけだけど。
だから、完成を目指す、達成を目指すということは歓迎、歓迎するところでございます。
一方で、一方で、
これ比較になる、比較というか基準があるわけだけど、場面場面、要所要所で年齢という基準をもとに話すと、
それは未熟な考えだな、とか未熟な行いだな、みたいなことはあるわけですね。
もちろんグレーなゾーンもあります。グレーなゾーンもある。
年とか関係なく、そういう持って生まれたものとかもあるからね。
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びっくりすることはたくさん、世の中本当にあって、どこかでも話してるけど、
自分の当たり前は、世の中では当たり前ではないことの方が多いわけですね。
そして大人なのに、とか仕事なのに、みたいな、そのある種の大人なのには割とボワッとして境目がちょっと人によって変わってくるけど、
仕事なのには大体仕事の枠組みはありますよね。
でもそこが分からない人とも言えるし、意識がないとも言えるし、あるいは意識しすぎだとも言えるし、
まあ難しいとこだけど、でも仕事っていうのは契約というものが前提にありますから、
契約の範囲内でことを起こしてなければ、それはダメじゃんって話にもなるわけだよね。
何かの会でね、連絡が来なかったとかで私が怒ったんだって話をしたことがありますが、
やるって言ってやってないっていうのはやっぱり一番困るわけですよね。
業務を委託するという面では非常に非常に非常に困るわけですよ。
ものによっては私が困る以上にいろんな関係者がいたりする、製作物系はね、
まあ本当ね、どうしようもなくなってしまいますね、そういう時はね。
とはいえ、今日の話の前提、みんな未熟でみんないいわけですよ。
未熟であることはある種、人としては成長の伸びしろであるということでいいし、
未熟であるがゆえの失敗もあるけれど、未熟であるがゆえに
人を頼ったり、人に助けてもらえたりという別の恩恵を受けることもあるわけです。
だから完璧になろうとしすぎないって非常に大切で、
やっぱりね、一人で何でもやろうとしちゃう人は危ないんですね。
一人でやろうとしちゃう人は、無意識的に
なんだろうな、誰か助けてくれる人がいないという思い込みだったり、
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あとは誰かに対して心を開けず、であれば自分で頑張るしかないと内側にこもりすぎているか、
まあこんなところが多いかな、あとは理想主義が強いとかね、そういうのもありますね。
その理想主義が強くて横平だと問題が起きちゃうので、
それは悪い方の未熟だよね。
だけどそれを分かった上で、じゃあ助けてもらおうとか、
じゃあ自分はこのように成長していこうという視点と姿勢を持っている人は、
今未熟であったとしても、これは積み重ねているという行動が伴っているプロセスであるから、
何か失敗そのものはリカバリできなかったり、
ダメだったとしても、その姿勢に関しては非常に歓迎するところがあるわけです。
これをね、人はうちではねぎらいという話をよくするんですけど、
会社、特に職場ではそこが喫行するところです。
自分が上司でスタッフ部下がいたときに、やっぱりその部分が非常に喫行しましたね、当時ね。
今はそうでもないかもしれないけど、
今は別に上司部下の関係がないからあまり直面しないのですが、
昔はやはりことと途中のその人の能力とか姿勢とかいろいろなものと、
こっちは区別していても、相手側がそこが区別できなかったり、
相手に何らか心理的なわだかまりがあったりすると、
やっぱりそこがね、スッと入らないんですよね。
上手く調和、調整、調律、そんなようなことがなかなか起きない。
それを起こすのに、話し方とかこういうスキルがいいよとかじゃなくて、
そこの垣根を緩めるっていう作用がトランスなんですよね。
リラックスした状態ですね。
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脳波っていうかね、自分のその状態っていうのはミラーニューロンで相手にも伝わったり電波しますから、
結局自分自身がどんなに未熟だとしてもですね、
しっかりそこに向き合う姿勢を持っていると相手にもそれが伝わるので、
上司・部下の話に戻すと、
上司がそういう誠実な対応をしてくれる人であればあるほど、
そこの下で働く人たちっていうのはいくら大変でも、
まあまあ上司がね、分かってくれているという安心感のもと成長していくんですよね。
これはタイ人の話だったんだけど、
結局これ自分の中で、自分の中のインナーペアレンズみたいなもんなんだけど、
うちなる母・父像が必ずあるんです、みんなね。
昔言われた何々しなきゃいけないとか、こうしなさいとか、こうしちゃいけないみたいなものが染み付いているので、
いざ自分らしく生きようとすると、ちゃんと働かなきゃいけないとか、
ちゃんとこうしなきゃいけないっていう、割とちゃんと何々みたいなのが顔を出してくるわけ。
それはうちなるお母さんなのかお父さんなのか、内側で言われたことが自然と自分が言っていて、
一人で萎縮するっていう、そういう自分の内側っていうのを見ていくと、
意外と未熟にしている何かと、成熟にもて生かせないようとする何かとか、見えてきます。
最近の日本の人と日本人に限らないのかな、でも東洋系はやっぱり大人っぽい雰囲気より子供っぽい雰囲気の方が受けがいいんですよね。
文化とかあると思うけど、やっぱりその中でかなり子供っぽさ、いい意味で子供っぽいのはいいんだけど、
本当に差が生まれるわけですよね、見た目と、見せたい自分と内側の自分がかなり違うと、
これは相手にとってものすごいストレスをかけるんですが、そこまで考える人はほぼいない。
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それを言っても大概の人がピンとこないでしょう。
ただこれは本当に相手に対して失礼に当たってしまうので、気をつけなきゃなというのを昔橋本は痛感して、
何を痛感したかというと、自分では本当に気づかず、年齢不相な態度とか対応をしていたということなんですね。
そんなに他の人が見て失礼なことをしているとは気づけないレベルです。
私は飲み会とか行かないんだけど、飲み会とかでわいわいサークルみたいな学生みたいなノリの社会人、
結構いい大人とかいらっしゃるんですよね。
私はそれが悪いとは思わないし、そういう若い感じで騒げる場があるって、それは楽しいだろうなと思うわけです。
私もキャイキャイしてみたい。
だけど、時と場というのがやっぱり大事で、それ職場でやっていたらちょっとおかしい人なわけですよ。
飲み会はいいじゃない?別に飲み会だし、プライベートだから。
っていうその場その場で変えていくっていうのができる人は成熟している対応ということになるのですが、
ずっと子どもっぽい若者っぽいことっていうのをやっていると、これは笑いとして自然とやってしまう人も多いんですが、
これはね、本当に無意識化のもっと深いレベルで言うと、大変失礼なことにあたるケースがあるわけです。
本当にね、本人は自覚しにくい。私がそうでしたからね。でも気づいた時は真っ青ですね。
さあ、そうか、そういうことだったんだ。
まあまあ、みんな未熟でみんないいのですが、自分のその未熟さに気づいてへこむのではなく、
自分の未熟さを受け入れて、そして自分はどうやって成長していくかっていうのを見つめていく方が、
前に話したこれまでよりこれからっていうところにつながります。
できないことをダメだってへこむのは悪いことではない。
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悪いことではないが、私もいつもへこみます。
だけど、へこんで終わりにすると、ずっとへこむゲームで、
へこむような出来事を呼び寄せ続けて、では自分はダメだっていうループに入るんですね。
これは本末転倒というか、あまりよろしくないよね。
何も変わらない、変化しない。
あれですよ、地獄絵図ですよ。すごい究極的な言い方です。
ずっと繰り返されている、ホタルの墓とか窓まぎみたいな感じだよね。
ずっと繰り返される。あの手この手を変えても繰り返されていくという。
ホタルの墓は別に何も変えてないけど、ずっと煉獄さんですよ、あれは。
いや、恐ろしい恐ろしい映画です。
それは置いといて。
その未熟ループに入ってしまうのは、これはちょっと考え物というか、
早く気づいて抜けていくといいんじゃないかなと、私自身の体験からも非常に感じております。
やっぱり気づいた後はものすごい気をつけましたよね。
本当にね、深いところ。これ催眠とかやってるから、やってても気づきにくかったよね。
人のはやっぱりね、分かりますね。
戸惑うと、あの、なんだろうな、
この間ね本当に戸惑ったことがあって、初対面の方で、飲み会の懇親会ね。
飲み会懇親会の場で、初対面の方で、
何だろう、ノリがいいというか、何というかずっと喋ってるから、
私はあまりその会話に乗れなくてですね。
何かお喋りしてるからいいやと思って、ご飯をもぐもぐしてて、
そうすると何かいろんな人が集まったり、入れ替えがあったりする中で、
ちょっと皆さんで話す中に私もいる感じになって、
その時になぜかその人から、僕のこと嫌いでしょって言われて、
私初対面だから好きも嫌いもないなって思ったんだけれども、
結局その、そこの裏に何があるかっていうのが、
やっぱり見て取れるわけですよね。
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見て取れたところで、プライドがあったり、その場があったり、
その人を立てなきゃみたいなのもあったり、
立てなきゃっていうかね、別に変なこと言って空回りするのも嫌だから、
どうしようと思って困ったなみたいな。
でも他の人がチャチャを入れて話がどんどこ流れて、
私がコメントするタイミングはなかったのですが。
民の席って不思議だなと思いながらね。
でもその、ちょっとしたその一言の裏には本当にいろんな要素、
その人のやっぱり人生観だったり、今置かれている立場というかね、
きっとこういうことに悩まれたり、不安だったりするのかなみたいなことが分かったりするんですね。
それはやっぱりね、心の構造とか人生の構造っていうのをやってきているし、
それは催眠療法をやっている中で、無意識がどういうふうに物事を受け取って、
そしてどういうふうに現象に起こしていくかっていうのを、
ずっとやって、19年、20年近くですね、やってきているから、
まあまあ気づけたりするわけですが、
自分のことはやっぱりそうは言っても難しい。
結構早めに気づいて、早めかな。
早めかな。30代、40、もうちょっとね、記憶がないけど、
でもね、30は超えて、もう優位に超えてましたね。30半ばは超えてたと思うな。
超えてたと思うというか、絶対超えてますよ。ふむふむ。
やっぱりそこは本当に自分の今一歩抜き出なかった足枷になってた部分です。
仕事のビジネスの発展とか、ライフスタイルのステージアップとかを
足を引っ張ってた部分っていうのが、そういう無意識的な中での
悪い方の未熟、未熟でありたい自分みたいな。
ピーターパン症候群までは行かないけど、
子どもでありたい自分っていうと、まあまあわかりやすいでしょうね。
そこまでは思ってないわけ。思ってないけど態度はそうであるという態度をとっていると、
周りの人に対して、周りの人は気づかないかもしれないけど、
ものすごく違和感を与える。
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不快までは行かなくても、わかる人には不快になるでしょうし、
そういうことに敏感な人はやっぱり不快に感じるっていう場面を何度か見てきていますね。
もっと年配とかになると、10も20も下とかになってくると、
もう若いなっていう括りで大して気にならなくなるんだけど、
大して気にならなくなるんだけどね。
あとは50歳とか過ぎてくると、もうキャラクターっていう形で誰も触れなくなって、
やっぱり成長する機会を逃すんだなっていうのをずっと見てきて、
自分がね、常に自分を要チェックですよ。
そういうと厳しすぎるかもしれないけれど、別にそんな厳しく自分を知った下儀でしてるわけではなく、
本当に未熟である自分も別にいいし、
その未熟さを成長の糧にするかしないかは人それぞれであって、
私自身はなるべく成長の糧にしていきたいというところで意識を持っている。
そういう話なだけですね。
やっぱりね、自分を未熟にさせていくのは制限、いろんな制限です。
幼い頃に言われたこととか、あとは言われてないけど勝手に学習したこと、
空気読んで対応してきた癖なんかがそれに当たります。
それらが本当に解放されてどんどん楽になっていくんですよね。
めちゃくちゃ楽になってきます。
特に人付き合いが苦手な人は苦手で、別にその時々対応するっていうこともできるようになるし、
何かトラブルがあっても事実と感情を分けて、
トラブルに関しては事実上で解消していく手立てを取るということなので、
感情に関しては正当な、これはやっぱり違うよねっていうことは、
感情は脇に置きながらも状況を整理して、人にちゃんとお伝えしたりして、
そこで不快であったという旨は伝えたりはしますね。
こういうのも結局、何だろうな、
会社員時代にリストラとかクレーム、クレーマーと対話することは基本ないんですが、
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社内でクレーマーみたいなことはあるわけですよね。
クレームってことは結局怒りをぶつけてるっていうところで、そこの対処法だね。
困った人という括りですね、会社の中で言えば困った人をどう扱っていくか、
そういうことをやってきてたんでね、思うわけでございます。
皆さんの中でも人間関係、いろいろ殺身したり、
あと古い仲間と出会って、もう一回復活して新たな付き合いが始まったり、あるんじゃないかと思います。
そんな中でね、自分はどうかっていうのを一度振り返ったり、
誰とどういうふうに関わっていきたいか、
そういうのを今年、あと3ヶ月ぐらいだよね。
非常に大事な時期になりますので、お心に留めていただければと思います。
というわけで、今日のテーマはみんな未熟でみんないいということで、
今日の話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
そろそろお茶会?お話会か、お話会の締め切りが10月5日でございますので、
ぜひぜひ気になっている方はお申し込みください。
一緒にアフタヌーンティーしながらダバダバお話ししましょう。
ダバダバって言ってもね。
聞きたいこと、ご相談ある方はぜひこの機会活用されてみてください。
というわけでまたお会いいたしましょう。ではまた。