母の日の感謝と葛藤
素直になれと言わないで、素直にさせてご覧なさいな。こじらせつるのセキララらじお、5月の14日、水曜日の朝でございます。皆様、いかがお過ごしでしょうか。
いやー、5月14日、水曜日、5月も半分終わるのに、今週、今月最初の1週間ぐらいですね、ゴールデンウィークでボーっとしてたので、なんか5月始まったばっかりだなと思ったら、もう明日で半分になるんですね、っていうところでね、驚きなんでございますけれども、
いやー、なんかね、今日、朝、今日ね、話したいことね、やっぱり母の日、感謝、感謝を求められる発言にもうね、うっとくる気持ちっていうのをね、ちょっとお話ししておきたいなというふうに思います。
先日ですね、今週の月曜日かな、これ月曜日かな、月曜日ですね、一昨日の話なんですけれども、私、母の日苦手だよ、母が感謝しなさいっていうことを言ってくるんで、母の日なんか送らなきゃいけないなっていう感謝させられてる感がある、感謝させられるっていう気がして、母の日あんま好きじゃないっていう話をしたんですけれども、
なんか、母の日の感謝がないことについてのもやりっていうのを、ちょうどね、今日の朝ボイシを聞いていたら、オイシハルさんっていう方のね、有名なパーソナリティーの方がいるんですけれども、ご存知の方もいらっしゃるかと思うんですけどね、その方がね、リスナーさんからの質問に回答するっていうね、会があって、その中でそのリスナーさんがね、自分ちの娘ね、もう10歳過ぎて11歳だからね、
なのにね、母の日にね、なんかあの、特にこの感謝の何かものだったり言葉とかがなくて、ね、あの、なんかSNS見てると、ね、あの、家族にこんなふうなものもらいましたとか、感謝の気持ちもらいました、嬉しかったですみたいなのを、ね、なんでうちの子はね、感謝してこないんだろうって言ってもやるみたいなね、そんな話があってそれに対してどう思いますかみたいなね、えー、ことを、ね、あの質問あって、もう私が、私がうちの母やんけみたいな、もう私が一番もやるやつって思って、朝からウッてなってるんですよ、
もうその話聞くときにウッてなる、私の何かあの、何、あの、この数十年の何十年のね、なんかあの母に対するこうもやりが母と同じ価値観の人、ウッてなってね、えー、あの、おいしいはるさんは特にそこのところに何ももらわないことに関して、特に何も思わないよって言って、何も思わない人、ね、あの感謝の言葉がね、母の日になくても何も思わない人コメントしておいてくださいみたいなのがあったんで、
本当にね、書き込みたくなった、私のこの責任の思いを書き込みたくなるんだけど、ね、あの書き込むと時間かかるし、なんかあのいらんこと書いてしまいそうなので、このまま書かないでいこうか、一言だけね、あの書いていこうかっていうところをね、ふとね、朝ね、そのボイス聞きながら思ったんですけどね、本当にね、えー、何でしょうね、あの感謝してもらいたいって思うって何なんだろうなーと、いや私も誰に対して何の感謝もないようなね、人生をさすがに歩んでないんですよ、
もう本当にありがとうって嬉しいっていうふうに思うこともあるんですけども、ね、あの感謝してくれるだろうっていうふうにね、あの思われることに対してはうって思って、自分自身でもなんかあの何かを人にしたときにそれに対して何かがあの思ったような返答とかがなかったときにね、ないなっていうふうに思ったときに自分であ、私も感謝を求めてしまったけどいかんいかんってね、
あのー何でしょう、こうしてあげたことはね、あのー忘れてしてもらったことは忘れないようにしなさいみたいなこれ、なんかどっかで聞いていい言葉あるんですけど、ね、あのしたことは忘れようと、ね、えーいうようなね、あの話をね、思い出してね、もうなんか私と母と同じ、いや、ひとつね話をしておくと、
以前、友達にね、あのー結婚式誘われたんですけど、あの出席ね、あのーしてくださいって言われたんだけど、どうしてもちょっと子供のね、えー行事と重なっちゃっていけないよっていうふうに、ね、あの本当は行きたかった、本当はすっごい行きたかったんだけど、ちょっとね、あのーさすがにね、子供のね、あのー保育園のね、年長さんの発表会の日は、ね、あのーそこをね、あのー行かずして、ちょっと友達の結婚式に行くっていうのも母親としてどうかなっていうと、
本当なんでそこに行って被るよっていうようなね、えーところで、ね、本当ね、あのー昔の若い頃のね、独身の頃からの知り合いで、ね、その人の結婚式は、ね、絶対にこうあの、三列したいなっていうふうに、ね、思っていたのになんでそのタイミング被るかなっていうね、えーまあね、入学式卒業式じゃないからいいのかなって思うけど、ね、子供としてはね、保育園、ちょうど年長の長男の年長のね、保育園のね、あのーこう発表、発表会の、
ね、人被っちゃっていけないって言って思ったんで、ね、あのーじゃあいけないから、ね、あのお祝い送るねって言って、式に三列してたらご祝儀出すのと同じ金額で、ね、あのー包んで、ね、送ったんですよ。
で、送ったことに対して、ね、あのーまあ式とかに三列すると引き出物があったりね、なんだか映るかな、ね、あの何かお返しがあるかなって期待しちゃった。期待しちゃったんだけど、俺の言葉はあった。ありがとうってね、えーこれないけど送ってくれて、お祝い送ってくれてありがとうっていう言葉があった。
それだけで、あのーありがとうって言葉があっただけで、うんよかった喜んでくれたんだなって満足すればよかったのに、ね、何かそのお返しあるかなって思ってしまって、なかったことに落胆をした、ね、自分に対して、いやー自分もちっちゃいなって母親のね、この感謝しろの、ね、何かしてあげたらお礼がないっていうことに対してグチグチ言う母親と一緒になっちゃうなって、
自己反省と成長
まあ、あのね、送った相手が喜んでくれたら、ね、喜んだことを言葉で返してくれたら、もうそれでよかったじゃないかっていうふうに、ね、あの思わなきゃ、思わなきゃっていうか、それでよしとしようよ自分っていうふうにね、思ったときの話をね、すごい思ったんですけど、いや本当にね、自分があの感謝されて、感謝され、感謝を要求されることに対してすごくうって思うのに、
あの、なんだろう、感謝されないっていうか、あの感謝に対しての、何かしたことに関しての、ね、あの感謝が自分が思ったほど、感謝というか、あの返礼がね、見返りが自分が思ったほどなかったときに、ね、うって、あのそれに対してもうって思ってしまった自分もちっちゃいなって、いやーまあ結局私自分がちっちゃい人間だな、なんだなっていうふうに思ったことを思い返した。
いやでもやっぱりね、母の日に感謝される、感謝しろって言われる、感謝しないのは何なのっていうふうに思われることに対するもやりっていうのはけないっていう、えーそんなような朝でございました。
というところで、えーあのトリートメント内容の話を聞いていただいてありがとうございます。えーそろそろ頑張って仕事に行きたいと思います。皆様も良い一日をお過ごしください。それではまた。