2023-06-04 09:46

#43 方丈記(去安元三年四月廿八日かとよ)

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安元の大火の導入部分です。
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今回は、方丈記を読んで参ります。
鴨野長明の作による鎌倉時代、前期の作品となっております。
今回は、安元の大化という、1177年に起きた大きな火事があります。
その火事の模様について書いた部分の最初の部分を読んで参ります。
今回もテキストは、門川 ソフィア文庫 Beginner's Classics 日本の古典からとっております。
非常に長い部分ですが、今回はその最初の部分だけを取り上げて読みたいと思います。
では、まずは本文をお読みいたします。
陰時 安元三年 四月廿八日かとよ
風激しく吹きて 静かならざりしよ
犬の時ばかり 都の東南より日出きて 西北に至る
はてには 首爵門 大国殿 大学寮 民部省などまで移りて
一夜のうちに 人海となりにき 訳しながら見てまいりましょう。
陰時 安元三年 四月廿八日かとよ
陰時というのは、いにしですね。つまり、過ぎ去った。
つまり、去る。何年何月何日、みたいな感じですね。
陰時 安元三年の四月廿八日かといったか。
風激しく吹きて 静かならざりしよ 静かではなかった夜
つまり、風が強かったんですね。
風が強かったので、この後火事が起きて その火事が大きく燃え広がってしまった ということですね。
時刻は 犬の時とあります。犬の時というのは、これは午後8時ごとです。
当時は、この時間というものを、これも 細かく言うと いろいろあるんですけれども、
大目、だいたい 真夜中の0時を 寝の刻と言いまして、
そこから12時を 2時間ごとに 割り振りまして、時刻を表しました。
ちょうどそうすると、馬の刻というのが 昼の12時になるわけですね。
ですから、馬という字に 午前の前をつけて 午前というわけですね。
馬の前と書いて 午前というわけですね。
また、馬の後と書いて 午後と言います。
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そして、ちょうど馬の刻のことを 正午という言い方をするわけですよね。
そう覚えると 分かりやすいかと思います。
それで、2時間ごとに数えていくと、牛とラウーと 数えていった時に、
ちょうど犬の刻というのは 午後8時ごろですね。
寝の刻が 真夜中の0時ですから、
ちょうどその4時間前 ということで 分かりやすいかと思います。
つまり、夜のことだったんですね。
当然ですよね。
当時、火を使う時間というと、もちろん さまざまな用途はあったでしょうが、
特に 明かりで使うことは あったかと 思いますね。
ですと、当時は 8時ごろになりますと 夜も暗くなっていました。
当時は あまり暗い時に 作業をしたりは しなかったとも言われていますが、
全く使わない ということでは なかったようですので、
何か明かりを 使ったのでしょう。
それで、火事が 起きてしまった ということでしょうね。
都の東南より 火出来て 西北に至る
都のちょうど 東南の方角ですね。
都というのは いわゆる 京の都ですから 平安京のことですよね。
平安京の ちょうど 東南の方角から 火が出て、
おそらく 風向きが そこから 西北の方に 流れていたんでしょうね。
今まで 北西ですね。 北西の方に 流れていたんでしょうね。
ですから そちらの方にまで 進んで 燃え広がって しまったと。
はてには その先です。
東南から 火が出て 西北の その先に あるのは 首尺門。
大国伝 大学領 民部省 というものだ ということです。
首尺門 というのは 須作門 と書いて 須作門 と読ませています。
須作門 というのは この都の中心をなす 大大理。
大大理 というのは 帝がいらっしゃるところであり 帝が 政治を行う場所であり、
なので 政治家たちや 関連する 役人たちが みなさん 集まっている場所。
それが 大大理 という場所であります。
その 大大理 という場所の方に 向かって しまった わけです。
ちょうど この 大大理 というのが あります。
平安京が ちょうど 真北の方に この大大理 というのが あります。
ちょうど 北西の方から 東南の方角に あったのが 大大理 だった ということです。
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偶然なのか 分かりませんが 結果的に この中心をなす 国の中心の方に 帝が 燃え広がって しまったことに なります。
その 大大理 の正面の門 というのが この須作門 というものです。
この須作門を ずっと下っていきますと あるのが 有名な 羅城門 というものです。
羅城門 という 芥川龍之介の小説が ありますが そのモデルとなったのが この羅城門 という場所です。
羅城門 というところから ずっとまっすぐ 須作王寺 と呼ばれる 大きな大通りがあって そこをまっすぐ行って 月与えにあるのが 大大理 なんです。
大きな区画です。その区画の中で 政治を行う人が いっぱい 政治を行う場所があった ということです。
もちろん その入り口にある 須作門は 焼けてしまいますし 大黒殿 というところ
この大黒殿 というのは 当時の 帝が 政治を行った 場所だったんですね。
ですので 本当に 国の中心 中の中心 だったんです。
ところが そこまで 燃え広がって しまったんですね。
結果的に その時から この大黒殿は 使えなくなって しまいます。
そのため 今度は 帝は 違った場所で 本来的には 須作門 じゃない 大黒殿で 執政を行っていた わけなんですけれども
代わりに 四神殿 と呼ばれるところで 政治が 行われるようになった ということですね。
ですので 非常に 重要な場所を 焼けてしまった。
また 大学寮 当時の 学問機関です。
今の学問機関と ちょっと ちがいますが 役人を 養成するための 重要な場所も 焼けてしまいました。
こちらは 代々居の すぐ外側に あるんです。
すぐ外にあった 建物です。
また 民部省 という場所も あります。
民部省 というのは 代々居の中の 役所の 一つです。
そういった 場所まで 全部 焼けてしまった。
そして それらは 一夜のうちに 陣階と 内に来た。
一夜のうち 一晩で 陣階というのは 塵と灰と書いて 陣階と 呼ばせます。
塵と灰になって しまったのだ ということですね。
このようにして 始まるんですが 非常に この場面というのは まるで 現在の 新聞記事のようですよね。
非常に この はっきりと 出来事が あいのままに 書かれている という 感じがいたします。
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では 最後に もう一度だけ 本文を 読んでまいりましょう。
はてには 首爵門 大黒殿 大学寮 民部省などまで 移りて
一夜のうちに 陣階と 内に来 っていうことでした。
それでは お聞きいただいて ありがとうございました。
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