雨季のジョムティエンで朝ランニング / 『現代思想』2026年8月号「〈ソロ〉の現在――ひとりでいることの思想」 / 第3回エピソードの孤独と寂しさの続き / 孤独は感覚でソロは暮らしの設計 / 若者と高齢者でソロの中身は違う / 安田登「群れを離れて――老いのソロ作法」 / 70歳からセミノマドを始めた能楽師 / 優雅・雜・自然の三本柱 / 優雅な貧乏と第10回エピソードの「足りている」 / 雜な生き方と完璧主義を手放すこと / 力まない自由としての自然 / 健康・お金・コミュニティという足場 / ゆるく勝手な劇団コミュニティ / 永田夏来の団らん・コモンズ・閾 / ソンテウ事故とソロの脆さ / ニュースレターでコミュニティ論と閾を深掘り
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サマリー
本エピソードでは、雑誌「現代思想」のソロ特集号を読み、高齢者のソロ(一人暮らし)の生き方について考察する。特に安田登氏の論考「群れを離れて――老いのソロ作法」を参考に、ソロを生きるための「優雅」「雑」「自然」という3つの柱を紹介。これらは、お金をかけずに豊かに生きる「優雅な貧乏」、完璧主義を手放す「雑な生き方」、そして力まず状況に身を委ねる「自然」な生き方を指す。一方で、ソロ生活には健康、お金、コミュニティといった足場が必要であり、特にコミュニティとの関わり方や、ソンテウでの交通事故を例にソロの脆さについても言及している。
はじめに:ソロ特集号との出会い
こんにちは、RyoTaです。 余生、余ってません。 〜リベラルアーツをまとって旅暮らし〜第13回です。
今は2026年8月10日、月曜日の午後です。 今日もタイのジョムティエンからお届けしています。
相変わらず雨季は続いていて、 今朝もランニング中に雨が降り始めて、
早めに切り上げて自宅に着いた途端に土砂降りが始まるっていう、 雨季ならではの天候を体験したりしました。
前回のニュースレッダーの最後に予告として、 今読んでいる本が面白いので、その内容になるかもしれません。 と書きました。
あの本っていうのが今回の話です。 正確には一冊の本っていうより雑誌の特集なんですけどね。
現代思想の2026年8月号。 特集のタイトルがソロの現在、一人でいることの思想、
一人で生きることをただのライフスタイルじゃなくて 思想として扱った特集です。
今日はその中から今の自分の状況に 一番引っかかりのあった論考を紹介します。
尺の関係で全部は紹介できませんが、 今日は入り口と自分の実感までを話せればと思います。
深掘りはいつものように連動するニュースレッダー側で書く予定です。
本章を読むきっかけは結構単純です。
エピソード第3回で、 孤独と寂しさは別物だという話をしました。
孤独は自己と対話している状態で、 寂しさは繋がりを渇望している状態。
で、当時の自分は寂しさに押しつぶされるとは思っていないし、 欠乏感もないと言ったんですよね。
あれからバンコクからジョムディエンに移って住む場所が変わった。
場所に合わせて生活のリズムも少し変わった。
でも一人でいること自体はずっと続いている。
一人暮らし歴はもう40年以上です。
で、ふと気になったのが、
孤独の話はしたけど、 ソロとしてどう生きるのかの話はしてこなかったなということなんですよ。
孤独は感覚の話で、ソロは暮らしの設計の話。
似ているようでちょっと違う。
特に老いの側から見たソロ。
若者のソロと高齢者のソロは中身が違うはずだという直感があって、
そこを言葉にしている人がいないかなと思って、 この特集号を手に取ってみました。
安田登氏の論考:老いのソロ作法「優雅・雑・自然」
この特集論項が15本くらい入っていて、
様々な角度からソロについて語られているんですが、
女性が一人で生きることのハードルの高さについて 論じているものが多かった印象です。
それは大事な話だと思うし、
今後も一人世帯は増え続けることを考えると、 注視すべき問題だとは思います。
ただ、自分の体験とは重ならない部分が多いので、 今回はそのあたりは割愛します。
気になる方は本を手に取ってみてください。
その中で自分のテーマに一番近かったのが、 安田昇さんという農学士の方の論項でした。
タイトルが、
20年以上住んだマンションを引き払って、
マンスリーやウィークリーのマンションをあたり歩く。
脇型の農学士として役柄を実生活でも実践するために提示を捨てた。
自分も日本を離れてタイに移り、 これからも東南アジアを点々とするつもりなので、
セミノマドという言葉にはちょっと反応してしまいました。
安田さんのような放浪生活をする覚悟は決まっていないんですけどね。
若者と高齢者では、同じソロでも中身が違う。
その前提で、貧しい高齢者のソロとしての心持ちを3本の柱として語っている。
優雅、雑、自然。
この3つが今日の本編です。
正直なところ、この特集を開く前の自分には期待するところが3つくらいありました。
まず1つ目。
オイのソロ作法として、こうすればうまくいく、みたいな実用的な話を読みたいと思っていた。
優雅に孤独を生きるコツ、みたいな。
まあ思想史にそれを求めるのは本水ではないとわかってはいるんですが。
2つ目はコミュニティの話が出てくるだろうなと思っていた。
1人でいる自由はいいけど、老後は結局誰かに頼る場面が出てくる。
実際、老後を語る書籍でその話が出てこないものはないので。
第3回エピソードの頃からそれはずっと気になり続けていた。
3つ目、これはちょっと恥ずかしいんですけど、
自分はすでにソロとしてうまくやれている側だ、っていう確信めいたものが欲しかったというのも正直ありました。
40年以上一人暮らししてきて寂しさも欠乏感も感じないと言ってきた人間としては、
やっぱり自分のやり方に言葉を与えて欲しかったんですね。
で、この3つ、そう簡単には叶えさせてはくれませんでした。
当然ですが。
そこが次のパートの話です。
まずこの論考で良かったことから。
安田さんが言う3本の柱、優雅、雑、自然、これは自分の中でかなりしっくりきました。
まず、優雅。
高齢者のソロに必要なのは、まず優雅さだと。
お金をかけずに優雅にやれば、それが優雅な貧乏生活になる。
貧乏は不幸じゃない。
優雅さを失った時に人は初めて貧しくなる。
これ、第10回エピソードでも話した、足りているという感覚とかなり近いんですよね。
我慢しているんじゃなくて、必要なくなった。
あの話の延長線上に優雅がある気がしています。
次に雑。雑な生き方。
優雅と雑はぶつからないんだと。
雑の最大の利点は気楽なことです。
気楽だから何でもできるし、失敗にこだわらない。
雑を嫌う人は完璧主義に陥りやすい。
これ、自分に刺さりました。
元エンジニアで長くシステムを扱ってきた人間って、つい準備をしっかりするとか、きれいに揃えたいとかが出てくるんですよ。
でも後先考えず海外中に踏み切ったことを始め、だいぶ雑に動けるようになってきた。
そこは認めていいのかなと思っています。
そして自然。
自由になろうと力むことすら手放して、状況に応じて自らそうなるように生きる。
思い通りに世界を動かそうとする心を沈めて流れに身を委ねる。
力まない自由という言い方もしっくりくるかもしれません。
自分は自由を手に入れたと力みたくなる瞬間があるんですけど、力んだ瞬間に窮屈さが立ち上がってくる。
そこもわかる話でした。
この三本柱については正直自分もそこそこできているように思います。
少なくとも優雅さを完全に失っている感覚はないし、雑もある程度許容できているし、力まない方向にも少しずつ寄ってきている。
ソロ生活の足場:健康、お金、コミュニティ
一方でそうでもなかったところ、というか自分に突きつけられたところ。
安田さんも言ってるんですけど、この三本柱だけでは老後を生きるのは難しい。
足場として健康、お金、コミュニティが必要だと。
で、著者ご本人は健康とお金にはあまり興味がないと言っていて、コミュニティについて多くを語っています。
ただ、おせっかいすぎるコミュニティは苦手であると。
せっかくのおそろが台無しじゃないかって。
ここをすごくわかるんですよ。
自分も日本人コミュニティに積極的に飛び込むタイプでもないし、義務や依存が濃い関係からは距離を取りたくなってしまう。
安田さんが持っている劇団の特徴がゆるいことと勝手なことだそうで、ちょっと面白かったんです。
台本はあるけど各自が勝手に書いていいし、リハーサルもしない。
遅刻や無断欠席で台員が欠けたとしても、それが当然かのように臨機応変に対応する。
メンバーを固定しないので突然誰かが入ることもある。
閉じながらも刺激や栄養は入ってくる。
そういうちょっと普通じゃない関係性の話なんですけど。
ここが自分にとっては一番刺さって、一番手つかずなところなんですね。
コミュニティへの帰属は今のところほとんどやっていない。
ポッドキャストやニュースレターで場を作りたいとは思っている。
でもそれは発信であって帰属とは違う。帰属の方はまだ空白です。
特集の中でもう一本、中田夏樹さんという社会学者の論考も読んでいて、
ダンランは家族の中だけにあるものじゃなくて、家族の外にも作れるんじゃないかっていう話です。
コモンジュとかシキっていう言葉が出てくる。
近づいてはシリゾキ、少しだけ関わる。
その可動性がソロの自由なのであると。
これ、実体験としてもわかるんでしょう。
関わりの余白がある場所と緩くつながっていると、ソロが孤独に押し込められない。
逆に、余白のない場所は入った瞬間にしんどい。
ただ、この話をここで全部話すと尺が長くなってしまう。
理論の骨格と自分の暮らしへの当てはめはニュースレターの側でやっていきます。
今日はそういう話もあるっていう入り口だけ置いておきます。
ソロの脆さと危うさ
あと、最近の出来事に絡めてもう一つだけ。
ソロの魅力とソロの危険はセットだと思っています。
というのも、先日ソンテウに乗っている時に交通事故に遭いまして、右折車と衝突して急停車したんですね。
乗客全員ひっくり返りました。
幸い誰も怪我はしなかったようですが、自分はつけていたエアポッチが吹っ飛んでどこかに行ってしまいました。
車道に落ちていて運良く救出することはできたんですが、
その後、怪我をしたらエアポッチがなくなったら誰が責任を取るのかっていう疑問が残ったんですよ。
文化的な欠落は映画や読書で埋められるけど、体の安全は埋められない。
自由を設計するなら危うさの設計も同時に必要だ。
この感覚は特集を読んでも消えない。
むしろソロを思想として扱うほど底が際立ってくる。
で、今のところこの特集を読んだことは良かったと思っています。
まとめと今後の展望
3本の柱として言葉をもらえたのが大きい。
コミュニティと式についてはまだ手つかず。
そこを含めてまだ途中だと自覚できたのが収穫でした。
というわけで今回は現代思想のソロ特集から
安田昇さんの老いのソロ作法を入り口にして話をしました。
優雅・雑・自然。
この3つは自分の今の暮らしにも割と馴染む言葉でした。
一方でコミュニティの足場はまだ空白。
そしてソロの自由には修復しにくい危うさも同居している。
連動するニュースレターでは今日端折ったところを深掘りします。
安田さんのコミュニティ論。
永田さんの段々を家族の外に置く話。
古文字や式という考え方。
そして近づいてはしりぞき。
少しだけ関わるという可動性が
これからの一人暮らしの社会に何を意味するのか。
音声だけでは密度が足りない部分を文章側で補います。
合わせて読んでいただけると
今日の話がもう少し実体的に理解できるかもしれません。
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それでは今回は以上になります。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
また次の街でお会いしましょう。
りょうたでした。
16:17
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