009 - ずっと避けてきた人文を棚卸ししてみて気付いたこと
2026-07-15 20:55

009 - ずっと避けてきた人文を棚卸ししてみて気付いたこと

番組名に掲げながら避けてきた人文・リベラルアーツ / 理系・ソフトウェアエンジニアとしての苦手意識 / 借り物の教養は語らないというスタンス / 「学ぶ」でなく自分の中の人文を棚卸し / 自分をタイに連れてきた映画アピチャッポン・ウィーラセタクン『トロピカル・マラディ』 / 映画人生の起点になったアレハンドロ・ホドロフスキー『エル・トポ』 / 何度観ても消えないモヤモヤが逆に魅力になる / 分からないものを分からないまま抱える姿勢 / 谷川嘉浩『スマホ時代の哲学』 / ネガティヴ・ケイパビリティという救い / 渡邉康太郎『生きるための表現手引き』と表現の再定義 / 表現とは「変化」、創作は「模倣の失敗」から / 土門蘭『ほんとうのことを書く練習』 / 「ほんとうのこと」を書くことは私と世界を知ること / 人文が苦手は思い込み、ラベルを貼ってなかっただけ / 「まとう」は所有でなく暮らしに纏わせるもの / 旅暮らしと人文の学びの相性をニュースレターで深掘り

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00:14
こんにちは、RyoTaです。 余生、余ってません。 〜リベラルアーツをまとって旅暮らし〜第9回です。
今は、2026年7月13日月曜日の朝です。 今日も、ジョムティエンの海の見える部屋からお届けしています。
引っ越ししてから10日以上経って、生活の方もだいぶ落ち着いてきました。 相変わらず朝はビーチを走っていて、これがやっぱり気持ちいいんですよね。
前回は、そのジョムティエンに引っ越してみて、5日目の割とバタバタしたリアルな話をしました。
コンセントが刺さらないとか、エージェントのお姉さんが退治官だとか、そういう生活の立ち上げの話ですね。
で、今日はですね、ちょっと趣向を変えます。 というか、この番組にとってはむしろ本丸の話をしようと思っていて。
というのも、この番組、名前が、よせやまってません。リベラルアーツをまとって旅暮らしなんですよ。
リベラルアーツをまとってなんて堂々と掲げているんです。
なのに、思い返してみたら、これまで一度も人文とかリベラルアーツの話を正面から扱ってこなかったんですよね。
正直に告白すると、それには理由があって、今日はその話からしていきます。
まず正直なところを話しますね。
自分は人文とかリベラルアーツっていう分野にずっと苦手意識があるんです。
避けてきたと言ってもいい。
なんでかというと、自分はもともと理系でソフトウェアインジニアとして40年近く生きてきた人間なんですよ。
論理で組み立てて答えがカチッと出るものが好きで、
プログラムって間違ってたら動かないし正しければ動くっていうものすごくはっきりした世界なんですよね。
それに対して人文って哲学にしても文学にしても論理で割り切れないものが多い。
答えが一つじゃない。正解がない。
そういうものに対して自分はどう向き合っていいかわからなくて、なんとなく牽引してきたんです。
03:03
だから番組名にリベラルアーツをまとってなんて入れておきながら、
内心ではこれから学んでいきたいっていうくらいの気持ちで。
深く語れることなんてほとんどないんですよ。
もちろん専門家でもなんでもないし。
ここでミヤを張って知ったかぶりをするのは一番やりたくないことなんです。
借り物の教養を語った瞬間にそれはもう嘘になる。
誰かの受け売りをさも自分の考えみたいに喋るのは自分のスタイルじゃない。
教養って借りてくるものじゃなくて自分で磨くものだと思っているので。
とはいえ、じゃあ何も語れないのかっていうとそれも違う気がしてきて。
そこで今回ちょっと発想を変えてみたんです。
これから学ぶんじゃなくて自分の中に実はもう人文があったんじゃないかを棚下ろししてみる。
避けてきたつもりだったけど振り返ってみたら生活のあちこちにもう入り込んでいたんじゃないかと。
で、棚下ろししてみたら一番最初にはっきり出てきたのが映画だったんですよね。
自分映画はものすごく好きで、それもいわゆる娯楽対策というよりアート系の結構難解な作品が好きなんです。
まず一本これは外せないっていう映画があって、
アピチャポン・ウィーラセダ君っていうタイの監督のトロピカルマラディー。
2004年の作品です。
熱帯の病っていう意味のタイトルですね。
実はこの監督の作品が自分をタイに連れてきたと言ってもいいくらいなんですよ。
今こうしてタイで暮らしているのも、どこかでこの人の映像と繋がっている気がしていて。
どういう映画かというと、これがもう説明が難しい。
アピチャポンの作品って二部構成のものが多いんですが、これもそうです。
前半は都会に暮らす若い男二人の恋愛みたいな話なんです。
ところが後半になると話がガラッと変わって、暗い森の中の追跡劇になる。
虎に変身してしまった男を森林警備隊の男が追いかけていくっていう。
しかもその二人を演じているのが前半で恋中だったあの二人なんですよ。
見ているこっちは何が起きているのか全くわからない。
06:00
ただただ混乱して極度の緊張に引きずり回されて。
正直呼吸が苦しくなるくらいの強烈な干渉体験でした。
森の中で猿が、「お前は虎を追っているが、虎の方もお前を追っている。」みたいなことを囁くんですけど、その意味もわからない。
恋中だった二人がなぜ後半では追うものと追われるものになるのか、それもわからない。
わからないんだけどものすごいものを見たっていう感覚だけははっきり残る。
自分こういう体験がたまらなく好きなんですよ。
ちょっと大げさに言うと、自分は死ぬときは映画を見ながら体験したことのない表現に出会って感動でショック死したいとすら思っていて。
このトロピカルマラディはそれに限りなく近い体験をくれた唯一の映画なんです。
まあちょっと熱が入りすぎましたね。
でもこれ当時の自分は強要だなんてこれっぽっちも思っていなかったんですよ。
ただ好きで見ていただけ。
でも今思えば物語や映像から何かを感じ取ろうとするこの恋そのものがもう立派に人文的な体験だったんですよね。
ラベルを張っていなかっただけで。
もう一本自分の映画人生のそもそもの起点になった作品があって。
アレハンドロ・ホドロフスキーという監督のエルトポ。
1970年のメキシコ映画でカルト作品として有名なやつです。
これを日本で最初に公開したのが1987年で、その時見たのが自分が映画にのめり込むきっかけになりました。
内容はですね、これもまあすごいんですよ。
銃の名手のガンマンが砂漠に暮らす4人の達人を倒す旅に出るという話なんですが、
血みどろのバイオレンスとシュールで悪夢みたいな映像のオンパレードで。
物語がどうこうより先に感覚をガーンと殴られる感じ。
当時の自分はこういう表現に全く免疫がなかったので衝撃的すぎて。
しかもですね、この映画何度見ても意味がわからないんですよ。
いろんな解説も読んでみたんですけど、わかったようなわからないような。
そのモヤモヤが何十年経っても消えない。
で、面白いのがそのモヤモヤが消えないことが逆にどんどん魅力に思えてくるんですよね。
09:03
この辺りに実は今日の一番大事な話のネタがあるんですけど、それは次のパートで話します。
さっきあげた映画って共通点があるんですよ。
トロピカルマラディもエルトポも他にも自分の好きな作品はだいたいそうなんですけど、
これはなんだ全くわからない、でもとんでもないものを見た、と思わせるんです。
意味不明なのにめちゃくちゃ面白い。
ここが自分でも不思議なところで、ただ難解なだけの映画だったら多分自分は惹かれないんですよ。
そうじゃなくて、作品の魅力をむしろブーストするようなわからなさっていうのがあるんですよね。
わからないからこそ自分の知らない世界を垣間見せてくれる感じがする。
それが知的好奇心をずっと刺激し続けてくれる。
で、このわからないものをわからないまま抱えておくという姿勢、
自分はこれを映画を通していつの間にか身につけていたみたいなんです。
この話、実は前にも一度無自覚にしていて、
第3回のエピソードで孤独とスマホの話をしたときに、
谷川よしひろさんのスマホ時代の哲学という本を紹介したんですね。
今思えば、あれが自分にとって無自覚にやっていた人文の回だったなと。
その本の中にね、こういう趣旨のことが書いてあるんです。
謎の存在を感じながら、その謎や問いを自分と一緒に連れ歩く。
答えを急いで出さずに、問いを抱えたまま歩く。
そして、その姿勢が自分との対話に繋がっていくんだと。
これを読んだとき、自分が映画でやっていたのはまさにこれだと思ったんですよ。
わからないものをわからないまま何十年も連れ歩いてきた。
こういう姿勢のことをネガティブケイバビリティと呼ぶらしいんですね。
わからなくていいと。
他人の最もらしい解釈に飛びついたり、
自分なりの安易な理解で無理やり終わらせたりしない。
わからないものをわからないまま抱えていられる力。
今はまだ手が届かないところに、それでも手を伸ばして未知の世界へ踏み出していく。
冒険者みたいな好奇心のことなんだと。
12:01
これを知ったとき正直ちょっと救われたんですよね。
自分はロンリーで割り切れないものが苦手だと思っていた。
でも割り切れないものを割り切れないまま楽しむという別の力は実はもう持っていたんだと。
人文が苦手だと思い込んでいたけど、映画を通してその入り口にはとっくに立っていたんですよね。
映画はいわば受け取る側の話なんですけど、
もう一つ棚下ろししてみて出てきたのが本なんです。
それも自分が表現する側に回るきっかけをくれた本たちで。
まず渡辺幸太郎さんの生きるための表現手引きっていう本。
これはもう自分がこうして言葉を紡ぐことを始めた直接のきっかけになった一冊です。
正直に言うとね、自分ずっと引っかかっていたことがあって、
自分みたいな特別な才能もない何も持っていない人間が表現とか創作なんてやって一体何の意味があるんだと。
そういうのは特別な何かを持っている人だけに許されることで。
自分がやるにしても趣味の範囲でこっそりやればいい。
わざわざ世の中に出すようなものじゃないとずっとそう思ってたんですよ。
ところがこの本では表現というものを全く違うふうに定義するんです。
表現とは存在や行為によって生じる変化のことだと。
つまり自分の行動によって誰かの心にあるいは自分の心に何か変化が生まれたら、
感じることがあったらそれがもう表現なんだと。
これは結構驚きました。
自分が表現という言葉に対して持っていた固定観念がいかに狭かったか思い知らされたというか。
しかもこの本あらゆる創作は模倣の失敗から生まれるとも言っていて。
オリジナリティ振興なんてつまらないものだと。
誰かの真似をしてでも完璧には真似できなくて、
そのずれたところにその人らしさが出るんだという話ですね。
これを読んで自分は表現することを恐れなくていいんだと随分勇気をもらいました。
で実際にこうして発信を始めた。
今このポッドキャストを喋っているのも元をたどればこの本のおかげなんですよね。
15:01
もう一冊がドモン・ランさんの本当のことを書く練習という本。
これは自分が文章を書く上でのバイブルにしたいと思った一冊です。
この本で言う本当のことを書くってどういうことか。
それは私を知っていくということなんだと言うんですね。
そしてその私は世界の一部だから私を知ることはそのまま世界を知っていくことでもあると。
さらに書くことに限らずすべての表現は自由になるためにあるんだと。
自分を知って本当の自分を受け入れる。
そうやって生まれた表現に触れた人が今度はありのままの自分を肯定できて励まされる。
そういう表現を自分もしてみたいなと素直に思いました。
印象に残っている言葉がたくさんあるんですけど一つだけ紹介すると。
体で世界に触れて心で世界を感じる。
そうして心と体が動けば自分の中で何かが起こって変化する。
それをじっくり観察していると頭の中に言葉が生まれてくる。
だから自分の心と体を目いっぱい使って生きて考えている限り
人は無限に文章が書けるんだと。
自分にしか書けない唯一無二の本当のことを。
いい言葉ですよね。
正直に言うと自分の文章はまだ全然本当のことを書けているとは思っていません。
まだまだです。
でもこれが目指すべきゴールなんだというのははっきりしている。
というわけで棚卸ししてみたんですけど正直な結論を言うとですね。
人文は苦手で避けてきたっていうのは結構思い込みだったなと。
避けてきたんじゃなくてただ教養とかリベラルアーツっていう裏ベロを張ってこなかっただけ。
中身は映画にも本にももうとっくに入り込んでいた。
わからないものを抱える力も表現することへの勇気も気づいたら自分の中にあった。
これは棚卸ししてみないと見えなかったことなんですよ。
自分でもちょっと嬉しい発見でした。
ただね正直言うとだからといってじゃあ自分は人文がわかってますなんて口が裂けても言えないんです。
今思って専門家みたいに体系立てて語ることはできない。
哲学の本を開いて途中で寝落ちすることも正直あります。
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でもそれでいいのかなとも思っていて。
専門家として語るんじゃなくて学んでいる途中の姿をそのまま見せる。
わからなかったことを寝落ちした本を含めて正直に。
それがこの番組で自分にできる人文の形なのかなと。
リベラルアーツをまとって旅暮らしのまとうって我ながらいい言葉だなと思うんですよ。
学位みたいに取って所有するものじゃなくて暮らしにふわっとまとわせておくもの。
ちょっとずつ身につけていくもの。
だからこれから一冊ずつあるいは一本の映画ずつ埋めていく過程をぼちぼち配信していきたいなと思っています。
というわけで今回はずっと避けてきたつもりの人文が実はもう自分の中にあったという棚卸しの話をしました。
タイに連れてきてくれた映画。
意味はわからないけど何十年も抱えている映画。
そして表現する側に自分を押し出してくれた本たち。
振り返ってみたら結構そこにあったんですよね。
で今回は自分の中に何があったかという棚卸しでしたがもう一つ考えたいことがあって。
それはこの旅暮らしっていう生き方と自分の学びってそもそも相性がいいのか悪いのかという話です。
移動してばかりの暮らしで腰を据えて学べるのか。
それとも旅そのものが生きた教材になるのか。
この辺りを連動しているニュースレターの方でじっくり深掘りしてみようと思っています。
合わせて読んでいただけるとこの回はもう少し立体的になるはずです。
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連動したニュースレターもやっていますので合わせてご購読いただけると嬉しいです。
それでは今回は以上になります。
最後までお聞きいただきありがとうございました。
また次の街でお会いしましょう。
りょうたでした。
20:55

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