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2026-02-23 33:22

#14 知っているから出来ているへ 山を登る信仰について

#信仰 #実践 #挑戦 #
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サマリー

このエピソードでは、「知っている」から「出来ている」への移行について、スノーボードの例えを用いて解説します。知識を得るだけでなく、それを実践し、習慣化することで人格となり「出来ている」レベルに到達すると説明。日本特有の失敗を恐れる文化や同調圧力が、この実践への一歩を妨げている現状を指摘し、勇気を持って「知っている」山の頂上から降り、失敗を恐れずに実践する重要性を説いています。最終的には、神と共に歩むことで、真の恵みと成功に満ちた人生が開かれると語ります。

「知っている」「わかっている」「出来ている」の三段階
はい、それでは14回目の ライブスタートしたいと思います。
今日はですね、知っているから出来ているへ っていうことで、
前回、桑原正守さんの話をして、 ちょっといろいろ思い出してたんですけども、
彼の説明の仕方がすごい上手いので、 今回もちょっと彼の言葉を引用したいんですけども、
彼が教えていたのが、まず知っているというレベルと、 わかっているというレベルと、出来ている。
知っている、わかっている、出来ているっていう 3つのレベルがあるような話を昔していて、
この知っているっていうレベルは、これは知識ですよね。 何かを知っている知識があるということと、
あとわかっているというのは、その知識を実行し、 それから得る恩恵であったり、それの意味を理解した時にわかっている。
言い方を変えると、知恵とも言えるかなという感じなんですけども、
次のレベルが、その知識を使い、それを経験し、知恵を得た。
その知恵を習慣化し、継続した時に、それは人格になるよ。 それが出来ているレベルだよと教えていたんですね。
僕が結構今まで話してきた内的事項、霊、魂は、 多分この出来ているっていうレベルですよね。
内的事項は、知識のレベルや知恵のレベル、 そして能力の4段階で言うと、
無能力の自覚、能力の自覚というのはまだ知恵レベルですよね、多分。
あと、無能力の無自覚から無能力を自覚したレベルも、もしかしたら知識、 それを知っているっていうレベルにも含まれたりもすると思いますし、
有能力、能力を無自覚になった人っていうのは、ある意味出来ている人、 っていうふうにも言えるんじゃないのかなと思うんですけども。
スノーボードの例え:知識の山から実践の山へ
で、これをですね、桑原さんはスノボで説明してたんですね。
今ちょうど東京オリンピックで、スキースノボも僕もいっぱい見てたので、 すごいいい例えだなと思い出してたんですけども、
彼が言っていたのは、
スノーボードについて知っている、知っているという山を登る人いますよね、 っていう話をしてたんですね。
で、最近の若い子、「あ、知ってる知ってる、スノーボードねー。」 っていう感じで、例えばスノーボードがどう動くのかとか、ターンの時の重心移動であったり、
あと、ハーフパイプのジャンプの時のコツであったり、 勉強して学べば、知っているという山に登って、語れる人間にはなりますよね。
で、知ってて語れることに、何かプライドを持ってしまう人もいたり、 人間にはそういう噂があると思うんですけど、何かを知ると、その山に登った木になってしまう。
でも、実際、「じゃあ、あなた滑ってみて。」っていうことで、 その知っているという山に登って、まあ、優越感や、自分は知っているんだというプライドを持っていたとしても、
一旦そこから降りて、山に登って、「じゃあ、あなたそれで滑ってみて。」って言われた時に、
じゃあ、その知っているという山に登れていた人が、 実際滑れるのか?って話なんですけども、多くの場合は滑れないですよね。
知識しか持っていない、知っていただけの人は、 まず、実際の山に登った時には、最初は滑れないって現実に気づき、
そして、こけて、で、それが怖くて、まあ、怪我をして、 もうやりたくないって思う人もいるかもしれないけども、
そこから諦めないで、何度もチャレンジし、何度もこけ、 そして、それを繰り返すうちに、その過去には知っていたという知識が、
なるほど、こういうことなんだと。重心移動とか、 どういうふうにターンすればいいのか、体がわかってくる。
そしてそれが、まあ、知恵のレベルですよね。 で、それを繰り返している時には、まあ、スノーボードで言うと、
まあ、それが最終的にはできているという人もいますよね。 そして初めて知識と、知識の山を登っていた人が、一旦降りて失敗し、
まあ、リスクを犯して、そしてでもその先に、本当の意味で、 スノーボードから来る恩恵、楽しさ、スノーボードの魅力を理解し、体験し、
誰よりもスノーボードというものを楽しめる人となるのは、 やっぱりできているっていうレベルだと思うんですよね。
なので、知っているだけで、オリンピック選手のことを調べて、 あの人はこうでね、ああでねって、まあ居酒屋とかね、
語れるっていうのもまあ、いいのかもしれないけども、 やっぱり一番は自分がスノーボードをできているというレベルになることだと思うんですね。
「神の国」はどちらの山か?自身の経験
で、まあこの話を聞いていてですね、 僕がまあやっぱりすごい大事にしているテーマとして、
神の国って、この皆さんどう思います? もう皆さん答えもうね、
即答かもしれないですけど、 知っているっていう山なのか、それとも
実際に滑る、分かっている、できているの山を目指すのか、どっちなのかって話なんですけども、 そして自分は今、
僕も含めてですね、皆さんは今どっちの山を登っているのかっていうのを考えてみたいと今日思ってまして、
もしくは過去にどっちの山を登っていたかでもいいと思うんですけど、
僕ですね、
多分ね、最初はね、やっぱ知っている知識の山を登っていたように思いますね。 自分を振り返ると。
えっとですね、20代の後半ですかね、やはりこの新しいムーブメントの教えを聞いた時に、自分の福音派の、
僕クリスチャンで福音派の聖書をいろいろ学んではいたけども、 その聖書理解、まあ聖書理解は一緒ですけど、
聖書理解は一緒ではないか。
まあいろいろな知識を得てすごく興奮したのを覚えてますね。
で、その人たちは知識だけを語ってたんじゃなくて、できている人たちからの教えだったんですね。
それがやはり僕はすごい現実派、実践派だったので、 本当にそれができたのですか、できてるのですか、
起きたのですかっていう上で、証を持って人生でその知識を知恵にし、そして
人格というか生き方で表している人たちからの教えだったので、 すごく興奮していろいろ吸収しようと学んだのを覚えてます。
で、まあ10年以上ですかね、その知識の山を登っていたように思いますね。
当時の自分が知識の山を登ろうと思っていたのか、
本当のスキーの山を経営していたのかはわからないですけど、
今振り返るとですね、周りのクリスチャンや周りのいろいろな人にその知識を伝えようとしていたような気がしますね。
知識を伝えれば何か相手に影響できたり、相手を変えれたり、
こういう素晴らしい教えが広がるんじゃないかみたいな、そういうことを思ったり考えていたように思いますね。
でもですね、思ったように10年経ってもこれだけ素晴らしい教えや、
僕はね、もうクリスチャンの人生もすごく変革される、自分が悩んでいた全てがこれで変わるっていう確信があったので、
なので個人のクリスチャンの人生、そして悩んでいる一人ひとりの日本人の人生を救う教えだと確信があったし、
もっと言うとキリスト教社会全体、日本社会全てを救う、それほどのもんだなって本当に思ってたんですね。
なのでこれを広げる、この教え、こういうことができるという生き方、こういう証を持って生きている人たちが学んできた教えを、
日本に広げるために人生を使いたいって本当に思ってたんですね。
なので、その教えを学んで、それを教えていきたいというふうに思っていたと思います。
だからどちらかというと、やっぱり20代、30代前半ぐらいまでは、その知識の山を僕自身も登っていたように思っています。
素人していたと思いますね。
知識と実践のギャップ、超自然的な生き方への憧れ
そしてですね、海外選挙旅行に行ったり、ミニストリーに同行する中で、
自分を超えて働く神の力、あぶらそぎや栄光や、いろいろなものがあったので、
分かるっていうことも少しずつ増えていってたんですね。
神の国の原則が分かるぞと、夢を見たぞと、幻を見たぞと、何か感じたぞと、
思いに内側から溢れるようなビジョンが来たぞとかね。
そういういろいろな経験をし、分かることも確かに増えてはいたんですけど、
でもどこかギャップがあったんですね。
そういうことができて、そういう世界を生きている人と自分とではやはりちょっと違う。
頑張れば何か分かったようなレベルにはいけるんだけども、
そういう人生を自分が生きているのかというと何か違う気がする。
まだ普通の日本人に少し毛が生えたというか、それが悪くはないんですけど。
神と共に超自然的な生き方をしている。この世の常識の法則を超えて。
この世の常識の法則というのはないねって話なんですけど、
僕はそれこそが欺きだと思っているんですけど、
この世界を作った神様と生き生きと、その恵みや神の法則の中で生きている人たちの
ダイナミックな人生と自分の人生を見たときに、
何か違うなというギャップがあったのを覚えてますね。
なので、フワハラさんの話に戻すとですね、
自分はやっぱりまだ知識の山から知恵、
まだ知っている分かっているのレベルにいるんだろうなっていうところだったと思いますね。
で、できているっていうレベルに、すごい崖というかギャップがあるような気がしていて、
これは自分がダメだからとかね、自分が未熟だとか、若いとか、
時じゃないとか、いろんな可能性を考えたり、
なんでなんだろう、なんでそうなれないんだろう、
勉強が足りないと思っている時期もあるかもしれないですね。もっと勉強すればと。
多分ね、そう思うのは、やっぱり日本が戦後、学歴社会とか資格とかね、
勉強すれば何かを満たすみたいなね。
勉強さえしとけばいいというか、
何となく無意識にそういう感覚を自分自身も身につけてしまっていたのかなとも思ってますね。
まあとりあえず、できる限りのことはしていたんだけども、
なぜかそういう、できているという状況には行っていなかったような気がする。
「こけていない」ことへの気づきとプライド
で、今ならよくわかるんですよね。
自分は山に登って、実際スノーボードについては語れるんだけども、
こけてなかったっていうのが今よくわかるんですね。
その素晴らしい先生たちが素晴らしい滑り方で山を滑るのは見てきたし、
その滑り方のコツやどうやって滑っているのかも語れるようになっていたんだけど、
でも自分はリフトに乗り、山の中腹でもいいから、行って初心者コースでもいいから滑っていたのかというと、
滑ってなかったんですね、きっと。
なので、やっぱりまだ知っているという山を登り、
その山のある程度のところにいて、自分は知っているんだぞというところで、
どこかで満足しようとしていた。
どこかでそのプライドを満たそうとしていた。
そんな気がしますね。
日本人の文化的背景と霊的な束縛
どうですかね、皆さん。
そんなステージはもう遠に過ぎたわっていう人もいれば、
その気持ちわかるっていう人や、
ちょっと何言っているかわかんないっていう人もいるかもしれないですけど、
わかる気がしますね。チェスさんありがとうございます。
多分ね、わかってもらえる人が多いと思いますね。
それが僕の役割であり、ヤマトの夜明けのテーマだと思ってるんですけど、
そのギャップ、その溝を埋めるっていうのが、
ある意味純日本人の僕らの役割じゃないのかなと思ってるんですけど。
語れるんだけど、実際滑れますか?ですよね。
実際、私が生きていると、神と共に生きているのか、
そっちの方が語る以上に大事なのはそっちですよね。
どうすればそうなっていくのかなんだけど、
まず日本の背景を少しさっき話しましたけども、
なんで山に登らないのかといったら、
山が何なのかも人それぞれ違うと思うんですけど、
やはり学歴形式を持つ時代、失敗を恐れる空気、
目立たないことが安全だった社会ですよね。
霊的にも同じ構造があり、間違えたらどうしようとかね。
神の声じゃなかったらどうしよう。
変な人と思われたらどうしよう。
だから、こける、滑るという体験の前にも止まっちゃう。
でも、信仰は本来、見た目によって歩む、歩むですよね。
見た目によって考えるじゃなくて、見た目によって歩まなきゃいけないですよね。
パウロも言いますけど、見た目によって歩みなさいですよね。
だから、確信してからではなくて、歩み続けなきゃいけないっていうのがすごくあると思いますね。
これはね、今の教科のリーダーと昔喋ったんですけど、
多分ね、海外の先生たちは、この日本人特有の文化的日本的背景をあまり理解されていないんですね。
多分、アメリカ人、イギリス人、南米、アフリカ、
日本人のようにこういう極端に同調圧力や失敗を恐れる、
そして学歴継続期を重んじたり、目立たないように生きなきゃいけないっていうのにすごく縛られている民族ってやはり日本人しかないと思うんですね。
これは世界を知れば知るほど多くの人が言いますし、
日本人には特別なこういう文化的背景があると思うんですね。
いい悪い別としてね。そういうのがあると思うんですよ。
なので、ある意味スタートラインが全然違うんですよね。
メンタルブロックと言ったり、チャレンジしない日本人とかいろんな言葉で言えますけども、
それは多分霊的な束縛でもあり、日本人を檻に閉じ込めておく暗闇の力だと思うんですよね。
一部の変な奴や神をすごく強くブッシュされた人間はその殻を打ち破って、その檻から出てくるんですけど、
普通の人は出ないんですね。
なぜなら、その檻を出ることは日本人にとっては死よりも恐れる。
立場や名誉を重んじる日本人にとっては、恥をかくぐらいなら死んだほうがマシ。
恥をかかないように、死なないように、死んだほうがマシなぐらい嫌なことだからやらないんですよ。
だから、その先にしか山に登りスノーボードを滑るっていうことがないのであれば、山にさえ登らないんですよね、結局。
で、スノーボードは絶対にこけないと上達しないように、神の国の山も失敗しないと絶対に上達しないんですよね。
青チスさん、元の日本のことも戦後の日本のことも海外の方にはわからないと思います。それは仕方ないですね。
そうですね。僕らですらね、忘れてたり奪われてた情報なので、それは海外の人がわからなくても当然だし、
それはもう仕方ないですよね。
神の記憶とDNA、恥の文化の複雑さ
でも、最近僕が思うのは、神様は知っておられ、そして私たちの血やDNAというか、もっと言うと霊的な書物はそれを覚えてるっていうのはすごい励ましだなって自分は思ってますね。
最も大事なレコードには記録されているという。
なので、神様は何も心配していない。喪失感を持っておられないと僕は思っていて。
なので、我々はその神のレコード、記憶と記録両方にアクセスできましたね。
話を戻しますけども、
そう、チェスさん。海外の方には日本人の恥という本来の意味がわかっていないけど、神様ご存知ですね。
これもね、カッコ悪いってだけではないですよね。恥の文化もね。これも複雑ですよ。
日本人の特性でもあり、その特性を悪魔は悪いように利用して日本人を縛ってしまっていると思いますね。
なので、簡単な手術ではないけど、手はこの難しい手術を成功させるお方だと僕は信じてますね。
「檻」から出るための決断と歩み出し
で、じゃあちょっと僕のケースでね、僕がどうやって少し折りから出れたのか。
折りを出た証をしたいんですけども。
これも神様の導きですね。
僕がトントン拍子で知識の山を登り、真鍋先生みたいになって教える人間になっていたら、僕はその知識の山に留まったと思いますね。
僕は知ってるんだぞと。僕はわかってるんだぞと。教えてあげるよ、みたいなね。
でも、神様はそうは導かなかったんですね。
で、その神様の導きに従ってくれた僕の周りの僕の指導者にすごい感謝してますね。
僕はその山で自分の道がないと気づいたんですね。
ここにいても仕方がない。もうここにいても自分の人生は何もなさない。
5年も10年も15年もここにいてももう意味がないじゃないかと。
もう勝負しなきゃいけない。自分は何かを知ってるんじゃなくて、自分が語れる本当のリアルなことを語っていこうじゃないかと。
勝負しようと思ったんですね。
だからこれが正しいかどうか、誰かに届くかどうか、そういうことを教会メンバーの…
何やってんのあいつみたいな。いきなりどうしたのみたいな。
バカにされたら笑われるかもしれないけど、自分はもうこの知識の山、何かを知ってるんだというポジションからもう一旦降りて。
恥かいてもいいし、誰もついてこなくてもいいし。
でもそうはならない自信もあったんですけど、ちょっともう全部語り出そうと。
この時に僕がイメージしていたのは、高校なんですね。
何か知らないけど、高校の時の…高校のクラスを想像していて、その時に僕は自分の本性を欺いて隠してたんですね。
当然悪い自分じゃなくていい自分ですよ。
神の前の本当の自分の信仰や、世の中にとっての少数派となるピュアな部分を隠してたんです。
何故か、小学・中学で、小・中でそれをバカにしたり、絶対にバカにされたり、けなされるという恐れがあったので、守って隠してきたものなんですね。
で、それを何で僕は言わなかったんだろうなと。
もう全部、今なら全ての人に言うのにな、みたいな。
だからちょっと遅れたけども、インターネットの世界で全部言おうと。
今まで隠してきた、僕と神様のストーリー、神の国のそういう話を全部言おうと。
と思って、マノートの記事を書き出したんですね。
その時僕は多分、初めて知識の山から降りて、リフトに乗って、スノーボードを滑るという、神の国の本当の山に登るということを知らした。
信仰によって歩み出したんですね。
神と共に歩む人生の恵みと奇跡
チェスさん、日本人の恥とは魂を汚さないこと、かっこいいですね。
そうですね、命よりも大事なことですね。
話戻しますけども、神様はそこまで導いてくれたのをすごい感謝してますね。
もうそこにしか活路がない、そこにしか自分の中では道がなかったような状況にまで導いてくれたので、自分は普通は恥ずかしいですよね。
自分がどれほどのものなのかも自信もなければ、内的事故で勝負するってことですよね。
立場も与えられていない。形式的な何かもあるわけじゃない。
別に学校の先生なら生徒が与えられているから言えるけど、別にそうじゃないですもんね。
誰?お前って。お前の言うことをなんで聞かなきゃいけないの?っていう状況の中で、いや、俺の話を聞いてくれと勝負するわけですよね。
だからすごく祈ったし、不安もあった中で妻からも励ましを受けてスタートしたわけですね。
そしたら最初からすごくやっぱり励ましがあって、神様って優しいんですよね。
すごい熱いメッセージやお金であなたみたいな挑戦する人を応援したいとかね。
いろんな人とすぐ出会えて、今このヤマトの夜明けを応援してくださっている方々とも割とすぐ出会えるんですね。
そして、やはり神の声。だって神様の声がないとこの山では進めないので、神の声もすごく増えたしリアルになったし、
自分を通して、知るし不思議奇跡、夢の領域が活性化するっていうのも、今までは時々わかるなっていうのから、
それが頻繁に起きるようになってきたんですね。
僕にとってはそれだったんですけど、
勇気と大胆さ:日本人の臆病さとのギャップ
全員が、YouTubeもその後やっていきますけど、
YouTubeをやったりSNSで何か証を書かなきゃいけないわけじゃないし、
全員が表に出る必要もないと思いますよね。
ある人にとっては、家族との和解かもしれないし、職場で正直になることかもしれないし、
教会で何かをすることかもしれないし、
そういう何かの成果ではなくて、きっと従順を喜び、そして御霊によって歩むっていうのは、
私にとっては御霊がその道に行ったんですよ。
御霊が行ったからその山に登ったんですけど、御霊が導いたんですよね。
皆さんにとっても御霊が導かれるのであれば、それをすることが正解なんですけど、
たぶんね、一つだけ共通点があるとしたら、
僕はね、やっぱり勇気だなと思っていて、
すごく勉強熱心で、減り下り忠実で、人を許し、使え、優しくて、
愛情深くあろうとする素晴らしいクリスチャーの方がたくさんいると思うんですけど、
でもダイナミックに御霊とした時に、
イエス様とか聖霊様ってすごく人間的な言い方をすると、
大胆で勇気に満ちてるんですよね。
我々日本人は暗闇の策略の結果もあって、非常に臆病で恐れに縛られてるんですよね。
ここが僕は大きなギャップだなと思っていて、
だから、減り下ってる人も多いし、魂が砕かれてる人も多いし、
神の恵みを受け取れる人も多いし、聖書を忠実に学べる人も多いと思うんですけど、
でも大胆に勇気を持って御霊が進むのであれば、
その先に巨人がいても進んでいく。
失敗を恐れないで、知ってるという知識の山から降りて、
私は何も知らない、何もできない。
そして私では勝つこともできない戦いだけども、
御霊が行くのであれば私は御霊に留まる。
御霊と共に歩むと言って、
その山に登り、そして、こける。
ではまた立ち上がり、またこける。
そして滑れるようになるまで御霊と共にやり続ける。
それが、もしかしたらみんなその山を登っているのかもしれないけど、
わからないです。
僕がすごくキーじゃないのかなというふうに思うのはそこですかね。
「降りる」ことの価値と真の人生
多くの人がまだ知らず知らずのうちに知識の山を登ろうとしている。
登るのはいいんですよ、趣味は導くときもあるので。
でもその山から降りれなくなってしまう。
何かのプライドを持っていたり、降りるのが怖かったり。
でも、自分自身降りて本当に良かったなと思っていて、
ナナコロビアオキフレグレンスマンさんありがとうございます。
すごいね、降りたことによって、ある意味本当の意味で楽しい人生になったし、
今これを聴いてくれている皆さんや、これから聴いてくださる皆さんとの出会いもありましたし、
チェスさん、神と共に実際に戦うことを経験していく。
そうですね。
それこそがね、本当に地上に生きている意味と言うと大げさかもしれないけど本当にそう思います。
それが、その静かな生き方、その歩みがもうそれ自体が幸せであり、
成功そのものというか、結果や何か実績、それこそ成果や成功というよりも、
その生き方そのものが成功というかね、そんな気がしますね。
なので、悪魔はその素晴らしい恵みに満ち溢れる人生に入ってほしくないので、
いろんな嘘を言って怖いよとかね、バカにされると。
でも、行けばすぐに主の恵みが来ますね。
主は本当に優しいので、すぐ励ましてくれるし、ビギナーズラックもいっぱい来るので。
なので皆さんも、この大和の夜明けのメンバーの皆さんもぜひですね、
私にとってはそれだった。
けども、皆さんにとってのそういう三玉と共に歩む、そして三玉と共に登る。
でもその、チェシキの山を登るシーズンも絶対あると思いますよ。
僕もそうだったので。
でもずっとそこでは終わらないと思いますね。
主はそこから、OKじゃあそろそろ実際滑り出そうか私と一緒にっていうシーズンがあるような気がします。
ということで、今日も皆さんありがとうございました。
御霊と共に歩むことへの勧め
今日はしっとりと喋れました、皆さんのおかげで。
ありがとうございます。
またレターで感想と、
あと皆さんの何か三玉と共に歩むチャレンジが何か示されたりスタートしたり、
もしくはこのラジオで一緒に何かスタートしたら面白いかなと思ってますけど、
おいおいコラボも皆さんに誘っていきたいと思ってますので、
ぜひよろしくお願いします。
ということで今日はこれで終わります。
ありがとうございました。
おやすみなさい。
ありがとうございました。
チェシさん、お失礼します。
アダマデッカチから経験していく人生ですね。
ありがとう。
ありがとう。
バカにされてもバカになるな。
なるほど、ありがとうございます。
いろいろなところからメッセージが。
ありがとうございます。
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