なぜ私は6月23日に歌うのかを語ってみました。
2026-05-22 19:27

なぜ私は6月23日に歌うのかを語ってみました。

【タイムスタンプ】
なぜ私は6月23日に歌うのか
沖縄に来て9年、義父との複雑な関係
「生きるも死ぬも一緒だ」戦時中の家族の決断
「平和の樹の下で」が生まれた瞬間
戦闘機の音に慣れてしまった私
沖縄の現状を本土の人に届けたい
6月23日ライブで伝えたいこと
エンディング


🌟🌟八風のお知らせ🌟🌟

【拡散してほしい記事】
https://note.com/yafoo8385/n/n177271d28b67

【平和の樹の下で 制作秘話】
https://note.com/yafoo8385/m/m13e7da8f1120

リットリンク新しくしました!
https://lit.link/82yafuu_okinawa

今日私がハッとさせられた放送⇓⇓⇓

ayaさんとのコラボ
https://stand.fm/episodes/6a0fdbd2ddc94b8e05303e87

あべゆさんの放送
https://stand.fm/episodes/6a0f90c06bc23e0aeb9f78a5




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https://stand.fm/channels/62d51ba31459d9dde0b6c101

感想

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00:07
みなさん、こんにちは。八二風と書いて、八風と申します。八風の音色、本日も始めていきます。
はい、ちょっと夕方にアウトプット会ということで、先日からやり始めたんですけど、朝と夕方と夜と、どんだけやってくねんって感じなんですけど、
でもちょっと今日ね、感じることがあったんだよな。今日お昼に綾さんとコラボさせていただいて、その時にいろんな話はしたんだけれども、
その中で安倍さんの今日の放送の話で、支援者を募っていくためには、なぜを発信する側も支援する側も分かってないと、なかなか応援しづらいよねみたいな話をされていて、
私はね、結構朝のおはようさんライブとかもしてるし、夜の収録のライブもしてるんだけど、
なんか確信に迫る収録というか、なんで6月23日に私はライブをしたくて、平和の木の下でという曲を作ったのかっていうところを、
なんかしっかり説明できてないまま、外掘りだけを見せていって、真剣な部分をあんまり出さずに、なんでそうなっちゃったのかちょっと自分でもわかんないんですけど、
真剣な部分とか、そういうのを出すのが恥ずかしいとかっていうのもあったのかもしれないんですけど、
なんかそういう感じで、なかなか自分の思いを収録したりとか、配信したりとかっていうのができてなかったので、改めてちょっとそういう思いを伝えていければなって思っています。
ノートにはね、平和の木の下での制作過程とか、あとなんで6月23日に向けてやりたいのかっていうのを綴っているんだけど、
こういう音声でなかなかちょっと録ってこなかったので、そのあたりをお話ししていければなと思っています。
私が説明というか、一番見てほしいノートの記事を後ほど貼っておくので、初見の方とかはこの記事から入っていただければ嬉しいなと思っています。
拡散希望って書いてて、今年の6月23日にオンラインライブ来ていただけませんか?っていうので、
これは去年の12月24日に更新してます。なのでこの時は、来年の6月23日って書いてたんだけど、ちょっと今年に入ってから書き直して、今年の6月23日っていうので書いてます。
55名っていうのはね、単純にコロムっていうバーチャル音楽スタジオがあるんですけど、アプリをダウンロードしていただいて、そこから300名以上のアーティストが登録していて、一人一人にオンラインのスタジオが与えられているみたいな感じで、
03:06
そこのスタジオに入っていただくと各アーティストのライブが見れるってやつなんですけど、そこでいう満席が55名なんですね、ひとまず。
100名とか200名やってる方もいらっしゃるので、それぞれ色々なんだけど、一旦一番ミニマムっていうか、アリーナ席の25席っていうのとスタンド席の30席っていうのを足して55席っていうのがあります。
なんでそんなに人を呼んで、わざわざ歌を届けたいかって言われた時に、私は関西人で、沖縄に来たのが9年前なんですけれども、もう9年も経ってびっくりなんですけど、なかなか沖縄のフードに馴染めないなとか、文化に馴染めないなとかっていう時期も、
本当に正直に言うとそういう時期もありました。それは2年3年くらいあったのかな。今回は旦那のお父さんのことで歌にさせてもらったんですけど、お父さんとの関係もずっとずっと最初から良好だったわけでもなくて、途中喧嘩したりとか、もう本当に嫌い嫌いみたいになっちゃった時期もあって、
でも、子はかすがいといったもんで、子供ができる前後で、なかなか和解が進まなかった私たちだったんだけど、その前後でいろんな築きがあってね、今を迎えてるっていうような感じで、なかなか関係性とかも複雑ではあったんですよね。
そんな中で、やっぱりね6月になるといろんな新聞社の方がやっぱり戦争経験してる人を探してるんですよね。新聞記者の方も記録に残したいしっていうので、毎年毎年もいろんな新聞社の人の取材を受けてるっていうのが旦那の岐阜なんですけど、
その中でね、私が歌詞にしてる部分があるんですけど、お父さんとお姉ちゃんと、義父義祖父って言うんですかね。ややこしいなこれ。義父と義祖父って言いますね。義父とおばさんにあたる、私にとってはおばさんにあたるお姉ちゃんと、
おばあちゃんと義祖父と一緒に、私から見たね、4人で逃げてた。その時にお姉ちゃんも目が見えなくて、お父さんも足が悪くて、両足とも動かないっていう感じでね、逃げてる中で、義祖父はもう肩にお父さんを背負ってね、
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手を繋いでお姉ちゃん、目が見えないから、歩いてたと。で、逃げてて。で、おばあちゃんとはね、残念ながら途中で豪に帰ったらいなくなってたっていう話を聞いてます。
で、そんな中で戦火が激しくなってきて、やっぱり障害のある2人はね、お姉ちゃんも言うて、中学校手前とか中学校ぐらいだったんじゃないかな。で、長女だったかな。で、お父さんが結構ね、10人兄弟の何番だっけわからないんだけど、結構中頃の番なんですね。
で、そんな中で2人がね、やっぱり障害を持っているっていう、犯例があるっていう中で、当時はものすごい風当たりが厳しくて、5から5に避難する時もすごく人の目を気にしながら避難したっていう話とかね。
で、そういう話をもうたくさん聞いたんですよね。でも途中で本当に戦火が激しくなってきて、2人とももうお父さんに迷惑かけたくないっていうのもあるし、足手的になるから私たちの子供をね、2人とも置いていって、おばあちゃんとお父さんに逃げてちょうだいみたいな話をお父さんにしたら、
いやいや、もう家族は生きるも死ぬも一緒だよっていう話をされたっていう話を、各新聞社の人に話してるわけ。で、その話はね、結構胸にぐっと来るというか、何度も何度もね、私も何回もこの話をしてるけど、何回もここで泣きそうになるぐらい、
なんていうか、幼いそんな子供に、私たち子供を置いて、親に逃げてなんていう戦争って何なんだろうなって、すごく考えさせられる瞬間があったんですよね。
なので、当時歌を作り始めたときは、それを歌にしたいなんてなかなか思ってはなくて、でも、朝の4時くらいに、その情景が何だろう、何か作らなきゃみたいな使命感にあふれて、歌詞をすごいブワーって書いた記憶がある。
で、それをたまたま、私のブルーっていう曲があるんですけど、今私の曲でね。その曲の原型の曲が、今の平和の木の下での曲だったんですけど、私のブルーっていうのにはちょっと合わないなっていうので、一旦メロディーは置いてたんです。
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で、たまたまその詩がブワーって書き上がったタイミングで、あれ、こないだ作った私のブルーのメロディーに当てはめたらどうだろうって言って当てはめたら、あのバッシュってハマったよね。それが。奇跡よ。
で、そんな話があって、で、なんだろう、この曲はやっぱ、なんか、後世に受け継がれるじゃないけど、そういう曲にしないといけないんだなみたいな、なんか変な使命感がね、メラメラ出てきて、で、この曲をそういう戦争とか平和とかを考えるような曲にしたいですっていう話を、一緒にね、音楽作ってるシュガーさんと一緒に話してたんだけど、
私がね、その、なんていうか、お父さんの話をね、ずっと紡いで言ってたんですけど、その歌詞自体は。だけど私自身はナイチャーだし、関西出身でもあるし、でもやっぱり最初こう、揉めてたこともあったから。
そこってどういうとこから来てるのかなって思ったら、やっぱりこう、お父さんからしたら、なんか生意気なヤマトンチュが来てからにこんななんかうるさいこと言いよって、みたいな感じの時もあったんだよね、やっぱりね。
そこをなんとかこう、なんだろう、仲良くなりたいなって、結婚したしね、せっかく沖縄にいるし、仲良くなりたいなっていうので、戦争のことを聞き始めたっていうのが、もう一番最初ではあったんだけど、なんかそういう経緯があって、今平和の木の下でっていう曲ができたんですよね。
で、もちろんこう、慰霊の日って知ってはいたけど、沖縄ってもう職場も小学校中学校も全部お休みなんですよね。
で、私はこっちに来てからそれを知って、休みの日なんだみたいな。でもカレンダーは普通の日じゃん。沖縄だけ休みの日なんだってすごい衝撃を受けて。
で、そういう衝撃あったんだけど、子供が生まれて、たまに遊びに行かせなきゃいけないから公園とかに行かせてたんですよ。
で、その時に海軍司令部号っていうところがあるんですけど、そこがお家から近くてよく行ってたんですけど、今も行くんですけどね。公園、めっちゃでっかい公園があるから行くんだけど、そこにちっちゃい丘があって、慰霊碑が後ろにあって、目の前には丘の上に立った時にきれいな街並みが見えて、遠くの方に海も見えて空も見えてっていうコントラストの中で、
やっぱりオスプレイとか戦闘機がまた飛んでるっていう事実、そこだけ切り取ったらすごく違和感っていうか心がザワザワしたんだよね。
だけど、やっぱり9年住んでるとね、その音とか景色とかっていうのがやっぱり日常になっちゃって、違和感を持たなくなってくる。
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そういう人間の怖さだなと思うんだけど、最初はすごく違和感を感じザワザワしてたし、戦闘機の音もうるさいなぁとかってすごく思ってたのに、
もう今は戦闘機、これ戦闘機だなぁとか、子供もね、その戦闘機の音と普通の飛行機の音と聞き分けれるぐらい日常になっちゃってね。
そこを褒めちゃってる自分もいるし、なんか心の引っかかりがなくなってきてるなぁっていうのがすごく感じてたとこなんですよね。
だから私も再度ね、この6月23日に向けて、なんかね、平和ぼけ、平和ぼけでもないんだけど、
なんか沖縄に馴染んじゃってる自分もいるなぁみたいな感じもあって、やっぱり平和を考える1日に皆さんしてもらいたいし、私も含めてしてもらいたいし、
なんか落ち着いて沖縄のことも考えてほしいし、平和って何なんだろうなぁってすごく考えてほしいなって。
私も沖縄に来てからやっぱりイヤホンなしでもね、いろんな沖縄製の話っていうのはニュースとかでもやってるし、
あんまりね、本土のニュースでは流れないけど、オスプレイのニュースとか、そういうニュースとかもこっちじゃないと流れてないこととかっていうのもあったりするんですね。
なので、だからちょっと私も最近戦闘機の音とかっていうのを肉声で撮るようにしてあげてたりとかって、もうあれは本当にバンされるかどうかわからないけど、なんかね、聞いてほしいなと思ってあげてる感じかな。
やっぱりね、お父さんといろんな話はしてきた。
なんかね、私の中で、2022年くらいだったかな、ウクライナとロシアの話とか戦争がね、始まった時に映像が流れたんだよね、ニュースで。
で、その時にお父さんがポロッと言ってたことで、まさかやこんな自分が生きてる時にこんな戦争が身近で起こると思ってなかったよね、みたいな話をやっぱりしてたんだよね、その映像を見た時に。
私はね、その話を聞いてすごくなんか、あ、これはやっぱりね、ちゃんと歌にして残さなきゃいけないなって、なんか歌にして残さなきゃいけないなーまでは思ってないかもしれない、2022年だからね。
だけど2024年に、その音楽を作っていく過程の中で、その言葉を思い出して、なんかやっぱり後世に平和というのを受け継がれるような歌を作らなきゃいけないなって、なんか使命感で作ってた気はするなーっていうのを、ちょっと今日のね、アヤちゃんの放送で言いながら思い出して、なんかちょっと涙ぐんじゃうみたいな、自分もいたなーと思って。
15:11
だからね、ちょっといろんなそのお父さんとのエピソードとか、こうなんか、なんだろう、自分の変な使命感みたいなに燃えて作った曲ではあるんだけど、でもやっぱりこう、そうだよね、なんか聴いてほしいなーっていうのもあって、今この6月23日に、あの慰霊の日にあえて、
ナイチャーの私が、沖縄の人に向けてっていうよりかは、やっぱり海の向こうのいろんな本土の人に向けて聴いてほしいなっていうのももちろんあるし、沖縄の人にもね、もちろん聴いてほしいっていうのはあるんだけど、沖縄の人はね、もうわかってるから。
その日がどれだけ大切な日かっていうのもわかってるし、もう6月に入ったらね、すごくニュースでもその話がもう夕方のニュースとかで特集で組まれるぐらい、もうわかってるんですよね、みんな。だからなんか、改めてこう、わかってる人たちに届けるっていうよりかは、やっぱり現状をまだ知らない人とか、こういうことがあるんだよっていうのを、
なんかこう、知ってほしいなっていうのもあるから、私もだから関西にもこのままずーっといたら、知らない現状もあったと思うから、なんかね、そういう沖縄の現状っていうのを知ってほしいなっていうのがあって、今こうやって活動してるっていうのは大きいかな。
だからこう、それがね、沖縄の人からしたら大せっかいかもしれないし、なんかどう思われてるかわかんないけど、ちゃんとやっぱりね、そういうのを口に出して伝えていかないと、残るものも残らなくなっちゃうなってすごく感じてるので、なんか今日はちょっとその辺、その辺りの話をさせてもらいました。
ちょっとあのうまくすべてを伝えきれたかどうかわかんないんですけど、なんかやっぱりね、6月23日にいろんな人に沖縄の音の風を感じてほしいし、もちろんこういろんな平和についても考えてもらいたいし、私も考えるし、なんかそういう時間をみんなで持てたらいいなって思ってます。
平和の木の下での合唱をね、先日MVを作ったんですけど、合唱のカラオケをミスティさんが作ってくれたので、そのMVで流れてる歌唱のまんま引き継いで、そのまま私がまた声を乗せて歌うっていう感じの素晴らしいオケをご準備していただいたので、
その曲を一番最後に歌って、一番最後にまぁまぁ締めで歌わせてもらって、終わろうかなっていうか、締めたいなと思ってますっていう感じですかね。
18:09
なので、平和の木の下ではね、もしかしたら2回歌わせてもらうかもしれませんっていうのが、同じバージョンで2回じゃなくて、1回目はちょっと弾き語りバージョンで平和の木の下で、2回目はオケ入りで皆さんの声入っている状態で歌わせてもらおうかなって思ってたりはするので、ちょっとまだそれは確定じゃないんだけど、そんな感じのこともしたいなって思ってるので、ぜひ皆さんお越しいただければ嬉しいなと思ってます。
ということで、今日は長めの収録になっちゃってあれなんですけど、すごく感じることがあった今日。すぐアウトプットしておかないとまた私も忘れちゃうかもしれないから、たくさんちょっとこれからアウトプットしていければなと思ってます。
ということで皆さん、またこちらの放送も拡散していただきたいですし、私の記事も拡散していただければ嬉しいなと思ってますので、本日はこの辺で終わりたいと思います。
また、夜の配信はキクノートを更新したいなと思ってますので、お楽しみいただければなと思っております。ということで、本日も皆さん素敵な夕方をお過ごしください。私もあなたも最強の運と笑顔で、日々これ後日。
19:27

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