00:06
はい、まりです。こんばんは。さっき帰ってきました。 今日はね、飲み会でちょっとね、辛いお料理を食べてきました。 たまに辛いもん食べたくなるんですよね。なんか、うん、はい、美味しかったです。
ヒーハーしました。で、今日ね、その食事会に行く前に、コンビニでちょっと買い物してて、で、レジに行くじゃないですか。で、レジで、あ、あのビニール袋っていうの、レジ袋か、レジ袋を3円のやつ欲しかったんで
お願いしたんですね。
そしたらそのレジ袋をバーコード、ピッてするのを忘れちゃったみたいで、あのお店の方が、日本の方じゃないなって思ったんですけどね、あの、えっと、3円くださいっておっしゃるんですよね。
で、でも、後から、あの、その後で別の店員さんが登場して、で、それはレジ袋はバーコードで読むんだみたいな話をされていて、で、そのバーコードがなかなか読めなかったのかな、なんか慣れてないみたいで、ピピって
一生懸命やってたら、3円のレジ袋6円つけちゃった、あわあわあわみたいになっていて、
で、まぁ、あの、そういう場面があったんですけれども、別に私急いでもないし、まぁ、なんか、あのコンビニの店員さんって結構やること多くて大変だろうなぁみたいに思ってたんですね。
で、特に、あの、最近、外国の方でコンビニの店員さんとしていらっしゃる方多いなって思うんですけど、あの、そう、さっき言った通りやること多いはずなんですよ。パッと見ても。
私、コンビニで働いたことって一回もないんで、ま、あの、はためから見てるだけなんですけれども、そのはためから見てるだけでも結構やること多そうだなっていうふうに思っちゃうんですよね。
自分ならできるやろうかみたいな。ちょっと昔、ちょっと昔って言っても自分の感覚で20年前30年前とかのコンビニの店員さんよりも、なんかやるべきことがバラエティーに飛んでる気がする。
コンビニのサービスが小売りで物を売るだけじゃなくって、宅配とか、あと、ATMとか、なんかいろんなサービス備えてて、もう社会インフラみたいになってるから、だからこそやるべきことが多そうだなって思うん
ですけど。
で、そのコンビニでね、言葉の壁とかもあるだろうし、なんかやるべきことが多い中で、働くってね、すごいなって思うんですよね。
コンビニってさっき言った通り、やるべきことが多そうで、まず接客とかレジとかね、レジだけでもちょっと難しそうだなと思うんですけど、私できるかなみたいな。
03:10
あと、いろんな決済方法とか、コンビニの出してるアプリとかありますよね、の対応とか、商品の品出しとか、陣列発注とか、電気料金、ガス料金とかの払ったり、
あと、私チケットとかもコンビニで受け取るみたいなのを利用させてもらうんで、そういうのとか、宅配便とかを受け取ったり、出したり、揚げ物とか、今やったらそろそろおでんとかやり始めて、
そういうのの、調理っていうのかな、調理に近い、調理補助みたいなこととか、コーヒーとか出されてたら、設定、セッティングっていうのかな、設置するやつとか、あとお掃除とか、ゴミ出しとか、在庫管理とか、
あと、イレギュラーなこともありそうですよね。何だろう、お客さんからの要望の対応とか、そういうの見てると、しかもそういうのって、一個一個丁寧にやるみたいなふうに見えなくて、パッパッパッと同時並行で処理し
ないといけない部分もあると思うんですよ。
それを、日本語が母国語な私でも、なんか大変そうだなって毎回思うんだけれども、日本語が母国語じゃない人が、細かいそういう仕事を覚えて働くって、結構適応能力を鍛えられるっていうか、必要になりますよね。
だから、私とかもね、ちょっと難しそうやな、みたいなふうに思ってるんだけれども、私とかのレベル感じゃなく、言葉が違うしね、文化とか収集感もなんか違うような気がする。
だから、そういう目に見えない部分でも、カルチャーが違うから、そういう部分も理解したり、もちろん仕事を覚えたり、対応しないといけなくって、仕事をするための、仕事もするんだけれども、仕事以前の前提条件
みたいな部分。
土台になる部分も、自分で身につけざるを得ないっていうのがあるんじゃないかと思ってて、そういう苦労っていうふうに言っていいのかわからないんですけど、努力はされるんでしょうね、って思いますね。
06:06
あと、国籍がどうとかじゃなくって、国籍関係なく、環境に順応して適応して学び続ける人と、そうじゃない人との差がはっきりついてくるだろうな、みたいに感じるんですよね。
なんか、それが生命力につながるんじゃないかなとかも思います。
例えばですね、新しいものを習得しようってする力とか、自分が生きてきたものとは違う文化を受け入れようってしたり、その中に飛び込もうっていう飛び込み力みたいなものとか、自分の中でのうっすら身につく常識。
普通はこうだよね、みたいな感覚って、なんとなく備えちゃうものだと思うんですけれども、それを一回ガラッとリセットするようなこととか、
言葉がつながらないというか、言葉が違う場所で生活を成り立たせる力、自立自力みたいな、こういう力がね、必要じゃないかなって思うんですよね。
だから、外国の人だから全員そうだから、そうっていう話じゃなくて、自分が生きてきたところとは別のところで生活基盤を築こうっていうか、生きていこうっていう人には、
そういう能力を目には見えないし、資格があるわけではないんだけれども、そういった生きる力みたいなのを鍛える機会が多いというか、自然と鍛えられるんだろうなって思いますね。
もう一個思うのが、多くのね、私も含めて日本人って、あんまりにも日本っていう居心地のいい環境、好きなんですけど、に慣れすぎてる、適応しすぎてるんじゃないかなって思うこともあります。
言葉が通じるし、文化がわかるし、世の中の仕組みみたいなのも大人になってくると、良い悪いは別としてわかってくるじゃないですか。
だから、当たり前になっているからこそ良い部分もあったりすると思うんですよね。
察するとか、文化の醸成とかは、やっぱり土台がないと醸成は何もないと思うんで。
そういう部分ではいい部分もあるんだけれども、良くない部分もあって、さっきのコンビニの話でいうと、
09:01
日本の店員さん、日本人の店員さんでも、あえて外国っぽい名前でカタカナで名札を付けておくと、お客さんから変なこと言われないっていう話聞いたことあるんですけれども、
お客さんに無理な要望をされないから、外国の人の名刺を、名札をあえて付けてると。
これって、日本人で名前付いてたら日本の人だからわかってくれるよね、みたいな。
そういう感覚で、ちょっと無理な要望とか言ってくるんだろうなと思うんですけれども、これ良くない部分ですよね。
外国の人には言わないっていうことなんで、だからこそ外国の方のお名前の名札付けるっていう、そういうのは良くないなって思いますね。
でも、外国から来た人で日本で働かれてる人って、きっと毎日が刺激だし、学習の連続、
それも勉強じゃなくて学習というか、目に見えない新たなことの連続だと思うんですよね。
これって、環境に慣れすぎている感覚と全然違いますよね。
同じ社会に生きてるのに。
長い目で見たらね、言葉の違う国から日本に来て働く人って、環境への適応力とか生き抜く力っていうのをじわじわ育てていて、安住してない感じがします。
日々はちょっとずつの差なんだけれども、安住してる日本の多くの人と自分も含めて、日々いろんなものに触れて、知らない国というか、生まれ育った国じゃない場所で生活をしようとしている人って、
同じ場所にいるのに全然見方も違うだろうし、生きてる感覚も違うんじゃないかなって思っていて、
コンビニのレジ袋の3円6円の話から、結構大きな社会的テーマみたいな話になっちゃったんですけれども、
生き抜く力みたいなのが備わってらっしゃるんだろうなって思って、我が身を振り返って、違うなって思いました。
今日も聞いてくださってありがとうございます。
12:02
じゃあ、今からシャワー浴びて寝ます。おやすみなさい。