今回は、つじかぜACや多摩川サブスリー会でご一緒している矢間靖人さんをゲストにお迎えしました。
44歳でランニングを始めた矢間さんは、50代に入ると一度は記録が伸び悩み、4時間切りも難しくなりました。しかし、ランナーズの座談会をきっかけに練習方法を見直し、「今できることをやる」という考え方へ転換。さらに身体づくりや動きづくりにも取り組み、58歳で念願のサブスリーを達成します。
また、ランニングだけではなく、仕事や人生にも通じる「カイゼン」についても掘り下げながら、50代から再び成長を続けるためのヒントを伺いました。
44歳でランニングを始めたきっかけ/初マラソンでハーフと間違えてフルマラソンに出場/毎週50kmを積み重ねたカイゼン/50代で迎えた伸び悩み/ランナーズ座談会で変わった練習方法/30分短縮につながった「スタミナを残す走り」/「今できることをやる」という価値観への転換/『LIMITS』黒川さんとの出会いと身体づくり/タイムではなく「良い走り」を追い求める考え方/「現状維持は衰退」というカイゼン思考/フロー理論と継続する楽しさ/50代でも壁は乗り越えられる
パーソナリティ
宮﨑晃(Miyazaki Akira)
感想
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00:05
そしたらね、タイムが落ち始めたんですよね。
あれ、月間走行距離変わってないように、なんかね、4時間切るのが難しくなってきて。
で、51歳、52歳くらいだったら、なんか下手したら、一番最初に止まりながらして、4時間20分を超えるようなことも出てきちゃったりする。
ランナーっていうのを座談会に一回呼ばれて、フルどれくらい使うかって、いや、最近ちょっと4時間切れなくて、そういうランナーの座談会やりたいと。
4時間くらいになったタイムが、3時間半になったんですね。
え?30分早くなったんですか?
ちょっと頑張ったら実現できそうな目標に向かっている状態が、ある意味不老状態。
ああ、なるほどね。まさにね、そういう状態な気がしますね。
実はね、3時間3分くらいに続いているのは、タイムを上げようとあんまり思っていなかったですよね。
そうなんですか?
そう、結果的にタイムが良くなってて。
なんか聞いてる人もすごく、希望になるんじゃないのかなと思います。
僕はね、50代からって4時間切れなくなってたし、ちょっと前まで、やっぱり3時間半だから切れない。
3時間、5分間の壁も結構感じてたんで、でもふとしたきっかけでそれを乗り越えられるっていうかね。
その壁って自分が勝手に思い込んでるだけなんだと思うから。
なんかちょっと考え方がすっと変わっていったら、結構ね、結果も変わってくるっていうのを結構実感したんで。
なんかそういうのを上手く伝えたいなっていつも思ってますよね。
ワークライフラン、こんにちは。アクテナブルの宮崎晃です。
この番組は、仕事のワーク、日々の生活のライフ、ランニングのランを中心に、
毎回テーマを変えながら、時にはゲストを招きして、これからの時代を健康的に前向きに生きるためのヒントや問いをお届けする番組です。
今回はゲストを招きしての対談会です。それではお楽しみください。
はい、今回ですがゲストに矢沢康人さんにご出演していただいてます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
では簡単にですけども、矢沢さんの方から自己紹介の方お願いします。
はい、ご紹介いただきました矢沢です。ランダカモからはヤスさんと呼ばれていたりいたします。
1966年生まれで、ちょうど官暦になりました。
03:02
走り始めたのは大体44歳くらいからで、かなりお育ちで、自己ベストを出たのが大体58歳から59歳にかけていたというようなところでございまして、
比較的長く走っていて、ちょっと間にいろいろ故障したりとか山田にあったんですけど、なんとか存力を維持してきているんですけど、
ヒナリンさんが先週の話にもありましたけど、怪我との戦いがだんだん出てくるようになった。そんなランダーです。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
矢沢さん、ヤスさん、辻風では矢沢さん?
そうですね、辻風はヤスさんがいたんで、紛らしいなと思って、辻風ではあまりヤスさんと名乗らずに、
昔から知っている人はヤスさんと呼んでいます。
多摩川サブスリー界にも入っていまして、その他にもいくつかクラブに入っていたり続いたりするんですけど、そこでは皆さんからヤスさんと呼ばれています。
こんな感じですね。
そうなんです。私も辻風アスリートクラブにランニング参加してまして、あと多摩サブの方にも参加しているので、そこで矢沢さんとお知り合いになれまして、それで一緒に練習をやっている中ということで。
ありがとうございます。
とんでもないです。
矢沢さんがですね、辻風の火曜日にある練習会の方では、いろいろとですね、体作りとかいろんなところをレクチャーしていただいているので、今日はぜひその話もお聞きできればなと思うんですけども、
まずですね、今ご紹介もありました、44歳でマラソンスクライニングですかね、始められたというところのストーリーとかをですね、ちょっとお伺いできればなと思っています。
結構ですね、仕事絡みで太ってですね、体重がどんどん増えていったと。
これはちょっとヤバいなというのがね、30代の頃で。
ちょうどその頃ですね、海外船ヨーロッパにいまして、ヨーロッパ、ベルギー、アントアップというところに最初に行って、その後ロンドンに落ちていたんですけど、
私、見て管理していたのが、ヨーロッパ全体のいろんな会社関連であったりね、途中からはトヨタさんから学んだ改善活動とかね、というのがあったり、後半は営業開発みたいなね、新しいお客さんと話をして、結構飛び回っていまして、
06:09
その間に毎日お客さんも一部ありますけど、同僚とはほぼ毎日飲み食いをしていたので、どんどんどんどん、しかもヨーロッパですので、体重が増えていったというので、まずいなと。
僕にしては結構多くて、66キロぐらいまで増えて、体脂肪も多分25%くらいまでいってたんだと思うんですよね。もしかしたら体重がないかもしれないですけど、161センチぐらいの僕にしては結構重くて、これあかんなと思って、出張で飲んだ翌朝は必ず走るというのをヨーロッパでも始めていたんですよね。
ただ20分ぐらいしか走っていなくて、そんなような生活をして、日本への帰国事例が出たときに、ちょっと記念にロンドンで一回大会に出てみようと思って、10マイル16キロの大会に出ましたと。
毎朝20キロだから結構突っ走ってたんですけど、その勢いで走ったらめっちゃ疲れたんですけど、まあまあいいタイムで走れたんですよ。
意外と走れるなと。フルマラソンとかハーフマラソン、マラソンっていうのは全然僕と違う人種の人がやるものだと思ってたんで、中高の時も陸上系の人と僕は野球とかそっちの方でだいぶ人種が違うなと思ってたんですけど、走り始めると意外といけるなと思って。
16キロ走ったらあと5キロ走ったらハーフマラソン、そうするとみんなさんがマラソンの駅にあと5キロで行けるんだなと思いながら日本に帰ってきて、いつか出ようと思ってたんですよ。
それが確か41か42の時で、その後はあんまりちょこちょこ走ってはいたんですけど、朝走ったりはしたんですけど、大会とか出ることなく来て、なんかふとした時に一回マラソン出てみようかと思ってハーフマラソンにエントリーしたのが44歳だったんですね。
そこで一回走ってみようということでハーフマラソンにエントリーしたんですけど、ちょっとそれが大会のエントリーしたいっていうのは慣れてなかった。日本のしかも、やり方がよくわからなくて、ハーフとフル両方ある大会で間違えてフルにエントリーしたんですよ。
会場に着いたらあんたフルですよって言われて、僕はハーフしか走れないからハーフでいいんですって言われて、それは変更できませんって言われて、しょうがなしにフル走ってしまったというのが最初のマラソン経験で、いきなりなんとなく間違えてフル走っちゃったみたいな。
09:05
しかも6月の台風が過ぎた後の湿度が90%くらいで気温が29度くらいあったね。季節当ての台風が来た後の日で、あらかで同じ場所をハーフを一回一ラウンドとして、同じ場所をもう一回回ってフルみたいな。
ハーフの途中で周りに転がっている人たちがいっぱいいるような大変な環境で、僕も5キロくらい脱出してボロボロになりながら休んで走って休んで走って言うのを繰り返してハーフ到達したんですけど、ちょっとその出る前にマラソンやってる人から初めてであろうが一回途中で止めたら止める癖がつくから絶対完走終了って言われて。
もう体ボロボロになりながら残りハーフを走ってですね、なんとか完走してそれが最初の経験でした。
そうなんですね。
そっからですね、なんとなく走るの面白いなぁと思い始めた感じですね。
それで走るの面白いって結構感じたんですか?
そうですね、なんかね出し切った感が半端ないなっていうね。
あ、なるほど。
20分朝走るだけだとめっちゃ筋トレがね、ものすごいスピードを出しみたいな感じでやってたんで。
そういうなんかね充実感なんですけど、このマラソンを走った全てを出し切った感じがね、これはなかなかすごいなというのをその時は感じて。
それでねその後、それが6月で、8月ぐらいからちゃんとやるには、
ちょっとその先言いましたけど、ちょうどその改善活動をヨーロッパで7年くらいやってたんですよ。
その時の身につけたなんていうか、なんて言うんですかね、癖みたいなのがあって。
一回こうやると決めたら確実にこうできる範囲を繰り返しやるみたいなことを結構仕事上は習ってて。
で、それをちょっと走りにも活かせるんじゃないかなと思って。
自分ができる距離とかをもう繰り返し繰り返しやるというのを8月からやってみようと思って。
で、当時覚えてらっしゃると思うんですけど、
ナイキプラスって、ナイキの靴の底にチップつけるみたいな。
それがナイキのアプリと連動して距離が記録されるみたいな。
当時まだ画面とかそういう時計が流行ってなかった頃にナイキがそれを出してて、
じゃあこれ、そこに投資したらやらざるを得ないんだろうなって。
そんな感じでナイキプラスのついた靴を買って。
12:00
それでね、その時に毎週50キロ走ろうというのを決めて、
今までそれまではちょこちょこ走って、月80キロぐらいしか走らなかったんですけど、
その8月から毎週50キロ走るというのを決めて、ずっとそれを続けてるんですよね。
怪我して走れてないというか、そこまで行かないですけど。
というのをやってるうちにどんどん深みにハマっていった感じです。
いやー面白いお話ですね。
なんか今のお話の中でもいくつかすごく気になることがあったんですけど、
矢沢さんはフットワーク軽い感じですかね、そういう意味でいうと。
僕ね、興味持ったらとりあえずやってみたいなと。
仕事もそうなんですけど、まずやってみようという。
何かやった方が良さそうな話があった時に、
ちょっと慎重にいろいろどうかなという前に、
まず壁に当たるまで一回やってみようよという事が好きなんです。
まずやるんですよね。
やると、やめた方がいいかなという時もあるけど、
大体がそのやり方を少しずつ修正しながらやると上手くいく事が多い。
まずやってみようよと。
その方が何かね、いろいろな事が動き始めるので、
と思っていて、だからランニングも、
継続的にやるには週5週だと無理しなくていけるかなと思ったので、
毎週5週で決めて、平日は走れない時は週末にまとめて走れない。
思いながら週5週をとにかく走る。
なるほどですね。
何か言い方が合っているか分からないんですけど、
ある意味初めてやったら失敗しても当たり前みたいな。
まあそうですよね。
そんな感覚で、そこから改善していくのが楽しいみたいな。
何でもというより、自分が出来そうなものかなとか、
自分がやりたいかなとか出来そうかなというのを複合して選ぶ。
当然選べますからね。
そうですね。東京に帰国されて、
初めての大会がアラカーの大会だったんですか?
そうです。今はないと思うんですけど、
アラカーは6月にある珍しいフルバラソンで、
普段から暑い上に、その時は台風の通過した翌日で、
めちゃめちゃ暑かったです。
地獄のようなバラソンでした。
アラカーは景色もあまり変わらないから、
その中で、最初はハーフで出ようと思ってたけど、
実はフルバラソンだったわけですよね。
15:00
走り方が分からないので、
ヨーロッパ、ロンドンの最後まで走ったら16キロと同じように、
かなりのダッシュ系で走って、
途中で足つって止まって、
またダッシュ、ダッシュというのを繰り返しやってました。
へー、すごい。
でもそれでも嫌にならないで、
そこから繋がっているのが矢沢さんの特徴のような、
今ちょっと聞いているだけでも感じがしました。
そうすると、お仕事で改善活動をやっているのを、
自分のランニングに当てはめる時に、
データとかを見て、次の改善点を見つけるとか、
そういう感じですかね。
おっしゃる通りです。
改善で自分が習った時に身につけたのは、
目標をやや遠目の目標を作っておいて、
そこに至るステップをある程度、
3つぐらいのケース分けて書いておいて、
それを一つ目、二つ目、三つ目という時に、
何ができたら一つ目がOKになるかというのを、
数字で決めておくんですよね。
最終的にはマーソンだったらハーフだったらタイムだったりするわけですけど、
そこにそれをさらに分解していくと、
当時は全然まだ仕事だったのが分かっていたのに、
今でいうと、それは例えば体重だったり体脂肪だったり、
あとはVO2MAXとかね、
その辺の数字をモニターしていくと、
こういうことをやったから目標に近づく、
最終的に目標はタイムだったりするじゃないですか。
そこに行くために走行距離、
それから体重、体脂肪とかVO2MAXというのを、
大体この辺まであと2ヶ月で行こうと決めていくと、
それをするために毎日何しなきゃいけないというのがだんだん決まってくるので、
そんな組み立て方です。
すごいですね、本当に。
要素分解して、一個一個の要素について何か数字の目標を決めるみたいな。
逆にそれを見ていないんで、タイムを見るというより、
普段はそっちを見ておくんですよね。
結果的にそれがタイムに合われたら、
設定したKPIみたいなものが正しかったということだし、
それが正しくなかったら何か間違えているから、
そこに入れる要素を変えていくみたいな。
それは地理数というより、何となくそういう感覚でやってますね。
18:02
なかなかすごいですね、できないかなと思って。
プロの人たちだったらいろんなアドバイスとか見てると、
それに近いことはみんな指導されてたりするから、
あれが正しかったらいないのかなという気がするんです。
すごいですね。今のプロスポーツはデータを重視して、
どんな競技もやってる気がしますけど、
何か先駆けのような感覚?
そこはかっこいいもんじゃないんですけど、
最初は走行距離とか体重とか、
その辺を見ながらやってますね。
スキーも50㎜と決めると。
50㎜と誰かがひたすら走ってると、
必ず5㎜に近づくんじゃないかなと。
そんな感じで。
なるほどですね。
それでそういうふうに改善していって、
大会の目標とかを作ったりしたんですか?
僕はあんまりそう思ってなくて、
もうちょっと早くなるだろうなと思って、
最初に無理していたのが4時間20分くらいだったんですよ。
4時間20分で、
これくらいで途中あんな止まってたのに、
間ダッシュも繰り返したんで、
まあ早かったなと思ってですね。
でも周り聞いてると4時間切るの目指せとか言ってるんで、
ちょっと練習して4時間切れるようになるかなとか、
そのくらいのイメージで走ってましたね。
ただ50㎞は必ず前突き出して、
ちょっとずつ速度上げようみたいな形でやって。
でも最初の頃なので、
やればやるほど年々こう、
年に多分、
ハーフが最初は多かったんですけど、
ハーフいっぱい出てて、
フルも年に2,3回出て、
だいたい走るごとにちょっとずつタイムが上がってるって感じですかね。
そうなんですね。
その時はランニングクラブとかには参加されたんですか?
もうね、ずっと一人でやってました。
そうなんですか。
一人で、朝はずっと一人でやってたんで、
その延長で大会出て、
その後月50㎞っていうのを決めたのも、
基本的には朝中旬に出してたので、
毎朝会社に行く前に走って、
っていうのを繰り返してましたね。
でもね、
47歳くらいの時に、
毎朝走って、結構走ってるみたいだから、
一緒に何かしないっていうのに、
うちの私、日本輸載っていう船の会社なんですけど、
そこと、
消費者の掃除さんっていうところと、
今僕は日本輸船から出港して、
21:00
輸船ロジスティックスっていうところにいるんですけど、
そこの会社の人とか、
あと美術部消費者さんとかね、
あとはヤフーの人とか、
ランニングクラブを組んでて、
100人くらいのクラブ、
毎回30人くらい出てくるようなクラブだったんですけど、
そこにちょっと誘われて、
週1とか月2で出るようになって、
でも僕は全然遅いことだったので、
4チームくらい分かれて、
一番下かその上で、
僕以外みんな女性のランナーで、
そこに祭りながら走ってました。
そうなんですね。
結構速い人も多かったんで、
サブスルースも結構いってたんですけど、
僕はもうずっと下の方です。
2、3年そこでやってましたね。
その頃は月間の走行距離は?
200㎞。
50×4の200㎞。
とにかく50キロ走行距離でしたんで。
なるほどですね。
でもそうやってるとタイムは、
右肩上がりというか徐々に伸びてくる?
48歳か9歳くらいに、
3時間45分か6分かその辺まで、
行ったんですよ。
ただね、そこがちょっと当たの内だった感じがしますね。
もうそれ以上、
ハーフはちょっと伸びてたんですよ。
1時間44分か5分くらいから、
最初始まって、
1時間38分くらいに、
もうちょっと当たの内になってて、
なかなかもう伸びないなと。
インターワルとかやったこともなかったですし、
一緒に練習したのもどちらかと言うと、
ジョブよりちょっと早いぐらいのペースを想定でやるような練習だったので、
ああいうインターワルとか全然やらずにやってたのもあるんでしょうけど、
タイム当たの内で、
2〜3年伸びないのに50歳になっちゃって、
そしたらね、タイムが落ち始めましたね。
あれ、月間走行距離変わってないのに、
4時間切るのが難しくなってきて、
51歳、52歳くらいだったら、
下手したら一番最初に止まりながらして、
4時間20分を超えるようなことも出てきちゃったですよね。
これはあかんなと思って、
ランディングクリニックみたいな、
ムーンに一回話を聞いてみようと思って、
出てきたら、結構シニアの人たちが多かったんですけど、
質問も、いくら練習しても伸びないですけど、どうしたらいいんでしょうかって聞いて、
その先生が、50歳過ぎてるんだったら、諦めましょうよとか言ってて、
24:00
そうかと思って、
そんなような話を聞いて、
年には勝てないなと。
52歳、1歳、2歳から伸びないままずっと来てたんですけど、
53歳くらいの時に、
ランナーズの座談会に一回呼ばれて、
それは何でかっていうと、
ハーフマラソンのゴールで、ランナーの編集部の人が仕掛けてて、
1時間30分、まさに7分、8分くらいの人を、
僕ね、その時に1時間35分くらい、
ハーフだけは上がってたんで、
ゴールしたら、フルどれくらい使うかって、
最近ちょっと4時間切れなくて、
そういうランナーの座談会やりたいと。
ハーフはまあまあだけど、フルは全然遅いランナーを集めて、
座談会やって、そこにちょっとプロのコーチがアドバイスするというのに出て、
いろいろこういう、4人の座談会で話してて、
山本さんの練習の仕方は、ちょっと考え方を変えなきゃいけないと言われて、
フルを速く走るには、
要はスタミナをしっかり残していくような走り方をしなきゃいけないから、
僕の練習って、どっちかというと、
自分のフルを走るよりも速いペースで走り始めて、
だんだん失速していくようになる。
練習も常にその練習になっていたので、
それをやっている限りはずっとそうなっちゃいますよと。
もう20キロ、30キロしかやっていたんですけど、
もう最後の5キロ以外は、とにかく自分が人と喋れるペースで走ってこないと。
最後の5キロだけかなり上げていくようになる。
そういう風に練習方法を変えたら、急にタイムが出るようになりますよと。
本当かよって思っていたんですけど、
それのアドバイスを何回か言っていたのが11月で、
3月にですね、もう亡くなっていたんですけど、
子が花物…花…なんだっけ?
子が花物…なんだっけな?
そういうマラソンがありませんでしたっけ?
そのマラソンに出たんですよ。
それが3月だったんですけど、
そしたらですね、急に4時間台だったタイムが、
3時間半になったんですね。
30分早くなったんですか?
3ヶ月間そういうあんまり突っ込まない練習をしただけで、
30分上がったんですよね。
すごいなと思ってですね、
こんな練習するだけでこんなに変わるんだなと思って。
で、ちょっとまたそこからね、
タイム上げられるんじゃないかっていう気持ちになってきて、
それがきっかけでちょっと上がり始めたんですけど、
27:02
何歳ぐらいの時ですか?
それがね、50多分ね、2か3。
あ、そうですか。
で、それまでは4時間またから4時間20分とかそこら辺になってたんですけど、
そこから急に上がり始めて、
ちょっとその後に、最終的には大丈夫だったんですけど、
タイムにちょっと影があってね、
ダメじゃないかって言われて、
一回前提聞いて取ったんですよね。
で、その時にちょっとまあ、
この話もしかしたら後で話しますけど、
ちょっと考え方がいろいろ変わって、
いろいろ練習ができないとか仕事忙しいとかそういうので、
それがランニングの練習室に影響してたんですけど、
そういう言い訳はもう一切やめようっていうようなね、
今の僕のこともね、
あれがね、たぶん53歳、54歳だったと思うんですよね。
で、その段階で何か上手く走れるなと思った後に、
そういうような病気っていうかね、なって、
で、ちょっと練習のやり方も病気した後に、
もう何て言うか、言い方悪いですけど、
いつ死ぬか分からないから、
今できることをとりあえずやっとこうみたいな、
そういうふうに思い始めてから、
たぶん練習の質が急に上がったんですよね。
で、同じタイミングでインターバルとかの練習にも結構誘われていくようになって、
急にそこで総力がガンと上がった感じがしますね。
で、ずっとしたのが54歳くらいからずっと、
その後の4,5年、走れば走れるだけ15ベーストを
更新できてたんで、っていうのが。
で、そこでね、3時間、たぶんね、
3分か4分とかその辺まで生きてたんですよね。
で、ライブ行ったけど、でもね、そっからは、
それ以上はなかなかならなかったんですよね。
で、もう、また出すかなと。
でもここまで来たからいいや、みたいな感じもあったんですけど、
で、その時に黒岡さんで今習っているリビンスのコーチの、
ちょっとスポットで誘われて出てたんですけど、
なんかね、スポットは月1回とか出るとかだけだと、
いろいろ教えられてることがなかなかよく分かんないなと思って、
ちょっと中途半端に出てたんですけど、
で、黒岡さんだから、なんかめっちゃなんかそういう
ロジカルにいろいろ動かし方とかね、
掴もうとするみたいだから、
ちゃんと毎週月齢会員になって入った方がいいよって言われてね、
うーん、金かかるしどうしようかなって思ったんですけど、
1万何千円かかるんで、って思ったんですけど、
30:04
まあでも、できる時にできることやっちゃおうと思って、
そこに入っていろいろ習ったら、
最初何に習っているのか教えられてることが山のように毎週出てくるんですけど、
なんかね、全然ついでいけなかったんですけど、
半年やるとね、いろんなことがだんだんできるようになってきて、
あ、そういうことかっていう気づきがどんどん増えてきて、
それでね、1年後に一気に5分ぐらい縮まったんで、
3時間3分ぐらいの壁が58分台、2時間58分台になったので、
なんかね、やっぱあれは本当に動きづくりとか、
合わせて体の軟性づくりみたいな、
ヒラリンさんもおっしゃってましたけど、
足の柔軟性と同時に上半身の柔軟性がすごい大事なんで、
その辺をすごく徹底的に毎週教わって、
なんか体の動かし方がだいぶ良くなってきたな、
たぶんまだちゃんとできてるしかないけどね、
60点70点だという気がするんですけど、
でもね、だいぶ上手く地面を踏めるようになってきたな、
で、タイムもそこそこ伸びた。
58歳、9歳ぐらいですね、今から1年。
そうなんですね、すごいですね。
すごいと思います。
やっぱり今のお話、振り返ると48歳、9歳ぐらいで、
1回自分のピークがあったよね。
普通そこでそう思いますよね。
そこからタイム伸ばすっていうイメージって、
つきにくいのかなと思うんですけど、
そこから毎年のように記録が伸びていったわけですよね。
最後3時間近づくとタイムが気になったんですけど、
実はね、3時間3分ぐらいに行くときっていうのは、
タイムを上げようとあんま思ってなかったですよね。
そうなんですか。
結果的にタイムが良くなってて、
もうちょっといい走りしたいって思って、
そういうのを繰り返したんですよ。
なるほど。
そうすると結果的にタイムが良くなってる。
だからタイムを求めない方がいいよって、
そのときよく言ってたんですけど、
それはお前伸びてるからだって言われたんですけど、
実際自分はあんまりタイムを気にしてなかったんですよ。
タイムを気にしたのはね、たぶん3時間3分で頭もしなくて、
もう少し頑張ったらみんなが言ってるサブスリーなんですよね。
その辺は結構意識してますね。
なんかすごいわかる気がしますね。
タイムを求めすぎると精神的にしんどくなる気もしてて、
そうですよね。
33:00
だから日々のランニングが結構自分の中でプレッシャーになることが
あるなって私も感じるところがあるんですよ。
矢沢さんはむしろ何をモチベーションにというか、
何を楽しくてタイムを気にしない時代っていうのは走ってましたかね、今思うと。
えっとね、たぶん一つは、ちょっと最初言った、
トヨタさんが言った改善のね、日々なんかこう、
日々やる意味っていうのは、これちょっと仕事の方なんですけど、
毎日人間も組織も生き物だから、
何か良い方に良くしようと思ってやってると現状位置がちょっと良くなるんですけど、
今のままをリリアとかね、今のまま維持しようと思うとね、どんどん下がっていくと。
だから何かちょっともっと良いことは何かっていうのを目指しながら毎日やっていかないと、
現状位置すらできないよっていうようなことを結構言われてて、
なるほどなぁと思って、走りのほう、それを走りのほうに変えると、
やっぱりちゃんと継続して何かやって、新たなことを取り組んでいかないと、
要は現状位置すらできないんだろうなっていうのがあって、
それをね、実感したかったんですよね。
だからタイムを良くするというより、何ていうかね、
ちゃんと日々取り組んでやってると、それが結果として何か生まれてくるみたいな。
っていうのを実感すると、何かそれがタイムによる充実感というより、
そういうことができたことによる充実感のほうが結構何ていうかね、
自分の中では大事だなと思ってて、
その辺を、そういう充実感を感じるためにやってるのがタイムですよね。
そうですよね。ちょっと話を逸れると、
アメリカの哲学者にチクセントミハイという方がいらっしゃって、
もしかしたらご存知かもしれないんですけど、
不老理論というのがありまして、私はすごくそれをよく意識してるんですけど、
簡単すぎることだと人は退屈しちゃうんだけども、
難しすぎることだとモチベーションが上がんないんだけど、
ちょっと頑張ったら実現できそうな目標に向かっている状態が、ある意味不老状態。
ああ、なるほどね。まさにね、そういう状態な気がします。
だから、自分が前に続けられるような頑張れることを置いておいて、
それを継続的にやってると、日々はその時は気がつかないけれど、
ものすごく時間が経って振り返るとだいぶ良くなってる。
36:01
そういうのが結構実感できると嬉しくなるんですよね。
ですよね。なので矢沢さんは50代は、私から見ると不老状態にずっといたんじゃないのかなって、
今聞いてて思いましたね。
で、結果タイムが上がっていって、最後もうちょっと届きそうっていうところで、
本当にもうそこに向けてコミットするみたいな。
でも、もしかしたらあの時にサブスリー目指してなかった方が、そのまま簡単に進めるかもしれないですね。
難しいですね、本当にそれは。
そうすると、サブスリーをされた大会は、もうこの大会でサブスリーするぞって狙ってた感じですか?
僕ね、それは11月3日に、3年だったかな、4年間、
宮城復興マラソンってあったんですよね。
あれもうなくなっちゃったんですけど、その年最後で。
あれに出たんですよ。
で、その年4大会入れてて、最初に一発目だったんですよね。
で、一発目だから、試運転的に3時間5分くらいでいいやと思って行ったら、
タマサブの前の会長のシンさんっていう人がいるんですけど、
最初宮城に移られて、一緒の大会に出ようと言って、
そしたらスタートで同じブロックで一緒に横に来てくれと言って、
いやもうちょっと今日は慣らしで行きますね。
ダメだよそんなの。
そんな最初から逃げ越してたら絶対ダメだよって。
サブスリーを今年やりたいんだったら、とにかくこの大会は狙っていけ。
俺が引っ張るのとか言って、その人は練習不足で5キロくらいで落ちちゃったんですよ。
最初めっちゃガーッと行ったんで。
で、タマサブの人も7,8年同じくらいのサブスリー目指す集団が来てて、
みんな同じような集団で、多分昨日どれくらいだったかな、
4分前後で突っ込んで行ってて、そんな感じになったんですよ。
風が5メーターから10メーターくらい吹くようなコンディションで、
追い風はいいんですけど、迎え返すのがめちゃめちゃ厳しくて、
途中からすごい体力削られて、
みんなタマサブのメンバーはずっと頑張って維持してたんですけど、
僕はもうついていけないなと思って、27キロくらいだいぶ落としたんですよね。
ゆっくりおいしいものをエイドでいっぱい食べて、後半はいいやと思って。
僕の計算だったら40キロくらいで、サブスリー集団のペイさんに追いつかれたなと思っていたら、
39:05
あろうことが37キロ追いつかれちゃったんで、
40キロ追いつかれたら残り2キロは頑張ればついて行くし、
頑張れなかったら諦めようと思って。
思えるのか早く追いつかれちゃって、これは俺めっちゃ遅いなと思って、
38キロに知り合いの東京から応援に来てる人たちがいて、
僕みたいなくて、昔のランナーカバー応援に来てて、僕もその一人だったの。
その人たちが鬼の行走で女性スタイルだったんですけど、
そんなとこへ答えるなみたいな感じで応援されてて、
恐怖の中を声を張り叫んがられて応援されてて、
サブスリー集団に絶対ついて行けるかなと思って、
そこでめっちゃ頑張ってついて行って、
そしたら意外とものすごく、
昨日4分35分くらいで走ってたんですけど、
急に4分15分に戻って、追いつけて、
その前は映像を楽しんでいっぱい食べてたんだけど、
今回よく分からないかもしれないですけど。
ついて行けて、向かい風でしんどかったんですけど、
ついて行けた後に、41キロぐらいの時に、
ペースは2人いたんですけど、
そのうちの一人の女性の方の人が、
もうそこについてきたのが10人くらいしかいなかったんですけど、
私こうからかるから、ついて行く人は来てねとか言われて、
結構僕もその時かなり気持ちが乗ってきてたんで、
もうついて行こうと思って、
最後だから3分55分くらいで1キロが1.5km出して、
だいぶタイムが上がったんですけどね。
意外と今までそんな後半どんどん潰れることが多かったんですけどね。
最後にグワッと盛り返せたっていうのがあって、
ついでに初サブスリーグに。
しんさんっていう前の会長に最初に知ってて受験されたり、
あと仲間の37キロの方にすごくありがたかったですね。
気持ちはもうついていけないなと思ってたところで、
必死にくらいついていけたら意外といけたなと。
そんなレースでしたね。
ドラマチックな展開ですね。
本当に。
その後本当は自分が怪我しちゃったので、
そこでやっといて良かったなと。
他の3レースでもダメだったので。
本当にその時のいろんなことが重なって実現できた感じですよね。
そうですね。
その前の1年半ぐらい怪我してた黒川さんのリミッツの体作りがね、
42:03
結構生きてたから後半にものすごい足が残ってた気がします。
そんな感じですよね。
多摩サブの練習会にはいつ頃からご参加されていたんですか?
それも同じリミッツのちょっと前ぐらいから。
実はその前に、さっき37キロに応援してくれた人たちとはね、
もうちょっと亡くなられた資生堂の監督だった川越さんという監督さんの
インターネットをベースにしたランニングチームがあって、
そこでちょっと知り合いになってたんですよね。
川越さんの教え方もまさに、ちょっと僕が3時間半達成の時と似てるんですけど、
フルマラソンの練習は42キロとか走る人じゃなくても25から30でいいですと。
25から30なんだけども、必ず最後の5キロ上げてくださいと。
その手前は息が上がらないペースを自分で掴んで、
それで走っておいて、最後の5キロをできれば10秒とか上げて、
5キロ走り切るというのを繰り返してやっていると
走力がすごく上がってくるし、体の中にすごいリズムが生まれるという話を川越さんいつもされていて、
そうだなと思って、確かに1年くらいに入ってたんですけど、
その後にまた司令から誘われて、ちょっと球探って、
僕がこの辺りに住んでるんで、近いところにあるからね、一回行ってみないと。
いやでも、なんかめっちゃハードル高そうだなと思って。
サムスリーの半分以上のサムスリーをやってると、そりゃちょっとしんどいなと思いながらも一回ちょっと緊張して行ったら、
あ、なかなか良い親父ばかりだなって言って、自分もそう思うんですけど。
そこもね、基本はもうペース走じゃないですか。
で、最後の5キロを上げるサーキルの際だから、
自分が習っている、川越さんが習っているメソッドがそのまま使えるなと思ってね。
で、入って、自分はどちらかというと最後に上げる練習にいつも使っているんですよね。
うんうんうん、そうなんですね。
で、タマサブのメンバーもその当日、いらっしゃってたり、元会長さんの声援とかあったから、やっぱりそういう力も。
そう、そうなんですよ。
だから、僕は途中手を抜いたから最後まで思ったんですけど、
やっぱりあの風の中でね、みんなもうペース維持しようとした人がめちゃめちゃ削られてます。
でも最後、みんな祝ってくれたというか喜んでくれた。本当にありがとかったですね。
45:04
いや、すごいですね。だから10年ぐらいかかって3時間48分が58分?
そうですね。だから初めてからちょうど14年目ぐらいでサブスリーに到達したというかね、そんな感じで。
それで例のランナーズのやつに、タマサブの推薦もあって出させてもらったんですけどね。
ランナーズの方に取材をされて、実際に八玉さんの取材の記事が出たっていうところですもんね。
そうですね。去年の2月ですね。
だから10年の壁って、島田ではよく言われて、10年経って伸びないとちょっと諦める人が多いと。
でもそうじゃない例をちょっと挙げてみようということで選んでいただいたんですけど。
ありがとうございます。でも今日のポッドキャストはこの記事ではまた聞けないいろんな意味が詰まってますね。
本当に。記事も素晴らしいですし、でもそれ以外のいろんな要因があってね、そこに至ってるっていうので。
なんか聞いてる人もすごく希望になるんじゃないのかなと思います。
僕はいろんな人に、八玉さんの人にもそうなんですけど、僕はだから50代になって4時間切れなくなってたし、
ちょっと前まで3時間半なかなか切れない、3時間5分からの壁も結構感じてたんで、
でもふとしたきっかけでそれを乗り越えられるっていうかね。
その壁って自分が勝手に思い込んでるだけなんだと思うからね。
なんかちょっと練習をしとって変えたりとか、僕が担当を取った時はまさにそれだけで、
なんかやることに対する集中力がだいぶ変わった気がするので、
それは走りもそうなんですけど、仕事もそうなんですけど、
なんかちょっと考え方がすっと変わっていったら結構ね、結果も変わってくるっていうのを結構実感したので、
なんかそういうのをうまく伝えたいなっていつも思ったんですけどね。
今日のお話聞いてくださる方がいれば、それはすごく伝わるんじゃないのかなと。
そうだとありがたいなと。
思います。
僕の、その時の僕、全然皆さんの方が早いからね、
もっとちょっと頑張れば全然早くなるんだなってよく思ったりしてます。
知らなかったです。本当に。
48:01
もっと矢沢さんはもともともう3時間半くらいの走力で、それで達成されたのかなって勝手に思ったりもしたんですけども。
当時ね、4時間くらいの時に思ってたのは、当時ね、3時間半とか3時間40分切る人ですが、
僕からするとね、全然手の届かない人たちだと思って、
あの人たちとはちょっと自分は別だから、
それであえて僕も全然違うクラスの下の方で練習をするんですよね。
なんかちょっと一緒に入っちゃうと迷惑かけちゃうんだよね。
そんな感じで見てたんですけど、
自分がそこの3時間半くらいになってくると、
とはいっても3時間、いわゆるサブスリーの人はね、
この人たちもともと陸上に向いてるそうだからね、
いう風に思ってましたけどね、ずっと。
なんかそれがやってるうちになんかそれは単なる思い込みだったなみたいな気がするんで。
ありがとうございます。すごい良い話を聞いてきました。
今回もご視聴ありがとうございました。
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