00:04
社長に聞く!in WizBiz
本日の社長に聞く!in WizBizは、調査としても、セミナー講師としても、研修講師としても著名な嶋津良智様にお越しいただいています。
まずは、経歴を読み上げさせていただきます。
大学卒業後、IT系ベンチャー企業に入社。
同期100名の中でトップセルフファンとして活躍されていらっしゃいます。
その功績が認められ、24歳の若さで最年少営業部長に抜擢。
就任3ヶ月で担当部の成績が全国ナンバーワンになる、などの活躍をされていらっしゃいます。
その後、28歳で独立起業し、M&Aで2004年、52のこの企業まで育て上げ、株式上場IPOを果たされていらっしゃいます。
今現在は、教育機関リーダーズアカデミーを設立し、その推進を行っていらっしゃいます。
著書にも100万文を突破した送らない技術などベストセラーの著書本をお書きになっていらっしゃいます。
研修コンサルタントと言えばよろしいでしょうか。有名な研修コンサルタントとも言えますし、社長用としても成功されている島田さんを今日はお招きしております。
よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
それでは最初のご質問ですが、出身は東京というふうにお聞きしているんですが、東京でよろしかったでしょうか。
はい、東京の古い方ならわかると思うんですけれども、志村県の東村山というところですね。
はい。いくつぐらいまで東京にいらっしゃったんでしょうか。
6歳までいらっしゃいました。
そうであったんですか。その頃の思い出なんて残っていらっしゃいますか。
いや、ほとんどないですね。幼稚園の頃なんで。
なるほど。
お友達と将来結婚しようねって約束したことぐらいですかね。
その頃からやっぱり表になったらしいですね。
いやいやいや。
その後、横須賀におうつになっていらっしゃって、小学校中学校は横須賀でいらっしゃいますね。
そうですね。
その頃の思い出なんてございますか。
思い出ですか。そうですね。大好きだった女の子が転院校をしちゃったとか、そんなことですかね。
島洲さん、私は真面目に付き合っているので、こんなに女性話がお得意とは思わなかったんですが。
思い出って聞かれるとそういうこと思い出す。
なるほど。ちっちゃい頃はどんなお子さんだったかなんてございますか。
そうですね。まずは転院校は全くしなかったですね。
我々世代は野球なんで、野球やって、友達と毎日日が暮れるまで遊んで、そんなことばっかりやってましたね。
なるほど。研修講師をやられていらっしゃる姿化せば、頭の良さそうな島洲さんというイメージなんですか。
全然。
高校はまた別の場所でいらっしゃいますか。
そうですね。父の転勤で栃木のほうに行って、高校は栃木で出ました。
なるほど。その頃はどんな高校時代をお過ごしになられたんですか。
03:01
僕はさっき言ったように全然勉強しなかったんですけど、高校受験促入失敗をして、行きたくない高校に行くことになって、
高校2年の時だったんですけどね、促入学年でアイドル的存在の女の子がいたんですけどね、
偶然その女の子と同じクラスになったんですよ。
その時にその彼女は賢くて美人だったんですけど、こいつと俺何が違うかなって思ったんですよ。
その時に初めて努力を俺はしてないんだって気づいて、努力をしたら彼女みたいになれるのかなと思って、
初めて勉強っていうものに目覚めて一緒に勉強したんですよ。
そしたらその彼女が一番で僕が二番だったんですよ。
やればできるじゃんと思って、高校の時は無試験で大学に行くことばっかり考えて一緒に勉強しましたね。
あとは音楽に明け暮れてましたね。
そうでらっしゃいますか。
その美人の女性の方とは何か付き合ったとかそういうのありますか。
あったことです。僕の親友と付き合ってました。
そうですかそうですか。
大学の方に進学されて、大学時代ではどんな風なことをしていましたか。
大学時代はバイトとバンドに明け暮れてましたね。
バンドは何系のバンドだったんですか。
ロックバンドです。ハードロックです。
じゃあ島津さんの年代だとガンズとかそっちの。
いやもっと古いですね。
メタリカとか。
スタートはキスとか。
キスとか。
あとはレインボーとかディーパープルとかジュースプリストとかモトリー・クルーとか。
あとその後すぐオリジナルでずっとやってたんで。
そうですかそうですか。バンドでデビューしようなんて考えてましたか。
当時は思ってましたけど、今から思うとまあまあまあ弱かったですよね。
ただ願望です。
そうですか。
その後大学卒業後ITベンチャー企業にお勤めになりご就職なされていらっしゃいますが、音楽を捨ててITベンチャー企業でよろしかったですか。
捨てたっていうとかっこいいですけど、自分が一番才能がないの分かってたんで普通に就職活動して入ったんですけどね。
僕は本当に頭が悪かったんでどこも雇ってくれなくて、人生唯一ない系と言われるものをもらったのは生涯一社しかないんですよ。
そこの会社にも入るしか選択肢がなかったんで入ったって感じですね。
やりたいことがあったわけじゃないし入りたい価値があったわけでもないんであったことでもいいやと思って入ったんで。
私と一緒ですね。私も100社受けてベンチャーリンクしか受からなかったんで。
本当にどうも分からなかったんですよ。
選ぶというよりはそこしかなかったって感じで。
お入りになってもう24歳では営業部長ですから2,3年で営業部長ですか。
06:02
そうですね。俗に言う今でベンチャー企業と言われる当時社員400名くらいの会社なんですけど。
俗に言う会社も若いしいる人も若くて頑張ったら頑張っただけ評価をしてくれるタイプの会社だったんで。
いろんなことがある中でたまたま頑張る機会があって頑張って評価されたんで。
25くらいの時には50名くらい頑張ってやってましたね。
すごいですね。入社当初から営業成績は良かったんですか。
全然出てくれなかったです。
たまたまある素晴らしいリーダーとの出会いで僕は変わったっていう。
ある意味その経験があるんでその体験から育てる側が良くなればもっと社会も企業も人も良くなるっていう僕の思いがあって。
今リーダー育成っていうことを専門領域としてやってるんですね。
なるほど。できればエピソードとか教えていただきたいんですけど。
変わったエピソードなんてございますか。
変わったエピソードですか。ちょっと長くなるな。大丈夫かな。
最初のリーダーというのが僕の2人目にすごく人生変えてくれたリーダー2人目のリーダーだったんですけど。
1人目のリーダーというのが見込みを作ったら同行してやるから見込み作ってこいっていうタイプのリーダーだったんですけど。
それで見込みを作って帰ってくるとここが情報不足だからもうちょっと情報収集ちょっともう一回してこいとか。
これだったらお前でもこうやって話せばうまくいくかもしれないからちょっと自分で頑張って栄養してきてみろとかそういうタイプのリーダーだったんですよ。
今から思うと多分ね同行するのが面倒くさかっただけなんですよ。
2人目のリーダーが一番最初に僕に言ってくれたのが俺が必ずお前を売らせるようにしてやるからってこう言ってくれたんですよ。
楽しいリーダーだなと思って。
最初のリーダーとの最大の違いは何かっていうと俗にOJTじゃないですけど現場でずっと同行をしてくれたんですよね。
それによって業館っていうのがつかめるようになってきたんですよ。
業館っていうのは付き合ってた恋人が同棲したりとか付き合ってた恋人が結婚したりとかして一つ屋根の下に住み始めたらいろいろ見えてくる部分ってあるじゃないですか。
あの感覚なんですけど一緒に毎日同行していろいろ営業を見せてもらえたおかげでこうやってやるとお客さんってメリット感じてくれるんだとかこういう状況だとこういう提案するとお客さんってメリット感じてくれるんだとか
こう言ってきたらこういう風に返すとお客さんって労働とか納得してくれるんだとか今まで見えなかったものがいろいろ見えてくれるようになって
あとは例えば一緒にお客さんのところに行って僕は何も喋ってないしそれこそ何もやらなさそうに隣で眠くなっちゃうような感じだったんですけど
そのお客さん先で契約取れて外出たらカバンの中に出た契約書を出してこの契約はお前が取ったことにして会社に持って帰れって契約をくれたりとか
09:08
さらには全然違うところで営業してて帰りに上司から電話がかかってきて今日一緒に帰ろうよって言うからいいですよって待ち合わせたらカバンの中で契約書を出して
これをお前が取ったことにして持って帰れって契約書をくれて僕もアマちゃんだったんでマジですかマジですかマジですかとか言いながら
平気で契約書をもらって会社に持って帰ったりとかしちゃってたんですけどそれによって初めて目標達成をさせてもらったんですよね
僕の力でもなんでもないんですけどそれによって僕は成功の擬似体験というのをさせてもらって
モルマって達成するとこういったことが起こるんだとか目標達成すると周りがこういうふうに反応するんだみたいなそういったものを感じさせてもらえたんですよね
やっぱり人って一回登った山ってなかなか下りたがらないじゃないですか
だから今度こそ自分で頑張ってみようかなっていう気持ちも湧いてきて頑張って
よく聞かずによく聞かずに忘れましたけどずっとノルマを切らないような営業マンになれたっていうところがあったんですよね
僕みたいに何の才能も取り柄もなくてもそうやって本当に素晴らしいリーダーとの出会いによって変わるんだなっていうのを本当に体験体感したんで
ぜひリーダーの方々にその辺を伝えたいというふうな思いがあるんですよ
24歳で営業部長になられて50人の部下いらっしゃいますがその頃はご苦労とかはされていらっしゃらないんですか
半端じゃないですよ24後の小僧で戦略だとかそんなことはさっぱりわかってない頃でしたから
本当にただ部下をこぶして煽って僕は世間で言うと僕が好きな言葉なんですけど
世間で言うと気合と根性的っていうんですかね
ところで本当にもう部下に頑張ってもらってたっていう感じだったんで
まあそりゃ部下からいろんな反発も受けたりそれこそ辞めてしまったりとかいろんなことがありましたけど
でもあれが僕の原点でもありマネージャーとしての原点であり後悔は実は一切してないんですよ
ただあの時はやっぱり僕なりにはベストを尽くしてたつもりなんで
今から思うとっていうことはもちろんたくさんあるんですけどね
でもあれがあったからっていうので感謝してますよね
でもだから3ヶ月でトップ全国一位が立てるってことは
もともとマネージメントの能力があられたのかなと思いながら経歴を見させていただいてたんですが
たまたま僕がマネージャーになる前のチームは僕がもう要するに僕の上に上司がいたわけですよ
その上司が俗に言うちょっとハーってタイプの上司だったんですよ
それに対して僕が俺だったらこうする俺だったらこうやるみたいなのが常にあった中で僕がリーダーになったんで
12:00
すごい反面恐怖的にやったんで当時の僕からすると嫌だったことが全部解消されたような僕がリーダーになったんで
そういう面で一気に駆け上がっていったみたいなところはあると思うんですよね
お話聞いてると志村さんの単純な顔や体からだと思いますが
すごいスマートにうまくやってらっしゃってあんまり苦労したようには思えないんですけど
本とかに書いてあるので詳しいことはもし読んでいただけたら嬉しいんですけど
いろいろありましたよやっぱり
その後は24から28のたった4年後もう独立をされてらっしゃって
何かもうたった4年で学びきったとかそういうのがあったんですか
理由は3つあったんですね
一つはさっき言ったように頑張っただけ評価してくれたみたいなのがあった中で
僕の上っていうのは担当役員しかいなかったんですよ
その時に実力主義の会社ではあったんですけどやっぱり上に行けば行くほど多少年功上列みたいなのもあって
どう考えても僕は飛び抜けて頑張ってたらよかったんですけど
そうではなかったんでどう考えても次は俺じゃないなと思った時に
急に先が頑張ったら頑張っただけ評価してもらってただけに
急に次先が見えなくなってしまったっていうのが一つあったんですよね
それともう一つがどっちかっていうといけいけどんどん系の会社だったんで
新規新規新規みたいな感じ新規でお客さんを増やすみたいな感じだったんですよ
でも僕はやっぱり機械も扱ってましたからいずれ壊れるんだから
壊れた時にまたうちから変えてもらえるように
もっとお客さんをちゃんと守るべきじゃないかみたいなので
そのお客さんに対する考え方の創意と
あとはやっぱり一番決定的だったのが自由にやらせてもらった分成長できて
本当に今からもっと感謝もしてるんですけど
でも売り上げの追及もやっぱり厳しかったわけですよね
そんな中でじゃあこういうふうにやらせてほしいとか
高品質させてほしいみたいな話を上に提案していくと
お前の部署だけ特別扱いできないとかそんな契機はないとか
そういったような感じのことを言われて
なんかもっと自由にね
もっと自分の思いや考えを素直に反映させられるような仕事の仕方ができないもんかなみたいな
主にはこの3つの理由で辞めることを先行させて
僕は全然独立志向がなかったので
たまたま僕より1年先に辞めた僕の親友がいて
その彼に実は俺も辞めることにしたって話に行ったら
じゃあうち来て一緒にやろうよって言ってくれて
副社長で迎えてくれるって言ったんで
その彼と一緒にやるつもりだったんですよ
1ヶ月前に当時の部会に行っていいっていうふうに役員から言われてたんで
1ヶ月前に実は俺今月末で辞めることになってるんだっていう話をしたら
その中の何人かの人間が
柴田さんどうするんですかって言うから
いや俺はこういうやつの会社行くよって言ったら
僕らも辞めたいんで一緒に何かやりましょうよみたいなことを言ってくれたんで
15:01
それもありかなと思って独立をすることにしたんですよ
独立するのは決めたらいいんですけど
ノウハウが何もないわけですよね
結局今の会社やってることしかノウハウがなかったんで
結局同じ業種同じ業態で独立して始めたっていう感じですよね
3分コンサルティング
ウィズビズが社長の悩みを解決
こんにちは
本日の3分コンサルティングは
P社様年少40億円で従業員が30名ということで
医療介護福祉用具販売のレンタル業ということを出らっしゃいます
弊社は医療介護福祉用具の卸売業レンタル業を行っております
事業は20年ほどの実績を持ち
リピーターには目覚めましたが
ここ1年ほど方向性が変わってきました
20年って言うと結構早々期からやってらっしゃいますね
付き合いの長い顧客からのクレームがだんだんと増え
私のところまでクレームの詳細が等価格になっているのです
この現場を考えると
若手のA君を課長に送信させたことを
クレームが増え始めたところが一致したのが
ここではないかと思います
弊社は前例のない昇進福祉業だったためか
部下たちがA君の指示を聞かない
報告しないという問題が出ています
社内風土改善のためにどのような指導を部下にすればよいでしょうか
ご意見をいただければ幸いに存じます
ということで
まずクレームが出ているというところは
分かっていらっしゃるのであれば
そのクレームを拾いに社長様自らが行かなきゃいけないです
基本的に外科手術に近いですね
一番最初はやはり止血とか外科手術とかをしないといけません
その後体質改善ですので
組織風土社内組織風土企業文化の改善ということになってくるわけですが
一番最初はやはりクレームを減らすというので
止血をしなければいけない
もう一つは情報が上がってこない組織を
つくってしまっているというふうに
ここが問題になっております
おそらく社長様もお気づきになっていらっしゃる点
なんじゃないかと思います
そういう意味では
ある意味A君を課長に昇進させたのであれば
A君とはほぼ毎日ようにお話をしていただき
どうやって情報収集するかというのをやらなきゃいけないですね
私は昔東商一部上場企業で
役員として全国8支店の支店長の面倒を見ていたことがありますが
やっぱり支店長にしたばっかりであったりとか
一番実力のない支店長というのがいたときには
毎日電話で話すのは当たり前
場合によってはほぼそばにいると
ある時ある支店長が急遽辞めることになって
女性の支店長が辞めることになって
マネージャーが辞めることになって
急遽サブマネージャーをマネージャーにしたときは
全然分かっていないので
私自身が毎日毎日朝昼晩とずっと指導して
彼は後から言っていましたが家帰れなくなったと
なぜならば8支店を面倒を見ている新大佐が
全部の状況をつかんでいて
自分は急に自分の支店にいるのに
何も分かっていなくて
情報が全然つかめていない
18:01
8人の部下がいるけれども
どういうことをしているか
日報を毎日読んでいたはずなのに
イメージが分かないと
こういうことで私からどんどん毎日のように
違うここが間違っている
ここはこうなっている
いやあそこの企業が抜けている
日報に書いてあったはずだと
こういう感じで言われて家に帰れなくなった
東京に住んでいるのに東京の家に帰れない
東京で勤務しているのに
それぐらいまず社長様自ら降りていって
課長様A君を課長様をご主導されるとともに
情報もそのA君のAさんの下
A課長様の下のメンバーから
情報をすべて吸い上げられる状態を
つくらねばならないのが
社長様の一番の仕事ですね
社長というのはすごいもので
通常うまく回っているときは
何もしなきゃいけませんし
何か問題点があったら
一番最後ギリギリの現場まで行かなきゃいけない
ですので今回のケースで言うと
まずはクレームの対処方法をすることで
死結をすると
その上で下課手図として
A君を一気にレベルの高い課長に引き上げる
そして現場の情報も取れるようにすると
もちろんその中で問題事がいるならば
社長自らが見に行って
これは問題だというのならば
首を切るということまで
やらなきゃいけないんじゃないかと思います
もちろん中には首を切る必要性はなくて
ただその中で
前向きにしぼりふりをしたいけど
A課長がちゃんと乗ってくれないとかもあるでしょうか
その不満も聞いてあげるということも
社長様の重要なお仕事なんではないかと思います
そして最後は
A君を育ててきましたら
まずは前向きな組織風土に変え
他のチームもあられるでしょうから
他の課もあられるでしょうか
そこも含めて
社内全体の組織風土改善というのを
行っていくというのが
重要なんじゃないかと思っております
以上です
以上で終わりたいと思います
ありがとうございました
本日の3分コンサルティングはここまで
また来週
最後までお聞きいただきまして
誠にありがとうございました
本日のポッドキャストはここまでになります
また来週お楽しみに