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2017-09-06 21:49

第35回 寺澤康介氏(ProFuture株式会社代表取締役社長)【前編】

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6万人以上の会員を持つ日本最大級の人事ポータルサイト「HRプロ」、約1万5千人が参加する日本最大級の人事フォーラム「HRサミット」を運営する、ProFuture株式会社代表取締役社長寺澤社長にお越しいただきました。

好きなことに「仕事」と挙げるくらい、経営者としての仕事に邁進されている寺澤社長は、「いかに仕事を楽しくできるか」が重要だと言います。これから起業を志す方・経営者の皆様へのお言葉も、多くの修羅場をくぐり抜けてきたという寺澤社長様ならではの力強さです。ぜひお聞きください!


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社長に聞く＀in WizBiz
本日の社長に聞く＀in WizBizは、HRプロで有名なProFuture株式会社の寺澤社長様でいらっしゃいます。
まずは、ご経歴をご紹介いたします。
1986年、慶応大学卒業後、就職情報会社役員等を得て、
2007年に採用プロ.com株式会社、後のHRプロさん、そして15年にProFutureさんに社名変更されていらっしゃいますが、
そちらを設立され、代表取締役に就任されていらっしゃいます。
人事ポータルサイトHRプロ、経営者向けサイトKプロ、
専門最大級の人事イベント、HRサミット、HRテクノロジーサミット等を運営されていらっしゃる社長様でいらっしゃいます。
この人材採用関連では大変有名な社長様でいらっしゃいます。
それでは、最初のご質問ですが、ご出身はどちらの県ご出身でいらっしゃるんですか。
生まれたのは兵庫県の神戸市ですね。
幼稚園のときに引っ越して板見市で、大学に入るまではそちらのほうにおりました。
空港のある板見市ですね。
そうですね。
小学校、中学校時代の幼少期はどんなお子さんでいらっしゃったんですか。
ごくごく普通の男の子だったと思いますね。
中学高校で中高一環の男子校に行ったので、基本的には男まみれの中でサークルをやったり、友達と遊んだりということで、ごくごく一般的な学生だったと思います。
高校時代はどんなことをして過ごせたなんて思い出はありますか。
クラブとしては剣道部に入ってまして、高校2年の途中で修了ということで、それからは受験のための勉強に入るということで、特にサークル以外ではこれといって何かやっていたというわけではないですね。
総合大学、慶応大学にご進学をされていらっしゃいまして、寺佐書様の見た目もかっこよくて慶応ボーイという感じで。
いえいえ、全然そんなことないです。
さらに剣道ということで、すごい表になったんじゃないかなと思うんですが、何か慶応を選ばれた理由というのはあられたんでしょうか。
兄が慶応の文学部に行ってまして、4年上だったので、ちょうど兄が卒業する年だったんですけれども、私は地元の国立大学を受けて、東京の私学を受けようということで、
慶応だけ受けて、それで地元の国立が落ちたので、慶応に行ったということで、特に慶応を狙ければいけないという気持ちはなかったんですけれども、
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これもたまたま兄が行っていて、兄が大学4年生のときに私が下宿に行って、受けるのに都合がいいからというような非常に安易な理由で受けましたね。
なるほど。でも慶応ってことは頭もよろしかったってことですか。
いえいえ、そんなことはないですよ、たまたま。
大学時代はどんなことをして過ごされたんですか。
大学時代は文学部の中でも哲学系のことが好きで、ちょっとそちらのことを学びつつ、学科としては当時新設の学科だった人間関係学科、人間科学専攻というところに行って、
当時は新しい学問ということで、人間を基軸に学際的な学部ということで、心理学だったり社会学だったり哲学だったり、いろんなものが寄せ集まったようなところでした。
そこを専攻しつつ、サークルのほうは今度は登山のサークルに入りまして、前半はまだ勉強したんですけど、後半はあまり学校にも行かずにというような感じでしたね。
今のお話を聞いていると、今のお仕事柄も人関連といいますか、何か通じるものがあるんですか。
いや、これも全く偶然でして、大学卒業して大学院に行こうと、当時哲学科の大学院に行こうと思っていまして、
それで就職活動は社会経験の一環のような感じで、いくつかマスコミ系の匂いのするところにいくつかはがきを当時は出して受けた。
中の一つが、たまたまラジオ局の冠が頭につく会社でして、ラジオ局だと思って受けに行ったら、たまたま就職情報会社だったということで、
数社受けたうちの一社、そこに今内定をもらって、大学院に行くつもりだったんですが、大学院に落ちまして、じゃあちょっとこれは金を稼がなきゃいけないと。
1年ぐらい働いてみるかということで、就職情報会社で働いたというのがきっかけで、就職関連に行こうとか、人関連のところに行こうなんていう頭は全くなく、偶然受けたところはそうだったというところですね。
なるほど。じゃあ、大学で勉強したこととは全然関係ないほうに行こうとしたら、また元に戻ったみたいな感じのイメージですかね。
そうですね。大学時代に学んでたことと、就職をしてから仕事で人関連のことをやったというのは全く別な内容になっていますので、大学時代は哲学だとか社会学とかをやってましたから、正直卒業してからそれが役に立ったということは正直あんまりないかもしれないですね。
新卒で就職情報会社に入られて、そのまま役員までなられたということですか。
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これが正確に言いますと、最初に入った会社は14年ほど勤めたんですけども、そこの際は部長でしたね。
当時、株主が変わったり経営体制が大きく変わるということで、ちょっとそのときにこの会社に残るのは嫌だなと思って、部長クラスの人が7人出て新しい会社をつくったんですね。
それが私の経験からすると2社目になるわけですけども、そのときは7人でつくったメンバーの1人で常務になったわけですけども、そこで役員になったと。
常務でいて、そこは6年間いて、それから今の会社をつくったのが2007年ですね。
なるほど。
じゃあ、もともと新卒で入られた会社から飛び出て7人で起業したというのが2社目ということですか。
そうです。
なるほどな。
業種としては同じ就職情報系の会社ですか。
はい。2社目は同じ就職情報会社でしたね。
私が起業した、サイオプロドットコムとして起業したところは、これは就職情報会社ではなくて、ちょっと新しいビジネスモデルの当時としては会社だったんですけれども、
1社目、2社目は同じく就職情報関連の会社でした。
なるほど。何か社会人になられてからでも構いませんし、2社目の件でも構いませんが、苦労したこととかそういうのは思いではございませんか。
苦労はいっぱいしましたね。
最初の会社は本当に社会人1年目で会社に入ったときは、実は就職活動中就職する気がそもそもないので、いい加減な就職活動をしまして、何がやりたいかと聞かれて、いや、やりたいことは特にないですと。
でもやりたくないことは決まっていますと。それは営業だと言っていたんですね。
営業という職種が非常に当時知らないくせに嫌な職種だというふうに思い込んでいて、営業が嫌だと言われて採用された会社なので、当然違う部署に行くだろうと。
企画部門、あえて言うのだったら企画部門がいいというふうにして、じゃあ企画部門でというような話で採用されたんですけれども、
実際入ってみると営業だと言われて、もうすぐやめたいと思いましたね。
嫌で嫌でしようがなかったんですけれども、その中で何とかやっていくうちに営業の面白さというのがわかってきて、
1年目の途中に、営業が一番面白いんじゃないかというぐらいに面白くなって、それで大学院に本来的には受け直す予定だったんですけれども、
大学の先生からもそういうふうに言われてたんですが、やめたと。
仕事のほうが面白いということで、そのまま大学院に戻らずに仕事をしたと。
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最初は社会人になって半年ぐらいは生き地獄みたいな感じですね。
本当に社会人になるってこんなに嫌なことなのかというのが社会人のスタートでしたね。
その営業好きになったきっかけとかはございましたでしょうか。
法人営業で企業に通って物を売ると。
もともとのイメージは、お客さんに対して言葉はあれですけど、ちょっとこびへつらって物を売らないと、
仕立てに出て物を売らないと物って売れないんだと思って、それが嫌だったわけですけれども、そんなことをしてても全然売れないと。
お客さんの立場に至ってお客さんのニーズを把握して、それに対して商品を売るというよりも企画内容を売る提案営業というのを心がけるようにしました。
これは先輩を見ていたり、あとは自分自身はもともと営業に向いていないと思っていたので、理屈つけないような物が売れないと。
そういうので提案書をいっぱい作って持って行ったりしていたときに、ある総合提案をしていたお客さんから提案された物を全部やると言われて、
相当な額だったのでびっくりして、なぜやってくれるんですかという話をしたら、あなたを信用したからだというふうに言われて、
これは天にも舞い上がるぐらい嬉しくて、営業の面白さってこういうことなんだというふうに気がついて、
それからもう仕事に対する考え方ややり方というのがガラッと変わっていったと。
これはもうある意味対等だし、お客さんのニーズを顕在的なものはもちろんですけど、潜在的なものまで引き出して、それに対して提案をして受け入れてもらって、
それを成果に結びつけていくというのが一番職種としては面白いんじゃないかというぐらいに、完全に考え方が変わったというようなことがありましたね。
なるほど。
今の社長業にも通ずる部分がそのときの経験ですか。
そうですね。
そういう意味では、もともと私が営業を嫌っていたので、最初に無理やりにでも営業に就けさせられないと、
自分で選択するということになれば営業という仕事をしなかったと思うんですけども、
それが無理にでもやってみて、その面白さに気がついてできたと。
当然、ビジネスの基本は営業だと思いますので、お客さんがあってのことですから、そこを経験できた、最初に経験できたということは非常に財産でしたし、
それが今でも私のコアなベースになっているというふうに思いますね。
なるほど。
その後、2社目のほうの常務をやられた後、2007年に起業されていらっしゃるんですが、
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これは何か2社目の常務でいらっしゃるからそれなりに大切なお立場だったと思うんですが、
それをやめてまで社長になろう、起業しようと思った理由は何かあられたんですか。
もともと7人で作ったときに、前の会社がいろいろ経営的に問題があると考えて飛び出して作ったので、
7人が1つのことを話し合ってやりたいと思って決めたというよりかは、
違う考えを持った7人の部長クラスが外に出て、前の会社がちょっとやばいぞということで、
出て同じような就職情報会社を作って、前の会社をどんどん退職する人が出て、
そこの受け皿になったような、そういう会社だったんですね。
なので、やることも就職情報だと。
当時、私はインターネットビジネスが非常に面白いなと思って、就職情報以外のことをやりたかったんですが、
それはある程度収益が出てからやろうということで就職情報をやったと。
ところが、ある程度利益が出てきて、じゃあ新しいことをやろうというときに、
私がやりたいというのもなかなか通らない。
また、船頭を多くして船を動かすというのも、まさに当時は典型のような形かなと思うんですけれども、
なかなかそれぞれの思惑が一致して、大胆な手を打つということが当時はできないように感じたんですね。
なので、このままいると、当時44歳になるというときでしたので、
このままこのビジネスを50、60ってやっていく中ではもうちょっと時間がないなと思って、
それで自分で会社をやろうというふうに思った次第ですね。
今のプロフューチャーさんの事業がそのまま社長業として創業されていらっしゃるわけですけれども、
当初の構想どおり進んでいらっしゃる感じがありますか。
いや、全くそんなことはないですね。
そうですか。
当初の構想はどんな構想でいらっしゃったんですか。
当初は採用pro.comというふうに社名をつけたように、
基本的には採用担当者のための情報提供する会社になろうと。
当時、私は新卒採用の就職情報会社に行って、非常に業界の問題点というのを感じていて、
それを客観中立的な立場で情報を出していこうと。
それを評価してくれる採用担当者の方々がたくさん集まって、
その方々に情報を提供しながら、
そこをターゲットとするいろんなサービス会社さんとのマッチングをするというビジネスモデルを考えたわけですけれども、
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やっていくうちに採用担当者だけではなく、
やはり採用の問題というのは人事全般に関わることなので、
最初は採用から育成に行って、それから人事管理に行って、システムに行ってと、
どんどん広がっていって、その問題解決をしようというふうに広がっていったというのがあります。
あとはマッチングの仕方などでいうと、
当初構想していて作ったもののおそらく半分以上は捨ててしまって、
より精度の高いマッチングをしていくために常に日々改善、試行錯誤、改善というところで、
やり方、マッチングの仕方も授業の領域も変わっていったというところがあります。
10年やってらっしゃるそうです。
従業員数12名、年少4億、5店舗運営、営業歴2千万、素晴らしいですね。
都内の5店舗の飲食店を経営しています。
それぞれコンセプトの異なる独自ブランドのお店です。
この10年間、熾烈な競争の中、何とか5店舗までお店を増やしてきました。
また、今後5年ほどは営業歴も5%ほどですが、確保できるようになってきました。
そんな中、今2つの課題があります。
1つ目は成長のスピードが遅いことです。
新店舗を出してからお客様に認知され、投資額を回収するまでに時間がかかるのが成長の妨げになっています。
2つ目は全く異なる新たな事業の柱の必要性を強く感じていることです。
営業歴が安定して出せている今、熾烈な外食業界とは別の業界に進出することも必要なのではないかと考えております。
以上2点、ご意見をいただけますと幸いですということでいらっしゃいます。
飲食業、ちょっと一般論からいきますが、外食業、飲食業さんが大きくなろうと思うと、方法論は3つほどになってきます。
1つの方法がフランチャイズ化でも直営化でもいいんですが、マクドナルドとか日本でいうとスカイラックスさんのように、
多店舗展開し、1000店舗とか2000店舗とか、世界的に言えば1万店舗とか展開をし、
フランチャイズと同じチェーンなりを作っていくことで直営チェーンなりを作っていくことで大きくなるというのが1つ目の方法です。
これは同じ1つの業態を伸ばしていくという方法です。
2つ目のパターンは、実言うと食品メーカーになるという方法があります。
飲食店で例えばラーメン屋さんをやっていて並ぶようなお店だったら、そのラーメンを冷凍食品というかチルドにして通販で売っていくということで、
食品メーカー側に行くというのは実言うと方法論の2つ目です。
これで全国、全世界に売っていくということが方法が可能性が出てきます。
3つ目の方法は地域密着で、この医者様のようにある地域に5店舗とか10店舗とかいろんな業態を出していくことで成長していくというパターンがございます。
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このパターンのときには実言うと、例えば大きな会社が近くになったら車植に入ってしまうとか、
または病院があったら病院の一番上に三菱レストランを開いてしまうとか、
私の家の近くの病院には実言うと三菱レストランが一番上のところに入っていまして、
病院に来ないお客さんがなぜかレストランに食べに来るという珍しい病院がございますが、そういうことが可能なんですね。
または飲食業ではなく介護業に出てきたりとか、給食業に出てきたりとか、または食に関係ない老人ホームに出てきたりとかいろんなことが考えられます。
いわゆる地域密着でいろんな業態をやっていくというのが3つ目のパターンです。
この3つのどれかが大きくは一般論的には方法論、成長のスピードを上げていったり大きくなっていったりする方法論の3つなんじゃないかと思います。
どれも良い面悪い面ございます。
そういう意味で言いますと、1つの業態を全国展開するというのは非常にお金もかかりますし、労働力もかかりますし、マネジメント大変ですし苦労もあると思います。
一方で地域密着でやると目の行き届く範囲でやりますので、そういう意味では苦労はチェーン間に比べたら少ないんじゃないかなと。
しかしながら一方でいろんな業態をやることになりますので、その知識が必要になってきます。
この業態はこうしたら儲かるというのが通用しなくなるわけですね。
そういう意味合いでマネジメントという面は別の意味で大変な面もあるんじゃないかなと思います。
一方で食品メーカーになっていく中でやると、やはりどこかの食品メーカーさんと協力してやらなきゃいけないので、
それを探し回らなきゃいけませんし、それがうまく原価安く作れてうまく販売もしなきゃいけないので、
新たに通販というのをやらなきゃいけないので、その知識を得なきゃいけなかったり、
うまく売っていかなきゃいけないので、その辺はご苦労があるんじゃないかと思います。
どれも必ず苦労はありますので、最後は社長様の好みと言いますか、好きなものをやっていくというのが
好きな方法でやっていくというのが一番いいんじゃないかなというのが私の考え方です。
フランチャイズ化をするときは、やはり営業利益が最低でも10%できれば20%ないと、
フランチャーの加盟をしてくれないという問題もあるでしょうし、他の業種に出てくる、
異業種に出てくる、飲食業以外、外食業以外に出てくるとなると知識もないでしょうから、
フランチャーで加盟するとか、そういう方法をもしくはM&Aで買って、
儲かっているお店を買って、儲かっている事業を買ってやるとか、
そういう方法しか最初は難しいのかもしれません。
しかしながら、それをチャレンジしてやることで、これはだめだったな、こっちはよかったなということで、
いくつか失敗を重ねることで、御社、いい社様の行く道と言いますか、
合成が見えてくる部分もあるのではないかと思います。
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ですので、この3つのどれかで戦略的に考えていただければ、
成長スピードを上げることも可能ではないかなというふうに私自身は思っています。
いっぱいあるのでございますので、もし細かい点でご相談がございましたら、
ぜひお越しいただき、直接お答えできればなというふうに思っております。
本日の3分コンサルティングはここまで。
最後までお聞きいただきまして誠にありがとうございました。
本日のポトキャストはここまでになります。
働いてお楽しみに。
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