1. タイマーが大好き
  2. #61 フジロッカーの信越五岳
2023-09-24 2:47:53

#61 フジロッカーの信越五岳

49人目のゲストに野口 拓也さんをお迎えしお話を伺いました。


Instagram ☞ no.99g


• 兵庫県川西市出身

• 小学生からバスケ

• 高専から大学へ編入し大学院へも進学しちゃった

• バンドはドラム担当

• フジロッカー

• きっかけはダイエット

• グレートレースの小原さんを見てトレランを知る

• 初レース2020年FTR25K

• 2021年お試しLDA-RCでの出来事

• 2022年信越五岳でトモさんのペーサー

• 今年の信越五岳を振り返り。


★編集後記★

まだ、トレランを初めて3年とは正直驚きを隠せません。今後もっと色々な経験をすることでどこまで成長するのだろうと楽しみしかないです。本人は気持ちが弱いと言ってましたが100マイルに2戦目にして出し切れるとはメンタルも強いと思います。怪我だけには気を付けて末永く走り続けてることを期待しております。

あ~うらやましい……(あつし)


質問・フィードバック等は「#welovetimer」「#Timers」と付けTwitterより投稿お待ちしてます。

ドネーションを募集しています。ポッドキャスト維持に役立てますのでよろしければこちらからお願いします。

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00:06
ご無沙汰ですね。
そうですね、はい、ご無沙汰ですね。
はい、お疲れ、お疲れ様、田中さんはこれからですね。
えー、疲れてないです、はい。
はい、レイクビワが10月の真ん中ぐらいですか?
いやいや、2週間、2週間後かな、はい。
あ、もうそんなんなんですね。
そんなんです、はい。
あ、じゃあもうちょっと若干ボリュームも抑えられて、あとはペーパーリングな。
いや全然何もしてないです。
あ、そうなんですか。
はい、何もしてないです。
あ、わかりました。
ウェスタンステージからちょっと、あの、まあ、なんだろうな、ダラダラって言い方も変だけど、ちょっと疲労を抜いて、徐々に上げてる感じですね。
まあ、ターゲットはもう来年のUTMBということで。
どう?
レイクビワに関しては特に何かをターゲッティングしてるわけではなくて、そこまでの道のりの一つとして考えてる感じですね。
はい、そうするとじゃあまずはMBに出るためのタイで完走が最低条件って感じなんですか?
いや、まあ最低条件はそうですね、タイで完走かな。
まあタイの目標は年代別入って、そのままUTMBに出るっていうのが。
で、先週、新越都合楽100マイルが開催されまして、詳細は後ほどお話しさせていただければと思うんですけども、
ちょっと私なりのお話になって、私、身内ですね、身内というか家族なんですけども、うちの妻が、
はい。
完走しまして、
はい、おめでとうございます。
ありがとうございます。
まあ、俺がありがとうございますというものなんですけど、その後コーチを田中さんがしていただいて、
で、ペーサーが順次さんっていう厚木大学の方がしていただいて、
はい。
順次さんから田中さんにメッセージがどうもいって、その時の言葉が、精神は肉体を凌駕するという温かいお言葉をいただいて、
温かい言葉が、ちょっとわかりませんけど、
そうですね、若干その意味によって無理をさせてしまったんじゃないかなっていう話でもありますが、
いいです。
カットしてもらって非常によかったかなと。
そうですね、妻も妻で今回初めて、まあ完走が初の100万円、オフィシャルでの完走が初めてだったので、
レースとしての100万円の完走が初めてっていうことですね。
はい、まあいろいろと背負うもの、勝手に背負うというか、まあそうですね、プレッシャーもあり、
ただまあ練習も多分かなりうまく進めていた中で、
はい。
ちょっと私はまああれなんですけど、まあ良い結果が出て、
まあそれは後ほど。
そうですね。
はい。
斎藤家にバックルがまた一つ増えて良かったですけども。
バックルって他に、TDTか。
03:02
TDTが私と妻と、で今回、そうですね、新列、私のではないんですけども。
はい、三つ目ということで。
三つ目ということで。
お世話になります。
ありがとうございます。
はい。
本当にいろいろとお世話になりました。またこれからも多分お世話になると思いますけども。
はい。
こちらもよろしくお願いします。
よろしくお願い致します。
はい。
で、まあ今日のゲストなんですけども、まあいろいろとですね、私も今LDAはちょっと、
LDRCはちょっとまあ辞めてしまったんですけども、
まあ演劇のメンバーからいろいろお話も伺いますし、
コバさんとか田中さん、トモさんからもいろいろお話伺う方が今回のゲストで。
はい。
本人ももしかしたらそう思ってないのかもしれないと思うんですよ。
まあそれが多分すごくいいところだと思うんですけども、
めちゃくちゃ今ズーム上で厳しい顔してるんですけども。
まあ二期、二期エースなんですかね。多分本当にもう。
どうなんですかね。
どうなんですかね。でもまあいろいろとお話伺っております。野口拓也さんです。
はい。
よろしくお願い致します。
はい、野口でーす。よろしくお願いします。野口です。
すっげえ厳しい顔してましたけど、本当に野口君が。
いやそんなことないです。
まあ私は野口君が入った時だったんで、私はちょっともう辞めてる時で。
だから実際ちょっと直接練習することはなかったんですけども、
今年の最の国でビッグマウスの、たぶん純平さんと、高橋純平さんとずっとあれですよね。
あーそうです、はい。
そうですよね。その場でちょっと私もお話しさせていただいて、
非常に物越しの柔らかい高青年だなという印象を僕は受けました、本当に。
恐縮です。
僕はこのポッドキャスト、タイマーが大好きなんですけど、LDA入る前から聴いてて。
ありがとうございます。
入ったら松井さんいらっしゃるかなと思って入ったらいなくて。
そうですね、すいませんでした。
ようやくお話できるようになりました。
ありがとうございます。
よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
まあでもあれ、入ったのは、まあそれはちょっと後でわかりますけど、まだ1年、2年って感じですか?
去年です。
去年ですよね、そうですよね。
確か野口くん、家がちょっと近いんですよ。松山くんとかと同じ時期ですもんね。
あたりが、職場がその辺。
そうですよね、松山くん。あとはあれか、前野さんとか、僕、だってマンデーで。
最近あんまり行けてないんですけど。
まあそうですよね。
そんなちょっと野口くんを紐解いていきたいと思うんですけども、まあまだね年齢も35歳という。
06:09
あ、そうですね、はい。
でも最近でもちょっと100マイル人口の人たちでもちょっとまた、田中さん、若い方多いじゃないですか。
あ、そうなの?ごめん。よくわかってねえわ。
厚木大学周りだと20代の子とかも。
あ、そうなんだ。
そうなんですよ。
はい。
前まで多分35って言ったらすげえ若い人だと思ったんですけどもしかしたら最近そうでもないのかもしれないっていうのがちょっとその100マイルの若干若年なんですかね。
若くなってるっていうのがちょっとこの100マイルの中であるんで、もうおじさんの我々からしてみたらヒーコラヒーコラ言ってしまうところがあるんですけど。
まあ僕でいうの二回りぐらい違うんじゃないですかね。
そうですよね。びっくりしますよね、本当に。
もっと楽しいことやればいいなと思いますけど。
確かにちょっとそこら辺のお話もそうですね。なんでっていうところもあると思うんですけど、後々お伺いできればと思うんですけど。
ちなみに野口君ってご出身はどこなんですか。
出身は兵庫県になりますね。
そうするとじゃあ、あれですね。あんま名前出したくないんですけど、修楽さんと一緒なんですか。
結構大学が近かったりっていう話で話したことありますね。
あんまり無理に話さなくてもいいと思います。
いやいや、いつも楽しく話させてもらった。
いい人だな、本当に。
兵庫だけどあんまり関西弁というか、そこの辺はあんまりないんですか。
そうですね、もともと初心兵庫って言ってるんですけど、生まれ自体はちょっと違うあたりで、親は転勤服だったりするので。
親は関西の人じゃないんですよね。
特に敬語使ってるときはほとんど関西弁が出ないですかね。
関西の人と喋るときは出るみたいな、そんな感じです。
じゃあそこの辺は本当に違和感なく関西弁が話せる感じで。
なるほど。兵庫のちなみにどのあたりなんですか、場所は。
兵庫の河西市ってことです。
河西、はいはい。
どこかって言われるとちょっとわからないですけど、河西は聞いたことあります?
本当ですか。
雨ヶ崎とかの北なので、大阪と兵庫の県境にあると思うんですけど。
なので神戸に行くよりも大阪に行く方が近いみたいな、別のタウンになります。
なるほど。じゃあそうすると若い頃は神戸に行くよりも大阪の方にお買い物しに行ったりとか。
そうですね。この後話すかもしれないですけど、高校時代は河西とかに住んでたりしたので。
なるほど。
その時は神戸だったりしたんですけど。
09:01
なるほど。兵庫県ってでもちょっと横浜、港町だから横浜に近いと言えばちょっと近いところはありますよね。
南京町があったりとか。中華街的なところ。
あと神戸市出身の人は絶対に兵庫出身って言わないあたりとか。神戸市出身は神戸ってなる。
なるほど。今回ちょっと自分野球のお話になって大変恐縮なんですけど、セリーグは阪神が優勝したじゃないですか。
はい。
でパリーグはオリックスバッファローズが優勝したじゃないですか。
はい。
でも大阪の人ってあんまりオリックスが優勝したらそんなに嬉しがらないじゃないですか。
そうですね。同頓堀の警備の数も全然少なかったっていうニュースになってみましたけど。
そこらへんは野口くんが関西にいた頃どうだったんですか。やっぱりちょっと関西は阪神ですみたいな、たぶんそんな感じの文化だったんですか。
そうですね。正直野球時代あんまりっていうところもあるんですけど、やっぱり阪神ファンって感じでしたね。周りを見れば。
ここがね。
近鉄だとかいう人はいなかった気がします。
なるほど。近鉄オリックスに行くやつあんまりいないと。
そうですね。
ここがちょっとなんか田中さん不思議なところですよね。
そうなの。
多分東京だとヤクルトもあれば巨人もある。また横浜ベイスターズもありますし。
結構関東の人ってそこらへんって巨人ファンがもしかしたら大半なのかもしれないでしょうけど、
一個でも本当に阪神、関西圏って、これはステレオタイプなのかもしれないですけど、70%は阪神ファンじゃねえかっていう感じですもんね。
でもそう考えると東京なんてどうなの?ヤクルトと巨人半々って言われるとそうかなと思うけど。
うちは父親がアンチ巨人だったんで、もう浜から昔から横浜、太陽ホイールズの頃から横浜ファンでしたけど。
あっちゃんじゃなくて川崎でしょだって。
川崎です。もともとはロッテオリオンズがいたんですよ。
まあそうだね。
いやでも東京って言ったらでも、やっぱ巨人ファンが多かったような印象なんですかね。
テレビ中継も巨人しかない。ここはたぶん野口くんとこそ野球中継が阪神しかないとかでもあるでしょうね、昔は。
そうだった気がしますね。
そういうもんですよね、やっぱり。情報がないですもんね、テレビぐらいしか。
そうだね。
聴いてラジオつけて何か聞こうっていうのもあんまなかったですし。
12:04
そっか、でも野口くんと自分だと10は違いないのか、8、7近くてもそういう感じなのか。
そんな野口くんなんですけども、学生時代っていうのはどんなスポーツされたんですか。
自分はバスケが長かったですね。
スラムタンク世代。
そうですね、ちょうどバスケットを始めたのが、小学校の右バスからやってたんですけど。
始めるちょっと前にスラムタンクが終わったタイミングだった気がする。兄がいたんで。兄が勝っていて、自分も呼んでたみたいな感じでしたけど。
バスケットね、修楽さんのやってた高校もまあまあ強いですもんね。
そうですね、はい。
あそこ強いですよね。
そうですね、スポーツ強いイメージありますね。
野球とかも強いですし。このバスケ時代っていうのは、野口くんポジションはどこだったんですか。
ご存知の通り身長あんまり大きくないので、ガードか、いわゆるシューティングガードみたいなポジション。
そうするとNBAの方がもしかしたら馴染みが。
あんまり詳しくないですね、NBA。
そうするとまだスラムタンクの方がちょっと知ってたかなと。
そうですね、スラムタンクは結構家にあったんで、だいぶ読み込んでるタイプの方です。
誰が好きでした?
まあ三井久史ですかね。
まあやっぱりそうシューティングガードが三井久史か。
確かにそうなんです。
陣総一郎でもないんですね、そこは。
まあそうですね、やっぱり熱いじゃないですか、三井の方が。
なるほど。でも三井みたいにちょっと横道を反れるようなことは?
まあなかった。
そうするとミニバスと小学校何年ぐらいからバスってやったんですか?
小学校4年生ぐらいからやってたかな。
そうすると最終的にはいつぐらいまで?
高校19ぐらいまでやってたんで。
なるほど。
これぐらいまでですね。
大学までやってたんだ。
この後は話すかもしれないけど、僕高専に行ってたんです。
高専があるんだ、なるほど。
なのでそれの4年生までやってたって感じですね。
なるほど、そっかそっか。
じゃあ変な話、スポーツどころではないですね、高専だったらもう。
まあそうですね。
もう別に毎日練習するとかでも全然なかったですし。
へー。
中学校時代は3年間バスケ部に入ってて、
15:00
で、その時もガーツラスタメンでやられてたんですか?
いや、もうバリバリに補欠でやらせてもらってました。
そうするとそんなにじゃあ、別にそこまでめちゃくちゃ運動が得意っていうわけでもない感じだったんですか?
普通になんか今思い返してもバスケは下手だったなって自分で思うぐらい。
他の球技はどうだったんですか?例えばサッカー、野球とか。
まあなんかサッカーとかはまあそれなりですかね。
まあそのそれなりにはできましたけど。
野球とかなんか道具使う系は割と苦手だなって自覚がありますね。
じゃあバトミントンとかテニスとか、なるほど。
俺ちょっと聞きたかったのがその中学校3年間バスケやって、
高校生に行こうと思ったきっかけってそれ何なんですか?
高校生ですか?
そう、俺周りで、土地柄もあると思うんですけど。
だいたい進学するか就職するかしかいなくて、
高校生を選ぶっていう子が一人もいなくて、
あったのかな、神奈川かちょっとわからないんですけど。
田中さん周りいらっしゃいました?高校生を選ぶ人って。
一人いたかな、仲良いやつでは。
本当ですか?そのお昼ぐらいかな。
高校生って結局4年、5年とかそのくらい行くじゃないですか。
5年じゃない?
5年行きました。
5年行きました。
15歳の段階で5年の学業を選んだ理由とかが色々知りたいなと思ってて。
僕の場合ちょっと特殊かもしれないですけど、
母親が高専出身なんですよ。
なるほど。
兵庫県ではないんですけど。
それもあって、存在は結構昔から知ってて。
家族全員理系みたいな感じなんですよ。
わかる気がします。
兄が一人いて、両親がっていう家族構成なんですけど、
3人とも理系なので、なんとなくそっちに行くのかなっていうのは子供ながらに思ってて。
高専って話もあって、寮生活みたいなのもあるとかないとか聞いてて。
寮生活も楽しそうだなとか思って。
それで見学とか行ったり、話聞いたりとかして、行ってみるかっていう感じですかね。
よく聞くのは確かに高専全寮制っていうのをよく聞くんですけど、
野口くんが住んでたところより高専の学校は遠かった?全然遠かった?
僕は赤城高専のところに行ったんですけど、
18:03
電車で2時間ぐらい。
あ、そんなにかかるんだ。
なので寮に入りたいといえば入れる。
ただ、もっと遠くから通ってる人もいるぐらいの距離で。
全寮制ではなかったので。
どちらも選べたんですけど、
だったら寮でということで。
比較的通いやすいところにある高専だったので、そんなに寮制は多くなかったですね。
その専攻っていうのは何を専攻されてたんですか、その高専は。
電気情報工学科ってところにいましたね。
田中さんわかりますか、電気情報工学っていうのは。
電気系の話と情報系の話をやってたんでしょう。
まさにそうです。
どのまんまなところがありますけど。
電気っていうとどちらか回路系だよね、たぶんね。
そうですよね、回路系。
抵抗とかコンデンサーとか電気回路使うっていうのが。
これが電気電子工学科だからそれをやってたんだけど。
情報系って言ったらプログラミングとか。
情報系の学問って言うとどうなんだろうね。
いろいろあるけど、情報処理ってプログラミングとか今で言う、
どこでやったかわかんないけど、システム作るのにどうする、
勉強とかなんじゃないかなって思うと。そんな感じ?
そんな感じです。
あと通信工学とかちょっともう忘れちゃったんですけど。
ネットワーク系の話。
そういうのもやります。
ネットワーク、なるほど。
アプリケーション層とかそこら辺の話とか。
どっちかと言うともうちょっと下のレイヤーじゃないですか。
もうちょっと下の方ですかね、レイヤーとしては。
物理層とかそこら辺の話なんですかね。
引っ張りなり系なんですね、じゃあ野口君は。
そうですね。
電気情報工学って電気とプログラムが一緒に学ぶっていうのはすごいな。
全然わかんないな。
3年生までは全員同じ勉強して、
4年生の段階で電気電子に行くか、もっと情報をやるか。
自分は電気電子の方に行ったんですけど。
電気電子っていうのはごめんなさい。
将来的にはどういうお仕事に就くケースが多いんですか、そういうのってのは。
どういうケース。
電気系の技術者とかは何も言ってない感じになっちゃいましたけど。
周りで言うと難しいな。
何やる。
基板作るとか。
21:01
基板設計とかわかりやすいと思います。
もっと研究っぽいことをやる人もいますし。
うちの大学でわかりやすいんですけど、電気就任技術者っていうのがあって。
ありますね。
あれを取るとマンションの管理。
マンションの管理人になるんですけど、そんな感じ。
僕それ多分取った気がします。授業でやって。
資格試験とか受けた方が。
国家資格ですよね、多分それは。
それとってマンションの管理人って変な。
いやいやだからあれだよ。退職した後で。
そういうことか。なるほど。
退職した後はそこで働きゃいいわけじゃん。資格持ってんだからって。
はいはいはい。甘くなりとは言わないですけど。
甘くなりではないですけど。
ではないけどね。
なるほど。そこに繋がるんですね。
取っておけばマジ思ったけど。
田中さんも野口くんも電気系だったら卒業するまで。
田中さん大学4年、野口くんの場合高専5年でやっぱり何個か資格は。
それはマストで取らされるもんなんですか?絶対これは取っとけみたいなそういうの。
野口くんの場合はそんなことなかったですね。
ただなんかこの授業受けてたらこの資格とほとんど勉強内容が被ってるから受けたい人がどうか受けにいけばみたいな感じで。
田中さんはどうですか?その資格とか試験っていうのは。
いや何も取らなかった。
そうなんですか。
いや取らなかったんですよ。
残念だよね。
あんまり興味なかった。興味なかったって言い方が悪いんだけど。
電気電子工学科にコンピューターグラフィックをやってる研究室があったからそこに行ったっていうところはあったんで。
なるほど。田中さんはコンピューターグラフィックがやりたかったってことですかね。
興味があったんで。
例えば教師の資格とか電気手にみたいな資格が取れたんだけど、電無視で。
まあ確かにそうですね。
学校に行った感じで。
就職して何にも活かされてないのが残念ですけどね。
野口くん、高校生に行こうと思ったらお母さんの影響もあると思うんですけど、やっぱり何かやりたいことがあったんですか?
中学校3年間、高校生を選ぶにあたってちょっとこれやりたいなみたいなのは。
正直まあ中学生の段階なんで、その漠然と勉強したことと将来やることって全然想像つかない。
ただまあ、エンジニアっぽい感じにはなんとなく漠然と動かれてたのかなとはあるので。
24:01
そうですね、まあそれでって感じです。
まあ今は全然電気、電子と違うことやってはいるんですけど。
まあまあやっぱりは。
寮生活の5年間っていうのはどうでした?この例えば寮内が文献がなんちゃらとか勉強もそうですし、その5年間っていうのは。
まあ楽しかったですけどね。
まあその結構厳しくて、なんか1年生は先輩に会ったらどこでも挨拶しろみたいな。
それあるんだ、めんどくせえ。
なんか一発芸しろみたいなのもあったりとか。
クソめんどくせえ。
そうですね、まあそんなんはあったんですけど。
まあまあいわゆるそこでやっぱり育った友達っていうのは本当にもう一生こんな感じにはなってます。
なかなか濃い5年間だったなとは振り返ると思いますね。
高校3年間とまた多分その高生の5年って多分俺も全然イメージが全然違うもんなんですよね多分ね。
我々って高校3年間いっても正直遊んで卒業できるレベルの高校だったんですけど、多分それは絶対無理ですよね、高生の5年って話になると。
まあもちろんそれなりに勉強しないと。
そういうことを留年した人とかも全然います。
絶対そうだよなあ。
だって高生って入るのも多分大変じゃないですか多分そこって。
まあもちろん試験はあってどれなりに倍率もみたいな感じですよね。
すごいなあ。
16歳から21歳っていう多分そのティーネイジャーど真ん中を同じ人たちと過ごすわけってやっぱりなかなか濃密な5年間をみんなで過ごして。
最後1年生はお酒もギリギリ飲める年齢になるので、そういうのも始まるギリギリで。
卒業式とかではみんな飲むし、卒業式になると無料でもしょっちゅう飲んで。
なるほど。
後輩に怒られるみたいな感じでしたけど。
ちょっとそこは高校なんか違う感じがするのはすごい楽しそうな感じがしますね、高生の。
でもあれですよねやっぱり辞めちゃうことか、そういった方もいるんですかあまりにも大変とか。
いますねやっぱ肌に合わないって言って3年で出ると高卒の資格を取れるんでそれで受験し直す人とかいたり。
なるほど。
あれ高生は卒業すると短大と同じでしたっけ。
そうです。
そうですよね。
はい。
でも短大より厳しいななんかお話聞いてるとだから結果的には5年だから短大扱い等とか。
ちなみにその寮っていうのはご飯とかっていうのはその両方の方が作ってくれたんですかそれは。
27:02
まあそうですねまあその両方の業者とおそらく契約してたんでしょうけど。
そういう系か。
そういう系です。
一応出学には5人10人とかいう話じゃないんで全部合わせると100人200人は平気でいたのでやっぱりもう10人ぐらいおばちゃんがいて人たちが作ってくれたものを朝昼晩食べる。
休みの日はいらない時はいらないって宣言すれば抜いとけるみたいなそういう感じでした。
そうすると休みの時春休み夏休みとかだけ実家に帰って。
まさにそうですねその期間は寮が閉まっちゃってたので。
なるほど。
その間だけ実家行ってちょっと伸び伸び。
でも伸び伸びもできないから宿題があれば。
まあそうですねあとその部活はもちろんあったので。
2時間かけてその時期だけは通うみたいな。
うわめんどくさ。
やってましたね。今思うとすごいなと思うんですけど。
めんどくさ。
ちなみに高校だと我々だと高校総体インターハイっていうのが多分あるじゃないですか。
高校生っていうのはそういうのもあったんですかそういうインターハイみたいな感じのものっていうのは。
そうですねまあ高校の間は高校生と同じ大会に出るんですよ高校生だけで。
例えば別で高専大会っていうのが1年に1回あって。
はいはいはいはい。
いきなりある近畿予選があって優勝するか2位までかあるとかなると全国に行けるみたいな。
うーん。
全部で近畿って言ってももう8校ぐらいしか出てこないんで結構ハードルが低い。
うーん。
結局自分がいる4年間で1回も出れなかったんですけど。
うーん。
でも16歳から20歳までがいるってことはなかなかねみんな骨格とか体格もね。
まあそうですね。
バラバラな感じがね。
そうですねやっぱさすがに高専大会ってなってくるとまあ5年生まで部活続ける人も全然いるので。
うん。
3年4年5年みたいな感じの人たちがまあ頑張るイメージ。
ああなるほど面白いな高専の生活。
じゃあ野口くんが一番好きな授業は何だったんですか。
一番好きな授業ですか。
はい。
何が好きだったなあ。
あんまりちょっと出てこないですね。
あんまり高専行ったはいいですけどそんなに身を入れてなんか勉強してなかった気がして。
うふふふ。
なんかよくまあよくないですけど本当。
いやいやいやそんなことないですよ。
要領よくやってましたみたいな。
そんなことないですよ。
感じになっちゃってたすかね。
高専の授業ってでも過程化とかもあるのそれか。
過程化はないです。
なかったです。
体育はありましたけど。
体育はあるけど過程化はああそういうもんな。
国語とかはもうなく。
30:01
国語はありましたね3年まであったかななんか。
そうですね高校生の期間はそれなりに普通の高校生と同じ。
はいはいはいはい。
まあちょっと少ないぐらいの勉強はしてたんですね。
英語とかはもちろんありました。
なるほど。
まあやっぱその寮生活っていうのがね。
16歳の子が寮生活ってどこなんだろうっていう部分がね。
親もと離れて。
でも楽しい反面不安もあるみたいな。
まあもちろんそれはそうでしたけどね。
いやでも思春期だったら親から離れた方が俺は嬉しいのかなって思う。
絶対そうだろうな。
喧嘩しかしらんだもんな顔合わせであんた。
じゃあそうするとそこら辺の反抗期もどちらかというとあまり直接的にはない感じだったのかなそれはじゃあ。
そうだった気がしますね。
たまに帰る長期期間ぐらいはね。
そこで反抗するかしたらそんなしないし。
しないよね。ほんの1ヶ月ちょっとじゃあ。
そうですね。
なるほど。
そっかそう考えると。
俺とか子供いないけど息子たちを後世に入れるっていうのもありっちゃありなんだな。
なるほど。
ジミーさんも後世に出身なんですか?
そうジミーさんそうそうそうそう。
確かSワード聞いてああそうなんだって。
確か前会った時に僕も後世に出身なんですって話しかけた。
あれ確か高丸くんも後世になったような。
ああそうですね。
しかもジミーさんから聞いた気が。
でも後世って俺よくわかんないですけど都道府県に何個もあるもんなんですか?
知ってます?
いやいや知らん。知らないけどでもさっきも言ったように俺の中学の同級生は。
そうですよね。東京にも後世ってあるんですかね?
あるじゃん。
あるんですかねやっぱり。
狭間のところにありますよね。
あ狭間に。
狭間駅に。
なんとか後世みたいなのが。
東京なんとか後世になった。
俺後世に。
基本的に県に1個国立の後世っていうのがあって。
なるほど。
県によっては県立とか私立はもうもうしかすると数えるほど数えるぐらいあるかもしれないですけど。
なので県に1個ないし何個かいらない。
後世って言うと俺桜間なの来たらず後世ぐらいしか知らないっていう。
横島な気持ちしか知らないんだもん俺も。
一番日本一有名な。
ねえ有名なね後世がね。
でもあそこでも頭いいんだよねあそこね後世の偏差値とか。
そうなんだと思います。
そうなんですよね。
面白いな後世。
じゃあそうすると5年間赤市で過ごし。
ちなみにあれはどうでした?
赤市焼きは。
赤市焼きがですねまあそんなに正直食べなかったんですよね。
33:02
ごめんなさい。
赤市焼きって実際にどこでもおいしいっちゃまだおいしいのか。
まだちょっと私たこ焼きの濃い方が好きなんですよねまだ。
ああなるほど。
歳を重ねるとねああいう出汁がすごく好きになるのかもしれないでしょうけど。
田中さんどうですかこの野口少年のここまでって何か。
もっと深入れしたいことありますか。
いやずっとバスケやってたんでしょ。
やってましたはい。
さっきの話中学だったらレギュラーではなかったけど高校とか高生だったらどうだったの。
中学校はあれだったんですけどそのままそれなりに強いところで練習だけは厳しかったので。
それもあってまあ高生に入ったら結構その試合には出れなかったですね。
高生に入ったらレギュラーだったみたいな感じ。
まあそうですねレギュラーだったかなはいそうでした。
それなりに結構やっぱり強かったの。
高生のそこ自体はそんな強くはなかったなと思います。
やっぱり高校の大会出たら1回戦2回戦で負けちゃいましたし。
まあ高生大会も頑張ってたけどさっきも言ったんですけど自分がいる4年間でも全国出れなくて。
その次の年に5年生まで続けてた僕の同級生たちは全国に行ったんですけど。
その時はポイントガードだった?
そうですねポイントガードかシューティングガードどっちかみたいな出方をしてました。
野口くんが指示をして。
そうですね。
野口くんそういうキャラですか?
どうですか?
まあ試合になるとねそこら辺は多分変わるんでしょうけど。
まあまあ。
まあLTAで言うと、
まあLTAで野口くんはどんな感じかっていうのがちょっと私がわかんないのであれですけど。
どうなんですか?そこら辺やっぱりこう試合になると、
例えば中田秀俊みたいに急に呼び捨てて先輩呼ぶみたいなそんな感じになるとか。
いやまあそこはあれはしないですけど。
でもなんか声とかは結構出す方だったので。
あ、なるほど。
そうですねまあなんか指示指示ってほどの指示かわからないけどまあそれなりには言ってたと思いますよ。
じゃあ結構ちゃんとリーダーシップというかちゃんとこうゲームメイクもするちゃんと。
まあそうですねあんまり質のいいゲームメイクはしてなかったと思いますけど。
そんなことはないですよ。
やろうとはやろうとしました。
なるほど。
今のうちシューティングガードの役割が俺がいまいちよくわかってないんで。
あー。
難しいですね多分。
そうですね。
多分ちょっと今のバスケと多分私とか野口くんがやった頃のバスケってちょっとまた違うと思うんですよね。
36:00
そうなんですよね。
多分今ってどちらかというと、
どちらなんですかね。
今回の日本代表はそうですけど2ポイント不要論なんですよ。
はいはい。
どちらかというともう3ポイントで点を取るっていうのがちょっと若干ちょっと今の世界のスタンダードっぽそうなんですよね。
うん。
で多分我々の多分シューティングガードっていうと2点3点関係なく外から射抜くみたいな多分。
うん。
アウトサイド。
で多分インサイドはセンターかもしくはフォワードに任せるみたいな感じで。
うん。
だからちょっと何か役割が若干違うのかなっていう気はしますね。
今は確実に多分もう外から射抜く力が強くなければ多分まあ富永恵生とかあのーねえ徳橋とか河村幸ぐらいにないと多分世界で役立たないと思うんですけど、
あの頃は多分2点だからそのペイントエリアよりちょっと近いぐらいの2点が重宝されるような多分時代だったんじゃないですかね。
うん。
またちょっとまあどういったんだろ、野口くんの時代になるとちょっとわかんないですけどまあでも多分そうですよね。
そんな感じですね、はい。
今ほどその外が重要視されてなかったと思うんですよね、多分。
うーん。
うん、そうですね。
だから比較的そういうね3ポイントとかを打てる人でそれなりに入れる人がなんかシューティングガードっていうのになったり。
そうそうそうそうそうそう。
うーん。
今って多分世界のスタンダードがセンターでも3ポイントを打つのが今の多分主要になってるんで今。
そうですね。打てないと多分出れない。
そう、出れない。
最近は。
昔は多分その多分田中さんの頃もそうかもしれないけどセンターで別に走らなくてもよかったじゃないですか。
俺の時から前にも言ったけどそのシューティングガードとかじゃなくて45度90度とか。
そうですよね。だから今はセンターが絶対に多分まず走れてアウトサイドシュートもできなきゃダメで、ある程度の多分ドリブルもできなきゃダメっていう多分結構求められてるものがちょっと高くなってると思いますね。
世界的に多分あのルカドンチッチとかもそうですし、あと今回の誰だったっけ、ルカじゃなくてスナマディで転がっちゃったスロベニアの選手とかもやっぱなんかそういうとか。
まあ伸びつき当たりぐらいからそうかもしれないですよね、もしかしたら。
じゃあこれ以上。
モールフォワードはどういう役目?
モールフォワードはあれじゃないですか多分スナムダンクでルカワとかセンドウとか多分中も外もできるみたいな。
中に切り込んでね、テントリアナー。
ワイケルジョーダは?
シューティングガードでしたね、あの頃は。で多分スモールフォワードはピペンがいて、ガードがBJアームストロングがいたりとか。
それ古いね、あれ?
ちょっと前だとそうですねBJ、次がローンハーパーでしたね。
ローンハーパーだっけスティーブカーじゃなかったっけ?
39:00
スティーブカーベンチだったんですよ。
ローンハーパー?
ハーパーがスタミンで。
マニアックな話したな。
そうですね、ちょっとこれマニアックになっちゃいました。
センターはあれか、パワーフォワードはあれか。
デニスロットマンでしたね。
センターはルークロングリーっていうオーストラリア代表の選手が。
白人だよね。
昔はロットマンの場合は法律グラントがいましたけど、グラントがオーランドマジックに行っちゃったんで。
ここまで来るとついていけなくなる部分もあるんでしょうね。
え、ドクシーもわかる?
いや、その辺はわかんないです。
デニスロットマンとかマイケル・ジョワンとか来てるあたりはもちろんわかったですけど、それ以外はちょっとほんまにわかんなかったです。
自分は割とアレンガイ・バーソンとか。
アレンガイ・バーソン。
あの辺とかも。
なるほど。
ガード、確かに。
なるほど。スティーブ・カーって知ってる?
いや、わかんないです。
今のゴールデン・ステイト・ウォリアーズの監督で、今回のワールドカップの監督やってましたよね、スティーブ・カー。
そうですね。
結構有名な3ポイント決めてたよね。
ジョーダンとよくチーム内でトラッシュトークしてるっていう、なかなか気の強い選手でしたね、スティーブ・カーは。
すいません、はい。
ありがとうございます。
楽しいです。
いのぐっちくん、学生時代はどうだったんですか?走ることはどうだったんですか?
走ることは。
長距離とか短距離とか。
タミナはなんかでもある方だった気がします。
結構マラソン大会とかも好きな方が。
そんなのは特になかったです。
たとえば体育祭とかで、みんな何かに出るじゃないですか、リレーに出ましょうとか、二人三脚で出ましょうとかあるんですけど、
なんか自分はいつも長距離走っていう、各クラス2人ずつ出て走るみたいな、
1000メートルぐらい走るみたいなのに、いつも出さされてた気がします。
でも自分自身はそんなに速いっていう意識はなく、ただスタミナはあるかなっていうイメージだったんですか、そこら辺で。
速い。
普通に50メートルとか遅かったんですけど、
スポーツテストで1500メートルとかは、そこそこ速かった。
学年でも速い方だったなっていうのはありましたね。
なるほど。
そんなのあんだ、1500メートルなんて。
スポーツテストありました、ありました。
あったもん、あった。
1500?
自分は校庭の裏で隠れ、コロアイミハカラって書いてきてましたけど。
試練を当てられてたわけですね。
野口くんとかは真面目に走ってたと思うんですけど。
42:00
1500とかあったかな、覚えてねえわ。
どっちかをやりなさいっていう要領が決まってて、
学校によってなのか学年によってなのか違ったと。
自分たちの時はそんな感じでした。
多分文部省かなんかの、
全国の中学生か高校生の体力を調べるみたいな一環で、
スポーツテストっていうのが、私もありましたね。
ソフトボールの遠投とか。
やってましたね。
やりました、やりました。
反復横跳びとかね。
そうそう、あとは踏み台昇降とかね。
スポーツテストあったけど、あれだね。
いや、1500覚えてねえな。
なんとなくソフトボール投げとかっていうのは覚えてる。
はいはいはい。
そんなのあったんだ。
そうなんですよ、1500分はありました、ありました、ありました。
なんであんなふしゃげなのかと思いながらやってましたけど。
なるほど、じゃあここまで野口くんを振り返ると、
どちらかというと、もう学生時代は部活っていうよりも、
学業に勤しむっていうわけではないですけど、
勉強をせざるを得ない環境だったっていうところですもんね。
まあまあまあ、そうですよね。
ね、そうですよね。
だからスポーツも別嫌いではなかったけど、
21、20くらいまでは学業に勤しんで、
高校生を卒業し、
その後じゃあ野口くんは就職されたんですか、そのまま。
えっと、大学に編入したんですね、その後。
おお、なるほど。大学は何を、また同じように電気的なことを。
まあそうですね、ちょっと電子システムっていう、
若干がっつり電気電子からちょっと外れたんですけど、
まあそういうことをやって、
高校生に大学を探して、編入したって感じなんですけど。
それも関西だったんですか、それは。
そうですね、大阪で。
大阪で、なるほど。
はい。
で、そこでまた、
大学から帰ってたんで。
帰って、なるほど、なるほど、なるほど。
電子システムってなんかすげえ中途半端だよね。
まあ、そうなんですよ。
そうなんですか?
そうなんですか?
微妙な。
微妙だよね、名前がね。
授業でいうと、制御工学とか、いわゆるロボットとか、
ちょっと数学っぽいこともやったりとか、
なんかその、どっちかというと、
使う側みたいなイメージですけど、
電気電子の物性とかを求めるよりは、
そっちを使って何するみたいなことをやったイメージ。
なんか人工知能の勉強したりとか、そんな。
うーん。
じゃあ今でいうと、そのAI的なところの。
いや、違う違う違う違う違う違う。
ちょっと違うんですか?
いやいや、AIだよ。
制御って言うと、だからなんか例えば、機械を制御するとか、
例えばまあ、なんだろうな、
45:02
分かりやすく言うのってもうすげえ物使うんだよね。
機械がじゃあそれ以上暴走しないように何か制御したいみたいな感じなんですか?
まあまあ、シンプルにそうだけど、例えば、
エレベーターの速度を制御するとか、
車のオーバーしないように制御するとか、
制御ってそういう感じで、
機械が、さっきあっちゃんが言ったように、
暴走しないようにどうするかっていうのが、
一応制御系なのかなとは思うんだよね。
AIはちょっと違うかな。
ああ、まあ確かに。
で、そうすると意外と日常に溢れてるものなんですかね?
モーター的なところも。
モーターの制御っていうのは結構基本的なところだったりするので、
そんなのはやった覚えがあるぐらいになっちゃいましたけども。
でもそこら…
あ、ごめんなさい。頼んだ。すいません。
例えば車のさ、サイドミラーをさ、
開いたり閉じたりする、あるじゃん。
あれをしたらすげえ速度で、
開いたりしたらぶっ壊れるじゃん。
そういうの制御するのが一応制御とか。
うーん。
自動とかも。
すげえ速度で開いたりしないようにするとかさ。
うーん。
一応そういうのも制御にはなるんじゃないかな。
あれですよね。ニレックさんとかよくそういうの作ってますもんね。
よくわかんないよ。
ニレックじゃないですか。
なんかありますよね。モーターを作ってるような。
あります。
そこら辺はごめんなさい。ちょっと素人的なお話になっちゃうんですけど、
プログラムで制御するんですよね。
電気回路です。
電気回路なんですか。
電子回路なのか。
もちろん今のようなそういうのをプログラミングで組んで、
基盤にこういうのを埋め込んで、
やることが多分できるんじゃないかなと思ってるんだけど、
ちょっとごめん、俺はそこの分野から外れちゃったんで、
今は詳しいことまでは知らないけど、できると思うけどね。
そうそう、じゃあある程度の速度までいったら機械が抵抗をかけて、
速度を抑えるようにするみたいな制御をかけるってことなんですよね。
プログラムじゃないって話になると。
できるんじゃないのかなと思うけど。
野口くんが編入っていうのは、それをやりたいために編入して、
大学に進んだんですか、その2年間っていうのは。
そうですね、そんなところです。
まだ就職も早いかなっていうのも個人的にあり、
大学行くってなった時に知られて、
家からも通えるし、やりたいこともあるしみたいなところで選んで、
そこを受けてみたいな感じです。
確かにね、大学生っていうのはまた言い方が悪いですけど、
48:01
人生の執行容積感が増えるみたいな感じになりますからね、
その2年間で。
そうですね。
大学院まで行ったので、4年間。
すごいな。
じゃあそれは同じところの大学院にそのまま進んで、
どうでした、今まで全寮。
中学時代は置いといて、高専時代は寮で、
その残りの編入した大学と大学院卒業するまでっていうのが通いてなると、
でまた大阪っていう、大阪の街の方なんですか、それは。
そうですね、豊中とかあの辺の。
どうでした、そこら辺っていうのはなんか急にこう、
そんなに別に変わることはないか。
いやまあでも、当たり前ですけどやっぱ実家のありがたさみたいなのはありますけど、
まあまあそんな、ご飯とかも作って、
まあそれは寮で作ってくれてましたけど、まあまあありますかし。
そうですね。
で就職してどっか行ってたら、
じゃあ15歳を最後にもう親と住まないみたいなことになってたんで、
まあそうならなくてまあよかったかなっていうのもちょっと後々思ったりはしたっすね。
まあね確かに20歳になって親と一緒に住んだらもうね、
ある程度反抗期も終わっている時であれば、
まあそこまでそうね、親と喧嘩することがね。
まあそのせいないですよね。
その大学編入から大学院の間っていうのは勉強もしつつ、
それと同時に何かスポーツの野口くんそれをしてたんですか?
そこからあたりからスポーツは全くやってなくて、
まあ高生時代からもバスケと並行してやってたんですけど、
バンドをやってたんですよね。
音楽といいますかね。
まあその高生でも系音楽部に入ってて、
大学でもその系音サークルみたいなのに入って、
なので大学生の間なんか勉強したよりもなんかそっちの練習をしてた記憶の方が結構あります。
音楽、私あんまり得意じゃないんですけど、
どういう系のバンドとか音楽が好きだったんですか?
まあうちの田中兄さんがいるんで何度もお答えしていただけると思うんですけど。
まあなんかあんまり激しくないロックっていうか、
まあ有形ロックとか結構好きで、
有名なところでオアシスとか、
あんなんが好きだったり、
レディオヘッドとかも好きでしたし、
あとは音楽も好きでしたね。
ちょうど自分がそういうのやってるときに流行ってた東京事変とか、
あと今でもずっと好きですけど、
クルリっていうバンドとか、
その辺が好きでしたね。
まあ系音楽部でもそういうのをちょっとコピーしたりとか。
オアシス年代なの?
いや、ちょうど20歳の時にライブに行ったんで見に行ったんですけど、
51:03
それがもうその最後、活動休止する最後のツアーみたいなやつでしたね。
2009年?
そうです、2009年ですね。
2009年あれなんだよね、フジロックに出て、それであれで活動休止したんだよね。
いいですね。
その時に2009年にツアーで売ってたTシャツかな?
わかんねえけど、それがフジロックで売ってて、
それを買ったんだけど、
Qって下にカタカナでオアシスって書いてあったね。
そのTシャツ今でもあんのかな?
俺もその時買ったTシャツ今でも家にありますね。
オアシスって飛行機で暴れてるぐらいのイメージしかないですよ。
暴れてるんだっけ?暴れてるかどうか知らないけど。
なんかニュースで見たことありますけど、ワイドショーですけど。
暴れてたかな?わかんないけど。
自家用ジェットとかじゃないのかわかんないけど。
ああ、なんすかね。
クルリーか、クルリーはまあ、俺もまあQ好きかな。
じゃあギター、楽器部のぐっちぃ君は何やってるんですか?ギター、ベース、ドラム。
僕ドラムやってました、ずっと。
へえ、それまた意外だな。
てっきり俺の中ではテレキャスターを弾いてるイメージを勝手に想像したんですけど。
本当ですか?
クルリーに引っ張られて。
ドラムだったんだ。へえ、意外だな。
ドラム大学時代からやりだしたの?
まあ、高2ぐらいからやってたっすね。
高校生時代はもうバスケとK-1を並行していたみたいな。
大学ではK-1だけやってたんですけど。
なんでドラムなの?
確かに。
なんでだっけな。
最初に高校生でバンドやろうぜってなった時に、じゃあ俺がドラムやるよみたいな。
そういうぐらいの感じです、最初は。
へえ。
練習するみたいな。
自分で練習して。
そうそう。
今じゃやってないの?
今もたまにやってて、ちょうど実は今日、この収録の前に今やってるバンドがあって、
スタジオで練習をしてきてたんですけど。
ライブしてんの?たまに。
いや、コロナでもうあれだったんですけど、年末ぐらいにやるかもしれないみたいな話を。
へえ。
そんな大したあれじゃないですけど。
カバーしてんだろ?
そうですね。カバーしたり、あとちょっと自分たちで作ってみましたみたいな曲もあったり。
あ、そうなんだ。主にどんなのをカバーするの?
やってるのは今インスト、歌がいないバンドのやつ。
あ、インストゥルメンタルか。
今1曲やってるのはスペシャルアザーズのスペシャルアザーズってバンドご存知ですか?
54:03
あ、知らない。
そういうインストバンドがあって、そういうのを曲とかやったりしてますね。
バスドラは大丈夫でした?足が疲れてバスドラがつっちゃったとかそういうのなく?
いや、それはなんとか大丈夫でした。ギリギリ。
モグラ撮ったらやばいかなって感じでしたけど。
あ、ごめんごめん。
インストだったら、個人的にはモグワイぐらいしか知らない。
ああ、モグワイ。確かに知らない。
あっちゃん知ってる?
知らないですよ。インストゥルメンタルとサケロックぐらいしか知らないですけど。
俺はサケロック知らないわ。
あの、この弦とか、ギター。
あー、そういうの。
ハマ弦とかね。
ハマ弦とかがいた。
あー、聞いたことある。確かに。
今のところゲストでテクノやってた人っていないですね、そういえば。
テクノ?バンドやってた人もいなかったじゃん。
いないですね、そういえば。
あの、植木さんとか。 ああ、ボンザイ、ボンザイ。 ギター、ギターやってたのね。
はいはいはい。 あったっすよね。 あ、そんな気持ち全然覚えてねえわ。
いろいろテクノがあってた人になるの。 アナログシンセやってましたみたいな人。
そうすると、大学院ってことは23ぐらいまでは? そうですね、22?
23ぐらいまでは、本当にあんまりスポーツに触れることがなく。 まあそうですね、バスケ辞めたの。最後に日常的に運動するっていうのは、もうやっぱり辞めたので。
ちょっとこれから話がすげーことになってくるな。 そうすると、大学院を野口くんが卒業されて就職をしたと思います。
その就職っていうのは、それで関東に引っ越してきたんですか? 最初は今と別の会社で、愛知県に行ってましたね。
西方さんの近くですね、静岡。 なるほど、じゃあ愛知で何年か?
3年ぐらい。 3年ぐらい従事して、それでもまだ27か。 そこも特にスポーツとかすることもなく? なーいですね。
ちょっと待ってよ、この時27でしょ? 今35でしょ? マジかよ。
どういうこと? 8年ですよ中田さん、8年。この8年で。 この最近のそのトレイルレースの強さが、いつからそうなるかがちょっと俺すげー気になってきたんですけど。
そんなことある?俺なんかもっとしてねーよ。 23から多分30何分まで何もしねーよ。 中田さんそうだそうだ。
57:04
なんだこれ、この人たち。 愛知に3年を。で、そこもじゃあ特にスポーツせず仕事にずっと、
何か動かさなかったんですか?体。 まあドラムは続けてたので、社会人になって入ったんで、ちょっとレッスンとか受けに行ったりして。
ちょっとドラムを研鑽し。 そうですね。
ドラムのために筋トレとかしなかったの? でも健康の一環で、
なんか3日坊主ジムとか、ちょっとだけジム行ってすぐ辞めるみたいなのは。 セレブだなぁ、セレブだなぁ。首にカラー巻いてドラム叩くとかはなかった?
カラーですか? 吉木さんみたいな。 吉木スタイルはないです。 吉木スタイルはなかったんですよ。
そんな激しいのもやってなかったです。 じゃあ本当に愛知の時もどちらかというとその
バンドの方が、音楽の方が野口くんとしてはちょっとまだすごく楽しいというか。 まあ全然その時はもう運動のうの字もないんでもう
フェス行ってライブ行ってみたいな。 なるほど。 ちょっとドラム叩いてぐらいの感じでした。
ちなみにフジロックはいつからしてたの? 確かに。 その大学院の最後の年が初めて2012年なんですけどそれが。
え、それでも2012年なんだ。 2012年って言ったら、レディオヘッドでした。
レディオヘッドとあれだね、ストーン・ローゼスが出た年だよね。 あ、そうですそうです。
2011年の年末にあれだよね、ストーン・ローゼスが出るって言ったから、
2011年の年末に2012年に出るって言っちゃったから、年末にレディオヘッドと出る
みたいな話になって、早割りの前に発表してたやつだよね、多分。
そうですね、その時はあんまり、本当最後の年なんで行くって言って、それは本当楽しくて、そこからなんかまた
余っていった感じはありましたけど。 そこから毎年行ってんだ?
そうですね、社会人1年目の時は行けなかったんですけど、それ以外はもう、コロナ中の大学の時は行ってないですけど、それ以外は全部行ってます。
2013年と2020年以外は行ってるから、そんな感じです。
ちなみに2012年に会った友達がそれ以来会ってないんじゃないかって、今日友達と話してたっていうのがあったんだけど。
もうちょっと後に会ったかもしんないんだけど、俺の記憶では2012年に会ってから会ってねーってやつが。
10年ぐらいですね。
そうですね、来週の金曜日に飲むから来ないって言われて、うーんって言う。
悩んだって言うね。
どうでもいい話ですけど、はい。
いいねー。
野口くんの思うフェスが好きなところ、あ、フェスとかがあんまり得意じゃない人間で。
1:00:02
どこらへんがフジロックとかそういうフェスが好きなんですか?野口くんはそれは。
まあ単純に好きなアーティストのライブが一番好きじゃないですか。
あとは結構フェスでしか会わない友達とかもいる。
ぐらいに、何回も言ってると、なんか友達ができて、友達の友達がね。
どこの繋がりが増えて。
そうですね、そういうのもありますし、あとフジロックは、なんかもう、なんかあの場所が好きになりましたね。
もう何年も行ってて。
聖地みたいな感じですか、じゃあもう。
うーん、なんか、毎年帰るぞみたいな、そんな感じ。
なるほど、そこまで行くと深いな。そこに行けば仲間がいるみたいな、まあそんな感じってことですよね。
まあなんか最近またそれも、友達もやっぱりね、みんなライフステージが変わってちょっとずつ減ったりっていうのもあって、なんかこれからまたどうなっていくかなっていうのは思ってはいるんですけど。
平年変化もありつつっていうとこなんですね。
僕が結婚してるんですけど、奥さんもそういうの好きで、一緒に行くので。
あ、そうなんだ。
はい、なのでもう家族行事、フジロックは完全に。
まあ確かに、それであればね、お互い迷惑かけることないですもんね、変な足で家開けたって。
そうですね。
あのね、100マイルが趣味だとね、大変なんですよ本当に。
はははって僕は笑ってらんないですけど。
大変なんですよ。
フジロックとさ、100マイルの趣味の俺はもっと大変だと思うんですよ。
確かに。
大変なんですよ。
田中さんも毎年行かれて、100マイルレースもバンバン出てて、すごいなと。
最近行ってないから、去年、今年去年は行ってないから、まあ行ってないから、あれなんですけど、来年もわかんないけど、まあまあまた行きたいかなと思いますね。
えー、真悦。
いや、100マイルの方が楽で、100マイルの方が楽。
いやー、真悦。
まあそうだね、とりあえず。
同じですね、同じレース夫婦でいればダメだと思います、多分。
なんで?
いや、片方、もしですよ、万が一、お互いが潰れてたら、多分家が成り立たないですからね、多分ね。
暗い空気でっていう話。
そうそうそうそう。あとは犬、今犬飼ってるんで、犬の散歩誰がするとか。
いやまあ、でも、何だろう、預けることは、まあ今のところは可能じゃん。
そうそうそうそう。だからまあ、今回はね、私が失敗で向こうが成功だったんで、結果的に明るいですけど。
うん。
お互い失敗してたらもう、出なくても大変なことになりますもんね。
1:03:01
えー、それはお互い反省すればいいんじゃないですか。
まあそうですね。
はい。
おうちくんぐらいのね、ご夫婦がちょうどいいんじゃないかなと思いますよ、それは。
フェスはね、一緒に行けますからね。
そうですね。
100マイルも一緒に行けるからいいんじゃないですか。
奥さんはそういうの興味ないんですか、100マイルは。
いやー、もう、いつも飛んできされてますもん。
あのね、リュウジさんに言われたことがあって、夫婦で100マイルやってるって普通じゃねえかな、覚えとけよって言われましたもん。
確かに普通ではないですよね。
他にないのかな。
野田さんぐらいじゃないですか、多分。
あー、確かに。野田くんとこだ。
あとは多分あんまり聞いたことないですよね。
あ、ま、しんさんとゆかりさんがまあ、ゆかりさんはレース出ないですけどまあ。
まあそうだね。
やってますかね、はい。
それぐらいじゃないですかね、多分。
あといんのかな、ほんまに。
あ、まあでもクギさんのところもご夫婦で、この前走られてるっていうのをお話してました。
まあまあ100マイルというよりはトレイルランニングを。
そうですよね。
もしかしたら100マイルってカテゴリじゃなければいるのかもしれないですけど。
うん、さんぼんまつさんとかまさに。
あ、そうだ!忘れてた!のりおさんとちかさん。
そうだね。
そうだ。
クレイジーアベック。
そうだそうだ、確かにね。
なるほど。
じゃあまあそんな音楽少年、青年だった野口拓哉さんが。
愛知で前の仕事を辞めて、また新たに就職して、今度は関東に。
そうですね、それが今の会社になるんですけど。
あ、今の会社。
それがそうすると、30ぐらいですか、こちらに来たのは。
28ぐらいですかね。
28か。
はい、前の会社就職して3年ぐらいで来たので、27、8時ぐらい。
そうかそうか、はいはいはい。
で、関東に来られ。
はい。
まあもうね、時間も時間のところなんですけど。
なんで走ろうと思いました、急に。
まあ最初はダイエットですね、完全に。
あ、そんなにちょっと太っちゃったりとかしちゃったんですか。
いや、と言っても今よりプラス4、5キロぐらいの感じだったんで。
あ、なんだ。
まあそれが確か31会社だったかなと思ったんですけど。
うん。
そうですね、このままじゃまずいかなと思って。
普通にお酒も好きですし、飲んで食ってしてたら順調に太って。
で、これはちょっと何とかするなと思って、
ランニングと筋トレ、ジムが良いみたいなのを同時に始めたんですよ。
うん。
で、痩せるのは割とすぐ終わったんですけど。
まあなんとなくその習慣が継続してっていう感じなのが、
走り始めたいきさつみたいな感じなんですけど。
じゃあまずはもうダイエット、でも本当に普通のじゃあ。
1:06:02
そうですね、もう週に2回とか5キロぐらい走ってみたいな。
そんなところからですね。
そこからこう、なんだろうな、マラソンというかトレイルランっていうのを
野口くんが耳にするきっかけとかって何かあったんですか。
まず最初に何ですか、例えばフルマラソン出たとか、
それとももう花からトレイランを始めたのかっていうのはどっちになるんですか。
最初はトレイランのことあんまり馴染みなくて、
ちょっと走って、その2019年夏からなんですけど走ったのが。
走ってて冬ぐらいに何か10キロとか走ってみて、
これならハーフマラソンとかも走れるのかなみたいな思って。
で、エントリーしたんですけど、それがもう2020年なんでコロナで中止になっちゃうんですよね。
なるほど、ちょっとタイミングはそうですね。
はいはいはいはい。
で、まあそれも、ただコロナで時間だけはあったんで、何か結構走るように。
その間も走ってて、何か1ヶ月やれ100キロとか150キロだとか言って、
何かちょっと喜んでた気がするんですけど、その頃。
で、こんなこんなでコロナの間走ってて、ちょっと落ち着いたぐらいに、
何かあれなんですかね、小原さんのUTF-Bのグレートレースがやってたんですよ。
はいはいはいはい。
で、そのタイミングでちょうどBORN TO RUNとかも何か読んでて、
で、何かちょうどその2つあたりがきっかけになって、
で、何かトレイランってあるんだと思って、
で、何かギアとかはなぜかランボイズランガーズで買ってたりもしたので、
ランニングの。
それもあって、で、たまたまその2020年の夏なんですけど、
あのランボイズランガーズの初めてのトレイランみたいなイベントがあって、
はいはいはいはい。
それに申し込んだのが本当にトレイラン、初めてのトレイランって感じです。
マジかよ。
ランボイズランガーズじゃない?
でもすげえ3年っすよ。
こわっ。
そうすると、私とか誰だろうな、
おっくん。
おっくんとか、もうランボーですし、
でも自分もおっくんもたぶんあれですよね、
100、100を聞いてトレイランを始めたっていう世代なんですけど、
じゃあ野口くんは特に100マイルズ、100タイムズっていうのは全く知らなかった。
何か聞いたことがあるぐらい。
トレイラン始めた時には全然知らなくて、
ランボイズランガーズに出ると2回ぐらい行かせてもらったんですけど、
何かその時にそういうのがあるっていうのを聞いて、
初めて聞いた、何だろうそれみたいな感じで、
調べたのが一緒だったような気がします。
そこからトレイランを始めて、どうでしたか?
1:09:01
そのランボーイベントでトレイランを始めて、
楽しかったんですよね、下りを走っていく感じとか、
山の細いミッドレールをジョギングする感じがすごく楽しくて、
これはちょっとやってみようかなって思ったんですね。
2回目のイベントで会った人たちと、
11月のFTR、25キロのやつがあるっていう話になって、
勢いで申し込んじゃいましょうって申し込んだのがあって、
それが初めてのトレイラン。
良い夫婦の日ですね、2020年の。
そうでしたっけ、はい。
その間に南高雄に連鎖して、
3週間くらい待つばずになるみたいなのも挟むんですけど、
そんなんもあって、なんとか怪我を治して出たのがそのやつ。
FTR、これじゃあ初めてのトレイランレースで。
そうです。
野口君はどうなんですか?
自分の性格っていうのは懲り性な性格だと思いますか?
どう思いますか、そこらへんっていうのは。
懲り性かな、あんまり懲り性って感じではない気がしますね。
そうなんだ。
例えば今2020年に初めてFTRを走って、
先週の新越、そうすると実質3年じゃないですか。
そうですね、はい。
この3年のうちに、私から見ればですよ、この前の三重の国もそうですし、
新越もそうですし、また今日より野口君のお話を聞くと、
特に何かスポーツをガンガンやっていたわけでもないと。
本当にそうなんですよね、はい。
でもこういう高成績を残し、
トモさんともちょっと前お話した時に、
なんか面白い子がいるって言って、野口君の話が出て、
なんかウルトラの体勢があの子あるんだよねみたいな話が出てたんですよね、
トモさんと話した時に。
だからこの3年っていうのは野口君の中ではどうだったのかなと思って。
やば、今激動の3年ですけど。
あれよあれよと距離を伸ばしてしまったなっていうのはあるんですけど。
何か自分の中で、例えば最初25キロで走って、
もちろんね25、例えば50、100、100マイルっていうようにステップアップしていくと思うんですけど、
その中で何か自分の中でいろいろ勉強したっていうか、
多分部分っていうのはあるんですか。
1:12:00
例えば長い、これよりも長い距離を走るために何を学べばいいとか、
何をこうみたいなのもあったんですか、そこら辺ってのは。
いや正直そんなのはもう全然ない。
とりあえず25キロ走って辛かったみたいな感じでしたけど。
ただそのマラソンも出たことないんで、
初めてそういう大会に出て、これはいいなって思ったのは覚えた。
なので来年、もう冬になっちゃうんで、
その年は特に何も出たとかないですけど、
来年また頑張ろうって思って結構そこから走れる量が増えた感じですね。
自分で頑張るっていうよりも本当に好きだからみたいな、
好きだからやってみようみたいな感じで。
そんな感じです。
LDA入ったのは去年からだっけ。
去年からです、22年から。
そうすると21年は特に何も、
実質的にちょっとインスタ見たりしたけど、
大沢さんの練習会参加したりとか。
ああ、そうですそうです。
行ってたり。
で、本当はハセツネの30キロでしたっけ、30キロとか、
あと軽井沢トレイルランニングレースとかは申し込んだんですけど、
どっちもコロナで中止になっちゃって。
そうか、軒並み、なるほどなるほど。
確かその年年末の東京八峰、
高尾やってる30キロのやつ。
それに最後12月出て。
そうですね、インスタ見ましたけど出てましたね、八峰に。
それが2個目になる。
じゃあちょっとね、次のお話として。
じゃあちょっとその前に。
大沢さんどうぞどうぞ。
2021年にあれだっけ、
LDAでお試しをやってるんですよ。
11月、はい。
で、そこに野口君が参加してるのを僕は非常に覚えていて。
その話を聞こうと思ってたことですけど。
まさに。
で、すげえ印象的だったのは、
いや、このお試しに出たら優先的に入れるんですかって。
我顔で言ってたから、
いや、そんな毎年8.4万年代から大丈夫だよっていうのをその時話してて。
いや、熱意がすごいなっていう。
やる気がすごいですね。
やる気がすごいなっていうのは本当に。
その時に入ったメンバー何人もいるんだけど、野口君の発言がすごい。
僕は今でも印象に残ってます。
入る前の身としては、ものすごく倍率の高いチームだと思ってたんです、入るための。
分かんないよね、確かに。
で、そんなのもあって、申し込んで入れなくて、
1:15:02
結局なんか次の1年どこのチームにも入れないみたいなのがちょっと嫌だなって思ってたんですよ。
そのままあって、なんかその、
申し込んだら入れるのかなって思って、ちょっと路頭に迷わないようにと言いますか。
それもあって、質問したっていうのは。
もちろんLDAに一番入りたかったんですけど。
ちなみになんでLDAに入るんですか?
そこのお話もちょっと聞きたいですね。
やっぱりその時って、
トモさんのポッドキャストだったり、田中さん、大地さんのポッドキャストも聞いてて、
やっぱりその2人がいるっていうのもありましたし、
あと何かの時に藤原さんLDAのトモをお会いしたことがあって、
ちょっと話とか聞いて、そのLDA興味あるって言ったら、
いろいろ教えてくれてこんな感じのことやってるとか、
なんか練習後はみんなでLDAでビール飲んでるみたいな話を聞いて、
これはいいなって思ったっていうのはありましたね。
藤原くん練習終わるとビール飲む前にプロテイン飲んでたけどね、一番早い。
今どうかしらだけど。
昔から真面目だったよね。
藤原くんね、本当に彼が入ってきた時にやめてほしかったのが、
本当にここカットしてほしいんですけど、
僕は大地さんに憧れてLDA行きましたって言って、
マジそれやめてくれ、本当に言うのって言われて。
今じゃ抜かれてるのも藤原さん、逆に俺が憧れてますけど。
やめてくれそう。
でも野口くんの気持ちはわかります。
やっぱりこうね、雲の上じゃないですけど、
学びたいなっていうのはね、確かに。
だから開けときました。
開けときました、私が。
嘘です、ごめんなさい、調子乗りました、すみません。
でもどうでした、LDAに入って、
21年間入ってみてっていうのが練習から。
きついとこは思っちゃいますよ。
楽しいなって。
そこから去年からずっと楽しくトレランをやってるなって思うと、
おかげさまでなんですけど。
すごいな。
電車行くまでの間に電車の中で気持ち悪くなったりしないですか?
いや、そんなことないですね。
私は良くなってましたけどね。
今日も練習何するんだろうなっていうのが。
気が重いぐらいはありますけど。
まあね、確かにきついですからね。
40分とか言えねえ、確かに。
きつい、確かにきつい。
まあでもね、いろいろ仲間も多分増えると思いますし、
あと多分、他のところ行くと、
祭さんとか龍二さんとかいろいろ交流も多分増えると思いますし、
1:18:01
本当にこの1年多分やばいぐらい、
変わるよね、LDAに入ると。
まあそうですね、今2年だね。
やばいよね、今までえ?っていう人がね、
こっちの名前とか顔を覚えてくれるっていう、
なんつーのこの、なんだろう。
あれはすげえなと思うし。
ありがたいですね。
ちょっとね、後で真逸の話をしようと思うんですけど、
その真逸の話前に、
田中さんから見てどうなんですか?
こう、野口くんの強さというか、クレバーなところっていうのは。
いやいや、強いと思いますよ。
いや、なんだろう、強いとは思わないですね。
言い方があれですけど、はい。
そうですね、ロングの才能はあるんじゃないですかね。
ごめんなさい、どういうところに、
そのロングの才能を感じられるんですか?それは。
いや、まあでも、あれだよね、千利山とか25時間とかで走ってたりするし。
最初の、なんだろう、奥…
奥品のが22ですね、はい。
奥品のとかの結果とかを見て、
そうですね。
するし、それを踏まえると、
まあ走り方もちゃんとね、走ってるし、ちゃんと、
なんだろう、才能にも、
結果が出てるんじゃないかなと思うんで、
ある意味そこは、才能なんじゃないかなと思いますね、はい。
本人どうですか、その、このLDAに入り。
多分でも、野口くんの多分そのすごくいいところ、
なんかちょっとまあわかんないですけど、
あんまり多分そういう成績とか絶対意識してないですよね。
いや、そんなこともないです。
意識してるっていうのはどういうこと?
なんだろうな、多分その、
いい成績を取ろうっていうために走ってるかどうかっていうところがちょっと気になってきて、
ただ自分の走りをすれば、
結果的に良い成績だったのかなっていう気がしてて、なんかその。
まあそうですね、もちろん時間決めるときに、
あわよくばこれぐらいの状態になれたらいいなとかは思ったりしますけど、
そうね、例えばじゃあ難易になるために走ってますみたいなことは思ったことない。
じゃあこの大会に出るってなったら、
そうですね、まあ何時間ぐらいって。
そんな感じか。
順位ではないかも、出ないかも。
去年ね、ともさんの新列のペーサーを野口くんが勤められて、
どうでした、ともさんのペーサーを勤めるっていう心境は。
いやまあもう緊張感がもう半端なかったですけど。
なんとでもね、無事勤め上げられて。
まあなんとか、はい。
なんかいろいろ学ぶものとかありました?
まあやっぱりそうですね、
それって自分が初300マイルを走るよりも前の話だったので、
まあそのトップの走りと言いますか、こんな後半でも、
1:21:01
なんかこう、早い、早いし、
なんかこう、結構その、息も上がるぐらい追い込んで走ってるのがすごい印象的で。
ともさんが?
はい、後半に。
こんな行くんだっていうのを思ったのは結構印象的でしたね。
まああとはもちろんなんかこう、
ベースここではちょっとまだ行かなくていいとか、
そういうなんか判断の仕方とかも。
なるほどなるほど。
そういうのを見たり。
ただ単純にそのベース中にすれ違う人たちもみんなトップ選手なわけで、
そういう人たちの姿もなんかまあ印象的というか、
トップ選手なら強そうな時は強そうだなとか。
そういうのはすごい学びでしたね。
この1年少しで入られて2年でいろんな経験をして、
まあ風の噂でね、いろいろ野口くんの名前も轟いてたんで。
いやいや、まあ轟いてましたよ、本当に。
ちなみにあっちゃんは宣言山で俺のテキサーをした時はどう思ったの?
自分ですか?
そうですね。
人とすれ違う時は田中博康からJR田中に切り替わる瞬間よく見てましたけど。
どういうこと?
やっぱり田中さんも辛い区間は絶対あったじゃないですか。
もちろん。歩いてました。
ただ人がいるとやっぱりその辛さがいきなりなくなって、
JRさんだって言うと普通に何もなかったかのような笑顔で、
どう思う?って感じでさって抜いていく。
さっきまで田中さん走れてなかったよなと思いながらも、
急にそこだけやっぱりJR田中になって、
ある程度走っていって見えなくなったぐらいでちょっと歩くみたいな。
でもまあそりゃそうだよなと思って。
そういうところにちょっと人間味は感じましたけど。
あとはまあ終わってからですよね、やっぱり。
終わって田中さん、車の中でレース終わって24時間初めて田中さん達成されて、
田中さんの車の中入った時のみんなのいる前での田中さんと、
やっぱりその車の中での田中さんの違いの180度の違いさですよね。
そう、自分がよく分かってないから。
本当ですか、初めてあの時に辛って言ってて、
すげえなと思って、こういう姿は人には見せないんだと思って。
いや、そんなことはない。
いや、意識してればよかったかもしれない。
どうなるかもしれないけどね、無意識に。
でもただやっぱりちょっと仮眠とって、
あの宣言のゴールに戻った時やっぱりいつも通りだったんで、
ああ、なるほどなと思って。
そこら辺はまあそうですね、やっぱりすげえなと思いましたね。
演じてるんだ。
演じてるから、やっぱりスイッチオンオフかわかんないですけど、
たぶんそこら辺で自分の中でスイッチ入れてやってるのかなっていう気はしましたし。
1:24:05
それはまあそうですね、自分がそれを全然今回できてなかったんであれなんですけど。
野口君はトップ選手ってそんな感じですよね。
そうですね。
辛い顔を我々に見せても抜き去る時は辛い顔を絶対見せないですし。
そうですね、かっこいいなと思いますね、本当に。
かっこいいですよね。
かっこいいです。
あの瞬間だけ本当に電気じゃないですけどね、
スイッチがね、パッとつくというか、
この瞬間に発光してまた離れる、発光離れるみたいな、
そういうのが何回もあって。
だからたぶんその、今回真逸の話もあれですけど、
精神が肉体を凌駕するって田中さんがうちの妻に送った言葉の時の、
やっぱトップ選手ってそういうコンセントレーションの高め方が高いのかなっていう気はしました。
宣言の時も。
集中力をある程度的に持ってって、みたいな部分は。
ちょっと自分はそう思いましたけど宣言の時に。
でも宣言の時、あの時もうすでにトップだったからね。
そうそうそう。
で、たぶん自分と変わる時に岩田さんがその前に閉鎖されてて、
で、たぶんあれですよ、壮太さんと競ってるか競ってないかで、
やべえマジどうしようと思ってバスの道中の中でしたら壮太さん辞められちゃったんで。
ただまた辞められてもサブ24宣言でやられたことがないっていうたぶん目標があったんで。
そうだね。
ぶっちゃけにサブ24はデフォルトでいけるかなって思ったから。
そうだったんですね。
あれは別に、そんなに自分の中では出し切らなくてもいけるんじゃないかなって思ってたんで。
そうなんですね。
あんまり、ちょっと失礼な言い方もしてないけど。
まあでも宣言山崎に宣言通りにサブ24されて。
まあいろいろ本当に学びは大きいですよね。
たぶん野口くんも後で新越の話に行きますけど、たぶん今回は。
今回は野口くんはトモさんがリサされてっていう話になるんで。
ちょっとじゃあ先週行われた新越語学のお話をしたいなと思います。
で、先週の9月16日ですね。
そうですよね、9月16日に新越語学100マイルっていう石川ひろきさんがコースプロデュース。
石川ひろきプロデュースみたいなもんですよね、もう本当に。
で、真駄ラオ高原から飯舘までの161キロなのかな?
163キロか、約。
約100マイルを走るというレースが先週行われまして。
まあちょっとね、私の結果いいんですけどね、本当に。
1:27:00
ちょっとじゃあレース。
私はどうでもいいですもん。
まあ私も一応お話をさせていただきますけども。
野口くんは前日にもうあれですよね、真駄ラオの方に。
あれ真駄ラオの方に泊まったんですか?
バートンが取れたんで、もう前日も個人的にとって、
もうずっと真駄ラオバートンホテルに金曜日からいるっていうような感じでしたね。
で、前後日行ったり。
バートンホテルに行く前に、前後日。
行く前になるほどなるほど。
いやでもちょっと思ったんだけど本当、
あっちゃんとかにも助言しておくべきだったなと思ったんだけど、
木曜から入った方がいいと思ったね、あのレースは。
木曜?
木曜か。
金曜か。
金曜に入って、で、土曜受付。
俺がそうだったんだよね。
基本的に毎年トモさんの家に泊まる。
実家にトモさん。
ほんとそれ思いました。
一応有料の仮眠スペースはどうも個室だったみたいなんですけど、
で、有料の仮眠スペースが抽選で落ちてしまって、
無料の仮眠スペースになったんですけど、
まあ寝らんないですね。
いや、まあそうだね。
だからもう野口くんのインスタ見て、多分前日に入って、
金曜入って土曜日何時ぐらいまで寝てました?レース前当日って。
金曜は…
4時ぐらいまでは寝てましたかね。
で、受付済ませ…
あ、有料仮眠の話。
レース当日のお話なんですけど。
当日、受付済ませてすぐ帰って、
11時ぐらいから確かもう寝始め、
布団には入れたので、
3時ぐらいまでですかね。
3時半か3時かぐらいまではもう布団で、
ずっと寝れたわけじゃないですけど、
寝たり起きたりを繰り返しながら、
まあそれなりに寝れたなっていう感覚ではあった。
ちょっとね、今回大きいなっていう気はしました。
いや、それは絶対にやったほうがいいと思います。
移動距離が長いと疲れちゃって。
俺2017年がどうしたか覚えてないんだけど、
2018年、19年は
友さんとの実家に泊まって、
友さんの実家で…
スマホですよね。
スマホ教室をやってました。
私は土曜日の4時に起きて、
そこから移動して、
ダラウに着いたのが
11時ぐらいだったかな、多分そのくらいだったんですよね。
大変。
きついよね。
きついです。
いやー、きついですね。
仲間の車で行って、
1:30:03
うちの方は寝てたんですけど、
自分はあんまり寝れなかったのもありますし、
運転手の方も110キロ出る方なんで、
一人にすんのも申し訳ないなと思って、
ずっと会話しながらマダラまで行って、
っていうのもありますし。
マジで本当、金曜に移動するべきだね。
ですね。
マジでね。
と思いましたね。
で、レースとマダラを着いて、
受付済ませて、昼ご飯食べて、
で、仮眠したのがもう多分1時とかだったんで、
そうすると多分この段階で、
もう野口君とはちょっと睡眠バッファーの差が
かなりでもできたんじゃないかなっていう。
そうですよね。
そう思いましたね。
あと移動距離のバッファーもあれだよね。
そういうのも違うよね、多分。
前の日もね、いっぱい寝れてるんで。
そうそうそうそうそうそう。
これはなんかね、自分の中で、
後々野口君とかのインスタ見て、
ああ、それいやそうだなっていうのはすげえあったね。
今回その、分かんないですけど、
DNFされた方と乾燥された方で
全白してる人、してない人がどのくらいいるかっていうのは
ちょっと分かんないですけど、
統計取ったらどうなのかなっていう気はちょっと。
いやそれ面白いかもね。
とりあえずここで50%なんで。
うちの上でいればそっか。
まあ50じゃないですけど。
でも分かんないよね。
分かんないですからね。
いや面白いかもね、それはね。
で、ましてやその、
今回の100マイルが初めて自分は夜スタートだったんですよ。
18時。
で、神海も朝。
で、西の国も朝。
で、初めて今回午後6時半スタートっていうので、
ちょっとそこで自分の体の中の、
なんていうんですかね、こう、
サイクルがちょっとよく分かんなかったことが正直ありましたね。
どう臨んでいいのか。
野口君どうでした?
野口君も多分6時半スタートって多分初めて。
もちろん初めて。
ですよね。
どうでした?そこら辺の体の軽さとかそこら辺っていうのはスタートは。
スタートの時はどうしよう、
まあでも結構休め、前日からもうずっと休めた感じはあったので、
なんかそんなにその夜眠くなるかなっていう心配はそんななくいけたけど。
なるほど。
それは羨ましいな。
自分は逆にどこで眠くなるんだろうなっていう気がずっと、
もう頭の中どっか片隅にあって、
これまで大きいなあ。
まあでも眠くなっちゃうときはあったんですけど。
でスタート行ったら、今回花火がないっていう話だったんですけど、
あの花火がね、なかなかあれテンション上がりましたよね、あれね。
上がりましたね。
ねえ。嫌顔でも。
1:33:00
そうですね。
あれはね、俺も分かって、自分はちょっと後ろの方に陣取ってて、
野口君とか多分あれですよね、LTEのみんなは結構前の方にいて。
そうですね、僕LTEのみんなとは二つ一緒に並んでなかったんですけど。
そうなんですね、はいはいはい。
まあ結構前の方にいましたね、5列目ぐらいに。
ちなみにこのポッドキャスト、唯一新越語学の失敗の話が聞けるんで、
これうちだけですからね、これは。
そうですね。
貴重なノーネームさんもチキンさんも感想されてるんで、
成功の話しか聞けないですけど、どうしたら失敗したかっていうところが聞けるんで。
なぜ失敗したかっていう。
なぜ失敗したか、これ大事ですよ、これ本当に。
大事ですね、来年度も勝手に。
そうですよ、大事ですよ、これは。
じゃあちょっとまずスタートから荒瀬原ですね、ウォーターステーション、ウォーターエイドステーションまでのお話をちょっとしたいと思います。
野口君、このウォーターステーションエイドのところまでどうでした?
大体14キロ。
基本的には前半は飛ばさないっていうのは基本だとは思ってたので、
それを念頭に置きつつ走ったかな。
手前の林道の登りがあるじゃないですか、あそこはゆっくりでも走ってたら結構パスしたなっていう感じでした。
あと水を結構飲むつもりで飲んでたので、
事前に喉が渇いたら飲めみたいな話もあったんですけど、
それよりは決めた量を結構飲んじゃうタイプなので、
それで飲んでて、荒瀬原着くときにはボトル2本が割と1本半ぐらいは空になっている状態。
それはプラン通りではあったんですけど、そんな感じです。
野口くんは今回のCNNに関してはA目標としては何時間目標で設定してたんですか?
A目標が一応サブ24。
Bとしてはそこから2、3時間ぐらい?
あんまりBを目標にしてなかったんですけど、
サブ24ぐらいで気にしてた時間はそれ。
それが無理だった時にこっちに落とすとかっていう時間は用意してなかったです。
素晴らしい。侍みたいな人だな。
ちなみに渋滞どうでした?
渋滞はなかった。
なかったんだ、やっぱり。
一番最初の方ぐらい。
でもそれもみんな結構いいペースで行ってるなって感じだったんで。
1:36:02
そこまで気になるような。
自分が行きたいペースで人がいるから行けないっていうのは一回もなかった。
それは良かったですね。
私は結構後ろの方から妻とスターと一緒にいて、そこから渋滞にはまっちゃったんですよね。
そこまでだろうな。
さっき野口くんが言ってたちょっと緩やかな林道に行くぐらいまでは結構渋滞にはまっておりまして。
みんな歩いてる?
そうなんですよ。
もう本当に牛歩ぐらい。牛歩以下、止まるところも多くて。
一回下田で登って、もう一回応援の人に会うところあるじゃないですか。
巻き込んで。
そこって一回シングルトラックみたいな感じになるじゃないですか。細くなって。
そこも本当に全部止まったりしちゃってて。
野口くんとは逆に今回自分はオフィシャルで低ナトリウム症のお話してたじゃないですか。
ありました。
してましたよね。逆に自分は水飲みすぎるとそれになるのかなっていうところをずっと気にしちゃって。
前回の才能国の時はバカバカバカバカ水飲んだのに今回は確かに喉乾いたら水は飲んでたんですけど
さっき野口くんが言ってた緩やかな林道もとりあえずキロ7ぐらいでずっと走ってて。
で、ウォーターエイドステーションに着いた時に半分ぐらいしか水空いてなかったんですよ。
それすごいですね。
でも汗のかき方はもう本当にびっちょびちょに汗かいてて。
23度ぐらいだったじゃないですか、あの時の気温って。
そうでしたね、はい。
そのぐらいでしたよね。でもやっぱり去年よりどうもみんな暑いっていう話があったりとかして。
なんかフィルさんに聞いたら去年より暑いよこれってフィルさんが言ってて。
本当ですか、なんか去年の方が暑いって言ってる人もいたなって思ったんですけど。
で、相変わらずトレイル入っても風が抜けない感じ。
全然涼しくなかったですよね、トレイル入っても。
涼しくはなかったですね。
なかったですよね。
だからウォーターエイドステーションに行くまでは自分の中では体軽いから
自分はA目標がサブ27で、そこから3時間おきにBが30で最後はゴールしようか、完走っていう感じにしてたんですけど。
で、今回はサブ27で通るために予定表、ウルトラベーサーで作った予定表を見ながら走ってて
野口くんがおっしゃったように、前案あんま飛ばしたらダメじゃないですか。
1:39:01
はい。
でもなんか珍しく今回はその27で行こうと思っちゃったんで、
まあ多分それがおそらく知らず知らずのうちに足を使ってたんだと思うんですよね。
その渋滞にはまってしまったから、それをちょっと挽回しようみたいな。
まあ疲れてはいなかったですけど、ちょっとそれが後々ボディーブローのように効いてくるのかなっていうふうにしましたね。
野口くんがバーンフまでは2時間21分か。
わっちゃんが3時間ぐらいですかね。
ちなみに僕の2018年の時は2時間24分ですかね。
野口くんのほうが早いのかな。
そうですね。
距離はまあ違うんであれなんだけど。
一応自分のタイムが確かそのサブ24のオンタイムぐらいなんですよね。
バーンフまでが。
トモさんに作ってもらったタイムテーブルがあって、一応オンタイムなんで。
2時間20分オンタイムなんだ。
へー。
自分もバーンフは一応オンタイムで入ったはずなんですよ。
3時間。
3時間ぐらいがサブ27に対しては。
二幹線ちょっと後で言いますけど、
じゃあバーンフから今度赤池までになるんですけども、
野口くんこの区間どうでしたか、この14キロぐらいのが。
この区間は割と一人旅みたいにもうすでにこの辺からなった。
そうなんだ。
一人二人、たまに一人前にいたりいなかったり。
はいはいはいはい。
まあ淡々と走ったかなという感じですね。
あんまり印象に残ってないですけど、
ただ結構暑いなって思った覚えはあります。
そんなに足を使わないようにというのは意識しながら淡々と進めたっていう感じです。
ここでも水は結構飲んだかな。
確か1時間半とか2時間ぐらいかかったんですけど、
大体それぐらいあればボトルをどっちも空に、
2本持ってるボトルを空にするってぐらいの量が、
それぐらいが適正だと思ってたので、そんな感じで。
私はダバンフから会計は全体的に走れるコースだったっていうイメージが強くて、
で、たぶん野口くんとは逆で、周りに人しかいなくて。
で、一応心拍とスピードを見ながら走ってて、
心拍見ると大体140前後ぐらいなのにスピードがキロ7。
これはレースだから心拍が高いのか、それともわからないですけど、
1:42:03
森の中だからGPSがうまく反応するかどうかわからないですけど、
だから心拍でわからないですよ。
ただ140って自分の心拍で平地で考えると、
大体5分切るぐらいなんですよね、ロード走るときの。
でもそれがキロ7で140ってなってて、おかしいなってずっと思ってたんですよ。
でもレースだから心拍が高いのかなっていうところで無視し続けたんですけど、
もしかしたら周りに引っ張られて、ただ単純にペースが速かったのかもしれないですよね、今思うと。
そこはちょっとなんとも言えないんですよね。
体とスピードのギャップが全然合わなかったんですよね、このバンフカーな回帰は。
レースの前半っていつもなんか体感と心拍が、もうなんか心拍が壊れたなってぐらい合ってて。
そうですよね。
なのであんまり心拍は最初というか、あんまり大会中見ない、参考にしない。
主観的運動強度っていうか、それはどっちを。
それもアドリナリン出てどうなってるかわかったものではないんですけど。
そうなんです。
どっちをとは思いますね。
主観的運動強度も別に高いと思わないのに、心拍だけがその140前後いってて。
なんでなんだろうなと思って。
忘れますよね。
ちなみに枯減渡林道入り口、ここに行って野口くんが5時間8分ですね。
野口くんが。
で、はっちゃんが6時間21分。
別に問わせて問わせてなかったんですよ。
ちなみに僕のその時の記録が2018年ですね。
5時間22分です。
この時点でまだ野口くんの方が早いですね。
距離が結構違うんですよね。きっとそんなことはない。
2、3キロ違うのかな。
前半分がちょっと短くなったんですよね。
新しいコースになって。
ちょっとぐらいかね。
俺もよく分かってないんだけど。
3キロじゃない?
3キロ違ったとしたらキロ、例えば7だとしたら21分でしょ。
そう考えると、まあそうだね。
そんなもんか。5時間8分に対して5時間22分なんで。
3キロ違って20キロ違ってある。そんなもんなのかもしれないですね。ペース的には。
この赤い毛まで野口くん補給とかはどうでした?
補給は、だいたい自分で1時間で200キロカロリーぐらいを取るって決めてやってて。
それを計画通りに取ってましたね。そこまでは。
何を取ってました?この補給では。
1:45:00
コナンに水に混ぜるチャレンジャーとか。
グーか。6点。
ドリンクミックスとか、あとジェルとか、ちょっと固形のやつとかを取ったり。
それらを組み合わせて。
組み合わせて。なるほど。
この間はこれにしようという計画をあらかじめ用意しておいて、それを貯める。
あとウィラインゼリーとかは定番でいつも持つんですけど。
私もそうですね。この補給に関しては全然問題なくて、自分はスプリングと、
あとアンデューと、スポーツ溶管と、あとはマナバーを野口くんが言うように1時間ごとに変えて。
だから別にここで何か気持ち悪くなるとか、そこら辺っていうのは別になく、
淡々と自分も1時間に約200キロカロリーぐらい取って、
あとちょっと足らない部分はイードル食べるっていう感じだったんで。
そこはなんか普通にいけましたね。いいに関しては。
で、次が赤池からアパまでなんですけども。
ここがちょっと下りがかなり長い区間になると思うんですけども。
このだいたい20キロ、19キロぐらいですかね。
この赤池からアパまでは野口くんどうでしたかここは。
長い下りが結構きつかったね。
というのも結構汗かいて足の中がもうびっしょびしょになっちゃったんですけど、
それで結構靴の中で足が動いちゃって、
親指がすごいガンガン当たるみたいな状態になっちゃってて、
この赤池からの下りで。
それで結構下り、スピードも全然出してないんですけど、
もともとここはスピード出さない下りだとは思ってたんですけど、
それでも結構足痛くて、結構ストレスになりながら、
林道の下りつらかったですね。
いつ終わるかなと思ってるような。
全然速く走ってないのにそんな感じ。
分かる。
だったっす。
自分も野口くんが言うように、この区間で言い訳なんですけどね、
一番主で使ってたヘッデンが、思ってたよりも全然バッテリーが持たなくて、
すぐチカチカして暗くなっちゃったんですよ。
このタイミングは嫌ですね。
Petzlのなおプラスなんですけど。
一応Bluetoothでスタンダードで12時間設定にしたんですけど、
ですよね。本当に言い訳が欲しいんですけど、
暗くなっちゃったんで、ここの下りで何回か足首ひねったり膝ひねったりしちゃって、
多分野口くんが言うように、この長い下りで自分も膝場を置いといて、
よく友さんとか田中さんがおっしゃってたと思うんですけども、
下りって曲げちゃうとスクワットの連続になるんで、
1:48:01
死闘禁がやられるみたいな話を自分もLDにいた頃に聞いたんで、
よくお話は聞いてたんですけど、
おそらく平地と同じような感覚でこの緩やかな下りを走ってしまったことによって、
連続的にずっとスクワットをやってる状態に陥ってたと思うんですよね。
アパに着いたこの52キロの段階で、
西の国の52キロの時の死闘禁の疲労度があれちょっと違うぞと思っちゃったんですよ。
また西だったら多分一周終わったぐらいで、ここで疲れてたらダメじゃないですか、
ここら辺でこの52キロなんて。
その時に対してこの死闘禁の疲労度はちょっとおかしいなと思って、
だから多分この下りでそんなに飛ばしてるつもりはないんですけど、
多分その設置とかそういったいろんなところで、
ただMOMOを使うような走り方を多分してたはずなんですよね、今思うと。
何、今回の企画は新しいライトを買った方がいいっていうことですかね。
そう、あとですね、靴がちょっとですね、微妙に合わなかったんですよね。
何使ったの?
親指のところにカーボンがあるじゃないですか。
ベクティブの話?
はい。
あれで、もともと練習でずっと真似ができてるのは分かってたんで、
でも最近やっとできなくなったんで、できなくなったんで、
そこも一応テーピング巻いて、万全にしてたんですけど、
別にそれがDNFのあれではないんですけど、
ただ豆が異常にできてしまって、
もう一回ちょっと靴は再検討しなくちゃいけないようになってきた。
設置の仕方じゃねえよ。
そう、だから取ろうと思うんですよ。
靴のせいじゃねえじゃん。
いや、でもどんな状況でもできちゃったところがあって、
で、たぶん野口くんが言うように靴の中で滑っちゃったんですよね。
それは靴の紐のすり方じゃないよ。
だからベクティブを僕はディスるつもりないんですよ。
いいよ、全然。
本当に素晴らしい靴だと思いますし、
ただ自分はその下り方が下手な性分であるんで、
うまく下れればそこら辺は問題なかったと思うんですけど、
ただそこがうまく処置できてなかったんで、
死闘品が結構思ってるよりは来てありましたね。
勝たせぬ江ノ島に行ってやり直しですね。
そうですね。
本当にやり直しですよ、これはマジで。
そこの話だけであれば、はい。
本当にそのものの言い訳にはしないです。
はい。
で、次がアッパーから。
青少年。
ちょっと待って。
田中さんどうぞ。
今の話だとアッパーまで。
アッパーまでの話だと野口くんが7時間、
インが7時間。
はい。
あっちゃんが8時間31分ですね。
はい。
1:51:00
ちなみに参考に僕がアッパーに入ったら6時間24分ですね。
ここで20分ぐらい。もっとですか?もっとか。
10分ぐらいか。
6時間24分なんで30分ちょっとか。
そうですね。
巻き返してるっていう。
参考に。
ここまではあれですか。
そんな大きくは田中さんがおっしゃってたコースとはあんま変わってないんですか?
そのプロファイル的には。
変わってないと思う。
多分バンフから先は変わってないと思うよ。
変わってないですかね。
今年は確かね、バンフから青少年の家がちょっと変わってるかな。
今年の方が若干短くなってんじゃねえかなっていう気がする。
コース変更の話を聞いて。
田中さんはやっぱり上りとかで巻き返されたって感じなんですか?
いや、だってあれでしょ。バンフから赤池は基本下り基地。
下りですね。
いや、巻き返してない。普通に走ってるだけです。
僕の時は赤池までは結構集団で走ってたんですけど、赤池から結構集団がばらけたっていう感じですね。
僕の前を走ってたのは2名ぐらいいたんですけど、
僕はトイレ行ってる間にそこで集団がばらけて、前の方にすげえいっぱい人が行っちゃったっていう状況でした。
ちなみに野口くん、エイドワークっていうのは、例えば何分で出るとかっていうのはそこらへんは前もって決めてたんですか?
具体的に時間は決めてなかったですね。
まだできるだけ早く出るぐらい。実際そんなに早い方じゃないんですけど。
自分も一応5分、トイレ待ちとかはあったんで何とも言えないですけど、一応5分以内には出ようかなっていう、一応自分も心持ちでは。
ちょっと赤池からどっかでトイレ待ちがあったんで、ちょっとそこで長くなっちゃいましたけど、たださっさと出ないとやっぱりね。
ちなみに野口くんがアッパーで7分ぐらいかな?7分ぐらい。あっちゃんがアッパーで12分。
はい。
13分。
僕はサポートをやっていただいてたので、SGAのメンバーの方に。
それもあってだいぶ負けた時間は短くできただろうなっていうのは。
いや7分長い。
厳しいな。すいません。
いや分かんない。僕の感覚が7分長いから。3分ぐらいかな。ストレートが一つの基準かなと思ってます。
1:54:07
おっとこれグードレにならなくなっちゃいましたね。
ごめんねごめんね。これ僕の基準ですから。
言葉もございません。
すいません。
でちょっと先にじゃあアッパーから、野口くんの失敗した方から先に話しますね。
でアッパーでコッシーさんがですね、肉離れをしてしまいまして。
ミートグッバイ。
そうなんですよ。で辞めるっていう話になって。
で、じゃあちょっと俺頑張りますよって言って、ちょっと走ってたら今度二羽さんもやっぱりちょっと体調、胃腸トラブルで辞められてしまったところに自分で会って。
俺これちょっと兄さんたちやばいんで俺頑張りますよって言ったんですけど。
この本当に別にアッパーまではそんなに別に体が重いとか全然なかったんですけども。
妙高って一回下りきるじゃないですか。であの川沿いみたいなところを緩やかに上がっていくじゃないですか。
知ってるよ。
はい。であそこに入った瞬間に尋常じゃないぐらい自分体が重くなったんですよ。
はいはいはい。全然知らない。
そうなんですけど、数日ですが尋常じゃないぐらい体が重くなって、で走るとオエツを催したんですよ初めて。
でそのオエツを催した原因がわかんないんですけど、あのアッパーでクエン酸飲料をちょっと入れたんですよね水に。
はいはいはい。
これ別に大したレース中飲んだことないんですけど、クエン酸で筋肉のあれじゃないですか。
わかりますよ、中田さん言わなくていいですよ。
飲んだら口の中がすげー渇きを覚えちゃって、ちょっと走ると口の中が渇いて喉が張りついて、それでまずオエツを催したんですよ。
で逆側に汗もかいてたんでトップスピードを入れたんですけど、今度トップスピードの甘さが嫌になっちゃって。
ミネラルタブレット。
ミネラルタブレット、はい。
でその2つで、ちょっと水分取ることが若干嫌になっちゃったんですよね。
でも多分取らないと汗も出るんで取ろう。で取ると今度逆に口が渇くっていう悪循環に陥ってしまって、全然走れなくなったんですよ。
あの緩やかなって、本来では多分走らなくちゃいけないと思うんですけど、
走ったり歩いたり走ったり歩いてたぶんすればいいと思うんですけど、そこでほんとほぼ善がる気になって、
でまあ膝もだんだんちょっと違和感を覚えてきて、でいろんな選手から抜かれるじゃないですか。
で妙顔つくじゃないですか。
悪魔のささやきが来るんですよ私に。
で一応まあビッグマウスの兄さんたちにちょっと膝が、下りで膝がちょっと耐えると膝がちょっと前に動く感じがあったんで、
1:57:04
まあ膝の膝であんまりよくはないなと思ってて、どうしようかちょっと考えます。
でその時に着いたのがちょうど5時25分ぐらいだったんで、
多分全然まだ多分サブ28とか29ぐらいの多分ペースだったのは全然わかったんですよ。
でもただこの膝の中900、これから下輪で上がって下輪で下る時に膝がついていけるかとか、
まあいろいろ考えたらちょっとこれから先考えると思って、ちょっと今回はやめた方がいいのかなと思ってですね。
ここで初めて自らやめますと告げて、私の新月5月2023は69キロです。
終わりを迎えました。
何、青少年の家でやめたんだ。
やめました。
結構止まって悩んだんですよね、どうしようかなと思って、行ってもいいかなと思ったんですけど、
でも本当に初めてあんなに体が重くなったんですよ。
ステップも踏めないぐらい重くなって、ステップ踏むといつも様子っていうのが本当に初めての経験だったんで、
あと69キロ時点での死闘筋の筋肉の疲労度具合が自分の想像を超えてたっていうのもあったんで。
だから多分そう考えると一応藤岡さんにもちょっと終わってから連絡したんですが、
多分水分が思っているよりも全然足らなかったんじゃないっていうのは。
あと多分その前半、飛ばしすぎたわけではないんですけど、多分前半で27時間っていうものにこだわって、
で多分サブ30でもいいかなっていうところを優先順位下げないで、
気持ちの切り替えができなかったところで悪魔のささやきにもやられたんじゃないみたいなことを言われて。
メンタルってことですかね。
そうですね。
簡単に言うとメンタルってやつですね。
気持ちは痛いほどわかりますけど、奥さんに抜かれるまでやっちゃえばよかったんじゃないかなって思うけどね。
そうですね。
1時間ぐらい待ってたら来たんですよ、うちのが。
でうちの後ろでまた元気そうで、マジかこいつと思って、すげえなと思って。
そこは奥さんと一緒にゴールしようかなとか思えば。
そうなんですよね。
そこが切り替えられるとだいぶ違った感じ。
自分の目標があるっていうのと、僕もいろいろ途中でやめたことがゼロじゃないっていう気持ちも非常にわかるし、
チャンピオンゲームで下るのが結構大変だっていうのも気持ちももちろんわかるんですよ。
別に心悦に対して舐めてたわけでもないですし、ちゃんとそれぞれの練習はしてきて、一応望んで。
2:00:01
調子はそんなに別に悪くはなかったんですけど。
ただやっぱり、今回の最の国と前回完走した孔明。
孔明もちょっと別に参考にならないですけど、やっぱりあんまり前半自分動いちゃダメだなっていう気はしましたね。
前回の最の国っていうのは多分本当に田中さんと3周目ゴールするまでは本当にセーブしたんで。
だから多分自分の、まず27時間が自分の力量に対して反れそうだったかもちょっとわかんないとこはあるんですけど、
その前にやっぱり前半っていうのは周りがうんちゃらっていうよりも多分自分が気持ちいいペースでいかなきゃダメなんだなっていうのはありましたね、そこは。
最近自分でコーチングでよくやってて、ITRAのポイントが力量に合ってるかどうかっていうのは結構見たりしてるんで、
一旦そこを基準にしてもいいんじゃないかなと思うけど、ちょっとあれ金かかるから。
そうなんですよね。
わかんない場合があるからあれなんだけど、俺に聞いてくれれば別に力量に合ってるかどうかっていうのはすぐわかると思うんで。
あとは藤岡さんが今回アイアムタフを完走されて、そこはやっぱりうまく目標時間に対して合わないんで、
次の設定タイムで行こうってどうしても完走っていうところがあって、やっぱりそういうメンタルがある。
でも自分も今回104戦目なんで経験値が全然ないんで、そこら辺で38,000払っていい高い授業料払ったなっていう、
ダメなレースのいいお手本になったかなって感じですね、私の中では。
そういう意味であれだよね、いろいろ情報収集してどうするかっていうのは一つなんじゃないかなと思う。
だからちょっと栄養とか、運動性では別にそこまで大切だ、大それだもんではないですけど、
もうちょっと自分の食べ物とか、筋肉の構造とか、100マイルに関しての部分っていうのはもうちょっとやっぱり深く勉強しないといけないのかなっていう。
準備が、準備するという意味で、いろいろ勉強になったんじゃないですか。
勉強になりました。もう私の話は置いとき。
あとは11時間25分で終わったと。
青少年自然の家で終わったという話ですね。そこに比べて野口君は。
そうですね、ここから野口様のお話を私の配当させていただきます。
そんなにいいもんじゃないけど、
そうですね、アッパー出たところからでしたよね。
アッパーで足痛くなって、下りで痛くなっちゃってたっていうのもあったんで、まずアッパーで靴替えて。
あと結構前半でアルバチキ感じなんですけど、普通に疲れちゃってて。
後からサポートの高橋さんからも言われたんですけど、相当アッパーでやられてたように見えたよとか言われて。
2:03:04
そんな具合だったんで、ちょっと抑えていこうかなと思って青少年までいたんですけど、
靴替えたおかげで下りが痛くならないようになって、それは本当に助かったんですけど。
それもあったのと、この間ってあれですよね、ロードの登りが長かったところでしたよね。
そうですね、そこはちょっと前に人が見えてたので、どの人から離れすぎないくらいで、
なんとかその人を目安にゆっくり登るみたいな感じで、できるだけ走って登れるところ登って、急なところは全然歩いて、
ロード長いなと思ってここは進んでた覚えがありますね。
ロードも結構途中急な登りになったんで、そこはもうだいぶ歩いて、青少年についたって感じですかね、この辺は。
特にここの時、胃腸トラブルとかも特になく、順調に疲れてはちょっといたんですけど。
えー、青少年あれだよね、結構川沿いの緩やかな登りだよね。
そうですね、はい。
昔トモさんとよくしてたのよ、その前の下りから登りになるから、ここは落とし穴だよ、みたいな話になってて。
個人的には2017年でこの登りですげえ飛ばして、僕はその後結構潰れたことは潰れたんで、
18年の時は結構慎重に行った感じですかね。
でも一番に迷うくらいですよね、あそこ。
まあそうだけど、あ、司令から来た。
そうなんですよね。
司令から来たよね、あそこ。
結構ね、長いんですよね、緩やかに行ったんですけど。
で、青少年につきました。
これ野口くんのサポート誰がしたんですか、LDAの。
LDAの、こ本期からLDAの高橋さんっていう方。
で、その方が常に一人帯同してくれて。
はい、要するに別のLDAの中心を担ってくれたりっていうのはあります。
次、青少年はここでも映像で足にテングバームとかを、結構ふやけちゃっていたので、
足にテングバームを塗ったりとかして、結構時間を使った覚えがあります。
この時結構タイムテーブル、サブ24のタイムテーブルよりも結構巻いていたので、
確か20分くらい巻いてたんですけど、
それってもうちょっと早かったんですよね、今思うと。
もっとゆっくりでもよかったんですけど、それでちょっと抑えろっていう話に、
2:06:00
抑えろっていうところでアドバイスをもらっていて、
要するにそこから青少年から池の平に行くんですけど、ここで結構眠くなってきちゃって。
確か青少年出て池の平までって最初の方は登って、
ロードを下ってチャンピオン下連でみたいな、ざっくり言うとそんな感じだったと思うんですけど、
最初の登りのところで結構眠くなって、
それが眠気のせいだって気づくのに結構時間がかかって、
なんかもう全然ダメだなっていう感じで進んでたんですけど、
ただ眠いだけかもしれないと思って、
カフェイン入りのメダリストを持ってたので、それ飲んだらだいぶ元気になって、
そこからロードを下って、結構長めのロードの下りがあるんで、
それを下ってチャンピオン下連でもそれなりな感じで登れたかなっていう気はします。
チャンピオン下連って何?ロードの下りなの今?
チャンピオン下連での手前、そうです。
手前が…
確かそう。
チャンピオン下連での手前にロードの下りがあるんだ。
そうだ、そこだった気がしますね。
この思想禁止区間じゃないこの赤いところとかだったのかもしかすると。
結構長い、1キロとか2キロじゃないぐらいのロードの下りが結構そこ。
そっか…
下連で食らった後にピョコって出てる…ごめん、ほっときました。
ありますね、はいはいはい。
ここ?ここがロードなの?
下連…今、高低差イメージの中のやつですよね、多分田中さんがおっしゃってるのは。
チャンピオン下連で下ったときにロードの下りがあるんだ。ロードがあるんだ。
チャンピオン下連で登る前ですね。
そうなんだ、登る前にロードがあるんだ。
下りが?
下りが。
すいません、僕の記憶があまりないんだろうな、そこは。
そういうことね。
チャンピオン下連で登りますと。
そうですね、この頃ちょうど日、夜が明けてくるような時間だったんですけど、
なので結構チャンピオン下連でその涼しい時間に追い出たのはだいぶ良かったなって。
あと多分1時間2時間もしてたら結構日がもう当たって暑かったんじゃないかと思ったんですけど、
そこはなんとかって感じでしたね。
野口君はこの下連で着いたのが5時前ぐらいには?
そうだったと思います。
池の大沢に何時に着いたんだ?
池の大沢着いたのが確か7時ぐらい。
6時38分。
2:09:01
それぐらいです。5時とか6時とか。
なるほど。
で、チャンピオン下連での一番上の登ってるあたりで、
そうだ、大淵さん、ちーちゃんが前にいて。
で、池の大沢ぐらいまでは割と一緒に近いようなところを走ってましたね。
野口さんって言ってました?
名前知らねえんじゃないですか。
知ってた知ってた。
ちなみにね、今回頑張ってましたからね。
池の大沢から黒姫まで行けば、
あとはトモさんが待ってるっていうところなんで、
この最後の一人ですよね。
一人で走るのは最後の13キロ。
どうでした?
トモさんにやっと会えるっていうところまでの、
この黒姫までの。
とにかくここを抑えた方がいいって話に言われてはいて、
タイムテーブル的にも余裕はあるし、
ここで頑張って潰れたら、
潰れる、そんなことをしたらもったいないだけなので、
とにかく抑えていこうっていうところで、
抑えていってっていうところだなと。
そんなに、あんまりイメージ、印象にないところで、
割と緩い中でも歩いて登ったりとかしながら、
ここを抑えたのが結構大きかったなって後から思いましたね。
ここも結構頑張っちゃってたら、
多分黒姫から全然行けなかったと思ったので、
そこで抑えたのが結構回復できたなっていう感じでした。
ただちょっとこの辺で、思いっきり吐くとかじゃないんですけど、
ちょっと家の中が逆流してきて、
軽く吐いちゃうみたいなのが出てきたのがこの辺だったかなって思いました。
普段のレースから野口くん眠気に襲われることはあったんですか?
今まで100マイルとかそういうロングレース、夜を越すようなレースでは。
3回目なんですけど、
宣言が回った時はあんま眠くならなかった気がして、
タイのクリーンの時はちょっと朝方ぐらいで、
早く眠くなったので、またカフェインのやつ飲んで、
それ飲めば割と効いて元気になるっていうタイプですね。
特にカフェインが影響して何かちょっと吐き気を催したっていうわけでもなく、
他の原因からちょっと今回は。
だったんでしょうね。だと思います。
ちなみに黒姫まで野口くんは14時間14分ですね。
2:12:02
到着は8時44分です。
ちなみに僕がどれくらい着いたか知りたいですか?
12時間ぐらいと見ました。
おお、すげえ。11時間59分です。
すげえ。
ちなみに今年は11時間何分だったのかな。
数分だしね。多分一桁台だったんじゃないかな。
これスタート直後に、スタートでナミネムさんに会ったんですよ。
ナミネムさんにもやっぱり、
100キロ黒姫までレースしちゃダメだよってすげえ言われたんですけど、
守ってなかったって今ちょっとふと思い出して、
合わせるカーボンになった気がしました。
いいんですよ。失敗は成功のことなんであまり気にしないでください。
大丈夫です。家庭は明るいんで大丈夫です。
そうですね。
家庭は明るいんで大丈夫です。
どうでした野口くん、トモさんと黒姫で合流し。
心強い言ったらないですよね。
うん、そうか。
こんな声が出されることは後もお願いしますっていうのは、
まあね、確かに。
確かにそれはまあそうですよ。間違いないですそれは。
ちょうどそれも時間的にもプラン通りくらいではあったので、
なんとかここから頑張るぞってまさにそんな感じではありましたね。
余裕はなかったなって思い返すと思いますね。
黒姫の時点で、もちろん気持ちとしては行くぞってなってはいるんですけど、
体的に全然余裕ありますっていう感じではもちろんなくて、
結構疲れてるなっていう状態ではありました。
それはやっぱあれなの?タイムテーブル、
設定ペースより若干早かったっていうのが影響してるのかな?
うーん、そこだったのかな?正直わかんないんですけど、
場所場所ごとに結構早かったところがあったので、
そういうのの積み重ねが効いてた気がします。
何も考えずにもっとゆっくり走ってても、
そうした方が結果的に良かったかもなっていうのは、
少なくとも黒姫まではあったかもしれない。
暑さ的な疲労ですね。本当に無風な状態で、
どっちかというと結構蒸し風呂、蒸し風呂までいかないけど、
ちょっと湿度が高い状態だったじゃないですか、週4。
ちょっと朝方若干放射冷却で、ちょっと若干冷えたところありましたけど、
そこら辺の疲れっていうのはあんまりなかったんですか?
暑さ?いや、暑いのはあったんですけど、
サポートの高橋さんに毎回氷渡してもらってて、
首に巻いてっていうのはやってたので、結構それは本当に助かりましたね。
2:15:01
なるほど、なるほど。
江戸ごとよりも駆け水とかもありましたもんね。
そうですね、そういうのもありて。
なるほど。では次が黒姫から笹上までなんですけども、
トモさんのペーシングに乗っかってどうでした?
12キロぐらいですか?10キロぐらい?約11キロぐらいですね。
ここは、ずっと深夜前から言ってたんですけど、
この黒姫の林路を走れるかどうかっていうのが、
パーニングポイントになるぞっていう話はあったので、
ここを頑張ろうっていうところではあったんですけど、
実際全走りっていうのはできなくて、
頑張って走るけどちょっと歩くっていうのまでだから、
結果的に6割ぐらい走れたかな?7割?6割?
そうですね、ぐらい走れたかな?ぐらいの感じで登ったですね。
トモさんからも、歩きながらでもいいから行けるだけっていうところでやってもらって、
日陰を歩いて、次の日陰までゆっくり走ると、
結構歩いてる時に暑くならないからいいっていうところでやってもらって、
それで日陰を二人で歩いて、次の日陰なのか次なのかその次なのか、
とにかく自分が行けるところまで日陰を目指して走るみたいな。
もちろんシャドーはそんなにきつくない登りを走るみたいな感じで、
黒姫たちが登って、その後の下りですよね。下輪でちょっと下って、
下輪が下がりすぎたかな?そしたらゆっくり下って、
足場の悪いところを下るんですけど、
あそこもほんとトモさんの後ろだとこうも走りやすいのかと、
トモさんの足を追っかけてたら一番全然疲れずに下れるなっていうのを
すごい思いましたね、この時。
下りて神経使わないで下れるって相当大きいですよね。
そう思いました、それは。
それはわかります。
去年自分がペーサーやってた時よりも全然、
その時足ほとんど残ってましたけど、
その時よりも今回の方が下りやすいんじゃないかと思うぐらい、
そこの下りはびっくりしましたね。
上手い人が前へ走って後下るともう楽ですよね、ほんとに。
楽ですね。
それはわかります、ほんとに。
この辺りで結構前の人とかも見えたりしてきて、
一人足場の悪いトレイのところでバスして、
吊り橋のところで二人前が見えてみたいな、
一緒に立ってっていうところで立ったりして、
展開的に人がどんどん出てきて、
2:18:03
テンションが上がっていくみたいな感じがしましたね。
なるほど。ちょっとスイッチとか入ります?やっぱり人が見えると、
野口君の中で。
それはもちろん。
素晴らしい。
それもいいのか悪いのかっていうのもあるんだけど、
追っかけたくなっちゃうっていうのは、
特に後半、黒姫からは、
若干順位とかも意識したいなって思ってたのでしたね。
ささがみねはついて、
ここで失敗したなって思ったのは、
ささがみね、
すごい麦茶が欲しくて、
麦茶くださいってサポートの方にお願いしてたんですけど、
そこで麦茶飲みすぎちゃって、
ガバガバ飲んでたら、
エイドデザートもこの麦茶を吐いちゃって結構。
それは結構失敗したなって思いましたね。
飲むとしても1杯とか2杯とかで済ませといて、
残りはボトルに詰めて持っていくなりすればよかったんですけど、
その場で結構ガブガブガブ飲んじゃったんで、
っていうのはちょっと反省だなと思ったんです。
でも特に、
ジェルが食べれないとかではなく、
ただ飲んだ麦茶をリバースしただけで。
まあそんな感じではありません。
まあでも食べるの自体もなんかちょっと、
もともとずっとプラン通りに
30分にやっぱり口に入れてとか、
1時間に200キロカロリーに入れてっていうのが、
若干やっぱりこの辺から
ゴクってなってたかなっていうのは、
あった気がします。
あれ笹上寝田中さんあれですよね。
カレーが出るとこですよね。
あれは出るとこだけど、
俺はカレー食ったことないけど。
野口くんは食べました?カレーは。
食べてないです。
もちろんそうですよね。
ちなみに野口くんは。
ここって、
どうぞ、すみません。
野口くんは笹上寝場で1時間どれだったのかな。
1時間半ぐらいかな。
多分もうちょっとかかったですね。
1時間54分って書いてます。
ちょっと今タイムテーブル見てるんですけど。
タイムテーブルか。実際かかったのか。
実際かかったのか。
リザルトで計算したシートがあって。
はいはいはい。
これかな。1時間46分かな。
でもね、俺走った時はそんなにここの区間で調子良くなくて。
1時間36分とかかかってる感じですね。
10キロとはいえ距離が不利なんで、
1時間半ぐらいかかった。
2時間かかるかかんないかぐらいってことなんですかね。
そうだね。
2:21:00
なるほど。笹上寝。
で、次が、とりあえずが西戸田道入口までの10キロになるんですかね。
あと大林、そっから大林。
そうですね。林道までなんですけど。
ここじゃあ大橋林道。
徒歯区執まで行っちゃいましょうか。徒歯区執まで。
この笹上寝から徒歯区執までの。
ここもちょっと長いですよね。距離としては。
そうですね。
どうでした?ここら辺は。
この笹上寝出た後が結構つぶれちゃったんですよ。
割とつらくなって、結構だれだれちゃった区間になったんですかね。
なんか階段とか。
うん、ありますよね。
あそことかも、だんだんにつぶれて、
また後ろから来た人にパスされてみたいなのもあったり。
だんだんそれでゆっくり行ってたら、
またイストランドの登りとかは、
林道の登りっていうのは黒姫の林道と同じ作戦で、
陰から陰を目指して走るみたいなのをやってて、
それでそこそこバッと走れたのかな。
そこも6、7割走った感じで、
イストランドを着いて、そこからの登りも、
これ割と復活し始めたのか、
そこの登り、下りは頑張ってトムさんについていったって感じですけど。
そうですね。
結構その下りがまあまあ走れてたので、
それで大橋林道とかは、
下りの林道はまあまあサクサク下りてた気がします。
で、大橋林道の江戸でまた前の背中が見えて、
江戸もパワッと出て、
そっからはまあもうとにかく頑張るしかないみたいな、
もう終盤だと思ってたので、
もうとにかく頑張るしかないと思って徳島で、
結構登りも頑張れるところは頑張って走ってみたいな感じで、
とにかく前を目指すみたいな感じでずっと走った気がします。
そんな区間でしたね。
大橋林道から都学市は結構頑張ったなって覚えがあります。
そこでもまた一人パスしたりとかして、
結構順位もトムさんが逐一順位とか教えてくれたので、
これで十何位だとか、
15位とか14位とかその辺りをプロのしてたんですけど、
そんなでしたね。
都学市スキー場に着いたと。
着いたと。
この田中さん、笹上根から都学市スキー場、
野口くんのお話だと大橋林道から結構プッシュできたっていう話なんですけど、
この笹上根から都学市までっていうのは、
うまくどう質問していいかわからないですけど、
2:24:02
ポイントとしてはどういうポイントになるんですか?
特に大きい登りもあまりないのかなと思うんですけども。
ないですね。
結構フラットなところで、
神社はあるのかな?都学市神社があって、
神社はありますね。
香川美池っていうところがあるっていう、
結構フラットだし、
木道みたいなところがあって、
すげー走りやすいとこだと思います。
僕の思い出は、この区間すげートイレ行きたくて、
トイレマジねーかなっていう、
ずっと考えてた区間っていう記憶しかないです。
自分がレースしてるときね。
結局途中でトイレがあって、
トイレに寄ったっていう。
オチなんですけど。
ここで野口くんがプッシュできたっていうのも、
よかったというか。
そうですね。
プッシュするべき場所だったんじゃないかなと思いますね。
ここはある程度ボーナスポイントじゃないですけど、
切れればこちらのほうが有利になるという。
前半は潰れてたんですけど、
前半自分が潰れてパスされた方が、
もうちょっと後の都学市って前では、
結構辛そうにしてたのを、
自分がパスしたいなって思って、
やっぱりみんな辛いんだなっていうのを思いましたね。
自力でいいところでやってるんだなって。
3戦目なのにそこまで冷静に考えられる。
いやいや、もう冷静じゃないですよ。
いやいやいや、すごいな。
では最後ですね、
ラスボスネノから、
イーズナ行ってゴールまでっていうところになるんですけども、
ちょっとあれなんですよね、
去年もんなのかな、
ちょっとゴール間際が若干ちょっと違うんですよね、
今までと例年と。
なんか上らされるみたいな、
ちょっとそこも込みで、
都学市からゴールまでのお話を
伺えればと思うんですけども。
そうですね。
このネノーとかどうでしたの?
ネノーまではちょうどそこで、
都学市の江戸3人ぐらい同時に出るんです。
なかなか競ってる感じで。
確かに11位、12位、13位みたいな状態で、
もしかしたら12位、13位、14位かわからないんですけど、
それで都学市を出て、
そうなってくると、
その3人のうち2人はペイさんいなかったので、
3人プラス友さんみたいな感じで江戸出て、
そこからはもうプッシュじゃないですけど、
タイムトライアルかのように
個人的にはネノーさんを登ったんですけど。
へー。
そうですね。
後ろで頑張ってはいたんですけど、
後ろに1人ベタ付き、
9位に入賞した戸田さんって方なんですけど、
2:27:03
その方が後ろにベタ付きしていて、
ちょっと頑張るしかないと思って、
戸田さんなんかも2人で一緒に頑張ったら、
もっと前を得るから頑張ろうみたいな感じになってて、
自分はただ1人だけ必死に
ゼーゼーゼーゼー言いながらネノーさんを登ってたら、
3段ロケットの3段目、
一番一通り下連での登りで、
戸田さんがプッシュできたのに
僕はもう全然ついていけなくなって、
かわされちゃうんですけど、
とはいえもう頑張るしかないので、
とにかく頑張って頑張って登って、
下りも戸田さんどんどん背中は遠くなっていくんですけど、
僕はちょっと頑張って下ると思って、
遅くからは戸田さんもどんどん見えなくなっちゃうんですけど、
誰かがもしかしたら別の人が落ちてくるかもしれないっていう期待もあるんで、
とにかく自分としては頑張るしかないみたいな感じで、
飛ばして飛ばして飛ばしたのが、
イズナリンドまでって感じで、
あとすごく端的に言っちゃうんですけど、
僕のレースはそこで終わってしまったみたいになったんですけど、
イズナで残したレースは?
自分だけ150キロのレースをしてしまいましたっていうのは、
本当に反省なんですけど、
イズナリンドからもちろんとにかく前を追っかける。
そこで10位まで8分みたいな話もあったんですよね。
12位でイズナリンドに入るんですけど、
頑張って走る以外の選択肢はその時はなくて、
イズナリンドに出たんですけど、
2キロくらいで全く体が動かなくなっちゃって、
精神的にもよくわかんない感じになっちゃったんですけど、
完全に充電切れみたいになっちゃって、
真っ直ぐ歩くのもできないみたいな感じになって、
自分はもう辞めちゃうみたいなことも言っちゃったんですけど、
そこからはとにかくゴールまで行こうということで、
もう全歩きしちゃったんですけど、
リザルトに見ると、
イズナリンドからフィニッシュまで3時間以上かかったんですよね。
まだここの自分の弱さなんですけど、
そこはまだ正直精神的な状態だったんですよね。
自分は自分の状態が悪いんですけど、
自分の状態が悪いんですけど、
自分の状態が悪いんですけど、
正直整理がまだついてないところではあって、
潰れた後も本当はもっと、
本当は全部悪いんですけど、
ちょっとでも走ろうとできなかったなっていうのは、
なかなかまだまだダメだったなと思って、
2:30:01
ちょうど今日それこそ、
あつさんの奥様のブログを見て、
ちょっとほんとそれを見て、
泣いたんです昨日。
ありがとうございます。
自分が情けなくなっちゃうというか、
そんな感じですね。
ハンガーの奥だったの?
結局何だったかっていうのは分からないんですけど、
ハンガーの補給も、水も、
食べる方の補給も、
結構おろそかにしちゃってたなっていうのは、
後から思うとあったので、
それだった可能性もありますし、
脱水だったのかも、
前回バランスが崩れたのかみたいな、
いろんな可能性はあるんですけど、
やっぱりちょっと、
最後の最後で根性というか、
自分の強さが足りなかったなっていうところですね。
このイルナリン島からフィニッシュのタイムが、
全観測者の中で下から2番目なんですよ。
255位。
嘘みたいな順位になってるんですよ。
ここは、中さん何かあれば、
私言うもんもあんないですけど、
私はもうミッフィーですよ。
ちなみにイルナリン島までどうだったの?
都学誌からイルナリン島までの気持ちと、
ついた後の気持ちと。
本当に潰れるまでは、
もうとにかく前に行くぞって感じだったんですね。
ただもう、
辛すぎると同時に思ってて、
もうこのままじゃヤバいって思いながらも、
もう行くしかないっていうのを責め合ってる感じでしたね。
それがイイズナまで?
イイズナついてどうだったの?
とにかく早く出ると思って、
パッと出ちゃったんですけど、
イルナリン島も潰れる直前までは、
頑張って走ったつもりだったんですけど、
急に本当に止まっちゃって、
もうそこで終了しちゃったって感じです。
自分の気持ち的にはどうだった?
気持ちですか?
わけ分かんなくなっちゃったんですよね。
止まった後は。
今どこで何やってるのかみたいな。
ぐらいになったんですけど。
わけが分かんなくなっちゃったですね。
多分出し切ったんだろうね、そこまでで。
本当にそんな感じです。
そこでもうちょっと余裕を持って走っていれば、
2:33:00
後が違ったのかもしれないよね。
そうですね。
もしかしたらもう限界を超えてたから、
ある意味100%以上のことをやったんじゃないかなと思う。
そんな感じだった気がします。
それでしょうがないかなと思います。
自分の話で言うと、
2018年は都学市のキャンプ場に出た時に、
すぐ後ろに3位の人がいました。
結局、
イースラリンドまで後ろにいたんだよね。
1分30秒。
すごい。
ぶっちゃけ負けるわけにはいかないと思ってたから。
僕はそこでプッシュはできたんだけど、
ある意味、
自分は余裕があったからできたのかもしれないし。
でも野口君は別にね、
そこまでできなかったかもしれないけど、
今回は自分の100%以上のことをやって、
この結果だったんじゃないかなと思うし、
僕も君のキャンプ場に出た時に、
1分30秒、
僕も君の走りを見てて、
イースラリンド12位に入った時に
マジかよって思ってて、
ここからいけるんじゃないかなと思って、
最終的に落ちたんだけど、
出し切った結果なんじゃないかなと思って見てましたね。
潰れて座ってまして、
すごく情けなかったり申し訳ない気持ちはあるんですけど、
最後まで前を行くというので、
出たものもあるとはもちろん思ってますし、
ここまでいったらもうダメなんだという連回も思いましたし、
普段のLEDの練習とかでも、
この辺でいいやって落としちゃうところから先を
もっと伸ばさないとダメなのかなっていうのも
今回強烈に感じているので、
これを糧にしたいなと、
これからの自分次第かなとは思ってます。
本当に後半にチャレンジして、
最終的にダメだったんだけど、
しっかり完走できたっていうのは
僕はすごい良かったんじゃないかなと思いますね。
これからの経験としてもね。
黒姫で17位で、
最終的に飯浦で12位まで上がっているわけだからさ。
本当にトモさんのおかげで、
完走できたのもトモさんのおかげで、
いなかったら飯浦林道で滑落してたんじゃないかってくらい
ぷらぷらになっちゃってたので、
あんな広い林道で、
2:36:00
やばいなって感じだったんで、
一緒にフィニッシュできた時は、
サポートの高橋さんも飯浦林道で、
あと1時間半くらいで帰ってくると思ってたのが、
3時間以上かかって戻ってきて、
止まってくれて、
3人で一緒にフィニッシュできた時は、
良かったなっていうか、
本当に完走できて良かったなっていうのはその時思いましたね。
滑っちゃいましたんですけど、
今思ってます。
ある意味チャレンジして、
チャレンジ失敗してしまったかもしれないけど、
良いチャレンジだったと僕はすごい思いますね。
どうですかね、斎藤さん。
いや、この成功と失敗が同時に聞けるっていうのは、
なかなかないと思うんですよ。
でも野口君は、
脳みそがそれ以上やめろっていう話ってことですよね。
120%以上のことをすると、
人間の構造として、
そんな気がしますよ、話聞いてると。
それ以上言っちゃったらあんた死んじゃうよみたいな。
だからやっぱりね、
より一層これで強くなるんじゃないかなっていう気はしますよね。
ブーストの使いようで。
そこは多分、私も野口君も、
これからの勉強というか、
私なんで全然おこがましいんでもあれですけど。
ブーストの使い方、マジすげえ難しいよね。
あると思うけど、
あっちゃんの奥さんはブーストは聞いたから良かった。
そうですね。
私も前回の3位の時は、ある程度は使える部分がありましたけど、
そこのタイミングが多分自分だったら、
あれは判断見誤ってると思いますし、
だから多分うちの妻も、
いいところでペイさんの順二さんがそれを言ってくれて、
判断が良かったと思います。
ブーストが聞いたから。
野口君の場合は、せめて、
野口君的には納得できないところがあるかもしれないですけど、
攻めたっていうのはやっぱり素晴らしいなと思いますよね。
それでも25位ですからね。
そうですよね。3時間かかったとはいえ。
2回目の100万円で。
嬉しいですよね。
どうでしたか、このバックルというのをもらって、
次の日の表彰式なんですけど。
バックルは嬉しかったのと、
なんか表彰式を見てすごい悔しいなっていうのを、
表彰台に上がれなかったことが悔しいわけじゃなかったんですけど、
なんかもったいわれたんじゃないかなっていう、
その悔しさみたいなのは、
どうしてもありましたね。
今のバックルはバックルで、
嬉しいなっていうのは素直に思った。
これは別に何か苦情を言いたいために言うわけじゃないんですけど、
もらったバックルがちょっと表面が欠けてて、
これは交換してくれって言ったら、
2:39:00
もしかしたらしてくれたかもしれないですけど、
ちょっとこれはもう1回行こいってことかなと思って、
次はちゃんとやろうかなって思って。
もう1回行こうかなって思って、
どんだけあなた人間がいいんですか、本当に。
足手取りに行こうと思います、次は。
生対話じゃないですか、それ。やっちゃいますか?
ごめんなさい。
口が滑っちゃいましたね。
すいません。
不適切な発言があったことをお詫び申し上げたいと思います。
この場を借りてお詫び申し上げます。
素晴らしいなぁ。
野口くんいい人ですね。
確かに私も、正直あんまり表彰式参加したくなかったですかね。
でもね、妻が歩けない状態だったんで。
要介護状態。
要介護だったんで、もう行くしかなかったんですけど、
やっぱり同じ気持ちになりましたね、なんで辞めたんだろうなとか、
そこはただすごくいい勉強になりましたね、本当に。
またみなこ師匠の表彰式が輝いてたなって。
さすがですよ。
さすがでしたね。写真通り行っちゃいましたもん、僕も。
素晴らしいと思って。
いつか野口くんが勝つと僕は思ってるんで。
ありがとうございます。
え、じゃあ来年も挑戦するの?
今のところの気持ちではそうなんですけど、
2週間後にはなんて言ってもまだわかんないところは。
ただ、今は出たいな。来年もクリック合戦に勝つことができたら。
あっちゃんは?
出たいなと思って。
私ですか?私出ます。クリック合戦を越えなくちゃいけないありますけど、
次はもう何があっても完走しますよ、本当に。
祝福…
報復先進ですら俺は完走しますよ、絶対に。
FAさんお礼さん?
ずっとサポートしてくれるって言ってたんで。
今回あれなんですよ、会う人、例えば
秀木さんもそうですし、ときみんごの琴音くんもそうなんですけど、
表彰式で会ったら、田中さんおらんからでしょとか。
田中さんいないからでしょって言われて。
だから今回のテーマは田中さんがいなくても、
自分でちゃんといろいろできるっていう、再現しようと思ったんですけど、
全く真逆になっちゃったんで、
ちょっとその宿題はまた来年も少しかなっていう。
あとはうちの妻の言うことをよく聞いて、
コース戦略をしてちょっと。
若干油断した?
したのかもしれないですよね、結果論で言えば。
あとちょっともうちょっと体絞って、あと5キロぐらいは体重…2、3キロですかね。
60キロぐらいにはずっとしてたいなと思ったんで。
栄養とかいろいろちょっと勉強して、また来年頑張ろうかと。
2:42:04
ちなみに僕は出ないんで。
でもあれですよ、今回吉野家とか出てましたよね?
え?
吉野家。
吉野家?
はい。
どこに?
スタート地点です。
もしかして食べませんでした?吉野家。
いや、食ってないです。
え?
まだ出てたんですか?あんまり食べたい。
あとコンビニ、セブンイレブンが車で来たりとかして。
あ、そうなの?
なんかそれで事前注文しとけばみたいな。
なんかあったっすよね。
いや、あれ当日も買えたんですよ、普通に。
えー、あ、そうなんですね。
そうそうそうそう。
あとなんかデリバリー…デリバリーじゃなくて、ピザのお店があったりとか、
あとはあれか、友谷さんのコーヒーの何でしたっけ、オーバービューコーヒーがあったりとかスタート地点で結構そこら辺で色々と似て終わってましたよ。
で、あとは自分の中で面白かったのが、
沢柳大先生が筆形チェックの時に、電池が上手くはめられなくて、長いからもう一回並んでくださいって言われてやり直しを食らってるのを見て、面白かったなっていうのがありましたね。
大先生どうしたんですか?
ボタン電池が外れねえって先生は冷や汗かいてましたけど、何やってんだろうと思って見てましたよ。
ボタン電池ってどんなライザー使ってるんですかね?
わかんないですけど先生がずっと悩まれてましたね。外れねえ、外れねえって。
そんな困難な新月豪華でございましたが、楽しい大会でした。
またあれもね、皆さんの結果を聞けると。
そうですね、今回。
河長さんも完走され、あとは山口さんも10年ぶりに100マイル完走して。
彼が完走してから僕は100マイルを走り出しましたからね。
あ、そうなんですね。
そうだと思うよ。15年のUTMFじゃん。
森が初完走したのは15年。
あ、そうなんですね。
確かそうだね。
あとまあちょっとハイさんが残念な結果でしたけど。
はい。
まあなんかうちの妻とも交通庁で会ったみたいで。
はい。
なんで帽子かぶんないんですかって聞いたら、帽子が嫌いだからですって会話を送る広げだってましたけど。
はい。
はい。
山田明さんに萩さんが潰れてるからなんか声をかけてくださいってメッセージをもらったんで、
とりあえずおりえさんに負けないようにってメッセージを送りましたけどね。
負けた男子がほうでしたからね。
そうですね。負けた男子がほうですからね。
さなぎさんも負けましたし。
どうですかね。
まーちゃんも負けてしまいましたけど。
負けましたからね。
頭が上がりませんよね。
本当ですよ、もう。
頑張ります。
はい。
わかりました。
また、よくしゅくん、クリック加算頑張りましょう。
頑張りましょう。
はい。
はい、じゃあちょっと業務連絡をさせていただければと思います。
2:45:01
あ、あとそうですごめんなさい。スポティファイに質問された方いたじゃないですか。
あ、いましたね。
会いました、会いました。
あ、あったの。
はい。
ハギさんのファン的な感じのやつだよね。
はい。
あ、あれです。おんたけの。
あ、おんたけの方。
はい、会いました、会いました。
あの方に。
だからもう、質問でレギュラーの座を取ったらって言っときました。
新しいんじゃないって言ってたんで、そうそうそう。
あ、そうなんだ。
はい。
あとまあ、いろいろとタイマー効いてますって言われていただいてすごくありがたかったですけど、
ちょっと、あの、抜き際にタイマー効いてますって言われたのが一番精神的にやられたなっていうのはありましたね。
ちょっと抜き際だけはちょっとあれかなって言われたんで、はい。
ちなみに前回のやつでもね、一応ね、質問でも何でも、質問というよりはどちらかと感想が書かれていてですね。
はい。
ガチ王さんのYouTube視聴者で、ハギ、バチに割った萩原さんというのが良かったですっていう。
で、その方は萩原君の隣の城出身だったと。
へー。
で、楽しみにしてますというコメントをもらってますね、はい。
名前はわかんねえかな。
ツーサ、わかんねえな。
ツーサケパパ、かな。
はい、さんからいただいてますと。
萩原さん、男性ファン多そうですよね。
そうですね。いや、女性ファンもいると思いますよ。
いますかね。
なんか最近聞いた話だと、萩原さん会で女性の方が結構、何だろう、バチに割った萩原さん会っていう噂を聞いたんですよ。
へー、すげえ。
はい、っていうことですけどね。噂なんで、ちょっと僕が直に聞いたわけではないんで、はい。
そうですね、あくまでも噂なんです。
はい、噂です、はい。
はい、わかりました。ありがとうございます。
で、質問フィーダーバック等は、XQ Twitterより投稿をお待ちしておりますと。
で、また引き続きポッドキャスト、ドネーション募集してますので、また何かあれば。
で、あとそうですね、スポティファイ等々で、質問、何て言うんですかね、コメントって言うんですかね、何て言うんですかね。
えーっとね、ちょっと、QAっていうのがあって。
QAっていうのがあるんですかね。
このエピソードについてどう思いましたかっていう。
あ、なるほど。そういうのがあるんで。
理解していただければ取り上げることは可能なんで、はい。
よろしくお願いいたします。
はい。
はい、ちょっと今回長長版になってしまいましたが、今回のゲスト野口拓哉さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
02:47:53

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