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2020-03-27 10:43

【お便り回】内海は野球で大学を出ました from Radiotalk

#黒人野球 #高校野球 #卒業論文

「忘れてみたい夜だから」は、OLとバリキャリとオタクの中間地点にいる内海あさが、世界を小さく平和にしていきたい番組です。
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#ひとり語り
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こんばんは、うつみあさです。この番組、【忘れてみたい夜だから】は、私、うつみが夜中にぼんやり考えていることをお話しする番組です。
さて、今回はお便り回です。ラジオネーム、たまこさんからのお便りです。読み上げます。
大学で野球についての論文をいくつか書かれているとのことですが、どのような内容でしたか?
また、野球についても造形が深いようですが、主観的にはどれほど詳しいと認識されていますか?
という内容でした。たまこさん、お便りありがとうございます。
さて、大学で書いた論文ですが、2本です。
一つは、黒人野球について学部のゼミで書いて、もう一つは、高校野球らしさの正体と変容について、研究所のゼミで書きました。
この時点で、流度が全然違うのがお分かりいただけると思います。
どちらも、専攻研究に乏しく、とても書きづらい内容だったのですが、特に書きづらかったのが黒人野球の方です。
書きづらいなら、論文にしやすいテーマを選べばいいじゃないかと思われるかもしれません。
うつみが黒人野球をテーマに論文を書こうと決めたのは、大学1年生の時、たまたま黒人野球、通称ニグロリーグでプレーしていた選手の辞典を読んだ時です。
世界史を勉強する中で、アメリカで黒人が長らく人種差別を受けてきた歴史があったと習いました。
受験期なんかは、いろいろと暗記して、テストで良い点を取って、当時のアメリカのことを理解したような気になっていましたが、
しかし、そのニグロリーグでプレーしていた選手の辞典を読んで初めて、黒人だけがプレーするニグロリーグの存在、
そして、かつては黒人がメジャーリーグに出場できなかったということに、初めて気がつきました。
考えてみれば当然のことなんですけれども、うつみの想像力が絶望的に抜け落ちていまして、すごくショックでした。
今、メジャーリーグを見ていると、当たり前に黒人の選手がプレーして活躍していますが、かつては白人だけのメジャーリーグがあったわけで、まあどこかに過渡期があるわけです。
その境目くらいの時代のことを知りたいと強く思ったし、卒業論文もそれで書きたいと思ったのですが、日本ではほとんど研究されていませんし、
専攻研究らしい専攻研究もありませんでした。 だから、文学部だったんですけど、文学部の中で自由に書かせてくれて、ちょうどいいアドバイスをくれる教授を探していましたら、
その論文ちょっと大変そうだけど、うしのせみでその論文書いていいよって言ってくれた教授が、英米文学専攻だったので、うつみは英米文学専攻になりました。
まあしかし本当に専攻研究もなければ資料もなければ翻訳もないというぐちゃぐちゃな状態だったのですが、
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なんとか黒人野球選手の辞典やら、当時のことをモチーフにした小説やら映画やら、まあとにかく無理やり書き集めて、無理やり論文にしました。
まあ論文にするのが難しかった要因の一つ、まあ全部言い訳なんですけれども、として、自分の価値観が大きく揺らいでしまったというのがあります。
その論文を書き始めた時には、まあ結論は正直、人種差別がなくなってよかったね、ハッピーみたいな感じになるだろうなって踏んでいたんですけれども、
しかし論文を書くために色々な資料を読む中で、黒人は黒人で、白人は白人で、
経済圏も文化も分かれているからこそ保たれている秩序のようなものが当時あって、
白人だけではなく黒人側も、誰も彼もがユキドキを望んでいるわけではいなかったんだなあっていうのを世界しても学んではいましたけれども、改めて気づかされました。
そうすると釈然としなくなってくるというか、野球界の黒人差別の歴史が大きく変わったポイントは、
1947年にドジャースのゼネラルマネージャーだったブランチ・リッキーが、黒人野球、ニグロリーグでプレーしていたジャッキー・ロビンソンを自らのチームに受け入れたことなんですけれども、
ジャッキー・ロビンソンは確かに偉大なるプレーヤー、今でも永久決板になっている偉大なプレーヤーなんですけれども、
ニグロリーグにはジャッキー・ロビンソンに並び立つような選手もいたわけです。
では何がジャッキー・ロビンソンにその唯一無二の特別さを与えたかというと、結局はドジャースのジェネラルマネージャーであるブランチ・リッキーだったのではないか、
と思ってしまったんですね。主導権はあくまでも白人側にあって、そして当時のことを描いた小説や映画での描かれ方を見る限り、
アメリカでの消費のされ方を見る限り、その主権、主導権は現在に至るまで白人側から手放されていないんじゃないかなって思いました。
思っただけで、そのモヤモヤを大学4年間ではうまく論文に消化させることができなくて、本当に時間だけかけた自由研究くらいの厚みの論文になってしまったと今は反省しています。
さてもう一方の高校野球らしさの正体と変容という論文は、新聞記事を素材にしつつ、社会学やら宗教学やらいろんな考え方を用いて無理やり論文の形にしました。
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これはシンプルに、高校野球らしいプレーとかいう時の高校野球らしさってあれなんだよっていうシンプルな疑問から始まった論文です。
高校野球らしで集められる時代の新聞記事すべて検索して、ひと夏とかかけてヒットした文章の周辺の単語から、どんな文脈で高校野球らしが使われているかっていうのをひたすら調べてグルーピングとかをしていったんですけれども、
最初は高校野球らしさという抽象的な概念を言葉で具体的に厳密に定義しようと試みたのですが、どうにもうまくいきませんでした。
というのも時代とともに少しずつ高校野球らしさが表すニュアンスが変わっていくわけです。
そのニュアンスを一体誰が決めているんだ?マスメディアか高校野球ファンか高野連か選手か?一体誰が主導権を握っているんだ?みたいなことを一つ一つ洗っていったのですが、
結論としては、高校野球らしさをうつみは集合的記憶というふうにおいて、無理やり論文としては話を進めました。
マスメディアが書くような象徴的な現実と、おのおのが主観的に思う主観的現実と客観的現実、集合的記憶というのはその狭間の中で生み出されるものなんですけれども、
高校野球らしさというのはそういうものなのではないかとおいた上で、形として高校野球らしさが輪郭を表すのは、
ラッサーを逸脱した行為、例えば松井秀樹選手の5連続経営、4連続だったかな?がなされた時とかだと結んだはずです。
実際にはもうちょっと丁寧に高校野球らしいとされているイメージがどんなように付与されていったのかみたいな、歴史的なところとかもちょっとずつ追っていったり、
もう少し具体的には書いたんですけれども、そんなような論文を書きました。
そして、野球について主観的にどれくらい詳しいと思っているかですが、何にも知りません。
論文を書く前だったら、野球について割と詳しい方なんじゃないかなって自分のことを思っていたんですけれども、論文を書いて思いました。全然知らない。
別に論文を書かなくても野球を知らないなって思うポイントはいくつもあって、例えば草野球の手伝いに行って、先輩たちが全員足をつってしまった回っていうのがあったんですよ。
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その時に相手チームもいるので、とりあえず試合を進めるために、
うつみ、お前、野球わかるだろ。この回だけセカンドの守備につけ!って言われたんですが、
いきなりグラウンドに放たれてもどこに行っていいか、全然本気でわかりませんでした。
観客として見える景色でしか野球を見てこなかったので、グラウンドレベルというかグラウンドから見える景色が全然違うんですよ。
だから全身守備がどのあたりで、定位置がどのくらいなのかとか、そういうの解剖検討もつかなくて、本当にどこに行ったらいいかわかりませんでした。
あとは歴史的に有名な選手とか、現役のプロ野球選手とか、高校野球の選手とかも正直さっぱりわかりません。
しかし野球のいいところっていうのは、うつみのように大して野球を知らなくても楽しむことができるところです。
一度楽しみ方を覚えたら、いろんな軸で野球を楽しむことができます。
それは属性とかに縛られることもなく、子どもの野球でも学生野球でもプロ野球でも社会人野球でも草野球でも楽しむことができます。
そんな今度で、大学の卒業論文を野球で書いたわけですから、私は野球で大学を卒業したことになります。
よくスポーツ推薦で大学に入ったような子が、俺はサッカーで大学を出たとか言っているときがありますが、うつみも似たようなものです。
野球で大学を出ました。
それでは、おやすみなさい。
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