1. 忘れてみたい夜だから
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2020-05-20 11:21

#52 過ぎては戻らぬ季節に、青春を懸けること from Radiotalk

「忘れてみたい夜だから」は、OLとバリキャリとオタクの中間地点にいる内海あさが、世界を小さく平和にしていきたい番組です。
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#ひとり語り
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こんばんは、うつみやさです。この番組、忘れてみたい夜だからは、私うつみが夜中にぼんやり考えていることをお話しする番組です。
突然ですが、夏の甲子園が中止になりましたね。
夏の甲子園の開催中止というのは、戦時中であった1941年以来のことだそうで、
うつみが生まれてからは初めてのことです。
戦罰甲子園の中止が決まった時に、私は高校野球だけが特別ではなくなってしまったという話をアップしたんですけれども、
その回では、東日本大震災のあった2011年、
あの時は開催されたんですけど、うつみの引退試合は結果的には延期になって部活が大変だったんだっていう話をしました。
あの時は延期で済んだんですけど、今年はチェアの全国大会も中止になりました。
2011年のことを思い返すと、私たちの引退試合というのは開催されるかどうかしばらく見てというふうに発表されていたんですね。
その時、保護者のフリをして大会を開催してあげてほしい、みたいなメールを大会本部に送ったのを覚えています。
なぜ正直に選手の立場で書かなかったのかっていうのは、よく覚えていないしわけわかんないなって思うんですけど、
大人が決めることには大人が物申した方が話が通じるだろうって思っていたような、そんな気がします。
その時、まだ引退試合が開催されるのかどうかわかんなかった時に、よく死に場所ぐらいは与えて欲しいっていうふうに口にしていたのもすごく覚えています。
なんか、日本一を取るための3年間だったから、例えば文化祭とかだけじゃ終われないって思ったんですよね。
で、日本一を決めるのは大会だから、他の何でもなく当時の私たちには大会と結果が必要だったんです。
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それに向けて今まではずっと曇りない応援だけを受けてきたのに、急に日本全体がもうなんか総理大臣も漢字読めないような未曾有の事態に陥って、
部員の中でも今は踊ったり練習したりしている場合じゃないのかなって不安になったり、実際練習できる環境ではなかったですし、
自粛ムードが強くて何をしても不謹慎みたいなところがあったから、
すごく大変な人がたくさんいる中で、こんな大変な時に大会を開催してほしいって思うことすら悪いことなのかなって思ったりしました。
最終的には延期でも引退試合が開催されることが決まって、本当に嬉しかったし安心しました。
ということで、今回のテーマは、過ぎては戻らぬ季節に青春をかけることです。
チアダンスの話、特に日本一になったうんぬんの話の詳細をこのラジオではあまりしていません、多分。
26歳になった私は、あの頃というか、日本一を最終到達目標に据えて、心と体を鍛えた高校3年間を
ポジティブに捉えているところもあれば、 ネガティブに捉えているところも
あるからなんですよね。 というのも
大学生後半になって加入していたチームで、子供にチアダンスを
教えていたんですけど、その時に正直あまり教えられることがなかったんです。
日本一になることしか考えてなかったから。 日本一になれなかったら私たちには何も残らないって気持ちでやっていたから。
子供たちに、日本一になりなさい、結果が全てです。
結果より家庭が大事とかいうのは甘えですって言えるかって言われたら言えないんですよね。
これから長い長い人生を歩むことになる子供たち、
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特に私が担当していた幼稚園から小学校低学年くらいの子供たちに
そんな切な的な頑張り方を教えるっていうのはどうしてもできなかったんですよね。
その上で自分たちの高校3年間を振り返ると、ガラスの少年時代感が否めなかったなぁ
と言いますか。 私たちの大は偶然引退試合が延期になったことで、これからどうするよみたいな
ミーティングをしたんですけど、 その時によくも悪くも
日本一じゃなきゃ死ぬみたいな考え方を やめようよみたいな話。
本来だったら 引退試合前には絶対に
しないような 根底的な話を
しました。 なんか極論言ってしまえば
部活って別に 仲良い人でトトを組んでやるものではないというか
全く違う部員同士をつなぐ一体感っていうのは もう日本一になるぞっていうその目標だけだったから
そこをいじっちゃったらもう 心がバラバラになっちゃうかもしれないから
本当にそういう話し合いを 引退直前にするっていうのはギャンブルだったんですよ
多分 結果的に私たちはもともと同期の仲も良かったし
ミーティングすることも多い台だったから そしてまぁ結局引退試合が与えられたから
そのミーティングをしても ミーティング直後はまだちょっと一つになりきれてないようなところもあったんですけど
その後練習を重ねたりとかしていく中で ちょっとずつ微調整も重ねることができて
ギリギリ思いを一つにした状態で大会に臨むことができたし 引退する時も心一つに終わることができましたけど
やっぱり危なかったなぁ時って思うんですよ 私は
なんだろうな 高校野球が好きだったから
高校球児が甲子園を目指す気持ちに自分たちの日本一になるぞっていう気持ちを重ねて
その切な的な生き方というか
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考え方をとても美しくて尊いものとして 消費
しました でまぁそれによって
私はかけがえのない良い体験をしましたし その経験は
私にとって 武器になったし
循環最大風俗的にものすごく頑張る力みたいな ものを
得ることもできました だけど26歳になった今は
それはやっぱりなんだろうな すごいやっぱり危なかったなって思っちゃうんですよね
なんか今は自分の人生のピークや自分の人生の結論を16とか17の年に固定してしまうような考え方は
16とか17の歳を過ぎた後どうしたらいいかわかんなくなっちゃうというか 日本一になったっていうのは
結果が出たっていうのはどうしても自信になるから 瞬間最大風俗的に頑張る力を信じすぎて
あの頃よりも体力も落ちてしまった今では結構それによって身を滅ぼしてしまうことが まあ多いんですよね
まあまあそんなこんなでまぁ今回は過ぎては戻らぬ季節に青春をかけることに思いを 発していたんですけれども
なんか 悔いのない3年間にしたいみたいな考え方は一ついいと思うんですけどね
3年間の部分を人生に置き換えても成立するような考え方だから 一つ生き方の軸みたいなものを学べるじゃないですか
そういう方が健全だとなって思います まあたった16年とか17年しか生きていない子供に切な的じゃない考え方や生き方をしろっていう
のもシンプルじゃないというかメッセージとしてわかりやすくないというか 求めすぎだっていうふうにも思うんですけどね
なんか いろんなことを思い出しました
まあそれでは おやすみなさい
11:21

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