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2026-03-09 17:06

【雑談回】私の忘れられない3月9日(21年前の思い出話)

この日が来るたびに思い出します。
そういう思い出って、いいよね。



#思い出 #3月9日 #高校時代 #感謝 #1リットルの涙
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こんにちは、きなこです。今日は雑談回をしていこうと思います。 この放送を撮っているのは3月9日ですね。
レミオロメンの3月9日っていうのをね、この3月9日を見ると思い出すのは私だけでしょうか。 ということで今日は3月9日にまつわる私の思い出話ですね。
誰が興味あんねんっていう内容なんで、興味ねーわって方はね、全然聞いていただかなくて大丈夫ですので。ちょっとね高校の時にエモかった出来事があるので、皆さんのこの3月9日になぞらえたことをね、皆さんの思い出も想起しながら聞いてもらえると嬉しいです。
私は今年で37歳になるんですけど、このお話が起きたのは高校1年生の時。 自分が16歳の時なので、何年前?37から16から21か。怖いですね。もう21年前か。
ちょうど多分この頃に1リットルの涙っていうね、ドラマがやってて、これを聞いてエモいって思った方も多いんじゃないかなと思います。
3月9日とか粉雪がね、すごい流行りましたね。 歩道橋の上でね、車椅子に乗ったバジレリカちゃんとね、意識努力の子、雪の中うわーって泣くシーンとかね、ありましたね。
今思い出すだけでもちょっと累戦が緩みそうなんですけれども、そんな1リットルの涙前世紀世代にですね、この3月9日にまつわる思い出は何かと言いますと、
担任の先生の突然の退職っていうのがあって、それにまつわる思い出です。 自分の担任の先生はね、谷口先生っていうおじいちゃんの先生だったんですね。
で、その先生はすごい人格者みたいな先生でですね、現代社会道徳の教科を持ってくれてた先生でした。
普通は数学の先生とか体育の先生とかなんですけど、この現代社会の担当の先生っていうのがあって、それのせいかわからんけど、本当に悟り開いてるんですかっていうような優しい、
スヌーピーがそのままおじいちゃんになったみたいな感じの先生で、本当にみんなから愛されるおじいちゃん先生だったんですね。
で、あんまりね、だから怒ることとかもしなくて、いまだに覚えてるのは、あの、ここ1年なんでそんなに、なんていうの、学校が荒れるとかさ、そういうのもなくて、で、言うても、うち女子校やったんで、おしゃべりは好きなんですよ。
だから授業中にね、どうしてもこう、しごげて、うるさくて、おしゃべりがね、止まらないときに、まあ普通だったらね、静かにしなさいとか、こうね、英語の先生とかだったら、なんていう、
リクワイエットとか、って感じで怒る感じの指導があると思うんですけど、その先生だけはね、なんかすごく不思議で、いまだに覚えてるのが、あの、道徳の授業をね、先生がしていくんですけど、
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そう、たぶん道徳の授業ってごめんなさい、話が前後するけど、みなさんの高校1年生のときあったかな、あの、うちの高校ね、変わってて、高校3年までちゃんと道徳があったんですよね。
普通、たぶん、それこそ、進学校とかってたぶんないですよね、そんなん、そんなん言うてあかんけど、大事だよね、めちゃ大事、そう、人としてのね、人間力ってのはめちゃ大事なんで、今思えばね、あの道徳の授業、ためになってるなってことも多いんですけど、
あのね、そんなに高3まで道徳の授業があるって珍しいよなって、今更ながら思うんですけれども、そう、そんな道徳の授業にね、言うても副教科っちゃ副教科じゃないですか、だから、あんまりこう、数一とかさ、数Aとかと比べたら、ちょっとやっぱみんな肩の力抜けるんですよ、また先生優しいしね、ちょっとこう仕事とかね、ペチャペチャペチャってしてるときに、普通やったらコラ!みたいな感じで怒るんかなって思って、
先生がね、どう出るんかなーって私もちょっとヒヤヒヤしながらね、教室見てたんですけど、そのときに怒りで余るんですよ、先生が、その沈黙ってね、やっぱ人間にとってはかなり影響が大きいんですよね、あれ、先生が喋るのやめたぞってなって、みんながちょっとざわつくわけですよ、ん?って、
そのときに怒られるのかと思いきや、谷口先生が、みなさんの心が少しざわついているようですねって、みなさん一旦目を閉じて、心を鎮めて、そのときは春やったんですけどね、さあみなさん風の音に耳をすませましょうって、はい、深呼吸をしてーとか言って、みんな、え?って、その角度のアプローチある?っていうので、みんなそれでも確かにね、あの浮ついてますよね、
まあ授業という、今ここの瞬間にね、身を向けてないということにもなりますから、そんなおじいちゃん先生、みんなにね、愛される先生だったんですけれども、あの時が流れて、えーっとね、12月の終わり、そう3月ではないんですけど、12月の終わりのある日、あのー、私そのときね、学級委員やってたんですよ、なんか言いますよね、クラスの代表みたいなやつ、で、その学級委員と、その副学級委員みたいなのがいてて、うん、で、
突然、あの、私たちだけが呼び出されたんです。職員室に来てって言って、ちょっと大事なことがあるって言われて、で、何かと思って、まあでもその言い方的に、なんかまあ、ライトな話ではないじゃないですか、うん、ほんで、あのー、実はと、あのー、副担任の先生にね、呼ばれたんですけど、実は鬼口先生から先日お話があって、あのー、お母様の、あのー、ご要頼がよくないから、あのー、急遽ご実家にね、帰られて、あのー、介護しないといけないんですよ。
帰らないといけなくなっちゃったと。だから、本当であれば、その3月のね、あのー、子どもたち、私たち児童を、児童じゃないね、生徒を見送ってから、退職のところが、まあちょっと急を要する事態だと。なので、あのー、大変申し訳ないけど、2学期いっぱいで、鬼口先生が退職しないといけないようになりましたと。で、3学期だけは臨時で、私が担任を受け持ちますっていうふうに言われて、っていうことを、あのー、これからクラスのみんなに言いますと、うん、で、言うので、とりあえず、今思えばなんでうちらだけ呼び出されてるんですか?
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って言われたら、よくわからないんですけど、あのー、とりあえずその話を今日はするからっていうことで、ああ、わかりましたって言って、私らもなんか、え?え?みたいな、理解が追いつかないみたいな感じだったんですけれども。で、あのー、鬼口先生と一緒に、えーと、修理ね、そのホームルームあるじゃないですか、夕方の。で、その時に、いつもやったら、あのー、いつものうちの高校の流れって、なんか私たち学級委員が、こう先生の、なんか秘書みたいな役割をしてたんですよね。
なので、修理の時に、だいたい、えっと、担任の先生と私たち学級委員が一緒にお部屋に入って、あ、じゃあ夕方のホームルーム始めます、みたいな感じで、私らがこう資料を準備したりとか、こうプリントの用意したりとか、なんかそういうのをやっておったんですけど、今回はそこに副担任というメンバーがもう一人増えてるわけですね。
で、教室がらっと入ってきて、あ、修理や、って思ってパッて見たら、え、なんでもう一人先生おんの、みたいな。え、なんで、なんで、なんで、みたいな感じで、しかもなんかちょっと私と、その副学級委員の子らが、あの、私ら二人がちょっと微妙な顔つきをしてるわけですよ。そしたら、なんかあるなって、やっぱみんな察するわけじゃないですか。で、え、和田ちゃん、え、どうしたん、みたいな感じであって、あ、ちょっとこれから先生から話があるので、みたいな感じで言って。
で、まあ、各々近々の理由で、あの、谷口先生が、あの、急ではありますが、あの、退職されることになりましたと、というので、みんなも、え?みたいな感じでやったんですよね。うん。やっぱりみんな大好きな先生やったし、高校二年生にね、上がるに向けて、やっぱ見送ってほしかったっていうのはあるけど、まあやっぱり事情もね、事情っていうことで、それをさすがに文句は誰も言えないんですよね。
だけど、なんか、な、なんで?え?え?っていうので、結構こう理解ができなくてですね。まあ今思えば、まあ突然の異動とか退職っていうのは、あの、社会人になったらね、そりゃしゃあないよね、で終わるけど、うん、やっぱり学生にとって担任の先生っていうのは、それだけ影響力の大きい存在だったんだなと、今、あの頃を俯瞰してね、思いますね。
で、やっぱり相当ね、みんなもショックだったんですよ。大好きだったんで先生が。だから、やっぱ何人か泣いちゃうんですよね。そうなるとやっぱそういう感情ってクラス中にね、伝染するから、みんながこう、しくしくとこう、なんていうの?鼻をすするような感じで。で、ね、それが分かってたらもっとね、先生と、こう先生を囲む会じゃないけどさ、たまにあったんですよ、うちのこう先生と一緒にお弁当食べようみたいな、お弁当、そういうね、お昼休み食べようみたいな、あるけど、そう。
で、それも全然できなかったからね。そう、だから、結構みんなもショッキングやって、で、最後にその担任の先生からの挨拶があった時に、まあ皆さん今、ね、副担任の先生がおっしゃってくれたけれどもって、本当にごめんなさいと、本当は君たちのことを最後まで送ってあげたかったしって、で、その先生がね、結構お年を収めされた先生で、60を超えてたと思う、あのね、もともとどっかのね、神戸やったかな、あの高校の校長先生やったらしいんですね。
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だから、ほんまに、あの、なんていうの、すごい、たっかんしてるような先生やったんですね。そう、で、あの、僕にとって君たちが、あの、最後の生徒に教え子になりますと、で、あの、君たちを最後に、あの、僕はこの教師生活に終止符を打つつもりでしたと、だから、あの、最後にね、最後まで、最後の最後まで送ってあげたかったけど、本当にごめんなさいって、でも、あの、僕にとってのたった一つの、
一人の大切な母親なので、あの、家族をね、優先することをどうか許してほしいっていうふうに言われて、いや、そりゃそうって、そりゃそうってみんな思うんですけど、なんかこう複雑な感情がうわーってなって、で、まあ、一応ホームルームはそれで終わって、で、残された日にちがね、もうなかったの、2学期いっぱい思って終わりあったから、あと1日か2日ぐらいしかなかったんですよ、本当に日にちがね、
それで、もう谷口先生とはさよならっていうことになるから、これはなんかやらなあかんなーってなって、まあホームルームが終わった後に、ちょっとこう微妙なシーンっていうクラスの中で、いや、ちょっとこれなんかやらなあかんなーってなって、で、あの、みんなでね、あの花束を買いに行ったりとか、私が確か花束担当やったかな、花束買いに行ったり、あの、じゃあなんかみんなで歌おう歌おうっていう話になって、
それで、あの、ちょっと早いけど3月9日を歌おうっていうので、当時ね、私たちの学年の中で激アツだった卒業ソングの3月9日を歌うことになったんですね。で、まあ段取りとしては、あの、うちの高校ってちょっと変わってて、あの、結構マンモス高なんですよね、だから、あの、校舎がね、普通の高校みたいにこう長い廊下があって、1組2組3組っていうのじゃなくて、1学年10クラスあったんで、その、
高校1年の校舎、高校2年の校舎、高校3年の校舎っていう、なんか教室だけの建物がボンボンボンってあって、で、その校舎と校舎の間を渡り廊下が繋いでる2階でね、連絡通路があるっていうような感じだったんですね。で、その、高1、高2、高3のその校舎の間に、それぞれ大きな中庭があったんですね。
で、最後の最後の日に、私と副学級委員の子が、先生にちょっと、あの、こっち来てくださいっていうふうに呼び出して、で、その渡り廊下から中庭を見下ろす形を先生に、こう、見取ってもらって、で、そこに、あの、クラスのみんながね、集まって、で、中庭にね、あの、その、結構何人?40人ぐらいかな?おったんですけどね。
で、みんなが集まって、先生ありがとうございましたって言って、で、写真を撮って、で、教室に戻って、感謝の手紙と3月9日を歌いましょうっていうやつだったんですね。で、あの、1個だけね、当日大きな誤算があって、12月の下旬、その時ね、あの、めっちゃ寒波やったんですね。大寒波で、あの、本当に駅からね、学校のところが凍結してて、本当にスケートリンクですか?みたいな感じやったんですね。
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で、うちの高校、あの、靴がさ、指定の靴じゃないとダメだったんで、スニーカーとかダメやったんですよね。だから革靴でね、ぺらぺらの革靴やったんですけど、それがもうね、すべってすべって、みんなすってんころりんしながらね、そう学校行ってたんですけれども、大雪やったんですよね、本で。
で、今思えばもうあれ、高校、今やったらアウトなんちゃうかなっていうような状況だったんですけどね。で、その修行式の日に、みんな集まろってなったんやけど、すごい雪がすごくてね、これ集まれるか?みたいな感じやったんですよ。
ただ、あの、修例ギリギリまで様子見たら、雪は積もったが、雪そのものは止んだんですね。今がチャンスや!って言って、せっかくやし、雪の積もった中庭に大きい枝でね、先生ありがとうございましたって大きい字でね、書いて、で、そこに私たちが2階の渡り廊下から見てもらうっていう形にしよう、せっかくならこの雪を使おうっていう話でね。
なんか皮肉にもちょっと1リットルの涙っぽいこの雪のシチュエーションになったんですけれども、皮肉ではないか。そう、で、先生をね、無事にお連れして、で、その時にちょうど副担任の先生も一緒にいたのかな?で、お連れして、感謝の気持ちを述べて、先生ありがとうって言って、一緒に写真も撮って、で、生徒もね、みんな泣いてたんですけど、やっぱ副担任の先生が今思えば一番泣いてましたね。
そうそうそう。で、あのみんなで鼻水をね、ズビズビ言わせながら、教室に帰って、みんなで3月9日を歌って、そうそうそう。あれがね、キーがね、どのキーで歌うっていう話になったんですよね。原曲キーが歌いやすいんですけど、あのちょっと合唱みたいな感じとしてはちょいいささか低いと。全員女子やし。
っていうので、確かね、オクターブ上げて歌った気がするな。だからサビの時めっちゃ歌いにくかった。
いやけどそれも含めてね、すごい良い思い出ですね。
で、最後にね、谷口先生が最後うるっとね、してはったんですけど、長かった教師生活でね、こんな感動的なギフトをね、もらえたのは初めてですと言ってくれて、君たちが最後の生徒で本当に良かったよって、ありがとうって言って、ちょっとうるっとくるお話でした。今思い出してもね、やっぱちょっとうるっときますね。
21年前、先生元気してるかな?今もう後期高齢者ぐらいかなぁと思うんですけれども、当時はおばあちゃんの介護って言ってたけど、多分そのおばあちゃんぐらいのね、5年年になられてるんじゃないかなぁと思います。
なんかそういう意味ではね、人と人の関わりとか、やっぱ思いやりっていうのは、時を越えてもやっぱりこれだけね、ギフトとして残り続けるんやなぁって思うと、自分には何ができるのかなぁっていうのをね、最近めちゃくちゃ考えますね。
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やっぱ仕事柄、人の人生に関わらせていただいてますから、健康とね、健康と人生に関わらせてもらってるから、あの時ね、きなことお話ができてよかったとか、あの時のきなこのこのね、ラジオを聴いてくださっている皆さんも含めそうですけれども、この言葉が自分の心を救ってくれたとか、そういう関わりがね、できるようになれたらいいなぁと、
今ももちろん思ってますけど、この先もね、スタッフの皆さんともね、一緒に、同じ空の下ではね、それこそ繋がってますから、心地のいい毎日をね、お互い今日よりもね、明日が少しでもいい日になるような、そんな人生を送れたらいいですよね、お互い。ということで、今日は私の思い出話だったんですけれども、皆さんはどうですかね、この3月9日のエピソードありますでしょうか。
これを聞くとね、卒業シーズンとか1リットルの涙を思い出す方はね、おそらく同世代ですね。暑かったですね、あの時代。まだガラケーやったかな、ギリギリ。ストラップとかつけてたよね。
っていうので、皆さんもね、是非青春時代を振り返ってね、あの自分のあの頃の思い出があったから今の自分があるっていうのをね、そういう思い出の振り返り方をしてみてもいいかもしれないといったお話でございました。
今日は私の思い出話にお付き合いいただきまして、本当にありがとうございます。
ちょっとこの話を聞いてね、3月9日懐かしいと思った方は是非いいねボタンを押していただけますと大変励みになります。
ということで今日はこの辺で失礼します。ありがとうございました。ほなまたねー
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