1. ボイスドラマで学ぶ「日本の歴史」
  2. お市の方「戦国一の美女」 全..
戦国一の美女として織田信長の妹として生を受けたお市の方の生涯を描いたボイスドラマ。


●脚本:鈴木輝一郎
●演出:岡田寧
●出演:
 脚本家:鈴木輝一郎
 ナビゲーター:熊谷要子
 お市の方⇒北條真央
 織田信長⇒濱嵜 凌
 浅井長政⇒秋谷柊弥
 豊臣秀吉⇒吉川秀輝
 柴田勝家⇒野仲イサオ
 お初,万福丸⇒明石夏実
 家臣⇒大東英史
 家臣,使者⇒田邉将輝
 ナレーション・茶々⇒萩原一葉
●選曲:効果:ショウ迫
●スタジオ協力:スタッフアネックス
●プロデューサー:富山真明
●制作:PitPa(ピトパ)

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ボイスドラマで学ぶ日本の歴史。ナビゲーターを務めます熊谷 陽子です。
この番組は、日本の歴史の時々で、命を削りながらも懸命に生きてきた人物にスポットを当てて、ボイスドラマとして再現いたしました。
このプロローグでは、本編をより楽しんでいただくために、物語の時代背景、 登場人物、またその時に起きた事件などを簡単にご紹介するエピソードです。
歴史について詳しい方は、いきなり本編からお聞きいただいても楽しめる作品ではございますが、それも含めて簡単におさらいしたいなぁと思われましたら、ぜひこのプロローグから聞いてください。
それでは早速、シーズン2のエピソードをご紹介していきましょう。 今作で取り上げますテーマは、
戦国時代随一の美女とも名高い、オイチの方です。 オイチの方は、言わずと知れたあの戦国の風雲児、織田信長の妹として、歴史に名を残しました。
生まれは西暦1547年の室町時代末期頃。 まさに戦国の騒乱真っ最中に生を受けたと言われています。
生まれた当時の織田家は、まだ弱将も弱将、 尾張の一地方大名であったわけですが、
ご存知1560年、 桶狭間の戦いによって一気に駆け上がり出した信長は、その後天下に名を轟かせるべく、将軍のいる
京への上落を目指していくんですね。 しかしまだ階段を登り始めたばかりの信長は、武力だけで京に上落できる状況ではございません。
隣国の有力大名や武将たちと同盟や駆け引きによって、 基盤を作っていかなければならない時期でした。
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この時代、血縁関係にある女性は、その駆け引きの道具として使われていたんです。 尾一の方も例外ではございませんでした。
ちょうど信長が治めていた尾張二の、 今の愛知県、そして岐阜県の南部あたりですかね。
ここから京に行くためには、奥美の国、 今の滋賀県あたりを通らなければならなかったんです。
その奥美の国の一部を領地としていた、阿財長政。 この阿財との同盟関係を結ぶために、尾一の方は阿財長政に
嫁ぐことになります。 これ政略結婚ではあったんですが、
尾一の方との関係は非常に仲睦まじかったと言われております。 そして長政との間に三人の娘も授かっています。
そうです。 チャチャ、ハツ、ゴーの阿財三姉妹。
しかしですね、この長政との平穏な日常は、 そう長くは続かなかったんです。
尾一の方が阿財家にとついで4年目。 兄織田信長は阿財家の古くからの同盟国、
朝倉家に攻め入るんです。 長政は織田家、朝倉家、領家と同盟関係にありましたので、まさに板挟みとなってしまったんです。
長政は考えに考え、そして最終的に、 朝倉家に味方をするという苦渋の決断を下すんです。
朝倉家に加勢する形で、阿財長政、 織田信長を攻め立てる形になります。
阿財家と織田家の決別です。 通常ですね、こういった場合は尾一の方は阿財家によって殺されてしまうか、
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もしくは織田家に返されるということになるのですが、 なんと尾一の方は長政のもとに残り続けるのです。
その後、阿財・織田が対立し続けること3年。 ついに阿財家の巨城、織田二城を織田信長軍に包囲され、
阿財家は滅亡の日を迎えることとなります。 尾一の方は3人の娘とともに織田家に引き取られ、阿財長政は自害することになります。
阿財家の女として7年の歳月を過ごした尾一の方。 失意の中、27歳で3人の娘が残る未亡人となってしまいます。
阿財家滅亡から約10年弱の間、 信長は天下統一に向けて各地で勢力を拡大します。
一方、そんな信長の覇業とは裏腹に、 尾一の方は3人の娘と、尾有の国清洲城にて平穏な日々を過ごしていました。
しかしまたしてもその平穏な日々は唐突に崩されることになります。
天章十年 西暦1582年6月
本能寺の変により兄信長がこの世を去ります。 天下人に最も近かった男信長の死により尾田家は上へ下への大きな混乱が生じます。
尾一の方もその混乱の渦に巻き込まれる形で、 再び政略の表舞台に立たされてしまうのです。
次の尾一の方の嫁ぎ先は尾田家に長年仕える重臣中の重臣、 柴田勝家。
柴田勝家は尾一の方が生まれた頃より尾田家の家臣として活躍し、 本能寺の変で信長が亡くなった時は尾田軍北陸方面の総大将としてあの上杉軍と戦っていたと言われています。
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この時柴田勝家60歳。 一方尾一の方は36歳。
なんと24歳。 現代基準で言うとなかなかの年の差婚ということではありますが、
当時の結婚は政略的な意味合いが強くありますので、 この結婚には大きな政略的な意図があったに違いありません。
結婚後すぐに尾一の方は3人の娘とともに勝家の居城、 越前の国北の省城に移り住みます。
ここでも尾一の方は柴田勝家と平穏に暮らしていたと言われていますが、 その生活は橋場秀吉、
後の天下人豊臣秀吉によって幕を閉じることになります。
秀吉によって取り囲まれた北の省城の中で尾一の方は3人の娘を逃がし、 柴田勝家とともに自害して37年の生涯を閉じることになります。
戦国一の美女と言われながら、 決して恋を着ましょうの女というようなイメージは全くなく、
戸継先では一途に夫を支え、そして立派に3人の娘を育て上げた 良妻健母という評価が近年なされている尾一の方。
尾一の方はなぜ阿財長政の下に残り続けることができたのか。 なぜ阿財家滅亡の後、10年近くも政治の道具として使われることなく、
未婚のまま過ごすことができたのか。 なぜ柴田勝家の下に戸継いでいったのか。
そしてなぜ勝家の下で自ら生涯を閉じる 地雷という道を選んだのか。
このあたり本作ならではの解釈も加えながらお話が展開されていきます。 ボイスドラマで学ぶ日本の歴史
シーズン2 尾一の方 戦国一の美女
どうぞ最後までお楽しみください。ナビゲーターの熊谷陽子でした。 尾一の方
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戦国一の美女 第1話
兄信長との決別 戦国一の美女と歌われた女性がいた
織田信長の妹尾一の方と言う 戦国時代姫君たちは平治には戦略の道具としてとつがされ
また戦の織には戦利品として奪われていった 女性に自由など全くないこの時代
美女として生まれたことが尾一の運命を大きく変えた 人は私を美しいと言うけれど
美しいことにいかほどの意味があるのだろうかと思います 尾一の方は織田信長より13歳年下の妹である
終わりの国の生まれで信長と同じ母から生まれた 尾一の方が物心ついた時には父
織田信英は亡くなっていた 織田の家は課長である信長が後を継いでいた
尾一の方にとって織田信長は父代わりであった だが尾一の方は母やおじたちつまり信長の兄や弟たちとは別に暮らしていた
尾一の方は長い間その理由を知らなかった 清洲城の奥に住んでいると合戦や騒乱とは無縁だからである
母やおじたちが信長に無本を起こしていたのだった a63年1560年5月
尾一の方は14歳織田信長が27歳の時であった その日信長は表座敷で1日中
軍儀を重ねていた さればこれにて軍儀は終了いたす
されど親方様軍儀も何もただざれ事しか応せになっておりません 怒りも
一度帰れ帰れ つまり親方様が何をなさりたいのかさっぱりお分かり申し上げ
終わりを統一なされた素晴らしき戦ぶりに明るき鏡のごときお方だとばかり思ったが 鏡も曇られたのでございましょうか
勝手に申すが良い 帰れ
さればこれにてご無礼捕まつる 一体何をお考えなのじゃ
今川二万の軍勢はすでに織田領内に達するというに 老上していかほど持つというのか
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この様子を尾一は奥座敷から聞いていた 何を軍儀に図ったのでしょう
家臣たちがあれほど兄上に口応えをするのは絶えて久しかったはずなのに と
一人回廊に残された信長がこちらを見た 1件
尾一は慌てて奥に引っ込んだ 尾一
戻ったぞ 織田信長は清洲城にいるときは奥座敷に入り
尾一の方の前でいつも柱に背をもたれかけ 無防備な姿でくつろぐのが常であった
尾一の方が信長に無本を起こさない人物だと安心していたのだろうが それにしても信長はこの年の離れた妹を特別に可愛がった
尾一はまた盗み劇しておったな 盗み劇などいたしません
兄上の家臣どもの声が大きいゆえ勝手に聞こえてしまうのです いい迷惑です
それは済まなかったな いやこの通りじゃ
お戯れをお顔を上げくださいまし兄上
兄上 何かありましたか
なぜそう思う 今日の兄上は普段にも増して一段と美しい
ロウソクは消える間際が一番美しく光るものだ 兄上
市 もし今日
これから俺が死んだらどうする どういう意味でございましょうか
駿河の今川義元が攻めてくる 総数2万という大群だ
だが 織田の歌詞にのほとんどがすでに今川義元に内通しておる
軍儀で何も話せなかったのは今川に俺の動きが漏れるのを防ぐためだ 織田が動かせるのはせいぜい2000といったところか
これでは織田は勝てぬ 俺は
今日 死ぬ
どうせ死ぬならば兄上らしくなさいません 俺らしく
と兄上はお若い頃うつけもの歌舞伎ものとして知られておられましたが 兄上がずっと美しく生きてこられたのを市は存じております
お市の方が幼い頃織田信長は終わり統一の真っ最中だった 織田信長は骨肉の争いをしていたのだ
いぼけー織田信弘の無謀を鎮圧し弟の織田信行を二度の無謀で処刑し 母土田御前を無謀で追放していた
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その一方織田信長は無謀を起こした歌詞んたちを次々と許した 兄織田信弘をはじめとして柴田勝家や林秀佐田
さっさ成政などである 無謀を起こした重心たちを処罰すると織田の人材はなくなり織田の領地経営は
たちまち行き詰まる つまり信長は信用できない中心を周囲に置かなければならない
という状態にあった 織田信長は激しく孤独であったのだ
なぁ一応 俺から申しておきたいことがある
決して忘れるな どのようなことでございましょう
美しくあれ 生きる時も美しく
死すときも美しく 美しいとは
自分で自分を決めることだ
はい 1
そなたは美しい はいっ
はっはっはっは 腹が決まった
どのように出陣する 出陣する馬を引け
me 織田信長はこうして出陣していった
後世に言う桶狭間の戦いである
織田信長が奇跡の大勝利を収め その名を天下に轟かせる戦いであった
7年後の a 60年 1567年織田信長は美の全土を制圧し本拠地をミノの国
岐阜に移した そして同じ頃お一の方の縁談が決まった
相手は北近海の国首阿財長政であった 戦国時代の結婚の常としてお一の方は阿財長政の顔すら知らなかった
お一安心せよ 阿財長政は美しい男である
どのように とにかく憎しんの城に熱い
長政の父阿財久政は愚団で家臣団に見放され追放されることになった そこで着難である長政が後継者となって父を追放する形をとった
それ自体はよくあることだ 兄上聞いていてあまり美しい話とは思えませんが
だが 長政は家臣団と交渉したのだ
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父親の追放先は国外ではなく大見琵琶湖城の竹部島 そして次々と合戦で勝利して家臣団の信頼を得
地盤を固めたところで父親を織谷城に呼び戻したのだ それはともかく長政は城に熱い
それが武将にとっていいかどうかは 何とも言えぬが
お市にとっては幸せだと大瀬なのですね その厚い情けが
一 織田と阿財の楔となってくれ
つまり織田と阿財の血を引くこう 梅ということですね
を 阿財氏は越前の国朝倉氏と縁が深く
家臣には越前朝倉の縁者も多かったが織田氏と阿財氏はそれまでほとんど縁がない これは信長にとって国境を接する北近と身のとを守るための
典型的な政略結婚である 兄上らしくもない
回りくどいのです 1嫁に行けそれでいいのです
兄上のお役に立てるのなら市は喜んでとすぎます 小谷城は北近美和子藩の小谷山の頂上にある
険しい山城である 決して広くないが定例の行き届いた小谷城本丸表御殿で
お市の方は併付した この時阿財永政23歳
お市の方21歳 阿財微前の神永政である
表を挙げなされよ はい
大 兼ねてよりその後の噂は聞いておった
されど噂以上に美しくいらせられる ありがたきお言葉身に余るばかりにございます
されど 親方様もまた美難にいらせられまする
けれど けれど信長の兄上様の冷たくて切れるような美しさとは大きく異なるような
この長政が信長様に勝ろうべくもない いいえ
親方様はもっと大きくて 暖かい
長政は暖かいか 愉快な姫様じゃのアッハッハッハ
親子の情というものをあまり知らずに育ったお市にとって 長政は初めて出会うタイプであった
阿財の家臣は隣国越前朝倉と縁が深いものが多い そして織田と阿財の縁は本日始まったばかり
24:05
織田に上にその他の知る者はいない しかし安じるな
決してその他は孤独を感じることはない 拙者は全身全霊でその他を守る
ありがたきお言葉痛み言いまする こうしてお市の方と阿財長政は政略結婚でありながら
あった瞬間に互いに恋に落ちたのであった お市の方が阿財長政のもとに腰入れしてしばらくは平穏な日々が続いた
織田信長は足利義明の貢献人となった 阿財長政は同盟者として織田信長の上落に加わり
信長から絶大な信頼を勝ち取った 北大見小谷城は信長の本拠地岐阜城と京都へ向かう道との中ほどに近い
信長は京都へ往復するたびに小谷城に立ち寄って阿財長政と会談した 信長は小谷城に足を運ぶと奥座敷のお市のところにも必ず顔を出してはこういった
おいち でかした
また子が生まれたそうな はい
おはつと申します おいよしよし
男子は満腹丸女子はちゃちゃおはつ 織田と阿財の血を引くそなたらは我が宝じゃ
兄上 夫婦仲が良いのは良いことだ
本当に良いことだ おいち
そなたは美しく生きておるようだな
兄上は天下人となられて少しおかわりになられましたか そうかもしれない
だがその幸せな日は長くは続かなかった 阿財長政の最大の同盟者
越前の国朝倉吉影が織田信長の上落せよとの命令を拒否したからである 元気元年1570年4月20日
織田信長は若狭めの名目で3万の大群を上落させた 若狭の国は織田に従う様子を見せずその成抜のためだという
阿財長政は織田信長へ使者を使わし何度も確認した 信長様若狭の国は北青海の隣国にございます
越前の国朝倉であるなら攻めることはできませんが若狭であれば 我ら阿財が喜んで加わりまする
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織田の目的は若狭ぜめである それ以外の意図はない
長政殿の過程は無用でござる 去りながら
こたびの若狭ぜめでは三河の徳川家康殿も加わっておられるとか 恩国の徳川殿に出陣を要請なされたのに隣国の阿財に声をかけてくださらぬのは何ゆえ
でございましょうか長政殿の過程は無用でござる 織田信長の反応は異常であった
阿財長政は直ちに家臣たちを織田二条本丸表座敷に集め 軍儀を開くこととなった
お市の方もその軍儀に同席することになった このようなわけで信長様の真意がよくわからない
お市は拙者以上に信長様をよく知っている 信長様が何を考えておられるのか知恵を貸してもらうために来てもらった
私でよろしければ 若狭ぜめの軍から阿財が外されるのはいささか不審である
信長様は 阿財は織田に必要ないとおっしゃりたいのだろうか
それは違うと思いまする なぜ
こっそり阿財を外すというやり方では織田は美しくないからでございます 我が兄織田信長は美しく生きるということにこだわりまする
それに それに
我が兄は不要となったものに対してはたとえ身内といえども冷酷でございます
我が兄の本当の目的は若狭ぜめとは違うのではありませんか とは
越前の国朝倉ぜめであろうと思います やはりことに信長ならやりかねぬ
我が兄織田信長が阿財は欲しい ただし意に従わぬ朝倉はいらぬと考えたときどうするでしょうか
越前朝倉と阿財は切っても切れない関係にございます 越前朝倉を責めるから阿財も力を稼いといったら
阿財が2つに割れてしまう可能性もございます この場合兄上信長が取る方策は一つ
つまり阿財に内緒で出兵し阿財が判断に迷っている間に一気に越前朝倉を責め滅ぼす ことです
これによって阿財は織田が朝倉を責めるとは思わなかったという名目が立ち 越前朝倉を裏切ったと阻しられることを避けることができ
織田は阿財を無傷で手に入れられまする まさか
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兄織田信長にしては美しい方策ではありません しかし
お市の方の予測は的中した 5日後の元気元年4月25日
織田信長は越前の国に向かって進軍を始めた 越前の国手筒山城を攻めたのだ
再び織田信長表座敷で軍儀が開かれた 織田を取るべきか越前朝倉を取るかで獣神たちの意見は分かれた
阿財家は長政の祖父の時代に朝倉市の支援によって成り立った 阿財の家臣団には朝倉の親戚の者も多い
我らに黙って朝倉を織田こそが裏切り者だ 信長など将軍家の住みつきがなければただの田舎者よ
うつけ者が上落せよだと肩払いたいわ はっはっは
と一堂が静まり帰った お市の方がそこに来たのである
長政様お呼びでございますか おいち
我らが取るべき道は2つだけだ 1つ
そなたと離縁して朝倉につくか 2つ
そなたとの縁をそのままにして朝倉につくか のいずれかしかないのだ
長政様は織田と朝倉のどちらにつくのが戦国武将として美しいと思われますでしょうか 朝倉だ
おおおなこそ惜しけれと申す通り 我らをない場所にする信長殿のやり方は美しくない
虎は死して川を残し武将は死して名を残すのが大切だと考えている 己の命を惜しんでおめおめと織田につくことが
美しいとは思えない ただし
ただし何でございましょう 1
そなたと離れたくないのだ 長政様
長政様にとって私一人と阿財の歌神たち全員の重さが同じだというのでしょうか どういう生き方を選べばいいのでしょうか
美しくあれ 生きる時も美しく
シス時も美しく 美しいとは
自分で自分を決めることだ 私が
織田を捨てて殿につきます 奥方様には恐れながら我ら歌神一度その身の証を頂戴したくお願い申す
33:07
身の証 この織田家の家紋をここで燃やしてくだされ
これは私の腰入れの上り ではこれに火をつけようと誰ぞ日を持て
長政様 おいちいるぜ
これも戦国の習い者 なんとできると
押せられますか いや
いやーさあ あ
さあさあ さあ
さあ a この通り
ああああああ みんな聞け
神にを外れた信長は美しくあらぬ 阿財の名を残すことこそ勧揚ぞ
おお 勝ち時を上げよ
おおおおおお 私は美しく生きる
元気元年4月26日 阿財長政軍は織田2条を出て越前金ヶ崎を攻める織田信長を襲った
後世に言う金ヶ崎の戦いである 地形的に阿財長政軍が織田軍を挟み撃ちできる場所にあった
織田信長は阿財長政が織田を離れたと知るや否や ただちに戦線を離脱した
阿財長政を恐れたためである 退却に際して織田信長は後衛軍として木下秀吉
明智光秀徳川家やすらをいた 木下秀吉らは阿財長政の猛攻をよく防ぎ織田信長の戦線離脱を助けた
元気元年4月30日織田信長は京都に帰還し そして岐阜に帰還してただちに阿財長政討伐の軍勢を整えた
これにより阿財長政と織田信長の戦いが始まる そして
お市の方の波乱の人生が始まったのだ お市の方
戦国一の美女 第2話
夫阿財長政との別れ 転生元年1573年8月26日
織田信長軍は3万の大群をもって阿財長政の織田二条を包囲した 一方立てこもる長政軍はわずかに5000
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それに先立つ8月20日信長軍は越前の国を攻め 国首朝倉義影は滅亡した
この時阿財長政にはもはや朝倉に援軍を送る余力を持たなかった 多くの家臣が織田に懐中され寝返っていたのである
みな聞け これまで織田を相手によく戦った
金ヶ崎の戦い 姉川の戦い 滋賀の陣と3度に渡って信長をギリギリまで追い込んだ
この長政 褒めて使わす
だがしかし我に天運なく いずれも信長めを打ち果たすことかなわなんだ
もはや越前の国朝倉もない 我らが織田二条に楼上してもどこからも支援は受けられぬ
城を出て幸福したいものは構わぬ 今ここより立ち去られよ
殿 殿は我らの忠義をお疑いか
四肢心中の虫は我ら家臣団のうちにはおりません 織田川への内通者は我らではなく
奥向きの そこに尾一が4人の子供らを連れて立っていた 尾一ここは軍儀の場ぞ
長政様ご無礼はお許しください けれどこの頃にお館様の武者姿を今一度しっかりと見せておきたいのです
この曇りなきまなこに阿財長政とその忠臣たちの晴れ姿を 松田井までその地に刻み語り継ぐよう
一堂のもの父上を頼んだぞ お茶茶
母 貸し込まってつかまつる
茶茶は母上に似て女子にしておくのが惜しいの 長政様
満腹丸 勝ち時をあげよはい
えいえいおーっ えいえいおーっ
えいえいおーっ えいぇいおお
やがてお宝の使者がやってきた 作法により使者は信長本人となって神座より所長を読み上げた
阿財微善の神長政殿に勧告する 降伏なされませ
起伝の武勇は野に埋めるにはいかにも惜しい 阿財長政殿が降伏するならば
織田の家臣としてお迎えする 長政殿ご自身の命の心配は御無用に候
我が家臣たちはどうなさるおつもりか 阿財の家臣はすでに多くが織田に降伏し織田の家臣になっている
いや今もなお拙者とともに織田と戦っている阿財の家臣はどうなるのか とお尋ねしているのだ
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我らは阿財長政殿の武勇を惜しんでおる 他のことについては心酌は無用
つまり阿財の家臣を見捨てろと仰せか 心酌は無用
北近江の里の者は何とするのだ 昨年一昨年と続けて伝パタを焼かれている
織田里城の穀倉から食料を放出して飢えをしのいだがそれもそこをついた 北近江の里の者に
どうやってこの冬を越せというのか 阿財の領地は織田が治める
領民が飢えて最も困るのは織田であることを忘れておられる 心配は無用に候
だが織田に略奪された里の者たちの気持ちはどうなるのだ 拙者の決断で戦死した阿財の家臣たちとその家族はどうなるのだ
我らが申し出ているのは阿財長政殿のお命をお助け差し上げるということのみである
それ以上でもそれ以下でもない つまり
織田は我らについて何も考えていないということか それはお答え申すわけには参らぬ
拙者の判断で多くの家臣が討ち死にした また北近江の村も火を放たれて焼け落ちた
拙者は国主としてその席を負う立場にある 己だけが生き残るわけにはゆかぬ
ただし 市と
子供たちの命は救いたい との私は長政様とともにおいち
これはまだ幼い
頼んだぞ 長政様
承知した 聖筆阿財長政の子息は織田の軽類であるゆえ危害を加えない
お市の方様らの身柄を織田本陣にて受け入れた後 われらは阿財殿と一戦つかまつる
総攻めの黒幻が迫る中 名残を惜しむ暇もなく
お市は子らの旅自宅を済ませ 夫長政の戦自宅を整えた
長政様 今宵は一段と美しいございます
ロウソクの炎は消える寸前に輝くというからなぁ との
お名残惜しいございます うむ
なあ市を はい
拙者のところに嫁に来てくれて ありがとう
42:05
はい お市
ああ長政様 との
一つ気がかりがございません なんだ
着難満腹丸は私たちと一緒ではなく内密に逃がしてはいかがでございましょうか 何故そう思うのだ
織田信長の心の動きが 私が幼い頃に見た兄信長とかなり異なります
どのように 好んで残虐な行いをとっているようにさえ思えまする
毎年織田に城下で略奪を働いたのみならず 先年比叡山援略時を焼き討ちし
僧侶や女子供を焼き殺しました 足利義明将軍を追放する直前も信長は京都市中に放火し略奪し女子供を
無数に殺し乱取りまで働きました 今の織田信長は美しくありません
今の兄の言葉をどこまで信じていいかわかりません 承知した
満腹丸を先に城から逃れさせよう ありがとうございます
その他は茶々たちを頼んだぞはい その深夜
着難満腹丸は闇に紛れて織田に所を脱出していった 夜が明けると織田信長本陣から迎えの腰が織田に城に持ち込まれた
お市の方は長政に別れを告げるとちゃちゃ 初を号とともにその腰に乗り山次郎でた
織田信長の本陣のある虎小瀬山取りでは織田に城のすぐ目の前にある お市の方と娘たちは本陣の中織田信長の獣神たちの前に引き出された
獣神のうち北大見担当の橋場秀吉とは増仁時代の付き合いである 庭長秀や作場信森は清洲城でよく顔を合わせ言葉を交わしたこともある
柴田勝家は無本を起こしたのち10年ほど信長から遠ざけられていた そのため柴田勝家同市の方はほとんど接点がない
お市の方が本陣の人脈に通されるとすかさず 織田信長が姿を現した
お市俺に思うところはいろいろあろうがまずは大義であった 表を上げよ
45:03
信長様お久しございます でもない金ヶ崎であざいん長政が裏切る前
織田に所で長政と追うておるので 4年ぶりか
久しいと申すほどではない兄上長政の命を助けろ という申しでは断る
長政ほどの男が今更幸福しろと言っても応じるとは思えぬ ヌスットのごとく踏ん縛って引き出すのも本位ではなかろう
それは 相変わらず
そなたは我が妹ながら美しい 兄上は活戦で多くの人が死のうというのに
なぜこれほど平然としていられるのでしょうか 俺は
変わった
僧侶を殺し 円尺寺を焼き尽くし
京都市中では女子供を殺しまくった
おいじゃあ 俺はもはや
美しくない 兄上
だが そうなったきっかけは元を正せば長政が俺を裏切ったせいだ兄上それは違います
かもしれぬ 戦国の国首として避けては通れぬ道で長政が裏切らなくとも
俺はこのような人出だしになっていたのかもしれぬ
しかし 長政は裏切った
もし裏切り者の長政を許すことができれば あるいは俺も再び美しく生きられたかもしれぬ
だが長政は 俺の差し伸べた手を振り張った
兄上 そもそも小田が阿財を裏切ったということをお忘れでしょうか
忘れた そんな
拠実入り混じった信長の異様な言動に 柴田勝家や橋場秀吉ら重心たちは
じっと息を潜めていた 阿財長政は合戦に異様に強い
俺たちの損害を最小限に留めるために できる限りは僕で片付けたかったが
今こうしている間にも長政様は死を覚悟しておられる 兄上信長の中には自分自身のことしかない長政様を何とかしなければならない
けれどもどうしたらいい 兄上が案じておられるのはご自身が損をしないように
48:03
ということだけでしょうか他に何がある 兄上の
人としての感情がどこかに行ってしまっている 今の私にできることは何なのか
信長は大きな変化を期待していた 小田信長にこの4年間いろいろあったのは
小市の方も承知している 実の妹を市と議定の阿財長政に裏切られた
伊勢長島では一行一騎が発生しいぼてー 小田信置が一騎衆に包囲されても助けに行けずに見殺しにした
兄上が人としてまともな神経を持っていてはとてもやっていけなかったのはわかり ます
兄上が哀れでさえありますしかし さーて
阿財長政の着難満腹丸の姿が見当たらぬようであるがそれは 安ずるな
どうでもよい小谷城内には小田の内通車を忍ばせておる すでに昨夜遅く満腹丸が内密に小谷城を脱出したのは承知しておる
それは おいち
その他が自分を責めることはない 満腹丸がここにいようといまいと関係ない
どの道満腹丸を殺すつもりだったゆえ 気にするでない私や娘たちに向かっていうことですか
兄上は明らかに何かが壊れてしまっている 男子を生かしたままだと将来加工も残す
満腹丸がここにいなければ日本全国どこにいようといいや 地獄の底まで探し出し
必ずや処刑する 阿財長政が裏切ったことへの恨みではない
阿財長政は強すぎ 恐ろしすぎる
姉川の合戦の時 阿財長政はわずかな手勢で何倍もの兵力を備えた織田林真正面から
脇目も振らずに俺の本陣まで突進してきた たまたま阿財軍の横をついた奴らがいたから織田は辛うじで勝てたが
かなり危なかった あんな思いをするのは二度とごめんだ
阿財長政はまもなく織田林城で討ち死にする その息子が
血を引いているのなら 俺のために生かしておけぬ
人殺し そうだ
長政様だけでなく 満腹丸さえも救えないのか
51:02
なぁ市 俺が美しい生き方をしておらぬことだけは確かな
ただ 一応
その他はまだ若い できることとやれることは
まだまだ多い 寝言は寝ているときに言いなさい
私は兄上の思い通りには行きません 戦国の女には戦国の女の戦い方があるのを決してを忘れ
なさいますな おいちに何ができる次第
なんといたわしかしおいつ様ならやりかねえ 兄上がどこぞの大名と名訳を千切りしおりにその人質として私をどこへなりとも
嫁に行かせなさいません 嫁に行ったその日のうちに今家の広間で自らの胸をついて
兄上とどこぞの大名との名訳を踏みにじって差し上げます その他なら
やりかねぬやりかねぬではなく必ずやりまする 織田信長
私は二度とどこにも嫁に行きません 私の娘に手を出すことも許しません
私は泣かない 兄上によって泣かされることはない
私の涙は阿財永政殿と満腹丸のためだけにある 織田信長
私は美しい
その日のうちに織田信長軍の総攻撃が始まった おいちの方とちゃちゃ
初を号の3人の娘たちは移送されずそのまま信長の本陣に置かれた 圧倒的な兵力の差があるにもかかわらず
阿財永政は織田兄長をよく守った ただし
多勢に部勢であった転生元年9月1日 織田兄長は落城
阿財永政は辞人しその首輪信長の本陣に届けられた 信長はもちろん阿財永政と面識があったが信長はおいちの方に阿財永政の首を
見せてその戦死を確認させた ちなみに満腹丸は橋場秀吉によって捜索され
水野の国関原で串刺しの刑に処せられた 隠して織田兄長は廃棄され阿財永政の医療は橋場秀吉に下された
橋場秀吉は宮古藩の今浜を長浜と改め城を築いた おいちの方とちゃちゃ初
54:07
5号の身柄は清洲城へ移され保護されることとなった 普通ならばこのまま誰にも知られず平和に一生を得ただろう
けれどもそうは行かなかった 本能寺の編で信長が倒れたのである
おいちの方 戦国一の美女
第3話秀吉と清洲会議の陰謀 編章10年1582年
おいちの方とちゃちゃ初5号の3人の娘たちが織田兄長を出て10年が経っていた おいちの方は終わりの国清洲城に住んでいた
織田信長は拠点を安土城に移し織田の領地は広くなった 合戦の最前線は遠くおいちの方たちが合戦を実感することは少ない
安土の織田信長からは時折気遣う所上などが送られてきた とはいえ織田2条が落城したときにおいちが脅したのがよほど効いたのか
信長から最下の話は出たことがなかった おいちの方は自分が戦国一の美女と呼ばれていることを知っていた
それと同時にあの織田信長でさえ恐れを成して動かせない女として織田家中に 軽視で遠ざけられているということも
戦勝10年6月2日織田信長が京都本能寺で明智光秀の無本によって自害した 本能寺の変である
おいちの方は清洲城で本能寺の変を知った 織田信長が討ち死にと第一報が入ったときおいちの方は周囲に冷静さを保つように命じ
た 人は私を美しいというけれど
美しいことにいかほどの意味があるのだろうかと今は思いまする 兄織田信長は若かりし頃それは美しい武将であった
生きながら魔物となり果てた後も美しさへの憧れだけは失わなかった しかしそれが一体
どれほどの慰めであったのか そしてわずか11日後の6月13日
橋場秀吉が山城の合戦で明智光秀を打ち破った 橋場秀吉から清洲城へは明智光秀を鎮圧したゆえ
57:02
冷静に対応するようにという知らせが届けられた 6月25日橋場秀吉は終わりの国清洲城に入った
織田の後継者を決める会議のためである 後世に言う清洲会議である
橋場秀吉は清洲城に入るや否や真っ先に奥座敷に姿を現した お久しぶりでイヤースおめでおり賜り恩礼申し上げまする
前回は織田二条が落城した時でございました あの時阿財永政殿のご子息満腹丸様を探し
張り付けに致したのはいかにもわしです わしの立場では信長様の命令は断れんかった
けれどもずっと後悔しております 橋場殿が無類の子供好きだとは伺っております
満腹丸の件を深く悔やみ兄上織田信長公の命令であっても人質の子供を殺す ことはしなくなったと伺っております
はいですがだからといって満腹丸が生き返るわけではありません この男が満腹丸を殺したのだ
お市の方様がわしに今後持ちし取り合わすのは重々承知しております ゆえに
取り急ぎご用件とお願いを私に何の力もありません わしの嫁になってくり合わせ
はい嫁になってくり合わせ 橋場殿の女好きはこの清洲城でもよく知られております
それはそれは 橋場殿は女を口説く時にやらせてくり合わせと絶叫しながら土下座なさるとか
一度か二度しか行ったことはニャーです 本当でしたか
女子を口説く時憲兵図で口説いたり無理時したりするのは嫌いなのや 下品には変わりありません
もう一回り下品な話がございます どのような
まもなく大田の家族相続の会議が始まります 本能寺の編では信長だけでなく
織田の後継者織田信忠も内地にしていた このため織田の後継者が誰になるのか混乱は必死だった
織田の重心のうち林秀佐だと佐久間信森は失脚していた 滝川一増は関東に足止めされたまま
未だ帰還していない 庭長秀は本能寺の編の際四国攻めのため大群を大阪に集結させていたにも関わらず
人中で打ち合う揉めが発生して信長の敵討ちに間に合わなかった 京都と大阪は目と鼻の先であるにも関わらずである
1:00:01
織田信長の次男織田信勝は3年前の伊賀攻めの失敗で事実上失脚 三男織田信隆は大阪に在陣していながら信長の敵討ちには動かず
後継者の資格なしとみられていた 織田の後継として有力なのは今やはし橋場秀吉と柴田勝家の2人だけなのや
柴田殿も敵討ちには間に合わなかったのではございますまいこ 柴田殿は国陸の後爪や留守の手配をし出陣の軍船を万全に整えた上で出陣なされた
柴田殿が失策なされたのやない わし橋場秀吉がとえりゃ早く日中から戻ってきただけや
わしと柴田勝家殿とのやりとりがすべてを消せることになる 柴田殿が引き下がればすべてうまくいくのや
織田の後継者決めと私が橋場殿に嫁に行くことも何の関係があるのですか 無絆織田の血の分配
とは 織田の後を継ぐ者はいずれも過去に失敗がある
されど信長校の着孫三坊師様は3歳 お市の方様と娘子たちは世間から確実されて育っておられるゆえ
合戦でのしくじりはない 無絆後継者を柴田と橋場で分け合い力の均衡を図ろうということや
さらにまだある 柴田勝家は60なのに独身なのや
結婚したことがない 越後の上杉謙信も死ぬまで独り身でした
戦国のようではよくあることです男にも興味がないのやぞ そんな奴はそそるもんやない
お市の方様はこんな噂を聞いたことがありますか 柴田勝家はお市の方を思うあまりずっと独身を通してきた
根も葉もないざれ事でございますそもそも接点がない 私が清洲にいた当時柴田殿は無法を起こして日が浅く
兄上信長に遠ざけられていました 柴田殿が復帰したのは私が阿財に嫁に行った後のこと
それはそれとして 私は橋場殿や柴田殿の戦利品ですか
いいな一応お市の方様にはどこにも嫁に行かないという選択肢はありますがや 私が嫁に行かなければどうなります再び戦乱が起こりますなぁ
要するに織田の後継者の名目があらせんのや お市の方様や三坊主様が和紙屋柴田勝家様のもとになければ残りは似たり寄ったりの非力な後継者
ばかりになる 少なくとも柴田か橋場かにまとめれば戦乱はなくなる
私は名目ですか お市の方様が織田の除刑の後継者として名だこうておられる
1:03:06
私は信長様の四男を養子に迎えておるが誰もそのことを覚えてもおらせん お市の方様と娘子たちの噂は未だに織田家中に知られとるのや
つまり 私に橋場殿が織田の後継者になる後押しをしろ
ということでございますかいかにも 私が生じする理由がどこにありまするか平和
戦のないよう作るためでござる しらじらしいことを申すでない
お市の方様は目の前で自分の仲間が斬り殺されるのを見たことがありますか 夫阿財永政が首を跳ねられ私の前に引き出されたことはあります
阿財様の首に化粧はしてございましたか もちろん
その昔私の蔵人仲間は斬り殺されても化粧どころか首を取ってもらうこともでき せんかった
蔵人は人として数に入らせん 戦で踏みにじられるのは蔵人やら水飲み百姓や女や子供や
そのことはわしが誰よりも知っとる 踏みにじられる悲しみは学んだつもりです
お市の方様 何故私の手を握りしめるのです
お市の方様 ご決断くださいません
お市の方は全身の肌がぞわりと音を立てて泡立つのがわかった 次の瞬間お市の方は秀吉の手を振り払いその方力いっぱい引っ叩いた
売れものあげっ 申し訳にゃんです
織田の家徳 亡き愛に信長こうならなんというか
美しくあれ 生きるときも美しく
死す時も美しく 美しいとは
自分で自分を決めることだ 美しくあれ
か恐れながら お方様は大津九州ございません
だまえさるああ 橋場か柴田かを選べというのであれば
私は柴田勝家を いや
世の平和を選びます 翌6月27日
キオス会議が行われた 出席者は橋場秀吉柴田勝家
庭長秀 池田常沖の4人であった
庭長秀は明智ゼメには出遅れて秀吉の指揮下に入った 池田常沖は信長の地兄弟という縁の深さにより同席しているだけで発言権はほとんど
1:06:01
ない 会議は橋場秀吉の主導で行われた
織田家の当主は信長の直系の孫 織田三坊主と定められ橋場秀吉はその貢献人となった
そして柴田勝家は老市の方と3人の娘を引き取ることで決着した 老市様を悲観でよかった
あの方は信長こそっくりやもう一度ゾーリ取りからやらんやなぁ 多くは
私の手にはとても多いんで まして田舎門の柴田勝家では
清洲城表座敷で柴田勝家は老市の方と娘たちを神座において併服した 老市の方は実は柴田勝家と言葉を交わすのはこれが初めてだった
秀吉とは異なり柴田勝家は老市の方が物心ついた時から信長の重心である しかし柴田勝家は行政や事務ではなく戦場を駆け回るのが主たる任務であった
老市の方とは接点がない 理財決死申総領
老市の方様とご息女方におかれましては このまま拙者とともに越前北の症状に誤導残念がいます
融資の起こした文章を丸暗記したような口調 縦板に水のように弁の立つ男とはかなり違う
弁が立つとそれはそれで信用なりませんが 柴田殿
表を挙げなさい ぎゅい柴田殿は当年おいくつになられましたか
歓励60の弱いにソロヒゲが濃くいらせられる 神は曲げを言わずに伸ばしたままなのは何故でございますか
曲げが強い上にソロ どの道いつも戦場で兜をかぶり申す
神が乱雑でも生死には関わりもしそうらわぬ 兄上小田信長校はことのほか美しさにこだわるお方でありました
柴田殿は美しさにはあまり頓着なされぬような 行為
なきあざい長政殿とは味方としても幾度かご一緒申しましたが 長政殿も実に美しき武将でいらせ申しソロ
柴田殿 は
目を伏せず 私の目を見て話しなさい
されど 柴田殿はこれより我らの夫となり父と流れるお方にございます
1:09:04
行い どうか今少し心を開き遊ばされません
行い 行い行いと他に言葉を知らないのか勝家殿は
ああまた私たちから目をそらした 何を話していいのか勝家殿ご自身も困っているのはわかるのですが
戦しか知らぬ武骨者ゆえ御礼の団御有面賜りたく存じ申しソロ 柴田殿とやっていけるのだろうか
柴田殿 いいえ
これから夫となるお方ゆえ殿とだけ申し上げましょう 殿のところへ私と娘たちが貸す上で多くの不安がございます
行い まず私たちは北陸に住んだことがありません
小谷城の隣国ではありましたが足を運ぶことなく 災いが滅びました
行い 殿のところへ移り住んで無事でいられるだろうかという不安
もう二度と決して城が落ちて焼き出されたくはありません 何より
子供を犠牲にさせたくありません 行い
一番の不安は柴田勝家殿について 愚直で不器用ということ以外ほとんど知らないこと
柴田殿のあまりの口下たぶりに日常会話が成り立つかどうかさえ危ういではありませんか 美男子だった長政殿とはあまりにも違いすぎる
ホトトギスか
ホトトギス 奈久屋薩月のあやめ草
と申しますなぁ えっ
ホトトギスは平安の時代から夏を知らせる鳥として また死の世界からの使いの鳥として扱われておりますなぁ
それは 武将法ものゆえ
戦い外には若しか心得がございません なんと
可愛らしいお方なのだ柴田様は 不器用をお許しいただきたく
はい また古来よりホトトギスには
宅乱という習性があるのが知られております ホトトギスはウグイスの巣に卵を産む
ウグイスはホトトギスの子を託され 我が子として育てるとのこと
はい 阿財長政殿は
勇猛で正義の武将でおられた 拙者はあの美しさには遠く及び申さぬ
1:12:01
されど 及ばずながらこの柴田勝家
阿財長政殿のウグイスになれば喜んでなり申し候 勝家様
どうか娘たちをよろしくお願い申し上げます こうしてお市の方と3人の娘たちはその日のうちにキオス城を引き払い
越前北の少女の柴田勝家のところへと向かったのであった しかしながら
お市の方の平和な生活は続かなかった 橋場秀吉がお市の方と柴田勝家を
裏切ったからである お市の方
戦国一の美女 第4話
美しく死す お市の方とチャチャハツオゴーの3人の娘は柴田勝家とともに越前の国
北の症状に入った だが平和な日々は1年と続かなかった
お市の方たちが北の症状に入ってほどない転生10年 1583年12月2日
橋場秀吉は柴田勝家のデジロ 大見長浜城を攻め落とした
この城はキオス会議の際橋場秀吉から 柴田勝家に譲られたものだった
12月初旬は西暦では1月中旬にあたる 近江と越前を結ぶ北国街道は雪で閉ざされる時期である
秀吉が長浜城を攻めたのですか長浜城間楽の使者が来た時 柴田勝家は冬の雪深い北の少女の
本丸奥座敷でお市の方そして茶々たちとくつろいでいた そのほうらが秀吉に下り
長浜を解除せしより長浜の里の者たちの様子はいかがであったか 里の者たちはさしたる混乱もなく
橋場勢を受け入れた模様にございます 元を正せば長浜は橋場殿が阿財の丘陵
今浜の地に開いた里にございますならば良い 領主が誰なのかは我らの都合である
里の者が不安なく受け入れられるのが一番だ 頭
1:15:01
柴田様は少し人が良すぎるのではありませんか ちゃっちゃ
大切なのは誰が国首になるかではない 誰が国首としてふさわしいかだ
忘れがちだが 戦国の与党は両民が国首を選ぶことができるようでもある
両民は領主に不満があればより良い両氏を国首に据えるために動けるのだ つまり柴田様は両氏としては秀吉に劣るとお考えなのですか
茶々 言葉がすぎまする良いのだ茶々のそういう厳しいものいいわ
なき上様織田の女学校によく似ておる 将来茶々に流れる織田の血が災いを招かねば良いが
越前北の象徴は京都に比べると気温はいくらか低いが雪が多い 北の海からの雲が木の目峠から栃木峠にかけての稜線を超えられずに雪を
降ろしていく 冬の北の象徴からは南に向かう街道が雪で閉ざされてしまう
橋場秀吉はそんな北陸の雪を嘲笑うかのように次々と 美濃や伊勢の敵対勢力を攻めていった
転生10年12月20日 橋場秀吉は岐阜城の織田信高を攻め落とした
織田信高は織田信長の産男である ただしキオス会議の結果織田の着陸から外された
これを不満として秀吉への敵対を表明するや否や秀吉に攻め落とされたのである 年が明けた転生11年1月
伊勢の国の滝川一増が反秀吉を表明するが 秀吉は伊勢の国に攻め込んだ
そして長島城伊勢国府城 伊勢亀山城を次々と攻め落とした
橋場秀吉の攻撃の知らせは次々と北の少女に入ってくる お市の方は思わず声を荒げた橋場殿は戦の内容を作るためにといったのに
これでは約束が違いまするところがそうとも言い切れぬのだ 秀吉は血を流すのを嫌う
城を落とすのも調略と暴力と交渉がほとんどで力詰めは滅多にあらぬ あの男は活戦をやる時も電波たを争うように心がけている
そこが戦国武将としての弱さだった いかにも柴田様は秀吉にキオス会議でしてやられました
ちゃっちゃいい加減にしなさいとのに対して無礼が過ぎます母上 元を正せば母上が柴田様に物にしたのではありませんか
1:18:00
いかにもそうだお市 そなたの負けであろう
秀吉はもちろん勝った後の領地経営のことを考え 両民の反感を変わるようにしている
先に両民からの指示を勝ち得ていなければこうたやすくは城は落ちる 殿は違うのですか
残念ながら違う 力責めをした方が早く片付くのでな
拙者は交渉ごとでは橋場にかなわぬが合戦となればあの者に負けるわけがない 柴田様のような生き方は美しくはありません
チャチャいい加減になさい自分を何様だと思っているのです チャチャ様
ほほえましや そなたのはっきりした物言いはつくづくなき信長校に似ておる
まさに
ここは笑うところではないでしょう それにしてもなんと裏表のない男なのだろう
美男子だった阿財永政とは外見が似ても似つかるので気がつかないが 柴田勝家の裏表もなさと城の厚さが阿財永政とそっくり
勝家様愛おしいと母様のお顔に書いてございます チャチャ人としての美しさを身につけなさい
いやですこれだけを取ればただの親子喧嘩のようにも見える 実際には戦場で多くの血が流れているはずであったが
オイチの方たちに実感が湧こうはずもない 血なまぐさい合戦は時として平和のフリをする
北の少女の見せかけの平和は長くは続かなかった 北国街道の雪が溶けた3月12日
柴田勝家軍は大宮長瀬に向けて出陣することが決定した 出陣前に柴田勝家は奥座敷に顔を出した
こたびの出陣は少し長陣となるだろう 秀吉は直接活戦を仕掛けるのを嫌う
陣地や砦を作って睨み合い相手が疲れるのを待つ男だ 秀吉は三木城攻めや鳥取城攻めで相手を囲んで待っていた
城攻めや鳥取城攻めは兵を消耗させる 秀吉が待ち構えているところに突っ込むわけにはいかぬ
根気がいる 妻のが武装を頼む
どうかご無事で なぜ父上が橋場と戦わねばならぬですか
ちゃちゃやめなさい いや良いのだ
初めて拙者を父と呼んでくれたなぁ これが父上との
最後のお別れになるかもしれませんゆえ
1:21:03
正直な娘だ 母心は本能だろうが
父心は学習だ そなたの母後と目元になっていこう
その他の父足らんと思ってきた 私は
父上を一度たりとも父だと思ったことはありません ちゃちゃ
殿の出陣前に何を言うのですか 父上
私は 織田のものです
ほう
父上こそ まさに織田を守るにふさわしき方
父と呼ぶに ふさわしきお方
父上
あなたは美しい 居ささか
おもはゆい なぜちゃちゃが兄上信長甲の姿と重なるのか
長政殿の温かい美しさをなぜ受け継いでいないのだろう いずれにせよ
上に立つ者は今占める者がいないと横暴になる 橋場が横暴にならぬよう釘を刺す者がいるのだ
止める者がいなくなると人は美しくなくなる
秀吉を上に立つ者と認めるようで嫌だがなぁ との
どうかご無事で 帰ってきてください
無事かどうかは全くわからんが約束する 必ず帰ってくる
柴田勝家は 足場秀吉に惨敗した
4月21日 1ヶ月余りの長い硬着状態を経て柴田勝家と橋場秀吉は激突した
世に言う静畑の戦いである 柴田勝家軍は好戦しているさなか柴田側の後方を守っていた前田俊江が突然戦線を離脱した
このため柴田勝家軍は総崩れとなった 前田俊江は橋場秀吉とは秀吉が増任
俊江が浪人だった時代からの暗くを共にした友人である 柴田勝家と橋場秀吉との板挟みになった前田俊江の苦悩について見誤った
柴田勝家の判断間違いであった 翌
4月22日 僅かな兵を伴い甲冑を泥だらけにして柴田勝家は北の庄城に戻ってきた
まさか 秀吉に合戦で負けるとは人は自分の得意なところをくじかれると弱い
1:24:07
この方はこんな表情を見せることがあるのだ どうした
昨年6月に目を整いウルー12月を挟んでいるので11ヶ月 そなたがそのように驚いた顔を見せるのは初めてだが
いえ 殿がいろんなお顔を持っておられるのを時々忘れます
拙者は 荒武者にて強豚だがそやとよく言われておったからな
和歌を好む姿はあまり見せたことがない いいえ
それ以上にいつも穏やかで陽気で 影のないお方です
殿は決して弱くはありません 明日には秀吉の軍が北の庄城を包囲する
それまでにその形を逃がさねばならぬ どこに逃げろとおっしゃるのですか
今逃げ出してもオチュード狩りに会うだけでございます 以下にもオチュード狩りは強い
合戦の場で打ち死にするならまだしもだ 明智光秀が山崎の合戦で敗北した際逃げる最中にオチュード狩りによって殺されたのは記録に
新しいことでもあるし チャチャ
いかがいたした いいえ何も
翌4月23日 橋場秀吉の大軍が北の庄城を包囲した
その数およそ5万 これに対し北の庄城に残っているのは80人ほどであった
柴田勝家が歌神たちに 橋場に降伏するものは遠慮なく申し出るようにといったためである
橋場秀吉軍は総構えを乗り破り天守閣の奴隷近くまで押し寄せてきた 柴田勝家が勝つ要素は全くなかった
そして橋場秀吉から降伏勧告の使者が送られてきた 柴田勝家の命を助けるのは困難である
だがオイチの方と娘たちは命を助けられる ゆえに検討をされたし
一応申しておく 橋場秀吉は暴力を使って信用ができる男だが
人情には熱い そなたたちに危害を加えぬというのは信じてよい
お言葉ながら 私は秀吉に裏切られました
橋場秀吉は他の戦国武将と決定的に違うことがある 肉親を殺したことがないということ
1:27:02
そして 女子供を殺すのを極端に嫌うことだ
戦国武将で肉親を殺した経験のない方が少ない 織田信長公は兄に殺されそうになったことがあるし弟を殺したこともある
オイチの亡き夫 阿財永政でさえ父久政を追放した
いかにもその通りでございますが 橋場秀吉がそなたの息子満腹丸を串刺しにしたことを激しく後悔していることは確かだ
信長公に逆らってでも悪い子を子供を殺すことがなかった されど数年前
秀吉の獣神が幸福交渉のために敵の城に入った時 信長公はこの獣神が裏切ったと思いその子息を処刑するように秀吉に命じた
しかし秀吉は 信長公の命令には従わず処刑したと虚偽の報告をしてその子息を内緒に匿った
秀吉の獣神 黒田勘弁とその息子
黒田永政の話である ゆえに案じずともよい
そなたたちの身は秀吉に任せられる 殿とは別れたくありません
だが秀吉の申し出を断ることは ちゃちゃたちを道連れにしてしまうこと
母上は ご自身のために決めたことはあるのですか
織田を離れるときは阿財の父の名前のため 織谷城を出るときは私たちのため
キオス城を出るときは 天下の平和のため
母上 一度ぐらいはご自身のために自分のことを決めください
そなたはいつのまにそのように大人になったのです 生まれた時から
さすがはお茶茶様じゃ 茶茶
忘れるでない 美しくあれ
生きる時も美しく 死す時も美しく
はい 母上
私は 茶茶は美しい
はい ただ冷たい美しさだけではなく
母上 女としての温かい美しさを私たちに教えください
わかりました
つい様 おいち
お市の方は勝家とともに城に残ることを決めた この日茶茶初
1:30:06
を号の3姉妹を乗せた腰が 北の少女を出て
橋場秀吉の本陣に迎えられた さらぬだに
打ちぬるほども夏の世の 別れを誘うほととぎすかな
夏の世の 夢地儚き後の名を
曇りにあげよう 山ほととぎす
翌日転生11年4月24日 橋場軍の総攻撃が始まった
柴田勝家とお市の方の2人は北の少女の天守閣に入り 自害して火を放った
お市の方37歳 柴田勝家61歳であった
茶茶 初
を号
私は美しい 長女茶茶はこの後橋場秀吉豊臣秀吉の即筆となり豊臣秀吉を生み
そして大阪の陣で秀吉と共にして自害し滅亡した 後世に言う淀気味である
次女初は京国高嗣の妻となった 京国高嗣は若さオバマ8万5000国を与えられ
子孫は佐抜丸亀6万国に転法し明治に至る 三条号は2度の結婚を経て
3度目に徳川2大将軍 徳川秀田がの下にと次
3大将軍徳川家光を産んだ 茶茶初を号は阿財3姉妹として知られる
ボイスドラマで学ぶ日本の歴史 シーズン2
お市の方戦国一の美女いかがでしたでしょうか
戦国一の美女と言われたお市の方の美しさ それはその外見による美貌ということだけではなかったんですね
美しく生きるという人生観そのものが美しかったという ことだったのですね
自らの野心のため裏切りを行った美しくない 兄信長
この信長に逆らうために 阿財長政の元に残ってまたその後も未婚のまま過ごすと決めた
1:33:07
お市 しかしですね
美しい平和のためとあらば柴田勝家のもとにとついで そして最後はその美しい平和を裏切った秀吉には
幸福せずに 自害の道を自ら選んで美しく生きることを貫いた
お市のかそんなお市の方が美しく描かれていたのではないでしょうか 生きる時も美しく
しす時も美しく 美しいとは自分で自分を決めること
お市の方の美しさの原点は兄 織田信長から教わったこの言葉にあるのかも
知れません このお市の方の美しく生きると決めて
生涯を通して示した真の強さというんでしょうかね この生き方
これは現代を生きている私たちにも 非常に心の奥に留めてですね
学ぶべきところが たくさんあるのではないかなぁと
感じました さて次回はエピローグ会として私ナビゲーターの熊谷陽子がシーズン2
お市の方戦国一の美女を書き起こしてくださった 作家鈴木喜一郎さんに今回の物語についてインタビューをしてきましたので
そちらを公開いたします どうぞお楽しみに
皆さんこんにちはボイスドラマで学ぶ日本の歴史 ナビゲーターの熊谷陽子です
戦国の一番の激動の時をあの風雲寺 織田信長の妹として生き抜いたお市の方
戦国一の美女いかがでしたでしょうか まだお聞きになっていないという方はぜひ本編もお聞きください
さて今回はそのシーズン2お市の方戦国一の美女の脚本をお書きいただきました 作家の鈴木喜一郎さんとオンラインでつないでおります
いろいろとドラマで語り尽くせなかったところなどお聞きします 鈴木さんよろしくお願いいたします
1:36:06
よろしくお願いしますあの小説家の鈴木喜一郎と申します えっと今日はよろしくお願いしますよろしくお願い致します
本日はオンラインでの収録なのでちょっと音質が悪くなっているところもあるかも しれないんですがご了承いただければと思います
鈴木さん普段はですね岐阜の大垣にお住まいということで普段から岐阜の大垣の方で お仕事をされていらっしゃるということでしょうか
はいそうです あの小説家の仕事というのは基本そのタイミング取材がほとんどないもんですから
岐阜県大垣市の自宅で原稿を書いて普段はだいたい月に一度 一月か二月に一度のペースで上京してそこで打ち合わせをする
だいたいそれが2のペースですね なるほど大垣といえば今回のドラマでも出てきた
阿財永政の小谷城もかなり近い場所なのではと思うのですが 鈴木さんもあのあたりは結構現地を巡られたりとかはされてるんでしょうか
だいたい車でそうですね30分まあ1時間はかからないところなので あのホワイトチョコマカとこまめに行ってます
ああいいですねもう戦国マニアからすると羨ましい限りの環境ですが そんな鈴木さんにですね今回はこのドラマの脚本制作に取り組まれた時の意気込みや
ドラマの中で語り尽くせなかった歴史小話なども挟みながらお聞きしたいと思っております よろしくお願いしますよろしくお願いします早速なんですが
順番に私の方から質問をさせていただきたいと思いますが 今回題材としたのがオイチの方
脚本を書き上げた時一番どういった点をリスナーに伝えたいと思っていらっしゃいましたでしょうか 一番伝えたかったことというのは美しく生きるということですね美しく生きるとはどういう風なのか
一言で言ってしまうとそういうことですから 美ということに関しては題名にも戦国一の美女というところですけれども
実際ちょっと私思ったんですけれども 教科書などで見たオイチの方本当に美しかったのだろうかと少し思ってしまうんですが
どうなんでしょうか そうですね現代の我々とは若干美の基準が違いますので色が白くてふくよかな女性というのが当時の美人の基準だったということですね
なるほど 外面的な美しさというのももちろん人の目を引くという部分あるとは思うんですが
この生き様の美しさというのはかなり当時求められていたのではないかというふうに思うんですがいかがでしょうか
1:39:09
当時戦国武将の思想として 名こそおしけれという思想があります
いつ死んでもおかしくない時代ですので その後何を残すかというところで名前を残すということが一つの重要なことだったんですよ
その時にその名前というのはどういうものだろうかということで オイチの方の場合だったらやはり美しく生きることで名前を残すということだったんだろうなというふうに描きました
なるほど このオイチの方 私のイメージはかなり強気なというか 娘のチャチャもイコールするところがあると思うんですけれども
そういうイメージが強くあるんですけれども そういった史実というのはあるんですかね
具体的な史実というのは残っていないんですが 状況として十分残っているんですね
27歳でオイチの方は西永政が死滅して独身になった後 10年ぐらいずっと一人身だった
十分その年でしたね 政略結婚の道具としての使い道というのはあったんですけれども
織田信長がああいう性格なのであっちに行けということは言えたはずなんですけれども 全くそれを言った様子がない
つまりオイチの方が嫌だと言ったら嫌だというふうに断ったと考えるのは非常に妥当なところですので
だから織田信長でも手を出せなかった女性って そういう考え方ができるということですね
なるほどそうですね 織田信長が手を出せなかった かなり強いですね
オイチの方は災いにとついたのが20歳ごろというお話ですけれども この当時20歳との結婚ってちょっと遅いんじゃないかなと
その原因というのは今お話いただいたような
これは理由は分かっていません 当時の女性の結婚的齢期って大体12歳から16歳ぐらいまでです
当時の基準でいくと20歳で富島 25歳で大戸島という言い方をされました
ですのでなぜこんなに婚期が遅くなったのかという理由は分かってはいません
そこらへんが理由が分からないからこそ いろいろ我々が歴史の空白を埋める想像力の入る余地があるかななんていうことは思います
そこにロマンがあるという感じですよね
この時代は結婚と言っても恋愛結婚ということではなくて 政治的な道具って言ったらちょっとあれですけれども
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そういった形で結婚していくというケースが多かったと思うんですけれども
でも阿財永政と小市っていうのはすごく仲睦まじくて
3人の娘たちも名を残しておりますし その辺とかはどうだったのかなって
2人が結婚した理由というのは明らかに政治的な理由だったんですけれども
実際に本当に仲睦まじかったことは間違いないところですね
通常ですと小田と阿財の同盟の人質として 小市の方は嫁に行ったわけですけども
阿財と小田が決裂しますね
決裂すると本来ですと条約が破棄されたので 離縁するのは普通なんですけども
永政は離縁した様子もないんですし
その後ですね 時政の苦の中に柴田勝家と小市の方が 互いにホトトニスの話を苦の中に織り込んでます
ですのでこの時にこの2人がずっと阿財永政のことを常に強く意識していた ということは言えると思います
なるほど 柴田勝家にとつぐ理由として 柴田家と柴田家の均衡を保つためという
秀吉からの提案という設定で描かれてましたけれども
実際こういった流れで柴田との婚姻が成立した感じなんでしょうか
味気も素っ気もなく表に出せる史実から出していくと そういう結論になるんですけども
実際には非常に行動が不可解ですので
その前に小市の方と柴田勝家がずっと知り合うきっかけがあって
ずっとお互いに思いやってたんじゃないかっていうふうに 僕は自分の小説では書きました
人間理解だけでは動かないので そこらへんのところを何とか抑えたいなということですね
多くの作品の中でこの2人って美女と野獣みたいな感じで描かれてますけれども
ちょっとこの辺はなかなか味のある場面かなと
小市の方3人の娘 超有名人ですよね
長女は茶々豊臣へと継ぐ そして三女の郷ですね 徳川に嫁入りと
最終的には徳川の中で子孫を残すことに成功もしておりますし
この豊臣徳川どちらに転んでもという この辺りの血縁関係の作り方
小市は企んでいたということになるんでしょうか
年表を作ってチェックしていますと 小市の方が徳川だとか娘たちの縁組には
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達致する年齢ではなかったので その前に死んでますのでね
まあ達致してなかったかなっていう 高生の我々が後付けでロマンチックにつけがちですけども
まあそんなことはないかなっていうのが実感ですね
すいません何か預けない結論で
あいえいえいえ まあでも尾田家の信長の流れの血と
阿財の血が流れている娘たちですからね そういう運命だったのかというところでしょうか
こういう時に我々が変えていって思うのは 冷静に考えるとあくまでも結果はあるんですけども
その歴史というのは人間の想定の外側で非常にロマンチックに流れるんだな
ということは痛感しますですね
そうですよね その中でもまたちょっと柴田勝家の話に戻りたいと思うんですけれども
かなりウイウイしい感じがありましたけれども
少し踏み込んで柴田勝家と尾市の慣れ染めとか 夫婦の秘話なんかあったら教えていただきたいなと思うんですが
実はこれがほとんど残ってないんですよ
当時の噂ですとかって言うと 柴田勝家がずっと尾市の方を思っていた
なんていうようなことは噂では残っているんですけども 実際には何も残ってない
そして考えられるのはですね 二人の自生の苦の中に
ホトトギスという言葉が深く彫りこまれています
ホトトギスというのはどういうことかというと
死の世界側の使いという意味とそれが隠れていましたね
ホトトギスはウグイスが育てると
ですので柴田勝家も尾市の方も
あざい永政から預かった娘たちを大切に育っているんだよっていうことは強く意識していたということはあります
なるほど
この柴田勝家と尾市の部分はすごく私も興味があるところではあるんですけれども
話は3人の娘のお話に移りたいと思います
この3人の娘もかなりですね歴史的に強烈な印象を残しているお嬢様方だと
これだけねこの歴史上の名を残す結果となった
その原因はやっぱり教育なんかしっかりされてたのかななんてその辺はどうだったんでしょうか
これは十分母親の生き方っていうのを見せる機会はあったんだろうと思います
だいたい10年ぐらい娘と尾市の方だけで過ごすことができたっていうのは10年ほどあったので
その代わりもちろん読み書きもそうなんですけども
例えば織田信長からどうかに読みにいかんかって言ってそれを突っ込んでるシーンだとか当然あったでしょうから
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そういった母親の姿などをしっかり焼き付けていたんだろうなと
それからそのことがその後世娘たちの強い生き方に影響してるんだろうなということは推測はできますですね
なるほど尾市の存在というのはこの歴史にどれぐらい関わって影響があったのかなっていうことをすごく考えちゃうんですけれども
尾市がいたということでどんな歴史的な影響があったのかなっていうのは鈴木さんはどんなふうにお考えですか
まず直接的に一番大きなところというのは大阪の駅ですね
この何十年か後に大阪の駅に豊臣秀吉の子供を茶々が払って豊臣秀織ですね
この秀織は小柄な豊臣秀吉と違って非常に体が大きくて威風堂々としていたということは伝わってます
この秀織が阿財永政と非常に見た目がそっくりだったんだろうということは想像がつきますので
その姿を見て徳川家族が非常に恐れをなしたという記録は残ってます
もし尾市の方が阿財永政との間に茶々を産んでいなければ豊臣秀は潰されずに済んだだろうなということはまずは言えますね
で、徳川家族は三つを産んでるんですね
ですので徳川将軍の15代のうちで母親の身元がはっきりわかっているのは確か徳川家族ぐらい
だからその意味でも非常に歴史的に強く跡を残している人だということは言えます
なるほど、そうなんですね
それは知らないことが今たくさんありました
鈴木さんの秀織ですけれども
すごく長政の面影を非常に盛り込んだ体の大きな人だった
これを家康がかなり恐れたと
そんな家康が恐れるような長政の武将としての武力っていうか
そういうのはあったのかっていうところをお聞きしたいんです
非常に人間的な魅力があるということがまず第一と
それから非常に武将として優れていたということがあります
この当時阿財永政というのは戦国武将の例に漏れる父親が出来が悪くて追放してるんですね
通常追放するとその父親というのはそのまま遠くに預けられてしまうんですけども
長政の場合は自分のすぐそばのところ
同じ大海の国の魅惑の中に築島というのがあるんですけども
そこに預けていたと
そしてある程度自分の生活基盤が固まったところで
父親をまた呼び寄せてるんですね
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親子の城に非常に熱いということは言えます
それから武力に関して言うと非常に強いです
隣の美濃の齋藤達沖ですね
1万の兵を500ぐらいでかき回したという記録が残ってます
それから織田信長が上落している時に
二条城が攻められたので
改めて二条城を作ろうじゃないかという時に
齋藤長政を手伝いに行ったことがあるんですけども
その時に齋藤長政の家臣たちと織田信長の家臣たちが
下の者同士で喧嘩したことがあるんですよ
その時にその齋藤長政の家臣たちが織田信長の家臣を
ボコボコに殴り倒して行ったということが記録が残ってますね
そうだったんですね
この歴史の話の中で数々語り継がれている女性たち
例えばチャチャとも関連の深い秀吉の奥さん
ネネだったりとか
明智光秀の娘がらし屋だったりとか
あと信長の奥さんですね貴重ですね
私貴重を好きです
あと前田利家の奥様松などですね
戦国武将の女性っていうのは本当に
今私たちの現代から見ても学ぶことが多いなと思う
素晴らしい素敵な女性がたくさんいるんですけれども
こうした戦国の女性の中で
尾一は特別何か他の女性と違った部分というか
特筆するべき部分というのはどんなところなんでしょうか
そうですね一番大きなところはですね
歴史というのは男性によって書き残されるので
どうしても女性が書かれるので
男性の願望によって書かれることって結構あるんですよ
ですのでそこら辺を歴史の業界から読んでいくと
尾一の方が特に違うところというのは
尾一の方の行動に自分の意思が強く感じられることですね
だから嫁に行きたくないところは行かないっていう
はっきりしたところが伺われるので
尾一の方というのは常に自分の意思で行動し
そして自分はどういうふうに行動したらいいかということを意識し
女として生き妻として生き
最終的に自分は子供も成長したことなので
私は女として美しく生きるんだっていう
そういうところを前面に押し出した
常に自分の意思を最優先するタイプの
そういう素敵な女性でしたですね
なるほどそうですよね
誰々の妻もちろん尾一も長政の妻ではあるけれども
夫を亡くして一人自分の意思で何かを決めて生きていくという部分においては
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尾一はそういう人生だったと思います
秀吉は結局茶々を即失として迎えるわけですけれども
これっておそらく尾田の流れが欲しいというようなところもあってのことなのかなというふうに思うんですが
この時ですね
尾一の方っていう茶々ではなくて
尾一の方っていう選択もあったんじゃないかなって私常々思ってるんですが
どうだったんでしょうか
そうですね嫁にもらおうとしたところで
さあもらおうかなといったところで尾一の方だったら
嫁に行った先で生徒で自害されかねないので
それやったらもう目目丸潰れですからね
信長でさ恐れて手を出さなかったっていうところはやっぱり多かったんじゃないでしょうかね
茶々の場合ですと茶々を引き取ってもすぐにはその嫁にもらってないんですよ
何年かかけて丁寧に育っててますので
やはり自分になびくのをずっと待ってるっていう
そこらへんが秀吉がなかなかずるいというか賢いというか
そういうところですね
秀吉の性質ねえねえと
もしも即失に尾一だったらなんていうことを考えたりとかですね
してしまっていたんですけども
そういうことだったんですね
秀吉は一度細川ガラシャをくどこうとしたことがあるんですが
その時に細川ガラシャがよろしくお願いしますって
三つ指をついた瞬間にわざとらしく
担当を秀吉の前にポロッと置こうとしたことがあるんですね
やりますねガラシャ
それを見て秀吉がもう震え上がってしまったので
震えがあってそれ以降細川ガラシャはくどかなかったっていうことがありますので
意外と秀吉さんは女に関しては賢いです
繊細だったんですね
気がちっちゃいんですな
農家ねこう傍若無人にみたいな感じのイメージもありますけどね
女くどくんだったらもっと腹に決めてかかれと僕は思うんですけども
なびいてくれないと僕は嫌だっていうふうだったんですね
なんか意外な気がしますけどね
そう考えるとねねが性質で秀吉の土台にいた
みたいな感じで考えると正当なのかなと思いますね
いやもう本当に素晴らしいね
今回お一の方戦国一の美女を楽しませていただきました
最後に鈴木さんの方から最近のご活動やリスナーに向けて一言お願いできますでしょうか
新刊は今出てるんですけどもそれもそうなんですけども
お一の方がですね長いこと絶版だったんですけど電子書籍で手に入るようになりました
高段車から出てますのでお一の方鈴木貴次郎で検索をかけていただくと
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Kindleですとかその他電子書籍の書店でどこでも手に入るようになりましたので
やはり鈴木さんの中でお一の方というのは戦国の大鳥なんでしょうか
実を言うとねこれ最初に書き始めたのっていうのは別に大した思い入れもなく
実は女性を主人公にするとウケるだろうなと
話がうまく出来上がったのと
自分で言うのもなんですけど非常に女性向けのいい作品に出来上がったものですから
結構気に入ってると言いますかね
ここから一つのターニングポイントになったなっていう
20年ぐらい前に書いた作品なんですけどねそういう思いではありますですね
なるほどありがとうございます
ぜひ皆様手に取っていただければと思います
鈴木さん今日は本当にありがとうございました
ありがとうございました
それではボイスドラマで学ぶ日本の歴史
次回シーズン3も配信準備しておりますのでお楽しみに
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