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支援と「うっせぇわ」の精神
2026-10-04 06:17

支援と「うっせぇわ」の精神

「回復」という毒 支援に埋め込まれた構造的暴力 |風間 暁

ポッドキャストを聴いてから本を読みました。

 

📝補足

矯正された時代

時代で括るより「人や環境によっては」というのが合っているのかも。

 

#声日記

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00:00
ふじこひろです。14時ちょうど、ひとり声日記です。
今日は、白っぽい服を着ているんですが、そういう日に限って、トマトとか、カレーとか、キムチとか、色がつきそうなものを食べたくなるのは、なんでかなと思います。
汁がぴょんって飛んでいくと、すぐに汚れが目立つようなものを着ているときほど、そういうのが食べたくなるような気がします。
だったら、汚れを防ぐようなものを、エプロンとかナプキンとかすればいいのに、それをしないというズボラさもまたあります。
最近、本を読みまして、支援ってなんだろうなというのを考えていました。
当事者だった人が支援側になったという方の本だったんですけども、自立ってなんだろうねと思ったりとか、
今はある分野において支援というものに関わりがあるんですけども、それを何年も受けてきて、いろいろと思うところがあるわけで、
その楽になったなという気持ちもあるし、受けようと思えば、金銭というか経済的な援助も受ければするんですが、
それ以上に支援というものの一方的な力の強さみたいなのを感じてしまうことは毎年のようにあって、
だから支援はいらないと突っ跳ねることができるかというと、
それはできたら支援を受けてないよねとか、ぐるぐる回ってしまって、
雑な言い方をすると、うるさいって跳ねのけていくぐらいがちょうどいいのかなとか、
心の中にAdoがいたらいいのかなとか、歌を歌うのとか思ったり。
その本を読んで思ったのが、当事者とか本人が書いたものは読んでて好きなんだなということがわかりました。
エッセイもそうなんですけども、生々しさが多少感じられるところが好きです。
03:06
一般書籍として発売している以上は、何人か何らかの手が加えられているというのが、
編集が入っているとかチェックが入っているとかという意味で、
生々しさは多少減っていると思うんですが、読み手に届くまでに。
滲んでくる感じがあるのがいいなと思って。
出来事や体験や立場の本人のものを読んでいると、
自分の中にも本当、世の中の逆を行こうとする気持ちがまだ生きていたなと感じます。
すごい些細なことなんですけど、私はもともと左利きなんですが、
小さい時に右利きに矯正されたという時代に生まれまして、
そういうよくあるような些細なところから、
何で多くのところに合わせにゃならんのだという怒りとか、
自分がそもそも右利きだったらよかったのかとか思うんですが、
今となっては両方使っているんですけど、
結局、右利きでずっと生活していたんですが、
ある時右手を怪我しまして、(一時的に)使えなくなっちゃって、
そこから左手を使うのが復活して、
でもやりやすくなっているというか、
右手で長い間文字を書くのと刃物を使うのは、
右手も長年やっていたので、
それをちょっと今から左でできるかわからないけれど、
それ以外はだいたい左でもやるようになったし、
自分で選べたらよかったのかな。
利き手のことも、やっぱり矯正されているうちは、
自分は駄目なのかなと思っていたし、
左手で矯正しなくて、
そのまま左利きでやっている人たちが羨ましくもあったけれど、
今、自分の意思で両方どう使うか選べるようになったりとか、
使い分けできるようになって、
ようやくちょっと手を使うのが楽しくなってきたなと思って、
話がだいぶ脱線しておりますが、
自分の手に取り戻すというか、
06:01
本人の自分の選択をできるようにするというのを伝えてくる、
読みごたえのある本でした。
今日の声日記はここまでです。
06:17

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