「ままならジオ」は、人生の「ままならなさ」を、『弱さ考』著者であり、オンライン読書プログラムの「問い読」主催者でもある井上慎平が、みなさんと一緒に、もたもた、まったり考える番組です。
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合理的ってなんなん?もし合理的な答えがひとつやなかったとしたら、あなたにとっての合理的って何?
今日はそんなお話です。
ままならジオ。
『弱さ考』著者の井上慎平が、人生の“ままならなさ”を、焚き火を囲むように、一緒に考える番組です。
もたもたと、割り切れないまま。割り切らないまま。
合理的っていう言葉があるやないですか。
僕は鬱になって、自分の体と心が不安定になって社会から弾き出されるまで、この合理性っていうものについてあんまり考えてこなかったんですよね。
でも、いざ世界のルールみたいなもんが急にカオスになった。そうすると、「合理的ってなんやねん?」ってことについて考えざるを得なくなったんですよね。
「合理的」って言葉から、みなさんはどんなイメージを持ちます?
なんとなく、たった一つの答えがあるような気がしませんか?
「合理的に考えたら絶対こうでしょ」「これしかないでしょ」みたいな。
でも、それがそうでもないんやな〜。
話がちょっと逸れるんですけど、僕が「合理的」なるものになんか物言いをしたくなるのは、ずっと
「経済合理性ですべてが決まっていいのか」
「経済合理性だけがいちばんの指標なんか」
みたいなことを感覚的に感じてきたからでしょうね。それについてしっかり考えたのは鬱になってからでしたけど。
あらためて自己紹介になりますが、僕はビジネス書をつくってきた編集者ですし、経済メディアで働いてたこともあるんで、バリバリ経済の世界で生きてきたんですよ。
そのなかで、自分にとっては違和感のあった「経済合理性」っちゅうもんを追わなあかんと同時に、その「経済合理性こそ命」というルールに乗り切れないところがあった。
この2つの気持ちが引き裂かれてしまって鬱になったと言えなくもなさそうやねんな。
やからこそ、「経済の究極的な目標って経済合理性なんやっけ?」っていうことについて考えたくなったんです。で、そしたら、僕より先にはるかに深く考えてた人がいた。彼らの書いてたものを読んでみたら、なんや、全然「合理性」ってひとつやないやん、って気づいたんです。
やから今日はその気づきを共有したいんです。あのときはほんまに感動したからなあ。
まあ小学生が「聞いて聞いて!」って目を輝かせて言っとるわ、みたいな感じで、つまらんかもしれんけど、聞いてみてください。合理的な答えって人の数だけ、何十億もあるんよ。
ちょっとね、眠たく聞こえたらごめんやねんけど、マックス・ウェーバーって人の考えを紹介したい。まず。あの、あれね、『プロテスタンティズムの倫理と精神』っていう通称「プロ倫」って呼ばれる本を書いた社会学者の人ね。
このウェーバーさんが言うには、合理性は二つあるんやと。
一つが目的合理性。単語は全然覚えんでいいですよ。
この目的合理性っちゅうんは、だいたいみんなが考える合理性と一緒やね。「いかに目的に対して手段が合理的か」「効率よく目的を達成できるか」を突き詰める考え方。
待ち合わせの場所にいくのにどの電車でどう乗り換えたら早くいけるか、みたいな、わかりやすいやつね。
一方で、価値合理性っていうもんがある、ってこの人は言ってるんよ。この価値合理性は、ある価値観や信念に沿っとるかどうかを大事にする考え方。
たとえば・・・経済を例に考えましょか。経済で言えば、企業価値を最大化することが大事やないんちゃうか?おれは「働いている人が安心感を持って働いてもらうこと」こそがいちばん大事やと思うんやっていう信念や価値観だってありうると思いません?
そしたら、経営とか人事のスタイルも変わってくるやないですか。
株主にお金を還元するためには、がんがん人を減らして、業績へのプレッシャーを社員にかけていくことが合理的やけど、もし「安心感を持って働いてもらう」ことが目的やったら、その人の居場所をどうつくるか、みたいなことを大事にした全然別の組織ができると思うんよね。
ウェーバーさんがこの目的合理性と価値合理性の違いで言いたいんはこういうことです。ここ大事。
「合理的っていうけど、それってベースに絶対価値観や信念を含んでるよね」と。「やから、客観的にはなりきれへんで」ってことやと。合ってるかわからんけど僕はそういうメッセージとして受け取ったんよね。
「企業価値を最大化すべし」っていうのも一つの信念であり価値観にすぎへんやないですか。
「従業員の安心感を最大化すべし」っていうのが信念であり価値観であるのと同じように。
僕たちはあらゆる「合理的」っていう言葉に、「その合理性はどんな価値観や信念に対しての合理性なん?」って問い直すことができるんですよね。これは僕にはすごい発見でした。
すごない?これって突き詰めたら人には価値観ごとに一人ひとつの合理性があるってことやから。何十億もの合理性があるんやから。
はてさて。もう一人、僕が紹介したい人に渡邉雅子さんっていう社会学者がいて、この人は『論理的思考の文化的基盤』っていう名著を書いてはんねんな。
なんかゴロがええよな〜!「論理的思考の文化的基盤」。
この本は、何が合理的かっちゅうんは国の文化によって異なるよって本。
これね〜、だいたいこういう文化に関する話って、国民性みたいな曖昧な原因を持ち出すことが多いんよ。「日本人あるある」「アメリカ人あるある」みたいな話に落ち着いてしまう。
でも渡邉さんの何がすごいかって、そういう「あるある」を超えるために、教科書や小論文のテストっていう具体的で、目に見える素材を使って、4つの国ごとにいかに「何が合理的か」が違うんかってことを炙り出したところなんよな。
4つの国っていうのはアメリカ、フランス、日本、イラン。
アメリカがいちばんわかりやすくて、彼女はアメリカの合理性を「経済原理」と呼びます。まさにここまで話してきた、経済合理性な。いかに効率よく目的を達成するか。
じゃあ、日本における合理性は何か。彼女はそれを「社会原理」と呼びました。いかに他者に共感し、場の空気を読むことができるかをいちばんの価値にして「何が合理的か」が決まってるんが日本やと。日本の国語のテストって、とにかく心情、つまり気持ちの読み解きがめっちゃ多くて、22%もあるんやって。国際的に比較して、日本だけらしいですよ。こんな人の気持ちの読み解きばっかり考えてるんは。
残りの2つはさらっといくけど、
フランスは「政治原理」っていってとにかく議論をすること。議論をしまくって公共、つまりみんなにとってよりよい答えを追求する姿勢自体が価値あるものとされる。
イランは、フランスみたいに議論するのとは対極的やね。イスラム教によって正解がひとつに最初から決まっとるから、いかにそれに合う説明ができるかが大事。神が授けたたったひとつの正解に自分の意見をひもづけられれば、合理的とみなされるし、ひもづけられへんかったら合理的ではない。
要は合理的かどうかの判断基準は、国によってめちゃくちゃバラバラなんよ。
僕がこの本を読んで思ったのはこうです。
まず、国によって何が合理的かはそもそも違うと。
でも、今は経済の論理が社会全体を覆い尽くしとるから、経済合理性だけが合理性になっとる。日本は、アメリカ的な経済合理性が一気に社会を覆い尽くしたけど、実際は「空気を読むことこそが合理的」っていう文化で、しかもそれは昔話でもなくて、今日も引き継がれとる。渡邉さんが研究対象にしてるんは今、僕らの子供が使ってる国語の教科書とかテストやからね。
アメリカ的経済的合理性と日本的空気の合理性のあいだで引き裂かれたんがかつての自分やって、僕はそう思った。
いやー、この分析はほんまにおもろいからぜひ読んでみてほしいな。
『論理的思考の文化的基盤』はけっこう分厚いし学術書っぽいむずい書き方してんねんけど、渡邉さんは似た内容を『論理的思考とは何か』っていう新書にもまとめてるから、そっちのほうが読みやすいかもしらん。『論理的思考とは何か』ね。
けっきょく今日伝えたかったんは、何が合理的か、ってことは何を価値観として信じるか?によって変わるんやで、人によって一人ひとり違うんやでってことでした。
だから「これが合理的です」って人を黙らせるタイプの人には言いたい。「それってあなたの価値観ですよね?」って。
いったん合理性は人によって異なるってことに気づいたら、自分の人生についても考えるよね。あなたの人生はどんな価値観と信念を大事にしてる?どんな価値観と信念に基づいて、合理的かどうかを決めてる?
そんなことを考えてもらえたら嬉しいなって思いました。
それでは、今日のままならジオはここまで。質問・感想、フォームから大募集してます。ぜひあなた
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