自己肯定感ブームの始まり
アラサー同期のみなまでいうとは、だいたい毎週日曜22時頃から、新卒から同じ会社のアラサー同期、イワシと自由律がソフトウェアが充実した大衆居酒屋からお届けしてまいります。
よろしくお願いします。
イワシさんさ、自己肯定感ブームにモヤるみたいなこと、この前言ってたじゃん。
自己肯定感ブームにモヤるって言ってたよ。
あれって何なの?
雑なフリをされました。
いや、なんかさ、昨今、私はね、インターネットに20年近くとっぷりと使ってる人間なんですけれども、
昨今、ちょうどここ5年ぐらいかな、なんかすごい自己肯定感ブームがやってきてるなっていうのを感じていて、
あなたはそのままで素晴らしいわよとか、なんかあなたはあなたのままでいいのよとか、あとはかわいいだけでいいじゃないとか、
かわいいだけじゃダメですかってこと?
かわいいだけじゃダメですかってこと。
またね、流行ってるもんね。
そうそうそう、みんなさ、何の疑問も持たずにさ、いいです、みたいな感じになるわけじゃん。
いいぞーって言うんだ。
そうそうそうそう。
あいの手で、知らないけど。
いや、そのあいの手じゃないと思うけど、ちゃんとしたのがあると思うけど、あいの手で言うとね。
そうそうそう、なんかそれ、かわいいだけじゃダメですかは、だからこのブームがあって、
当たり前に自己肯定するのが素晴らしいよねっていう風になった世の中だから、生まれてきたようなセリフでもあるなって思ってて、
なんか、SNS上で当たり前に自己肯定をすることが素晴らしいっていうブームが来てるなって思ってるのね。
自己肯定についての疑問
そうなのね。
感じない?ジューレスさん。
感じ、ブームとは思ってないかな。
いや、当たり前の世の中にはなってるよねと。
あー、そうかもね。それで?
もやるって言ってたじゃん。もやる方法教えてよ。
すごい、ジューレスさんが膝を叩きながら、もやるの方早く教えなさいよと。笑顔で。
もやる気になって聞いてるんだから。
笑顔で膝を叩いてますが、そう、だからそうなってるけど、それってなんか普通じゃないよなって私は思ってて、
なんか、そんな意識的に自己肯定しなきゃいけない、それほどまでにこの辛い世の中、
なんとか私たちは自分で自分を認めてサバイブしていかなきゃいけないわよねっていう、
なんかすごい辛い世の中でできた集団思想みたいな感じで、
なんかそれがすごい妙だなって。
妙だな。
なんか感覚的には、贅沢は敵だぐらいの。
あー、そういうことか。
そう、あの感じを。
逆版ね。
そう、逆版ね。
可愛いだけでいいんだよ。
贅沢してもいいじゃない。
いいんじゃないっていう。
あなたは素晴らしい人間だから。
素晴らしいじゃないっていう。
逆贅沢は敵だなって。
そう、そういうなんか集団思想に感じちゃって、
なんかこれはその世の中がこうだから、辛いからそうなってるんだよねっていう認識が押していないと、
なんか吸い込まれちゃいそうな気がする。
あー、なるほどね。
そう、そういうなんか、いやこれは妙だぞっていう私の中でアラートが出てるっていう感じ。
だからなんかみんなが当たり前にこれを許容してるのが、
自己肯定感、素晴らしいを許容してるのが燃えるっていうのはそういう意味なの。
なるほどな。
何なんだろうな、これ。
自己肯定感ってでもさ、そもそもその定義上は、
生きてていいよじゃない。生きてていいよ。
そうだね。
あなたってどんなあなたであっても、生きてていいよっていうのがもう自己肯定感の原義というか、元のものだと思うの。
そうだね、このブームの元はそうだよ。
あなたはあなたのままそのまま生きてていいんですっていう許しだよね。
そうそうそう、許し許し。許しっていう感じでさ、だからその許しが悪いことだと私は到底思えないのがあって、
別にブームになっていってもいいし、その許しがインフレしていく分には全く問題ないと思ってるんだよね。
だからそのブーム何なんだろうなっていう、何に対して言ってるのかがちょっと正体がつかめてないかも。
あ、私が何に対してもやってるのか。
そうそうそう。
分かる。私も生きるための自己肯定っていうのは必要だし、それはあっていいと思う。
だけど、なんかそうじゃない、短絡的な、そうじゃない側だけの自己肯定があるなって思ってて。
側だけの?
なんだろうな、死にそうな人に対して自己肯定をするのはオッケーなんだけど、
なんか全然ピンピンしてる人に対してそれをやるのって、元気な人にAEDを勝手に使ってるみたいな感じのイメージ。
元気な人に人工呼吸をしだしたりみたいな。
人工呼吸、そうそうそうそう。
それともチスやでって話。
それいらないよって。
それともチスになっとるぜって思う。
だから私がそれ感じたのが、会社の人が隣の方でエペを昨日一緒にやったみたいで、
エイペックスかな、あんまちょっと私わかってないんだけど。
エイペックスっていうのはあれだね、いわゆる戦争ゲームみたいなもので、ざっくり言うとね、
デスゲーム、銃のデスゲームみたいな感じで、
生き残りをかけて一つのフィールドに集められて銃撃戦で戦っていくっていうようなゲームになってるんだよね。
なるほどね。
チームになって、3人一組のチーム。
で、生き残った人たちがチャンピオンっていう感じのゲーム。
そういう感じなんだ。
だから多分上手い下手がね、如実に現れるのかな。
そうだね。
一応ランク制になってるんだけど、それこそ他のゲームを元々やっててアカウント作り直しましたとかっていう人もいるから、
一番下のランクだろうとうまい人もいるしっていう感じになってる。
なるほどね。ランクが分かれてるんだ。
多分その人が低いランクだったんだよね。
で、なんかもっとエペ上手くなりたいわみたいな、言ってて。
そこに対してそのもう一人が、いやもう十分だよ。
全然上手いじゃん。
で、肯定してたのね。
この肯定って、上手くなりたいんだよねって言ってる人の成長を単純に阻害している。
その場に留まらせちゃってるというかさ、その人って上手くなれる可能性があるわけじゃない。
なりたいんだよねって言ってるのであれば、じゃあこうやったら上手くなれるぞみたいな教えてあげる成長を一緒に見ていけることも、見ていくこともできただろうに、
なんかその、いやいや全然あなた素晴らしいわよっていう自己肯定は、なんか何これって思っちゃって。
なるほどね。それこそ言い方悪いけど弱者のなれ合いじゃないけど、傷のなめ合いみたいなのに見えて、
いやそれって本当に意味あんのって思ったわけじゃん。
そうそうそうそう。全然上手くない絵の人にさ、それあなたの絵上手いですよとか言ってもさ、いやいやいやってなるじゃん。
まあ確かにね。それって意味ないんじゃない?
自己肯定感の本質
そうそうそうそう。そういうのが往々にしてSNSにもあったりとかいろんなところで最近散見されるなと。だからなんかそれがすごいもやっちゃう。
なるほどね。でも私その傷のなめ合いが全く意味がないかというと、そのなめちゃう側の気持ちは全然わかるんだよね。
本当?
傷ベロベロ側の気持ちは全然わかるから。
ベロンベロンにね。なめまくってる人の。
そうそうそうそう。傷なめさせてやーって言っていく人の気持ちはわかんなくはないんだよな。
私教えてほしいわそれとりあえず。
いくつかパターンがあると思うんだけど、一つ目が一緒にやってて楽しいからやめないでよっていう。
なるほどね。
それこそ言い方とかにもよると思うけど、いや俺うまくならなきゃいけないよねとか、俺今のままだめだと思ってるんだよねっていう状態がずっと続いちゃってる人とかってもうしんどいことが想像ついちゃうじゃん。
なるほどね。この人は頑張ってもうままうまくなれると思うけどちょっと大変なんだろうなっていうのが見えすいちゃう人っているよねこの人はっていうのは。
いるしそれこそエペとかもそうだし、何かしらの成績にこだわったりとか、戦いの中で勝っていくっていうのはいくつかの努力もそうだけど、必要なわけじゃない時間が圧倒的に。
しんどいものではあるよ。
しんどい時間を過ごすことになるから、上さえ目指してなければ辛くない時間として、たぶんさっきの話だと一緒にゲームをしてる人だと思うから、うまいと思うよって言うわけだからね。
だから一緒にやってるだけで楽しいんだよここでずっと一緒にいてよっていう風な気持ちになるパターンは理解できる。
楽しいんだからいいじゃんのアシュでもあるんだな。
もう一パターンがさっきのAEDとか人工呼吸のパターンじゃないけどさ、全然大丈夫ってさっきまでピンピンしてたやつが突然死んだりする世の中じゃん。
まあね。気づかずに追い詰められてるってことはあるよ確かに。
自分自身も心肺停止になってるのに気づかないまま歩き続けるゾンビみたいな人とかいるじゃん。
そうだね。ゾンビ化されてるのにまだ歩けますって歩き続けてる人はいるよ。
いるいる。それってさ、自分も何だろうな気づいてない。自分がゾンビになってることに。
だから本人は本当に行けます。やれるよ。俺って本当にゲームうまくなりたいんだよとかってポジティブな気持ちとか責任感であったりとか本人の真面目さであったりとか
荒ねばならないっていう自分の焦燥感みたいなものでさ、そうなるわけじゃない。
だから自分自身も行けるって思ってるし行かなきゃいけないって思ってる状態。自分も洗脳しちゃってる状態。
だから誰かが止めてあげないと突然死ぬぞっていう場面もあるなと思ってて。
そうだね。だとしたら止めてあげる側の人は止めてあげるの選択をした方がリスクが少ないよね。
リスクが少ないし、そういう人に一緒に頑張ろうだったらいいけど、あなたは頑張ってって言うのって結構それって追うの大変だなと。
追うの?
その責任を。頑張らせる責任を。
そうだね。
だから結構濃くなことを言ってるなとは思ったね。いましさんが言ってることは。
なるほどね。みんなある程度そこは追えないから、責任は追えないから、ある程度距離感がある人間の立場としてベストな声掛けとしては、
自己肯定感と個人の意志
素晴らしいわよあなたそのままでいいじゃないに着地してるってことか。
ってことじゃないかな。
いや、でも私はそれ、私がもうポッドキャスト喋れないよ、もう何も喋りたくないですって言い始めたら、
自重レスさんには一回、喋れお前はって言ってケツを叩いてほしい。
それは、そんな気持ちでやるポッドキャストは絶対面白くないから、
お前もういいって。お前を置いて私は行く。やめろ。ポッドキャストだってやめちゃえ。
そんな状態のお前が喋る言葉なんて誰にも響かねえよって。
自分のポッドキャストが面白くないって思ってる奴なんて、そんな奴の声誰が聞くんだよ。
ちょっと別角度になっちゃった。
違う話になっちゃったか。
面白くないことはなっちゃうからね。
それは別の話でした。
ちょっと2人やるって言うよ。誰が聞きたいんだよって話だけど。
私最初のApex一緒にやってて楽しいからそのままでいいじゃんあなたっていうタイプの工程に関しては、
ある種それってすごく自己満足の範囲内で、呪いにすら感じるよ。
私はどっちかというと常に変化していきたい、変わっていきたい、成長していきたいタイプの人間だから、
足を引っ張る呪いに感じちゃう。付き合ってる相手がさ、変わっていくのが嫌だとか。
それと近い話なわけでしょ。
そんなの変わりたい人は変わるわよ。
そうだね。だからあなたみたいな人には逆に厳しい世の中になるよね。
足を引っ張られる機会は増えるし。
そうなの。
自分は頑張りたいって言ってるのに、いいよあなたそのままで。みたいな雑音を言ってくるやつがいるでしょ。
それが私もやもやだったかもしれない。もしかしたら。今話した感じ。
そうなの。私はやりますっていう。
それがやれない人もいて、やりたいって自分は思ってるけどやれない人もいる中で、
妥当なラインになっちゃってるんだったら、やれる側が頑張るしかないと思う。
でも私はやるから大丈夫だよって強い意志を持って言ってあげるっていう必要工程が、
強い側に増えたっていう。
確かにな。そこはそうだね。
そういった、それで潰れちゃう人がいるのであれば、そこは配慮するべきだし。
潰れません私は。やりますよっていう人は、
変化と成長の重要性
よりちゃんと自分のやりますよの気持ちをしっかり持って、
それを主張していかないといけない世の中になってるのかもしれないね。
そうだよ。体育の飛び箱の授業でさ、今まで3段しか飛んだことがない歴史上で、
みんなが3段飛べるなんてすごいよ十分だよとかって言ってるのに、
あなたが突然6段飛べますとかって言ったら、みんな飛べるじゃん。
怪我するって。危ない危ない。あんた危ないよって。
まだ3段しか飛んだ実績ないんだから。
やめなさいよって言うっていうのは、でもあなたは飛べたいんですって言って、
飛ぶしかないわけじゃん。
私は怪我してでもいい。6段にチャレンジさせてくださいって言うしかない。
でもそれはみんな、もうじゃあ止めたからねって言わないと、
私はいつ教育委員会に怒られるかってみんな思うわけだからさ。
もう止めたからねが必要なんだわ。
止めたからねが必要なんだと思う。
そうだわ確かに。
だから飛びたいんだったら、練習して自分でジャンプ台飛んで、
自分で飛んでってくださいって話を。
勝手に飛びます私は。
ジャンプ台飛んで、上の白いところでポンと座っちゃうみたいなね。
ポンってお股で止まっちゃう人みたいな。
ほらねって。怪我しなくてよかったねって。
でもそれをね、繰り返したい人は繰り返して飛べるようになるんだろうし、
でもやっぱ3段しか飛ばない、飛べない。
人を否定する理由にはならない。
そうだね。おっしゃる通り。
ヤジで3段しか飛べないのなんてっていうのは、
一緒に頑張ろうよっていうのも変というか、えぐいのか。
そうだね、確かに確かに。
そうだわ、なんかすっきりしたわ。
よかった、飛び箱の話が刺さったかな。
飛び箱の話が刺さったわ、すごい。
やっぱそれはさ、本人の意思で飛ぶべきであって。
周りは飢餓の可能性があるのであれば、一回止めて歩けるべきだもん。
本当にそう。世の中そういうもんだ。
そういうもんだったわ。
よかったよかった。
ありがとうございました。
気づいてもらえてよかったです。
はい、よかったです。
国家肯定感ブームもそういう面で言うと悪くはない。
そうだね、なんかみんなの考えが成熟したというか、
みんなが周りを見れるようになったのかもな。
そうだと思う。
いいことですね。
いいことです。
より良い社会にどんどんなっていってるなと私は実感しますよ。
はい、ただ頑張りたい人はちゃんと頑張りますと。
しっかりと言える世の中じゃないと停滞しちゃう可能性もありますよと。
そうだね、頑張りたい人も頑張ったし。
そう、頑張ってほしいから。私は私自身で言っときますわ。
素敵よ。
あなたは飛び箱14段飛びなさい。
はい、私は15段まで行けます。
行ける。一緒に飛ぼう。
いいの?それは。一回止めたからね。
一回止めたから。
でも結局関係性だとは思うよ。
確かにね。
あなたはだって14段飛んで怪我しても自分で立ち直って生きていくじゃない。
あなたは止めてもどうせ飛ぶでしょうと。
そうそう。そういうのもあるから。
確かにそういうのもあるわ。
結局そこの親密度であったりとか相手のことを分かってるから止めてあげることも必要なこともあるし。
おっしゃる通り。
ちょっと究極言っちゃうけど、怪我がごちゃごちゃ言うことじゃないから
APEXのことは何とでもさせてやればいいじゃない。
確かに。
APEXはその下手だった奴は上手くなりたいなら自分でちゃんとやれと。
練習すりゃいいし、無理しなくていいよって言ってる人もいるし。
楽しんだよって話で。
そこに着きました。
そこに着きました。
APEX楽しんでください。
楽しんでください。
では各種ポッドキャストをフォローして次回もご会いできたら嬉しいです。
また来週。
バイバイ。