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2025-02-13 31:49

#97 正解はなし!だからこそ考えたい!叱るのボーダーラインってどこ?

<配信の中に出てきたモノ・コト>

だらだらをポジティブに捉えるお話をした配信はこちら
https://stand.fm/episodes/66830ee1617fb22c5ab7ea5d


今日の配信に出て来た対象的な2冊の本

「叱らない」が子どもを苦しめる 
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「叱れば人は育つ」は幻想 
https://amzn.asia/d/7DbdiX8


モノフォニー・シンフォニー・ポリフォニーについて書かれている本

やってみたくなるオープンダイアローグ
https://amzn.asia/d/dkQpJhf


<今日の配信者>

ー ナミ
ナミの自己紹介配信はこちら
⁠https://stand.fm/episodes/65da114db9a838a59dd1f332⁠

鳥取県在住のフォトグラファー ⁠⁠
https://www.instagram.com/analog_gallery/⁠⁠

明るい不登校(オンラインの不登校親の会)に参加しています。 ⁠ ⁠
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不登校について書いているnote
https://note.com/analog_dialog/

スマホひとつで参加できる不登校親の会
聴くだけ、読むだけで、必要な情報に手が届きます。
https://akaruifutoko.hp.peraichi.com/


ー OKE(おけ) 
カナダ、トロント在住。普段はクラフト講師、ナレーターとして活動中。 2020年4月から個人でも「⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠Hello From カナダ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠」という番組名で毎週1回配信をしています。この番組ではトロントのライフスタイルをメインに旅の話、我が家の犬、グラの話もたまーにしています。

「Hello From カナダ」⁠
⁠https://stand.fm/channels/5ea9cd0ff654bbcab40d437c⁠

その他SNSなどのリンクはこちらから⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
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サマリー

今回のエピソードでは、叱ることのボーダーラインについて考察し、子育てにおいて子供を過度に叱ることの影響や、それが引き起こす問題について探ります。また、日本の教育システムが子供に与える影響や、社会に出た際の自己責任についての議論が行われます。このエピソードでは、親や学校が子供にどのように接するべきかという点が議論され、特に叱らないことが子供に与える影響や、自己の感情との向き合い方について深堀されています。叱ることについてのボーダーラインを考えながら、ポリフォニーとシンフォニーの違いを通じて、日本の教育や対話の難しさが語られています。また、文化や国による考え方の違いが意見の表出にどのような影響を与えるのかについても探求されています。

叱ることのボーダーライン
朝のスパイス配信をお聞きの皆さん、おはようございます。
この番組は、朝活を楽しんでいるメンバーが、バラエティ豊かな内容でお届けしています。
今日の配信は、私並みとお客さんとでお届けします。
今日の配信テーマは、子育てのことになりますが、
子供をどこまで叱り、コントロールすべきか、という内容でお話ししていきたいと思います。
これ、ナミさんの投稿シリーズって、ちょっとおかしいけど、
投稿シリーズの中で、どのくらい叱るか、みたいなボーダーラインをなそうではないかっていう感じで。
多分、多くの人のところだと思うんですよね。
悩ましいね。
あんまり叱らないでいると、甘やかしてるって思われる。
思われることが、嫌だったりとかね。
自分がちゃんとできてないんじゃないかって思ったり。
でも、叱ることで何か解決するんだろうかっていう悩みが出てくるし、
じゃあどうしたらいいんだろう、みんなはどうしたってるんだろうっていうのをね。
教育システムの影響
ナミさんは、もともと子育てしている時に、今と違うかもしれないけど考え方。
過去はどんな感じだった?
過去は、なんかね、ちゃんとしなきゃいけないって思ってたんですよね。
ちゃんとしすぎるのも良くないっていうのはわかってるんだけど、
これぐらいは、みたいなね。
例えば、入学すると、小学校に上がると、
高校の先生から言われるんですよね。
カバンの中身をチェックしてあげてくださいとか言われるんですよね。
どういう意味ですか?
忘れ物がないよ。
あー、そういうことか。
えー、いいね。
いいねっていうのは、みんな自分でやらなかった?それ。
そうでしょ。
あと、宿題も見てあげてくださいとか、
いろいろ、入学する時点で要望がある。
要望っていうかね、3つぐらい言われたんですよね。
名前が勝てるようにとか、
カバンをチェックすることとか、
習慣のことを言われて、
そうした方がやっぱりいいじゃないですか。
忘れ物もしない方がいいし、
生活習慣も整ってた方がいいじゃないですか。
だけど、
そのね、正論って危ないなって、
子供が不登校になって思ったんですよね。
忘れ物も、したらしたで何とか自分でした方がいいんじゃないかとか、
もし忘れ物をしたことで罰せられるとか、
けっちな感じで、忘れたあなたが悪いのよ、みたいなので、
じゃあなしね、みたいな感じの先生がいないことを願うんですけど、
そうやって分からせるっていうやり方、先生もいるかもしれないし、
でもさ、忘れたとかミスとかって誰でも起こり得ることなので、
プランA、プランBあって、
で、どっちかね、
プランBもいるよっていう状態に、
自分も周りもやっていかないと、
なんか窮屈なんじゃないか。
どこでそれ奈美さんはパッとしたというか。
そうですね、やっぱりこのできるっていうことが、
すべて正しいわけではないなっていうことに気がついています。
でもきっと何かきっかけがあった、それを思った。
こないだね、スタンドFMこの朝のすっぱりを聞き直して、
さつきさんの回のダラダラしてもいい話でも思ったんですけど、
なんかダラダラしちゃいけないんじゃないかなっていう。
そう、ダラダラを極めるのやつかな。
そうですね。
そういうのをどこかに持ってるじゃないですか、私たち。
そうね。
なんかこれ、他の性格ももちろんあると思ってるけれども、
国としてでもすごくあるんだろうなってすごく思うところの一つだったりもするので、
結構ちゃんとやることが教えられて育ってしまったというか、
学校がそういうふうに言うことが多いと思うので、日本の場合は。
社会での自己責任
なのでその辺、難しいね。
でもオケさんの話でも、カナダに戻ったら大工さんが片付けない話になるかもね。
そうね。
聞いてる人はあれかもしれないけど、
この前ちょうどね、まみさんと一緒の会の時に、
うちに来た大工さんが2日間来てくれて、1日目に終わる時間に本当にピタッと終わって、
そこに物を置いて帰ったっていう。
うち庭の土なんですけど、そこに本当に物差しとか、
あと本当にテーブルソーって言ってテーブルでこうやってノコギリ、機械で動くノコギリがあったんだけど、
何にもカバーも何にもしてない、そのままに帰ったっていうね。
でもなんとかなるんだよね。
もうそれで気になるじゃないですか。
日本人が。
たぶんね、私子供が不登校になって、気にならなくはないけど、
この人はこうしたいんだなっていうふうに思えるようになったと思うんですよ。
大工さんこのままで本人がそういうんだったらそれでいいかって思えるようになる。
でもその時にたぶん私も話したんだけど、
なんでそこに置いていくのってたぶん私の頭の中が考えるんだよ。
この無意識の考えって考えてないんですね。
自動的に頭の中にやっぱりそれってたぶん私の性格とか、もちろん育ってきた環境とかもきっとあるだろうなと思ってて、
でも同時に相手側は私に不思議に思うんだよね。
え、なんでそんなこと聞くの?みたいな。
思ったから僕帰るんだけどみたいな、そういう感じだと思うんで。
それもたぶん無意識に彼らは考えていて、
だからその辺が上手くその状態をアクセプトできるとお互いが何の問題もなく進んでいく。
例えばデッキができなかったとか言ったら、たぶん私は彼に言いますが、
そうじゃなければ何が問題なんでしょうかって感じ。
なのでもし子供たちが何か忘れ物をしたと考えて、その後どうするかだよね。
でも結構、私の子供の頃は意地悪な対応が先生にされるっていうことが起こってたんですよ。
すごくみじめな気持ちにさせられるっていう、忘れ物をした自分が悪いっていう。
自分が悪いんだって。
ダメなんだみたいなことになっちゃうっていうのは、
それちょっとやりようがあるんじゃないのかなって思います。
なるほどね。
ちょっと私はそうやってネジが外れちゃってるので、
これ聞いてそれは甘いよって思う人もいるかもしれないですけどね。
ただなんか、私の時代にお母さん何もチェックしてくれなかったし、お父さんも全然チェックしてくれなかったから、
忘れ物して学校に行くとしまったって多分思うんだよね、自分が。
思う。
そう、だからどうでしょう。
その時に考え、その先を考える。
例えば友達に貸してもらうっていうのも一つのアイディアかもしれないし、
あとは何だろうね、もちろん先生に言って余分があれば借りるっていうのも一つなのかもしれないし、
なんかそこを考えるの大切よね。
そうなんですよね。
でね、親が忘れ物をチェックしちゃうと、
あれでも忘れたら親のせいになっちゃうっていう。
多分しまったじゃなくて、他のことを考える可能性高いよね。
母さんなんでみたいな。
ですよね、絶対そういうことになるでしょ。
なくはないですよね。
なくはないよね。
で、そうやっていろんなことがミスしないように先回りしちゃうと、
子供もいろんなことが自分元にならないっていうか、
学校の中でもいろいろ準備されちゃっててスムーズに行くように、
なんか組み立てられすぎてて余白がないというか、
そうしたら子供たちはそのレールに乗るとか、流れのコマに日々をこなすっていう風になっちゃうと、
自分ごとじゃなくてさせられてるっていうことが無意識に、
お互いが無自覚になっちゃうんじゃないかなって私は思ってるんでしょうね。
ずっとそうやって誰かがやってくれるとすると考えなくてもいいと思っていて、
学校の中はそれでよしとして、
もしかしたら社会に出たときにね、前に他のところでそうだなって思ったのが、
社会に出ると君考えてくださいって言われることがすごく増えると。
でも今までずっとそういうふうにやってこなかったから、
社会人になって一年初めての年に君の考えを聞かれたときに答えられない人が多いっていう話があったんですね。
でも確かにそうだなって思って、
もし本当にさっきみたいに毎日自分のカバン確認してもらって、
全部誰かがもしやってくれたとしたら考えなくなると思いません?
忘れ物チェックは低学年のうちかもしれないけど、
いやーそれなんか最初からしない方がいいなって。
学校に行ったんだからもう学校に行ってる自分ごとにならないと、
それこそ不登校の原因なんじゃない?って。
本当だよね、そうだね、本当。
チェックリストとかやって、それで自分でやるとか、
どうかしらいいアイデアを。
自分なりに。
自分はしちゃう人間なんだって早くから気づくのも大事かもしれない。
それもあるよね、それもあるよね。
いろんな子供それぞれに自分ごとになるような、
それこそ工藤先生、工藤祐一先生の話題をたまに挙げるんですけど、
学校がサービスしすぎだっていうことを。
忘れ物しないように親がチェックをっていう働きかけとか、
生活習慣もだし、あとメディア時間、
叱ることの影響
そういうことも結構口うるさく言われちゃう。
親は真面目だから、ちゃんと親をしたいから、
ここにちゃんとさせたいんですよね、学校から言われたら。
親も学校もあなたはここができてないっていうことをね、
直接的には言わないかもしれないけど、じわりじわり日常生活の中で、
そういうふうにコントロールしたり、時に叱ったりっていう、
最初にタイトルで言ったことにつながっていくんだなって、
学校から離れてみて、そういうふうに私は思ったんですよ。
ナミさん的には、その時にどんなアクションが考えられる?
今のナミさんだったら。
ダメじゃんっていう代わりに何ができるかっていうところ?
私が心がけてるのは、これ言ったらお母さんはダメって言うだろうかなって、
主に思わせないように接するっていうのを気をつけた。
なるほど。
だから、できるだけいいねって言って返したりとか、
中にはうーんって思う時もあるんですけど、
うーんっていうリアクションをすると、
やっぱりこれ言ったらお母さんはダメって言うかなっていう感じがしちゃうじゃないですか。
顔色をうかがうじゃないけど。
だから大人の顔色をうかがわずに、それが正しいか間違っていても、
どっちでもそれはどうでもいいことで、
自分がどうしたいかがちゃんと出せるようにしたいなって思ったんですよね、子供自身。
ちゃんと出せるように育ってほしいなって思った時に、
叱ったりコントロールしたりしたら、そこからやっぱり結局遠ざかっていくよなって。
なので、できるだけいいねで返すっていうのもあるんですけど、
うーんって思うことは、なるほどって返すようにしてる。
なるほど。じゃあ、さっきの最初のサンプルとして、例として、忘れ物の話があったけどね。
今日も忘れ物したと、ナミさんに言うかもしれないじゃない?
そしたら、なるほど、まず第一声がなるほど。
そうね。忘れ物したんだよねって言われて、ねーとは言えないもんね。
そうだね、いいね難しいもんね。
なるほど。
そうだったんだ。
出来事に対して否定しないし、だからちゃんとチェックしなさいって言ったじゃないとかって言ったら絶対ダメですよね。
次から言いたくなくなるもんね。
でしょ?
その子がどうしたいのかっていうのを聞き出せたらいいですよ。
本当はね。
まずでも、今なるほどっていうのはやっぱり、他の人も頭ではわかってるって言うかもしれないけど、
今起こった状況を忘れたっていう状況をただアクセプトする。
さっきの私の不思議なデッキのお兄ちゃんたちが来たのも、その状況をとりあえずアクセプトするところからだと思うんだけど。
そのままアクセプトする。その感覚かな。
その上に物差しを置いて帰るんだ。なるほど。
なるほどと思うよね。
思わなかった。
なんなら面白いなって思ったらもう最高かな。
それね、つい親は忘れ物しないようにちゃんとチェックしろって言ったじゃないって言っちゃいそうなんだけど、
そのいいねとなるほどを習慣化すると素直に子どもも話ができるようになる。
子どもをどこまでしっかりコントロールすべきかっていうお話なんですけど、
教育システムとの関連
この流れからするとしないほうがいいって言う気になりますよね。
難しいとこだよね。本当に。
全部が全部っていうわけではないのかもしれないけど。
私だけの考えでそれをやって、いいのかどうかっていうのがね、それが本当にいいのかどうかっていうのは常に考えることなので、
つけた本が2つあってですね。
何本?
主張的な本ですね。
1つ目が、叱らないが子どもを苦しめるっていう本と、
多分私の中ではね、このもう一つの本は、この叱らないが子どもを苦しめるのタイトルに対抗して絶対タイトルつけたでしょって思ってるんですけど。
最近そういう本多いね。
次の2冊目は、叱れば人は育つは幻想っていうタイトルの本。
叱れば?
叱れば人は育つは幻想。
なるほど。
割とね、叱らないが子どもを苦しめるっていう本の方は、先生をされてる方は高評価なんですよ。
なるほどね。
やっぱり親がちゃんと叱らないから、親がちゃんとさせないから学校で子どもがちゃんとできないんだよ。
気になっちゃってるのが、はぁーっていう気分になるんですよね。
でもね、2冊目のやつは幻想だと思いますよ。
だって叱って本当に育つんだったら、私は叱ってほしいなと思うけど、そうじゃないなって、今子どもではないけど、大人になってすごくそれが思うので。
そう思いますね。
ちなみにさんはどう?叱られて育つって、今思えない?自分が人間として。
無理です。無理です。
女を育ててるみたいになっちゃうから。
超へそ曲がりの人とかができちゃいそうな気がするかなと思ったりもするからな。
でもボーダーラインって多分、もしこれ聞いてる人もすごく悩ましいって思うだろうなとすごく思うし、
あと自分に対してもそうかも思った。
それは自分がなんか良くないことをやったとして、自分が自分を叱ることって多分頭の中でやってる人っていっぱいいると思うんだけど、
ダラダラする自分。
さっきのそうですよね、ダラダラを極めるの話とはちょっと通ずるかもしれないけど、
この線引きって間違うと変なところに行くだろうなとはすごく思う。
だから人に対しても自分に対しても、あるんじゃなくて、
例えばね、忘れ物に戻れば、それをもう面白がっちゃうとか。
とりあえず忘れたんだねっていうことをお互い認識しようではないかっていう。
いきなり起こってしまうことって結構ありません?
なんで忘れたのって、まず第一声にそれが出るってあると思うので、
なんで今日も忘れるのって、多分第一声に出るみたいな。
それって多分自分の中でも自分に言ってるから、あえて親に言われたら腹が立つと思うんですよ。
そうだよね、そうだよね。
多分忘れたんですっていう時に、もう分かっちゃいるじゃない?
しまったって多分思ってるから。
それをね、言われたらね。
だったらね、大人と大人の会話だったら、なんでは何回も言ったのにとかってならないだろうなと。
子どもと大人の関係だとね、そうなりがちっていうのも確かにね。
そうだね。
本当は怪盗でフラットな関係に戻すっていうことで、
叱ったりコントロールするべきかって考えることもね、おこがましいことかね。
確かにね。
いやぁ、性癖ぜひこれを機に考えてほしいかもしれないな。
うん。
比較するとすごく面白い。
なんか急にその性癖をいきなり左から右にはできないと思っているので、
なんかちょっと1ミリくらいずつずらすっていうくらいのチェンジをしてもいいのかなと思う。
そうじゃないといきなりお母さん急に今日から不思議なことを言い始めたらさ、
なるほどとか言い始めたらすごいびっくりしちゃうかもしれないから。
そうだね。
なんかちょっとこう、ちょっと間を置いてみるとか、
何かしらこうちょっとアジャストメントができるというのかもしれないね。
結局は自分がどうしたいかしかないので、
そこをね、追いかぶさるように叱ったら、
自分がどうしたいかを考えるっていうのをね、
すっぽ抜けますよね。
もめちゃいそうですよね。
すっぽ抜けて、学校の時はそれでいいかもしれないけど、
社会人になった時、苦しむのは多分その子だったりするから、
さっきみたいに考えることが難しくなるっていうのは、
もう非常に大変なことだと思うんで。
そっか、じゃあちゃんと学校に行っててもそういうことが起こってるっていう。
起こってて、その時には学校でそういうふうにやってたのに、
いきなり社会人になってね、
意見言ってくださいって真逆のことを言われる中で、
かわいそうだよねって言ったり、話だったのね、その時は。
確かにそうかもなぁとは思いました。
私たち不登校の親としては、
直接は言われないけど、
ちゃんとね、子供を学校に行かせないと、
社会でやっていけないよ、みたいなセリフがあるんですよね。
どっちがどうとか、じゃあ言えないですよね、そういう。
そうだよね。
そうでしょ?
どのタイミングで苦しむかって、難しくないですか?
じゃあ子供のうちから自分で自己決定できてた方が、
いいんじゃないかなって思う。
学校に行きつつ自己決定もスムーズにできるんだったら、それが何よりですね。
その辺ね、ちょっと教育システムともすごく関連してるのかなと思うんだけど、
やっぱ北米とかだと、お隣さんが違うことを言ってたとしても、
意外と自分がそれと真逆の意見を言いやすい環境にあったりすると思っていて、
それは多分、特にトロントとかだと、バックグラウンドの違う人が一緒のクラスにいたりとかすると、
子供とのコミュニケーション
それが当たり前っていう環境の中で、意見が言いやすかったりするんだけど、
どうしてもやっぱり日本って、全くお隣さんと違う意見を言うって難しくなることもあるじゃないですか。
そういうのも影響するかなーと思ったりもするんだよね。
違う意見を言うっていう、あと自分の意見を言うか。
最近ね、ポリフォニーっていう言葉が、これいいなーって思ったんですよね。
何ですか?
ポリフォニーって使います?
私はもう知らないことが多い。
シンフォニーってあるじゃないですか。
シンフォニーは、例えば合唱したときに、なんだろう、いい感じ?なじんでる。
なんていうの?シンフォニー。
シンフォニーを日本語にするのが、調和?
調和してるっていうのは、いいことなんだけど、
調和を求められるのも苦しかったりするじゃないですか。
無理に調和するっていうのはなかなか。
ハーモニーを生み出すためにちょっと無理してるっていう状態。
それが合う人はいいけど、苦しい思いをする人ももしかしたらいるかもしれない。
でもポリフォニーは、なんだろうな、ポリフォニーちょっと調べてみよう。
ポリフォニー、スペリングなんだろうね。
複数の独立したパートからなる音楽。
音楽の用語ではあるんだけど、
オープンダイアローグってありますかね、対話をするっていう。
その用語としてもポリフォニーっていう言葉がよく出てくるんですよ。
対話にとってはね、ポリフォニーって言われる話なんですけど、
私がうまく言えるかな。
ポリフォニーの対義語はね、モノフォリー。
シンフォニーじゃない。
そう、何か一つ。
調和なんだけど、一つにまとまるみたいな感じなんだよね。
いろんな意見があって、それが対立せずに、
あなたはそう思うんだね、みたいなので進んでいく感じ。
日本でポリフォニーっていうのが難しい部分が、日常の中にあるのかなって。
難しい。今の学校教育がちょっと私はわからないけど、
少なくとも私が育ってきた時代を振り返った時に、難しいなって思うから。
ポリフォニーを大事にするように教育されてないんですよね。
シンフォニーとか、そういうことを大事にされてきたのかもしれない。
もしかしたらさっきの叱る話でも、本当に先生なりお母さん、両親が叱った時に、
子供もそれに対して意見が言える状況であれば、
なんで忘れたの?っていうのも、もしかしたらいいのかもしれないけど、
どうしても一方的になるから、そこがもしかしたら問題だったりするのかもしれない。
そうですね。それこそモノフォリーになっちゃうってことですよね。
もうこうでしょ、みたいなことになったって子供がね。
対話どころじゃないもんね。一方的に言うことになるからね。
その人に言ってもダメだな、みたいに思い込んでたらもったいないんですよね。
だからポリフォニーが大事で、私はこう思う、あなたはこう思うがね。
言いやすくなるといいね。
そしたらやっぱり自分がどうしたいのかっていうのも、
何の足枷もなく、何の忖度もなく持っているんじゃないかなって。
たぶん生きやすくする一つの方法でもあるんじゃないかなとは、個人的に思うかな。
思いますね。これだけやってればいいのよ、みたいな。
絵に従って生きてたら、たぶん絶対どこかで躓いた。
学校の中でいいかもしれないけど、本当にそれがなくなったときに、とっても苦しむと思うんだ。
特に高校のことを具体的に話したわけじゃないけど、
高校にも通ずるし、学校に行ってる子にも通ずるし、
高校もどんな関係なく生き方に通ずる。
個人もそうだよね。
自分で自分を叱っちゃう人もいると思うので、さっきのダラダラのところも。
っていう話になりました。
文化の違いと考え方
こんなところかな、ゆきさん、何かご感想などは。
意外と私は、場所に恵まれているから、それをやらなくて済む環境にいるかなと思うんですけど、
私、カナダ、トロントにいることでね。
でも、日本はまだまだそれが難しい状況もいっぱいあるかなと思うので、
そのことをすごく頭の中で考えたかな、今日こう話してて。
国とか文化の違いとかで考え方もね、違うのかなとか、身に染み付いてるものとかもね、分かりました。
はい、じゃあ今日はこんなところで終わっていきたいと思います。
最後に、今日から朝のスパイス配信を聞いたよという方がいらっしゃいましたら、
ぜひ番組フォローしていただけると嬉しいです。
ではまた次回の配信でお会いしましょう。
本日の配信は、おけさんと私なみとでお届けしました。
ではまたねー。
みなさんまたねー。
31:49

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