お金の本質
はい、お久しぶりです。今回はお金の話といっても、お金の稼ぎ方とか金融的な話ではなくて
あくまでお金は手段であって、お金を稼ぐことそのものが幸せじゃないよね、っていうようなことを言おうかなと思ってます。
何度か喋ったことある気はしますけど、やっぱり年を重ねるごとにこういうことを考えるなって思ったので
改めてちょっとまとめてみようかなと思った次第です。
お金プラス効率の話、効率も言ってますけど、効率化することが目的ではないなっていうところですね。
まあまあで、今自分は、世間一般の中ではありがたいことに稼げている方だとは思います。
ただその、年収がじゃあ2000万3000万あるかというとそういうわけではないですし、
副業もやっているので給与じゃなくて、所得ですねがそれだけの額いってるわけでもない。
まあ一般的なサラリーマンで、副業も加えて、お小遣いも稼げていて、
今のところそれほど、お金がなくて苦しいみたいな感じではないですね。
本当にこういう働き方と給与を与えてくれている会社には本当に大感謝だなと思っています。
もちろん自分が過去にいろいろ頑張ったり、作ってきた実績であったり、積み上げてきたものがあってそれを評価していただいて、
会社としてはこれぐらいの報酬を払ってもいいだろうという風に見ていただいているっていうのは本当に大きいとは思いますけど。
そうやってもなかなかそこまでいかない、貧窮困窮している方っていうのも世間には多くいらっしゃっていて、
なかなかみんなが幸せになるのは難しいなと思っています。
もちろん今の幸せを考えると、大体幸せってお金で買えるって言われる、
その意図もわかるし、そうだなって思う時も正直にあります。お金があれば得られるものはたくさんあると。
ただまあ、お金があったからじゃあ本当にこの人生ずっと幸せだったっていうような風には僕はやっぱり思えなくて、
これは年々強くなってきているなって感じですね。
じゃあ自分の人で幸せなんですかっていうのはありますけど、それはまあ皆さんの中で考えていただくのが良いですけど、
お金で買えたものでそれが幸せになったとは思えないですね。
あくまで幸せになるために条件がいくつかあったり、要素があって、そこにお金が必要だったっていうことだったらまあそれはあるでしょう。
まあ幸せのために例えば、僕だったら幸せな家庭というか、
家が欲しいなってもあるし家族も欲しいなと思います。でも家族が生活するためには毎日ちゃんと満足した食事が取れたり、
好きなような服が買えたり、まあいわゆる衣食自由ですね。なのでお家も、
まあ今はお家で35年ローンがスタートしてるんですけど、
まあそうやって家があったりなど、
家を買えることもやっぱりお金の余裕がある。金銭的には
今の仕事を続けていけば一応返せるだろうという身があって買うという意思決定ができた。
でもそれはお金が稼げたから幸せになったわけじゃなくて、目的としては家が
幸せのために必要だった、 っていうところですよね。でそれを大体として、
大体というか手段ですね。得るためにはお金が必要だということで。 まあまあ繰り返しになっているのでしつこいですけど、基本的にお金そのものが別に幸せではないよねって話ですね。
効率化の考察
で、 似た話として効率のお話があると思います。
僕ね、最近効率的なものって絶対幸せじゃないと思ってるんですよ。 自分にとって本当に無駄なこと、
それをAIでもいいし機械でもいいですし、何かしらで自動化をして、 その結果本来自分がやりたかったことの時間を演出するために効率化をするっていうのがあったら、
それはその通りだと思うし、 そこは否定する理由は全くない。
大称賛って感じですね。 ですけど、
昨今ですね、人によってその価値観が違うので、 僕だったら例えば掃除機って実は嫌いじゃないし、
洗濯物。 洗濯すること自体はさすがに好きじゃないので、それは洗濯機に任せますけど、
それを干すのって僕実は嫌いじゃないんですよね。 畳むのはそんな好きじゃないですけど、干すことは好きですし、取り込むことも嫌いじゃない。
その辺まで自己自動化する人ももちろんいたり、他の手段、 誰かにやってもらうとか、
もしかも完全乾燥機までかけてしまって、 洗いから乾燥まで一気通貫でやってるっていう方もいらっしゃるでしょう。
大体効率化したいもの、私生活で効率化したいものは大体家事だと思うんですけど、
家事ってあんま効率的にすると僕幸せじゃないと思ってるんですよ。 めんどくさいと思います、もちろん。
じゃあずっとやりたいかって、それはそういうわけではないし、時と場合によっては、いやこれはもう自動化したい。
例えば洗い物が溜まったので、これはもうガッと食洗機で洗ってしまいたいっていう時ももちろんありますけど、
絶対にもう自分はやりたくないとか、 手でやらないっていうふうには僕は思わないし、何なら手でやりたいとすら思いますね。
それは何ですかね、僕の中でちゃんと生活をしている、 ちゃんと丁寧に生きているっていう実感が湧くからですね。
めんどくさいからやらない、それを自動化して効率化した結果、 じゃあ空いた時間で何をするか、
そこでYouTube見てダラダラするっていう選択肢もあるでしょう。 それがしたいからっていうのもあるかもしれないですけど。
僕はあんまそれは好きではないし、YouTubeは時間泥棒なんで、 できてないけど
ちゃんとこの時間だけを見るとか、この動画更新されたからこの人の動画だけを見るみたいな、 コントロールした上での動画配信を見るとかならいいと思いますけど、
ながらみ的に見るっていうのは、 正直言うと僕はそれなら
自動化しないで家事を手でやった方が、 僕は実は身になっていると思っていますね。
目の前で自分の綺麗になっていく、綺麗に自分がしたという実感、達成感、 そしてその綺麗になったものを自分の目で見れるっていうのは結構大きいと思うんですよ。
人それぞれとはいえ、そういうことを得られる方が幸せなんじゃないかなと思っているんですね。
少なくとも充実度はかなり違うと思います。 YouTubeをダラダラ見て2時間過ごしてしまったっていうのと、
掃除大変だったけど自分の手でしっかりやってきっちり整理整頓したりとか整備したりとかを2時間やった後、 達成感絶対違うと思うんですよね。
例えばこんな感じで、効率的なのって便利だし、 非効率は悪だっていうふうに取られることは多いですけど、
僕は一概にそうじゃないなっていうふうに年を重ねるごとに強く感じているんですね。 ちゃんと丁寧に生きるんだったら、
家事っていうのは人の振る舞い、人の行動の中の一つであって、 やらなくていいことっていうふうに僕は思わなかったですね。
その空いた時間で効率的でクリエイティブにいきたいとか、 本来やりたかったことのための時間年数ってちゃんと目的がはっきりしてるんであればいいと思います。
またその効率的に何かをするためにやはりお金が必要だったりする。 結局効率とお金ってほぼほぼ
密接な関係にあるというか依存関係にあるっていうようなイメージがありますね。 ただそれ自体が自分の人生の充実度とか満足度、幸せではないよっていう
家事と内省
お話でした。 なので
効率化したけど毎日最近張りがなかったり、 これでいいのかなって思う人はあえて自生活を自分の手でやってみていただくと
意外な発見あったりすると思います。 あと何か
家事ってそんなに頭使わないことがあったりするじゃないですか。 もうやることだけどで分かっててそれを淡々とやるだけ。
そういうものをあえてやると内省するんですよ。 自分でそれ以外のところに頭を使ったりするんです。
考え事しながら家事ができたりする。 考え事って机に座ってこうじっとしてなんか
目の前の動向をうんうんと考えるよりも、やはり歩いたりとか 景色と見た目が変わったりする方が頭が回転するっていうのはこれはいろんなところで言われている。
そういうことのために家事をする。 自分の思考をまとめたり進めるために家事をするっていう手段でもいいと思います。
目的としては考えたいことを考えて答えとか何か次の策を出すみたいなのが目的ですから。
手段として家事をするっていうのは僕はいいと思っている。 完全に非効率的なものっていうのも非効率的だからやること自体がバカあげてるみたいなとか
それは勿体ないっていうご意見は 側面しか見えてないというか一つの面しか見てないんだなというふうに感じました。
要はホワイですね。なんで効率化したいの?なんでお金稼ぎたいの? っていうとその先に何かがあるはずなのでそれを見つめていただければなっていう
問題提起じゃないですけど 一つ何か意思を投げてみたくなったって感じですね。
はい参考になれば幸いです。じゃあまた次の配信でお会いしましょう。 バイバイ。