1. TheThinkingTrack~考え続けるための思考ログ~
  2. TTT/短尺がつまらないのに、..
TTT/短尺がつまらないのに、短尺を作る理由/―それは要約本を「作る」プロセスと似ている―
2026-08-17 09:19

TTT/短尺がつまらないのに、短尺を作る理由/―それは要約本を「作る」プロセスと似ている―

短尺配信は、つまらない。

要約本も、あまり好きではない。

どちらも、情報を削って「わかりやすくする」ことで、何か大事なものまで削ってしまっているように感じるからです。

……なのに、私は短尺を作りたくなる。

再生数が伸びないこともある。
それでも、21秒や1分という制約の中で、言葉を削り、順番を変え、「結局、自分が言いたいことは何なんだろう」と考える時間は、嫌いじゃない。

そこでふと思いました。

もしかすると私は、短尺そのものが好きなのではなく、
「削る」という行為が好きなのではないか。

そしてそれは、要約本を「読む」ことではなく、
要約本を「作る」プロセスに似ているのかもしれない。

結論はまだありません。

今回は、そんな自分の創作衝動の源泉を探しながら、考えてみました。

TheThinkingTrack――
考え続けるための思考ログです。

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

話し手は、短尺配信や要約本がつまらないと感じつつも、短尺配信を作り続けている。その理由は、再生数ではなく、情報を削ぎ落とし、本質を見つけ出すプロセスそのものに面白さを見出しているからだと分析する。この「削る」作業は、要約本を「読む」のではなく「作る」プロセスに似ており、知的好奇心を満たす行為であると結論づけている。

短尺配信と要約本のつまらなさ
私、saylazy3、スタンドFMでは、情報を作品化する人として決まった時間、しかも短い尺の配信ばかりを作品としてお届けしております。
でも、短いことそのものが、再生数の伸びに繋がっているという実感もありません。
それはつまり、結論だけの短尺配信って、魅力に欠けるという現実を突きつけられているともとれます。
なのになぜ、私は短尺配信をスタンドFMで作り続けているのでしょうか?
思考は完成させなくていい。
The Thinking Trap! 気になったテーマを深まり。
改めまして、今回は、短尺がつまらないのに短尺を作る理由をテーマに進めてまいります。
よく、ようやく本というのは流行りましたが、私はあれを読んだ時、つまらないなと思っていました。
結論だけ読んでも面白くないんですよね。
同じ理由で短尺配信もつまらないのではないかと聞く人にとってはね。
ようやく本を読む人にとってつまらないのと同じ理由。
だから、再生数が伸びない。
そんな気もしながら、もう短尺が作りたくなっちゃうんです。
短尺の良さって、すぐ聞き終わることなんですよ。
この話いつ終わるんだろう?みたいな。
長い時間かかる、そんなに時間がないタイパーの時代は、短尺にニーズがあるような気もしていたんですけども、
ようやく本のつまらなさを感じると、短尺もつまらないのではないかと不安になったりします。
短尺配信を作り続けるモチベーション
でも、そうは言いつつ、作ってしまう私のモチベーションの源泉って何なんでしょう?
それは今回そのテーマに話してみたいと思います。
再生数そのものが目的じゃないというのが一つあります。
再生数を増やす、たくさんの人に聞いてもらいたいから短尺をとっている。
それが一番の理由ではないんです。
もちろんたくさんの人に聞いてもらいたいです。
ですが、そのために短くしているわけでもない。
ただ、長くない方がいいというのはもちろんありますよ。
ただ、大事な目的はそこではない。
むしろ、短尺で作る、しかも私、短尺といっても21秒とか40秒、1分、2分30秒といった具合で、
BGMに合わせて決まった時間内に収めるという作業も同時にしています。
その制約そのもので何ができているかというと、思考を研ぎ澄ますプロセスそのものになっているんですよ。
要約本って、誰かが考えたことの結論を効率よく受け取れますが、
私は受け取る側ではなく、整理する側の作業を短尺配信を作る中でやっているわけです。
結論はもちろん面白いんですけども、
なんでそんな結論になるんだろうとか、逆から見たらどうなるとか、他のことにも当てはまりはしないか、
なんてことを考えている過程そのものが短尺配信を作っている時の状態なんです。
「削る」作業の本質
出来上がった短尺配信を聞いてもそれはわからないと思います。
制約があることによって、言いたいネタのうちの一番面白いところをピックアップしていかないとそこに収まらなくなるわけなんですよ。
昔、本を作っていましたが、例えば雑誌でいうと、ここの記事は2000文字とか行数が決まっていたりするわけなんですよ。
でも元ネタがあった時に、その文字数に収めるために何をするかというと、添い落とす作業をするわけです。
配信だって一緒です。時間という制約の中で早口にすればいいという問題ではないです。
抑揚をつける必要もあるし、どうでもいいところはちょっと早口にやったり、語尾をごまかしたりとかテクニック的にはありますけれども、
確信は早口とかゆっくり話すというのは、表現する、わかりやすく伝えるための手段であって、時間を調整するための手段ではないわけなんです。
だからやっぱり、同じ尺に収めようとした時に何をするかというと、内容を精査するわけです。
思考を削って確信を見つけるための問い師、それが短尺という配信媒体なのかもしれない。
創作衝動の源泉
何か矛盾してますけどね。ようやく本がつまらない、ようやくがつまらないって言いながらようやく作業をしているんですよ、私。
私が作りたいのは、短い作品そのものというよりは、短くする過程でしか見えてこない何かを発見する作業なのかもしれない。
だから再生数に直結しなくても、作業そのものはしたくなる、作りたくなる、作品として完成させたくなる。
伝えたいというより少し手前のところにある、一体どういうことなんだろうという思考を深める。
その知的好奇心そのものが厳選なのかもしれない。
情報を作品化する人というコピーを最近使っているんですけども、その感覚、単に情報を圧縮しているわけではなく、
その枠に収める中で情報をいろいろ精査して、科学反応さえも起こし作っていく。
だから同じ内容でも、特に音声配信の場合は、表現の仕方、間を使ったり掛け合いにしたりとか、時間を置いたり、短くしたり、感情を込めたり。
そういった表現によって、単なる情報の圧縮とは違うものに仕上がっていくわけなんです。
音声配信とテキストの比較
ただ本がつまらないのは、本はただのテキストですよね。間を作ろうと思って3ページも空白のページ作ったりしません。
で、斜め読みもされちゃいます。音声配信ってタイパーで倍速再生はできても、同じ尺の中での速度の変化は聞く人は勝手に変えられないんですよ。
本ってそれが斜め読みができちゃうんで飛ばされる。勝手に読み手側が作り手の意図しない速さで情報を得てしまう。
そこがコントロール可能なのがテキストであり、コントロール不能なのが音声。時間の中で伝えるというもの。
そこは微妙に似ていて非なるものかもしれない。今話しながら、そんなことに気づきました。
それがきっと、ようやく本はつまらない。ようやくはつまらないと言いながらようやくしているような短尺を作っている理由なのかもしれない。
結論:削る作業の面白さ
本の場合は効率よく結論を受け取るというメリットがある。短尺だってそうなんですけども。
作り手側の私としては結論そのものよりもその結論を導き出す、あるいは同じ一つのネタの中でどの部分を切り取るかその切り取る作業が面白い。
それを楽しんでいるのかもしれません。
短尺配信で私がやっているのは単に情報を削ることではなく削った上で芯を探したり磨いたりする。
その作業が楽しくて再生数とは別のところで作りたくなってしまっているのかもしれません。
もしかすると私って短いものを作りたいということではなくて、短くする作業の中で自分が何を考えているのかを確かめたいのかもしれません。
免責事項と思考の価値
はい、今回はこの辺りで。
最後にお断りです。この配信では身の回りでセイラージーが感じたことを基にネットやAIなどから得た情報の参考に構成しています。
正確性についての保証はいたしかねますので、くれぐれもご自身で最終判断をしてください。
疑わしき情報やお気づきの点がございましたらお知らせいただけると助かります。
思考は途中にこそ価値がある。この話をここリッスンでするのがスタンドFMとの使い分けそのものでもあるんですよね。
09:19

コメント

スクロール