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2026-03-13 08:37

TTT/「知る」は本当に得なのか/

花粉症かもしれませんが、私は一度も検査を受けたことがありません。

理由は単純で、原因が特定できても治療が変わるわけではないからです。
もしそうなら、その検査は誰のためのものなのでしょうか。

患者は時間とお金を払い、
さらに原因を知ることで、症状を意識してしまう可能性もある。

私たちは小さい頃から
「知ることは良いこと」「知らないのは良くないこと」
と教えられてきました。

でも本当にそうでしょうか。

情報には価値があります。
けれど同時に、知ることにもコストや副作用がある。

今回は、花粉症の検査という身近な話から、
**「知ることの意味」**について考えてみます。

感想

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みなさん、花粉症大丈夫ですか?私、ダメです。 でも検査受けたことありません。理由はシンプル。だって検査してわかったところで何にも特殊ないからね。
ということです。むしろ知ることで損することがはっきりしている。 原因がスギだろうがヒノキだろうが、別にだからといって治療薬が出てくるわけじゃない。
特定できたところで、薬って治す薬じゃなくて症状の緩和薬が処方されるだけなので、原因わかったところで何も変わらないじゃないですか。
だから、わかったところで行動は何も変わらないってこと? じゃあその検査って誰得?って考えたら、ちょっと面白い問いに行き着きます。
知るって本当に得なんでしょうか? 思考は完成させなくていい。
The Thinking Truck 気になったテーマを深掘り。 改めまして、今回は知るは本当に得なのか?をテーマに進めてまいります。
知るって正義みたいなのが学校現場ではあって、その洗脳を受けているせいか、みんな何かあると知ろう知ろうってする傾向があると思うんですよ。
花粉症であるかどうかも、何なら別に花粉症であるかなんて定義もいらなくて、ただこの時期目が痒いとか鼻水が出るなとかくしゃみが出るな、症状は分かっている、それ調べなくても分かる。
ただその原因を知ることに意味があるんでしょうか?ってことなんです。
学校だと知識は増えるほどいい、知っているほどいい、情報を集めることはいい、正解を知ることはいい、知るイコール正義みたいな教育されてますけども、それが価値として植え込まれてます。洗脳ですよね。
近代社会の基本思想とも言えますけども、科学根拠がある裏付けがあることとか、あと無知から解放されることが大切的なやつ。
つまり教育って知らないってことは不利益を被る可能性があるから、という前提で教育が設計されている。
結果としては知らないという選択肢を考える訓練、知らなくてもいいじゃないっていう、それを肯定する教育をされてこないわけです。
話を花粉症に戻しますと、知らない戦略、私はとってます。花粉にとってはね。
実際の社会では、花粉以外もそうですけども、知るメリットよりも知るコストが高くつく、逆になるパターンって結構普通に存在します。
花粉症の話で言えば、検査して原因を特定したところで治療薬が出てくるわけじゃないんですよ。
だから何も変わらない。変わるのは検査費用、そして時間を奪われる。
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心理的負担もありますけどね。誰得かっていうと検査機関と医療機関が得するだけ、自分は時間とお金を損していくわけですよ。
これ経済学的には情報取得コストがかかるだけの話ですよね。
だから時間もお金も、何ならやる気も気持ちもないちゃいます。
それをただ奪われていくから、私はあえて検査してないわけなんです。
あとプラシーボ、疑悪効果ってありますけど、その逆プラセボ、ノセボ効果っていうらしいんですけども、ノセボエフェクト。
副作用を詳しく聞くと発生率が上がってしまったりとか、病名を聞くこと、知ることによって症状を逆に敏感になって強く感じてしまうということ。
情報によって、その洗脳によって体の感じ方を変えてしまいかねない。
花粉症だと思ってなければ多少ムズムズしても気にならないのが、
俺はスギ花粉症だ、スギが飛んだニュースを聞いただけで、ムズムズするのはきっとこのせいだ。
そういう自分にとって不利益な効果を及ぼしかねない。それもあるんです。
じゃあ、知るって何だろう。何のために知るんだろう。
花粉症の対策としてはマスクがあったりとか、いろいろ治療法もいくつか出てきてはいますけども、
外に出ないとかね、うがいはかけないとか、外から帰ってきたら花粉を払うとか外で払うとか。
その行動様式によって花粉対策ができるので、それは意味ありますよね。
でもそれは検査しなくたってもう自分の症状からほぼ特定できているので、今更追加で知る必要はない。
あと選択肢は確かに増えますよね。
だから外に出ないようにするとか、花粉を舞い込まないような方法を知るとか。
あと最近の新しい治療方法も出てきたみたいなので、そういうのも知ったりとか。
あと情報収集として花粉症に効くと言われる薬以外のもの、サプリとか私使ってますけども、
自然療法的なものなんかも選択肢としては情報入ってくるので、
花粉症だという前提に立ったところで情報が集めやすくなるという見るとは確かにあります。
価値観もあるので使う使わないというね。それも本人次第になるわけです。
でも検査はやっぱりいらない。
あとは実際検査してはっきりするので、科学的なエビデンスのあるはっきりした事実は手に入りますけども、
事実がわかったところで何にも変わらないじゃないですか。
そこが私がもやもやして、知ることって得なんでしょうかって感じちゃうところなんです。
金と時間をかけてまで。
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大事なのは本質的な問題で言うと、その情報が自分にとって何をもたらすのかってことです。
その情報を得ることによって何かが変わるんだったら価値はありますし、
知る前も知った後も何にも変わらないんだったらその価値を知る意味、価値はない。
そこなんです。
だから花粉症の話で若い方に花粉症の話をしてたら私この話になったんですけども、
知ったところでどうするの?って疑問を投げかけました。
でも知ったところで、目的じゃないんですよ知ることって。
知る意味は何ですかってこと。
知識って万能じゃないし、知ったところで何も変わらないことって今みたいにある。
さらに言うは知識を得るために、情報を得るためにお金と時間がかかってしまう。
それで何も変わらないんだったら損失しかないじゃないですか。
で、あとさっきの逆のプラセボ効果、ノセボ効果で知ることによって悪影響もあるんですよ。
余計なことを知らない幸せっていうのもあるわけですよ。
だから要するに知識は使えるものだけ取りに行けってことです。
何でもかんでも知ってりゃいいっていうね。
学校で洗脳された知っていることが正義みたいなのに呪縛に縛られすぎないことが大事。
私はそんなふうに考えております。
いかがでしたでしょうか。
今回はこの辺りで。
最後にお断りです。
この配信では身の回りでセイラージーが感じたことを基にネットやAIなどから得た情報も参考に構成しています。
正確性についての保証はいたしかありますので、くれぐれもご自身で最終判断をしてください。
疑わしき情報やお気づきの点、新たな情報がございましたらお知らせいただけると大変助かります。
思考は途中にこそ価値がある。
ここだけの話ですけどね。
私結構長年付き合い、花粉症付き合ってきたんです。
ここ数年でも症状改善してきてるんです。
どんな対策をしてきたかって、こそっと教えてほしいでしょ、知りたいでしょ。
でも実のところ、これだって何かは特にありません。
参考になるのは本編で語った考え方かもしれません。
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