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2025-02-03 49:03

Ep.38 COMME des GARCONSのコト

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エピソード38を配信しました!

今回はファッション ブランド【COMME des GARCON】について語っております!

ギャルソン愛が炸裂した大学時代の話も交えながら、先日亡くなったマリアンヌフェイスフルのことにも触れてます。

是非お聴きください〜!

 

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サマリー

今回のエピソードでは、コムデギャルソンのデザイナーである川久保玲さんの影響について語られています。特に、ファッションデザイン課での経験や、コムデギャルソンによる衝撃的なコレクションがどのように彼のファッションに対するアプローチを形成しているかが紹介されています。このエピソードでは、コムデギャルソンのショーとマリアン・フェイスフルの音楽の出会いについて触れられており、大学時代の思い出やコレクションの魅力が深掘りされています。93年春夏コレクションや93年秋冬のシナジーテーマについて振り返り、コムデギャルソンの独自のデザインアプローチや自身の服作りへの影響が語られます。また、その後のコレクションも紹介され、アバンギャルドなファッションの進化が探られます。コムデギャルソンについての思い出や、大学時代に描いたファッション感覚も取り上げられ、忙しい仕事の中でもその独自のスタイルや哲学が心に残っていることが強調されています。

ポッドキャストの概要
はい、True Blue on my Blue始まります。このポッドキャストは、50代芸のyossyが日々の暮らしの中で好きな人、好きなこと、自分のことなどを話す自由奔放な人ことラジオです。
ということで早速エピソード38始めていきたいとおもいます。
えーとですね、今日は
あのー、いつもとちょっとね録音環境を変えてみて、今撮ってるんですけど、いつもはね、リスンというサイトで
そこに直接こう、録音するというか、そのブラウザーに録音機能があって、そこに
向かっても、MacBookに向かって喋ってるんですけど、今回はですね
まあ割とポッドキャスターの人がみんなやってる手法だと思うんですけど、あのー、ボイスメモっていうアプリに
今音声を入れているんですよ。で、このやり方だとちょっとこう一時停止できてるとか
はい、あの、スルーじゃないですか。で、割とみんな編集をされる方が多いので、これで録って
えーと、編集をね、あのガレージバンドってまたソフトを使って
はい、あのやってる方が多いと思うんですけれども、自分もちょっとね、あの
まあ編集、編集まであの、もうちゃんとはできないと思うんですけど、ちょっとね音楽つけたりとかね
うーん、まあできるようになりたいなというふうに思って、まずその手始めというか
で、ボイスメモでまず録るということをやってみたいなと思って、今ちょっとやっているんです。で、さっきね
えっとちょっとテストで ボイスメモで録ったやつを
えっと、リスに上げてみたんですよ。 そしたらね結構
なんだろう、このボイスメモの あんま性能が良すぎるというか、なんか割といろんな音を拾う
だなっていうのが分かって リスの方だとね、あの
音声をノーマライズするっていうボタンがあって、それをピッと押しとくと、割とこう変な雑音みたいなのが入らなくて、声だけが割と
入るみたいな機能があるんですよ、リスンって。だからそれでずっと録ってたので
あのそんなに雑音というか、例えば息を吸う音、なんか喋り終わって吸うじゃないですか
その吸う音とか
ちょっとこう
口から馳せられるちょっとしたこう音とかも割とこのボイスメモって拾っちゃうんだなと思ってね
これはこれでなんだろうなぁ、なんか全ての音を拾われている感じがしてすごい嫌だなっていう感じもしているんですけれども、ちょっと1回これでやってみようかなというふうに思っています
でねえっと今日はさ、えっと
節分とその風習
今、えっと2月の2日、日曜日
はいそろそろ2月の2日の日曜日が終わろうとしているような時間にとっているんですけれども
今日はねあの節分でしたね 節分だってことは分かっていたんだけれども
あのね肝心のえほう巻きを買うのを忘れていましてですね
であの夜になって、あ、食ってないわって気づいて
あの夜ね スーパーに行きまして
えっとはいえほう巻きがもう大量に売ってましたねー でなんだろうスーパー側もさ
準備しすぎたのかめっちゃ余ってて結構 でえっと自分行った時間がもう7時過ぎぐらいだったので
ちょっと値引きが入っているのがしててね してたんですけど値引きが入っているにも関わらず結構大量にえほう巻きが余っていて
ねちょっともったいない感じはしましたけどはい でその中でまぁ自分は一人なんでね
あのハーフカットの小さめというか はいあのめっちゃ長いえほう巻き1本はちょっと食えないので
そのハーフカットのやつを買って あのまあプラスちょっとおかず買おうかなと思ってたらですねなんか
あの節分そばってやつがさ 売ってたからね
あの買ってみたんです 実際節分にそば食うっていう風習なんてありましたっけ
ねえ なんか
別に去年まで節分によるそばを食うっていう 感じはなかったんだけれども
なんか節分そばって言ってたからえーと思ってね あのはい節分そばも買って
はいえほう巻きとね節分そばをはい いただきましたようんで今年の絵法はね西南西
255度ということだったので iphone を置いてですねちゃんと255度測ってコンパスで
それでねそっちを向いてね無言ではい食ったと いうところですねでそして願い事ですねずーっと心の中で唱えてました
そんな ご飯をね食べ終わって
はい ちょっと
ねえ録音しようかなというふうに思って撮ってますでちょっとさっきまでね 台本を書いてたんですがあーちょっとくしゃみが出そうかな
くしゃみがですがこれさ一体1回止めれるんだよね1回ちょっと一時停止してみようかな ただいま
はいあのはい爆音のくしゃみが出た上に ちょっと鼻水がすごい出てきたので鼻を噛んで
再開しておりますこれ あれかボイスメモだとこういうことができるから
いいですね
これはいい 店かもしれない
までなんかちょっと待って鼻出てきたからつってあの ねぇ
花岡途中で噛んでみたりとか あのくしゃみをすごいあのマックス鼻に力を込めて我慢していたりとか
排斥が出ないように我慢していたりとかしていたんですけれども 一時停止ができるというこの
感じはとてもなんかやりやすいかもしれない
コムデギャルソンの影響
ということではいえっとそんな話を置いといてですねえっと 今日はね何の話をしたいかっつーとね題名にもあるんですけれども
コムでギャルソンについて はいちょっとコムでギャルソンのことをね喋っていきたいと思いますコムでギャルソンってみんな
ご存知でしょうか ファッションブランドなんですけどね
はいえっとコムでギャルソンというあのフランス語の あの意味なんですよ
意味意味じゃないフランス語でコムでギャルソン 意味としては少年のようにという意味ですね
ギャルソンっていうのが少年でコムでコムでっていうのが 何々のようにっていう
少年のように という
意味のね ハイブランドなんですけど
まあデザイナーはねもう誰もが知って誰も知ってる 誰もが知ってるっていうのはおかしいな
はいファッションに興味のある方はもうみんな知っている川久保玲さんというねもう 超超超日本の超レジェンドの
デザイナーさんがいますけれども はい川久保玲さんがコムでギャルソンのデザイナーで
自分は 本当に一番影響を受けた多感な時期というかね大学生の時期とかに
そうだな高校大学の時とか本当ファッションが好きになった時に まず最初にやっぱりすごい
あの影響を受けたのが川久保玲さんなんですよねで川久保さんいなかったらやっぱ自分も ファッション始めてないと思うし
川久保さんの作る服っていうのがまあその頃すごくてですね はいあの
ちょっと感化をされていったんですけれども なんでね急にギャルソンの話をしようと思ったかというと
あの2、3日前にマリアンフェイスフルっていう方がね亡くなったってニュースが入ってきて マリアンフェイスフルといえば俺としたコムでギャルソンのことを話さないといけないなっていう風になるんですよね
であの 今日はね自分とそのコムでギャルソンの関係性というかどんだけハマってきたのハマってたのかとか
まあどんだけ自分にね影響を与えてくれたのかとかそんなことを話したいなというふうに 思っているんですけれども
なぜあのマリアンフェイスフル がね亡くなってマリアンフェイスフル亡くなっちゃったんだっていうのももちろん先にあったんだけど
その後にすぐコムでギャルソンってなったかっていうことをねまず話したいと思うんです けれども
その 自分がねマリアンフェイスフルを知ったのはねコムでギャルソンのおかげなんですよ
それはなぜかというと 自分がですねえっとムサビに入った入学したのが1992年なんですけれども
そのねムサビのファッションデザイン課に入って えっとそこのファッションデザイン課にですね
まあいろんなこう東京コレクションに出ている日本人のデザイナーさんのね あのショーの
あの vhs のビデオっていうのがあってそれがねあの 会社からとかそのコムギャルソン社とかまあ
幼児山本とか伊勢宮家とかそういうまあ有名なブランドさんからね そのムサビのファッション課の
ところにえっと vhs のビデオが送られてきてたんですよ あのまあ見てくださいっていう感じで送られてきていたっていう時代があって
その研究室にねずっとこうビデオのライバルやライブラリーみたいなものがあったんですよ
であの自分もねあの実家がワウワウに入ってたんで あの父に頼んでねあのワウワウでそのパリコレ特集とかミラノコレ特集とか
東コレ特集 東コレやってなかったかパリコレミラノコレロンドンとか
はえっとワウワウでやってたのでそれを録画してくれっていう風に頼んで録画して もらったものを送ってもらってはいたんですけれども
やっぱワウワウのやつってちょっと途中で切れてたりとかね あのフル尺じゃなかったりとかするので
その大学の方に送られてきたものはやっぱりノーカットバージョンが送られてくるわけで はいそれをねすごく見るのが超絶楽しみて
あの 常に研究室に行ってコレクション時期になるとビデオ来ましたかって言って
女子の人に聞いてねまだだよって言われたらまだかと思いながら来たよって言われたら 見たいって言って
あの ビデオデッキとねテレビが空いてれば研究室で見させてもらってたんですよあの持ち出すことは禁止
だったのでその研究室で見るのはいいよということで 見ていたんですね
でえっと その大学に入ってねまず最初に見たのが
えっと1992年秋冬のねコムデギャルソンのコレクションだったんです でその時のテーマっていうのがリリスっていうのがテーマなんですけれども
そのリリスっていう 女性
なんですけど その人はね旧約聖書に出てくるとても強い女性って言う
ことで 今だとねえっとリリスは女性解放運動の象徴として扱われることもある
ということもありましてですねその コムデギャルソンのその時のテーマがリリスだったのでとてもすごい強い女性像を
表した ショーだったんですよでも最初から最後までも黒ずくめほとんど全部黒で
最初から最後までえっとコレクションが始まり で途中ちょっとえっとショッキングピンクのものが本当に数点ですね本当に数点出てくるの
と あと真っ白のゴーディネートが
数点出てくる以外はもうほぼほぼ9割 ぐらい
真っ黒の服ばっかりで黒の中でいろんな素材が組み合わされていて あのまあウールもあれば面もあれば
ねシルクもあればであの素材もサテンもあればでジョーゼットもあれば ねシフォンもあればってもいろんな素材の黒がこう
組み合わされ剥ぎ合わされ すごくこうアバンギャルドの前衛的なデザインで
あの展開されていたんですね とにかくそのショーがねめちゃくちゃかっこよかったんですよ
衝撃でしょ で
もうそれを見せてもらった時にあまりに衝撃で 何回もね女子の人に頼んでね見せてもらってたんですよね
そんなにヨッシーはギャルソンが好きなのかって言われちゃうぐらいもう 好きで好きで好きで好きでたまらなかった
でもうそこからいろんなことを吸収しようと思っていたんですよね でその92年秋冬の
小森ギャルソンのコレクションのバックミュージックというかですね そのランウェイミュージックっていうのかな
マリアンフェイスフルとの出会い
そのショーでずっとこうバックにかかってた曲っていうのが マリアンフェイスフルの曲だったんですよ
でねそのマリアンフェイスフルってさあの まあ知ってる人は知ってたと思うんですよあのミックジャガーの元恋人だったとか
あの昔ねあの世間を虜にした まあその時代のイットガールみたいな感じだったとかさ
あとルパンの峰藤子いるじゃん その峰藤子のモデルになった人っていうのがマリアンフェイスフルなんだけど
まあそういうことがあって知ってる 人はたくさんいると思うんですけれども自分はねもう全くそういう情報知らなくて
マリアンフェイスフルについて全く無知で あの本当にお恥ずかしい話
洋楽とかも超うといんですよ自分 まあその俺の実家っていうのがねあの一切洋楽を聴かないような親だったんです
でまぁ歌謡曲とか まあ演歌とかまあそう流行ってる曲っていうのはあのバンバン
あのうちの親父がこうレコードをね自ら買ってきたりとか 俺もお小遣いためて買ったりとかしてたのでそういうまあ
歌謡曲的なものはものすごく知っているし あの親も進んで聴いてたりとかねしてたんですけど
なんせね洋楽が一切一切なかったので まあ洋楽聴き始めたつったらまあ姉がちょっと聞き始めて
例えばホイットニーヒューストンとか それも姉もなんか誰かに
聞いて聞いてみるみたいな感じでそれをまたカセットテープを借りて聞くみたいな 感じだったので
洋楽にすごいうっといんですよ自分 だからマリアンヌフェイスルなんてもう全く知らなかったしミックジャガーのことも知らなかったの
ね で
その 8
そのさあ そのこれかえっと
コメガルソンの声ショーでねかかっているこの すごいあの
タバコとさ酒焼きによるしゃがれた 声の
かっこいいババアは一体誰なんだというのを持って その時代はねまだ携帯もなくてね
ポケベルだったんですよポケベルした で
パソコンも出始めたばっかりぐらいで あのもちろん自分では持ってないし
大学の研究室もなかったなキャスマックはあったんですけどね 初代マックっていうのはあったけれども
いわゆるその検索ができる ものっていうのなんてなかった時代なのでその調べたりするのは全部本だったんですよね
で そのたまたまあの自分が見ていたファッションしかカルチャーしかちょっと忘れちゃったんです
けど その本にねあのコメガルソンのショーで使われた曲はマリアンドフェイスフルの曲だ
みたいな記事があったんですよ であのどの記事あるごめんさどの曲とかは一切書いてなくて
確かねあの ジャケ車だけが
そこに乗っていてこの cd がかかってたよみたいな 記事だったような気がするんですよねで
それのジャケ車をまあいわゆる目パチって言っても目で 覚えてですね
普通にさあ携帯で写真とかバシャッとか撮れる時代でもないから あの
まあ目で覚えてですねまぁ本をわざわざねあの cd 屋に持って行くってもちょっとめんどくさかったんで
なんと覚えて cd 屋までねあの
家からねバスに乗って行ってとにかくそれをね探しに探しに探しまくって やっと見つけて買って
家に帰って聞いてああ 本当だギャルソンで流れてたやつと同じだこれって
あの すごいね感動して興奮した思い出があるんです
それがねマリー&フェイスフルとの出会いだったんですけど そうだからそのマリー&フェイスフルが亡くなった
ことはねすごく悲しかったんだけれども どちらかというと
自分はすごいマリー&フェイスフルに思い出があるというよりは コムデギャルソンのもうすごい好きだったコレクションのバックミュージックを歌っていた
おばさんっていうイメージだったので うん
大学時代のファッションショー
だからそのギャルソンのねショーのことやっぱり急に思い出したんですよ でマリー&フェイスフルが亡くなったその日
は えっとゴソゴソゴソゴソですね
あの dvd を漁って そのちょっと前にコロナ禍だったかなコロナ前かな
あの vhs のビデオを全部あの dvd に焼き直すっていうのを 業者に頼んでやっていたので
その dvd よねショーの dvd があったので 引っ張り出してきてね探してきてでやっぱりそのギャルソンのそのショーを見たんですよね
すごいやっぱり思い出深かったなぁで やっぱりそのショーがね今見てもすごく素晴らしいので
これは1回やっぱギャルソンについて俺は 話しといたほうがいいんじゃないかっていうふうに思ってね
あのこのポッドキャストでうん はいギャルソンについてちょっと話してみようかなというふうに思いました
でねその大学の時っていうのは とにかく
あの いろんなコレクションのショーを見たくて見たくて
片っ端からですねそのブランドもいろんなブランドのプレス当てに 立ち見チケットでいいので賞チケットくださいっていうねあの
熱烈お手紙っていうのを書きまくってたんですよ もうね1回8半年に1回コレクションがあるんですけども春夏と秋冬とね
その 時期になるとどうだどれぐらい書いてたかなぁ
20ブランドぐらいもしかしたそれ以上かもしれない に
手紙をね書いて その会社の住所とかはファッション紙とかの最後に載ってんですよね
株式会社コメディギャルソン 港区
南青山うんちゃらとかこう住所を書いてあるわけですよ でえっとできる限りわかる範囲で住所を調べ上げてそこのプレス担当者様って書いて
ですね プレスがどんな名前の人かもわからないだからプレス担当者様っていうふうに書いて
自分の名前を書いてですね その実は私は武蔵の美術大学でファッションデザインを勉強している学生だと
でどうしてもあの ねえっとそのブランドの
ショーが見たくてすごく興味があるからどうしても見たくて あのもう立ち見でも何でもいいのでショーのチケットをいただけませんでしょうかっていう
手紙を書いてね送りまくってたんですよで 割とねー
その熱烈大手紙書くじゃないですか最初ねまあ結構無視されるかなと思ったの そしたらさ意外と皆さんお優しくてですね
そこそこねチケットくれんですよ でね最初
あの送って大学1年の時に最初に送ってやっぱ無視されたのが コムでギャルソンと幼児山本だったんですよ
その2ブランドからは完全に無視をこかれたの あとのブランドさんはえっと
ちょっと電話番号とかもね家の電話番号とかも書いていたので手紙に あのわざわざ電話をくださってごめんなさいねちょっとあの
学生さんはねちょっとお断りしてるんですごめんなさいねっていう連絡をいただいたり とか
お手紙であのちょっとあの会場が狭いのであの すいませんっていうお手紙をいただいたりとかねあとはもう普通に
ショーのチケットを送ってくださっ ブランドとかもたくさんあって
あのそのおかげでねすごい自分は学生時代に もう何重っていうブランドのショーを
はいあのプレスとかね業界人に紛れてこそこそこそこそでもないな あの3見てたんですけど
コムでギャルソンと幼児山本は断られたというか最初から無視こかれたんですねでも えっとまぁ無視をこかれたまま当たり前その2ブランドはね
当たり前だと思っていたので あの次のシーズンにまた司令と
同じ内容でもまた熱烈お手紙をね ギャルソンと幼児
書いてもちろん他のブランドバーって出してですよ そしたら2回目から
ギャルソンも幼児も立ち見のチケットが来たんですよ でねあーなんかファッション業界の人って捨てたもんじゃないというか
まあその頃まだファッションが元気があった時代だったので こう熱意をね
その手紙に込めて伝えれば ショーのチケットをくれるんだっていう実感がすごく
あってねすごい楽しかったし あのありがたいなというのもっとしめっちゃ楽しかったんですよねそのショーを
東京コレクションのショーを見るっていうのが本当に自分好きで あのもうとにかく気分がぶち上がるわけですよ
その最新のねそのブランドの コレクションというか服のコレクションが見れるっていうことでまず
まずテンションぶち上げプラスやっぱね ヘアメイク
やっぱ気になるんですよ ヘアメイクこんな感じなんだとかあとバックで流れている音楽イケてんなとか
そういうことを感じながらね あの見てたんですよね
あとモデルさんとかもすごいチェックしてて あ誰誰が出ているとかこのモデルさんそういえばなんかパリコレに出てた人だとか
あの日本人モデルでもねこの人ここにも出る出てるあそこにも出てるって 思いながら
なんかそういう洋服だけに関わらずモデルのことヘアメイクのこと音楽のこととか いろんなことをですね
こう気にしてね見てて興味があったんですよね そんな大学時代をちょっと送っていたんですけれども
はい ちょっとねそんな大学の話をしている場合じゃなくて小麦ギャルソンの話をしようと思っていた
ですでギャルソンについていろいろ書いてるんですけれども えっとちょっと声が枯れてきたのではいここらで一発お茶を
コムデギャルソンのショーの魅力
はい麦茶を頂戴したいと思います はい
美味しい麦茶
えっとそれで えっとギャルソンの話をしましょうここからね
で小麦ギャルソンはねその92年秋冬のショーが えっとそのリリスっていうねテーマのショーがめっちゃ良かったって話したじゃないですか
でその次のショーから自分は実際に東京コレクションで小麦ギャルソンを のショーをね見ることになるんですけれども
やっぱり大学4年間で見た小麦ギャルソンのショーって めちゃくちゃ印象深いしめちゃくちゃ好きだったんですよ
その頃の科学坊さんても冴えに冴えまくっていたというか もちろん80年代からね科学ボレーさんてもう
すごいデザイナーさんだったんですよパリでもすごい評価されていて もちろん日本ではもうトップオブトップみたいな
日本のデザイナーって言ったら一番科学ボレーでしょみたいな感じ だったので自分もやっぱ
やっぱ科学坊さんのその作り出すものっていうのは本当に素晴らしいと思っていたので その大学生の時にね見たショーっていうのはすごい印象深いんですけれども
そのえっと93年 ss からですね とうとう小麦ギャルソンのショーを実際に見に行くことになるわけなんですけれども
93 ss の小麦ギャルソンのテーマというのがウルトラシンプルっていうね テーマだったんです
でねまぁこれ一個一個話すと長くなっちゃうんでちょっとかいつまで話しますけれども ウルトラシンプルの時はねえっと
ゴブラン織りとかジャガード織りとかねいろんな記事をねもう極限まで脱色をして 製品にした後の脱色してたのかな
全部脱色してほぼほぼ白みたいな超ペールトーンのコレクションだったんですけれども その小麦ギャルソンって一番最後に小麦ギャルソンのワールっていういわゆるドレスラインっていうのをね最後に
ちょろちょろちょろっとこう七八帯出すんですよショーの最後にね で自分はその小麦ギャルソン本体ももちろん大好きなんだけど
小麦ギャルソンのワール最後に出てくるそのドレスライン っていうのがまたすごい好きで
93年春夏コレクションの魅力
でこの93 ss のねウルトラシンプルの時の小麦ギャルソンのワールっていうのがめちゃくちゃ よかったんですよもうあの時のノワールマジで超好きなんですけど
でねあのメンズファブリックでよく使われるスーツジとかによく使われる
ウールのトロピカルかギャバジンだと思うんですけどそれの ネイビーにねえっと白のピンストライブが入っている
生地があるんですけどメンズでよく使われるそれをもうふんだんにたっぷり使った ドレス眉型のドレス
が発表されていてそれがねめちゃくちゃかっこよかったのでそれにゴブラン織りの えっとすごい素敵な生地がドッキングで
あのくっついてたりとかして とにかくねこの93年 ss の
ノワールは良かったなぁ すごい良かったなぁ
あ今私 ss とか a ダブとか言ってますけど 説明した方がいいかな ss はスプリングサマーのことです
a ダブはオータム&ウィンターのことですはい すいませんファッション用語を普通に喋ってしまっておりました
失礼いたしましたはい ということで
その次が93 a ダブ秋冬ですね テーマでシナジーというテーマなんですよ
でこのシナジーもねー めっちゃ良くて俺えっと大学時代に
一番 すり切れるほど vhs のビデオのショーを見たのこのシナジーっていう時
93年秋冬のシナジーの時が一番見たし 一番影響を受けたし一番
実際にコムネギャルソンのこの服を買った とにかく買った
それなぜかというとコムネギャルソンってえっと 森が大好きだったレディースの服だったんですよね
でえっとかあくぼさんはコムネギャルソンオムプリウスというメンズラインも やっていたので実際買うときはあのオムプリウスを買ってたんですよ
コムネギャルソンオムプリウスを買っていたんですけど 93秋冬のシナジーの時のレディースっていうのはちょっとテーマがですね
まあメンズとレディースの服の ドッキングだったりとか
柄と無地のドッキングだったりとか ニットと腐白腐白って言ってもわかんないか
えっとニットと伸びない生地のドッキングとかそういう相反するものを 一緒にドッキングして一緒の一つの服に
するっていうのがテーマだったのでそれまでそんなことをした人って いなかったんですよ
しかもそのかあくぼさんのそのドッキング方法がさ まあ活かしてて超アバンギャルドでめちゃくちゃ
良かったの で
今までみんなそんなことタブーだってそんなこと思いもつかなかったようなことをですね かあくぼさんはやってのけるっていうその魂もすごく好きだったんだけど
そのシナジーの時はねそのメンズとレディースの服をこうドッキングしたみたいな やつっていうのが結構たくさんあってその肩幅肩がね
メンズの肩幅っていう服があったんですよ それはねその時痩せていった60
2、3キロだった俺にとってはですね 着れたんですね
そのあんま骨格は男じゃん結局はだから肩幅がさどうしてもさレディースと入らない わけ
着たくても入らない なんかウエストゴーのパンツとか俺履いてたんですけど
ウエストゴーのパンツぐらいだったかな開けたとしても だからそのコートだったりとかジャケットだったりとか
そういうものができれるものっていうのがレディースじゃなかったんだけど このシナジーね93秋冬のシナジーの時は肩幅がメンズの肩幅のものがたくさん出た
ので着れたんですねなので 着れるぞってなったの店に行って
でねその俺その頃も割と顧客だったのであの 青山南青山のねあの本店の方に
行ってたんですけどそこでついてくれているあの女性の 販売の3販売員さんがいて
その人にね あの
ヨッシーさん今回は 切れますよ多分つって言われてねあのちょっと着てみましょうって言っていくつかね着さ
してもらったら切れたんですよね なのでもう切れた嬉しさでね結構ね散財したんですよ今年
はいということですごく思い出深いショーですね でその次が94年 ss
のテーマがねエキセントリックっていうテーマです この時のショーもすごい良かったんだよなぁでこの時のショーは
えっとショーのそのバックミュージックが前編マリアカラスの曲 だったんですね
マリアカラスの曲で全部構成されていました これも良いショーだったなぁ
でねその すごいあのアバンギャルドな商品があって
えっと袖 袖だけっていう商品が出ててね
袖が ゴムでつながっててそのゴムがめっちゃ長いわけよ
そのゴムを体にぐるぐるぐると巻きつけて 袖だけを
纏う ブラウスの上とか t 札の絵とかから袖だけを
着るっていう アイテムがあってね
あのそれはねあの いわゆるなんてサイズフリーというかさ
だったから俺その袖だけのアイテムを買ったんですよね はい
でもねー ちょっとあまりにアバンギャルドすぎてね
学校でも浮いてたよねさすがになんか なんかよしまた変なの来てねって言われてみたのに
これコメディアルソンなんだけどって言って いう話をよくしてましたけれどもはい
そういうものを買ったりとかしてましたねこの時は その次94年秋冬が
メタモルフォーズっていうテーマ で
この時はね軍服アーミーの服をアレンジした 8コレクションだったんですけども
これもね結構斬新なアイディアで ウールで作った製品を製品のまま
強圧縮させたシリーズなんですよ 強圧縮させるってどういうこともすごい強力な熱をかけて
ウールを縮ませる だからそうどでかい製品に作っておいて
無式か 実際に煮込んだのかちょっとはか忘れちゃったんですけど
なんかそういう熱をかけてね強い熱をかけて ウールを縮め
て 普通に着れるサイズにするっていうなんともあのアバンギャルドの服だったんですよ
あのたまにさよくあるじゃないですかあのウールのものを間違って乾燥機に入れて しまってどうしたんだこんなちっちゃくなっちゃっててあの状態ですよ
あれ がねショーになってたわけ
ちっちゃい服じゃないよあの圧縮させて着れる状態の寸法になるように作られた もう超緻密に計算された服だったんですけど
そんな服が発表されておりましたねはいこれも超かっこよかったな でえっと95年 ss はトランスシンター
トランスセンディングジェンダー トランセンディングジェンダー
うん えっと性別を超えて性別じゃない性別でいいのかのジェンダー
ジェンダーを超えてみたいな 意味だったと思うんですけど
メンズ服から着添えたかっこいいコレクションだったんですよね でこの時もねその最後のコミュニケーションのワールがめっちゃかっこよくて
タキシードとかシャツとかをねまあ着てるんだけどモデルさんが そのタキシードとそのパンツとシャツの
そのパンツの上に あの
ふんわり膨らんだオーガンジーでできた ボリュームたっぷりのスカートをね
合わせているんですよ でこれがねまためっちゃくちゃ素敵でそのメンズとレディースの掛け合わせっていうのは
そのシナジーの時では一つの服で掛け合ってたんだけども コーディネートで見せたっていうのがこの時のショーで
でこの自分の今の服作り あの俺が今ね服を作っている
まあいろんなものをデザインするとかにっていうことに当たって この時のそのタキシーマメンズの格好にふんわりしたスカートを合わせるとかですね
そのコーディネートっていうのは 自分の今のね服作りの根幹を作った作風とも
言われる 言えるというかすごい影響を受けている今でも影響を受けているんですけど
バンドネオンとの出会い
このねカーコさんのこの時の精神を引き継いで服を作っているって感じがするし あの自分のブランドの洋服を作っている時にその
コーディネートっていうのもねそういうことを考えながら作っている っていうのがあります
ねその自分の服作りの根幹をここで教えられたという感じですかね また声が枯れてきたからもう一回麦茶飲んでいいですかすいません今日ちょっと
麦茶多めでいきます
うんはい
はいということでどこまで行ったかなぁ95 ss まで行ったね でちょっと最後になりますすいません長々としゃべって
95 aw コレクションスウィーターザンスウィートというテーマですね もうスウィーターザンスウィートも甘さよりももっと甘いみたいなもうとにかく
甘いみたいなテーマなんですけど このショーはねすごく可愛かったんですねあのテーマのごとくものすごい可愛かった
自分このコレクションもすごく好きですね でねあのこの時のショーの音楽っていうのはあのピアソラもねバンドネオンの曲が
すごい多用されているんですよで これを聞いてね俺ね
この曲はなんだってまた思ってまた何かの雑誌で あの調べたらやっぱりねコメディアジョンにかかった曲はそのピアソラのね
バンドネオンの曲だよっていうのを書いてあって へえっと思ってですね
この時俺CD買ったっけなぁ 買わなかったかなぁ
ちょっと忘れちゃいましたけど とにかくそのピアソラっていう人のバンドネオンの演奏だっていうのが分かって
その時に初めてピアソラって人とバンドネオンという楽器を知ってね アルゼンチン単語とかに使われてた楽器ってこれだったんだっていうのも知ってね
その音色がまあめちゃくちゃかっこよかったってね そのかっこいい
音色とあの可愛い作品っていうのがねとてもあの相反する感じでとても印象に残る コレクションだったんでしょうね
でこのバンドネオンをねここで知ったことにより 自分はですねバンドネオンどうしても弾きたいどうしても弾けるようになりたいというふうに
思って 実はですねコロナ
直前2019年の終わりぐらいかな
にバンドネオンをね習い始めたんですよ あの
その なんつうの
教室があってねバンドネオンを教えてくれる教室があって そこにね通い始めたんですね
でバンドネオンってむちゃくちゃ高いので自分では楽器買えないそう でえっとマンツーで教えてもらえるんですけれどもそのバンドネオンの先生が2台
持ってるから1台貸してもらえるみたいな感じで その場でこう借りてねバンドネオンを習うっていうことをやってたんですけど
まあ思った以上に超難しくて 今までピアノをやったり
テナーサックスやったりフルートやったりピッコロやったりまあいろんな楽器を弾いて 習ってきてまぁそこそこ引きこなしてきた吹きこなしてきた
扱ってきたで割と自信があったんですね音楽というかその楽器に対しては自信があったんですよ だから
結構やってた時期からまだ間が空いちゃったけどバンドネオンも俺はいけるだろうというふうにね
踏んでいき始めたんですけどまあ難しくても超絶難しくて そんなこんなでねコロナが始まっちゃって
えっとちょっとあのその教室がねちょっと今週はコロナでお休みです 来週もお休みですとかなってたらとうとう閉鎖しますってなって
結局ねあのなくなっちゃったんですよで 自分もちょっとくじけそうになってたのもあるし
ちょうどコロナでそういうことになって結局バンドネオンは引きずじまいで終わってしまった っていうね
はいことがありました
大学時代のコムデギャルソンへの思い
でねその大学生活はあれば92年から95年まで 過ごすわけなんですけれどもその4年間のコムデギャルソンっていうのはすごく
印象深いんですよでね96年から就職 したでしょでその就職した会社がさんも超絶ブラックの会社だったんで
もうね仕事と家のただの往復によりねプライベートの時間がほぼなくなってね 忙しすぎても虚無だったのでコムデギャルソンについて考える暇もなかったし
もう買えるお金もなかった もう初任給が安すぎてね
アパレルの初任給もう笑っちゃうぐらい安いんですよ
しかももう朝の9時半からですねもう夜中の12時半とか1時まで仕事させられて チャリで帰ってコンビニのねもう本当に体に悪そうな飯だけを食ってね
気絶するっていうね ですぐ朝が来るっていう生活を繰り返していたので
はい帰るお金も時間もなかったし はいもう記憶が
飛んでましたねはい でねえっともうちょっと就職してからそんな感じでまあギャルソンからちょっと離れつつあって
もうだんだんだんだんちょっと コムデギャルソンの服からも自分は遠ざかっていくことになるんですけれどもね
その大学時代とかにやっぱりギャルソンの服をね買ってた頃っていうのはその 服自体がさかっこいいから着るっていうことももちろんあるんだけれどもどっちかって
いうとですね コムデギャルソンの魂とかその生き様を着込むとか
生き様を纏うって感じで着てたかなぁ なんかその感覚って初めてだったんですけど
その 大学時代とかも
お金がないなりにいろんな服をね買ってたんですよ でワイズワイズってそのあの幼児さんが言ってたねえっと
ワイズっていうブランドがあったんですけどワイズ方面だったりとか 幼児山本とか一世三宅とかまさき松島
桂太丸山ミルクボーイとかねなんかその辺のブランドものを結構買ってたんですよね でも買って親から仕送りさせ
されてくるお金で 買いたいものを買って残ったお金で飯を食うみたいな
あと大学の課題をやりこなすとか っていうね生活をしているから結構洋服に金を突き込んでいたんですけれどもですね
まあその辺のブランドとやっぱコムデギャルソンっていうのはちょっと 違ったかな
着る意識が違ったというかね ギャルソンは服を着るっていうかその魂を着てるって感じがしてたなぁ
はいということでちょっとすいません長々と喋ってしまいましたけれども コムデギャルソンについて語ってみました
エンディングとお便り募集
みんなギャルソン好きな人いますか あんまりないかな俺の周りではどうなんだろうか
ギャルソンが好きじゃなくても洋服が好きな人が 聞いてくれている
うん とも思うので
はいあのもしね良かったら はい
ちょっとまたコムデギャルソンとかね見てみるのもいいかもしれないですね はいということでちょっと長くしゃべりすぎちゃったんでエンディングいきます
はいトゥルーブルーお前ブルーではこのお便りを募集しております 概要欄にある google ホームからまたどんな方法でも良いのでお便り感想メッセージなど
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はいでは今日はこの辺でこの辺はこの辺でしたはいはいでは今日はこの辺で ここまで聞いてくれてありがとうございました
ではまた次の配信でお会いしましょうお相手はよしでしたまたねー
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