こんにちは、そっちゃそです。今回は特別対談会になります。 成瀬由紀雄さんという、僕の同業者の方と対談動画、元の動画はYouTubeなんですけど、 これはまた、ポッドキャスト向けに再編集して、こちらにお届けするという感じです。
対談は、もちろん前回以前同様、映像がなくても楽しめる作りになっていますので、ぜひ長打撃でご覧ください。 内容自体は、語学学習とか語学学習のあり方とか、そういうのを哲学チックに紹介しています。
僕、そっちゃそと同じで、成瀬さんも哲学チックな考えや思想を持っている方で、すごく面白い方ですので、ぜひご覧ください。 成瀬さん自体のプロフィールとか、活動の内容とかは、このエピソードの概要欄、 エピソードの説明欄にまとめていますので、こちらをご覧ください。それでは本編をどうぞ。
こんにちは、そっちゃそです。今回、僕、久しぶりにYouTubeの動画をアップしているんですけど、今回は、成瀬幸男さんとの対談動画になりますので、翻訳者つながりなんですけど、本当にご縁があって、今、こうやって対談セッションをする運びになったんですけど、
今、視聴者の方のためにお互い、僕のチャンネルを見てくれている方であれば、もちろん僕のどんな話をしているかわかると思うんですけど、お互いの自己紹介をまず簡単にしてみたいと思います。
僕から先に説明するんですけど、そっちゃそっていうのは僕のハンドルネームというかペンネームというか、あんまり実名をネットにさらしたくないという個人的な理由がありまして、そっちゃそっていう名前を使ってネットで結構長いこと、
2010、2022年くらいかなにやってきて、今4年くらいネットで英語系、語学系の発信をしているという活動をしていまして、それはこのYouTubeも当然含まれていまして、
特に僕が力を入れてというか、強い思い持ってやっているのは発音とか音ですね。そういうのが個人的に大好きで、言語の音に関する、あとはもうそういう哲学知識というかそういう話も結構やっています。
それは本当に趣味が半分で、当然今今回みたいな、まさに今回の話と同じで、様々なご縁があったりするときもちらほら、それはすごく僕にとっても嬉しい結果になっていますね。
そういうことをやっています。翻訳者でして、一般的な翻訳者とほとんど同じで、クライアント、エージェントですね。エージェントから国内、海外のエージェントと契約をして、案件をもらったりというのをやっています。ほとんど他の翻訳者の人たちと同じことをしていると思います。
この今やっているのは傍らって感じですね。それが僕の紹介になります。ナルセさんにも自己紹介をお願いしたいです。よろしくお願いします。
はい、ナルセユキオと言います。よろしくお願いします。
今年、去年70になりまして、翻訳歴がそろそろ45年ぐらいでしょうか。そのぐらいになりました。
プロ翻訳で最初にもらった仕事が25の時でしたから、ちょうど45年ぐらいですかね。そのぐらいになります。
その間、いろいろなことをやってきまして、最初は商社マンをしていました。道部さんというところなんですけど、そこで少し働いて、そこでガクッと方針転換をしまして、言葉の道へ進もうというふうに決めました。
それで、もう一回大学に戻ってですね、言葉の勉強をして、それから言葉の仕事のほうへと向かったという状況です。
最初は高校の先生とか英語の先生とかもやってたんですが、その時に英語はせずに柔道のコーチをずっとやってたという不思議なことだったんですけど、それをしたがら
その後独立をしました。その後英語編集の会社に少しいまして、それから独立をして自分で翻訳会社を作って10年ぐらい経営をしていたこともあります。
それから40の後半ぐらいにお客さんであったサイマルインターナショナルというところの方から、翻訳者養成の講座を作るから、それの講師をやってくれないかという話をいただきました。
よろしくお願いしますということで、初めて23年やっております。教えた人はインターネット講座もやってますので、2000人ぐらいでしょうか、そのぐらい延べになるかと思います。
年100人として2000人ですかね、そのぐらいだと思います。サイマルインターナショナルの翻訳者を作るという仕事なもんですから、そこに送り込んだ数が100人ぐらい、プロ翻訳者で活躍していると思います。
そんなこんなで、翻訳と英語と日本語の世界に40数年生きてきているということですね。
昨年からなんですが、ことさき区というプロジェクトを立ち上げまして、個人プロジェクトですが、これはグローバルに通用する大きな日本人を作りたいという長年の夢がありましたので、
7時の声を聞いた時に、もうこっちへ行こうということで方向転換をしまして、ことさき区プロジェクトということで、大きな日本人育成計画というものすごく大きな話をしてるんですが、
それで10万人作ろうなんて大きな話をしましてね。その一環として、日本人の第二言語としてのグローバル英語を教えるプログラムを立ち上げるという仕事を今始めたばかりです。
その一環として、ノート、私は実は全然そういうオンラインのほうは弱いというか興味なかったんですが、ノートが初めてなんですけども、そこでいろいろ書き始めて、それでそっちはそさんとちょっとコンタクトを持たせていただいて、ここに来ているというふうに思っていただければといいと思います。
なぜそっちはさんかっていうことなんですが、いくつかの記事を見させていただいたり、YouTubeも見させていただいたんですが、直感的にはこの人だと思いましたね。
どういうことかといったらね、論理的なんですよね。非常にロジカルで全体が見えてて、それを自分の言葉できっちりと説明できると。この人理科系かなと思ったらその通りでした。
ということでお付き合いを始めさせていただいているというところです。今日はこういったご招待いただいてありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。声をかけていただいたら僕自身、嬉しいと同時になんてでしょうね、びっくりしたんですよね。
ホームページでお問い合わせを常時受け付けられるような状態に僕はしているんですけど、過去のお問い合わせはやっぱ、
具体的な話だと僕と同世代か、もしくは高校生とかもいましたね。翻訳者に、僕も記憶が合わないんですけど、翻訳者という職業に関してインタビューしたいとか、一見過去にはそんな感じだったんですけど、
ある時点ですごく大大大ベテランって感じなんで、そんな感じの方から声がかかって、僕自身想定していなかったので、すごくめちゃくちゃ嬉しいのと、すごくびっくりした。本音ですね。
僕自身、プロジェクトをこれからやろうとする人に対してはすごく共感してまして、キーワードはこれから多分、今、今回お話しすると思うんですけど、改革ですよね。変えていこうっていうイメージだと思うんですけど、僕もまさにそれを思ってまして、
この現状やばいよね、景色がやばいよねっていうのは、このまま何かが無駄な時間がどんどん増えていくだけで何にも変わらないから、誰かが何かしないと変わらないだろうっていうのがすごく、アルスさんから声をかけてもらう前から、
そうですか。
ネットでもそうですけど、英語を教える人がたくさんいるっていうのは、僕はすごくいいと思うんですよ。僕もそれの一人なんですけど、なんかただ、哲学を持って教えてるのかな、この人っていうのは、結構感じることがすごく多いんですよね。
この人、例えばですけど、別に僕自身、英語学習がビジネスにつながることは全然健全でクリーンだと思うんですけど、商業主義的な要素が出過ぎて、サービスとか商品を売ることありきでこの人たちは発言してるのではなかろうかっていうのはすごく感じるんですよ。
それが、さっき言った、ヤバいっていう点の一つ。多分その辺は、共感いただけるのかなっていうふうに考えてます。
私は英語教師もやってましたし、翻訳を教えるということは英語を教えるに近いところでありますからね。もちろんそれ以外もありますけれども、こういう状況は、別に今日、昨日始まったことではなくて、おそらくもっと根深いって言いますかね。
日本の英語教育の歴史の中で根深く根付いてる欠点みたいなところがあるとすれば、それは今、卒長さんが言った、ちゃんとものを考えて英語を教えてるのか。
そうなんです。
そういうところだと思うんですよ。英語が好きってことはわかるんですね。英語が大好き。英語が好きだから私は英語を教えてます。
それはもうすごく大事なことでしょ。すごく大事なことで、大事なことなんだけれども、それと同時に、私は英語を教えるということにこういう思想を持ってるとか、こういうポリシーを持ってるとか、こういう理論で教えてるんだって、そういうものですよね。
そういうものが、ちょっときつく言えば欠けてるかなと。それは私がこの業界に入って、もう50年近くなりますけどあまり変わらないかなと。
私の感覚ですね。で、その中で卒長さんはちょっと異質だなと。いい意味でね。非常にいい意味で異質なポジションにいるなというふうに感じてます。
そうですね。ポジションっていう言葉が出たんだけど、それは意図的にやってる感じもあります。差別化っていうやつだと思うんですけど、あまり人と同じことを言わないようにするというか、ちゃんと自分の本音、違和感をちゃんと間引きせずに公開する。
で、それで当然全員が、それをノートもYouTubeもなんですけど、全員が共感してほしいとは全く思っていなくて、小数でも、たとえば見た人の5パーでも10パーでもいいんですけど、確かにそんな気がするなっていうのを感じてほしいんですよね。ノートとかYouTubeを介して。こういうのは考えてますね。
ちょっと宣伝なんですけど、もしYouTubeを見てる人で、僕のノート気になる人はぜひノート読んでください。
私もお勧めします。
概要欄とかコメント欄に書いておきます。ここにノートありますよって書いておりますので、ぜひ読んでください。
そうなんですよね。
プロジェクト、ことさきくプロジェクトについて、正直僕もマルセさんから声をかけてからまだそんなに日が経ってないっていうのがちょっと事情がありまして、僕自身もよくわかってないんですよね。
もしよかったら。
宣伝させてもらいますか。
宣伝してください。
ことさきくという言葉そのものを多分皆さんご存じないと思います。
実は今日はことさきくとはでグーグル検索したら私が出てきました。
最初に曲説明のところに。
そのぐらい馴染みのない言葉だと思うんですね。
これは万葉集の柿の元の人丸の歌から撮ったものなんですね。
四季島の水穂の国は髪ながらことあげせぬ国しかれどもことあげぞ我がすことさきくというそこのことさきくなんです。
この歌はですね柿の元の人丸が県都市を送り出す船のところで見送りに行った時にそのことさきく。
これはこと玉の力でご無事であるようにって意味なんですよ。
もともとがそういうことをさきくなんですね。
日本はこと玉の国ですからこのこと玉が守ってくれるようにっていうそういう英霊なんです。
で無事に帰ってきてくださいっていうことさきくって意味込められています。
でこれはその私がずっと感じている若い頃私は小社マンだったんですけども
小社マンの頃からずっと感じているその日本の国際化グローバル化の遅れですね。
それに対する危機感そこから出てきたものです。
ちょうどそのしかしそれは悲観的なことを言いたくはないからどちらかというと新しい県都市ですね。
要するに当時県都市っていうのは大半が死んじゃうんですよ。
ナンパしてそんな危険なことを犯してまで当時の中国へ渡っていくっていう危害があった人たちです。
だと思います。でそういう新しい挑戦ですね。
日本人が日本人が新しい挑戦をするそうしなければおそらくそっちはさんが
そうですねあと私の年になるぐらいの時には日本はないかもしれませんね。
どっかの族国どっかの族国になってるかもしれません。
そのぐらいの危機感を私は持っています。
じゃあどうするのかっていうことなんですよ。
いろいろやらなければいけないことはあるけれどもやっぱり大きな言葉なんですね。
日本語だけだとやはり我々は勝負ができない。
で日本語というのは日本人のメンタルに支えられた言語なわけです。
日本人の世界の捉え方から物の考え方組み立て方表現の仕方
そういったものが日本語として現れているわけですね。
でそれは非常に我々にとっては大切なものだし
これから守り続けていかないといけないけれども
この世界だけに私たちがいつまでもいると
非常に狭いね。
今1億3000万切っちゃってますけど
これあと20年か30年したら1億を切ると思いますね。
そういう狭い世界の中だけで自己完結してるっていうことになりますよね。
これはもう絶対に持たない。
絶対に持たない。
であればどうするかといったらやっぱりその世界共通語としての英語ですね。
これは英語というのを学ぶというよりは
英語という言語の根幹にあるものの考え方とか
世界の捉え方とかそれを表現するための仕方とか
そういったものをもう一つ私たちは身につけとかないといけない。
日本人としてのそういうものの考え方世界の捉え方表現の仕方とここにあって
もう一つこっちにそれはもう世界で通用しないから
もう一つ世界グローバルに通用するもう一つのスタンダードを持つ
この2つをスイッチングしながら
これは渡辺雅子さんという人が言ってるんだけど
多言思考という彼女は言い方をするけど
多言的な思考のあり方表現の仕方っていうのを持って
世界に出ていく
当時の検討士のようにそういう人間がこれから
そっちの世代が中心になると思うんですが
今そんなに多くないと思うんですよ
これが非常に私は実はアジア系の仕事をずっとしてきたもんですから
アジアの若い人たちとはちょっと接点があるんですね
で彼らはすごいですよ
もうグローバル英語はもちろんのことを他の中国語も含めて
そういう言語表現だけじゃなくて思考のあり方
つまりビジネスの場合はやっぱりアメリカンスタンダードですよね
アメリカンスタンダードのビジネスっていうのをきっとやるし
他の文化的なものだといろんなものを取り込んでくるし
そういうようなことを多言的なやり方をして文化と国力を伸ばしています
勢いがすごいです
それに対して日本人というのは今の日本人というのは
もうそういうのが全然感じられないと私は見てるんですね
日本は居心地がいいから
すごく居心地がいいから
何も困らないんですよ
生活する
綺麗ってよく言われるのは
日本は綺麗って言われるじゃないですか
タイが好きでタイにちょくちょく行くんですけど
確かにタイは汚いんですよ
汚いって言ってももちろん程度はありますけど
確かにタイの人から見たら日本ってめっちゃ綺麗だなと思います
そういうのはあって確かに
日本の中だけにいると
自分らがどう見られてるかっていうのが全く分からないんですよね
いい点も悪い点も
綺麗はいい点ですけど悪い点もやっぱり
よく分からない不分立的な文化が日本はあるので
そこに対応
日本人は察するのが上手いらしいので
それは問題ないですけど
外から見たときに
違和感を感じるのがあると思う
そういうところでさっきの話のところ
多言的な部分がめちゃくちゃ欠点だった
すごく思いますね
まあ私たちの先達が作ってくれたので
住みよい国ですよね
すごくこう
別にそんな危険な国でもないしね
何の心配もなく
危険なエリアとかがほぼない
ただこれは続かないですね
このままでいくとこれは持たないでしょ
どっかのどっかのところで破綻をすると思います
破綻をしてから気づいても遅いですね
だから破綻をする前に私たちが
そこに向けて多言的な思考を持つためには
英語が必要不可欠じゃないですかね
そうですね
それは思います
ちょっと横道ですけど
Google翻訳でいいっていう
多分一定数いると思うんですよね
かつ僕自身それでもいい
それは一概にいやそんなことはないよと思わないんですけど
やっぱ根幹の思想哲学っていうのは違うんですね
Google翻訳っていうのは
単に英語を日本語にしました
もしくは日本語を英語にしましたってやってるだけで
別に考え方が
そのGoogle翻訳を使っての考え方が
何か変わってるわけじゃないんですよ
考え方を獲得するのはやっぱ本人が
英語ってどんなふうに
英語話者はどんなふうに感じてるのだろうか
っていう部分を知らないと
何にもならないんですよね
そこはすごく思います
だからこれはもちろん僕の意見なんですけど
Google翻訳とかでいいや
生成内容を使えばいいやっていう人がいるのは事実であって
それはありだよねと思うんですけど
それに加えて言いたいのは
それは思想哲学の部分とは全然違いますよ
っていうのはすごく強調したいなって思います
これもちょっとコマーシャルというか宣伝していいですかね
今の問題意識っていうのを
私は翻訳者になりたての頃に感じたんですね
言葉をそのまま別の言葉に切り替える
トランスレーションする
そういうことを言われるわけですよね
英語を日本語にするとか日本語を英語にするとか
それって違うんじゃないかって
そっちは3の頃から思ってたんですよ
直訳がありますよね
直訳があったり
あるいはそれに色付けた英語の訳みたいなのがあったり
あるいは和文訳みたいなのがあったり
それって技術としてはわかるんですよ
技術ですね
A言語からB言語にB言語からA言語にっていう
それは技術としてわかるんだけど
そこには心はあるのかいと
その下にはそれを伝えたいっていう人の思いがありますよね
人の考えがある人の思想がある
こういうのは全部そのものの捉え方とか認識のあり方とか
思考の組み立て方っていうものに支えられている
その支えられたことが表現として出てきている
でこれ出てきた表現だけ見て
要するに氷山で言うと
氷山は80%以上が海の下に沈んでますから
その海のところに出てきた
本の数パーセントの十数パーセントのとこだけ見て
これはこうだあれはああだ
というふうに言ってるに過ぎないんじゃないかと
だから翻訳者っていうのはそうじゃなくて
この沈んでる部分ですよね
沈んでる部分を全部取り入れて
で心の部分から翻訳していかないといけないんじゃないか
っていう大それたことですね
ちょうど調査者さんの頃に考えていて
それで大それてますから私は
じゃあ俺がその理論を作ってやると
ということで作ったのが
心と言葉モデルっていうモデルです
40年かかりましたけど
なんとか形になっててできてですね
でそれとその今のグール翻訳的なの
生成AI的翻訳ですよね
生成AI的翻訳と何が違うかって言ったら
表面上変わんないんですよ
生成AIとあんまり変わんないですよ
生成AIってその経営のレベルのデータベースを持ってて
そこから一番最適なものを出すっていう
ディプランニングしたら出してくるってものですから
出てきたものそんな変わんないですね
でもよく読むとね
やっぱり増加なんですよね
あくまで増加なんですよ
そこに生命はないんですよ
増加で済む翻訳でいいんだったらそれでもいいんですよ
でも増加で済む翻訳は世の中にバッコするとね
世の中悪くなりますよ
思いますね
それは便利ですよ
安いですよ
使い勝手がいいですよ
だから増加なんですよ
そういったものばっかりだとね
コマーシャル的なニーズに合ってるのはよくわかる
でもそっちはさんがやろうとしてるのは本当の翻訳だよね
人間の心を乗せた
そういったものがね
駆逐されちゃうとねおそらく日本文化はダメになるね
日本語がダメになっていくと思う
僕が思うに
ユーザーというか受け手の問題
意識の問題もあると思います
もともと市場に流通する文章が当然当たり前なんですけど
かつては人間が書いたものが100%だったわけですけど
今誰が機械が書いたのか人間が書いたのかよくわかんない文章が
相対的に目に入りやすくなってる分
受け手がこれでもいいやって妥協しちゃうと
リテラシー的な話でこれでもいいやっていう方向に流れて
全体的に良いものを良いと感じる力が
だんだんしょぼくなってくるのではなって僕は妄想してます
まさにその通りですね
まさにその通りだと思います
一番恐れるところですね
一番恐れるところですよね
反受性を失っていくっていうところが
今日本人が日本語とか英語に対して
考えなきゃいけないところなんじゃないかと思いますね
だから増加って言葉を使ったんですが
増加と本物のバラの違いが見えなくなるということなんでしょうね
あるいは感じられなくなる
見えたとしても見えたとしても
全体の違いに対して特に感情が想起されないというか
違いはわかるけどどうでもいい違いだと思っちゃう
遠くから見たら同じじゃんっていう
そういうのもあると思います
ちょうど生成AIが本格的に来たのは5年ぐらいだと思うんですよ
私はチャットGPTもそうだけどジェミニが大きいと思うんだけど
そこら辺が出てきて
これから加速というときにそういうのが増えてくるでしょうね
そういう世の中に溢れる言葉が
人間の心経由じゃないものがいっぱい出てくる
のが増えてくると思いますね
パンドラの箱的な感じですね私は今
つまりパンドラの箱っていうのは
パンドラの箱を開けたらあらゆる悪がわーっと最初に出てきて
世界が悪で埋まるんですよね
災いとか悲しみとか苦しみで
最後の最後に一つキラッと希望が出てくると
そういうお話だと思うんですね
あれ最後に希望出てこなかったら本当に希望のない話なんですけど
私たち翻訳者
私はいつも大きな話しかしないんだけど
私たち翻訳者は最後の希望になれるんじゃないかな
少数派中の少数派だと思う
周りの人間はそういった感性を失って
どんどん失っていく過程に入っていくと思う
でも私たちみたいな人間がかろうじて残って
天然起伝物的に残って
そして周りの人間にはあまり評価されないかもしれないけど
長い長い人類の歴史これ大きな話になるな
人類の歴史としてまあでも今
ハラリが言うように人類の歴史の転換点ですからね
それの中で私たちが一つのそういう希望になれる
ようなポジションにあるんじゃないかな
大きな目で見るとね
目の前の近視眼的に言うと仕事がどんどん無くなってるから
なかなかそんな大きな話ばかり言ってられないんだけどね
なんかそれはすごく思いますね
少数派なんだろうなっていうのは
さらに少数派になっていく気がしますね
だからこそ少数派だからこそ共感できる人が
いるっていうのはすごく嬉しいこと
そうですね
なんだかんだ言って1億人以上いますからね
たくさんの人が本を読んでますし
急に総特化されるわけじゃありませんから
3年や5年で全てがひっくり返るってことはないと思うんですよ
みんなが漢字性を失ってロボットみたいになっちゃうと
区別がつかないってことはないと思うんですね
徐々に衰退
それは英語を見ててもそうですよね
今英語ひどくなってますよね
本当に記号的にどんどん記号的になってますよね
だからその中でもやっぱり残っていくと思うんですよ
それは私たちがやっぱり主導して残していく
ということだと思いますね
ただそれ大変だと思いますね
正直なところつまり
そっちはさんは今翻訳業界に入って何年くらい?
6年くらい
私もう45年くらいやってるじゃないですか
私最初にやった原稿の翻訳の仕事って原稿師だったからね
原稿師に全面的な
それを郵送してました
キャットツールで
キャットツールもブラウザ完結で
こっちでインストールする必要性がなくなった
自前でメモキーを使ってたんですけど
今は向こうがブラウザ完結で用意してくれるツールが
増えてきたかなって
何が何なんでしょうね
当時40年前
これも皆さん知らないだろうから一応紹介しておくと
本当にゆっくりした流れだったんですよ
翻訳の締め切りなんて言っても1ヶ月後とかね
ひどい時は2ヶ月後3ヶ月後とか
そんなんでした
ゆっくりゆっくり時は動いてて仕事は動いてて
その中でやってたって覚えがあります
それがだんだんスピードアップしてきたり
いろんなシステム化されてきたり
オンラインに入ってきてということになるんですね
その度にビジネス環境は大きく変化しましたね
すごく大きく変化した皆さんちょっと感じる
考えられないかもしれないけど
私と同期の人間で
書院っていう日本語タイプライターが来たんですよ
あれ私が28ぐらいの時だったと思う
それまで手書きですから
日本語タイプライターですよね
今は普通のタイプですけど
来たということで
俺はもう翻訳はやめるって言って
辞めていったやつがすごく多いです
どういうことですか
つまりタイプで打つような
言葉は言葉じゃないっていうんですよ
言葉というのはペンで書くものだっていう
そんな人たちがいたんですよ
その後オンラインに来たでしょ
オンラインにつながりましたよね
最初は音声で電話にカプラーティスクかぶせたんですけど
そんなのやったらそこでもやめたやつがいました
そんなオンラインでやるような仕事はダメだときって
そんな風な形で技術の進歩とともに
本当にいろいろ動いてきたんですよ
翻訳業務
値段にしてもいろいろ動きましたし
ですからこの40数年の流れから見ると
今起こっている革命的な動きっていうのも
極端なものではないかもしれない
大きな流れの中の部分を見せられて
僕自身まだ50年も引けないので分かりませんが
多分僕が生まれる以前から流れがあって
その中で僕が今までいるところの
オンライン化が成熟したり
なおかつ機械翻訳をうまくやっていくっていう
そういう転換点を僕が今見せられているっていうのがあって
そうですね
そういう長い歴史の流れの中の一場面を
おそらく今目の前に突きつけられているという感じだと思いますね
だからこれで全てが終わるとかそういう話ではない
ずっと流れるから
違う形になっておそらく
その中で
変な言い方だけどしぶとく生き残っていくっていうかな
それが一番大事なところかなという風に個人的には思ってますね
僕も新しいものに乗り換えるというより
しぶとく自分が考える価値を
価値や哲学を公開し続けたいという思いがあるので
さっきも言ったんですけど
Google翻訳やSSAIのツールで便利になっていくところで
認めつつ
自分が考える価値っていうのをちゃんと守っていきたい
これは希望的観測でもあるんだけど
今はまだ新しいじゃないですか
まるで人間のようにSSAIが書いてくれる
そういうことですよね
考えてみると歴史的に見ると
カメラが出てきた時とか
陶器が出てきた時に近いような気がするんですよね
カメラが出てきた瞬間に実は
画家はみんな廃業するはずだったんですよね
なんか言ったことあります
陶器が出てきたら弁士はいなくなっちゃうわけですけど
そういう形と実は大きな目で見るとそんなに変わらなくて
いくらカメラで精明に撮れるようになったからといって
画家はいなくならないですよね
今から40年くらい前かな
電子音楽が出てきた時にこれも同じこと言われて
もうプレイヤーはいらなくなるんだと
全部電子で作れるんだと
そういう形になったけど
じゃあ今ギター弾くやつはいないのかって
ちゃんといるし
ピアノもピアニストもいるし
いるわけで
そこに行くそれはつまりやっぱり作れないんですね
やっぱり人間のやるものは作れないんだって分かるまでに
10年から20年くらいかかるんじゃないかな
だいたいされていらなくなるという声が出てきてから
やっぱりそんなことはなかった
そこに至るまでのスパンが10年から20年くらいかな
ぐらいかなという歴史的なあれを見てるんですよ
今ちょうどコンピュータ音楽が出てきて
本格的に出てきてから5年ぐらいだと思うんですね
昔からありましたけど
本格的に出てきてから5年ぐらい
ということはあと5年から10年ぐらいこんな状況が続いて
だんだんみんなあれ?
コンピュータに全部そういう翻訳とか
ものを書かせるの任せちゃったら
なんかみんな一緒だよなとかね
新しいもん全然出てこないなとかね
ツルツルの文章ばっかりだなと
だから僕結構ノートとかでも言ってる
過去に書いたことがあるんですけど
似たようなものが大量に湧いてくると
元々のものが逆に価値を帯びるようになる
珍しがられる動きが過去にあったはずなんですよ
例えば今で言うと昭和レトロみたいな
若い人が昭和の
昭和のって言っても例えば
カセットプレイヤーとかが増えてきたらしいんですよね
ウォークマンのカセットとか
ウォークマンは今は生産されてないと思うんですけど
ラジカセとかを
メーカーもそういう需要を受けて
メーカーも新しくラジカセを作ったりしてるらしいんですよ
レコードプレイヤーとか
そういうのに似てるなって僕は結構思うんですよね
そうですね
窮地に立たされてる方が逆に注目されちゃうっていうのも
あると思うんですよね
この10年20年のスパンで
それが長いスパンで見るとね
人間文章って良かったねっていう
レトロアクティブというか
元に戻るという動きがあると思う
どこに行くかそれは読めないけれども
例えば翻訳という一つの世界があるとするじゃないですか
これまでこれ比喩的な話
全然打ち合わせ違うこと言ってますけどいいんですかね
大丈夫です脱線前提なんで
そうですか
つまり絵画というか私は比較をしてて
初心技術がない間は絵画って唯一
現実を絵にできる技術だったんですよね
現実を写して風景にしても人物にしても何にしても
それらしきものを
記録として
なんか証拠資料とか
次世代に
それが
カメラが来た時にそれがひっくり返っちゃうわけですよ
でその時に絵画は何が起こったかって言ったら
絵にすることの本質を変えたんでしょ
絵にすることはつまり本物そっくりに書くことに価値がなくなったから
そうじゃない価値を求めたんだよね
今の現代絵画はあれだけど
抽象的なものであったり
ゴッホみたいに人間の精神を描くとか
あるいはセザンヌみたいに抽象的にするとか
ゴーギャンみたいに歴史に戻るとか
いろんな動きがありますよね
キュービーズもそうだしいろんな動きがある
翻訳も一時は
英語を映すという感覚じゃなかったですかね
日本語を映すという
模写するという感覚が
そうですね
よく言われるのは余計な情報を加えないかつ
言っていることをそがない
必要十分な表現をして
情報を模写ですね
英語から見た景色でも日本語から見た景色でも
全く同じ景色を見えるようにする
それってカメラが来る前の絵画じゃないかなと
私は思うんですよ
カメラが来たんですよ
翻訳業界に
という歴史的背景にあるのかなと
みんなアタフタしていると
ということはこれまでの常識に
あんまり縛られすぎるのは良くないんじゃないかなというのが私の意見です
つまり新しい価値を生み出していかないといけないから
その時にいろんな方法があると思うんですね
模写じゃない何かっていろんな方法があると思うんだけど
そこで新しい価値を
これもそちらさんとよく価値っていうのは一つのキーワード
持ってるんだけど
新しい価値を生み出す
っていうのが私の持論なんですよ
翻訳は映すんではない
翻訳は原点があって
その原点から新しい価値を生み出す作業である
切り替えたんですね
つまり統治性
エクイヴァレンスって言葉が翻訳の世界にはあって
エクイヴァレントである
透過的であるって彼らはそれを訳されてるけど
要するに映してるってことじゃないですか
そうじゃない
創造的な新しい価値っていうのを翻訳が出し始める
それは例えば
ゴッホの絵かもしれないし
あるいはパブロ・ペカソンの絵かもしれないし
モンドリアンかもしれないけど
そういったものを出してくるっていうような
ポジションに今
翻訳者がいるとすると
面白くないですかね
面白い
ただゴッホは生きてる間1枚も絵が売れなかったけどね
ポジティブに考えると
面白いことができそうな状況にある
言えるかもしれないですね
まだわからないからこそ