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2025-04-09 37:19

023 ギターで平和細胞の巻

2 Comments

ギターアーティストの渡邉塊(わたなべかい)さんが、ドホークにいらっしゃいました!ドホーク大学で図書館でのギターと朗読イベントなどを企画します。

今回のトットチャンネルでは、なんと本編の冒頭で、カイさんの自己紹介演奏が聞けますよ。ぜひきいてみてください。

カイさんとPCPのもちもちアイドルのサンラータンとのコラボYoutubeはこちら。チャンネル登録もよろしくね!


 


 

Summary

このエピソードでは、音楽療法士の渡辺階さんがギター演奏と音楽療法の経験を語っています。ニューヨークでの学びや音楽療法の重要性について深く掘り下げています。また、渡辺さんはニューヨークでの経験から始まり、ビパサナ瞑想や教育活動に焦点をあてています。特に、ドホーク大学の図書館を活用した創造的なイベントや、音楽を通じた平和の推進について述べています。さらに、音楽と教育の結びつきや平和構築に向けたコミュニケーションワークショップについても語られています。実際の授業参加を通じた経験が焦点となり、演劇を用いたアプローチが強調されています。

POPC CHANNELの紹介
PCP TOTTO CHANNELをいつ、どこでやるかの話をしていましたね。
誰がやりますか?
カエディーヤです。
毎度どうも、TAKATOです。
KOUHEIです。
カイと言います。
あら、お客さんが来ました。
えっと、一週間経つか、ただ中ぐらいですか?
一週間ぐらい前にいらっしゃいましたね。
かいさん、アーティスト。
アーティストです。
おめでとうございます。
ギター弾く人です。
知ってます。
知ってます。
TOTTOは、さんちゃんと毎日ギターを弾いて、YouTubeにアップしているのをこっそり見ていましたよ。
音楽療法の経験
ジェラシーですか?
TOTTOちゃんにはまだ弾けていなくて、申し訳ないですが、今日ギター持ってきたんで。
じゃあ、後でギター持ってきます。
何だっけ?
今日はね、昼間日差しがとっても暑くてね、バルコニー開きしました。
バルコニー?
現在、夕食会をしておりますが、バルコニーで。
若干寒くてですね、ストーブ2台焚いてます。
わざわざお外で寒いと言いながら、ストーブを2つもつけながら、そのストーブの上にお鍋が乗ってます。
もう今季最後のお鍋です。
何の鍋ですか?
水炊き!
日本風?
今日は、カイさんがどうしてここに来たかとか。
カイさんはいつも何をしてるとか。
そんなお話を聞くのをとっても楽しみにしてるんですけど。
ちょっとなんか、眠くなってきちゃったので、
話をしてくださいね。
あきこ連れてきて
あきこ連れてくるね (塊さんのギター演奏はここから再生してください!)
ありがとうございます
綺麗な音本当に
ギターも
ちょっと小さい感じの
昔の
19世紀の
お邪魔します
どうぞ
ではあきこも
来ております
トットチャンネル始まって以来の
伝説の回ですね
今の素晴らしい演奏で
始まりましたが
さっきのオープニングと
1週間前から
おいでいただいている渡邉塊さんです
よろしくお願いします
お邪魔しています
ようこそ
では自己紹介を
していただいてもよろしいでしょうか
渡邉塊と申します
自己紹介が
言葉での自己紹介が
難しいんですが
おっしゃる通りで
いつも自己紹介にはギターを
弾いています
何ですかね
言葉で
いろいろ喋るのも大事だ
私は思っていますが
言葉を尽くすのも
一生懸命やるんですが
それ以上に
弾いてきたことで
自己紹介ができればなと思って
新しい土地に行って
新しい方々に出会うときは
自己紹介をさせていただいています
早速この1週間の間に
塊さんのyoutubeには
何本も
上がっていますよね
我がアイドル
我らがアイドル
さんらーたんがyoutubeデビューを果たし
塊さんと
ユニット
いい感じで
まさに
言葉じゃないところで
通じる
すごい興味津々で
来ていた
さんらーたん毎日
登場していますよね
いいんですが
そこが
音楽が
心を傷ついた人とか
心に届く
音楽療法
音楽療法っていうのを
音楽療法って言えばいいのかな
そういうことを
専門で勉強なさったという風に
伺いました
ニューヨークの
音楽学院に
行ってらっしゃって
その前にも
日本で音楽療法に出会ってらっしゃるんですよね
高校生の時に
福祉の
通所の施設で
働いていた父がいまして
その父が
一緒にチームで
組んでいた音楽療法士の方を
自分に
高校生の時に紹介してくれて
音楽療法の
セッションビデオをその時に
初めて私は見させていただいたんですが
それですごいと思って
結構高校生の時
いろいろ
ヤンチャというか
好き勝手してた
そうですね
その時に
一つ目標が
できたなというのが
音楽療法だったんです
音楽療法士を
目指して
ギターを弾き続けよう
という風に
音楽療法士との出会い
思ったのが
高校生の時で
もうすでにその時のギターは
やってたんですか?
私はずっと10歳の頃から
クラシックギターをずっと弾いて
近所に
ギター教室があって
たまたまそこがクラシックギターだった
というだけで
本当は私は
ジャカジャカをやりたかったと思うんですが
教室に行ったら
指で弾く
クラシックギターの教室で
今と思えば
それがよかったです
10歳からずっとクラシックギターを
弾いて
高校生の時に
音楽療法という風にやって
それを志すと
そこから
アメリカでも色々な
経験をされているんです
大学は
クラシックギター科
というところに入ったんですが
それも
出会った音楽療法士の先生の
アドバイスで
音楽療法に中途半端な人はいりませんから
もし本当に音楽療法を
目指すんだったら
まずは自分の楽器をプロフェッショナルにして
それから
音楽療法に行くんだったら考えてみたら
というアドバイスを受けて
クラシックギターを本格的に学べるところを
音楽療法を
自分の将来を学ぶことを
視野に入れて探しました
ニューヨークの
音楽学院に行っている時に
科目として
音楽療法はあったんですか
私が行ったのは
ミュージックユニバーシティの
コンサーバトリーなどで
ジャズ科とクラシック科がある
音楽科を
専門に育てるような
学校だったんですが
その中に
音楽療法学科はなくて
ニューヨーク大学って
NYUというのがありまして
そこに音楽療法学科があって
学部を終えたら
NYUでマスターで
音楽療法を学ぼうと最初は思って
行きました
結局
マスターに音楽療法に行かず
ニューヨークを出ることになるんですが
なんか
アメリカにいる間に
結構
高齢者の方々
音楽療法の
ノードフロビンズ音楽療法
というノードフさんと
ロビンズさんが始められた
音楽療法の
音楽療法士の方に
日本で出会って
そのノードフロビンズ音楽療法の
いろんな音楽療法がある中で
ノードフロビンズというのが
すごい即興を用いた
臨床を行う
音楽療法で
それに自分は
インスピレーションを受けて
ノードフロビンズを
学びたいと思って
NYUで
ノードフロビンズが
教えられていたので
当時そのノードフさんは
なかなか
当時そのノードフさんは
亡くなられていて
ノードフさんというのが
ジュリアードのピアミストだったんですが
クライブロビンズさん
という方が
もとはシュタイナーの教育の
スペシャルエデュケーションの先生で
そのクライブ先生がまだ
ご存命でNYUで
教鞭をとっていらっしゃったんですね
その奥様が
カオルさんというんですが
日本人の方で
音楽療法士の方で
そのカオルさんに
カオルさんと
クライブ先生に
NYにいる間
NYに行く前
知り合って
すごいよくしていただいて
そのカオルさんと一緒に
音楽療法のライセンスを持ってないので
音楽療法士としてというよりかは
ミュージシャンとして
カオルさんのやる音楽療法士の
セッションに一緒に
混じって
副セラビストという形で
一緒にやらせていただいたというのが
大学の在学中ですね
結構
たくさんセッションで
参加されたんですか
大学の1年生に
入る前
NYは6年いたんですが
NYの学部の始まる
1年
始まる前の1年間
始まってから
そうですね1,2年
ぐらいですかね
当時はNYで
クライブ先生が
教鞭を取られているところの
フィルムセッションというのがありまして
そのフィルムのボランティアとか
やらせていただいたり
すごい興味深い
実践経験も積まれて
その後ニューヨークから
帰られて
途中クライブ先生が
私が
卒業して
OPTで1年間の
滞在有余期間をもらえる時に
その時にクライブ先生が
亡くなられたんですね
そのタイミングで
私も
いろいろ
考えて
このまま
マスターに行くというのをやめて
音楽以外のところで
ニューヨークでの経験
いろいろ
もうちょっと
仕事というか
人を見たい
音楽のこと以外で
できることはないか
って言って
歩き始めたのが
大学卒業して
OPTの期間
キャバクラの店員から始めたんです
ニューヨークで
ニューヨークの
キャバクラあるんだ
ニューヨークで
伝えだけである
法人の社交場がありまして
そこで1年間
修行させていただいて
ニューヨークで1年間
いろんな仕事をしていた
ニューヨークで1年間は
キャバクラだけで
夜の飲み屋
ほう
ほうほう
そして
その1年間で貯めたお金で
インドに行きました
それでビパサナになるわけですか
ビパサナは
知ったのは大学中ですが
ビパサナに
私がビパサナ文脈で
座りだしたのは2016年ですね
それはニューヨーク
それは
日本で座りました
京都ですか
日本で初めて座ったのは千葉です
今話しているのは
ビパサナ瞑想という
瞑想の話です
全然言葉を
話さないでしょ
ビパサナ瞑想というのが
ありましてね
瞑想にもたくさんの
方法があるんですけど
ゴータワシッタルタが
悟りを開いた時の
瞑想なんです
私が
ビパサナに出会ったというか
イラクに行く前は
インドにいたから
独自に瞑想は
やってたんだけど
イラクに行かないか悩んでいる時に
ビパサナ瞑想に出会ったんです
一番最初にコース座ったのが
2003年の時
それこそダラムシャランの時
それがきっかけで
でもすごい私も
ビパサナをやってたから
生きてるみたいなところは
あって
やってなかったら
生きてなかったかもしれないな
みたいな感じもあって
なかなか辛い瞑想も
これまでに何回も
コース出てきて
一回はね
歯から血出たんですよ
なかなか辛い時もありましたし
一番最初の時はすごい良かったけど
同じ瞑想はないから
面談の時に
ビパサナやってるって
教育活動の発展
おっしゃってたから
そういう瞑想です
面談の時に
急反対が出たので
カイさんが
FGを何らかの形で知って
コンタクトをしてくださったんだと思うんですけど
それはどういうきっかけで
どこで知ったんですか
潤声ではあるんですが
私が
ちょうど
インドから
帰ってきて
沖縄の砕島っていう離島で
2年間
いたんですが
その2年間終わった
直後に
中東のカッパドキアという
トルコに行くことになって
それで中東のことを色々
調べてた時があって
その時に現在の
今回私が見たPCPのホームページ
ではないところで
ナオコさんが多分
絵本を送られてたという
活動のことの
ホームページだったのかな
何年くらいですか
2014年
とか14、5
そこら辺だと思うんですけど
2014年
その時私はPCP全然ないんですよね
2014年
フリーランスでやってるというね
活動を知ったと
おそらくその時に
連絡を取ろうと
したはずなんですよね
でもそのフォームとかが
覚えてるのは
今回プロボの活動の
募集というか
プロボの
での共同
一緒にやるっていうところでの
フォームをPCPのところで
見つけて
それがその時はなかった
ISが台頭する
した頃だったのよ
2014年の11月まで
12月くらいまで
ファルジャラマディで
医療ミッションとかやってたんですよね
年明け春にはまた
ドクターと一緒に
医療ミッションで来ますね
言ってたらそのもう1ヶ月もしないうちに
ISに選挙されて
全然ぐちゃぐちゃになっていくんですよね
それ2014年
あの時も
緊急支援とかでめちゃめちゃ忙しくて
もう医療ミッションもできなくなって
いろいろあったよね
ヤジディ京都の虐殺もそうだし
クリスチャンの
2014ってのは一つの
大きい年だよね
イラクの
10年経ってようやく復興に
本格化できるっていう
やっと
本格的に復興に入れる
と思ってたところでいきなり
地獄の底にまた地獄があった
キャンプが全部できた
ドクモンクが
緊急支援の拠点になった年
2014年
その頃にカッパドキアに
カッパドキアに
ちょっとお話ししましたけど
カッパドキアも
1年契約で
気球会社で働いて
結局その間にISが
活発になってきて
観光どころじゃない
気球会社の方も
お客さんが呼べない
ってことで
韓国人労働者を
ちょっとごめんだけどって言って
途中で契約を切って
絵本っていう
キーワードが私の中に
残ったんですよね
絵本の活動っていうのが
18年でしょ
それ18年
2018年以降ですね
ちょっと話が前後するんですが
中学生の時に
大事なことなんで
カンボジアに
国境なき医師団のプロジェクトで
派遣されて
国境なき子どもレポーター
というのでカンボジアに行ったんですが
私にとって
人道支援っていうのはそこから
すごい興味が湧いた時
なんですね
自分にとってもカルチャーショックだった
っていうのもありますし
自分の生活が
なんというか
本当にこういう生活が
ちゃんとあるっていうのを
まざまざと見れたのが
その時の体験だったので
本当に今回は
PCPの
最新されたホームページを見て
プロポの活動っていうのも
私そんなに詳しくなかったので
自分で調べて
自分のやってきたことで
一緒に
共闘できるっていうのと
あとピースセルプロジェクトっていう
名前がいいですよ
細胞で
私も今までやってきたことに
すごいしっくりきましたし
ありがとうございます
いよいよですよ
いよいよ
いらっしゃった時がちょうど
ラマダンの最後の最後の方で
来てすぐに
イード祭に入って
歩いてらっしゃって
私の身にとってはすごいありがたい
1週間でした
調査期間
夜はカフェを巡り
ブラブラさせていただいて
公園でもギター弾いてたらしい
いいよね
今回の
目的は
ドホーク大学の
ドクタールクマン
副学長から
大学の図書館が
本当に利用が
すごく少なくて
ルクマン先生が
学生たちにもっと
来てほしいと
PCPなんとかしてくれ
と最初は言われてたんですよ
イベントみたいなのやってみたいね
とは言ってた
そこに
詩の朗読会とかいいじゃんと言ってるところに
渡邉塊さんが来たんですよ
おお
これはじゃあギターと
コラボでどうだみたいな話になり
いよいよ来週から
打ち合わせをして
やっぱちょっと
日本の大学の図書館と雰囲気が
違うんですよ
ちょっとなんだろうなって感じがするかもしれないです
蔵書も
やっぱ日本の
に比べたら少ないって思っちゃいますね
前に言ったよね
クルドセクション
アラビア語セクション英語セクション
クルドがほんと少なくて
建物だけやけに立派なんだけど
本も少ないし人は全然使ってないし
みたいな
まさに活性化しなきゃなっていう感じを
建物だけは立派みたいな
気楽に行ってリラックスできる場
っていう風じゃないんだよね
それをもうちょっと
みんなが訪問できるような
場にしようっていう
入口が
結構大きいんですけど
そこは結構すごく大きいスペースになってるんですね
音楽と平和の推進
なのでそこでちょっと
いろいろなんか
できないかなと思ってるんですよ
イベントをね
先ほど聞いていただいたようにさ
カイさんのギターと
合うもの
なんか想像してたの
クルドのね
例えば詩人の詩を読むとか
あるいは自作の詩を読むとか
あるいは隣読するとか
そういったところで
ああいう音楽とかが
音楽と教育の統合
入るといいなとか
なんか本を読む
ということとすごく
合う音楽だなと思っていて
こちらの人のイメージだと
もしかしたら音楽って結婚式とかで
踊るとか
音楽ばっかり聴いてるから
図書館で音楽って
なるような気がするんだよね
そもそもクラシック音楽もあんまり
知らないじゃない
一般的なピアノとかも
だからちょっと聞いてもらうと
ああ図書館の活性化に
こういう音楽かということがわかるかもね
先生たちもね
これもまた
ニューですよね
とても新しいことなんですよ
虫を朗読するという文化はあるから
そうなのそうなの
虫の朗読と合わせてというのは
すごいかもしれないね
約1ヶ月くらい滞在されるんですけど
最後の方にね
1つこうイベントをオーガナイズして
それに向けてやっていくんですけど
その合間にも
いろんなところでね
ゲリラ的という言葉が合わないな
なんて言ったらいいか
確かにこの用語はあれですね
なんて読むんですか
土地を回ってきてですね
山ですとか森とか
でさっと引く
という
なんていうか
それが何なのかというのは
私もわからないんですが
でもその土地と一緒にいる
ということだと思うんですね
さっと引く
キノコ的みたいな
キノコ的かもしれない
ゲリラよりはね
粘菌類
いろんな生徒の話を聞きたいです
モチベーションですとか
今どういう
気持ちで大学に通って
これからこの
土北で暮らしていこうとされているのか
とかそういう話を
まず
いろんな先生と会って
もしかしたら
じゃあちょっと
うちの教室に来てくれみたいな
演劇学科とか
ファインアートのところとかね
演劇系はいいかもしれないね
音楽やってる学科もあるので
ファインアートの
種をまいてきます
そうですね
細胞分裂を
フォーク大学はPCPにとっては今
大切なパートナーの一つ
そうなんですよね
そもそもその話が来たっていうのが
コミュニケーションワークショップを
今2年目
3年目だよ
やってきてその先生でしょ
そうで私来週から
あのドホーク大学の
先生お二人を連れして
日本に行ってまいります
よろしくお願いします
はい
2週間くらいちょっといろいろ
日本に行って
大学とか学校
いろいろ回ってきたいと思います
スタディーツアー
スタディーツアーっていうか
本当に2年間
花崎セツさんとか大谷健次郎さんとか
来ていただいて
リサーチ兼ねてやってきたじゃないですか
演劇を使って
その目的は何かっていうと
紛争を予防するため
っていうのが
大きな大きな目的なんですけど
その紛争を予防するための
コミュニケーションワークショップを
人権学科の
カリキュラムの中に
思いっきり
入れてしまうっていう
理論上の
理論はかなりやってます
人権に関して
紛争に関して平和構築に関して
コミュニケーションワークショップの実施
紛争解決に関して
皆さん座学はすごくやってるんですけど
実践が
ないので
実践を取り入れるっていうのを
ドホーク大学とPCPで
やってるんですね
今年いよいよ
先生方をお連れして
何を見に行くかっていうと実際の
プラクティカルなクラスを
見たり
それから
実際に大学で授業に参加したり
それから結構
回ります
PCPの
大変心強い
大きなサポーターですけど
平田織座さんが学長を
勤める専門職大学に
まず行って
その後
日大芸術学部で
教えてらっしゃる花崎セツさんの
授業
東宝学園短大の
演劇科で教えてる大谷さんの
授業とか
同じく演劇チームで
俳優の綾田さんが
毎週行ってる
横浜の成功学園中学校
そこの授業見たり
PCPができるきっかけとなった
福島県の双葉未来
ここの高校で
演劇を使った授業
を見ます
かな子先生の
本当に
かな子先生も大谷さんも花崎さんも
綾田さんも全員一度は
東北来てるんですね
東北大学で
皆さんやって
いただいてるんです
今回は日本で
先生たちのやってる授業を
見ると
総結集っていう
帰ってきたら
カリキュラムをガーッと作る
そういう計画です
なんかどっかで
重なっていきそうな感じも
しますけどね
音楽両方ですからね
やっぱり演劇を使う
っていうのも言葉で話し合う
ことができ
そもそも限界があるというか
話し合う気にもならないということ
ゆえの演劇っていうこと
だったじゃないですか
本当に向き合うことが
ものすごく困難で
ほぼほぼ不可能
な状況の中で
そうですよね
一緒にできるかもしれないですよね
空気を作るというか
空気を震わしていく
というか
エンパシーって難しいからさ
あと本当に
新ジャールの
ワークショップに来てくれた
若者たちに
この音楽を聴いてほしい
響くものが違う
本当に紛争の
まさに被害者になった人たちは
ワークショップに出ても
味わい方の深みが違うんですよね
やっぱり
この人たちは本当に大変な経験をしてきたんだ
それを掴んで
他の人に伝えようという意欲も
本当に全然違った
たぶん
いらっしゃる間に
国内避難民のキャンプとか
市連難民のキャンプとか
行くと思うんで
その時にも
具体的にどういうことをやるか
はい
では
ということで
よろしくお願いいたします
よろしくお願いいたします
ありがとうございました
いい波動が
そっちまで飛んでってたんだ
よかった
ありがとうございました
かいさん
ありがとうございました
ありがとうトットちゃん
ぜひトットちゃんの側でも
音出させてください
音楽はインプロって言うんでしょ
知ってます?
作るんでしょ
インプロ
音がないところで
音を出してみるっていうやつですかね
トットがお近くにいたら
どんな音楽ができるか
トットのテーマ曲ができると
言ってます
そうだね
インシャラだね
インシャラ
ずるいと思うんですよね
そうですか
毎日YouTubeで見て
今日はさんちゃんおねんねしてる
今日はさんちゃん
おねんねしながら聞いてる
見てるね
見てくれてありがとう
毎日見てます
また
楽しみにしてくださいね
37:19

Comments

にゃー。コメントうれしいですにゃ。もりっしぃさんとトットがおともだちになったきっかけも、ふたばみらいだよね。トットおぼえてます。ふたばみらいありがとにゃ!

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