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こんにちは。えっと、今回もいただいた資料をもとに、ある有名な絵界について、ちょっと深く見ていきたいと思います。
はい、たぶん誰もが一度は見たことあるんじゃないかな。あのぐにゃーっと溶けてる時計の絵です。サルバドール・ダリの記憶の固執。
ああ、はいはい。1931年の、あのシュルレアリズムの代表作ですね。
そうですよね。今回の探究では、この象徴的な作品が持つ意味とか、描かれた背景、それから、なぜ今でもこんなに私たちを引きつけるのか、その確信に迫れたらなぁと、
きっとあなたにとっても、なるほどって思えるような発見があるんじゃないかと思います。それは楽しみですね。
では、さっそくこの、なんか不思議な世界を解き明かしていきましょうか。
ええ、ぜひ。
まず、基本的な情報からなんですけど、作者はサルバドール・ダリ。1931年製作。様式はシュルレアリズム。で、ちょっと意外だったのが、この絵、実物はかなり小さいんですよね。
あ、そうなんですよ、ええ。24センチ×33センチくらいで。
ですよね。モマで見たとき、え、こんな小さいんだって驚きました。
ええ、その小ささがなんていうか、かえって作品の持つ凝縮されたインパクトを強めているとも言えるかもしれませんね。
なるほど。
で、シュルレアリズムっていうのは、第一次世界大戦後のちょっと不安定な時代背景の中で、夢とか無意識の世界を探求して、現実の論理を超えた表現を目指した芸術運動ですね。
うん。
誰自身もフロイトの精神分析にかなり影響を受けていましたし。
ああ、資料にもありましたね。ダリはフロイトの影響で、自分の偏主教的批判的方法っていう手法で、無意識のイメージを直接キャンバスに描き出そうとしたと。
その通りです。
ええ。
単に夢を描くんじゃなくて、意図的に幻覚的なイメージを引き出すみたいな。
そうなんです。だからこの絵は、単なる空想画っていうのとはちょっと違うんですよね。ダリの内面にあるある種のリアルが、ものすごく精密なタッチで描かれている。
具体的に絵を見ていくと、背景にはダリの故郷、スペインのカダケスのゴツゴツした山々が見えますよね。
ええ、カダケスですね。静かな海と空が広がってて、これは現実とか永続性の象徴なのかなと。
で、その前景にあるのが木のレダとか、台みたいなものから垂れ下がっている、あの有名な柔らかい時計。
そうですね。資料にあったダリ自身の言葉だと、カマンベールチーズが太陽で溶けるのを見たっていう、あの逸話も面白いですけど。
ええ。それが直接のきっかけかはともかく、これが時間の柔軟性を示唆していると。
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時間の柔軟性、つまり私たちが普段意識している、あのカチカチする客観的な時間とは違う、もっと主観的で、記憶とか心理状態で伸びたり縮んだり、あるいは溶けてしまうような、そういう時間感覚ですね。
ああ、なるほど。確かにありますよね。そういうの。楽しい時間はすぐ過ぎるのに、なんか退屈な時間はやたら長く感じるとか。
そうそう。まさにそれです。ダリはその誰もが持っている感覚を視覚的に、しかも強烈に表現したわけです。
絵の中央には、ダリ自身の横顔とも言われる、なんか奇妙な生き物みたいな形のものがありますよね。
ええ、ありますね。その上にも時計がこう、だらーっと。
これもやっぱり、自己とか意識の、なんていうか儚さみたいなものを表しているんですかね。
そうかもしれませんね。あれは夢の中の自己像というか。
あともう一つ。地面に置かれた、こっちは硬そうな時計。これにはアリが集まってますよね。
これがまた対照的で、これは何を意味しているんでしょう。資料には腐敗とか死の暗示ってありましたけど。
アリはダリの作品には結構よく出てくるモチーフで、しばしば死とか腐敗、あと性的欲望なんかと結びつけられることが多いですね。
だから硬い、つまり客観的であろうとした時間も、結局は腐敗して死に向かう運命なんだということなのかもしれないし。
あるいは、この夢のような世界の中では、物理法則とか時間みたいな、そういう硬いもの自体がもう意味をなさなくなるっていう、そういう皮肉なのかもしれないですね。
なるほどな。すごくリアルな描写なのに、描かれている内容は全くの非現実。このギャップが本当まさに夢を見ているようななんか不思議な感覚を引き起こしますよね。
へえ。
色彩も空の青とかオレンジのグラデーション、時計の金色とか青色い感じ、背景の茶色とか、全体的に落ち着いたトーンで統一されてますし。
そうですね。
あなたはこの何とも言えない奇妙な静けさの中で何を感じますか。
うーん、やっぱりその時間っていう概念自体がすごく相対的なものなんだなっていうのを改めて感じさせられますね。
それと何ていうか、記憶の確かさみたいなものも実はすごく曖昧なんじゃないかとか。
ああ、なるほど。
だからこの作品が単なる奇抜な絵ってだけじゃなくて、ニューヨーク近代美術館、モマの重要なコレクションとして今でも評価され続けているのは、やっぱりそういう時間とは何かとか、現実とは何か、記憶とは何かみたいな根源的な問いを見る人に投げかけ続ける力があるからだと思うんですよね。
うーん。
あとタイトルの固執っていう言葉も面白いですよね。溶けてるのに固執。
ああ、確かに。
溶けていく時間のイメージとは裏腹に記憶とかイメージって案外しぶとく強く私たちの中に残り続けるみたいな、そういう意味も含まれているのかななんて思いますね。
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というわけで今回はサルバドールダリの記憶の固執を資料をもとにいろいろと探究してきました。
現実、永続性と儚さみたいないろんな対立する概念があの小さな画面の中にギュッと詰まってましたね。
そうですね。で、この絵が私たちに問いかけてるのって、もしかしたら時間の捉え方だけじゃないかもしれないなと思うんですよ。
と言いますと。
例えば私たちがこれは固定的だとか客観的なものだって思ってる他の概念。
それこそ自分自身の記憶とか自己認識、アイデンティティみたいなものも、実はこのグニャっとした時計みたいにもっと流動的で主観によってコロコロ形を変えるような、そういう側面を持ってるんじゃないかなって。
ああ、それは面白い視点ですね。記憶なんて特にそうかもしれませんね。
だからそういう視点でちょっとご自身の内面とか普段当たり前だと思ってることを見つめ直してみるっていうのも、何か新しい発見につながるかもしれないですね。