マグリットの独特の手法
こんにちは。さて、手元に1枚絵画に関する資料があります。
ルネ・マグリット、1965年の作品で、白紙委任状。
ああ、マグリットの。
はい。今回はですね、このなんとも不思議な魅力にあふれた作品について、資料を読み解きながら、あなたと一緒にじっくり見ていきたいなと。
いいですね。森の中の女性と馬なんですけど、でもなんかちょっとおかしいぞと。
この奇妙な構成とか、色使い、そしてマグリットが若者たちに何を問いかけているのか。
さあ、この謎めいた世界をちょっと一緒にひも解いていきましょうか。
はい。マグリットはご存知の通り、20世紀のベルギーを代表するシュルレアリズムの画家ですね。
超現実主義ですね。
彼の面白いところは、リンゴとかパイプ、ヤマダハボみたいな、本当にどこにでもあるような日常的なものをですね、ありえない状況とか文脈の中にポンと置いてしまう。
そうすることで、私たちがいかに固定観念で世界を見ているかというのを突きつけてくるんですね。
これはパイプではないっていう有名な。
あ、そうですそうです。まさに言葉とイメージの関係とか、見えるものとその認識の関係、そういうものを探求し続けた画家です。
なるほど。じゃあその日常的なものを非日常的に見せるっていう点で、この白紙絵人形もまさにその典型という感じですかね。
そう言えると思います。
ぱっと見ると森の中を馬に乗った女性が、こっちに向かってくるというよりは少し横切る感じで進んでいるように見えますね。
資料にも、鑑賞者が映画の世界に入り込んだような感覚って書いてあるんですけど、確かに引き込まれる構図ではありますよね。
そうですね。構図自体は一見するとかなり伝統的とも言えるかもしれません。
前景、中景、後景にうまく木々が配置されてて。
奥行きがありますね。
森の奥行き感がしっかり表現されている。光と影の使い方も森の臨場感を高めてますし、ここまでは非常に写実的で穏やかな感じですよね。
そうなんですよ。ここまでは、でもすぐにあれってなりますよね。
この木々と女性と馬の関係性、これどう見たって現実にはありえないことが起こっている。これ一体どういう。
まさにそこがマグリットの仕掛けた罠というか、この絵の革新部分ですね。
ここで興味深いのは、その重なりの不自然さ、いや不可能性と言ってもいいかもしれない。
不可能性ですか。
私たちの普通の視覚体験だと、手前にあるものっていうのは、奥にあるものを隠しますよね。
はい、隠します。
この絵で言えば、手前にある木の缶は、その後ろにいるはずの馬の体とか、女性の一部を追い隠すはずなんです。
それが自然のルール、遠近法のルールですよね。
そうです。でもこの絵だと、そのルールがもう完全に無視されている。よく見てみてください。
えっと。
馬の胴体が見えてる部分があるかと思うと、そのすぐ隣では、明らかに馬よりも手前にあるはずの木の缶が、スパッと馬畑を断ち切ってる。
ああ、本当だ。
かと思うと、その木のさらに奥にあるはずの背景の森の一部が、馬体の上に重なって見えたりもするんです。
うわあ、なんか女性の姿も馬も木も、まるでこう別々のレイヤーにある画像を切り張りして、無理やり一枚の絵にしたような、なんかパッチワークみたいな。
視覚的な矛盾の解析
そうそう、そんな印象ですよね。
ちょっと視覚的に混乱しますね。これもちろん、意図的な混乱ですよね。
まさに意図的な混乱、視覚的な矛盾を作り出しているんです。現実の空間認識とか物理法則を、まあ大胆に裏切ってるわけです。
うーん。
シュロレアリズムっていうのは、理性とか論理だけじゃ捉えきれない、無意識とか夢の世界を探求したわけですけど、マグリットの場合は、こういう日常的な風景の中に非日常的な叫め?みたいなものを入れることで。
叫め?
ええ。覚醒している私たちの認識そのものを揺さぶろうとした。普段当たり前と思っている見方がいかに脆いものかっていうのを暴き出すような、まあ視覚的な実験とも言えますね。
なるほど。単なる騙し絵みたいな面白さだけじゃなくて、もっと深い意図があるわけですね。
そういうことです。
ちょっと細部にも目を向けてみると、描かれている女性すごく落ち着いて見えますよね。
うーん、そうですね。
こんなありえない状況なのに表情は穏やかで、視線はまっすぐ前、進む方向を見ている。こっち、鑑賞者とは目を合わせない。
ええ。
服装はクラシックな常馬服で、帽子を深くかぶってて髪は見えないですね。この冷静さが、逆に絵の非現実感を際立たせているような、そんな気もします。
うーん、その対比は重要だと思いますね。色彩についても見てみましょうか。
はい。
森はやっぱり緑と茶色がメインですよね。葉の深緑、缶の茶色。それに対して女性の服と馬は、もっと暗い色、黒に近い色で描かれてて、森の背景からこう、くっきりと浮かび上がって見えます。
ええ、目立ちますね。
でも、同時にその黒いシルエットが、さっき言ったように木々によって断ち切られてて、背景に溶け込んでいるようにも見える。
ああ、なるほど。
そして、木々の隙間から見える空は、少し明るい水色で描かれていて、ちょっと閉塞感のある森の空間に、わずかな抜け感を与えている。
全体的に静かで、どこか物悲しいような、そんな雰囲気も感じますね。落ち着いた色調にあの、不可解な重なりがあるからでしょうか。
ええ、抑えた表現だからこそ、かえって奇妙さが際立つみたいな。うーん、考えさせられます。
ええ、マグリットの狙いは、まさにそこにあったんでしょうね。彼は、説明的な絵じゃなくて、見る人に謎を投げかけるような、そういう絵を目指しましたから。
謎ですか。
ええ、そして、この白紙委任状っていうタイトル、これもまた、その謎を深めるすごく重要な要素なんです。
白紙委任状、フランス語だとカートブランシですか。権限を白紙で委ねるという意味合いですけど、絵のタイトルとしてはかなりしさ的ですね。どう解釈したらいいんでしょうか。
そうですね、いくつか解釈が考えられますね。一つは、資料にもありますが、絵描き手、つまりマグリット自身が、見えるものと見えないものを現実のルールに縛られずに、自由に描くことへの許可書のようなものという解釈。
ああ、なるほど。
この画面の上では、自分が創造主であって、現実の法則なんて気にしないぞと、そういう宣言のようにも取れますね。
バカの絶対的な自由みたいな。確かにこれだけ大胆に資格のルールを破ってるのを見ると、そう言ってるようにも聞こえますね。
もう一つ、非常に興味深い解釈があって、それは、描かれた女性自身に与えられた許可書だという見方です。
女性に?
ええ、彼女は、このあり得ない物理法則を無視した空間を、まるで当たり前かのように平然と進んでるわけですよね。
確かに動じてないですね。
その不可思議な行動とか、存在自体が、あたかも特別な許可、白紙委任状をもらって行われているかのようだと。
へえ、これは重要な問いを提起しますよね。この奇妙な振る舞いを許可しているのは一体誰なんだろう。
画館なのか、それとも何か別の目に見えない力が働いているのかって。
うわあ、その解釈は面白いですね。なんだか彼女の平然とした態度が、何か大きな力に守られている、あるいはもしかしたら操られているようにも見えてきますね。
そういう見方もできますね。ここからが実に面白いところだと思うんですが、マグリッド自身の言葉が、この絵とか、彼の作品全開を理解する上で、鍵になりそうですね。
作品の深い意味の探求
と言いますと?
私たちは、いつも私たちが見ているものによって隠されているものを見ることを欲している。
ああ、その言葉ですね。
これは深い言葉ですね。
まさに、これをもう少し大きな視点で見るとですね、この見えるものが見えないものを隠すっていうパラドックス、これはマグリッドが生涯を通じて探求した中心的なテーマの一つなんです。
中心的なテーマ。
私たちは普段、目に見えるものが世界のすべてだって考えがちですけど、マグリッドはその見えるっていう行為自体が、同時に何か別のものを隠蔽してるんじゃないかと問いかけるんです。
見ることが隠すことにもなる。
そう。そして人間にはその隠されたもの、見えないものを知りたいっていう根源的な欲望があるんだ。
ということは、この白破錦印象では、木々が見えていることで馬の一部が隠されて、馬が見えていることで背景の森が隠されて、というその繰り返しによって私たちの見たいという欲望を刺激しているということでしょうか。
まさにその通りだと思います。
断片化されたイメージは私たちに全体像を想像させますよね。
ええ、保管したくなります。
でもその想像は常に裏切られる。
木々の隙間から見える馬の肌の質感なんかはすごくリアルなのに、すぐ隣では非現実的な断絶が起こっている。
マグリットの視覚的表現
この見える、見えない、現実、非現実の、なんというか攻めぎ合いの中に私たちは放り込まれるわけです。
見えるものは確かにそこにある。
でもそれは同時にその背後にあるはずの何か、あるいはとがりにあるはずの何かを私たちから覆い隠している。
この絵は、そういう認識の構造そのものを視覚化しているとも言えるんじゃないでしょうか。
なるほど。単に不思議な絵、面白い絵っていうだけじゃなくて、私たちが世界をどう認識しているのか、そのプロセス自体を問い直させるような力を持っているんですね。
だからこそこの作品はマグリットの代表作の一つとして高く評価されて多くの人を惹きつけるんでしょうね。
資料によると宮崎県立美術館に所蔵されているんですね。
そうなんです。日本でこのある意味体験ができるというのは本当に希少なことだと思いますよ。
その魅力は単なるトリックアートとしての面白さを超えて、もっと哲学的な問いを投げかけてくる点にあるんでしょうね。
見た目の奇妙さ、独創的な構図がまず目を引きますけど、じっくりと向き合えば向き合うほど、見るってどういうことなんだろうとか、
現実って一体何なんだろうみたいな、もっと根源的な施策へと誘われる。
その深さが時代を越えて多くの人々を魅了し続ける理由なんだと思います。
資料にある騙し得的な要素と哲学性が融合した作品っていう評価は本当にまさにその通りですね。
視覚的な驚きと知的な刺激が同時に味わえる。これはマグリットならではの世界観ですね。
シュルレアリズムというと、フロイトの精神分析の影響を受けて、夢とか無意識の世界を描くみたいなイメージが強いかもしれませんけど、マグリットのアプローチはちょっと違うんですよね。
と言いますと?
彼はむしろ私たちが現実だと思い込んでいるこの日常的な意識、その当たり前とされている認識の基盤そのものを疑って、そこに揺さぶりをかける、そういうことに重点を置いていたと言えるでしょうね。
なるほど。夢の世界より覚醒時の認識そのものを。
そうですそうです。
さて、今回の探求を少し振り返ってみましょうか。
ルメマグリットの白紙印象、これは森の中を進む女性と馬という一見普通のモチーフを使いながら、手前のものが奥のものを隠すっていう転勤法の基本的なルールを大胆に破って、
木々とジンバが断片化されて互いに入り組むように重なり合うというありえない光景を描き出していました。
見えないものの探求
その視覚的な矛盾を通してマグリットは私たちが自明のものとして受け入れている現実の認識そのものに静かにでも鋭く疑問符を突きつけてくるんですね。
そしてマグリット作品に共通する見えるものが見えないものを隠すというテーマ。
私たちはいつも私たちが見ているものによって隠されているものを見ることを欲しているという彼の言葉がこの絵の中で特に強く響いてくる感じがしました。
隠されたものへの想像力を掻き立てられると同時に、いや見えるものによって実は何かが隠蔽されているんだっていうそういう認識の構造にハッとさせられます。
白白紙印に錠というタイトルもまた画家の創造的な自由の宣言とも取れるし、あるいは描かれた女性の不可解な行動への許可書とも考えられる。
複数の解釈を呼び誘って作品の持つ謎を一層深くしていましたね。
さて、これらは一体何を意味するんでしょうか。
この深く考えさせられる映画からあなたは何を感じ取りましたか。
見れるイメージの断片が暗示するその向こう側にあるもの隠されたものについてどんな思いを巡らせましたか。
エクスパートエクスパートスピーカー。
そうですね。最後にこんな問いかけで締めくくってみるのはどうでしょう。
マグリットは映画の中で視覚的な陰底を描きましたよね。見えるものが他の何かを覆い隠す状況。
はい。
エクスパートエクスパートスピーカー。
では、本当って私たち自身の日常的な認識とか視点はどうでしょうか。
私たちが見ていると思っているこの現実はもしかしたら別の可能性とか異なる側面を隠してしまっているのかもしれない。
ああ。
私たちは自分自身の物の見方とか考え方に対して知らず知らずのうちにどんな白紙異認状を与えてしまっているんでしょうかね。
私たちの認識そのものが白紙異認状かもしれない。非常に刺激的な問いかけですね。
今回はルネマグリットの白紙異認状について資料を手がかりに深く掘り下げてみました。最後までお付き合いいただきありがとうございました。
ありがとうございました。