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2025-11-25 18:29

98 ホルバイン(子)「大使たち」

98 ホルバイン作「大使たち」徹底解剖:歪んだ骸骨とルネサンスの光と影~メメント・モリと知の探求

サマリー

ホルバイン(子)の「大使たち」という絵画は、ルネサンスの時代背景や人間の知識と死のテーマを巧みに表現しています。絵の中には二人の大使、ジャンデ・ディントビルとジョルジュ・ド・セルベが描かれており、その対比が際立っています。また、アナモルフォーズ技法によって死の存在が象徴的に表されています。この作品は1533年の宗教改革の激動の時代を反映し、知識や富の象徴でありながら、死の不可避性をも描き出しています。視覚的美しさと深い象徴性が融合し、鑑賞者に様々な解釈や対話を促しています。

絵画の背景と解説
さて、今日はですね、あなたがお持ちの資料の中でも特に興味深い一枚の絵画
88 ホルバイン)子)作の「大使たち」これに焦点を当てて、その世界を一緒に深く探っていければと思います。
はい。
15、33年に描かれた作品で、見た目の緻密さもすごいですけど、なんか隠された意味がたくさんありそうで。
そうですね。
まさに謎解きみたいな絵画ですよね。今回の我々のミッションとしては、この絵に描かれた一つ一つの要素とか、そこに込められた象徴性、そしてそのホルバインが何を伝えたかったのか、これをあなたと一緒に資料を読み解きながら考えていきたいなと。
はい。
単なる美術鑑賞っていうよりは、当時の時代背景とか思想みたいなものまで感じ取れるような時間にできたらいいなと思っています。
この題詞たちは、まさにルネッサンスという時代のその知識とか富江の賛美、それと同時に常に意識されていた死という普遍的なテーマ、その両方が本当に驚くほど巧みに織り込まれてるんですね。
うーん。
ディテールに目を凝らせば凝らすほど、当時のなんか複雑な世界観が浮かび上がってくる、非常に多層的な作品だと思います。
なるほど。中央にまず等身大の2人の男性がいますよね。
ええ。
彼らを取り囲むように天文学、音楽、地理、数学、なんかもうありとあらゆる分野の品々がこれでもかと描かれている。
そうですね。
そして足元には何やらこう奇妙な歪んだ影のようなものが。
よし、じゃあ早速この絵画の革新に迫っていきましょうか。
はい、ぜひ。
二人の大使の対比
まずはやっぱり中央の2人の人物像からですね。向かって左側の方、かなり豪華な装備ですけど、この方はどなたでしょう。
こちらはですね、フランスからイギリスに派遣されていた大使、ジャンデ・ディントビルです。
ああ、ディントビル。
資料にもありますように、彼の服装は当時の富と権力の象徴そのものと言っていいでしょうね。
光沢のある絹とか、ふんだんに使われた毛皮、あと金紙の見事な刺繍とか。
へえ。
細部まで見ると、その贅沢さが本当によくわかります。
あと、探検には彼の年齢である29歳っていうのが刻まれてるんですよ。
29歳。
ええ、そしてこの観賞者をまっすぐに見据える視線、なんか若々しい自信と大使としての威厳に満ちてる感じがしますよね。
いやあ、29歳でこの貫禄ですか。
まさに時代の長寿っていう感じがしますね。
それに対して右側の人物は対照的に黒い服でずいぶん落ち着いた雰囲気ですね。
ええ、こちらはジョルジュ・ド・セルベ。
ラボール司教であり、ディントビルの友人でもあった人物です。
司教さんなんですね。
そうなんです。
彼もまた外交施設として当時ロンドンに滞在していました。
服装は聖職者らしく疾走な黒なんですけど、袖口から覗く白いシャツとか、あとどことなく知性を感じさせる表情が印象的ですね。
確かに。
彼の視線はディントビルとは対照的に少し横に向けられていて、何かこう深く考え込んでいるように見えませんか。
見えますね。
年齢は当時25歳とされています。
こちらは25歳、若きエリート2人という感じですね。
一方はすごく華やかな厳正的な権力を、もう一方は知性とか精神性を象徴しているようにも見えますね、この対比だけでも。
まさにおっしゃる通りです。
服装、視線、立ち姿、すべてが対照的に描かれているんですね。
豪華健乱なディントビルと内政的な雰囲気のセルベ。
アナモルフォーズと死の象徴
この二人が並び立つことで、ルネサンスという時代が持つ二面性、つまり厳正的な成功への渇望みたいなものと、精神的知的な探求への情熱、その両方を表現しているとも解釈できるかなと思いますね。
なるほど、面白いですね。
では次に、その二人の間にあるこの棚、ここに注目してみましょうか。
物がぎっしり置かれていますけど、まず上の段には何が見えますか。
天文学に関するものが多そうに見えますが。
その通りです。
上の段にはですね、点球儀とか携帯用の日時計、あと円筒型の時間測定器、多面体として描かれた日時計とか、天文学や測量、時間計測に関連する道具がずらーっと並んでますね。
はいはい。
これらはいわゆる天上の事柄を象徴していて、宇宙の秩序とか法則を探求しようとした当時の科学的精神、知的好奇心を示していると考えられます。
なるほど。
ルネサンス期ってまさに大航海時代でもありましたから、天文学の知識はその航海術にも不可欠だったわけで、実用的な意味合いも強かったはずですよね。
宇宙の法則を解き明かそうという、そういう意思の現れなんですね。
では、下の段はどうでしょう。
こちらはまたちょっと周囲が違うものが並んでますね。
ええ。下段はですね、地上の事柄に関連する品々です。
手前には地球儀が見えますね。
はい。
これは当時の地理的な知識、世界の広がりを示しています。
その隣には竜と、原画機ですね。
そして開かれた賛美歌集。
ああ、音楽。
ええ。これは音楽や芸術、そして宗教的な調和を象徴していると考えられます。
さらにフルートのケースとか、開かれた算術書も見えますね。
算術書まで?
これは数学、論理、そして商業活動とか、人間社会が生み出した学問や文化を代表しているということでしょう。
天上の学問と地上の学問、両方がここにギュッと集約されているわけですね。
当時の知識人たちがいかに幅広い分野に関心を持っていたかよくわかります。
ところで資料によると、この竜と、よく見ると弦が一本切れているという指摘がありますよね。
ああ、はいはい。
これはどういう意味を持つと考えられますか?
それはですね、非常に鋭い指摘ですね。
確かに竜との弦の一本がブツンと切れているように描かれています。
これは解釈が分かれる点ではあるんですが、いくつか可能性が考えられます。
一つは、当時の宗教改革によるその教会内の不一致とか、社会的な不和、調和の乱れ、そういったものを象徴しているんじゃないかという説。
ああ、なるほど。
音楽における不協和音としてそれを表現したのかもしれないと。
宗教的な対立ですか?当時の予想を考えると、それはありえそうな解釈ですね。
もう一つはですね、人間の知識とか芸術、あるいは地上の事柄そのものが完全ではないんだと。
どこかに欠落とか限界を抱えているんだという、そういう哲学的なメッセージと捉えることもできるんですね。
ふむふむ。
完璧に見えるものの中にも不完全さが潜んでいるというような。
あるいはもっと単純にリュートが使われなくなった状態、つまり活動の停止とか死を示唆するという解釈もあります。
うーん。
いぶれにしても単なる写実的な描写というよりは、何らかの象徴的な意味が込められていると考えるのが自然でしょうね。
たった一本の切れた弦にそこまで深い意味が込められているかもしれない。ホルバイン恐るべしですね。
ええ。
そしていよいよこの絵画の最大の特徴ともいえる床の部分なんですけど、これは一体何なんでしょう?なんかシミか何かでしょうか?
ああ、これこそがですね、この絵画を美術史上で得意な存在にしている要素、アナモルフォーズって描かれた歪んだ骸骨なんです。
アナモルフォーズ?
そうです。正面から普通に見ると何かの汚れか、あるいは奇妙にぐにゃっと引き伸ばされた物体にしか見えない。
確かにそう見えますね。
しかしある特定の角度、具体的には絵画の右下の方からこう斜めに見上げるように視点を変えると、これがはっきりと図骸骨の形をしていることがわかるんですよ。
ゆがん像がですね、意図的に歪ませて描いて特定の視点からしか正体が見えないようにする技法。しかしなぜまたこんな手の込んだことを、普通に骸骨を描くんじゃなくて。
そこがポイントなんですね。これは単なるなんていうか、技法の見せびらかしというわけではないんです。この技法を用えること自体に強いメッセージ性が含まれていると考えられます。
メッセージ性?
まずこれはメメントモリ、つまりラテン語で死を忘れるなという、当時ヨーロッパで広く共有されていた死声感を表現していると言われています。
メメントモリ、死を思いと。
そうです。リントビルとセルベが象徴するような、現世における富とか権力、知識、若さ、そういったものは全て死の前では儚いものなのだという、一種の警告ですね。
しかしそれを直接的に、例えば棚の上にポンと骸骨を置くような形で描いてしまうと、あまりにも露骨でちょっと教訓じめてしまうかもしれない。
確かにそうかもしれませんね。こうざめというか。
そこでホルバインはアナモルフォーズを用いた。日常的な視点、つまり絵かいを普通に鑑賞している視点からは死は隠されている、あるいは歪んでいて認識できない。
しかし少し視点を変えて意識的に探求することで、その存在にはっきりと気づかされる。
この発見のプロセスを経ることで、鑑賞者はより強い衝撃を受けて、死の不変性、不可否性というメッセージをより深く内面化することになるわけです。
なるほど。
発見されているからと、そう見つけた時のインパクトが大きい。非常に計算された演出と言えるでしょうね。
いやー、すごいですね。隠されている死を鑑賞者に発見させることで、より強く意識させると。
これは単なる映画の技法を超えて、なんか哲学的な問いかけのようにも感じますね。
日常の中に実は隠れているけれど確実に存在する死、ということでしょうか。
まさにその通りだと思います。
現世の映画をこれでもかというくらい描きながら、その足元には歪んだ死の影が腰伸び寄っている。
この強烈なコントラスト、そしてそれを明らかにするための視覚的なトリック。
これが大使たちを単なる肖像画以上の深い試作を促す作品にしている、まさに革新部分だと思いますね。
色彩についても少し触れておきましょうか。先ほども少し話に出ましたけど、ディントビルの衣装の鮮やかな赤とか緑、金色と、セルベーの落ち着いた黒、そして背景の深緑のカーテン。
この色彩の対比というのもやはり意図的なものでしょうか。
それはもう間違いなく意図的でしょうね。
色彩は人物の性格とか社会的地位、そして映画全体の雰囲気を演出する上で非常に重要な役割を果たしていますから。
はい。
ディントビルの鮮やかな色彩とあと光沢なる質感、これは彼の若さ、活力、そして世俗的な性格を強調しますよね。
ええ。
一方でセルベーの黒い衣装は、彼の聖職者としての立場、そして内省的で知的な性格を示唆しています。
なるほど。
そして背景にあるあの深緑のベルベットのカーテン。
豪華ですよね。
ええ。
これは非常に豪華なもので、場面に重厚感と草原さを与えると同時に、前景の人物とかシナムニを裁断させる効果があります。
あの、緻密に描かれた織の模様も見事です。
本当ですね。
さらに注目すべきは、やはりアナモルフォーズの骸骨の意図ですよね。
ああ、確かに。
周囲の豊かな色彩とは全く異なる、なんというか、ひでたい灰色がかった白色で描かれている。
宗教改革の時代背景
この色彩がし、死の持つ非人間的な冷やかな側面を際立たせて、画面全体に一種の不穏な緊張感を与えているように思います。
色彩だけでもこれだけの情報が込められているんですね。
そして、この絵が描かれた1533年という時代背景。
これは作品の解釈にどう関わってくるんでしょうか。
宗教改革の真っ只中ですよね。
ええ。
それは極めて重要な要素ですね。
1533年というのは、ヨーロッパが宗教的にも政治的にも非常に激動していた時代でした。
はい。
ドイツではルターによる宗教改革が進んでいて、カトリック教会は大きな動揺の中にありました。
特にイギリスでは、国王ヘンリー8世がローマ教皇朝との決別を宣言して、イギリス国教会を設立しようとしていた、まさにその時期にあたるんです。
ああ、そうか。ヘンリー8世の。
ええ。リントビルとセルベは、この非常に複雑で緊迫した状況の中で、フランスを代表してイギリスとの外交交渉に当たっていたわけです。
そんな緊迫した状況下で描かれた映画だったんですね。やはや。
そうなんです。ですから、この映画に描かれた様々な要素は、単なる知識とか富の陳列というだけじゃなくて、この時代の混乱とか対立を反映しているとも考えられるわけですね。
なるほど。
例えば、棚の上の精密な科学機器は、人間の理性の力を示しつつも、同時にその限界を示唆しているのかもしれない。
あるいは、先ほど触れたリュートの消えた弦、これはまさに宗教的な調和の崩壊を暗示しているのかもしれないと。
うーん。
そして、アナモルフォーズの骸骨が持つメメントモリの思想。
これは、宗教的な対立とか政治的な駆け引きといった、そういう現世の争いや混乱も、死という絶対的な現実の前では虚しいものになるんだというメッセージを、当時の人々に向けてより切実に響かせたのではないでしょうか。
なるほど。
ある意味では、死を意識することによって、対立を超えた普遍的な人間の条件に立ち返ることを促しているとも言えるかもしれませんね。
単に個人の死を思うだけじゃなくて、社会全体の混乱とか対立に対する、ある種の継承のような意味合いも帯びてくるということですか。深いですね。
この大死たちがホルバインの最高傑作の一つであり、西洋美術史の中でも特に重要な作品とされる理由は、今お話しいただいたような点にあるのでしょうか。
そうですね。まずその圧倒的な質疑通技術、これはもう言うまでもありません。人物の肌の質感、衣服の布地の種類、金属や木材の光沢、それらすべてがまるで現実のものがそこにあるかのように、本当に驚くほど精密に描かれています。
ええ、本当に。
この技術だけでも、ホルバインが東大随一の画家であったことを示していますよね。
はい。
しかしそれ以上に重要なのは、やはりこれまで見てきたような作品に込められた深い象徴性と知的挑戦だと思うんです。
知的挑戦。
ええ。一つ一つのアイテム、人物の配置、色彩、そしてアナモルフォーズのような驚くべき技法、それらすべてが組み合わさって、単なる肖像画や生物画を超えた複雑で多層的な意味を生み出している。
鑑賞者は、描かれたものをただ見るだけじゃなくて、そこに隠された意味を読み解こうと知的探求へと誘われるわけです。
だからこそ、何世紀にも渡って人々を魅了し、議論を呼び続けているんでしょうね。
技術、象徴性、そして謎解きのような面白さ、それらが完璧に融合しているということですね。
ええ。まさに視覚的な美しさと知的な深み、その両方を兼ね備えている稀な作品だと思います。見るたびに新たな発見がある、何度でも対話したくなるような絵と言えるでしょうね。
さて、今回はハンス・ホルバイン氏の大師たちについてかなり深く掘り下げてきましたね。
若きフランス大師、ジャンド・ディントビルと司教ジョルジュ・ド・セルベという二人の人物。彼らを取り巻く天文学から音楽、地理、数学に至るまでの当時の知識と芸術の集大成のような品々。
そしてそのすべてを足元から見つめるかのように、歪んで隠された骸骨。
これらが一体となってルネッサンスという時代の輝かしい知性とか富を招待つつも、同時にその限界や人生の儚さ、そして誰にも避けられない死という不厳的なテーマを我々に突きつけていることがよくわかりました。
深い象徴性と知的挑戦
特にあのアナモルフォーズの技法には単なる驚きを超えた深い意図が隠されていましたね。
そうですね。華やかな文化が花開いた一方で、宗教とか政治の対立が激化していた、そういう時代の空気感。
その中で人間の知識とか権力とは何か、そして生きと死とは何か、という根源的な問いをホルバインはこの一枚の絵画に凝縮させたんだと思います。
アナモルフォーズという仕掛けは、その問いをより印象的に、そしてなんというかパーソナルな体験として私たちに投げかけていると言えるでしょうね。
この緻密で象徴に満ちた絵画、今日こうして詳しく見てきて、あなたにとって特に心に残ったのはどの部分でしたか?自信に満ちたリントビルと内静的なセルベの対比でしょうか?
うーん、そうですね。
あるいは知的好奇心をくすぐる棚の上の様々な道具たち、それともやはり視点を変えることで現れるあの不気味な骸骨の存在でしょうか?
最後に一つ、ちょっと思考の種として投げかけさせてください。
お、はい。
これほどまでにリアルに賛美するように描かれた現世の象徴、つまり知識、富、権力、若さ、それらと意図的に歪められ隠された死の象徴。
ホルバインはこの二つを同じ画面に同居させることで、もしかしたら、ではこの混乱の時代にあって人間が本当に価値を置くべきもの、信じるべきものは何なのか、と私たちに問いかけているのかもしれません。
なるほど。
現世の映画か、それとも見えにくいけれど確実な真実か、あなたならどう答えますか?
18:29

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